石母田正『歴史と民族の発見 歴史学の課題と方法』(東京大学出版会、19520305)
内容
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石母田正『歴史と民族の発見 歴史学の課題と方法』(東京大学出版会、19520305)
内容
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『ヒロシマの『河』 劇作家・土屋清の青春群像劇』(土屋時子・八木良広編、藤原書店、20190806)
内容<作業中>
まえがき 土屋時子 1 | ||||
Ⅰ | 土屋清とはどのような人物か 15 | |||
土屋時子 | 土屋清・・・ 昭和の闇と光を生きた劇作家 17 | |||
無名の人生 17/ 生い立ち 18/ 予科練・十四歳の挫折 20/ 思春期・占領下の別府 23/ 地下活動家という放浪者 25/ 大分から福岡へ 25/ 福岡から熊本へ 27/ 熊本から牛深へ 28/ 九州から広島へ 30/ 「広島民衆劇場」の研究生として 31/ 「劇団」を立ち上げる 32/ 創作劇『河』の誕生 34/ 小野宮吉戯曲平和賞のこと 36/ 『河』とその後の劇団活動 37/ 劇団とは何か 38/ 限りある命の日々 42/ 見果てぬ夢なれど 44/ |
||||
土屋清 | 『河』と私(一九七二年) 49 | |||
土屋清 | 峠三吉のこと、『河』への思い 講演原稿メモから(一九七四年) 53 | |||
第一の動機 峠三吉のことなど 53/ 第二の動機 「炎の時代」の意味 58/ 叙事と叙情について 65/ 第三の動機 政治と芸術 68 |
||||
尊大なリアリズムから土深いリアリズムへ 私にとって西リ演史 (一九八四年) 土屋清 70 はじめに 70 一 戦後史認識について 71 二 政治と芸術について 83 三 叙事と叙情について 136 あとがき 138 |
||||
〈資料1〉土屋清略年譜(1880-1988) 140 | ||||
Ⅱ | 『河』とはなにか 145 | |||
八木良広 | 『河』とはなにか、その軌跡 147 | |||
一 『河』公演の変遷 147 二 『河』が断続的に上演されてきた理由 157 三 土屋清が描こうとした『河』の世界 160 |
||||
池田正彦 | 歴史の進路へ凛と響け 土屋清の青春 169 | |||
一『河』がめざしたもの 叙事と叙情 170 二 「われらの詩の会」と「日鋼争議」 173 三 平和運動の分裂と『河』 189 |
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〈資料2〉『河』上演記録 194 | ||||
土屋さんの怒鳴り声(1978年)池辺晉一郎 196 土屋清の頑固なナイーブ(1988年) 広渡常敏 198 土屋清の闇の深さについて(1988年) 広渡常敏 200 “風のように炎のように”生きた原爆詩人・峠三吉の姿を通して(2015年) 林田時夫 203 |
||||
Ⅲ | 土屋清の語り部たち 『河』を再生・生成すること 207 | |||
水島裕雅 | 土屋清の時代と『河』の変遷、そして今 209 | |||
はじめに 209 『河』が書かれた時代 210 『河』の初稿と第四稿の違い 説明から観客の参加へ 212 そして今 再び核戦争の危機に直面して 214 |
||||
笹岡敏紀 | 今、私の中に甦る『河』労働者として生きた時代と重ねて 217 | |||
はじめに 217 若き日の私と『河』 川崎の地で上演された『河』 218 時代と格闘した土屋清 そのリアリズム演劇論を読んで 219 『河』との再びの出会い2018年「京都公演」を観る 222 |
||||
三輪泰史 | 『河』京都公演に思う 半世紀の時をこえて 224 | |||
1970年前後 大阪の夜学生を魅了した舞台 224 2018年の京都公演 『河』との再会 226 京都公演の今日的意義 229 補論あるいは断り書き 231 |
||||
