香川亀人<作業中>
| かがわ・かめと | ****生19931015没 | 享年97歳 | 広島県呉市在住。方面委員・民生委員 |
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香川亀人<作業中>
| かがわ・かめと | ****生19931015没 | 享年97歳 | 広島県呉市在住。方面委員・民生委員 |
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2024年10月(日録)
| 日 | できごと |
| 01 | |
| 02 | |
| 03 | ヒロシマ遺文への投稿=「空襲通信記事目録(抄)」、「2024年10月(日録)」 |
| 04 | |
| 05 | |
| 06 | (日) |
| 07 | |
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| 12 | |
| 13 | (日) ヒロシマ遺文への投稿=「香川亀人」、「資料年表:香川亀人」 |
| 14 | (スポーツの日) |
| 15 | |
| 16 | ヒロシマ遺文への投稿=「ドロッシィ・デッソー」、「ミス・ドロシー・デッソー 日本における生活と事業」 |
| 17 | ヒロシマ遺文への投稿=「奉仕の人・宇根実評伝」、 |
| 18 | ヒロシマ遺文への投稿=「『民生事業概要 昭和47年版』(広島市社会課)」 |
| 19 | |
| 20 | (日) ヒロシマ遺文への投稿=「ひろしまの福祉五十年」 |
| 21 | |
| 22 | |
| 23 | |
| 24 | ヒロシマ遺文への投稿=「被害者をめぐる今日までの動き」、「人間に未来はあるのか-ある物理学者の問い」 |
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| 26 | |
| 27 | (日) |
| 28 | |
| 29 | ヒロシマ遺文への投稿=「公開質問状(国鉄労働組合広島地方本部執行委員長→ABCC所長)」 |
| 30 | ヒロシマ遺文への投稿=「原水爆禁止世界大会(第1回)関係資料」 |
| 31 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島市文化団体協議会決議」 |
| ヒロシマ遺文への投稿=「」 |
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空襲通信記事目録(抄)
空襲通信 – 空襲・戦災を記録する会全国連絡会議 (kushusensai.net)
| 号 | 年月日 | ||
| 創刊号(準備号) | 19990724 | 岡田智晶 | 福山空襲の記録と教材化 |
| 2 | 2000/07/28 | 「紙芝居 おじいちゃんの語る戦争と空襲」 福山 31 | |
| 3 | 2001/08/11 | 第3部 各地の会の報告 「呉戦災を記録する会」の歩み |
|
| 4 | 2003/07/26 | 今井清一 | 第1部 米軍資料編 大都市焼夷弾爆撃とその目標 ― 歴史評論の空襲特集をめぐって |
| 5 | 2003/07/26 | ||
| 6 | 2004/07/23 | 桜井知佐子 | 静岡平和資料館をつくる会・活動記録 |
| 7 | 2005/08/26 | 朝倉 邦夫 | 「呉戦災-あれから六十年-」の発刊(呉戦災を記録する会) |
| 岡田 智晶 | 『夜明けの人々 第二集』刊行の報告(福山空襲を記録する会) | ||
| 8 | 2006/07/28 | 吉田 巍彦 | 第1部 米軍資料編 広島の捕虜 10人-23人は被爆死し,呉海軍の捕虜 28人は全員帰国した. |
| 9 | 2007/07/31 | 吉田 巍彦 | 第1部 米軍資料編 米軍資料の検証と『呉海軍刑務所の捕虜28人』の氏名の照合 68 |
| 10 | 2008/08/05 | ||
| 11 | 2009/07/22 | ||
