幻の平和祭(第4回、1950年)
1949年(昭和24年)、原爆をめぐる国際情勢は大きく変化した。4月、トルーマン大統領は、ワシントンで開かれた民主党全国委員会主催の会合で、「世界の福祉と民主主義諸国民の福祉が危険にひんする場合には、私は再び原子兵器の使用を決定することをためらわないであろう」と言明した。社会主義の陣営では、9月にソ連が原爆保有を発表して欧米諸国に大きな衝撃を与えた。
こうした中で、広島への関心が、さまざまな形で現れるようになった。世界平和デー運動(=ノーモア・ヒロシマズ運動)のほかにも、世界連邦運動、ユネスコ運動、MRA(道徳復興)運動など国際的に展開されていた平和運動も、広島との交流を求めてきた。広島市長にトルーマン大統領あての平和請願署名運動を勧めたカズンズやハーシーは、世界連邦主義者同盟の有力メンバーであった。49年9月、スイスのコー市で開催されたMRA世界大会では、浜井広島市長、仁都栗市議会議長、楠瀬広島県知事のメッセージ(山田節男参議院議員が持参)に応えて、大会開催中の9月13日に「ヒロシマ・デー」が設定された。49年11月18日に広島ユネスコ協力会が発足し、50年8月6日に第5回ユネスコ全国大会を広島で開催することとなった(「中国新聞」1950年3月9日)。
1949年4月、パリとプラハで平和擁護世界大会(第1回)が開催された。これを契機に世界的に展開されるようになった平和擁護運動の中でも、広島への関心が高まった。原子兵器禁止を呼びかけたストックホルム・アピール(50年3月19日に平和擁護世界大会常任委員会第3回総会が採択)支持署名運動は、被爆体験を全面に掲げて展開された。4月下旬、東京で開催された青年祖国戦線結成大会に参加した広島・長崎の代表は、世界民青連に対し連名で、「原爆の廃墟の中から全世界の青年諸君に訴たう」と題する呼びかけを送付した。これは、世界民青連からの「原爆最初の犠牲者である広島の青年諸君から全世界の平和愛好者に原爆・水爆中止のための署名運動をよびかけるよう努力していただきたい」との要請に応えたものであった。広島・長崎の青年の呼びかけは、5月12日と13日の両日、モスクワ放送で放送された。5月中ごろに広島市内中心部に設けられた署名場には、「原爆の日の惨状」を写した数枚の写真が展示された。さらに、6月9日には、共産党中国地方委員会が、その機関紙『平和戦線』に広島の被爆直後の写真6葉を掲載し、ストックホルム・アピールへの支持を訴えている。また、丸木位里と赤松俊子の「原爆の図」展が、この署名運動と結合して全国各地で開催された。
広島市は、1950年6月初め、第4回平和祭の計画案を作成した。前年、自らの平和への意欲を広島平和記念都市建設法という国民的意志に結実させた広島市にとって、6月25日の朝鮮戦争の勃発による国際情勢の暗転は、平和運動の重要性をますます強く確信させるものであった。浜井広島市長は、6月13日、スイスのコー市で開催されるMRA世界大会出席と欧米視察を目的とする2か月余の外遊のため楠瀬広島県知事らと羽田を出発したが、市長不在中平和祭準備を指揮していた奥田助役は、「全世界の平和愛好者と手を取り合って、平和祭を守ることは、これ迄に達成された諸種の平和運動に更に拍車をかけ、ひいては目下世界各所で脅威を承けつつある平和を護持し、強化するに貢献するもの」と述べ、「この好機」にメッセージをよせることを連合軍総司令官と英連邦軍司令官に要請した(奥田達郎「平和式典にメッセージ懇請について」1950年7月17日)。また、7月下旬には、国内の各界約1,300か所と海外179都市長あてにポスター(原画:小磯良平)、パンフレット、メッセージなどを発送した(奥田達郎 「第五回平和祭式典発送伺」1950年7月25日)。また、「NO MORE HIROSHIMAS」を題字に掲げた8月1日付の「市政広報」創刊号に、つぎのような記事を掲載し、市民に平和祭への参加を呼びかけた。
近づく平和祭 行事決る 9時15分 祈りに
めぐり来る5度目の8月6日の平和祭を間近にひかへて広島平和協会では、この日を敬虔な反省と祈りの一日にしようと、華美に流れることをさけ極めて質素に執り行ふこととし、次の通り行事を決定、準備を進めている。なお、9時15分[夏時間で実際は、8時15分]を期し、一斉にサイレンを吹 鳴、祈りを捧げるよう呼びかけている。
△6日午前8時15分市民広場で平和式典を挙行、その内容は平和宣言に引きつづき放鳩、長崎市長からの広島の日に寄せる言葉、進駐軍のメッセージなどがあり、平和記念として楠を植える。
△当日の午後5時からと翌日の午後1時と午後5時から広島児童文化会館で平和記念音楽会(日本シンホネットオーケストラ)を開催
△8日午前10時および午後1時から児童文化会館で広島児童劇団の出演による平和子供会を催す。
△これらの行事のほか6日を中心として記念スタンプの発行や平和祭記録映画の作成及び
△長崎市との交歓会を開催する
