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オリンピックと日本スポーツ史

『オリンピックと日本スポーツ史』(日本体育協会、19520705)

内容<作業中

天野貞祐(文部大臣)
東龍太郎(財団法人日本教育協会会長)
口絵
近代オリンピック写真史
オリンピックの恩人
日本のIOC委員
第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回
第8回
第9回
第10回
第11回
第12回
第13回
第14回
記事
オリンピックの歴史
オリンピックの起源
遺跡の発掘
クーベルタン男爵
第1回 1896 アテネ
第2回 1990 パリ
第3回 1904 セントルイス
1906 <アテネ中間大会>
第4回 1908 ロンドン
第5回 1912 ストックホルム
第6回 1916 ベルリン中止
第7回 1920 アントワープ
第8回 1924 パリ
第9回 1928 アムステルダム
第10回 1932 ロスアンゼルス
第11回 1936 ベルリン
第12回 1940 中止
第13回
第14回 1948 ロンドン
オリンピック大会と日本の参加
オリンピック規約
極東選手権競技大会
アジア競技大会と日本
世界スポーツ歴史年表
オリンピック大会全記録
冬季競技
極東選手権競技大会記録
あとがき(鈴木良徳)

旧4軍港都市の平和運動代表による「非核サミット」の記録

『旧4軍港都市の平和運動代表による「非核サミット」の記録』(非核の呉港を求める会、19900804)

内容

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討論

04 討論
本藤修 司会
「旧軍港市転換法」の意義
04 本藤修
04 浦田賢治 早稲田大学教授
08 本藤修
08 上田博則 呉地区平和委員会会長
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09 本藤修
10 浦田賢治
変貌する米太平洋戦略
10 本藤修
10 浦田賢治
核基地の役割
14 本藤修
14 大須賀寛 横須賀市原水協事務局長
15 本藤修
16 山下千秋 安保破棄諸要求貫徹佐世保実行委員会代表
17 本藤修
17 上田博則
進行する米軍基地強化
19 本藤修
19 大須賀寛
21 本藤修
21 大須賀寛
21 本藤修
21 梅垣正二 舞鶴市平和委員会会長
22 本藤修
22 山下千秋
米軍の補完部隊、自衛隊
23 本藤修
24 大須賀寛
24 本藤修
24 山下千秋
25 本藤修
25 梅垣正二
26 本藤修
26 上田博則
自衛隊強化の実態
26 本藤修
27 大須賀寛
27 本藤修
27 山下千秋
29 本藤修
29 梅垣正二
30 本藤修
30 上田博則
核艦船の入港をめぐって
31 本藤修
32 梅垣正二
33 本藤修
33 浦田賢治
34 本藤修
34 浦田賢治
36 本藤修
36 山下千秋
37 本藤修
38 浦田賢治
40 本藤修

 

