ubuki のすべての投稿

1998年7月のうごき

1998年7月のうごき

記事
01 郭貴勲元韓国原爆被害者協会会長、帰国後も被爆者援護法にもとづく健康管理手当の支給継続を求める要望書を大阪府に提出。同元会長は、5月下旬に来日し大阪府内の病院で治療を受け、5日に帰国予定。
01 広島修道大学の学生、学内で原爆写真展を開催。-15日。会場でのアンケートに93人が回答。1割が「原爆投下に賛成」。(22日のまとめ)
01 広島市映像文化ライブラリー、「平和祈念特集98」として原爆や平和問題を扱った映画の上映を開始。-8月30日。
01 国民平和大行進、長崎市の平和公園を出発。8月3日に広島に到着の予定。
01 原水禁国民会議、被爆53周年原水爆禁止世界大会の骨子を発表。印パの核実験強行を受け、反核のうねりをどう再生するか、を最大のテーマに掲げる。
01 専門職に従事する女性達でつくる国際組織「BPW」の大阪クラブ、被爆者が自らの体験を描いた絵を23の言語で紹介したインターネット用ホームページを広島市に寄贈。
01 長崎市、県被爆者手帳友の会が要請していた平和公園へのキング牧師の胸像の建設について不許可とすることを伝達。
01 パキスタンの核科学者カーン、政治亡命を申請している米国で、同国がインドに核攻撃を計画していたと述べる。
01? 広島県原爆被害者団体協議会(伊藤サカエ理事長)、今秋から「原爆体験証言者養成講座」を計画。
01? 長崎県教育委員会と県教職員組合、日曜日となった今年の8月6日を登校日とするかどうか校長の判断とすることで合意。
02 広島県原水禁、インド南部・マドライ市の平和団体から原爆展開催への協力要請を受ける。
02 長崎原爆被災者協議会など被爆者5団体、金子長崎県知事を訪れ、被爆者援護法の改正、被爆地域の不均衡是正などを国に働きかけるよう要望。
02 藤田雄山広島県知事、インド・パキスタンの核実験を受け、核軍縮・核兵器廃絶に向け、より積極的に取り組むよう求める書簡をアナン国連事務総長に送付。
02 国際平和会議、イタリア・コモ市で開催。現地のNGO主催。-4日。日本から上川広島市助役らが出席。
02? 長崎YMCAに、インド南部のクーナーYMCAから核実験についての返書が届く。
03 広島・長崎原爆被爆者援護対策促進協議会(8者協)、「原爆死没者追悼平和祈念館整備などによる原爆死没者に対する弔意事業の充実強化」などを政府や国会に陳情。
03 長崎市、第3回平和宣言文起草委員会を開催。米国の「核の傘」によらない平和の構築を日本政府に求めることなどを盛り込んだ宣言文の事務局案を提示。
03 広島県原水禁、インド南部のマドライ市の平和団体に原爆写真パネルや資料の一部を発送。
03 故・木村一治東北大学名誉教授が描いた原爆ドームの墨絵を同夫人が広島原爆資料館に寄贈。
03 市民団体「ひろしま将来世代フォーラム」(河合護郎代表)、インド・パキスタンの核実験に抗議し、子どもたちの目線で核兵器廃絶を訴える公開市民フォーラム「危ない!地球が!印パの核実験にヒロシマは強く訴える」を広島国際会議場で開催。
03 「広島原爆被災撮影者の会」、記録写真集「被爆の遺言」をインド・パキスタンに送る運動を始める。
03 連合広島・連合本部、インドとパキスタンに調査団を派遣。
03 長崎県・佐世保市議会、インド・パキスタンの核実験抗議についての請願を採択。
03 中国・ロシア・カザフスタン・キルギス・タジキスタンの5カ国首脳会議、カザフスタンのアルマトイで開催。会議後の5カ国外相の声明で、中央アジアを非核地帯化する構想に積極的な評価を表明、専門家レベルで検討を進めることにする。
03 長崎市教育委員会、同市小学校長会で、日曜日に当たる今年の8月9日をできるだけ登校日にするよう呼びかける。
03 ドディック・セルビア共和国首相、広島市の原爆資料館を見学。
03? 故・木村一治が広島・長崎に投下された原子爆弾の調査経過などを記した日記が見つかる。3日、広島市に寄贈。
03? 米のエドワード・テラー博士、「日本への原爆は威嚇投下で十分だった」と毎日新聞記者に語る。
04 広島市・同原爆資料館、「ヒロシマ原爆展」を仙台市戦災復興記念館で開催。-12日。
04 長崎平和研究所・長崎平和文化研究所、公開シンポジウム「核兵器廃絶への道をどう切り開くか」を長崎原爆資料館で開催。約80人が参加。
04 広島市立己斐上小学校、全校児童の平和集会を開催。童話「まちんと」のスライド上映や朗読劇など。
05? 広島県呉市の中家志乃、原爆をテーマに作詞作曲した「折り鶴の唄」の音楽テープを自費制作。
06 厚生省、1995年度に実施した原爆被爆者実態調査の結果を明らかにする。「寝たきり」・「ほとんど寝たきり」の人は計1万5702人で回答者の9.1%。95年実施の一般高齢者を対象とした国民生活基礎調査3.9%の2.3倍。
06 田中煕巳日本被団協事務局次長、広島市の於保源作医師が1957年1-7月に市北部の被爆者3946人を対象に被爆後3か月間の行動を調査したデータを解析し、爆心地に投下直後に移動した人の4割に急性症状が発症していたとの結果をまとめる。
06 広島県原水協、大森政輔内閣法制局長官が「核兵器の使用は憲法上可能」と国会答弁したことに対する抗議の街頭活動を広島市内で実施。15人が参加。
07 広島市、原爆供養塔に納められている引き取り手の見つからない851柱の納骨名簿を全国の自治体に発送。
07 高山康信、厚生省保健医療局企画課長に就任。(「被団協」)
07 長崎の被爆者・渡辺司ら、被爆体験を一人芝居で演じる朗読劇「命ありて」を東京都小平市で公演。8日には、立川市で公演。
07 中沢啓治と「日本短波放送」の関係者、「はだしのゲン」のCD-ROM化計画を公表。来年2月完成予定。
07 佐々木猛也「核兵器の廃絶をめざす日本法律家協会」副会長、6月27・28日にローマで開催された国際反核法律家協会総会への参加を終え、広島市役所で帰国報告。
07 平岡広島市長、柳井俊二外務省事務次官に2000年サミットの広島開催を要請。
08 原爆養護ホーム「倉掛のぞみ園」の入園者ら、被爆当時広島市内を走っていた路面電車を借り切って広島市内を見学。
08 岡まさはる記念長崎平和資料館で緊急集会「佐世保平和資料展で何があったか」を開催。広島原爆で入市被爆した岩村秀雄元佐世保空襲犠牲者遺族会会長が写真撤去の経緯とその後の動きを報告。
08 英国政府、「戦略防衛見直し」を発表。兵器用核物質の保有量を公表し、戦略原潜搭載の核弾頭数を約3分の1削減する方針を明らかにする。
09 広島市立大学広島平和研究所、開設記念シンポジウム「世界における軍縮問題-21世紀に向けて」を広島国際会議場で開催。パネリストはクレポン米ヘンリー・スチムソン・センター所長、ロードゴール・ノルウェー国際問題研究所所長ら4人。約400人が参加。
09 タブロフ国連安全保障理事会議長(ロシア)、インドとパキスタンが6月に採択した核拡散防止決議を受け入れるよう強く要請する声明を発表。