永田浩三 | 『河』、そのこころはどう引き継がれたのか 占領期のヒロシマを振り返って 234 |
|||
自由な表現の場の登場と新たな弾圧 234 抵抗の中で詩が生まれ、絵が生まれ、声が結集した 237 朝鮮戦争に抗い、声をあげる 239 峠たちのこころは、どう引き継がれたのか 241 |
||||
四國光 | 『河』と詩画人・四國五郎 243 | |||
『河』の中の四國五郎 243 峠三吉と四國五郎 言論統制下の反戦活動 247 四國五郎にとっての『河』 251 市民運動としての『河』 今、何を『河』から学ぶべきか 254 |
||||
大牟田聡 | 『河」、もうひとつの流れ 峠三吉とともに歩んだ人びと 256 | |||
『この世界の片隅で』 256 『河』で描かれた時代 257 もうひとつの『河』 259 再び『この世界の片隅で』 261 |
||||
趙博 | 今日も流れる「川」と『河』被爆のサブカル化に抗して 263 | |||
「広島の川」と『河』 263 脱色される「葛藤」と『河』 267 |
||||
中山涼子 | 林幸子の詩「ヒロシマの空」にこめられたもの 270 | |||
武器になる詩を探して 峠と市河 271 本当のこと 273 |
||||
Ⅳ | 『河』上演台本(2017年) 279 | |||
池田正彦 | あとがき 353 | |||
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資料年表:甲斐英男
年月日 | 事項 | 備考 |
1927 | ||
1120 | 生 | |
1980 | ||
0918 | 『広島, 全2巻〈歴史と文化〉〈史蹟郷土史〉』(講談社出版研究所著、講談社) | |
第一部 広島県の歴史 九、幕末動乱と広島県の成立 甲斐英男 131 |
||
1983 | ||
0825 | 『広島県の百年 県民百年史34』(有元正雄、天野卓郎、甲斐英男、頼祺一著 山川出版社) | |
1985 | ||
0117 | 『甲斐英男先生山陽新聞賞受賞記念 講演とディナーの夕べ』(「アンデルセン」6階ホール、1985年1月17日) | |
1986 | ||
0331 | 『広島市公文書館紀要 第9号』(広島市公文書館) | |
軍都広島の都市経営と宇品-広島市会の論議を中心に-(甲斐英男) 29 | ||
1989 | ||
0206 | 没。享年61歳 | |
0331 | 『広島市公文書館紀要 第12号』(広島市公文書館) | |
渡辺則文「甲斐英男運営委員の逝去を悼む」 123 | ||
0601 | 『追悼 甲斐英男先生』(『追悼甲斐英男先生』出版世話人<渡辺則文・天野卓郎・有元正雄>) | |
2016 | ||
03 | 『広島市 甲斐英男氏蒐集文書仮目録』(広島県立文書館) | |
甲斐英男
かい・ひでお | 19271120生19890206没 | 享年61 | 広島県史編さん室時代の上司。 |
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資料年表:岡山医科大学
年月日 | 事項 | 備考 |
1929 | ||
**** | 蜂谷道彦:1929年岡山医科大学卒。1942年広島逓信病院院長就任 | |
1931 | ||
04 | 志水清:岡山医科大学入学。1935年3月同大学卒業。 | |
<作業中> | ||
1998 | ||
0310 | 『半世紀後の反核戦争』(渡辺晋、渡辺医院) | |
2010 | ||
1220 | 『広島県現代文学事典』(岩崎文人編、勉誠出版) | |
天瀬裕康(本名:渡辺晋) | ||
2015 | ||
0804 | 山陽新聞 特集TOP|岡山の医療健康ガイド MEDICA (sanyonews.jp) | |
不屈の医療 原爆と岡山医科大出身の医師たち(上)手探りの初動 患者集中、最前線で治療 | ||