しかし、8月2日午後4時から開かれた広島平和協会常任委員会は、突然4日後に迫っていた平和祭の中止を決定した。これは、「[中国地方]民事部ならびに国警本部県管区本部長、市警本部長との交渉」(同委員会の記録)の結果なされた決定であった。広島市民には、同日、平和祭中止を知らせるととともに、6日を「反省と祈りの日」として過ごすよう求めた奥田平和協会長代理の談話が発表された。また、前日の5日早朝には、広島市警察本部が、広島市平和擁護委員会や広島青年祖国戦線準備会が開催を予定していた平和集会を「反占領軍的」、「反日本的」集会と断じ、市民が参加することの無いよう求めたビラを市内に配布した。8月6日の行事は、市民広場で開催予定の平和式典のみならずその協賛行事も中止となった。ただ、午前8時15分には、平和塔の鐘が鳴らされ、それを合図に市内にサイレンが響き、市民が一斉に黙とうを行なった。また、慈仙寺鼻広場の供養塔前では、広島戦災死没者供養会主催の慰霊祭が例年のごとく執行された。
『回顧五年-原爆ヒロシマの記録』(瀬戸内海文庫、19500505)概要
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序 |
瀬戸内海文庫編集部 |
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口絵写真 |
1945年8月6日午前8時15分
世界史に大きく記録される一瞬、それは広島市の上空に原子爆弾の第一弾が投下された時間であり、この一発こそ第二次世界大戦の終止符となり、世界平和への大きな原動力となった |
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1 |
一発の爆弾で見渡す限り死の原子沙漠と化した広島市 |
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2-1 |
爆発直後に撮影されたキノコ形の原子雲 |
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2-2 |
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3-1 |
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3-2 |
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4-1 |
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4-2 |
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5-1 |
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5-2 |
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5-3 |
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6 |
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7 |
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8 |
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9 |
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10 |
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11 |
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12-1 |
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12-2 |
原爆の直下ともいえる相生橋の被害はひどかったが現在では全くそのかげをとどけぬまでに復旧工事がほどこされた |
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目次 |
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報道篇 |
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爆弾篇 |
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体験篇 |
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宣言 |
日本ペンクラブ「広島の会」(中国19500416) |
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あとがき |
編者 |
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奥付 |
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編集者 |
「回顧五年-原爆ヒロシマの記録」 |
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広島市外祇園町 電話;祇園66番 |
