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第25回国連軍縮会議in広島(2015年)

賢人グループ会合に引き続き、8月26日(水)から28日(金)にかけて「第25回国連軍縮会議in広島」が開催され、23か国・5国際機関から83人が会議に参加しました。
国連軍縮会議は、アジア・太平洋地域において軍縮問題に対する意識を高め、軍縮・安全保障に関する対話を行うことを目的として、国連が平成元年(1989年)から開催しており、広島市では19年ぶり4回目の開催となりました。
今回の会議では、広島市からの提案により、被爆の実相を伝えるプログラムや、賢人グループ会合のメンバーが参加するオープニングハイレベルセッション、国内外の若者が平和について発表し合う世界学生平和会議が会議プログラムに組み込まれました。出典:「平和文化」NO.190

 

「ヒロシマ・ナガサキ平和アピール推進委員会」からの受託事業

広島市と長崎市が設置した「ヒロシマ・ナガサキ平和アピール推進委員会」からの受託事業
1 国内原爆写真展用資料の貸出し………………139
2 海外でのヒロシマ・ナガサキ原爆展の開催………139
(1)米国・セントポール市……………………………139
(2)フランス・パリ市……………………………140
3 国外原爆写真展用資料の提供…………………141
4 世界平和都市連帯の推進………………………142
○地域別平和市長会議加盟都市数…………142
○平和市長会議国・地域別加盟都市数…………143
5「広島・長崎講座」設置協力プログラム……………145
6 核兵器廃絶のための緊急行動の展開………………145
◎第3回長崎原爆犠牲者慰霊の会…………………146

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館

開館年月日:2002年8月1日

厚生労働省からの受託事業
1 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の管理運営…………133
①施設の紹介…………………………133
②被爆体験記等の収集・整理状況…………134
③原爆死没者氏名・遺影の収集状況………134
④企画展の実施………………………………134
⑤被爆者証言ビデオの制作・公開…………135
⑥遺影・体験記収集の全国展開……………135
⑦広島・長崎特別共同企画展………………136
⑧被爆体験記を読み語るプロジェクト……136
○被爆体験記朗読セットの貸出し………137
⑨遺族以外(学校の同窓全等)による氏名・遺影の登録……137
⑩来館者増加対策……………………………138

受託事業(広島市からの受託事業)

受託事業(広島市からの受託事業)
1「ヒロシマ・ピースフォーラム」の開催…………92
2 広島平和記念資料館の企画展の実施……………95

(1)企画展……………………95
①「廃嘘の中に立ち上がる―平和記念資料館とヒロシマの歩み―」………96
◎歴代館長の座談会……………96
②「宮武甫・松本榮一写真展―被爆直後のヒロシマを撮る」………96
(2)被爆資料の複製(レプリカ)の製作と保存処理の実施……97
3 原爆展・平和学習用資料の充実………………98
4 第6回「ヒロシマ・ガイド」の開催……………99
5「中・高校生ピースクラブ」の開催……………99
6 被爆資料等収集の全国展開及び海外被爆資料の所在調査……101
7 図録『原爆の絵』の発行………………………101
8 平和・戦争に関する博物館等とのネットワーク…………102
9 展示・収蔵資料等の調査・研究………………102
10 平和記念資料館更新計画の策定………………104
11 市民の平和活動の資料等データベース整備………104
12 アクション21「核兵器保有国への平和メッセージの伝達」…………104
13「広島・長崎講座」の開設………………105
14 第6回平和市長会議被爆60周年記念総会の開催…………106
15 核兵器廃絶のための緊急行動(イタリアなどでの要請活動)………112
16 資機材の供与……………………112
17「姉妹・友好都市の日」の開催及び化ロシマ・メッセンジャー」の運営
(1)「姉妹・友好都市の日」記念催事の開催……………113
(2)ヒロシマ・メッセンジャーの選考等…………………115
18 施設の管理運営等…………………………………116
(1)広島平和記念資料館の管理運営…………………116
①施設の紹介………………116
②メモリアルホールの利用方法………………118
③入館者状況……………………………………120
④観覧料の収納…………………………………121
(2)広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)の維持管理……121
(3)広島国際会議場の管理運営……………………122
①施設の紹介…………122
②利用方法……………124
③利用状況……………125
(4)国際交流ラウンジの運営……………………126
(5)広島市留学生会館の管理運営………………127
①施設の紹介…………127
②利用方法……………128
③交流施設の利用状況………………131
④居住施設の入居状況………………132