教科書検定訴訟を支援する全国連絡会ニュース

『教科書検定訴訟を支援する全国連絡会ニュース』<作業中

年月日 記事
1965
1 1205 創立総会《10月10日》と全国連絡会の発足
1966
2 0205 300万円カンパ10万人書名1万人会員を
3 0520  家永三郎
4 0710
5 0910  第2回全国総会開かる<7月10日>
6 1228
1967
7 0227
8 0427
9 0627
10 0825   第3回全国総会開かる<7月9日>
11 1025
12 1130
1968
13 0130
14 0325
15 0525
16  0615
 17  0715
 18  0815  教科書検定訴訟を支援する全国連絡会第4回全国総会にたいする報告(7月28日)
 19  0930
20  1125  日高六郎「明治百年と教科書裁判」(要旨)
20 京都出張尋問
21  1215
1969
 22  0115
23  0215
24  0315
25  0415
26  0515
27  0615
28  0715  第5回全国総会<7月26日>に対する報告
29  0815
30  0915
31  1015
32  1115  教科書裁判第一審勝利をめざす11・8中央総決起集会
33  1215
1970
34  0115
 35  0220
36  0315
37  0415
38  0515
 39  0615
 40  0815  教科書裁判・原告・国民の主張の勝利
 41  0815 判決文抜粋 <東京地裁民事2部・杉本良吉裁判長><7月17日>
 42  0915  全国連絡会第6回全国総会<8月29・30日>
 43  10臨
44  1015
 45  11・12
1971
 46 0115
 47  0215  2月5日東京高裁第1回口頭弁論を強行!
 48  0315
 49  0415
50  0515
51  0615
52  0715
 53  0815
54  0915  全国連絡会第7回全国総会<8月27・28日>
 55  1015
 56  1115
1972
57  0115合
 58  0115合
59  0215
 60  0315  臨時全国総会<3月25・26日>
 61  0415 全国連 臨時総会開く
 62  0515
 63  0615
 64  0715 鈴木英一「 法廷からのレポート 変節者のおちゆくところ 時移り人変る森戸証人」
 65  0815
 66  0915
 67  1015  第8回全国総会<10月28・29日>常任委員会報告と方針提起
68  1115
 69  1215
1973
 70  0115
 71  0215
 72  0315
 73  0415
 74 0515
 75  0615
76  0715
 77  0815
 78  0915  第9回全国総会<10月6日・7日>への報告(案)
 79  1015
80  1115
1974
81  0115合
 82  0115合
 83  0215
 84  0315
 85  0415
 86  0515
 87  0615
88  0715  教科書裁判・第1次訴訟判決特集号
 89  0815
90  0915  第10回全国総会<8月30日・31日>
 91  1015
 92  1115
93  1215
1975
 94 0115  家永三郎「提訴原点をかえりみて<1>」
 95 0315   家永三郎「提訴原点をかえりみて<2>」
 96 0415  家永三郎「提訴原点をかえりみて<3>」
 97  0515  家永三郎「提訴原点をかえりみて<4>」
 98  0615  家永三郎「提訴原点をかえりみて<5>」
99  0715
100  0815  教科書裁判11年目への出発 第11回全国総会への報告(案)

『家永教科書裁判 被告側証人』(抄)

『家永教科書裁判 被告側証人』(抄)<作業中

証言日 ・場所  証言者・証言内容
19680120・東京地裁 森戸辰男(元文部大臣、日本育英会会長)
 出典:『家永教科書裁判 第2部 証言篇1』
1968 1220・東京地裁 木下一雄(東京学芸大学名誉教授)
 出典:『家永教科書裁判 第2部 証言篇4』
19690222 内海巌(広島大学教授)
 東京地裁  『家永教科書裁判 第2部 証言篇5』

大塚茂樹

大塚茂樹

資料年表:大塚茂樹<作業中

年月日
1957
** 誕生
1994
0705 『ある歓喜の歌 小松雄一郎 嵐の時代にベートーヴェンを求めて』(同時代社)
2011
0708 『まどうてくれ 藤居平一・被爆者と生きる』(旬報社)
2016
0605 『原爆にも差別にも負けなかった人びと―広島・小さな町の戦後史』(かもがわ出版)
2017
1210 『心さわぐ憲法9条-護憲派が問われている』(花伝社)
2019
0725 中野慶『軍馬と楕(かもがわ出版)
2021
1220 中野慶『岩波書店取材日記』(かもがわ出版)
2023
0325 『「日本左翼史」に挑む 私の日本共産党論』(あけび書房新社)

 

資料年表:家永三郎

家永三郎

いえなが・さぶろう29 19130903生20021129没 享年89歳 歴史学者。戦後間もなく編纂された歴史教科書『くにのあゆみ』の執筆者の1人。1965年教科書検定違憲訴訟を提起。

