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『広島県史』を読んで、おしゃべりをする会

1978年5月31日 初会合

開催年月日 開催場所 テーマ 参加者
19780531 県史編さん室 文明開化など 松田、川島、中村、井下、今中、内田、天野、児玉、安藤
19780629 県史編さん室 教育問題・移民問題 今中、川島、井下、松田、山口、天野、藤原
19780907 喫茶グリーン 婦人会、社会団体と軍国主義、米騒動ほか 松田、川島、中村、井下、天野
19790917 県史編さん室 276~355 不明

注:(文責・川島)として。会の記録がNO.3までと次回の案内1枚が残存。

文部省学術研究会議原子爆弾災害調査特別委員会

文部省学術研究会議原子爆弾災害調査特別委員会

1945年9月14日設置(文部大臣名の発令は10月24日)

委員長:林春雄(学術研究会議会長、東京帝国大学名誉教授)

    9科会(科会長はすべて東大教授)

科会名 科会長
1.物理学化学地学 西川正治
2.生物学 岡田要
3.機械金属学 真島正市
4.電力通信 瀬藤象二
5.土木・建築 田中豊
6.医学 都築正男
7.農学水産学 雨宮育作
8.林学 三浦伊八郎
9.獣医学畜産学 増井清

第1回報告会。

1945年11月30日、於東京帝国大学。

山崎匡輔科学教育局長挨拶「今回原子爆弾の災害調査につきまして、各般の権威の有る方々に御調査をお願い致すことを決定致しましたところが、学研の方でこの問題を喜んでお取上げ下さいました。いま少し小規模な御研究を願いたいと思いましたのでございますが、皆様の非常な御熱誠の結果非常に完璧な研究団ができまして、私ども非常に衷心より感謝致している次第であります。」

第2回報告会。

1946年2月28日、於東京帝国大学。

「昭和22年度末まで3カ年にわたって作業を継続したが、主要な調査研究は昭和20年度(昭和21年3月まで)に行われた。」

日本学術会議原子爆弾災害調査報告書刊行委員会編『原子爆弾災害調査報告書』

        (日本学術振興会、1953年5月5日)

理工学編 38編
生物学編 6編
医学編 130編

「医学科会は特別委員会中最大の科会であり、約30名の委員、150名の研究員、1,000名の助手から成り、日本の全ての主要な医学部、研究所及び病院を代表している。」

都築正男メモ

医学科会への最初の協力者

都築正男(科会長)、中泉正徳(東京大学)、菊池武彦(京都大学)、大野省三(九州大学)、井深健次(日本陸軍軍医総監)、福井信立、石黒茂夫、横倉誠次郎、金井泉(海軍軍医)、勝俣稔、古屋芳雄(厚生省公衆衛生官)、高折茂(鉄道医官)

1945年10月任命

田宮猛雄、都築正男、佐々貫之、中泉正徳、三宅仁(東京大学)、木村廉、船岡省吾、真下俊一、菊池武彦、森茂樹(京都大学)、高木耕三、木下良順、布施信義、福島寛四(大阪大学)神中正一、中島良貞、小野興作、沢田藤一郎(九州大学)、林道倫(岡山医大)、古屋野宏平(長崎医大)、井深健次、平井正民(陸軍軍医)、横倉誠次郎、金井泉(海軍軍医)、勝俣稔、古屋芳雄(厚生省公衆衛生官)、高折茂(鉄道医官)

主たる参加機関

東京帝国大学医学部、京都帝国大学医学部、大阪帝国大学医学部、九州帝国大学医学部、長崎医科大学、岡山医科大学、熊本医科大学、金沢医科大学、京都府立医科大学、山口医学専門学校、陸軍軍医学校、海軍軍医学校、広島陸軍病院、大野陸軍病院、呉海軍病院、岩国海軍病院、佐世保海軍病院、大村海軍病院、東京帝国大学伝染病研究所、厚生研究所。

1945年の調査対象

1.被害の統計学的調査、2.有害エネルギーの医学的調査

3.被災者の臨床的調査、4.人体に及ぼす残存エネルギーの影響調査

1946年度の調査の主要テーマ

1.死傷者の統計的調査、2.被災者の臨床的調査、3.病理解剖的調査

4.残存放射能の影響調査、5.人間の遺伝調査

合同調査団の設置と日本側の研究調査の成果の吸収

都築の公職追放

1946年8月15日、公職追放(理由:6年間海軍軍医であったこと)

1947年3月24日、半年間の公職追放規定の免除の覚書(ウィットニィ軍政局長)

1947年7月16日、3月24日の覚書の取り消しの覚書(ウィットニィ軍政局長)

    ***1957年まで日本側の原爆症研究は中断

1947年4月、第12回日本医学会総会演説

菊池武彦(京都帝国大学教授)・木本誠二(東京帝国大学助教授)「原子爆弾症の臨床」

参考文献

日本学術会議原子爆弾災害調査報告書刊行委員会編『原子爆弾災害調査報告書』(日本学術振興会、1953年5月5日) B5版 1642頁

広島市役所編『広島原爆戦災誌 第5巻 資料編』(1971年)

広島県編『広島県史 原爆資料編』(1972年)

仁科記念財団編『原子爆弾-広島・長崎の写真と記録』(光風社書店、1973年)

広島市編『広島新史 資料編1 都築資料編』(1981年)

核戦争防止・核兵器廃絶を訴える京都医師の会編『医師たちのヒロシマ-原爆災害調査の記録』(機関紙共同出版、1991年)