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発行者 |
田中嗣三 |
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印刷所 |
増田兄弟活版所 |
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広島市空鞘町 電話;西(3)2567 |
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発行所 |
瀬戸内海文庫 |
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広島市研屋町12番地 電話;中(2)4495 |
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原爆被災者数(1950年)と被爆者数の推移<都道府県別>
*1950年国勢調査の付帯調査としてABCCが実施した原爆被災生存者調査の結果判明した数。**各年度末の被爆者健康手帳所持者数
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1950広島* |
1950長崎* |
1950両市計* |
1975年度** |
1995年度** |
2017年度** |
北海道 |
581 |
105 |
686 |
592 |
638 |
292 |
青森県 |
103 |
15 |
118 |
85 |
113 |
50 |
岩手県 |
145 |
24 |
169 |
110 |
116 |
27 |
宮城県 |
256 |
27 |
283 |
234 |
273 |
130 |
秋田県 |
131 |
18 |
149 |
48 |
74 |
19 |
山形県 |
163 |
12 |
175 |
104 |
101 |
18 |
福島県 |
264 |
25 |
289 |
147 |
161 |
62 |
茨城県 |
360 |
29 |
389 |
369 |
600 |
344 |
栃木県 |
247 |
31 |
278 |
273 |
351 |
176 |
群馬県 |
242 |
17 |
259 |
215 |
268 |
118 |
埼玉県 |
372 |
54 |
426 |
1499 |
2607 |
1728 |
千葉県 |
611 |
67 |
678 |
2174 |
3722 |
2213 |
東京都 |
2936 |
766 |
3702 |
9158 |
9791 |
5203 |
神奈川県 |
925 |
215 |
1140 |
4459 |
6166 |
3886 |
新潟県 |
262 |
29 |
291 |
193 |
225 |
92 |
富山県 |
97 |
26 |
123 |
132 |
137 |
52 |
石川県 |
170 |
32 |
202 |
186 |
189 |
82 |
福井県 |
190 |
31 |
221 |
178 |
165 |
57 |
山梨県 |
152 |
11 |
163 |
107 |
130 |
72 |
長野県 |
264 |
30 |
294 |
196 |
227 |
106 |
岐阜県 |
331 |
39 |
370 |
543 |
722 |
338 |
静岡県 |
438 |
65 |
503 |
786 |
1062 |
534 |
愛知県 |
940 |
120 |
1060 |
2862 |
3610 |
1957 |
三重県 |
431 |
40 |
471 |
619 |
796 |
336 |
滋賀県 |
360 |
72 |
432 |
317 |
536 |
311 |
京都府 |
821 |
143 |
964 |
1422 |
1707 |
927 |
大阪府 |
2362 |
634 |
2996 |
9184 |
10795 |
5083 |
兵庫県 |
2025 |
475 |
2500 |
5045 |
6033 |
3204 |
奈良県 |
240 |
60 |
300 |
542 |
985 |
553 |
和歌山県 |
386 |
53 |
439 |
467 |
509 |
207 |
鳥取県 |
586 |
19 |
605 |
622 |
779 |
255 |
島根県 |
1667 |
67 |
1734 |
2119 |
2626 |
918 |
岡山県 |
1840 |
88 |
1928 |
3289 |
3385 |
1417 |
広島県 |
125167 |
318 |
125485 |
179761 |
147695 |
19836 |
山口県 |
4245 |
331 |
4576 |
7008 |
6387 |
2602 |
徳島県 |
377 |
123 |
500 |
426 |
520 |
139 |
香川県 |
702 |
113 |
815 |
812 |
796 |
298 |
愛媛県 |
1410 |
209 |
1619 |
1842 |
1664 |
666 |
高知県 |
442 |