| 12 | 2010/08/11 | 塩津 慎子 | 「静岡平和資料館をつくる会―静岡平和資料センター」の活動 58 |
| 13 | 2011/08/15 | 塩津 慎子 | 「静岡平和資料館をつくる会―静岡平和資料センター」の活動 63 |
| 14 | 2012/08/08 | 土居 和江 | 「静岡平和資料館をつくる会-静岡平和資料センター」の活動 55 |
| 15 | 2013/08/12 | 土居 和江 | 第2部 各地の会の報告 5. 「静岡平和資料館をつくる会-静岡平和資料センター」の活動 (2012年4月-2013年4月) 55 |
| 16 | 2014/08/01 | 土居 和江 | 第3部 各地の会の報告 2. 「静岡平和資料館をつくる会 – 静岡平和資料センター」の活動 69 |
| 17 | 2015/08/10 | ||
| 18 | 2016/08/05 | ||
| 19 | 2017/08/04 | 土居 和江,塩津 慎子 | 第4部 各地の会の報告「静岡平和資料館をつくる会 - 静岡平和資料センター」の活動 80 |
| 20 | 2018/08/03 | 土居和江・寺島敦子 | 第4部 各地の会の報告 「静岡平和資料館をつくる会 ?静岡平和資料センター」の活動 - 104 |
| 21 | 2019/08/03 | 土居 和江 | 第3部 各地の会の報告 「静岡平和資料館をつくる会-静岡平和資料センター」の活動(2018年4月-2019年5月) 60 |
| 22 | 2020/08/12 | 第2部 特集:追悼・今井清一先生 第4部 戦時資料と空襲記録編 空襲下における昭和天皇の退避記録 藤本 文昭 57 |
|
| 23 | 2021/08/03 | 土居和江 | 第5部 各地の会の報告 「静岡平和資料館をつくる会-静岡平和資料センター」の活動(2020年4月-2021年5月) 83 |
| 24 | 2022/09/09 | 第2部 特集 追悼・早乙女勝元さん 特集に当たって 13 |
|
| 25 | 2023/10/18 | ||
| 26 | 2024/08/17 | 空襲・戦災を記録する会全国大会開催の歴史 83 | |
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『核兵器と戦争のない世界をめざす高校生たち―平和集会・平和ゼミナールの50年』(高校生平和ゼミナ-ル全国連絡センター編、20240823、20240823)
内容
| 部 | 著者 | 見出し | ||
| 沖村民雄・望月照己 | はじめに | |||
| Ⅰ | 全国高校生平和集会・高校生平和ゼミナ-ルのあゆみといま | |||
| 1 | 沢野重男 | 高校生平和ゼミナ-ルの成立・展開・発展 | ||
| 2 | ||||
| 3 | ||||
| 4 | 沢野重男 | 高校生平和ゼミナ-ルの未来へ | ||
| Ⅱ | 卒業生が語る高校生平和ゼミナ-ルの学びといま | |||
| 1 | 星野昌美(広島高校生平和ゼミナ-ル1期生) | 「より確かに平和へ歩もう」-広島高校生平和ゼミナ-ル結成の頃 | ||
| 2 | ||||
| 3 | 岡本幸信 | 原爆瓦保存運動と原爆犠牲ヒロシマの日 | ||
| 4 | ||||
| 5 | ||||
| 6 | ||||
| 7 | 大井赤亥 | 韓国への旅 | ||
| 8 | ||||
| 9 | ||||
| 10 | 中本小百合 | 平和を考えるきっかけをつくる「せこへい」-世界の子どもの平和像in広島 | ||
| 11 | ||||
| 12 | ||||
| 13 | ||||
| 14 | ||||
| Ⅲ | 高校生とつくった各地の平和ゼミナール | |||
| 1 | 北海道 | |||
| 2 | 宮城 | |||
| 3 | 山形県庄内地区 | |||
| 4 | 福島 | |||
| 5 | 茨城 | |||
| 6 | 群馬 | |||
| 7 | 埼玉 | |||
| 8 | 千葉 | |||
| 9 | 多摩地区(国立) | |||