平和のための広島県文化会議

平和のための広島県文化会議  結成日:1962年8月5日

広島県文化会議・第二回定期総会議案書 1963年10月20日
一年間のあゆみとまとめ

1、一年間のあゆみ
一九六二年八月五日、私たちは広島県内在住の芸術創造にたずさわる人びとによって、「平和のための広島県文化会議」を結成しました。文化会議の性格を「平和のための」と意味づけたのは、文化そのものは本来平和そのものの成果であるにもかかわらず、なお「平和のための」といわざるをえなかったなど、世界の平和の状況が必ずしも平和でなかったからです。
そのかんの事情についての詳細は、結成総会アピールにあきらかにされているとおりですが、私たちはあらゆる人びとの平和への願いをもとにし、人類社会から戦争をなくすることを、芸術創造活動をとおしておし進めたいと考えました。
私たちは幹事会に提出された六項目の議案、すなわち、一、機関紙、誌の発行。二、秋の文化祭。三、峠三吉詩碑の建設。四、広島平和文化賞の設定。五、県内巡回講演などの計画。六、広島県戦後文化史の編さん。以上について、文学、美術、演劇の各専門部会で話あわれた内容を基にして、第三回幹事会は、八月六日へ向けて綜合文化祭を企画する。峠三吉詩碑の建設。広島県戦後文化史の編さん。の三つの主な創造のための作業を決議しました。この幹事会決定は、十一月十一日の臨時総会に提案され、年間の活動方針として決定されました。私たちはこの三つの作業を、たんなる行事というふうには考えませんでした。綜合文化祭、峠三吉詩碑、県戦後文化史の編さんの作業は、私たちの芸術創造の仕事と深くかかわりをもつと同時に、平和の問題と離れがたく結びついていると考えたのです。
一九六三年二月七日、私たちは文化会議会員によって「峠三吉詩碑建設委員会」を設置し、この日から具体的な活動に入りました。
この活動のこまかを点については、別誌「人間の世のあるかぎりくずれぬ平和を」において報告しておりますから略します
八月六日へ向けての綜合文化祭は、文化会議内に実行委員会を設置し、いろいろと話しあいの結果、県文化会議、広島職場演劇サークル協議会、広島勤労者演劇協議会の三団体共催にすることとし、後援および協賛団体として、原水爆禁止広島県協議会、広島県原爆被害者団体協議会、広島県労働組合会議、広島県青年連合会、日本民主青年同盟広島県委員会、日本社会主主義青年同盟広島地区本部、広島県教職員組合広島支部、広島県平和委員会、広島民主商工会、第三回西日本うたごえ実行委員会の協力を得ました。公演は八月三日昼夜二回行われ観客一千八一二人の入りで、一応実質的に成功させることができました。
そのほか、無名戦士の碑文の決定。原潜寄港反対のアピール、二回にわたるソ連作家を囲む懇談会をひらきました。
2、まとめ
その成果と問題点
これらの運動の中で、文学部会は峠三吉詩碑に刻む作品の選こうについて、美術部会は詩碑のデザイン、設計、あるいは第九回平和美術展について、音楽部会は「西日本のうだごえ」の成功のために、演劇部会はシナリオ「河」の作成から公演に向けて、その大きい流れの中にあって、それぞれのジャンルで創造活動が熱っぽく話しあわれ、実を結んでゆきました。
この実践の中で、私たちは八月三日「河」の合同公演、八月二日より七日間広島平和美術展、八月四日西日本のうたごえ、八月六日詩碑除幕式、第九回原水禁世界大会へ代表派遣という具体的な成果をあげると同時に、対外的には一定の基礎をつくることができました。これら諸運動に参加した人びとは二万人以上をがぞえ、九月末現在、詩碑建設と、「河」公演によせられたカンパ額は五三五、八二○円に達しました。このことは私たちの方針の正しさを実証するものといえましょう。
しかし、これら成果の反面、文化会議内部における日常活動の不足、事務局体制の弱体からくる財政の不備、内面的な活動の遅退は、会員個々の活動があったにもかがわらず、いちぢるしく後退するという現しょうを見たことは、特に重要な問題として残されております。
このことは文化会議の動脈ともいうぺき機関紙が速報をあわせて二回発行にとどまった事実にもうかがえます。会員はそれぞれの創造活動をとおして、多くの出版物を刊行し、あるいは執筆し、おうやけにしました。たとえぱ三原の「地方」、広島の「青史」「われらのうた」、土屋清のシナリオ「河」(テアトロ)、南雅子共著童話「つるのとぶ日」(東都書房)、加川次男歌集「標的」(白樺社)、原爆症患者の手記「かえらぬつる」再版、絵画グループ展の開催、職場演劇、職場美術展等を他にも多くあげるこどができます。
だがこのように見るべきものががず多くあつたにもかかわらず、内部において集約されず、したがって独自の評価もあたえられず放置されたのであります。もっとも大切にしなくてはならない会員個々の創造活動が会の中で充分生かされなかつたことの事実の解明は、今後の大きな課題として私たちの前にあります。書くことがあとまわしになったという問い、行動に参加し、ひとりびとりがどう高まり、どうひろげたか、芸術創造と政治的実践のむすびつきを考えるぺきだという問い、それら困難でしかも重要な課題を私たち一年のあゆみは提出しました。
これは私たちの実践の中からひきだされた具体的な課題であるだけに、一年のあゆみは必ずしも一方的に否定されるべきでなく、このあゆみの中から、新しい方針が創造されてゆくべきでありましょう。その萌芽が私たちのひとつの成果としてここに提出されているのであります。
[以下略]

概観広島市史(浜井信三市長 序)

概観広島市史
広島市史編修委員会、広島市役所、1955年1月25日


何ごとによらず、その歴史を明らかにすることは、極めて重要なことであります。
わが広島市には、大正年代に発行された広島市史四巻がありますが、それは、本市の市史編纂事業としてははじめてのことでありましたので、先人の多大な労作にも拘らず、今日から見れば、その内容、形式ともに再検討を要するものが多々残されておりました。それに、この市史はさきにも申しましたように大正年代までの広島の歴史を記録したものでありまして、それ以後のことは早晩追録されなければならない破目になっていたのであります。
しかるに、顧みますと、この市史ができて昭和年代に入り、本市が飛躍的な発展を遂げ、続いて太平洋戦争を経て、昭和二○年八月六日、人類史上未曾有の原子爆弾によって、市街の大半が潰滅し、戦後再び廃墟の中に、新たな都市建設が始められるまでの約四○年間市の歴史は、まことに変転極まりないものでありまして、この間の史実を整理記録して、これを後世に遺すことは、いまこそ、その絶好の機会であり、それはまた今日の市民である吾々の責務でもありますので昭和二六年、私の市長再選を機会に、新しい市史の編纂事業に着手した次第であります。
もっとも過去において、第一七代市長藤田若水氏(昭和一四年~一八年)は、その在任中に新しい市史の編纂を企図せられ、少数の職員の手で、その準備を進められましたが、完成を見るに至らず、その資料などもいまは散逸して残っておりませんので、今回の市史編纂については、その組織、方法等、全然新たな出発点に立ってこれを行うことといたしました。
すなわち、組織としては、広島大学教授を中心とする、市内学識経験者をもって、広島市史編修委員会を設け、これに事務局を併置し、委員会自身の責任において、新たな市史を編修することとし、内容も既存の市史に拘泥することなく、往古より昭和二五年末に至る間の史実を収録することとして、昭和二六年秋から本格的に事業を開始して今日に至っております。しかるに、戦災により史的資料の多くは焼亡或いは散逸して、事業は意想外の困難を来し、これが完成までには、なお若干の日時を要しますので、とりあえす今日までに整理された資料に基づいて、広島市の歴史の概要を単冊にまとめて発行することにいたました。それがこの「概観広島市史」であります。
今日これを世に出すことができましたのも、ひとえに広島市史編集委員各位の並々ならぬ御努力と広島市民各位ならびに各方面の熱心な御援助の賜でありまして、衷心感謝に堪えません。
私は、本書が広島市紹介の良い手引となり、またより良い市史完成への礎石となりますよう心から祈る次第であります。