09 長崎県原水禁、県平和・労働センター、「反核9の日座り込み」を長崎市平和公園で実施。通算215回目。約60人が参加。
09 伊藤長崎市長、インド・パキスタン両国や核保有5か国などに対し、近く「核兵器全面禁止条約」の早期締結を文書で呼びかけることを明らかにする。
09 G8提唱のインド・パキスタンの核実験問題と核拡散防止体制を協議する作業部会(タクスフォース、局長・次官補級事務レベル)の第1回会合、英ロンドンで開催。
09 「広島折鶴の会」の小学生2人、インドの市民団体に送る折鶴約500羽を「プルトニウム・アクション・ヒロシマ」の代表に託す。
09 クレポン米国ヘンリー・スチムソン・センター所長ら、広島平和研究所の開設記念シンポジウムのパネリスト一行、広島市の原爆資料館を見学。
09? 橋本秀夫(広島市在住、呉レンガ建造物研究会理事)、「明治の建築遺産・広島レンガ建築探訪記」を自費出版。
09? 広島平和教育研究所、中学生向け夏休み用副本「ピースハンドブック」を発行。
09? 広島市の医師・原田東岷、バーバラ・レイノルズ夫人とノーマン・カズンズの活動記録「平和の瞬間」の英訳版「MOMENTS OF PEACE」を出版。
09? 広島市の私立保育園「広島光明学園」、核戦争による人類の危機までの残り時間を示す「終末時計」の実物大の模型「核の時計」を園舎に掲げる。
10 外務省、インド・パキスタン両国の新聞記者を8月の広島・長崎の原爆記念日に合わせて招待する計画を明らかにする。
10 愛知県豊橋市の桜丘高校の生徒と教師8人、自転車で長崎市に到着。19日から同校などで開催する「第10回愛知サマーセミナー」で紹介する伊藤市長のメッセージを受け取る。
10 日米協会が募集した「日米高校生エッセイコンテスト」の入賞者、米国・ワシントン州の高校生が広島市の原爆資料館を見学。
10 「原子力安全規制行政セミナー」に参加中のインドネシア・タイなどの原子力行政担当者8人、広島市を訪れ原爆資料館を見学。
10? 日本政府、核兵器保有国の核軍縮促進に力点を置く国連決議案をことし10月半ばをめどに提出する方針を固める。
10? 芝田進午広島大学名誉教授、米国の反核団体「ヒロシマ・ナガサキ平和委員会」代表ルイーズ・ラミレスから「ルイス・マンフォード賞」授賞式での演説文(5月16日)を受け取る。
11 「ヒロシマ・ナガサキの修学旅行を手伝う会」代表江口保を偲ぶ会、東京都内で開催。約180人が参加。
11 広島の証言の会、総会を開催。10人が参加。「証言講座」の実施や総合雑誌の発行を決める。
11 アジア太平洋都市サミット、福岡市内で開催。世界23都市の代表が参加。長崎市の助役が長崎で平和学習をするよう訴える。
11 長崎市・長崎平和推進協会、被爆地長崎の小中学生が沖縄戦の悲惨さなどを学ぶ平和学習ツアー「少年平和と友情の翼」の事前研修を実施。-12日。
11? 旧チェルノブイリ原爆付近で軍事技術研修中に被曝したモンゴル人バヤラー、ジュノーの会の招きで来日し、広島大学原医研で入院検査。
13 ビシネフスキー・ロシア連邦核放射能安全監督局議長、南ウラルの企業「マヤーク」が投棄した放射性廃棄物が地球規模の汚染につながる恐れがあると警告。
13 カルドゾ・ブラジル大統領、包括的核実験禁止条約(CTBT)批准書と核拡散防止条約(NTP)加入書に調印。
14 ルカシェンコ・ベラルーシ大統領、欧州諸国が同国民のビザ発給に差別的な措置を取っているとし、対抗措置としてチェルノブイリ被災児童への援助の拒否を検討していると語る。
14 広島市、8月6日に首相・厚相らが出席する「被爆者代表から意見を聞く会」に向け、被爆者7団体の要望内容を調整する会を開く。
14 国が広島市に建設する原爆死没者追悼平和祈念館の広島検討会議、広島市役所で開催。市が、開設準備検討会が6月にまとめた最終報告の素案を説明。
14 地人会、朗読劇「この子たちの夏・1945ヒロシマ・ナガサキ」を長崎市内で上演。
14 京都精華大学の教員ら、ちばてつやら漫画家29人と美術学生の反核風刺まんがなどを集めた「核の迷路-反核の声は無力か」展を同大学内で開催。-26日。
14? 広島平和教育研究所、平和公園内の「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」の死没者名簿に新たな死亡者を記入するため遺族からの申し出を呼びかける。
14? 鶴文乃、自作の原爆童話「ところてんの歌」の英訳版を自費出版。
14? 森本マリア(広島市在住)、原爆体験をテーマにした紙芝居「音が消えた時」を完成。21作目の作品。
15 広島市平和公園の原爆供養塔に眠る遺骨のうち、名前がわかりながら引き取り手のない遺骨851柱の納骨名簿の掲示が、全国の市町村役場などで始まる。
15 広島市内の「ニュー双葉美容室」、広島赤十字・原爆病院で美容奉仕。
15 長崎市仏教連合会、戦争犠牲者と原爆殉難者の追悼慰霊大法要を長崎市・大光寺で挙行。約150人が参列。
15 広島市・同原爆資料館、「ヒロシマ原爆展」を盛岡市民文化ホールで開催。-19日。
15 東京都三鷹市、「原爆と人間展」の巡回展示を開始。-9月2日。(「東友」)
15 放影研、広島県被爆二世団体連絡協議会と同研究所が計画する被爆二世調査について話し合い。
15 放射線影響研究所、広島県被爆二世団体連絡協議会との約半年ぶりの協議を同研究所で開催。
15 インド・カルカッタの映画監督・作家・科学者・スポーツ選手ら著名人、8月6日に反核行動を展開するため「8・6委員会」を結成。17日、広島市、原爆に関する写真パネルと原爆記録映画のビデオを送る。
15 福山市多治米小学校、原爆被爆者の体験を聞く「平和集会」を開催。
15 「東京都平和祈念館建設委員会」、青島知事に検討結果の報告書を提出。(「東友」)
15? 日本最高齢114歳で、広島県倉橋町の特別養護老人ホームに入所中の滝井アサ、広島県に被爆者手帳の交付を申請するための準備を進める。
15? 広島の原爆遺跡保存運動懇談会、原爆ドームなどを描いた「絵はがき」を作製。
15? 原広司「ヒロシマを語る会」代表、原爆ドームの絵を竹屋公民館に展示。-8月15日。
16 長崎市、平和宣言文の第4回起草委員会を開催。
16 広島市安佐北区高陽地区の4公民館、平和展示企画「あのとき閃光を見た高陽の空に」を開催。-31日。
16 徳山被爆者の会(山口県)、本年度総会を徳山市内で開催。40人が参加。
16 連合がインド・パキスタンに派遣した代表団員の一人・杉本雅親(長崎県被爆二世の会会長、全電通被爆協会副会長)、長崎市役所で帰国報告。
16? 長谷川潤の作品を中心とした写真展「ヒロシマのドームから世界のドームへ」、広島市内で開催。-17日。
16? 市民団体「ピースボート」、インドとパキスタンを訪問した際に実施した核兵器に関するアンケートの結果をまとめる。インドで30%、パキスタンで63%が「自国に核兵器が必要」と回答。
