日本原水協国連要請代表団 1974年12月4日、国連事務次長・軍縮部長と会見。
代表団員
氏名 |
所属など |
小佐々八郎 |
日本原水協代表理事、長崎県被災協会長、被爆者 |
佐久間澄 |
日本原水協代表理事、広島県原水協理事長、被爆者、広島大学名誉教授 |
田辺勝 |
日本原水協常任理事、広島県被団協理事長、被爆者 |
藤井敬三 |
北海道原水協理事長、札幌病院院長 |
小島光雄 |
東京都原水協副理事長、被爆者 |
田中道宣 |
福岡県原水協副会長・日本基督教団九州教区議長 |
久保文 |
日本原水協常任理事・日本AA連帯常任理事 |
芳沢弘明 |
沖縄県原水協理事長・弁護士 |
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止
核兵器全面禁止国際協定締結・核兵器使用禁止の諸措置の実現を国連に要請する国民代表団:1975年12月8日、ワルトハイム国連事務総長と会見。
出典:『広島・長崎の原爆被害とその後遺-国連事務総長への報告』(核兵器全面禁止国際協定締結・核兵器使用禁止の諸措置の実現を国連に要請する国民代表団派遣中央実行委員会、19760806)
目次
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Ⅰ |
原爆被爆者の30年-事例研究 1 |
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事例-1.広島、男、65歳 被爆当時陸軍運輸部 現在、精神病 院入院中 |
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事例-2.長崎、女、故人 原爆孤老となり、82歳で死亡 |
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事例-3.広島、女、47歳 被爆当時高女在学 現在、離婚 |
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事例-4.長崎、男、41歳 被爆当時小学生、後遺に苦しむ |
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事例-5.広島、女、73歳 被爆当時主婦、残留放射能による 被爆者 |
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事例-6.ある被爆二世の死<長崎の事例> |
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Ⅱ |
原爆被害とその後遺の実態 |
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1 |
被害の物理実態 |
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2 |
被害の医学的実態 |
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3 |
被害の社会的実態 |
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あとがき<報告書作成の専門家グループ=伊東壮、庄野直美、川崎昭一郎、田沼肇、草野信男、峠一夫、佐久間澄> |
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ヨーク・フォーラム=軍拡競争の終結と軍縮のための国際フォーラム 1976年3月28日~4月1日 場所:イギリス・ヨーク大学
出典:『ヨーク宣言と原水爆禁止運動の新たな局面-「軍拡競争の終結と軍縮の為の国際フォーラム」の報告』(ヨーク・フォーラム日本代表団、1976?)
目次
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はしがき |
田沼肇(日本代表団代表委員) |
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1 |
ヨーク宣言・宣言付属文書 |
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2 |
日本代表団総括 |
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3 |
ヨーク・フォーラムに対する日本代表団報告 |
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4 |
分科会のまとめ |
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5 |
軍縮分野におけるGO・NGO関係の樹立について ―核廃絶への具体的第一歩 |
佐藤行通(日本原水協担当常任理事) |
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6 |
代表団活動日誌 |
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7 |
ヨーク・フォーラム、ユーゴ、ルーマニアの旅-日本代表団の報告と感想 |
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8 |
日本原水協 日本平和委員会 ユーゴ友好親善訪問代表団報告 |
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9 |
日本原水協 日本平和委員会 ルーマニア友好親善訪問代表団報告 |
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10 |
日本代表団名簿 |
[広島関係者なし] |
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核兵器全面禁止国際条約締結・核兵器使用禁止の諸措置の実現を国連に要請する国民代表団
1976年10月9日―>10月26日
出典:『核兵器全面禁止 崇高な人類の大義 核兵器完全禁止・国連要請国民代表団報告集』(核兵器全面禁止国際条約締結・核兵器使用禁止の諸措置の実現を国連に要請する国民代表団派遣中央実行委員会、19761223)
目次
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核兵器は人類と共存しえない-まえがきにかえて |
吉田嘉清 |
1 |
核兵器完全禁止・国連要請第2次国民代表団の活動について |
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2 |
国連に対する要請行動に関する文書 |
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1.中央実行委員会の国民代表団派遣へのよびかけ |
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2.国連事務総長への手紙 |
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3.国連事務次長のステートメント |
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4.国連事務当局にたいする要請と提案 |
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国連に対する要請にあたって |
服部学 |
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核兵器使用禁止条約(案)について |
松井芳郎 |
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「被爆の実相と被爆者の実情にかんする国際シンポジウム」について |
伊東壮 |
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「広島・長崎の原爆被害とその後遺」の提出にあたって |
肥田舜太郎・小林栄 |
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平和教育について |
本田悦郎 |
3 |
国連総会議長との会見 |
佐藤行通 |
4 |
軍縮と社会正義のための米大陸横断行進について |
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5 |
代表団行動日誌 |
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6 |
代表団活動の記録 |
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7 |
感想と報告 |