一九五五年一月  広島市長 浜井信三

 

新修広島市史(全7巻)

新修広島市史(全7巻)

広島市史編修委員会(編)広島市(刊)、1955年1月25日~1962年3月31日発行

年月日 書名
1955012501  概観広島市史
1955031002 広島市史年表

 

発行
年月日
書名
19610228 第1巻-総説編
19580301 第2巻-政治史編
 19590831 第3巻-社会経済史編
19581227  第4巻-文化風俗史編
19620331 第5巻-年表・索引・地図・編纂沿革
19590331 第6巻-資料編その1
19600331 第7巻-資料編その2

概観広島市史
広島市史編修委員会、広島市役所、1955年1月25日
内容
序(広島市長 浜井信三)
1.古代・中世、 2.城下町の建設、 3.城下町としての発展、 4.城下町の変容
5.近代都市としての発足
自由民権運動と広島/広島市制の実施/宇品の築港と山陽鉄道の開通/人口の増加/戦争と広島
6.近代都市の形成
市域拡張と都市計画/宇品港と広島港/近代工業の胎動/新しい文化
7.平和記念都市の建設
太平洋戦争と広島/原子爆弾の惨禍/戦災復興の難業/平和記念都市

概観広島市史略年表
________________________________________
新修広島市史第1巻-総説編
広島市史編修委員会(編)・広島市(刊)、1961年2月28日
第1編 広島市の地理
第2編 先史時代の広島地方
第3編 通史編
19.幕末の動乱と広島藩、 20.文明開化と新教育、 21.広島市制の施行、 22.戦争と広島、 23.都市計画事業と市域拡張、 24.河川の改修と港湾の整備、 25.近代工業の胎動発展、 26.市街の変化と近代文化の成立、 27.社会問題・労働問題・農地問題、
28.戦時体制下の広島
軍都から学都へ/満州事変/上海事変/満州建国/国際連盟脱退/日独防共協定/軍国主義化の歩み/時局博覧会/国防研究会/宇品港域軍事取締法の制定/広島国防婦人連合会/大日本婦人会広島県支部/昭和九年/護国神社/愛国子女団/昭和十一年/陸軍幼年学校再開校/広島の発展/広島・呉間国道/広島鉄道局/日華事変/第五師団動員/凱旋館/日赤病院拡張/兵站司令部/鉄道司令部/市民生活/広島市義勇団/警防団/経済統制/軍需産業/思想・文化/国民精神総動員運動/思想統制/第二次世界大戦/価格停止令/配給制/七・七禁令/新体制運動/町内会/大政翼賛会/翼賛壮年団/アジアの情勢/国内の反米運動/女学院の受難
29.太平洋戦争と原子爆弾投下
対米英開戦の決意/開戦/戦局/広島の軍事施設の新設・拡充/船舶司令部/広島兵器補給廠/防空態勢/中国行政協議会/中国地方軍需管理部/人口増大/翼賛選挙/経済統制の強化/重工業の拡張/勤労報国隊/国民皆勤労/窮乏生活/思想・言論統制/本土決戦体制と広島/戦局悪化/強制疎開/学童疎開/二十年の戦局/特設警備隊/第二総軍設置/五九軍/中国地方総監府/国民義勇隊/新しい師団の編成/本土空襲/広島の防空体制/八月六日/八時十五分/原爆による死者/救護作業/
30.新生の広島
長崎に原爆投下/ポ宣言受諾/九月十七日の出水/十月八日の豪雨/木原市長の就任/復興の歩み/市長選挙/天皇の行幸/復興の構想/復興の財源/警察・教育制度の改革/学校教育/広島女学院大学/広島大学/広島女子短期大学/戦後の新設校/広島商科大学/エリザベート音楽短期大学/安田女子短期大学/農地改革/復興局/財源調査委員会/広島平和記念都市建設法/第一次第二次事業計画/平和記念施設/平和記念都市建設事業/文化施設/スポーツ施設/医療施設/ABCC/原爆病院/戦災孤児育成所/ハワイからの寄付/平和への努力/復興の第三段階/三村編入/戦後の市長/人口の増加/市政機構/市の財政/広島復興大博覧会/総合企画本部/大広島計画区域/市の将来人口/都市計画/上水道/産業界の復興/工業生産物/農業/水産業/商業/貿易/交通/放送/労働運動/文化運動/雑誌/歌壇/演劇/スポーツ/
第4編 原爆と広島[執筆:中野清一]
1.原爆被害の実態
原爆投下の状況
序説/投下前後の気象/投下敵機の状況/原爆第一号の威力/投下された原爆の爆発状況/黒色の驟雨/
物的災害
概況/建物の被害/特殊施設の被害/放射能による汚染状況/
人的被害(その1):一般市民の場合
序説/一般市民の死傷者数/死傷者数の推移/
人的殺害(その2):一般市民の傷害
原子爆弾傷又は原子爆弾症/後遺病と晩発障碍症/初発障碍の実態/慢性障害者
人的被害(その3):特殊集団の場合
概観/生徒・学生・動員学徒の災害/国民義勇隊特に地域国民義勇隊の災害/軍隊集団の災害/その他の特殊集団/
原爆がもたらした諸影響
概観/経済的影響/人口動態に見られる影響/家族関係への影響/社会生活上の悪条件
2.被害対策の消長
応急措置
応急措置の背景/罹災対策協議会/食糧対策/遺骸収容/負傷者救護/応急措置の限界/
長期対策の胎動
「原子爆弾傷の療養方針」の発表/兆期対策の萌芽とその挫折/アメリカ連合委員会/「原子爆弾災害調査特別委員会」(日本)/調査中心への傾斜/ABCC/治療活動への転換
「原爆医療法」前後
組織的な治療活動の開始/原爆障害者更生会/市勢調査員組織による障害者の把握/広島市外科医会の活動/広島市原爆障害者治療対策協議会/治療費国庫負担への要望台頭/「原爆医療法」の発布/原爆被害対策課の発足/被曝者健康手帳をめぐる諸状況/加療上の問題点と「援護法」への前進要請/
救済活動と被害者団体の組織活動
内外の救援活動/「広島の家」と「憩いの家」/「友の家」/広島被爆者福祉センター/広島平和会館/被害者組織の動き/「原爆の子友の会」/「原爆乙女の会」/「原爆被爆者の会」/「八・六友の会」/広島子供を守る会/あゆみグループ/原爆被爆者救援委員会と広島県原爆被害者団体連絡協議会/広島市原爆被害者連合会/広島県動員学徒犠牲者の会/「こけしの会」、「平和をきずく児童・生徒の会」/折鶴会/遺族会など/
3.原水爆禁止運動
ノー・モーア・ヒロシマズ運動
発端/源流/展開/世界平和デー/平和記念都市建設への世界的関心/ワールド・ピース・センター/世界連邦運動/世界連邦アジア会議/
原爆禁止世界大会前後
概観/地域青年の動き/民主団体の動き/少年少女の動き/学者・専門家たちの動き/広島の婦人たちの動き/原水爆禁止世界大会開催への動き/第一回原水爆禁止世界大会/第一回世界大会以後/第二回原水爆禁止世界大会/八・六学生平和会議/第二回世界大会以後/第三回・第四回原水爆禁止世界大会/