| 10 | 品川 | |||
| 11 | 東京 | |||
| 12 | 神奈川 | |||
| 13 | 長野 | |||
| 14 | 静岡 | |||
| 15 | 愛知 | |||
| 16 | 岐阜 | |||
| 17 | 京都 | |||
| 18 | 大阪 | |||
| 19 | 大阪 | |||
| 20 | 大阪 | |||
| 21 | 兵庫 | |||
| 22 | 大亀信業 | 広島 | ||
| 23 | 幡多(高知) | |||
| 24 | 香川 | |||
| 25 | 長崎 | |||
| 26 | 沖縄 | |||
| Ⅳ | ||||
| 1 | 秩父ユネスコ | |||
| 2 | エバグリーン静岡 | |||
| 3 | ふりそでの少女像をつくる会(長崎) | |||
| 4 | 高校生平和大使 | |||
| 5 | 部落問題 | |||
| 6 | 東京学生平和ゼミナール | |||
| 7 | 佐貫浩 | 表現によって自由を拓き、自分をつくり、共同に参加し、世界をつくる | ||
| 沖村民雄・望月照己 | おわりに | |||
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第20回呉地区高校生平和の集い記念出版「戦跡よ語れ 呉の平和な未来を―呉戦災フィールドワークの手引き」(製作:呉地区高校生平和の集い第20次実行委員会、19840323)
内容
| No. | |
| 表紙 | |
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|
| 呉空襲の概況-フィールドワーク出発の前に | |
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|
| 1 | 昭和埠頭・第6バ-ス―米軍・自衛隊基地としての呉 |
| 2 | 海軍工廠 横穴防空壕(警固屋2丁目 日新製鋼前) |
| 3 | 人間魚雷「回天」慰霊碑(音戸町波多見) |
| 4 | 高烏山要塞跡 |
| 5 | 女子挺身隊等「殉国之塔」(鍋山峠 日本酸素裏山) |
| 6 | 戦艦「大和」碑(宮原5丁目) |
| 7 | 呉港「呉沖海戦」(歴史が見えるケ丘公園 宮原5丁目にて) |
| 8 | 呉空襲犠牲者供養地蔵(和庄児童公園 本町) |
| 9 | 呉戦災犠牲者供養菩薩像(寺西児童公園 本町) |
| 10 | 呉海軍墓地(上長迫町)-フィールドワークを閉じるにあたって |
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|
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資料年表:大田英雄<作業中>
| 年月日 | |||
| 1934 | |||
| **** | 誕生。神奈川県横須賀市生まれ。 | ||
| 広島大学教育学部入学(高校教育社会学科) | |||
| 1957 | |||
| 04 | 高校の分校(音戸高校倉橋分校?) | ||
| 1963 | |||
| 04 | 広島県立賀茂高校教諭 | ||
| 1963 | |||
| 04 | 広島県立賀茂高校教諭 | ||
| 1967 | |||
| 04 | 広島県立呉宮原高校教諭 | ||
| 原水爆禁止呉協議会事務局長、高教組呉地区支部平和教育推進部長、呉地区高校生「平和の集い」顧問、歴史教育者協議会会員 | |||
| 1973 | |||
| 1013 | 宇吹メモ(1973・10・13)呉歴史教育者協議会10月例会 於:呉勤労会館。出席。 | ||
| 1974 | |||
| 宇吹メモ(1974・11・24)呉空襲を記録する会設立総会 於:呉勤労会館。<司会挨拶(大田)> | |||
| 1975 | |||
| 0121 | 『呉戦災を記録する会会報 No.1』 | ||
| 役員構成 幹事 大田英雄(呉宮原高校 高校代表) | |||
| 1980 | |||