17 在韓被爆者渡日治療広島委員会の招きで5月7日から広島市内の病院に入院治療中の李分伊ら、53年ぶりに母校の広島市立尾長小学校を訪問。
17 「広島カザフスタン友好の会」、「カザフスタン大学生と核を語る交流会」を広島国際会議場で開催。20人が参加。高木昌彦元大阪大学医学部講師夫妻らも参加。
17 長崎県・福江市、「原爆と人間展」を福江文化会館で開催。-20日。同市の平和行政の一環。
17 杉本雅親長崎県被爆二世の会会長、インド・パキスタン調査団の報告会の席上、両国に原爆写真を贈ることを提案。
17 広島平和研究所、当面の研究テーマを決定。①核廃絶を目指す軍縮のプロセス、②北東アジアにおける緊張緩和、信頼醸成、軍縮、③国連の平和維持活動(PKO)と人道援助、④軍縮データベースの検討、の4つ。
17 原水爆禁止1998年世界大会実行委員会、8月2日からの大会に出席する海外代表を発表。「中国人民平和軍縮協会」は日程上の理由から参加見送りを伝える。
17 広島市西区鈴が峰地区の住民らでつくる「広島カザフスタン友好の会」、「ヒロ・セミプロジェクト」を発足させる。来年8月に向け、「カザフ原爆展」の開催を計画。
17 広島市立長束小学校、平和集会を開催。パソコンのメールで全国の小学校と交流している4年生が「全国こども千羽づる大作戦」の取り組みを報告。
17 広島県・廿日市市立金剛寺小学校、平和集会を開催。
17 広島県、来年度予算の概算要求に向けた県の主要事業要望をまとめる。2000年に日本での開催が予定されているサミットの広島誘致など78項目。
17 広島原爆資料館、子供向け企画展「子どもたちの戦場-集団疎開、おとうさんおかあさんと離れて」を開催。-9月30日。(「ひろしま市民と市政」)
17? 広島市立袋町小学校、被爆校舎の一部を保存し、資料室として整備するため、戦前・戦中の資料提供を呼びかける。
18 生活協同組合「おおさかパルコープ」、広島・長崎の原爆犠牲者の慰霊と恒久平和への願いを込めた「灯ろう流し」を大阪市・土佐堀川で実施。4回目。
18 大阪市原爆被害者の会、追悼の集いを大阪中之島野外音楽堂で挙行。約400人が参列。
18 自治労長崎被爆二世の会、結成総会を長崎市内で開催。約50人が出席。
18 「ながさき平和大集会」、長崎原爆資料館で開催。故永井隆の長男・誠一が「父と母の思い出」ど題して講演。約350人が参加。
18 新潟県新津市の非核市民の会、同市役所前の非核平和モニュメント「核の時計」の針を14分前から9分前に進める。(「社会新報」)
18 「広島カザフスタン友好の会」の招きで広島市を訪れているカザフスタンの大学生、鈴が峰公民館で中・高校生と交流。約40人が参加。
18 「つたえようヒロシマ・ナガサキ-21世紀にかける虹のつどい」、東京・日本青年館中ホールで開催。100人が参加。
18 広島県大竹市立玖波小学校、平和集会を開催。
18? 広島市、今年の平和記念式典に米など核保有5か国やインド・パキスタンの駐日大使に出席を呼びかける。
18? 広島県・沼隈町の千年中学校、インド・パキスタンの人達へ核実験反対のメッセージを伝えるため「ピースキルト」の制作に取り組む。
19 徐栄子、長崎市の旧長崎刑務所浦上刑務支所で被爆死した夫・尹福東の追悼式を日本人支援者らとともに平和公園で挙行。
19 河本一郎・吉川生美、映画「原爆の子」の監督新藤兼人と広島市内で再開。
20 静岡県被団協の副会長などをつとめた高野真、死亡。
20 東京ピースサイクルのメンバー、広島・長崎に向け「夢の島第五福竜丸」前を出発。
20 岡正治を偲ぶ会、岡まさはる記念長崎平和資料館で開催。約30人が参加。
20? 東京都・国立市の女性ら、沼田鈴子著「青桐の下で-「ヒロシマの語り部」沼田鈴子ものがたり」を英訳・出版。
21 原爆死没者追悼平和祈念館の開設準備検討会、東京都内で開催。国の最終報告案をおおむね了承し、実質的な審議を終える。
21 長崎市、長崎刑務所浦上刑務支所に収容中被爆死した尹福東の妻・徐栄子ら在韓被爆者6人に被爆者健康手帳を交付。
21 島根県原爆被爆者協議会と島根県、相談員研修会を大田市で開催。30人が参加。
21 長崎原爆被災者協議会の「被爆者の店」、いえ行を民間業者に委託して再開。
21 「広島ピース・アニメの会」、インド・パキスタンの核実験をテーマにしたフリートーキングの会を広島YMCAで開催。
21 長崎県教委、県内の公立小中学校の登校日設定状況をまとめる。110校(17.5%)が8月9日を登校日に、509校(81.0%)がその前後を登校日に設定。長崎市内では、86校(95.6%)が登校日とする。
21 秋篠宮夫妻、第13回「海の祭典」に出席のため広島市を訪問。原爆慰霊碑に参拝。
22 広島県のまとめで、全国の被爆者健康手帳所持者が31万1704人(3月末現在)であることが判明。年間の減少は5929人で過去最多。
22 広島県高田郡向原町の岡部盛雄、平和公園清掃のための竹ぼうき150本を広島市に寄贈。
22 広島の在韓被爆者支援団体「ムグンファの会」、3月に日韓の大学生らを対象に実施したアンケート調査の結果をまとめる。「原爆投下に至った責任」について、日韓とも70%以上が「日米両国」を1位にあげる。
22 中沢啓治原作、木島恭脚本・演出「はだしのゲン」、東京・俳優座劇場で公演。-26日。
22 インド・パキスタンを平和行脚した武田靖彦、広島市の原爆資料館で、大阪の高校生に、被爆と行脚の体験を語る。
22 長崎県被爆者手帳友の会川棚支部、一人芝居「命ありて」を公演している渡辺司に助成金15万円を贈る。
22 「核兵器廃絶をめざし、すべての核実験に反対する長崎ネットワーク」、東京のインド・パキスタン両国大使館前で抗議行動を実施。
22 恵の丘長崎原爆ホームと川平小学校、長崎市の爆心地公園で平和祈願巡礼を実施。
22 連合広島、執行委員会を開催。8月5日に広島市内で開く連合平和ヒロシマ集会にインド・パキスタンの労働団体代表を招くことを明らかにする。
22 広島市佐伯区公民館などで、コミュニティセンターネットワーク事業「芸術の中の平和学習-ピース・セミナー8・6」開始。-30日。四国五郎(画家)・沖田孝司(ビオラ奏者)・井出三千男(写真家)・大和喜久男(映画研究家)らが講師。
22? 長崎県・南高南有馬町議会が議員提案のインド・パキスタン核実験抗議案を否決していたことが判明。
23 原爆被害者相談所、被爆者健康手帳を取得するため証人を捜している3人を公表。
23 大阪府、郭貴勲韓国原爆被害者協会元会長が健康管理手当を帰国後も支給するよう求めた問題で、支給打ち切りを通告。
23 原爆松谷裁判ネットワーク、初めての最高裁要請行動を実施。4万6330人分の署名を提出。(「被団協」)
23 広島市、インド大使が8月6日の平和式典に出席することを伝えてきたことを明らかにする。