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新修広島市史第2巻-政治史編
広島市史編修委員会(編)・広島市(刊)、1958年3月1日
目次
第一編 原始・古代、 第二編 中世、 第三編 近世、
第四編 近代
第一章 明治維新と広島
第一節 版籍奉還・廃藩置県
戊辰戦争/版籍奉還・藩政改革/廃藩置県/県治条例
第二節 大小区制・広島区制
大小区制/広島区制
第三節 地租改正と租税制度
税制改革/地租改正/秩禄処分
第四節 自由民権運動
自由民権論/政党の結成
第五節 徴兵令と陸海軍
広島鎮台・第五師団/軍事施設
第六節 皇室と広島
行幸/行啓
第二章 市制の施行と近代都市への発足
第一節 市制の施行
市制・町村制/執行機関/議政機関
第二節 宇品港と山陽鉄道
江波築港計画の挫折と宇品築港/山陽鉄道の開通
第三節 諸戦争と広島
明治初年の諸事変/日清戦争の勃発と広島/北清事変の前後/日露戦争と広島
第四節 財政の膨張
歳入歳出予算決算/市債/市税制度の変遷
第五節 上・下水道の敷設
上水道敷設前の状況/上水道の敷設/上水道の拡張/下水道敷設前の状況/下水道の敷設・拡張
第六節 県三部制と市政機構
県三部制/県三部制廃止運動と三部制廃止/市政機構
第七節 治安・衛生施設の拡充
警察制度の整備/消防制度/病院/結核療養所問題/防疫
第三章 市勢の発展
第一節 第一次世界大戦と産業の発達
青島戦争とシベリア出兵/近代産業の発達/近海航路の進展
第二節 都市計画事業の推進と市庁舎の新築
城濠・西塔川埋立/都市計画法の施行/街路の整備/公園・緑地・墓園/市庁舎の新築
第三節 普通選挙の実施
選挙法の推移/第一回の普通選挙/市政の状況
第四節 隣接七か町村の合併
合併にいたる経過/合併反対論の動向/合併条件
第五節 広島工業港の建設
宇品港修築計画/広島商業港の建設/広島工業港の建設/漁業補償問題
第六節 太田川改修計画
太田川改修計画実現に至る経過/廃川敷地処分問題/計画と着工/終戦後の工事再開
第四章 戦時体制下の広島
第一節 満州事変と日華事変
軍都広島と宇品港域軍事取締法/工業の発達/日華事変の勃発と国民精神総動員運動/物資の統制
第二節 新体制運動
大政翼賛会の成立/翼賛運動の展開/翼賛選挙(衆議院議員選挙/翼賛市会
第三節 太平洋戦争
防空防衛体制の強化/第二軍総軍司令部の設置/中国地方総監府の設置/転業と勤労動員
第四節 原子爆弾の被害とその対策
原子爆弾の投下/原子爆弾の被害/救護作業
第五章 新生の広島
第一節 終戦
軍の解体と復旧作業/占領軍の進駐と軍政
第二節 新自治体の機構
地方自治法/市政機構
第三節 復興と建設
戦災復興事業/平和記念都市建設事業
第四節 救済活動と平和運動
内外の救済活動/平和運動
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新修広島市史第3巻-社会経済史編
広島市史編修委員会(編)・広島市(刊)、1959年8月31日
第1編 原始・古代、 第2編 中世、 第3編 近世
第4編 近代
第1章 近代社会の出発
第一節 封建的諸制限の撤廃
四民平等と諸制限の撤廃/壬申戸籍
第二節 社会の変動と世相の混乱
武一騒動/地租改正/秩禄処分
第三節 貨幣制度の変遷
太政官札と民部省札/藩札の整理と贋金事件/国立銀行と全融機開/
第四節 庚午新開の築成
明治初年の飢饉と新開築成計画/庚午新開の築成/庚午新開の土地配分と経営
第五節 士族授産と同進社
士族の困窮とその救済計画/同進社による士族授産
第六節 殖産興業と特殊産業の助成発達
殖産興業/各種の催し/特殊産業の盛衰
第2章 交通・運輸・通信機関の近代化
第一節 道路および橋梁の整備
区制時代の道路/運河・城濠埋立、新道と市勢の東漸/道路の近代化/渡し船と橋梁の整備
第二節 運輸・通信機関の変遷
概況/軽車両の盛衰/鉄道・電気軌道の発達/自動車交通/通信機関の整備
第三節 水上交通の変遷
河用交通の衰退/港湾の近代化
第3章 金融機権の整備
第一節 金融市場の発展
広島市における金融市場の育成/金融融市場の整理と発展
第二節 銀行と信託会社
銀行創成期と乱立期/全融恐慌と銀行の近代化/信託業の発展
第三節 庶民金融機関
信用組合・国民全融公庫等/郵便貯金
第四節 保険業
生命保険/火災保険・海上保険
第4章 産業界の躍進
第一節 農業(疏菜栽培)の発展
明治前期の農業/明治中期から大正初期まで/大正後半期から終戦まで
第二節 畜産業
第三節 水産業
網漁業の衰退/養殖業の発展/
第四節 工業の発達
明治前期の工業/近代工業の胎動/近代工業の生成/近代工業の発展
第5章 商業圏の拡大と流通組織
第一節 商業の発展と配給組織および経営
商店街の発展/卸売商業/小売商業
第二節 取引所と倉庫業
取引所/倉庫業
第三節 外国貿易
広島市貿易の特殊事情と外国航路/相手国と貿易品目
第四節 商業助成機関
商工会議所/陳列所/共進会・博覧会
第6章 社会問題と社会施設
第一節 労働問題・小作問題
労働者の構成と労働条件/労働組合運動/労働争議/小作争議(宇品小作争議)
第二節 同和問題
水平社運動以前の動き/水平社運動の動き/解放運動の前進
第三節 騒擾事件
憲政擁護運動/米騒動
第四節 出かせぎと移民
概観/市内各地域別状況
第五節 社会施設の拡充
救恤施設と救護施設/経済保護施設/医療保護施設/児童保護施設(付母子寮・養老院)/司法保護施設
第7章 市民生活の近代化
第一節 都市様相の変化
第二節 人口の推移
市制施行後の推移-人口変動の概観/国勢調査に現われた人口構成の推移
第三節 市民組織
町内会・社会福祉協議会/青少年組織/婦人組織
第四節 市民の生活-生活水準の動き
太平洋戦争前の動向/太平洋戦争後の動向(I)-終戦から朝鮮事変の終結まで/太平洋戦争後の動向(Ⅱ)-朝鮮事変終結以後
第8章 原爆後の社会経済問題[執筆:石井金一郎・中野清一]
第一節 戦後の人口推移
人口変動の概観/昼間人口の生態/生存被爆者人口-昭和二十五年調査
第二節 農地改革および広島市の農水産業
地主・小作制の概観/農地改革の進展とその成果/農業経営の現況/水産業
第三節 産業の再建とその方向
戦後インフレ時代/ドッジ・ライン時代/朝鮮動乱前後/工業の現況/流通・金融第/交通・通信機関の発達
第四節 労働問題・厚生問題
労働運動/住宅問題/医療・厚生施設
第五節 原爆被害者の問題と対策
孤児収容施設と国際精神養子運動/国内精神養子運動/原爆障害者治療対策