| 1025 | 『今、平和のためにー戦災・空襲を記録する会全国連絡会議第10回記念那覇大会』p88 | ||
| 大田英雄(呉空襲を記録する会)「今こそ戦争と軍隊の本質を明らかに」 | |||
| 1984 | |||
| 0623 | 『第20回呉地区高校生平和の集い記念出版「戦跡よ語れ 呉の平和な未来を―呉戦災フィールドワークの手引き」』 | ||
| 執筆:大田英雄・牧岡宏明(呉宮原高)、本間英次(熊野高)、伊藤英敏(呉港高) | |||
| 1989 | |||
| 0613 | 『父は沖縄で死んだー沖縄海軍部隊司令官とその息子の歩いた道』(大田英雄著、高文研) | ||
| 2005 | |||
| **** | 死亡 | ||
| 2009 | |||
| 0815 | 『追憶―平和への切なる願いを込めて― 国民学校入学1期生が綴る戦中・戦後体験記』(広島県立呉三津田高校4回生同期会国民学校入学1期生が綴る戦中・戦後体験記編集委員会、広島県立呉三津田高等学校四回生、20090815) | ||
| 第2章 戦場で戦った軍人を父として 「父は沖縄で死んだ」を著した大田英雄君のこと〈岡部哲治〉…20 |
|||
| 28p:宮原高校教頭->広島市井口高校校長、広島女子商短大非常勤教師、 | |||
止
『呉空襲体験記 第1集』(広島県立呉三津田高等学校、19750123)
内容
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北川健次<作業中>
| きたがわ・けんじ | 1935****生20221209没 | 享年87歳 | 1935年生。広島大学教育学部教授、附属東雲中学校長を歴任。ユネスコ日本国内委員、元日本都市学会会長 |
資料年表:北川健次()
| 年月日 | 事項 | メモ | |
| 1935 | |||
| **** | 生 | ||
| 2007 | |||
| 12 | 『瀬戸内海事典』(北川建次) | ||
| 1922 | |||
| 1209 | 没 | ||
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『追憶―平和への切なる願いを込めて― 国民学校入学1期生が綴る戦中・戦後体験記』(広島県立呉三津田高校4回生同期会国民学校入学1期生が綴る戦中・戦後体験記編集委員会著、広島県立呉三津田高等学校四回生刊、20090815)
内容
| 部 | 章 | 節 | ||
| グラビア 原水爆反対ポスター/杉木正光…1 戦争体験児童の心象風景/渡辺裕一郎…2 はじめに ―平和への切なる願いを込めて―…5 |
||||
| 1 | 体験記 | |||
| 1 | 恩師の戦争体験記 | |||
| 父 太刀掛呂山の8月6日〈中本泰子(太刀掛車男呂山次女)〉…14 二つの白木箱〈森俊文〉…16 |
||||
| 2 | 戦場で戦った軍人を父として | |||
| 「父は沖縄で死んだ」を著した大田英雄君のこと〈岡部哲治〉…20 | ||||
| おやじは真珠湾攻撃のハワイ作戦に参加〈中村順美〉…30 | ||||
| 北支で戦死した父、そして母を想う〈藤原信子〉…33 | ||||
| 3 | 戦前、戦中の生活と国民学校 | |||
| 開戦の日12月8日〈岩佐明夫〉…36 兄は神風特攻隊長で戦死〈岡部哲治〉…37 毎月の武運長久祈願〈岡本昭男〉…41 数奇な運命に助けられ感謝の私〈尾身和江(横川)〉…42 通学路・決闘などの思い出〈加島啓作〉…47 先見の明のあった父〈小林恭子(吉本)〉…51 東郷平八郎元帥の係〈杉本止光〉…53 平和を実感した終戦の日〈高橋政雄〉…56 『花吹雪』〈田中兼豊〉…58 戦争よ奢るなかれ〈田中房子〉…59 トントントンカラリと隣組〈徳富芳明〉…62 スパルタ教育だった国民学校時代〈冨永千里〉…64 佐久間艇長の影響を受けた少年時代〈中岡輝良〉…67 戦争は酷い!〈新林育子(高田)〉…69 毎月8日は日の丸弁当〈西美也子(新谷)〉…70 ふたりの戦中戦後〈浜田清人/浜田千代子(南部)〉…72 農村地帯(昭和村苗代)から見た戦時下〈藤井彬男〉…74 「黙霖さんの家」で育った少年〈藤井亮一〉…75 昭和村・焼山での戦時体験〈藤岡令予(神田)〉…79 一家で蒙った悲劇〈堀野繁子(山田)〉…81 私の戦中戦後〈松浦ヨリコ〉…86 軍国少年の久しき昔〈宮地嘉哉〉…86 6回も転校した国民学校時代〈山本耕〉…89 |