23 長崎市、「平和宣言」の起草委員会小委員会を開催し、文案を固める。核保有国への怒りを協調し、「核の傘」にも言及。
23 東京都三鷹市、巡回平和展「原爆と人間」を市コミュニティーセンターで開催。
23 原子燃料政策研究会(向坊隆会長)、インド・パキスタンの核実験を受けたシンポジウム「どうする南西アジアと世界の秩序」を東京都内で開催。明石康広島平和研究所長が司会。
23 三重県原爆被災者の会(三友会)、県内の66市町村(全体の96%)が日本被団協制作の「原爆と人間展」写真パネルを購入し、この夏原爆写真展の開催を計画していることを明らかにする。
23 広島市女性団体連絡会議、インドとパキスタンを含む核保有7か国と日本政府に核廃絶要請はがき4万枚を送る運動を開始。広島市内で1万200枚のはがき(1500組)を配布。
23 大阪府立松原高校の生徒ら約30人、インド・パキスタンの核実験に抗議して広島の原爆ドーム前で座り込み。
23 日本生協連提唱の「98市民平和行進」、広島へ向けて長崎市の平和公園を出発。約250人が参加。
23 「長崎の原爆展示をただす市民の会」、長崎市の平和宣言について、原爆とは関係ない過去の行為に言及しないことなどを求める申入書を市に提出。
23 広島原爆資料館、小学校4-6年を対象とした「98ピース・サマースクール」を似島臨海少年自然の家などで開催。-25日。(「ひろしま市民と市政」)
23 米・仏の女子学生ら4人、広島市の平和公園で平和学習。
24 「フラワーシップ全国大会」の実行委員長ら、広島市での開催に先立ち、広島赤十字・原爆病院を慰問。
24 広島市、8月6日の平和記念式典で「平和の鐘」をつく遺族代表など式典の概要を発表。
24 (現地時間)国際的な教職員組織「教育インターナショナル」(EI)、総会を米国ワシントンDCで開催。日教組、被爆写真パネルを展示。-29日。
24 北海道被爆者協会など、「原爆と人間展」を札幌市内で開催。-27日。約1300人が参観。
24 ドイツ・ビュルツブルグ大学で「シーボルト賞」の授与式。受賞者の長瀧重信長崎大学名誉教授、「広島・長崎とチェルノブイリからの教訓」と題して講演。
24 広島市立中央図書館・広島ユネスコ協会、「原爆ドームを描く」展を、同図書館で開催。-8月9日。
24 「響祭(ひびきまつり)」、広島市の不動院金堂で開催。呉市の講釈師・緩急車雲助(本名:久保浩之)が講談「黒い弁当箱」を上演。
24 長崎平和推進協会など、「長崎平和音楽祭」を長崎市内で開催。約1000人が参加。長崎平和推進協会の愛称が「ピースウイング長崎」に決まったことが披露される。
24 南米南部共同市場(メルコスル)加盟のブラジルなど7か国と準加盟2か国、アルゼンチン南端のウシュアイアで首脳会議を開催。一帯を核兵器など大量破壊兵器のない「平和地帯」とすることを宣言。
24 パキスタンが日本政府に対し、核実験を凍結することを文書で約束していたことが判明。
24 香川県議会、インド・パキスタンの核実験に抗議し、すべての国の核実験と核兵器開発の即時中止を求める決議を採択。
24 長崎原爆資料館、運営協議会を開催。同市がインド・パキスタンの核実験についての展示を追加したことを報告。
24? 新日本婦人の会広島県本部、被爆者の手記集「木の葉のように焼かれて」第32集を発行。
24? 平岡広島市長がインド・パキスタンの核実験に対して送った両国首相宛の抗議文への返書が届く。
25 マニラで東南アジア諸国連合(ASEAN)の外相会議を開催。インド・パキスタンの核実験に遺憾の意を表明した共同声明を採択。
25 非核自治体全国草の根ネットワーク、「フォーラム・平和博物館-歴史をどう伝えるか」を東京都内で開催。
25 広島平和教育研究所、平和公園を中心に被爆建造物写生大会を開催。約50人が参加。
26 「福島地区原爆被害者慰霊祭」、広島市内で挙行。約30人が参列。
26 東友会、結成40周年・第34回東京都原爆犠牲者慰霊祭と「1998年度追悼のつどい」を品川区・東海寺で挙行。約200人が参列。(「東友」)
26 広島大学教職員組合霞支部、平和記念公園一帯で原爆遺跡・碑めぐりツアーを実施。13人が参加。
26 「ひろしまと人と樹の会」など、原爆被爆直後多くの人が逃げ込んだ広島市牛田の通称「ピカドン竹やぶ」で被爆死者のための追悼コンサートを開催。約40人が参加。
26 「ピースウエーブコンサート98」、広島国際会議場で開催。4回目。約1500人が参加。
26 石川県在住のアメリカ人劇団主宰者ウエスタハウト、スミソニアン航空宇宙博物館の依頼で原爆の子の像のモデル「サダコ」のミュージカルを作るため広島を訪れ取材。
26 日本被団協のアメリカ遊説団一行5人、成田を出発(「被団協」)。-8月12日。
26 日本原水協などによる「98国民平和大行進」、岡山県から広島県福山市入り。引き継ぎ式に約200人が参加。
26 公明党広島県本部、「第18回広島平和市民集会」を広島サンプラザで開催。浜四津敏子公明代表、核廃絶へ日本が主導権を取るべきと、挨拶の中で述べる。広島県本部が「平和提言」を発表。
26 広島県生協連合会などによる「98市民平和行進」、岡山県から広島県福山市入り。約150人が参加。
26 広島市・竹屋公民館の原爆慰霊碑語り部ボランティア講座の1期生9人、平和大通りなど20カ所をガイド。20人が参加。
26 広島市平和公園の「原爆の子の像」の碑前祭、挙行。市内10中学校でつくる実行委員会主催で10回目。小・中・高校生約400人が参加。
26 長崎地区同盟の組合員ら、長崎市平和公園の平和の泉を清掃。約50人が参加。
26? 厚生省、健康管理手当の再申請手続きの簡素化や被爆者健康手帳の更新期限(3年)の延長方針などを関係機関に伝える。
27 長崎県の独自の被爆者対策費が600万円で、4000万円の広島県と比較し極端に少ないことが判明。
27 広島市職員・消防団員・市民ボランティアなど約230人、平和公園と原爆ドームの間を流れる元安川の河川敷や河岸を清掃。8月6日の灯ろう流しのために、市美化・減量化対策室が呼びかけたもので、今年で2回目。
27 中国新聞(夕刊)連載「献水」(-8月1日、6回)
27 原水禁などによる「被爆53周年原水爆禁止・非核平和行進」、岡山県から広島県福山市に入る。
27 東南アジア諸国連合(ASEAN)と日米など計21か国・機構の外相による地域フォーラム(ARF)、フィリピン・マニラで開催。インドと・パキスタンの核実験に遺憾の意を表明する(名指しは避ける)議長声明を発表し閉幕。
27 「インド・パキスタンと平和交流をすすめる広島市民の会」、両国の平和グループに、10月に日本を訪問するよう招待状を送付。
27 広島県、ジャヤンタ・ダナパラ国連軍縮担当事務次長から藤田県知事宛に届いた「藤田知事の要望を最大限の配慮をする」などとする親書の内容を明らかにする。