新修広島市史第4巻-文化風俗史編
広島市史編修委員会(編)・広島市(刊)、1958年12月27日
内容
第1編 古代・中世、 第2編 近世
第3編 近代
第1章 明治維新と文明開化
第一節 廃仏毀釈
神仏分離/神社・復興
第二節 文明開化
洋風の移入/生活の変化
第2章 教育制度の整備
第一節 学制の推移
学制の頒布とその推移i/監督機関
第二節 小学校の変遷
小学校の変遷/修業年限・教科目の変遷/就学率・二部教授・夜学校
第三節 中学校・高等女学校の設立
市制施行以前/市制施行以後日露戦争まで/日露戦争より第一次世界大戦まで/第一次世界大戦以後隣接町村合併ごろまで昭和時代(終戦まで)
第四節 師範学校・教員養成機関の整備
師範学校/その他の教員養成機関
第五節 実業学校・各種学校の変遷
農学校/商業学校/工業学校
第六節 高等専門学校・文理科大学の設立
高等師範学校・文理科大学/高等工業学校/高等学校/女子専門学校
第七節 特殊教育
盲唖学校/精神薄弱児教育/その他の特殊教育
第八節 社会教育の発達
社会教育方策の発展/青少年団・婦へ会の結成
第3章 学問・芸術の発達
第一節 学問の変遷
伝統の教学/近代科学の普及
第二節 市民の文芸
和歌/新短歌/俳句/詩
第三節 美術・工芸
書道/絵画/工芸
第四節 能・狂言・謡曲・茶華道
能楽諸流派り消長/囃方と狂言、能舞台・/茶道華道
第五節 演劇・映画
演劇/映画
第六節 歌謡・音曲・舞踊
俚謡・流行歌/音曲・舞踊
第4章 文化施設と宗教団体
第一節 文化施設
公会堂・各種陣列館/図書館
第二節 宗教団体
仏教団体/キリスト教諸団体
第三節 その他の諸団体
文化的諸団体/社交的諸団体
第5章 新聞・雑誌・ラジオ
第一節 新聞
明治時代/大正時代/他地方の新聞の進出/昭和時代
第二節 雑誌
広島発行のもの/他の地方発行のもの
第三節 ラジオ
第6章 体育・スポーツの発達
第一節 陸上競技・水泳
陸上競技/水泳
第二節 球技
野球/蹴球・排球・籠球/庭球・卓球・ホッケー・ゴルフ
第三節 武道・相撲・その他
柔道・相撲/剣道・薙刀・弓道/自転車競争・漕艇/馬術(付競馬)
第四節 運動場、その他諸施設
運動場/野球場・その他の球技場/プール
第五節 原爆以後のスポーツの復興
第7章 市民生活の進展[執筆:中野清一]
第一節 生活様式の近代化
洋風服装の発展/建築様式・食慣習の変遷と習俗の動き
第二節 盛り場の変遷
勧工場時代/千日前と新天地/本通り商店街と百貨店出現
第三節 戦時体制下の市民生活
ミッション・スクールの非常時風景/勤労奉仕と勤労動員/一般市民の日常生活
第8章 新教育制度[執筆:中野清一]
第一節 義務教育の整備と拡充
「国民学校」から「小学校」ヘの復帰/六・三制の発足と進展
第二節 新制高等学校と新制大学
新制高校の発足と再編成/新制大学誕生/
第三節 私学の革新、特殊教育と幼稚園
私立新制中学と新制高校/私立新制大学/特殊教育の前進と新幼稚園
第四節 社会教育
社会教育・新体制/終戦後の青年団運動/地域婦人会と同志婦人会/P‐T‐A‐活動/その他の社会散育活動
第9章 原爆と新しい文化[執筆:中野清一]
第一節 風俗文化の動きと新しい文化施設
戦後風俗文化の生態/文化施設の復旧と新設
第二節 各種文化活動の潮流
新聞文化と雑誌文化/児童文化活動と演劇運動/宗教団体の動静/西洋舞踊・音楽・絵画/ペンクラブ活動
第三節 原爆を記録する人々
短詩型文学の動静/文芸雑誌活動/原爆体験記録の出版/一般市民の体験記録

新修広島市史第5巻-年表・索引・地図・編纂沿革
広島市史編修委員会(編)・広島市(刊)、1962年3月31日

第1部 年表[~昭和35年]
第2部 索引
第3部 編纂沿革
(注)地図は別冊「新修広島市史」(第五巻の地図)1冊、22cm.毛利時代のものから現在までのものまで11種を10枚におさめた.⑩広島平和記念都市建設計画図・昭和37年(1962年)、他.

