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広島原爆医療史

『広島原爆医療史』(広島原爆障害対策協議会、1961年8月6日刊)

目次

見出し メモ
発刊のことば  松坂義正 広島原爆医療史編集委員会代表
広島原爆障害対策協議会副会長
中山マサ 厚生大臣
祝辞 尾村偉久 厚生省公衆衛生局長
大原博夫 広島県知事
浜井信三 広島市長
武見太郎 日本医師会会長
1   広島市防空救護対策の概要
1 戦局の様相
2 防空対策
3 救護対策
2   原子爆弾投下と救急救護 
1 原爆投下
2 原子爆弾と障害作用
1 原子爆発の原理
2 広島における原子爆弾の爆発
3 爆発による諸現象と障害作用
3 被害
1 人的被害
2 建築物の被害
3 その他の被害
4 救急救護活動 一、指揮系統の壊滅と応急措置、二、陸海軍およびその医療組織の活動、三、各大学医学部の活動、四、県下救護組織の活動、五、県外よりの来援
3   地元における救護活動の実相--座談会の記録--
1 県衛生課関係
2 市役所関係
3 警察および警防団関係
4 学校救護所関係
5 県下医師会関係 一、当時の県医師会長を囲んで、二、市医師会関係、双三郡医師会関係、四、高田郡医師会関係、五、その他各郡市医師会関係(尾道市医師会、山県郡医師会、安佐郡医師会、賀茂郡北部医師会、甲奴郡医師会、豊田郡医師会、神石郡医師会、呉市医師会、三原市医師会、世羅郡医師会、比婆郡医師会、御調郡医師会)
6 在広病院関係 一、広島赤十字病院、二、広島逓信病院、三、広島三菱造船所病院
7 市歯科医師会関係
8 市薬剤師協会関係
9 市看護婦会、市助産婦会関係
4   占領下原爆障害の医療と調査研究 
1 救護所の閉鎖と医療機関の復興
2 市民生活の窮乏と原爆医療
3 調査研究の困難性
4 文部省学術研究会議その他
5 ABCCの開設
5   占領解除後の原爆後障害対策 
1 原対協の発足と初期の活動 原対協の発足、二、発足前後のいきさつ(座談会)、三、治療活動の開始、四、治療資金の確保、五、治療対策の進展
2 ビキニ水爆と原対協の動き 一、広島市建設促進協議会の活動、二、政府、国会への陳情と関係者の視察、三、市民署名運動の展開、四、原爆資料展の東京開催、五、政府予備費支出(昭和二十九年度)、六、政府、調査研究費を予算計上(昭和三十年度)、七、治療研究の成果、八、「原爆乙女」の渡米治療、九、原爆病院の設立
3 原対協の強化と活動 原対協の法人化、二、予算増額運動(昭和三十一年度)、三、被爆者調査と精密検査、四、国民健康保険実施と被爆者いっせい調査、五、研究治療部の実績、六、治療資金の概況
4 原爆後障害調査研究の概要 一、原子爆弾症の問題、二、「原子爆弾後障害症治療指針」の作成、三、学会その他の動き
5 原爆医療法制定のいきさつ 一、原爆障害者援護法制定への動き、二、原爆医療法政府提案に決定、三、原爆医療法関係予算の内示、四、「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律案」可決
6   原爆医療法の施行と原対協の事業 
1 原爆医療法の施行 一、原爆医療法の概要と行政機関、二、被爆者健康手帳の交付、三、被爆者の健康診断と医療
2 原対協の事業 一、原爆医療法の施行と原対協の事業目的、二、原爆障害者生活援護の実施、三、原爆後陣書治療研究の助長、四、保健文化賞受賞と記念事業
3 諸団体の援護活動 一、中国新聞社会事業団、二、「広島憩いの家」、三、キリスト教広島被爆者福祉センター、四、その他の団体
4 原爆被爆者福祉センターの建設 一、お年玉つき年賀葉書寄付金配分団体に指定、二、建設の着手と利用計画
5 原子爆弾後障害研究会
7   原爆医療法の改正 
1 法律改正のいきさつ
2 改正原爆医療法 一、特別被爆者と一般疾病医療費の支給、二、原爆障害者と医療手当の支給
8   被爆者対策の諸問題 
1 原爆医療総合研究機関の設立
2 被爆者医療保障の前進
3 被爆者生活援護の確立
編集を終えて
資料篇

 