資料年表:家永三郎<作業中

年月日
1913
0903
1947
0410 『新日本史』(冨山房、19470410) U
1957
0425 『岩波講座現代思想第3巻 民族の思想』(岩波雄二郎編、岩波書店) G
1965
1205 『教科書検定訴訟を支援する全国連絡会ニュース 第1号』
1968
0630  『家永教科書裁判 第2部 証言篇1』(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会、総合図書) U
 0925  『家永教科書裁判 第2部 証言篇2』(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会、総合図書) U
1969
0125  『家永教科書裁判 第2部 証言篇3』(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会、総合図書) U
 0330  『家永教科書裁判 第2部 証言篇4』(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会、総合図書)  U
0630 『家永教科書裁判 第2部 証言篇5』(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会、総合図書) U
1025 『家永教科書裁判 第2部 証言篇6』(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会、総合図書) U
1220 『家永教科書裁判 第2部 証言篇7』(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会、総合図書) U
1970
0415  『家永教科書裁判 第2部 証言篇8』(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会、総合図書)  U
 11**  『家永教科書裁判 第1部 準備書面篇』(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会、総合図書) U
 1210   『家永教科書裁判 第1部 準備書面篇2』(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会、総合図書)  U
  1210   『家永教科書裁判 第1部 準備書面・判決篇』(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会、総合図書)  U
1971
 0630  『家永教科書裁判 第2部 証言篇9』(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会、総合図書)   U
   家永教科書裁判
 1975
 1101  『教科書裁判ニュース・縮刷版』(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会、総合図書) U
1980
1023 *より家永訴訟弁護士に対する援助を依頼される。文部省側証人平田嘉三(広島大学教育・教授)。
1107 家永訴訟打ち合せ.於中央法律事務所(東京麹町)。
1215 東京高裁の家永裁判傍聴。
平田嘉三、家永教科書裁判第一次訴訟第二審で国側証人として出廷(東京高裁)。「洗礼という言葉には、人を祝福するニュアンスがあり、原爆という悲惨な事実を示すにはなじまない。教科書では主観的・比喩的表現は避けた方がいい」。(浪本勝年「第1次教科書訴訟控訴審の審理過程」)。
2002
1129 没。享年89歳。

 

家永三郎

家永三郎

いえなが・さぶろう29 19130903生20021129没 享年89歳 歴史学者。戦後間もなく編纂された歴史教科書『くにのあゆみ』の執筆者の1人。1965年教科書検定違憲訴訟を提起。

資料年表:家永三郎<作業中

年月日
1913
0903
1947
0410 『新日本史』(冨山房、19470410) U
1957
0425 『岩波講座現代思想第3巻 民族の思想』(岩波雄二郎編、岩波書店) G
1974
0531 『検定不合格日本史』(家永三郎、三一書房) U
1980
1023 *より家永訴訟弁護士に対する援助を依頼される。文部省側証人平田嘉三(広島大学教育・教授)。
1107 家永訴訟打ち合せ.於中央法律事務所(東京麹町)。
1215 東京高裁の家永裁判傍聴。
平田嘉三、家永教科書裁判第一次訴訟第二審で国側証人として出廷(東京高裁)。「洗礼という言葉には、人を祝福するニュアンスがあり、原爆という悲惨な事実を示すにはなじまない。教科書では主観的・比喩的表現は避けた方がいい」。(浪本勝年「第1次教科書訴訟控訴審の審理過程」)。
2002
1129 没。享年89歳。

 