新修広島市史 第7巻-資料編その2
広島市史編修委員会(編)・広島市(刊)、1962年3月31日
第一部 安芸国遺跡・遺物地名表
第二部 編年史料
第三部 広島市要職一覧
毛利・福島・浅野氏系図/広島県略図(明治三十年)
第四部 統計資料
附録 広島市における文化財/広島市の主要官公衙および事業所
________________________________________
原爆被爆関連資料
第二部 編年史料
608 広島市空爆直後に於ける措置大要
609 第1回中国文化短歌会詠草
610 恐怖は果しなく[蜂谷道彦「ヒロシマ日記」]
611 ヒロシマの思い[「土曜文芸評論」]
612 Norman Cousins; Hiroshima Four Years Later
613 平和宣言[昭和24年]
614 広島平和記念都市建設法
615 広島平和記念都市建設法成立後のおもな措置と広島平和奇縁俊建設事業施行経過
616 平和都市ヒロシマに寄せる諸外国人の書簡
617 原爆都市青年交歓会の「誓ひ」
618 原爆孤児国内精神養子制要領
619 広島市昼間人口調査要領
________________________________________
第四部 統計資料
第30表 原子爆弾による広島市民の人的被害報告統計表
第31表 原子爆弾による在広島市諸部隊被害状況
第32表 原爆炸裂時に市内に在、不在別人口
第33表 被爆後の人口復帰状況
第34表 原子爆弾による建物被害並びに復興状況
第35表 被爆地別・性別・現住地別原爆生存者数
第36表 昭和25年10月現在日本国内に在住せる広島原爆(昭和20年)生存者数
第37表 被爆地別・性別・現住地別広島県内原爆生存者数
第38表 性別・年齢別・被爆有無別広島市人口
第39表 昭和30年12月末現在の孤児収容施設の措置原因別収容児状況
________________________________________

広島平和記念都市建設法の成立経緯
新修広島市史第二巻』第5章第3節第2項
「平和記念都市建設事業」(執筆:中野清一)より抜粋

さきに述べたように、戦災復興事業の当面した最大の難問は財源をどこに求めるか、ということであった。その場合、もっとも大きな期待をかけようとしたのは旧軍用地の無償払下げであった。そのための市理事者・市会・民間一体になっての熱心な運動も、一応頓挫したあと、昭和二十三年(一九四八)に入って再燃したことは、これも既述した通である。その場合でも、難関は依然として横たわっていたが、大蔵省との数次の折衝のうちに、同省側からのヒントの故もあって、市当局、特に浜井市長の念頭に浮びあがってきた新たな構想があった。なんらかの特別法を制定して財政的な裏付を確保する、という構想にほかならない。しかし、この構想が市側から市会に提示されるに至るまでには、これも既述の、補助金申請も多くを望めぬといういわば進退窮した事情のほかに、なお有力な二つの要因が働いたことを見逃せない。その一つは、国会への特別法制定請願が受容れられそうにもない場合には、G・H・Qを通して推進をうながす道があると、浜井市長が相当確実な根拠をもって見通しをつけた、という事情である。
今一つは、特に昭和二十二年八月の第一回平和祭以来、海外諸国の広島市に対する関心が、恐怖・同情こもごもの消極的な姿のものから、援助・推進を根幹とする積極的なそれへと展開・発展をみせはじめ、二十三年(一九四八)に入ってからは、いよいよこの方向への高まりが著しくなってきた、という情勢である。その間の事情は、第四節で詳述するが、海外の広島によせる関心の、好ましい方向への高まりのあるところ、広島復興をなによりもまず日本国家の名において手がけるべきであると主張できる道義的背景が与えられるに至ったとみてよい。
かような諸要因に促されつつ、二十三年十一月までに、市当局の手許でつくられたのが、「広島原爆災害総合復興対策に関する請願書」であった。その中には、広島を平和のメッカとして建設することは、世界の与論であること、平和国家を標榜して新生した日本にとっても、平和都市として広島を建設するために支援をおしまぬことこそ、対外信用を高めるゆえんであること、他都市に比して甚だしい打撃をうけ、一瞬にして瓦礫の焦土と化したここ広島こそモデル的な近代都市を建設する天与の機会であることなどの請願理由が開陳されている。そのころ、市議会議長は伊藤忠男から任都粟司に異動したが、任都粟議長と浜井市長との第一回事務打合せのおり、市長から請願の構想が打明けられた。市議会議長もまた異論はなく、十一月末、市議会の全員協議会にはかったところ、ここでも異論はなく、請願提出という決議を打出すに至った。
この請願運動は二十四年二月、浜井市長・任那粟市議会議長相携えて上京するとともに、本格的な動きをみせはじめた。当時、衆議院は解散後の選挙で新発足したところでもあり、体制が整っていない事情があり、さしあたって参議院と政府関係に向かつて運動を展開した。ところで二月十三日、県選出の山田節男・山下義信・佐々木鹿(以上参議院)・山本久雄(衆議院)の各議員に、参議院の寺光議事部長、同法制局の牧田課長と協議議したとき、請願よりは議員立法による特別法制定の方針で臨む方が確実・有利という示唆をうけ、ここに請願運動は特別法制定運動に大きく転換することになり、山下議員の発案で、広島県出身の前記寺光議事部長に法案起草を依頼することになった。
二月二十五日には、都市計画協会の飯沼理事長の主唱で、日本赤十字本社講堂に広島原爆災害綜合復興対策協議会が開催され、建設・厚生・大蔵・運輸・文部各省、経済安定本部・地方財政委員会・都市計画協会および広島県・市の関係要路者が参集して協議した。その結果、各省から委員を選出して広島原爆災害綜合対策小委員会を結成することになった。この間日本国際連合協会にも協力を求めたところ、同協会理事会も広島を国際平和の記念都市として建設することに協力する決意を表明した。また特別法法案が寺光議事部長の手で脱稿をみるに至った後、これをさらに東京大学法学郡の田中二郎教授に協力を求めて手を加えてもらった。三月十一日には、都市計画協会主催で、広島原爆災害綜合復興対策不委員会が開かれ、広島市建設工事一五か年計画について検討した。同十五日前後には、G・H・Qに対して、公衆衛生福祉局長サムス准将・マッカーサー元帥高級副官バンカー大佐等を通して協力方を懇請した。これと前後して、法案は「広島平和記念都市建設法案」として脱稿をみるに至ったので、衆・参両院の法制局に依頼して成案化を急ぐことになった。
三月下旬から四月下旬にかけて、特に議会の各党各派への運動はしだいに熱烈の度を加え、ために衆・参両院とも形勢は甚だ有利に展開するに至つたが、四月下旬になって思いがけぬ難関に遭遇した。長崎市が、同市をもこの法案に加え、「広島、長崎平和記念都市建設法」と銘打って提出すべきであると、四月二十六日に申し入れてきたからである。しかしこの難題も、五月七日、民自党役員会で、広島・長崎それぞれ別個に法案を提出することに決定をみて解決した。五月九日広島・長崎両市の法案が衆議院で完成され、G・H・Qに提出したところ、即日二時間の後にその承認を得るに至った。なおこれと前後して、四月二十九日おりから広島市議会議事堂で開催中の、中国五県市議会議長会議では、この法案の至急提出方と議会通過要望を、本会議の決議をもって関係各方面に打電するという緊急動議が、岡山市議会三宅議長の発案で提案され、満場一致で可決された。また五月四・五の両日、高松市で開かれた全国市議会議長会議でも、中国地区議長会議の緊急提案として、同様の決議案が提出され、ここでもまた異議なく可決されたのであった。
かくして「広島平和記念都市建設法」は、「長崎国際文化都市建設法」とともに、昭和二十四年(一九四九)五月十日、衆議院を、翌十一日には参議院を、それぞれ満場一致で通過するに至った。その後をうけて、政府は、憲法第九五条の規定に従い、この法律は住民投票に付すべきであると決定、その趣旨を五月十六日総理大臣名をもって広島市長に通達した。かくして日本の立法史の上でははじめての、「一の地方公共団体のみに適用される特別法」についての住民投票が行われることになった。これにそなえて市当局は五月三十日、賛否投票を七月七日に実施する旨を告示するとともに、市選挙管理委員会による啓蒙家宣伝のほか、平和都市法普及対策本部を市役所内に設けて、市民に周知徹底せしめる諸方法をとらしめた。
七月三日には、市民大会が基町児童文化会館前広場で開かれ、約三○○○人の市民が参集、また六月二十八日から七月六日にかけて、市内の三五地区において、地区市民大会が開かれたが、平均四七五人、総計約一万七○○○人の市民が出席した。七月七日の住民投票は、市内三三投票所で実施され、東部・中部・西部の三開票区ごとに七月八日開票された。その結果は、投票当日確定有権者数一二万一四三七のうち、投票総数は七万八九六二(投票率六五%)・賛成投票七万一八五二・反対投票六三四○・無効投票七七○であった。かくして憲法の規定による、有効投票総数過半数の賛成投票があったので、「広島平和記念都市建設法」は公布さるべきものと決定をみるに至り、戦災第四周年記念日である昭和二十四年八月六日に公布せられた。