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藤井日達…61/細井友晋…62/服部学…63/小松勝子…64/北西允…65/東山福治…66/肥田舜太郎…67/一宮洋…68/田中煕己…69/堀田シズエ…71/石井英…72/白石博…74/本田悦郎…75/松井芳郎…76/小林栄一…78/西岡幸利…79/佐藤信治…80/中本剛…81/藤井厚吉…82/伊谷周一…83/花山典子…84/上杉芳夫…85/中里喜昭…87/葉山利行…88/渋谷正利…88/宮野由子…90/伊東壮…91/久保文…92 |
8 |
報告と記録 |
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報告と記録=SIPRI、日本の基地、マックブライト氏の講演から…96 |
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9 |
1976年国連要請日本代表団名簿 |
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資料 |
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1.原爆投下航空ショーにたいしての米政府への要望書 |
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2.核兵器完全禁止・国連要請諸国民代表団の持参したもの |
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3.持参した横断幕スローガン |
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4.詩=ジェファニー・ダグラス |
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志水清
資料
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『志水清教授退官記念 業績目録』(志水清教授退官記念事業会、19700815) |
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『広島大学原爆放射線医科学研究所附属国際放射線情報センター所蔵 志水清資料目録(原爆関係資料)』(広島大学放射線医科学研究所附属国際放射線情報センター、20100201) |
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アピールの記録
出典『核の傘に覆われた世界 現代人の思想19』(久野収編、平凡社、1967年8月20日)
アピール名 |
年月日 |
主体 |
備考 |
アムステルダム反戦会議での演説 |
19320827 |
ロマン・ロラン |
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平和三原則について |
19540423 |
日本学術会議第17回総会(国内声明) |
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ラッセル・アインシュタイン宣言 |
19550709 |
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第1回原水爆禁止広島世界大会宣言 |
19550808 |
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ゲッチンゲン宣言 |
19570412 |
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新安保条約批准に反対する声明 素粒子論懇談会 |
19600406 |
素粒子論懇談会 |
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地上の平和(回章) |
19630411 |
ヨハネ23世 |
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原爆実験についての中国政府声明 |
19641016 |
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ベトナム問題に関して日本政府に要望する |
19650420 |
我妻栄ほか91名 |
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日米共同宣言 |
19650522 |
「ベトナムに平和を!」市民・文化団体連合 |
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ヴェトナム戦争と平和運動の責務 |
19650710 |
J・D・バナール |
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アメリカ人民に宛てた南ベトナム解放民族戦線のメッセージ |
19650728 |
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第3回科学者京都会議声明 |
19660702 |
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徹底抗戦の声明 |
19660717 |
ホー・チ・ミン |
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《ベトナムに平和を!日米市民会議》へのメッセージ |
19660811 |
ドイッチャー |
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ベトナム戦争と反戦の原理 |
19661015 |
J・P・サルトル |
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佐藤首相の南ベトナム訪問計画に関する日本政府への要望書 |
19670722 |
我妻栄ほか25名 |
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「平和の船」を送ろう |
19670717 |
久野収、小田実ほか47名 |
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原水爆禁止科学者会議
回 |
開催年月日 |
会場 |
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第1回 |
1966 |
広島 |
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第2回 |
1967 |
東京 |
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第3回 |
1968 |
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第4回 |
1969 |
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第5回 |
1970 |
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第6回 |
1971 |
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第7回 |
1972 |
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第8回 |
1973 |
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第9回 |
19740730~31
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東京・区民文化センター |
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広島市政白書
広島市政白書 |
編・発行 |
発行年月日 |
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(第1次) |
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197412 |
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(第2次)住民参画の広島市政を実現するために |
広島市職員労働組合・広島自治体問題研究会(編集)広島市職員労働組合(発行) |
19781010 |
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14.平和教育、17.被爆者問題 |
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(第3次)広島・ヒロシマ |
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19831021 |
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(第4次) |