資料年表:宇吹暁の8・6<2001年~>

資料年表:宇吹暁の8・6<2001年~><敬称略><作業中

 事項
2001
07:30 出勤。タクシーで平和記念式典会場へ。西垣学長、村松、岡本三夫と原爆ドーム前で会う。小泉の挨拶の内容に「平和憲法」・「非核三原則」という言葉があったので、わが耳をうたがったが、その他はひっかかるところなし。問題は、この挨拶と靖国参拝が同一人物で重なること。
09:10 広島女学院上幟町校地到着。
被爆56周年平和祈念式。於・上幟町校地・慰霊碑前。キリスト教主義大学ジョイント8・6平和学習参加の学生も含め盛会。西垣学長が、挨拶の中で私の名前をあげる。女学院高校の生徒が挨拶。加害についても考える必要があるとの内容。
10:40 Oが一生懸命撮影してくれる。だいぶ疲れた様子。終了後、休憩室で湯茶をよばれ、Oは帰宅。
11:30 キリスト教主義大学ジョイント8・6平和学習で講演。小泉首相と女学院高校生徒の挨拶を取り上げる。-12時半。西垣学長から、他校の慰霊式典の様子を聞かれる。NからTシャツを貰う。Nの話=謝礼を次回の給与に振り込む。昼食を一緒に摂り、退席。
13:00 原爆被害者8・6証言のつどい20周年のつどい。於:広島YMCAコンベンションホール。M・S(広島県立保健福祉大学)・S・Nと話す。Iに続いて挨拶を求められる。-2時半に中途退席。タクシーで大学に戻る。
13:01 M=広島国際大学は、まもなく辞めるつもり。S=来年の非常勤は宇吹の名前で予算要求しているのでよろしく。今年は福島生協病院の?に依頼した。N=8月23日にアメリカに戻る。原爆の絵とともになつかしの広島を描いた絵も全部閲覧できた。?が親切に応対してくれた。
15:00 K(共同通信)より大学へ電話。被爆体験継承策についての見解を聞かれる。
2002
自宅で早朝から採点。8時の平和式典中継を見て、出勤。広島駅で今朝の朝刊を購入。
10:00 校内で*と彼女の姉母子と会う。私の研究室でコーヒーを飲みながら30分ほど話す。姉は、広島大学の国際協力研究科(修士)を卒業し、現在女学院英米文学博士過程に在籍中とのこと。父親が、鉱山関係の研究者とのこと。中国の核実験などについて話す。
15:00 2002年度「8・6平和学習プログラム」。於:広島女学院幟町校地内。2時30分、印パ学生との交流会の最後に加わる。3時~4時半、まとめの集会で発言。終了後、帰宅。
2003
09:00 広島駅新幹線口で今日の新聞を購入して出勤。広島女学院被爆58周年平和祈念式には参列せず。全国各新聞社のホームページで社説をチェック。文化史学の採点。帰宅後、夜中までかかり一応終了。
18:30 NHK総合テレビで朗読劇「夏雲」の模様を簡単に紹介。翌日Tから聞いた話では、折鶴が焼かれた事件のため、放映時間が短くなった由。
2004
07:00  講座「ヒロシマ」:市民球場バス停へ。7:30集合だったが関西学院一行は、7:00に集まる。長富健三(中国新聞・論説委員)もしばらく取材。天風録で取り上げる由
07:20  「せこへい」の碑前で沢野(安田高校)で出会ったので、碑の説明を講座「ヒロシマ」参加者向けにしてもらう。
 07:30  講座「ヒロシマ」:現地実習(広島市平和式典参列)。*(関西学院大学商学部4年)を含む第9グループがNHKの取材を受けるため、式典会場に一緒に座る予定であったが、会うことが出来ず。別々に会場に座る。「8・6平和セミナー」と会う。
09:00 講座「ヒロシマ」:広島女学院高校へ移動。
10:00 講座「ヒロシマ」:現地実習(広島女学院原爆死没者追悼式典参列)。*が在学生代表で挨拶。総務の職員と課長クラスが総動員されていた。英文関係の顔が見えず。