国際平和推進事業(概要)

国際平和推進事業

開始年 事業名 備考
1968 核実験に対する抗議書簡・抗議電報
1979 国連軍縮フェローズの受入れ
1982 世界平和都市連帯の推進
1988 中国人民平和軍縮協会との交流
1995 国際平和シンポジウムへの出席
2003 長崎原爆犠牲者慰霊の会

 

被爆体験継承普及事業(概要)

被爆体験継承普及事業

開始年 事業名 備考
1968 原爆罹災者名簿の公開
1978 修学旅行生への被爆証言講話等
1978 国内原爆写真展用資料の普及・活用
1980 原爆被災説明板及び被爆建物表示板の設置
1982 原爆展・平和学習用資料の普及・活用
1986 被爆者証言ビデオテープの制作
1987 被爆体験証言者交流の集いの運営
1993 被爆建物等保存・継承事業
1994 平和記念資料館の企画展等の実施
1998 広島平和記念資料館資料調査研究会発表会の開催
1999 ヒロシマピースボランティア事業
2001 被爆樹木の樹勢回復措置
2002 中・高校生ピースクラブの開催
2002 ヒロシマ・ピースフォーラム
2003 平和文化センターインターンシップ事業
2004 次世代と描く「原爆の絵」……………
2012 平和記念資料館再整備事業
2012 被爆体験伝承者の養成
2012 折り鶴に託された思いを昇華させるための取組の推進
2016 被ばく樹木のモニタリング
国内原爆展雄開催
英語で伝えようヒロシマセミナー
被爆関連映像資料のアーカイブ化
旧日本銀行広島支店での平和記念資料館収蔵品の展示
「新着資料展」の開催
「収蔵資料の紹介」コーナーの展示
被爆体験伝承者による伝承講話の定時開始
折り鶴データベースの記録保存
被爆体験講話会の定時開催
平和・戦争に関する博物館等とのネットワーク
2016 平和記念資資料館収蔵資料の保存措置の強化 新規
2016 被爆資料の収集の強化 新規
2016 平和首長会議国内加盟都市会議に合わせた原爆展の開催 新規
2016 三重県における原爆展の開催 新規
2016 平和記念資料館ボランティアスタッフ活動支援事業 新規

http://www.pcf.city.hiroshima.jp/hpcf/jigyo/pdf/2017/04.pdf
1 修学旅行生への被爆証言講話等………14
(1)実施状況………………………………14
(2)申し込み方法…………………………15
(3)被爆体験証言者(本財団所属)名簿…………16
2 ヒロシマピースボランティア事業……………17
3 国内原爆展の開催………………………………18
4 原爆展・平和学習用資料の貸出し……………21
(1)貸出件数………………21
(2)資料一覧………………21
(3)貸出方法………………24
☆原爆被災写真の貸出し…………25
5 被爆者証言ビデオテープの制作………………25
6 被爆体験証言者交流の集いの運営……………26
(1)全体会の実施………………26
(2)研修会の実施………………26
(3)構成団体一覧表……………27
(4)団体別被爆体験証言実施状況………28
7 次世代と描く「原爆の絵」……………29
◇被爆建物等保存・継承事業………………30
◇原爆被災説明板の設置……………………31
◇被爆樹木の樹勢回復措置…………………31
◇原爆罹災者名簿の公開……………………33
◇折り鶴データベースの記録保存…………34
◇折り鶴の保存・展示を実施………………34
◇平和記念施設保存・整備方針の策定………35

年表:原爆展(1951年)

年表:原爆展(1951年)