原爆被害の実相と被害者の苦しみ

『原爆被害の実相と被害者の苦しみ』 日本原水爆被害者団体協議会 1959年8月6日発行

目次

筆者紹介
まえがき
  原爆によってどのような物理的被害を受けたか
1 原爆が爆発した瞬間の被害
2 残留放射能による被害
  原爆症とはどのような病気か
1 原爆症の統計的研究
2 放射線は被害者の身体にどんな変化を与えているか
3   被爆者の生活にはどのような苦しみがあるか
1 被爆者の家庭生活のなかの苦しみ
2 被爆者の職業生活のなかの苦しみ
3 被爆者の苦しみと要求
4 被爆者の社会意識
4   被害者の救援はどこまで進んでいるか
1 医療法はどこまで役に立っているか
2 完全な医療保障と生活保障の実現のために
むすび-救援運動と原水爆禁止運動とのむすびつきを深めるために
付「被爆者を囲む懇談会」への被害者代表の訴え

執筆者紹介

1 庄野直美 広島女学院大学助教授・物理学
佐久間澄  広島大学理学部教授・物理学
小川修三 広島大学理学部助教授・物理学
2 杉原芳夫  広島大学医学部助教授・病理学
3 山手茂 広島女子短期大学講師・社会学
4 石井金一郎 広島女子短期大学助教授・政治学

まえがき(抄)
 被爆者の現状についての社会科学的な研究は、今までに極めて乏しかったので、今年初め日本原水協・被団協の依頼によって組織した「広島・長崎原爆被爆者調査団」がおこなった、431名の被爆者の面接調査および救援活動、救援機関の調査の結果を参考としてまとめている。

広島通信

広島通信 1966年6月創刊 第1号~19号(1970年2月)広島県詩人協会刊、 第20号(1970年4月)~第68号終刊号(1983年7月31日)「広島通信の会」刊
1989年3月1日、「ヒロシマ・ナガサキを考える会」が復刻(「広島通信-ヒロシマの継承-全68号の復刻版」)