 11:00  講座「ヒロシマ」:「原爆の絵碑」除幕式。早坂暁・森本順子も参列。*の話では、早坂暁には旅費は出さず、森本順子にはオーストラリアから来日する旅費を出したとのこと。講座「ヒロシマ」のメンバーはほとんどが参列せず。
11:30 講座「ヒロシマ」:女学院中学高等学校の食堂で昼食。当初、関西学院大学の学生は夜8時に集合の予定であったが、彼らがコンサートに参加することになっており、集合時間を9時半まで延長することを私からアナウンス。
13:00 講座「ヒロシマ」:現地実習(平和公園碑めぐり、原爆資料館見学などグループごとに)。
13:10 *と大学に戻る。直後に*と*、来室。広告のレポートについて二人で検討。2時間ほど研究室で寝る。「アジアの中のヒロシマ」の資料を作成。
15:30 *より電話。講座「ヒロシマ」でビデオを上映したい由。
20:00 講座「ヒロシマ」の学生に会うため、平和公園へ。関西学院大学の学生は、8:45に市民球場前に集合することにしていた。歩いて広島女学院中学・高等学校へ。最後まで付き合った女学院学生は4人。その一人*を広まで送って10時過ぎ帰宅。*は広島大学国際協力研究科の事務職員とのこと。
 2005
 06:30  広島駅の駐車場に車を置き、駅の売店で新聞を購入。日経が昨日の模様を大きく掲載。電車で市民球場南側へ。07:15関西学院大学のバス到着。まとまった班から平和公園へ。*・*も来る。デジタルビデオカメラでの撮影を依頼。
08:06 集中ヒロシマ(第2日)④⑤現地実習(広島市平和式典参加)。会場内に空席が無く、式典会場の西側へ。翌朝の報道では5万5000人が参列。学生とはぐれ、式典の最中に出口付近に移動して待ったが会えず。最後までいたとのことで、ほとんどが女学院慰霊祭に遅刻。
 2006
07:20 特別講義「ヒロシマ」(第2日)。広島市民球場南側に集合。欠席:54038*(体調不良との連絡)。
07:30 特別講義「ヒロシマ」(第2日)。④現地実習(広島市平和式典参加)。空席多数。
08:50 平和公園->NHK->旧日本銀行広島支店->袋町小学校->アンデルセン->タクシー->広島女学院。関西学院大学から中*、*が加わる。
10:00 特別講義「ヒロシマ」(第2日)。⑤現地実習(広島女学院原爆死没者追悼式典参加)。BGSU平和セミナー(*、*が引率)、ジョイントセミナー(*、*の姿を見る)、被爆同窓生の*が連れてきたアメリカオレゴン州の「ローグバレー平和合唱団」38名も参加。
11:00 同窓生の体験記集朗読会(食堂)。湯茶の接待を受ける。昼食(ゲーズホール2階)。
12:30 特別講義「ヒロシマ」(第2日)。⑥⑦⑧現地実習。(平和公園碑めぐり、原爆資料館、原爆死没者追悼平和祈念館、袋町小学校平和資料館、広島市立中央図書館など、班ごとに行動・見学)。
12:30 ホームテレビのドクター・キャンパ用取材撮影(玄関前)。ディレクター:円並地元道。私が関西学院大学との合同授業の意義について語る。この後、カメラクルーは、原爆ドーム前で第6班を取材予定とのこと。企画広報課の*が手配同行。
13:00 大学に戻り研究室で2時過ぎまで昼寝。1年生~3年生の成績をつける。途中まで。~19:30。
16:00 *(3班)より電話。放影研に行き、そこで脱落した由。
20:30 広島女学院中・高へ。関西学院大学の集合と帰路へ付いたのを確認。見送りに残っていた女学院生のうち、呉在住の2人を送り帰宅。
 2007
06:30 大学到着。突然の雨。ツバメに連絡したが6~7時台は予約で一杯との回答。徒歩で行く途中、*・*とユアーズ前で会う。一緒にバスで広島駅まで行きタクシーに乗り継いで07:10、市民球場前に到着。ちょうど関学一行と出会う。揃った班から平和式典会場へ。