記事
02 28? 広島市、西独・ハノーバーで開催予定(7月から約1月)のドイツ復興博に原爆被害写真や復興状況の統計を送ることを決める。
03 28 西独ハノーバー市で開催予定(5月)の都市計画博覧会に出品される東京・広島・長崎のパノラマ、東京日本橋・三越で展示。
05 01 京都大学で春季文化祭「わだつみの声にこたえる全学文化祭」を開催。-20日。この中で同学会主催の原爆展が開催される。(「原爆展」掘り起こしニュース第2号)
05 19 京都大学で「原爆に関する講演会」(木村毅一・天野重安・大田洋子の講演)。(「原爆展」掘り起こしニュース第2号)
06 この月初め、京都大学文学部学友会の呼びかけにより「原爆体験記編集委員会」を作り、宮川裕行を中心に編集にとりかかることを決定。(「原爆展」掘り起こしニュース第2号)
06 09 京都大学の学生、丸木夫妻から総合原爆展への「原爆の図」出展の了解を得て東京から帰任。(「原爆展」掘り起こしニュース第2号)
06 10 京都大学の学生、広島より総合原爆展用の大量の原爆資料を持って京都に帰任。(「原爆展」掘り起こしニュース第2号)
06 13 同志社大学「平和に生きる会」、原爆展を開催。-18日。3500人が参観。(「原爆展」掘り起こしニュース第2号収録の「都新聞」)
06 13B 京大=原爆展を中心に全京都的な青年文化祭を行う。(「連盟通信」第101号)
06 15 京都大学同学会、ビラ「京大原爆展を成功させるために」を発行。(「資料戦後学生運動3」)
06 15 東京大学五月祭で展示された原爆資料が京都に到着。(「原爆展」掘り起こしニュース第2号)
06 京都大学の学生、「原爆展」の準備のため広島で吉川清を訪問。吉川、上洛の意向を学生に表明。(京大同学会「京大原爆展を成功させるために」)
07 10 京都大学同学会、原爆展を丸物百貨店で開催。10日間。
07 14 京都大学同学会、丸物で総合原爆展を開催。-24日。(「原爆展」掘り起こしニュース第2号収録「都新聞」7月21日付)
07 22? 宮川裕行(京都大学文学部学生)、広島で原爆体験の手記募集活動を行う。県庁職組、市庁職組・千田書房などを回る。(「原爆展」掘り起こしニュース第2号)
08 06 丸木・赤松夫妻の「原爆の図」第4部「虹」、第5部「少年少女」が完成し、東京・日本橋丸善画廊で展覧会。-11日。(「連盟通信」第105号)
08 17 高槻市・京都大学同学会、市会会議室で原爆展を開催。-19日。(「原爆展」掘り起こしニュース第2号)
08 20 「東京平和会議ニュース」第4号、広告「原爆写真展を御利用下さい!!」を掲載。写真内容=原爆の図(16枚)、広島被害写真(5枚)、赤松丸木絵ピカドン(台紙4枚張17枚)の計38枚。
08 23 川崎駅前の百貨店で赤松俊子の「原爆三部作展」開催(長崎民友)。
08 23 赤松俊子・丸木位理共同製作「広島原爆図展」、川崎駅前・小美屋で開催。-30日。(「進む車両」1951年8月20日)
08 25 民主主義科学者協会・新日本建築家集団・新日本医師協会・京都大学同学会、「戦争・平和をめぐる科学技術展」開催準備のため展示物の一部を占める京都大学同学会の「原爆展」を東京都港区の全銀連会館で関係者に公開。-27日。(大原社研資料)
08 30? 民科・新日本建築集団・新日本医師協会・東大職員組合、9月10日-20日の間、浅草の松屋、渋谷の東横で「戦争と平和の科学技術展」の開催を計画。(「連盟通信」第106号)
09 01 横浜市従業員労働組合、神奈川体育館で「第1回市従平和文化祭」を開催。-5日。行事の一つに原爆絵画展(赤松・丸木協作原爆の図第1部-第5部)。(大原社研資料)
09 22 第38回日本エスペランチスト大会。京都大学エスペランチスト会、名古屋市の区役所廊下で原爆スチールを展示。(「原爆展」掘り起こしニュース)
11 01 大阪大学の体育文化祭で「原子力展」を開催。(「原爆の子に応えよう」520227)
11 08 岐阜大学農学部で文化祭。-11日。自治会主催の原爆展が開催される。(「連盟通信」第116号)
11 20 北海道・札幌市の丸井デパートで「原爆の図展」を開催。-21日。(「原爆展」掘り起こしニュース第5号、「女絵かきの誕生」)
11 22 静岡大学の文化祭で「原爆展」を開催。-25日。(「原爆展」掘り起こしニュース第5号)
11 24 札幌市警、北海道大学の原爆展会場に展示されていたパネル3枚(広島・長崎に落ちた原爆についての市民の声)を占領目的阻害行為処罰令被疑として押収。(「連盟通信」第117号、「女絵かき誕生」)
11 33 「原爆の図」展、1950年2月から51年11月までの期間に、日本全国51か所で延べ223日間開催され、約65万人が入場。(「原爆の図」19520410)