127 |
569 |
333 |
395 |
141 |
福岡県 |
1854 |
2530 |
4384 |
8597 |
10527 |
5892 |
佐賀県 |
304 |
1685 |
1989 |
2157 |
2190 |
943 |
長崎県 |
1031 |
111287 |
112318 |
109650 |
86913 |
11385 |
熊本県 |
498 |
1843 |
2341 |
2286 |
2372 |
999 |
大分県 |
667 |
870 |
1537 |
1028 |
1236 |
547 |
宮崎県 |
427 |
692 |
1119 |
732 |
1024 |
398 |
鹿児島県 |
575 |
1334 |
1909 |
1013 |
1749 |
652 |
沖縄県 |
0 |
0 |
0 |
340 |
353 |
146 |
広島市 |
0 |
0 |
0 |
114542 |
96929 |
50384 |
長崎市 |
0 |
0 |
0 |
82705 |
59850 |
29064 |
全国 |
158597 |
124901 |
283498 |
364261 |
323420 |
154859 |
|
1950広島* |
1950長崎* |
1950両市計* |
1975年度** |
1995年度** |
2017年度** |
編年資料:ヒロシマ-1950年
月日 |
資料名 |
0116 |
中国連絡調整事務局執務半月報第4巻第1号 |
0201 |
中国連絡調整事務局執務半月報第4巻第2号 |
0211 |
広島市調査課「広島原爆体験者についての産業奨励館保存の是非と平和祭への批判と希望に関する世論調査」
1949年10月実施(「中国新聞」1950年2月11日) |
0319 |
ストックホルム・アピール |
0322 |
ストックホルム・アピールについて報じた「アカハタ」 |
0609 |
「平和戦線」の報じた原爆展 |
0703 |
広島市平和擁護委員会の訴え |
0806 |
広島市民生局社会教育課編『原爆体験記』(広島市民生局社会教育課編、広島平和協会) |
0809 |
『平和の斗士』8号(1950年8月9日)にみる1950年8月6日 |
0901 |
谷本清のヒロシマ・ピース・センター構想[抄][『財団法人 ヒロシマ・ピース・センター』] |
10 |
原爆之図三部作展覧会 1950年10月5日-8日 於広島市・爆心地元五流荘・文化会館 |
1129 |
広島県議会意見書「元県立産業奨励館跡を史蹟指定方について」 |
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ABCC調査調査要領 |
ABCC調査調査要領
1.調査の時期
昭和二十五年国勢調査と同時に実施する。
2.調査対象
原子爆弾投下時、長崎市又は広島市内に現在していた者すべてを調査する。(当時長崎市又は広島市の常住者であった者でも、原爆投下時長崎市又は広島市にいなかった者は除外する。)
3.調査方法
1. 調査票
ABCC調査調査票を用い、「2」に該当する者のみついて記入する、
2. 質問記入方法
各世帯について国勢調査調査票記入後、「原子爆弾投下時長崎市内又は広島市内にいた人がありますか」と質問し、もし該当者があったときは、国勢調査調査票右側の行番号欄の該当者の番号に∨印をつけ、その者についてABCC調査調査票に記入する。但し、該当者のないときはABCC調査調査票第一行に「該当者なし」と記入する。
3. 調査員及び調査区
調査員及び調査区はそれぞれ国勢調査員又は国勢調査区による。
4.調査票の提出
調査票は国勢調査員より国勢調査指導員、市区町村長、都道府県知事を経由して総理府統計局長に送付する。
提出期限は国勢調査調査票の提出期限と同様とする。
ABCC調査調査票[の記入項目]
世帯番号
氏名(ふりがな)
出生の年月日
男女の別
広島市か長崎市かの別
常住地
時:1950年2月11日~3月12日
場所:広島市中央公民館

「原爆と平和」展内容案内 |
第1部 原子力
世界平和は広島から(電動装置)
原子力の象徴
元素発見の科学者
原子と湯川博士
元素表
原子図解
原子の生産
三大国と原子力
世界のウラニューム鉱山
アメリカ原子力工場の分布
原子エネルギー製産地
原子の威カースツテイン博士
原子爆弾の威力
原子の発熱量(ウラニューム)
第2部 原爆と広島
被爆直後の広島(モデオラマ)
被爆前の広島
被爆後の広島大観
被爆状況の詳細
長崎と原爆
第3部 戦争の回顧
真珠湾攻撃
原子爆弾と竹槍(東京空襲)
日本海軍の終焉 |
終戦の大詔
ミズリー艦上の降伏調印式
日本新憲法
戦費と人的損害
戦争と結果
日本の生きる道
第4部 原子力と平和
原子力と工業
原子力と交通
原子力の応用
原子力と医学
放射線と保護
原子ニュース(特設自動回転)
第5部 平和と産業
世界現勢要図
世界貿易産業図解
日本産業貿易大観
第6部 世界平和と広島
広島平和宣言
広島ピースセンターの構想
招来の大広島(パノラマ)
世界国家への構想
文化国家日本の将来
広島平和協会 |
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。