27? 元米海軍将校の長男夫妻、被爆直後の広島の惨状などを精密に記録した写真のネガフィルム63カットを広島市の原爆資料館に寄贈。
27? 「広島・長崎の火」を永遠に灯す会、東京・上野公園・東照宮内の同モニュメントの下(タイムカプセル)に平和のメッセージを納める「100年後の人々への手紙運動」を呼びかける。
28 米カリフォルニア州在住の被爆二世みやち治美、広島市を訪問。
28 広島市公文書館に、同市が1950年に初めて募った「原爆体験記」の原稿全165編があることが判明。
28 広島原爆資料館、ヒロシマ原爆展を広島県・本郷町の広島空港で開催 。-8月20日。
28 「ヒロシマ・ハンドベル・リンガーズ」など、「広島平和祈念ハンドベル・コンサート」を広島市平和公園原爆慰霊碑前で開催。29日には、広島国際会議場で、30日には厳島神社でも。
28 全電通広島県本部と自治労広島県本部が、それぞれの被爆者協議会・被爆二世協議会を一本化していたことが判明。
28 長崎県議会総務委員会、核実験の即時中止と核兵器廃絶を求める決議文を、県議会本会議に提出するため、29日の議会運営委員会に申し入れることを決める。
28 米・ボルティモア市で核軍縮を考える集会。日本から4人の被爆者が参加。
28 連合長崎、インド・パキスタンの労働団体代表5人が「98連合平和ナガサキ集会」に参加すると発表。
28 地理教育研究会の広島大会、広島市内で開催。-31日。全国から約80人が参加。28日、「21世紀の平和教育を考える」をテーマにパネル討議。
29 ウクライナ非常事態省、チェルノブイリ原発事故の影響で、現在もなお、ウラル以西のヨーロッパ総面積の4分の3がセシウム137に汚染されているとの調査報告を発表。
29 広島市の旧中国憲兵隊司令部に収容中被爆死した元米兵捕虜を慰霊する銘板が同司令部跡に建てられたビル前に完成し、除幕式。広島市内在住の森重昭が建立。
29 広島県青年女性平和友好祭実行委員会の「反核平和の火リレー」(第17回)の最終走者、広島市の平和公園に到着。17回目。
29 「ながさき8・9平和展」、県立美術館で開催。-8月2日。
29 日本原水協などによる「国民平和大行進」富山ルートの行進団、広島市の平和公園に到着。一行は、6月4日に富山県朝日町を出発。
29 大庭里美「プルトニウム・アクション・ヒロシマ」代表ら、匿名の脅迫文を公表。最近1か月の間に同会員10人以上の家に同様の手紙が届いていた。
29 東広島市被爆資料保存推進協議会、「平和学習バス」を実施。14回目。同市内小・中・養護学校29校の代表58人が広島市の平和公園を見学。吉川生美から被爆体験を聞く。
29 本島等前長崎市長、「原爆投下は仕方がなかった」と共同通信のインタビューで語る。
29 南アジア地域協力連合(SAARC)首脳会議出席のためコロンボを訪問しているバジパイ・インド、シャリフ・パキスタン両国首相、両国の核実験実施後、初めて二国間協議を行う。昨年9月から中断していた外務次官協議を再開することで合意。
29? 「非核の政府を求める広島の会」、県と県内の全市町村を対象に行った平和行政に関するアンケートの結果をまとめる。県と82市町村から回答。「8月6日を登校日にして平和学習をしている」自治体は38件(45.8%)。
30 フランス国防省、地下核実験を実施してきたフランス領ポリネシアにおける放射能による健康被害調査の報告書を公表。
30 平岡広島市長、「神田山やすらぎ園」など3つの原爆養護老人ホームと広島赤十字・原爆病院を慰問。
30 長崎市、「原爆死没者名簿」の虫干しを実施。
30 広島市、国から小渕首相の平和式典への出席についての打診を受ける。
30 広島市、8月6日の「被爆者代表から要望を聞く会」への要望をまとめる集まりを開く。被爆者7団体の代表が参加し、今年は、7団体すべてが出席する意向を表明。
30 秋田県原爆被害者団体協議会・原水爆禁止秋田市協議会など、「原爆と人間」展を秋田市内で開催。-8月2日。(「原水協通信」)
30 「原爆と人間展」、秋田市内で開催。-8月2日。1100人以上が参観。
30 美術家平和会議、第46回平和美術展を東京都美術館で開催。原爆死没者の肖像画25点を展示。-8月11日。
30 呉市出身でパリ在住の彫刻家宮内寛治、「HIROSHIMA」など2作品を広島県・廿日市市に寄贈。
30 インドの労組幹部、東広島市を出発する日本原水協などによる「国民平和大行進」に参加。
30 広島市安佐南区・倉掛公民館、平和学習会を開催。小学校低学年とその保護者など約50人が参加。
30 広島原爆資料館、「お話と音楽物語でつづる集団疎開」を開催。企画展「子どもたちの戦場」の関連イベント。
30? 旧制広島高校の同窓生、「生徒動員日誌」を刊行。
30? 広島市の内科医・碓井静照、核廃絶を訴える英文エッセー「OBSERVATIONS」と日本語版「語り継ぐ夏」を出版。
30? 兵庫県在住で長崎の被爆者・森崎勇、兵庫県・西宮親子劇場の会で被爆体験を語る。原水爆禁止西宮協議会・西宮市など主催。
31 今年6月20日に114才で日本最高齢になった滝井アサ、入園先の広島県倉橋町にある特別養護老人ホームたちばな苑で死亡。原爆手帳の申請の準備を同苑が進めていた。
31 長崎市、被爆53周年原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の実施要綱を発表。小渕首相らも参列。
31 長崎市、平和式典で読み上げる平和宣言の骨子を発表。「核の傘」からの脱却を求める。
31 「平和の灯奉賛会」の50人、広島市平和公園の「平和の池」を清掃。
31 広島市公衆衛生推進協議会、平和公園の一斉清掃を実施。約1600人が参加。
31 広島市の旧猿楽町の元住民らでつくる「矢倉会」、合同慰霊法要を県民文化センターで挙行。田辺雅章が作成したハイビジョン作品「原爆ドームと消えた街並み」が上映される。66人が参加。
31 長崎電鉄8月9日の会、電鉄原爆殉難者慰霊祭を挙行。約50人が参列。
31 「ピースラン98」、岡山県笠岡市に向けて広島市の平和公園を出発。205人のランナーが継走。
31 福岡市在住の吟詠家・岩谷桜雅、長崎の被爆者・片岡ツヨを題材とした漢詩を片岡に寄贈。
31 劇団はぐるま座、朗読劇「夏の約束」を広島市内で上演。1985年の初演以来、8月6日に上演していたが、今年始めて繰り上げ上演。
31 広島市の中村太矩次、53年前の8月6日を描いた連作の水彩画11枚を完成。近く原爆資料館に寄贈予定。
31 スリランカ・コロンボで開催されていた第10回南アジア地域協力連合(SAARC)サミット、世界的な核廃絶をめざすべきとするコロンボ宣言を採択して閉幕。
31 広島市農協の安佐南地区婦人会、市内電車2両を借り切り、小学生を対象とした被爆体験を聞く会を実施。85人が参加。
31? 広島赤十字・原爆病院にある円鍔勝三の木像「調べ」の中に原爆の爆風で入ったと思われるガラス片があることが、X線撮影で判明。