年表:原爆展(1948~50年)

年表:原爆展(1948~50年)

記事
48 08 ? 夏、丸木位里・赤松俊子、「原爆の図」の製作に着手。
48 08 05 長崎市、市立博物館で原子爆弾史料展示会、開催。(~11日)
48 08 06 アトム・ヒロシマ写真・画展、広島市内の茶房で開催(~8日)。中国新聞社写真部松重ら5氏の写真や福井芳郎のスケッチを出品。
49 04 21 広島県観光と物産展、東京日本橋・三越本店で開幕。-28日。「平和の鐘」を展示。
49 08 03 広島市平和協会主催「浮世絵展」、福屋百貨店で開幕。-14日。
49 10 14 広島市中央公民館、全国民生・児童委員大会の協賛行事として原爆写真展を開催(~18日)。
50 02 08 日本美術協会主催第3回アンデパンダン展(東京上野・美術館)。11日間。丸木位里・赤松俊子、「八月六日」(「原爆の図」第1部幽霊)を出品。(「原爆の図」19520410、「三田文学」1950年6月、「女絵かきの誕生」19770820)
50 02 11 広島市中央公民館で、原爆と平和展(広島平和協会主催)、開催(3月12日まで)。原爆関係資料展示。3月8日までの入場者数大人4273人、小人1611人。入場者収入32万2290円。
50 02 21 長崎市、日本産業博覧会(3月15日から、於神戸市)に長崎館を設置し、原爆資料など展示することを決定。
50 03 桃李会主催「原爆の図」展、丸善で開催。(「三田文学」1950年6月)
50 06 01 共産党東京都委員会、池袋駅前で「原子爆弾写真展」を開催し、平和投票を集める。
50 06 21 アカハタ、東京で戦争反対、原子爆弾の使用禁止の宣伝のため原爆による被害を示した数枚のポスターを紙上で紹介。
50 08 月刊誌「働く婦人」、グラビアで赤松俊子夫妻の「原爆の図」を紹介。峠三吉の詩「呼びかけ」、記者常見一の広島ルポ「原子沙漠に草萌えて」を掲載。
50 08 ? 全商工本省支部が省内で開催した原爆写真展の写真が巡視により没収される。(千代田区平和を守る会「平和ニュース」第2号、1950年8月12日)
50 08 07 丸木・赤松の「原爆3部作展」東京・日本橋の丸善画廊で開催。-12日。15-20日には銀座・三越で開催。合わせて9万人が参観。(「連盟通信」第68号、「日本評論」1950年10月)
50 08 18A 日本美術会・婦人民主クラブ・女子勤労連盟・平和を守る会、東京有楽町交通協会で、原爆3部作完成記念の懇談会を開催。本郷新(司会)、八田元夫(丸山定夫の思い出話)、淡徳三郎、武谷三男、大田洋子の話に続き、赤松・丸木夫妻の挨拶。
50 10 ? 民科米子支部、「原爆の図」展を開催。3500人が観覧、2500票のSアピールを集める。(「歴史評論」1951年9月)
50 10 05 広島市内五流荘で原爆の図三部作展覧会始まる。5日間でストックホルムアピール署名186票。(「民族の星」1950年10月16日、10月21日)
50 10 07 「われらの詩の会」、峠三吉のアパートで壷井繁治・丸木位里・赤松俊子を囲む集まりをもつ(「われらの詩」1950年12月15日)
50 10 08 広島市・五流荘で「壷井・丸木・赤松諸氏を囲む座談会」が開かれる。(「われらの詩」1950年12月15日)
50 10 20 広島県・上下高校の記念祭で「平和展」.会場で原爆写真などを紹介(25日まで)。