||||
| 4 | 苦しかった学童疎開 | |||
| 1 | 集団疎開 | |||
| 米2割、麦6割、ジャガイモ2割の食事〈大野逸子(中尾)〉…92 忘れられぬ母のおにぎり〈岡田良明〉…93 忘れ得ぬ我が第二の故郷、空豆の上下町〈岡部義信〉…94 辛かった学童疎開〈木川冨男〉…95 記念植樹をしてくれた疎開地〈岸本介位〉…97 一番美味しかった青大将~疎開体験~〈久保隆司〉…100 我が家の若草物語〈仁井内文枝(中西)〉…104 欲しがりません勝つまでは〈西沖正〉…106 激動時代の思い出~娘にすすめられて~〈馬場美智子(沖野)〉…108 厳しかった引率の先生のことなど〈原山拓郎〉…111 往きは良いよい、帰りは怖い〈船尾正規〉…112終戦前後6ヵ月の想い出〈宮岡實頴〉…115 田舎の生活を堪能〈家頭満子(渡辺)〉…117 |
||||
| 2 | 縁故疎開 | |||
| よく食べた芋づるやいなご〈石橋政雄〉…119 蒲刈島での1年間〈楠守〉…120 自立の精神を育てられた縁故疎開〈國光俊治〉…122 死ぬなら親子一緒で〈河野英夫〉…124 寂しかった縁故疎開〈中村美都子(宗政)〉…126 銃後の苦労と私見〈日高敏夫〉…128 家族との別れを覚悟した疎開〈桧和田晃(小田)〉…130 サツマイモばかりの縁故疎開〈蒔田智恵子(堀越)〉…136 えんどう豆の入った真っ白いおむすび〈松本桂子(三木)〉…136 |
||||
| 5 | 過酷な戦争の被害 | |||
| 1 | 命からがら逃げた呉空襲長官山の防空壕〈秋吉雅子(谷口)〉…142 防空頭巾を離せなかった国民学校時代〈石原義行〉…143 命からがら逃げ惑う〈大之木精二〉…145 今なお戦後はない!〈小高延江(森沢)〉…147 ああ灰ヶ峰〈勝間壽〉…149 火の雨くぐり横穴へ〈上林好之〉…150 命運を分けた防空壕〈齊木美津子(福井)〉…153 焼夷弾が火の簾〈齊藤温巳〉…155 「満州行き騒動」で変わった私の運命〈島村光〉…158 わが母校―ああ岩方国民学校―〈津久江一郎〉…162 二河公園の防空壕に入っていた〈藤堂美智子(三浦)〉…165 呉の空襲そして小豆島へ〈中野坦子(港)〉…168 戦争の悲劇体験から思うこと〈日山暁子(笠井)〉…170 疎開先で知った弟の死〈矢野美重子(村上)〉…172 軍艦がかわいそう〈三浦田鶴子(松根)〉…175 |
|||
| 2 | 世界で最初の原子爆弾―地獄の惨状― | |||
| 音戸で経験した原爆と戦中戦後〈井上直子(大森)〉…176 今も胸に去来する、あの忌まわしい被爆の地獄図〈亀迫恵朗〉…178 わが子を亡くし号泣する母〈久保岡博子(堀田)〉…181 戦争はこんなにも残酷〈桑原静江(八百幸)〉…182 大正生まれの従兄姉達の過酷な運命〈末永香苗(田妻)〉…185 被爆鮮烈な記憶〈武永猛〉…186 戦争はまさに人災〈中山英子(益井)〉…188 校舎の下敷きになった私〈西圭子(中山)〉…190 8月6日原爆投下の記憶〈元川正子(森)〉…191 1日違いの命拾い〈森井百合子(中田)〉…193 今も不安に怯える被爆体験〈匿名男子〉…195 |
||||
| 3 | 戦場となった呉周辺 | |||
| 「軍艦・利根」と「ピカッ・ドン」〈加島啓作〉…196 64年前の「胸と心」〈宮地嘉哉〉…199 戦艦「大和」を見た〈和田肇〉…202 |
||||
| 4 | 戦争の後遺症―枕崎台風の爪痕― | |||
| 多くの命を奪った枕崎台風の事など〈久保隆司〉…205 姉妹3人を奪った山津波〈瀬田博文〉…209 孫を救い亡くなった祖母〈谷本知途子(勝田)〉…210 |
||||
| 6 | 外地での戦中戦後―引揚げの苦労など― | |||