原爆報道2018

報じられたヒバクシャ

タイトル  掲載紙  掲載日
被爆体験者も公募対象 中国新聞 20180131
[概要]長崎市は平和祈念式典で「平和への誓い」を読む被爆者代表の応募資格から「被爆者手帳を持っていること」との要件をなくす。

連載

タイトル  掲載紙  掲載期間  回数 備考
 生きて 大内塗職人 小笠原貞雄さん(1926年~)  中国  1~
 [概要] [記事見出し]

 

 

書誌2018

本・パンフレット

書名・雑誌名 著者 発行所 発行年月日
呉海軍工廠の形成 千田武志 錦正社 20180210
荒勝文策と原子物理学の黎明 政池明 京都大学学術出版会 20180331
<第3編補論>久保田明子「『キツネの足跡』を追いかける―京都大学所蔵荒勝文策関連資料について」
平成29年度第1回広島大学平和科学研究センター主催国際シンポジウム「原爆体験・戦争の記憶の継承~託す平和遺産」 No.33 Editor: Institute for Peace Science, Hiroshima University  201804
 開催日時:2017年8月2日、会場: 広島大学東千田キャンパス。
沖縄からの本土爆撃 林博史  吉川弘文館  20180601
戦後ヒロシマの記録と記憶 小倉馨のR. ユンク宛書簡(上巻・下巻) 若尾祐司・小倉桂子 編 名古屋大学出版会 20180710
訳者:川口悠子、西井麻里奈、 菊楽忍、横山雄一、 菊楽肇、若尾祐司、 竹本真希子
 広島市被爆70年史  あの日まで そして、あの日から 1945年8月6日  被爆70年史編修研究会編  広島市刊  20180728
生命もてここに証す 東友会60年のあゆみ 東友会 東友会 20181116
被爆者の人生を支えたもの―臨床心理士によるインタビューから― 被爆者の心の調査プロジェクト編 渓水社 20181128
プロジェクトメンバー=一丸藤太郎、大澤多美子、倉永恭子、財満義輝、中嶋みどり、森田裕司
戦後社会運動史論③軍事大国化と新自由主義の時代の社会運動 広川禎秀・山田敬男編 大月書店 20181214
執筆者:広川、山田、上野輝将、三輪泰史、大森実、石月静恵、西尾康広、櫻澤誠、森下徹

雑誌論文

著者 タイトル 雑誌名(発行者) 発行月日
大亀信行 原爆瓦<20倍の世界> ヒロシマの子育て・教育  第303号(広島教育研究所) 01
著者=広島高校生平和ゼミナール世話人
藤本純子 ヒロシマ 岩国の隣 ヒロシマの子育て・教育  第304号(広島教育研究所) 02
平野裕次 被爆した南方特別留学生と戦後の日本社会―1950年代半ばから1960年代半ばまでの時期を中心として 史学研究 第299号 0301
木本安彦 自閉症・情緒障害児学級生徒が調べた被爆樹木 ヒロシマの子育て・教育  第306号(広島教育研究所) 04
ならコープ組織部 ならコープ「ヒロシマの旅」 ヒバクシャ―ともに生きる― 第35号 0806
志村  家族3人が原爆で奪われた 戦争起こすなの願い 年金裁判 陳述書に書いた志村さん  年金者しんぶん 第344号(全日本年金者組合中央本部)  0815

 

国連軍縮フェローズの受入れ

出典:http://www.mofa.go.jp/mofaj/dns/ac_d/page3_001846.html

国連軍縮フェローシップ事業概要

(1)国連軍縮フェローシップは,特に開発途上国における軍縮専門家を育成するために,1978年の第1回国連軍縮特別総会において実施が決定されました。主に各国の若手外交官や国防関係者等を対象とし,国連及びジュネーブ軍縮会議における研修や関係国への訪問等をプログラムとして,1979年以降毎年実施。
(2)日本は,1982年の第2回国連軍縮特別総会における鈴木善幸総理演説において本計画参加者の広島及び長崎招待の提案い,翌83年以来毎年約30名の各国若手外交官等の訪日を実現。2016年は34年目に当たり,本年を含めこれまでに883名の参加者が我が国政府の経費負担により日本を訪問。
(3)訪日プログラムは,例年広島での原爆ドームや平和記念資料館等の視察,長崎での原爆中心地や原爆資料館等の訪問,被爆者による被爆体験講話等を通じ,被爆の実相について理解を深める。

2016年度国連軍縮フェローシップ(結果)
平成28年10月2日から8日まで,「国連軍縮フェローシップ・プログラム」により,コラロフ国連軍縮部ジュネーブ事務所顧問他25か国25名の外交官等が訪日。概要は以下のとおり。
(1)10月3日,長崎において,原爆資料館及び原爆死没者追悼記念館を視察した後,被爆者による被爆体験講話を聴講。また,原爆投下中心地碑において献花を行い,平和公園を視察。その後,被爆者や若者との懇談や,長崎大学核兵器廃絶研究センターにおける有識者との意見交換を行ったほか,永井隆記念館を視察。
(2)10月4日,広島において,広島平和文化センター主催の歓迎レセプションに参加。翌5日は,広島平和記念資料館や国立広島原爆死没者追悼平和祈念館,原爆ドーム等を視察し,広島平和都市記念碑において献花。その後,ドキュメンタリー「母たちの祈り」の鑑賞や,被爆者による被爆体験講話,広島平和文化センター理事長講話の聴講を通じて被爆の実相に対する理解を深める。翌6日午前には,放射線影響研究所での講義を聴講。
(3)10月6日夜には,東京において,外務省主催のレセプションに参加,外務省職員や国内有識者,ユース非核特使経験者等と交流を深める。翌7日には,軍縮・不拡散促進センターを訪問し,包括的核実験禁止条約(CTBT)の国内運用体制についての講義を聴講。その後,外務省において,中国における遺棄化学兵器処理プロジェクト及び日本の核軍縮・不拡散政策に関する説明を受ける。

 

 

竹内釼

 

没年 名前 よみ 享年 備考
01 1974 竹内釼 たけうち・けん 1890年1月6日、福岡県生。

略歴

年月日 事項
1980.1.6 福岡県に生まれる。
1915. 旧制第5高等学校(熊本)を経て、東京帝国大学医科大学医学部卒業。
1916. 陸軍軍医中尉に任官。近衛師団に配属。
1919. 陸軍軍医学校外科主任教官となる。
1926. ドイツ留学(2か年)。帰途渡米視察。
1940. 中国派遣(約1年)
1939. 広島日本赤十字病院新設のため責任者となり、設立と共に初代院長となる。
1945.8.6 院長室にて執務中被爆、二昼夜人事不省、6ケ所骨折の重傷。
1947 昭和天皇御訪広に際し、広島被爆の状況について御前講演。
1948 広島日本赤十字病院再建復興なり、辞職。
1974.8.1 逝去。
出典:『竹内釼画集』(竹内辰五郎、2005年3月)