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『戦後70年を越えて 平和と軍縮に向けた論点と課題 広島平和研究所ブックレットVol.3』(広島市立大学広島平和研究所、20170201)
内容
部 | 章 | 著者 | ||
Ⅰ | 被爆70年―被爆体験の継承と2015年NPT再検討議会 | |||
1 | 美甘章子 | 被爆体験の心的トラウマ―70年間にわたる影響から見た被爆体験 | ||
2 | 黒澤満 | NPT再検討会議後の核軍縮の現状と課題 | ||
3 | 川崎哲 | 核兵器の非人道性から核兵器禁止条約へ | ||
4 | 水本和実 | 核兵器の非人道性と戦争の非人道性 | ||
Ⅱ | 戦後の論点と課題 | |||
5 | 湯浅剛 | 「国際社会」と日本のあゆみ | ||
6 | 河上暁弘 | 戦後日本における「平和」の形成と転換 | ||
7 | 竹本真希子 | 戦後70年の歩みと論点―ドイツの例から | ||
8 | 福井康人 | 戦後の軍縮と国際法―条約交渉枠組みから | ||
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『舞え!HIROSHIMAの蝶々 被爆地からのメッセージ レグルス文庫 245』(創価学会青年平和会議編、第三文明社、20030806)
内容
頁 | 著者 | タイトル | メモ |
003 | 塩田智彦 | (創価学会広島青年平和委員会事務局長)はじめに | |
007 | デイビッド・クリーガー | (核時代平和財団所長)発刊に寄せて | |
019 | ヒロシマを原点に | ||
021 | 中村寿美恵 | スペインから「ヒロシマ」への心の連帯 | |
030 | 品川正則 | “北京の蝶々”となって、万波の波音を | |
041 | 重富直美 | 広島の女性が先駆を走ってる | |
053 | 松浦節 | 民衆の側に立つことの出来る力を | |
065 | 被爆二世として | ||
067 | 田中勝 | 被爆二世アーティストの挑戦 | |
080 | 松浦光弘 | 希望をいだす思想を広げていくこと | |
092 | 吉川陽子 | 母は背中ふるわせ「ゆきちゃん、ごめんね」 | |
103 | 伊藤博 | アボリション2000を広島から全国へ | |
112 | 田川寿一 | 子どもたちに「世界市民の心」育む | |
125 | 久保泰郎 | 広島、長崎、沖縄の青年が力合わせて | |
133 | 松浦唯幸 | 戦いなさい、それがお父ちゃんの願いだ | |
143 | 記憶にないあの日 | ||
145 | コーチ・マツモト | あの日、母は私の体を覆って亡くなった | |
157 | 河口力 | 腹いっぱい食べてほしかったんよ | |
169 | 忘れられないあの日 | ||
171 | 友田典弘 | 原爆孤児、韓国への数奇な人生 | |
183 | 吉崎孝子 | 爆心から500メートル…語り続けていきたい | |
205 | 郭福順 | 平和運動って、私は”優しさの表現〃と | |
214 | 竹岡智佐子 | 右の目がない、白いとこも黒いとこもない | |
226 | 桜井康民 | ウジはひや一つと頭の奥に入って | |
242 | 宅和和枝 | 〃ああ、おいしい”妹のあの声が忘れられん | |
253 | 松田文姑 | 夢を持って努力することが大事よね… | |
264 | 注 | ||
268 | 松室一雄 | 巻末写真資料「原爆の絵」 | |
275 | 小西啓文 | 編集後記 | |
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資料年表:河音能平(かわね・よしやす)
年月日 | |||
1933 | |||
0325 | 神戸市に生まれる。 | ||
1964 | |||
12 | 京都大学文学部助手 | ||
2003 | |||
1122 | 死去。享年70歳。 | ||
2004 | |||
06 | 『延暦寺と中世社会』(河音能平・福田榮次郎編、法藏館) | ||