07:30 「ヒロシマ」。④現地実習(広島市平和式典参加)。ホームテレビがドクターキャンパ用に第1班を取材。欠席:* *(生活2)、*(生活4)、
10:00 「ヒロシマ」。⑤現地実習(広島女学院原爆死没者追悼式典参加)。終了後、ドクターキャンパ用に私のコメントを収録。*(ホームテレビ映像KKプロデューサー)。
11:10 「ヒロシマ」。昼食(昼食後、平和公園まで徒歩移動)。
13:00 「ヒロシマ」。⑥⑦⑧現地実習(平和公園碑めぐり、原爆資料館見学など)。*・*と一緒に行動。袋町小学校→旧日本銀行広島支店→NTTクレドホール(大阪万博の展示を見る予定であったが入場料が1000円だったので入場せず)→紀伊国屋書店(本4冊購入)→大学へ。
16:00 大学へ戻る。*から「オキナワとヒロシマ」(*)資料が届く。20:30女学院幟町校地に集合した関学の学生を見送り帰宅。
21:30 *(明治大学大学院修士課程)より電話。*から紹介。今広島。杉並の運動を整理。会って藤居などの話が聞きたいとのこと。
 2008
特別講義Ⅱ「ヒロシマ」。
07:30 「ヒロシマ」。④現地実習(広島市平和式典参加)。関学のバスが1時間も早く到着し、ぐるぐる回っていた由。
10:00 「ヒロシマ」。⑤現地実習(広島女学院原爆死没者追悼式典参加)。*が在校生代表として挨拶。式終了後、今田学長が参列している3つの平和プログラムの参加者を紹介。
11:10 「ヒロシマ」。食堂で卒業生による体験記の朗読を聞く。<石井三恵も朗読>。チャペルの2階で昼食。杉原左右一関西学院大学学長に挨拶。*(経済1)が体調を崩し、高校の茶室で休養。
13:00 「ヒロシマ」。⑥⑦⑧現地実習(平和公園碑めぐり、原爆資料館見学など)。第1・2・5班と広島市現代美術館へ。引率の私の入館料は無料。石内都展、ヒロシマ・モナムール、ドームの3展示。15:00~16:30映画アトミック・カフェを見る。5時前に分かれ、大学へもどる。20:30幟町に見送りに行く。かなりの女学院の学生が最後まで付き合う。*を苗代の自宅に送り届け帰宅。
2009
06:20 広島女学院高校に車を駐車。徒歩で平和公園へ。
07:30 ④現地実習(広島市平和式典)。*など間に合わず。
10:00 ⑤現地実習(広島女学院原爆死没者追悼式典)。慰霊碑の移転後初めて。11:15堀洵子一人芝居を観劇。
11:10 昼食:アイリスセンター2F多目的ホール。~12:00。昼食後、班別行動。旧市民球場・折り鶴展示場-広島城など。
13:00 ⑥⑦⑧現地実習。広島市現代美術館―13:00ゲーンズ先生の墓―放射線影響研究所13:30山下俊一「国連機関と放射線影響研究」―シャトルバス13:45―八丁堀
16:20 旧市民球場・折り鶴展示場―平和公園一周―灯ろう流し18:30―広島女学院高校―自宅。
 2010
07:30 W ④現地実習。旧広島市民球場前集合。原爆ドーム前で*と会う。広島市平和式典。10:00⑤広島女学院原爆死没者追悼式典参加)。
11:10 W 昼食。中学校チャペル。同窓生による夏雲朗読。09:30「第12回見て!見て!!平和のでっかい絵」。
13:00 W ⑥⑦⑧現地実習。県立美術館。14:30広島城。15:00*と会う。袋町小学校平和資料館。旧日本銀行広島支店。*と会う。アンデルセン。旧広島市民球場。17:00平和公園。17:30*(原爆資料館学芸員)と会う。
 2011
 呉駅-0711広島駅。宮島行広電で原爆ドーム前へ。11本通り-熊野団地入口。12時帰宅。
 2012