<宇吹メモ>「廃墟に立てば去りがたし」(『月刊中国 8月号』中国新聞社、1946年8月)に被爆時の体験を記す。

08月忌(一覧)

 8月に亡くなった人々
没年 名前 よみ 享年 備考
01 1974 竹内釼 たけうち・けん 1890年1月6日、福岡県生。1939年広島日本赤十字病院新設のための責任者、設立と共に初代院長。1945年8月6日、院長室にて執務中被爆、二昼夜人事不省、6ケ所骨折の重傷。<竹内釼
02 1989 鈴木喜代治 すずき・きよじ 88 日本映画社の原爆被災記録映画作り(生物植物調査班)に参加。
02 2017 磯野恭子 いそのきょうこ 83 34年ラジオ山口(現山口放送)にアナウンサーとして入社。のちディレクターとして,「聞こえるよ,母さんの声が…原爆の子,百合子」「祖国へのはるかな旅―ある中国残留婦人の帰国」など,戦争と平和をテーマにしたドキュメンタリーを制作。63年民放局初の女性取締役に就任。広島県出身。広島大卒。<ヒロシマの女たち・続
03 2015 阿川弘之 あがわ・ひろゆき 94 日本の小説家、評論家。広島県名誉県民。日本芸術院会員。日本李登輝友の会名誉会長。文化勲章受章。『広島県現代文学事典』(高木伸幸・記)<資料年表:阿川弘之
05 1990 桧垣益人 ひがきますと 94 元日本被団協代表委員(1970-81年)。広島駅地下道で被爆。1961-84年、広島県被団協事務局長。<資料年表:桧垣益人
06 1948 大塚惟精  おおつか・いせい  62  原爆被爆時の中国地方総監。『中国地方総監府誌 原爆被災記録』(刊行委員会、19720806)
 06  1945 粟屋仙吉  あわや・せんきち  48  被爆時の広島市長。津上毅一『粟屋仙吉の人と信仰:原爆にたおれた広島市長』待晨堂、1966年。
06 1945 森喬以 もり・たかもち 広島市立造船工業教諭として生徒を引率中、被爆死。
07 1945 李鍝 い・う 韓国人犠牲者慰霊碑(1970年4月10日除幕)の碑文。『すぎた歳月』(李方子、1973年)。『資料・韓国人犠牲者慰霊碑』(ピカ資料研究所など編、碑の会刊、1989.8.5)、『昭和天皇実録』。<資料年表:李鍝
09 1973 大月洋 おおつきひろし 67 民衆劇場。お宅で面談、資料閲覧
09 2000 田沼肇 たぬまはじめ 74 1950年、法政大学大原社会問題研究所に就職。64年同大学教授。93年退職し名誉教授に。日本原水協代表理事。<資料年表:田沼肇
10 1945 高木敏子 たかぎ・としこ 34 広島地方裁判所検事の妻。市内雑魚場町の家屋強制疎開後の跡片付づけにとりかかる前に被爆。『広島原爆犠牲者高木敏子追想録』(高木尊之編集発行、19730810)
10 1988 清水幾太郎 しみず・いくたろう 81 社会学者。原爆孤児精神養子運動に協力。<資料年表:清水幾太郎
12 1987 増本量 ますもと・はかる 金属物理学者。東北大学名誉教授。日本金属学会会長。広島県安芸郡矢賀村(現:広島市東区矢賀)出身。『増本量伝』
12 2006 小林文男 こばやし ・ふみお 72 中国研究者。アジア経済研究所主任調査研究員、広島大学名誉教授。<資料年表:小林文男
12 2015 明田弘司 あけだ・こうし 92 写真家。「戦争から復員後の48年、広島市内で写真展を開業。仲間とヒロシマ・フォト・クラブを結成。写真家の名取洋之助から広島の復興を記録するよう助言され、市民生活や街の活気を撮り続けた」(『中国新聞』2015.8.13)。<資料年表:明田弘司
14 1989 長岡弘芳 ながおかひろよし 57 本名:奥村弘芳。原爆文献研究家。『広島県現代文学事典』(大西昭・記)
15 1989 源田実 げんだみのる 84 広島県加計町出身。1941年第1航空艦隊参謀、真珠湾攻撃を立案、指導。1954年航空自衛隊に、1959年空将で航空幕僚長。1962年退官、参議院全国区で当選、以後4期、自民党国防部会長などを歴任。
15 1996 丸山 真男  まるやま・ まさお  82  政治学者、思想史家。東京大学 名誉教授 、 日本学士院 会員。<資料年表:丸山 真男
16 1945 丸山定夫 まるやま・さだお 44 俳優。日本移動演劇連盟桜隊を引率して慰問巡回中、広島で被爆。『俳優・丸山定夫の世界』(菅井幸雄編、未来社、19890806)
16 1945 手島守之輔 てしま・もりのすけ 31 竹原生まれ。県立第二中学校卒、東京美術学校油画科。8月1日臨時召集先の広島連隊で被爆、死亡。
16 2004 沖原豊 おきはら・ゆたか 79 広島大学長(第7代、1985年5月21日~)。教育学者。『解題:沖原豊関係文書目録』(執筆:酒井真)。
16 2023 中西巌 なかにし・いわお 93 旧被服支廠の保全を願う懇談会会長(初代)。『赤レンガ倉庫は語り継ぐ 旧広島陸軍被服支廠被爆証言集』(旧被服支廠の保全を願う懇談会、2020/03/01)
17 1991 田辺耕一郎 たなべこういちろう 87 「広島憩いの家」事務局長。1957年に開設された被爆者のための「憩いの家」を管理運営。『広島県現代文学事典』(岩崎清一郎・記)。憩いの家で面談、資料閲覧。資料年表:田辺耕一郎
18 1958 熊田秀雄 くまだ・ひでお 54 金光教御幸教会初代教会長。『御幸教会五十年史 改りのあゆみ五十年―第一部―初代熊田秀雄の求道と布教』(熊田信道、金光教御幸教会、1986.5.9)〈内容
18 1974 奥 久登 おく ひさと 93 広島県内の小学校長,県商工水産課長,広島市助役,県信用購買販売組合連合会長などを歴任。昭和17年衆議院議員(日本進歩党)。戦後,広島信用金庫理事長,県教育委員長。『奥久登先生 思い出の記』(佐々木勲編、広島信用金庫・広島大学東雲同窓会・広島県農業協同組合連合会関係諸団体・広島県安芸郡坂小学校同窓会刊、19640505)
21 1945 園井恵子 そのい・けいこ 33 『園井恵子・資料集 原爆が奪った未完の大女優』(岩手県松尾村、1991.3.31)
21 1986 四竈一郎 しかまいちろう 広島市基督教連盟委員長[50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。[52広島平和問題談話会](日本キリスト教団広島協会牧師)。[54世界平和集会世話人(発起・常任)]。元広島県原水協代表理事( 被爆者)。
21 2002 近藤幸四郎 こんどうこうしろう 69 広島県被団協事務局次長、広島被爆者団体連絡会議事務局長、元日本被団協代表理事などを歴任。<資料年表:近藤幸四郎
22 1971 正木亮 まさきあきら 1892年3月25日広島県の玖波村生まれ。広島控訴院検事長時代に原爆被爆。
24 1945 仲みどり なか・みどり 36 東大病院で死亡(毎日新聞)。移動演劇 桜隊 に所属。公演先の広島市で被爆。<資料年表:仲みどり>
25 19450825 岡田二郎 おかだ・じろう 40 広島県立第二高等女学校の音楽教師。広島市南観音町で被爆。「岡田二郎に70年ぶり光 原爆に散ったバイオリニスト あす広響演奏会で紹介」(『中国新聞(富沢佐一・客員編集委員記)20150804』
25 1991 松前重義 まつまえしげよし 90 東海大学総長。広島調査団長として被爆直後に入市。<資料年表:松前重義
25 1995 御園生圭輔 みそのおけいすけ 82 終戦時、陸軍軍医学校教官として広島原爆の被害調査に当たる。<資料年表:御園生圭輔
26 2014 孫振斗 そん・じんどぅ 87 韓国人被爆者訴訟の原告の草分け<資料年表:孫振斗>
28 1983 山内敕靖 やまうち・ただやす 65 広島ガス社長。期間:19710226-19820628。<資料年表:山内敕靖
28 2017 羽田孜 はた・つとむ 82 内閣総理大臣(1994年4月28日~6月30日)
29 2010 森田俊男 もりた・としお 89 教育研究者。平和・国際教育研究会代表。<資料年表:森田俊男
30 1995 上栗頼登 かみくり・よりと 76 東広島市の児童養護施設「広島新生学園」元園長。<資料年表:上栗頼登
30 2017 谷口稜曄 たにぐち・すみてる 88 長崎被爆者。
 31  1945 中島光風  なかじま・こうふう 国文学者・歌人。広島高等学校教授。広島市上流川町の自宅で被爆。 『広島県現代文学事典』(岩崎文人・記)
 31  2005  ジョセフ・ロートブラット ろーとぶらっと  96  ポーランド 生まれの イギリス の 物理学者 、 平和活動家 。