M D ZASSIMEI TITLE AUTHOR
66 06 広島通信創刊号 創刊号によせて-文学は何ができるか 栗原貞子
66 08 広島通信2 被爆の証人“原爆ドーム”の保存を 松元寛
66 08 広島通信2 ある建築の美しさについて 荏原肆夫
66 08 広島通信2 1966年夏-広島からの告発 栗原貞子
66 08 広島通信2 1966年夏、広島からの告発 栗原貞子
66 10 広島通信3 胎内被爆小頭症 志水清
66 10 広島通信3 小頭児に幸あれ 畠中国三
66 10 広島通信3 ひそかな啓示―小頭症におもう 文沢隆一
66 10 広島通信3 今、すぐに救護を―美農綾子さんを見舞う 栗原貞子
67 02 33 広島通信4 運命の日より21年を生きて 西土 万合枝
67 03 広島通信5 特集:広島の川
67 03 広島通信4 私はこう信じる-重藤文夫原爆病院院長訪問 重藤文夫
67 06 広島通信6 原民喜特集
67 10 広島通信7 ケロイド 原田東岷
67 11 広島通信8 あの頃の広島 北畠隆
68 02 広島通信9 告発する街として 浜野千穂子
68 06 広島通信10 原爆慰霊碑文再読 松元寛
68 08 広島通信11 地の塩への期待 安井郁
68 11 広島通信12 広島の声 高橋三郎
69 02 広島通信13 さらば広島 バーバラ・レイノルズ
69 04 広島通信14 原爆記録映画全面公開運動のいきさつ 庄野直美
69 06 広島通信15 排安易 田淵実夫
69 08 広島通信16 人類は生きねばならぬ-アトムかアトマか 森滝市郎
69 10 広島通信17 世界の中のヒロシマ 関屋正彦
69 12 広島通信18 沖縄とヒロシマ 袖井林二郎
70 02 広島通信19 被爆二世 杉原芳夫
70 04 広島通信20 観光客から巡礼者へ 山崎与三郎
70 06 広島通信21 中国・アメリカ平和巡礼 今堀誠二
70 06 広島通信21 ヒロシマを語る者として-アメリカへの出発を前に 大原三八雄
70 07 広島通信22 70年とヒロシマ-ヒロシマの風化に抗して 森滝市郎
70 07 広島通信22 アメリカ通信 大原三八雄
70 10 広島通信23 アメリカの孤独 大原三八雄
70 12 広島通信24 広島のひろい空の下 山田かん
70 12 広島通信24 山田かん氏を囲んで-長崎と原爆詩の関わり
71 02 広島通信25 ヒロシマの思想の亀裂 大牟田稔
71 02 広島通信25 第二の生きがい-アメリカ・東西南北記 大原三八雄
71 04 広島通信26 きうずれぬへいわをへいわをかえせ 寒川道夫
71 06 広島通信27 きうずれぬへいわをへいわをかえせ(その2) 寒川道夫
71 06 広島通信27 アメリカ人の社会的連帯性 大原三八雄
71 08 広島通信28 挽歌-マルチン・ルーサー・キングの墓所で[詩] 大原三八雄
71 10 広島通信29 京浜地帯の原爆意識を中心にしておもう 前川和子
71 12 広島通信30 アウシュビッツとヒロシマ 小谷鶴次
71 12 広島通信30 国連というところ 大原三八雄
72 02 広島通信31 ヒロシマと中国の核・人 森下弘
72 04 広島通信32 被爆朝鮮人救援の動き 平岡敬
72 06 広島通信33 「水ヲ下サイ」特集
72 08 広島通信34 ヒロシマに捧げる詩特集
72 08 広島通信34 あの夏からこの夏までの間 小倉馨
72 10 広島通信35 懐しい日本の皆さんに バーバラ・レイノルズ
72 12 広島通信36 地球時代・平和の新処方箋 加藤新一
73 02 広島通信37 「原水爆被災資料センター」設立の意義 湯崎稔
73 04 広島通信38 私の広島日記 佐々木雄一郎
73 06 広島通信39 ABCC特集
73 06 広島通信39 原爆死体解剖NO.1の山科清元軍医にきく 山科清
73 08 広島通信40 特集:ベトナムは終わったのか
73 10 広島通信41 28年目のヒロシマ 藤枝良枝
73 12 広島通信42 原爆の印象と記憶 縄田二郎
73 12 33 広島通信42 縄田 二郎
74 03 広島通信43 公害防止と平和への意志 田中公雄
74 04 広島通信44・45 特集:いまは亡き4人の原爆詩人たち
74 08 広島通信46 知られていない原子力発電の問題点 佐久間澄
74 12 広島通信47 特集:原子力平和利用
75 02 広島通信48・49 特集:韓国原爆被爆者と日本人
75 08 広島通信50 特集:ヒロシマとベトナム
76 01 広島通信51 あの体験の<意味> 小久保均
76 05 広島通信52 特集:今なお続く核実験
76 08 広島通信53 特集:平和と私との距離
76 12 広島通信54 特集:被爆体験は風化するか
77 05 広島通信55 特集:被爆者の医学的諸問題
77 12 広島通信56 特集:世界にとってヒロシマはなにか
78 04 広島通信57 特集:朝鮮人被爆者
78 07 広島通信58 特集:ヒロシマと地方との連帯性
78 12 広島通信59 特集:核時代の文学
79 06 広島通信60 特集:ヒロシマは核時代に非戦の力となりうるか
79 12 広島通信61 特集:原爆と原発
80 06 広島通信62 特集:廣島・広島・ヒロシマ
80 06 広島通信62 遅い出発 豊永恵三郎
80 06 広島通信62 原爆と原発 小林正一
80 06 広島通信62 江波分院のことなど 岡崎澄衛
80 06 広島通信62 「ヒロシマ」シリーズ作品展開催の意味 増田勉
81 01 広島通信63 ある被爆者の死-主人唯一のこと 栗原貞子
81 07 広島通信64 特集:非戦の戦い
81 12 広島通信65 特集:ローマ法王ご来広の軌跡
82 08 広島通信66 特集・ヒロシマのこころ
82 08 広島通信66 生きる原理を 石田明
82 08 広島通信66 播かぬ種は生えぬ 岡崎澄衛
82 08 33 広島通信66 石田 明
82 12 広島通信67 特集:ヒロシマに捧げる詩
83 07 31 広島通信68 ヒロシマの継承-「広島通信」終巻号
89 03 01 広島通信-ヒロシマの継承-全68号の復刻版 西土 万合枝
89 03 01 広島通信-ヒロシマの継承-全68号の復刻版 縄田 二郎
89 03 01 広島通信-ヒロシマの継承-全68号の復刻版 石田 明

 