広島市史編修委員会

広島市史編修委員会   1951年2月15日正式発足

略年表

月日 事項
1950 1213 第1回広島市史編修委員会
1951 0215 広島市史編修委員会。委員長を魚澄惣五郎に決定。委員会規則を可決し、正式に発足。
1953 0721 原爆戦災時の市役所関係者の会合。
0728 原爆戦災時の市議会関係者の会合。
0730 原爆戦災時の陸軍諸部隊関係者の会合。
1955 0125 「概観広島市史」刊行。
0310 「広島市史年表」刊行。
1956 0125 広島市史編修委員会、一応解散。
0401 渡辺忠雄広島市長と魚澄惣五郎との間で、市史編修の委託契約を締結。
1958 0301 「第2巻-政治史編」刊行。
1227 「第4巻-文化風俗史編」刊行。
1959 0331 「第6巻-資料編その1」刊行。
0831 「第3巻-社会経済史編」刊行。
1960 0202 広島市史編修委員会。「広島原爆戦災誌」の編纂には、できるだけ早い機会に着手すべきで、資料の収集・体験記や感想文なども広範囲にわたって集めるべきで、その体験者は年とともに減少しているから早急に着手を要するとの意向が強く打ち出された。
0331 「第7巻-資料編その2」刊行。
1961 0228 「第1巻-総説編」刊行。
1962 0331 「第5巻-年表・索引・地図・編纂沿革」刊行。

出典:「第5巻-年表・索引・地図・編纂沿革」

 

広島県総務部県史編さん室(略年表)

広島県総務部県史編さん室(略年表)

年月日 事項
19680401 広島県史編さん室・県史編さん審議会を設置
19680604 県史編さん審議会。
19690331 『広島県の歴史』発行。
普及版・県民版。刊行部数1万6000部。「16 現代の広島県」(執筆者:井上洋一郎)pp.291-304
19720331 『原爆資料編』発行(4000部)。
19760331 『原爆三十年 広島県の戦後史』発行(9500部)。
19840630 県史編さん事業完了(全27巻)。県史編さん室廃止。
県史編さん室、中国文化賞を受賞。
19860331 『広島県史研究 創刊号』。
<198604> <『広島県戦災史』編集委員会設置。国連が定めた国際平和年(1981年)の記念事業。1988年3月25日刊。>
198810 広島県立文書館開館。県史編さん事業で収集した資料を引き継ぐ。

出典:『戦後五十年広島県政のあゆみ』(広島県、199503)