 

宇吹寄稿文「蔵書あれこれ」

『河図洛書―渓水社10周年記念』(渓水社、1985年4月1日)pp.140-143

河図洛書140

 

河図洛書141

河図洛書143

原爆問題についての私の師の一人であるT(田原)氏との出会いは、広島市内のあるガレージであった。そこには、T氏の管理する原爆関係の本が持ち込まれていた。私は学生時代から平和、
原爆問題に関心を持っていた。広島県の歴史の中でも重要なテーマと思い、その関連の本について、卒業後も気をつけていた。しかし、T氏の本の大半は、初めて目にするものであった。その後、T氏は、しばしば「蔵書を前の議論」の機会をつくってくれた。それは、私が、学生時代以来、久しく忘れていたものであった。私の原爆文献漁りが、T氏との出会いを契機に始まった。

河図洛書142

 

 

 

ローマ法王平和アピール碑

ローマ法王平和アピール碑 1983年2月25日 場所:広島市(広島平和記念公園・広島平和記念館)

資料

「ライオンズを探せ!@広島県・広島 村上薫元国際会長のテーマを伝えるピープル・アット・ピースの碑」(『LION 日本語版 2015年10月号』https://www.thelion-mag.jp/emag/201510/index_h5.html)

文献

 

 

広島平和都市記念碑(原爆慰霊碑)小史

広島平和都市記念碑(原爆慰霊碑)

建立年月日 場所 備考
19520806 平和公園(広島市中区中島町)

広島平和都市記念碑(原爆慰霊碑)

平和記念公園には、戦前、中島本町、天神町、材木町、元柳町が存在し、店舗や住宅約700軒が密集していた。この地域は、原爆爆心地からほぼ500メートル圏内に位置しており、原爆攻撃により壊滅した。戦後、広島市は、この場所を、公園(中島公園)とすることを計画した。広島市は、1949年4月20日、この公園を平和記念公園として建設することとし、設計図を全国に公募した。7月18日に募集を締め切ったが、応募作品は145点におよんだ。この中から選ばれたのは、丹下健三ら4人の共同作品であった。
この公園は、広島平和記念都市建設法の公布(1949年8月6日)にともない、その裏づけのもとに建設されることとなった。49年10月3日、東京で平和文化都市建設協議会の第1回会合が開催されたが、そこでは平和の理想を象徴する平和記念施設として、①記念公園(平和公園)、②記念館、③記念街路(平和緑道)が建設されることとなった。
①は、本川と元安川に抱かれた三角州の頂点に位置する中島公園(=平和広場、3万2、200坪)とその東側対岸の4、800坪(旧広島県産業奨励館敷地)と、その東北に接続する旧広島城跡を中心とする中央公園(=市民広場、22万坪)を総合した公園とされた(その後、中央公園部分は平和公園から外される)。③は、中島公園南端を基点として、東西に伸びる延長約4、000メートル、幅員100メートルの街路であった(後に「平和大通り(百メートル道路)」と呼ばれる)。また、②は、中島公園およびその東側対岸に設置するものとし、その内容としては、つぎのようなものが考えられていた。
(a)平和会館 2、500人収容の会議室及び事務室、原爆関係資料陳列室等。
(b)平和アーチ 張間120メートル、高60メートル、頂点に五つの鐘を吊す。
(c)慰霊堂 原爆犠牲者の遺骨並びに銘を納める。
(d)原爆遺跡 原爆により破壊された旧産業奨励館の建物を補強し保存する。
(大島六七男「復興の足どり」)
1951年2月21日、東京で第4回広島平和記念都市建設専門委員会が開催された。この席上、浜井広島市長は、「今夏で7回忌を迎える原爆都市の慰霊塔関係の設立を急ぎたい」との意向を述べた。しかし、建設省は、広島市の納骨堂を含む「慰霊塔」案は、墓地であり、公園法の建前から認められないと、難色を示した。そこで広島市は、遺骨の代わりに名簿を奉納することとし、8月6日までの式典に間に合うように碑を建立することを決定した(「中国新聞」51年2月22日)。しかし、碑は、51年の8月6日には間に合わず、52年3月末着工した。
碑の設計者は、丹下健三であった。コンクリート素打の工法で埴輪をデフォルメした設計で、当初案の巨大な「平和アーチ」は、正面から見た底辺4.7メートル、高さ3.67メートル、横から見た上辺8.29メートル、下辺5.26メートルのはにわ型に縮小・変更された。原爆死没者名簿を奉納するため、碑の中央に黒い御影石製の矩形の箱が配置された。そして、この箱の正面には、雑賀忠義が作成した碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」(雑賀の英訳:Let all the souls here rest in peace ; For we shall not repeat the evil.)が、刻み込まれた。この碑は、建立当時から「原爆慰霊碑(原爆死没者慰霊碑)」と呼ばれたが、碑の正式名称は、「広島平和都市記念碑」である。工費は、300万円であった。
広島市は、1984年1月、碑改築の方針を発表した。その理由として、コンクリートの石灰分が表面に吹き出して中の鉄筋の腐食が進み、碑にひびが入ることが明らかになったこと、原爆死没者名簿が32冊入っているが、あと数冊の余裕しか残っていないことの二つがあげられた。改築工事は、同年7月23日から始められ、翌85年3月26日、新慰霊碑(旧慰霊碑と同型で材質はコンクリートからみかげ石に変更)の除幕式が行なわれた。