| 巨済島からの引揚げ〈上田恭三〉…216 男装の麗人に変身した女家族〈大下慶子(新里)〉…218 台湾の山の中で迎えた終戦〈勝山瑳智子(村上)〉…220 赤い夕陽の満洲〈中田康生〉…222 残留孤児になりかかった自分〈浜根貞二>…234 上海での思い出など…〈彦坂千代子(藤井)〉…237 私が見た朝鮮(京城)における銃後の生活〈平岡克躬〉…240 韓国「釜山」の想い出〈宮田昭〉…242 |
||||
| 7 | 戦後の生活と学校 ―混乱、窮乏のなかで新しい動きと平和への願い― | |||
| 悲しい想い出〈阿部由来子(木村)〉…244 戦後の疎開〈飯田郁子(今井)〉…244 戦災で落着かない学校生活〈大下澄江(中村)〉…245 私達の運命と思想を左右した戦争 ―今日あるを感謝―〈小笠原臣也〉…246 敗戦直後の飢えとの戦い〈片岡止彦〉…250 昭和20年の記憶〈金高敦子(斎藤)〉…253 戦いを生きて今あり若楓〈小早川晋子(上田)〉…255 戦後の混乱した世相〈坂井清峰〉…258 国際交流のさきがけ〈篠田弘子(小林)〉…263 スポーツにあけくれた少年時代〈高橋靖幸〉…265 中通で育った私 詩2編〈原田睦子(立通)〉…268 |
||||
| 2 | 戦争体験アンケート…271 | |||
| 3 | 資料および年表…287 | |||
| 1 | 資料…288 国民学校令(昭和16年勅令第148号)…288 国民学校令施行規則…289 大本営発表(太平洋戦争開始時)…290 学童疎開…290 疎開学童に対する米配給量とカロリー…292 終戦の詔勅…292 昭和20年戦災並びに水害被害対照表…294 |
|||
| 2 | 年表(昭和6年~昭和25年)…295 | |||
| おわりに(編集後記)…299 | ||||
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全国主要都市概況図(第2次補備調査)(第一復員省資料課編 原書房刊、19830720)
内容
| 前言() | ||
| 1 概見図 5 | ||
| 2 函館市 6 3 室蘭市 8 4 釧路市 10 5 本別町 12 6 根室町 13 |
||
| 7 青森市 14 8 八戸市 16 9 秋田市 18 10 盛岡市 20 11 宮古市 21 12 花巻市 22 13 釜石市 24 14 仙台市 26 15 塩釜市 28 16 酒田市 30 17 平市 32 18 郡山市 34 19 長岡市 36 20 足利市 38 21 宇都宮市 40 22 伊勢崎市 42 23 高崎市 44 24 前橋市 46 25 日立市 48 26 水戸市 50 27 館山市 52 28 船橋市 54 29 木更津市 56 30 松戸市 58 31 千葉市 60 32 銚子市 62 33 大宮市 64 34 川口市 66 35 浦和市 68 36 川越市 70 37 熊谷市 72 |
||
| 38 東京市(1)75 39 東京市(2)77 |
||
| 40 立川市 78 41 八王子市 81 42 横浜市 83 43 川崎市(1)84 44 川崎市(2)86 45 横須賀市 88 46 平塚市 90 47 小田原市 92 48 藤沢市 94 49 甲府市 96 50 長野市 98 51 静岡市 100 52 沼津市 102 53 清水市 104 54 浜松市 106 55 岐阜市 108 56 大垣市 110 57 瀬戸市 112 58 春日井市 114 59 豊橋市 116 60 一宮市 118 61 豊川市 120 62 半田市 122 63 岡崎市 124 64 名古屋市 126 65 富山市 128 66 福井市 130 67 敦賀市 132 68 大津市 135 69 彦根市 136 70 長浜市 138 71 宇治山田市 140 72 松坂市 142 73 桑名市 144 74 津市 146 75 鈴鹿市 148 76 四日市市 150 77 奈良市 152 78 舞鶴市 154 79 京都市 156 80 大阪市 159 81 堺市 160 82 岸和田市 162 83 豊中市164 84 池田市 166 85 吹田市 168 86 布瀬市 170 87 高槻市 172 88 田辺市 174 89 海南市 176 90 和歌山市 178 91 新宮市 180 92 尼崎市 182 93 神戸市 185 94 飾磨市 186 95 相生市 188 96 明石市 190 97 芦屋市 192 98 姫路市 195 99 伊丹市 196 100 西宮市 198 |