1011 | 『能平のアゴラ―河音能平追悼文集』(河音能平追悼文集刊行委員会) | ||
2010 | |||
0901 | 『河音能平著作集 1 中世の領主制と封建制』(文理閣) | ||
1001 | 『河音能平著作集 2 天神信仰と中世初期の文化・思想』(文理閣) | ||
1101 | 『河音能平著作集 3 封建制理論の諸問題』(文理閣) | ||
2011 | |||
0201 | 『河音能平著作集 4 中世畿内の村落と都市』(文理閣) | ||
0401 | 『河音能平著作集 5 中世文書論と史料論』(文理閣) | ||
大山喬平「特論 河音能平の時代とその歴史学」 | |||
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日本史研究室の歩み<抄>
小葉田淳(1905~2001):国史学第1講座
赤松俊秀(1907~78):国史学第2講座
小葉田が昭和44(1969)年、赤松が昭和46(1971)年に退官を迎えるまで、2人は事実に基づいた堅実な学風を自ら堅持しつつ、自由奔放な戦後の若者の学問的成長を温かく見守り、多くの個性的な研究者を育て上げた。
岸俊男(1920~87):国史学第1講座
岸が教授に昇任した前後は、学生運動の昂揚期に当たっており、荒れる学生を前にして、岸は国史学の主任教授として常にこれに誠実に対処しながら、学問のあるべき形を身をもって示した。
朝尾直弘(1931~)
昭和43(1968)年に助教授になった朝尾直弘(1931~)は、第1講座の岸を助け、実質上は小葉田退官の後を受けて、近世史を講じた。当初は幕末期を研究した朝尾はやがて近世初期に研究の力点を移し、『寛永時代の基礎的研究』(1964年)で学位を得た。昭和55(1980)年に第2講座の教授に昇任した朝尾のもとで、「大学紛争」によって中絶したままになっていた読史会の大会が昭和60(1985)年秋に再開された。また長年の懸案であった文学部附属博物館の改築がなり、蒐集の古文書・古記録類は設備の整った新館の収蔵庫に収納された。朝尾は学生部長、附属図書館長などを歴任する一方、織豊政権、鎖国、身分制、都市論など近世社会に関する理論的、実証的な研究によって長く学界の指導的立場を保ち続けた。
資料年表:朝尾直弘<作業中>
年月日 | 事項 | メモ |
1931 | ||
1217 | 誕生。 | |
1962 | ||
02 | 『大阪労音10年史―勤労者芸術運動の一つの歩み』(朝尾直弘編著、大阪勤労者音楽協議会) | |
1979 | ||
1002 | 受入承諾のハガキ(藤原⇒宇吹) | |
1995 | ||
0425 | 『朝尾直弘教授年譜・著作目録』(朝尾直弘教授退官記念事業会) | |
0429 | 『日本国家の史的特質 近世・近代』(朝尾直弘教授退官記念会編、思文閣出版) | |
吉田守男「長崎原爆の照準点」 | ||
0429 | 『日本国家の史的構造 近世・近代』(朝尾直弘教授退官記念会編、思文閣出版) | |
宇吹暁「日本原水爆被害者団体協議会の結成」 | ||
2022 | ||
0707 | 没。享年90歳。 | |
能平のAgora一河音能平追悼文集(刊行委員会<河音久子気付>20041011)
内容<作業中>
頁 | |||
大山喬平 | 刊行の辞 | ||
003 | 弔辞 | ||
019 | 河音能平の遺稿 | ||
085 | 河音能平の歴史学 | ||
125 | さまざまな出会い | ||
127 | 甲南のころ | ||
151 | 「Agora」のころ | ||
164 | 陳列館の前後 | ||
208 | 大阪市大のころ | ||
252 | 関西大学大学院 | ||
257 | 学問の先輩・友人・後輩 | ||
293 | 国際交流・資料の国際比較 | ||
333 | 家族 | ||
351 | 略歴・著作目録 | ||
371 | お礼にかえて | ||
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