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19861225 |
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(第5次)10年のあゆみ・これからの広島 |
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19901227 |
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(第6次)くらしといのち 輝く広島に |
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19950324 |
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(第7次)ひろしまの明日のために |
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19990110 |
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出典:『広島自治体問題研究所20年の歩み―21世紀の地方自治をひらく』 |
創立20周年記念 「ヒバクシャと現代」 地域と科学者第8号
創立20周年記念 ヒバクシャと現代[1981年2月1日開催のシンポジウムをもとにまとめる]
目次
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大森正信 |
巻頭言 |
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1.被爆者の実態―生活と援護の諸問題 |
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江崎須賀子 |
被爆者の実態と生活史 |
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舟橋喜恵 |
被爆者の生活史調査の意義―石田忠氏の場合― |
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宇吹暁 |
原爆被災資料をめぐって |
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田村和之 |
「被爆者援護法」の検討 |
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2.被爆者と医学―その歴史と今後の課題 |
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斎藤紀 |
被爆者と医師 |
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鎌田七男 |
現場kの人体影響とその研究の歩み |
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3.ヒバクシャ、原爆、核問題と自然科学研究 |
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星正治 |
広島・長崎の原爆放射線量の見直し―第4回(最終)日米ワークショップより |
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永井秀明 |
現代核科学と科学者 |
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山田浩 |
広島大学平和科学研究センターの歴史と今後の加害―平和研究の制度化推進のために |
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佐中忠司 |
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創立20周年 地域にねざす科学者の運動―日本科学者会議広島県支部の創立10周年から20周年への歩み |
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3.ヒバクシャ、原爆、核問題と自然科学研究 |
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日本科学者会議広島県支部(JSAH)<1966年6月25日創立>
機関誌『地域と科学者』
号(発行年月) |
備考 |
創刊号197501 |
大学問題特集号 |
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創刊のことば(事務局長 小川修三)=「全国組織が発足した1966年1月、50名前後の会員でもって呱呱の声をあげました」「現在広島支部も:::160名を数えるに至っています」 |
第2号197509 |
公害問題特集 |
第3号197606 |
支部創立10周年特集 |
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公害病の原点・原爆症をめぐって(広島大医・ 杉原芳夫)1.原爆症にはどのようなものがあるか、2.不毛の論争、3.原爆症の認定、4.被爆二世問題、「原爆症は最も深刻な公害病である」 |
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〔座談会〕「平和と学問を守る大学人の会」の記録―日本科学者会議広島県支部との関係 |
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石田明「ヒロシマの研究者への要請」 |
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〔記念講演〕E.H.バーロップ「核兵器、軍縮及びエネルギー危機」 |
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19761126 JSA県支部主催〔世界科学者連盟会長・ロンドン大学教授〕バーロップ講演会。広島大学理学部会議室。 |
第4号197707 |
被爆・核・広島特集 |
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「地域と科学者」のために(飯島宗一 前広島大学学長)。「ひとつの問題は、科学者の業績主義」。「ある東京の科学者で、放射線医学のある地位を占める人と、広島・長崎の原子爆弾障害の研究のすすめ方について雑談していたところ、彼は「正直にいえば、広島・長崎の被爆影響の医学的研究はもはやあまり意味がないのではないか。少なくとも今後学問的なノイエス(noues)が見つかる可能性はほとんどない」」。 |
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[座談会]被爆・核・広島―各時代における広島の課題(北西允、相良勝美、佐久間澄、永井秀明、司会=横山英)論文ほか(佐久間澄、阿佐美信義、永井秀明、山田浩、深川宗俊、空辰男、萱原威、若林節美、丸山益輝、庄野直美、宇吹暁) |
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若林節美「原爆が人間にもたらしたものは―被爆者とともに模索しながら―」(広島原爆病院)〇原爆孤児として―生きることに迷いながら―、〇ケロイドに悩んだ青春―親子の離別を余儀なくされて―、〇原爆により子供を奪われて―子供の遺骨のために生きて32年―、まとめ「被爆後32年を経過した今日、原爆による被害は、被爆時の年代によって、それぞれに異なった側面をもち、新たな問題として考えねばならない時期にきているように思える。被爆者への政策的対応は救貧原理貫かれ、しかも、疾病の治療を要するものと限定する側面が強い。原爆被害の全体像を、生活史的視点でとらえ直し、被爆者のいのち、くらし、こころと、きめ細かい対策が望まれていると思う」 |
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庄野直美(広島女学院大学、NGOシンポジウム日本準備会事務局代表)「NGO被爆問題国際シンポジウム」〇シンポジウム開催に至る経緯、〇シンポジウムの内容と日程、〇シンポジウムの意義 |
第5号197811 |
大学改革特集 |
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若林誠一「核兵器完全禁止・被爆者援護世界大会に出席して」 |
第6号198107 |
「地方の時代」・環境特集 |
第7号198307 |
「教育・教科書問題と今日の時代」特集 |
第8号198606 |
創立20周年記念 ヒバクシャと現代[1981年2月1日開催のシンポジウムをもとにまとめる] |
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大森正信、江崎須賀子、舟橋喜恵、宇吹暁、田村和之、斎藤紀、鎌田七男、星正治、永井秀明、山田浩、佐中忠司 |
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。