||
| 101 米子市 200 102 境町 202 103 玉野市 204 104 岡山市 206 |
||
| 105 広島市 208 106 呉市 210 107 福山市 212 |
||
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| 108 下関市 214 109 宇部市 217 110 徳山市 218 111 岩国市 220 112 下松市 222 113 光市 224 114 小野田市 226 115 防府市 228 116 山口市 230 |
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| 117 松山市 232 118 宇和島市 234 119 今治市 236 120 新居浜市 238 121 西条市 240 122 八幡浜市 243 123 高松市 244 124 徳島市 246 125 高知市 248 |
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| 126 福岡市 250 127 門司市 252 128 小倉市 255 129 八幡市 256 130 戸畑市 258 131 若松市 260 132 久留米市 262 133 大牟田市 264 134 大分市 266 135 佐伯市 268 136 中津市 270 137 佐賀市 272 138 熊本市 274 139 荒尾市 276 140 延岡市 278 141 都城市 280 |
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| 142 長崎市 282 143 佐世保市(1)284 144 佐世保市(2)286 |
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| 145 大村市 288 146 宮崎市 290 147 鹿児島市 292 148 鹿屋市 294 149 川内市 296 150 加治木市 298 151 枕崎町 300 152 富島町 302 153 喜入村 304 154 山川村 305 155 垂水町 306 156 阿久根町 307 157 指宿町 308 158 串木野町 310 |
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| 全国主要都市戦災概況図(第2次補備調査)312 | ||
| 戦災被害状況概見(第2次調査)313 | ||
| 都道府県別罹災都市住宅建築一覧表 314 | ||
| (付録) 戦災都市の指定を受けた都市の罹災状況 315 戦災都市の指定を受けなかった都市の罹災状況 316 戦災で消失した国宝・重要文化財指定建造目録 317 |
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| 320 | (資料解説) 山崎元「戦争から平和への道標「戦災地図」について 」 |
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戦災都市の指定を受けた都市の罹災状況
| 広島 | 呉 | 福山 | |
| 罹災面(坪) | 3630000 | 1543495 | 950000 |
| 罹災人口 | 306545 | 133986 | 47326 |
| 罹災戸数 | 67860 | 23598 | 10179 |
| 死者 | 78150 | 2062 | 192 |
| 傷者 | 37425 | 904 | 393 |

止