メーデー(広島)年表

ヒロシマのメーデー年表

事項
22 05 01 総同盟因島労働組合により広島県内初のメーデー。(出典『日本共産党広島県党史略年表 第1次 1988~72』<以下「共産年表」と略記>)
46 05 01 戦後第1回メーデー。広島・呉・三原・尾道・福山・因島・府中・竹原で挙行。<「共産年表」>
49 05 01 第20回メーデー。「共産党のスローガン」の中に「原子兵器」への言及なし。
50 04 24 第21回統一メーデー前夜祭、東京芝のスポーツセンターで開催。「原子兵器の無条件禁止」を含む平和決議を採択。
50 05 01 第21回統一メーデー。ニューヨーク統一メーデー委員会のメッセージが紹介される。同メーデーのスローガンには「ヒロシマはご免」が含まれる。広島では「戦争反対,平和擁護」を声明。
51 05 01 第22回メーデーは分裂。平和広場に、広船、建設、通産、自労など8組合、共産党、日農、朝鮮人団体参加1000名。再軍備反対、全面講和と全占領軍の即時撤退など8スローガンで集会。「共産年表」
52 05 01 講和後初のメーデー.県下で4万人参加.広島では松川裁判の公正を求める緊急動議可決.会場に原爆の惨状を描いた絵や写真 100枚近くを展示.
55 08 05 長崎地区労、原爆犠牲者追悼映画会を稲佐淵郷公園で開催(~9日)。映画「原爆の子」・「無限の瞳」・「1955年福岡メーデー」を上映。
57 04 17 広島中央メーデー実行委員会,「原爆被害者を救済し,第3回原水爆禁止世界大会を成功させよう」などの地方スローガンを決定(朝日新聞).
57 05 01 広島県中央メーデー,広島市平和記念公園で開催.原爆犠牲者救援などのサブスローガンを採択.
60 05 01 広島県中央統一メーデー、広島市平和公園で開催。戦後最大の150単産、2万5000人参加。アイク訪日反対を全国にさきがけて決議。アイク訪日反対運動のキッカケをつくる。呉地区メーデー、黄幡基地撤去のスローガンを決議。その後呉市議会、県議会も決議。<「共産年表」>
62 05 01 「第三十三回中央メーデーで核実験禁止を決議。広島市では慰霊碑に黙とう。米へ抗議文。
77 05 01 第48回メーデー。
78 04 22 広島市、メーデー主催団体に平和公園の芝生を傷めないよう協力呼びかけ。
78 05 01 第49回メーデー。広島市平和記念公園で、中央統一メーデー開催。「核廃絶」など盛りこんだ大会宣言採択。
80 05 01 第51回メーデー開催。広島市では核兵器完全禁止など決議。
81 05 01 広島市などでメーデー。憲法改悪阻止・被爆者援護法制定など訴え。
82 05 01 第53回メーデー、開催。「核兵器完全禁止・全面軍縮の実現」などメーン、スーガンに。
83 05 01 「第54回メーデー」広島市の平和記念公園などで開催。核兵器完全禁止、被爆者援護法制定などの決議を採択。
84 05 01 広島市の平和記念公園でメーデーの集会開催。原爆慰霊碑の默とうをささげて開会。「被爆者援護法早期制定」など盛り込んだ宣言を採択。(県内29会場で約7万人参加。)
85 04 30 メーデー記念スポーツ大会(於東京)で「恒久平和のシンボルとして点火する灯を広島市平和記念公園の「平和の灯」より採火。
85 05 01 長崎地区労・地区同盟、それぞれメーデー集会開催(分裂メーデー、各、約1万人参加)。いずれも、核兵器の禁止、被爆者援護法制定などのスローガン。
85 05 01 広島県中央統一メーデー、広島市の平和記念公園で開催(25000人参加)「核兵器廃絶」などを盛り込んだメーデー宣言を採択。
86 05 01 第57回メーデー、開催。広島市の平和記念公園の中央集会では、原爆犠牲者の霊に黙とう、核兵器完全禁止を盛り込んだメーデー宣言を採択(約 26000人参加)。
87 05 01 第58回メーデー集会、広島市の中央公園で開催(約26,000人参加)。冒頭、原爆犠牲者のめい福を祈り黙とう。核実験禁止など訴える宣言を採択。
88 05 01 広島県中央統一メーデー、広島平和記念公園で開催(約28000人参加)。原爆慰霊碑   に献花、黙とう。
88 05 01 長崎県労評、長崎市でメーデー集会開催(約2万人参加)。核軍縮などを訴え。
89 05 01 広島県中央統一メーデー集会、広島市中央公園で開催(約1万5千人参加)。開会時に原爆犠牲者に黙とう。
90 05 01 連合広島の県中央メーデー、広島市で開催(約2万3000人参加)。被爆者援護法の早期制定を決議。
90 05 01 広島県労連の県中央メーデー、広島市で開催(約2000人参加)。被爆者援護法の年内制定を決議。
91 05 01 広島県で、連合広島・県労連・県共闘の分裂メーデー開催。連合広島の集会では、原爆犠牲者らに黙とうし、被爆者援護法の早期制定などを求める決議を採択。県労連、原爆犠牲者に黙とうし、掃海艇派遣について被爆地として容認できないとコメント。
95 05 01 第66回メーデー。連合広島、原爆ドームの世界遺産化を独自スローガンに掲げる。
 2018  0428  第89回広島県中央メーデー。主催:連合広島など。場所:広島市内。参加者7100人。<『朝日新聞』>
 0501  広島県中央メーデー。主催:広島県労連など。場所:広島市内。参加者約800人。
 2019
 2020
 2021
2022 0429 連合広島、広島県中央メーデーをワークピア広島で開催。
0501 広島県中央メーデー実行委員会(県労連など55団体)、メーデー。参加者約400人。会場:ハノーバー庭園(広島市)。

 

核兵器禁止条約(前文抄)

核兵器禁止条約 Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons  New York, 7 July 2017

Not yet in force in accordance with article 15(1) this Treaty shall enter into force 90 days after the fiftieth instrument of ratification, acceptance, approval or accession has been deposited.
Status Signatories : 58. Parties : 8
Text Certified true copy
CN.475.2017.TREATIES-XXVI-9 of 9 August 2017 (Opening for signature) and CN.476.2017.TREATIES-XXVI-9 of 9 August 2017 (Issuance of Certified True Copies).
Note The Treaty was adopted on 7 July 2017 by the United Nations conference to negotiate a legally  binding instrument to prohibit nuclear weapons, leading towards their total elimination, held in New York from 27 to 31 March and 15 June to 7 July 2017. In accordance with its article 13, the Treaty shall be open for signature to all States at United Nations Headquarters in New York as from 20 September 2017.
出典:https://treaties.un.org/pages/ViewDetails.aspx?src=TREATY&mtdsg_no=XXVI-9&chapter=26&clang=_en

 

(前文の抄録<hibakusha>)
Mindful of the unacceptable suffering of and harm caused to the victims of the use of nuclear weapons (hibakusha), as well as of those affected by the testing of nuclear weapons,

Stressing the role of public conscience in the furthering of the principles of humanity as evidenced by the call for the total elimination of nuclear weapons, and recognizing the efforts to that end undertaken by the United Nations, the International Red Cross and Red Crescent Movement, other international and regional organizations, non-governmental organizations, religious leaders, parliamentarians, academics and the hibakusha,

核兵器禁止条約の採択についての日本政府の見解
【記者】今月7日に,国連で核兵器禁止条約が採択されました。政府としての受け止めをお願いします。
【岸田外務大臣】採択されたこと,承知をしております。この条約の背景には,核軍縮の進展の遅さに対する非核兵器国による不満,あるいは早急に実質的な前進を得たいという願いがあると受け止めています。こうした思いについては,我が国も強く共有をしております。我が国の基本的な考え方は従来から申し上げているように,二つの大切な認識に基づいて,核兵器国と非核兵器国の協力の下に,現実的・実践的な取組を積み重ねていくというものであります。
今回採択された条約は,こうした我が国の「核兵器のない世界」を目指す我が国の考え方とアプローチを異にしている,このように考えています。我が国としましては,核兵器国と非核兵器国の対立が深刻化する中にあって,是非,両者の信頼関係の再構築が最大の課題であると考えています。そういった考えに基づいて現実的・実践的な取組をリードしていきたい,このように考えています。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/kaiken4_000533.html