原爆問題広島総合研究会

原爆問題広島総合研究会 1979年2月設立

会報

No. 発行年月日 所蔵
G=原爆資料館、U=宇吹
01 19790715  庄野直美  研究会設立に際して GU
02  1980.01.25  シンポジウム報告特集号  NGO被爆問題国際シンポジウム2周年記念合同研究会報告 G
シンポジウム「核兵器と人類の生存」の報告
03  1980.04.15  小寺初世子、木本喜美子  外国人の核意識―大学卒外国婦人に対する試験的調査のまとめ― GU
04  1980.06.28   被爆朝鮮・韓国人問題特集号 「被爆朝鮮・韓国人問題シンポジウム」報告 GU
問題提起概要
石田定
渡辺正治
栗原登
上原敏子
石田定
鎌田定夫
豊永恵三郎
平岡敬
深川宗俊
李実根
崔成源
05  1980.08.06  平岡敬  被爆朝鮮・韓国人に関する資料目録 GU
06  1980.10.24  在韓被爆者実態(補充)調査活動の経過と分析 韓国の原爆被害者を援護する市民の会 G
07  1981.06.30  「被爆者問題シンポジウム」報告 G
茅誠司 「原爆被爆者対策の基本理念及び基本的在り方について」
08   1981.07.10  ロートブラット氏とセガーラ女史を囲む懇談会の記録―「核拡散の問題点」および「軍縮のための国連の活動」 G
09  1981.09.30  「非核三原則をめぐるシンポジウム」の報告 G
10  1982.01.30  小寺初世子  より効果的な核兵器の禁止を求めて―国際刑法典の制定をめぐる最近の国連活動への期待― G
11  1982.03.20  IPPNW〔核戦争防止国際医師会議〕 G
12 19821225 石田定 IPPNW〔核戦争防止国際医師会議〕第二回総会に参加して G
湯崎稔 シンポジウム「反核の軍縮の今後」―SSDⅡを終えて―
永井秀明 10フィート映画の欧米上映で得たもの
好村冨士彦 平和のための国際文学者会議を終えて
谷口稜曄 反核運動と被爆者
高橋真司 ナガサキからニューヨークへ―ポストSSDⅡへの展望
メッセージ
庄野直美 シンポジウムのまとめ
1982年度総会報告
1982年度原爆問題広島総合研究会役員
代表 庄野直美
顧問 今堀誠二・・・
幹事 石田定・・・・三村正弘(福島生協病院)・・・
事務局長 湯崎稔
会計監査 相原和光

 

原爆被害に関する事例報告(1976年)

『原爆被害に関する事例報告-生き続けた31年』(原爆被害者問題ケースワーカー懇談会<日本被団協気付・伊藤直子>、19760730刊)

目次

「原爆被害に関する事例報告」発刊にあたって―経過と目的――1976年7月30日原爆被害者問題ケースワーカー懇談会
事例報告
加藤礼子 1原爆に奪われた「人並み以上」の人生(広島赤十字病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴16年>)<当病院の医療社会事業部は、全国の日本赤十字社と足並を揃えて昭和28年ごろより始められ>
若林節美 2 被爆,下痢そしてスモン発病-2重の苦しみを背負って-(広島原爆病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴9年>)
西村清登 3ある被爆者の老後-24年目の親子再会-(放射線影響研究所・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴13年>)
中村住代 4 生きるのぞみをうばわれて(長崎原爆病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴7年>)
白石照子 5 なおつづく「戦後」を背負って―二世に及ぶ被害(長崎原爆被災者協議会相談員)
野口文子 6 アル中,そして死-妻子にも語れたかった死の恐怖-(柳原病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴9年>)
原玲子 7 影深く-尾をひく被爆体験(代々木病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴9年>)
石田忠 原爆被害の全体像をどうとらえるか-ケースワークにおける生活史把握の意味-<1976年2月29日広島県社会事業協会主催「被爆者問題事例検討会」での講演をまとめたもの>
記録をおわって あとがき
参考資料

 

全国ケースワーカー大会(日本医療社会事業協会主催)

全国ケースワーカー大会(日本医療社会事業協会主催) 1977年5月20~21日。テーマ:「資格制度の方向性をさぐる」。会場:中国新聞社・平和記念会館(広島市)。参加者約600人。2日目の8分科会の一つに「原爆被害者問題」(このテーマの分科会が設けられたのは初)。約50人が出席。長崎(友池敏雄・長崎原爆病院)と広島(山田寿美子・福島生協病院)から実践報告。午後1時から石田忠一橋大学教授の特別講演「ケースワーカーにおける生活史把握の意味」と分科会報告。

出典:「赤旗」1977年5月22日。