 焼山発の広電バスで広島へ。8時に平和公園到着。正午過ぎまで市内で資料収集と写真撮影。むさしで昼食。一気に疲れが出たので、広島バスセンターから帰路へ。~12時。
 野田首相挨拶=原稿に目を向けたまま顔を上げず。棒読み。献花=内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、外務大臣、厚生労働大臣・・・・・。広島市女職員生徒原爆死没者慰霊式典。
旧日本銀行広島支店。せこへい美術館。澤野と話す。佐々木の兄と黒瀬の紹介で会ったことがある由。
ウェブ上の地方紙の8・6社説をチェック。翌日も補遺作業。原発に言及するものもあり。
 2013
 06:42広電昭和支所ー7:37中電前ー平和公園ー9:12国際会議場ー篠原収と会うー「光の肖像展」-平和大通り(第一県女)ー旧日銀・せこへいーバスセンター12:13-13:13昭和支所ー13:30帰宅。
 2014
 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式。
 2015
 08:00被爆70年。広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式。式典終了後、篠原収・田城明と会う。
 本川学区慰霊碑(正面)慰霊之碑(裏面)為原爆死没者 昭和三十二年八月六日建之 本川学区内有志〔説明板〕此の慰霊碑は過ぐる昭和二十年八月六日原爆投下された際本川地区一帯の死亡者数千の遺体を本川小学校内に集め、焼却された遺骨を此の位置にあった空鞘町防空壕内に埋没されたのであります。その後遺骨は平和公園内の供養塔内に移したのですが、永く此の聖地を記念しその英霊を慰めるため、地区内有志相寄り此の慰霊碑を建立したのであります。合掌 昭和四十年八月本川地区町民有志本川町三丁目町内会
 2016
 広島市平和記念式典の周辺を取材。昨年・一昨年と供養塔前に置いてあった平和のメッセージが今年はなかった。旧日銀・袋町・県立体育館を回り、1時過ぎのバスで帰宅。
 2017
 広島市平和記念式典に参列・取材。旧日本銀行広島支店などを覗く。
 2018
 07:30 昭和市民センター発のバス(始発)で広島へ。8時過ぎ、平和公園に到着。
 2019
広電バス・昭和市民センター前
08:00原爆犠牲ヒロシマの碑8;00 全損保8:13、供養塔茶席08:30、9:16嵐の中の母子像。9:48NHK、
22:00NHKスペシャル「“ヒロシマの声”がきこえますか~生まれ変わった原爆資料館~ 」(50分)。
 2020
 読売・毎日・日経・産経をコンビニで購入。
08:15 黙とう呼びかけの呉市からの町内放送に合わせ1分間の黙とう。
 2021
 広島平和公園へ。原爆死没者慰霊行事に参列。原爆ドーム北側などを取材撮影。―07:26。
 広島大学「平和と人間D」期末レポート採点表、メール添付で返送。
10:30 そごう駐車場―平和公園―広島県動員学徒犠牲者の会―原爆の子の像―原爆ドーム―原爆慰霊碑―花輪―撤去表(北辰映電)―献花―小倉桂子―peace run clubー平和の鐘を吊るす装置―巨大スクリーン―原爆慰霊碑―会場テント内―平和記念式典に寄せられたメッセージ―温井慰霊碑―造船工慰霊碑―教師と子どもの像―損保慰霊碑―湯川秀樹歌碑―原爆資料館―嵐の中の母子像―原爆資料館時計―ローマ法王碑―被爆ピアノ11:09―<全損保―被爆遺構―レストハウス>―そごう地下で昼食用弁当―
「47ニュース」で社説・論説をチェック。https://www.47news.jp/news/column/shasetsu
 2022
 自宅発―広島平和公園。
 2023
 読売・毎日など購入。
 ヒロシマ遺文への投稿=「社説20230806」
 2024