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ドキュメント:1955年8月6日

ドキュメント:1955年8月6日<作業中

できごと 備考
神戸市在住の被爆者(52才)、自殺。原爆で父を失った少年(19才)も、自殺。長田新、原因として政治の貧困と市民による救援活動の欠落を指摘。
広島市社会課、供養塔に眠る無縁仏のうち2200柱の名簿を同塔前で公開。50名が遺骨と対面。
久保山すず、吉川清を見舞う。
広島市、原爆孤児ら約2000人を招いて、戦災児童と戦災母子世帯慰安の夕を開催。
アームストロング米国平和協会幹事(世界大会米国代表)、原爆患者治療費100万ドル募金運動を計画。
元米国下院議員、来広し、米で原爆被災者救援のため百万ドル募金を起こす考えを表明。
広島市原対協、平和公園で、被爆者に無料の治療を呼びかけ。(毎日新聞)
広島市、原爆死没者慰霊祭・平和記念式典を開催(約3万人参列)。原爆10周年を記念して、被爆当時、防火・避難復旧作業などに活躍した人々を表彰。
ひろしま川まつり委員会、午後8時から本川など7つの川でとうろう流し。
アームストロング前米下院議員から広島市民への平和のチャイム贈呈式、平和式典終了後、慰霊碑前で開催。
移動劇団「さくら隊」原爆殉難碑、広島市(中町・平和大通公園)に建立され除幕式。
元広島師団司令部関係原爆死亡者の慰霊祭・供養塔除幕式、広島市基町で(100人余参列)。(毎日新聞)
原爆死没者供養祭(戦災供養会主催)、広島市広島平和記念公園の新原爆供養塔で開催。約2000名が参加。
広島県庄原市の「原爆犠牲者軍人慰霊碑」前で追善法要。(毎日新聞)
電電公社職員の原爆職員慰霊碑除幕式、広島市基町で(約350人参列)。(毎日新聞)
日蓮宗、広島市の原爆慰霊碑前で世界立正平和運動平和大会を開催。信者約1000名が参加。増田日達管長、小型機で空から原爆犠牲者の冥福を祈る。
西本願寺広島別院、24隻の船を連ねて水上法要。
柴田重暉広島市議会議長(被爆当時、市助役)、体験記「原爆の実相」を出版。
広島高等学校第19回文科同窓会、原爆死した江村美智也遺稿抄「ふるさと」出版記念会を開催。
広島物療専門学校、市内医師会館で放射能とその影響についての講演会を開催。講師:佐久間広島大学教授、重藤広島赤十字病院長。
米ABC放送、「広島の声」を放送。
原爆被災者大竹同志会結成式、大竹市で開催(約600人参加)。大竹市からは被爆当時、義勇隊が出動、うち約400人が被爆死。
京都府在住の被爆者3名(藤田登良雄・高木幸太郎(公三)・福井満夫)、第1回原水爆禁止福知山大会で出会い、被災者の回結成発起人となる。(「京友会のあゆみ」910333)
甲奴・神石連合原爆被害者の会(会長井手口茂美)会員(135名)、労組・青年会などによる無料バスで、原水爆禁止大会に出席(毎日新聞備後版)。
高橋昭博(広島)、原水爆禁止世界大会本会議に被爆者代表として参加。
山口みさ子(長崎原爆乙女の会会長)、原水爆禁止世界大会本会議に被爆者代表として参加。
久保山すず、原水爆禁止世界大会本会議に水爆実験被害者代表として参加。
吉川清、広島県教組主催「原爆被害者を囲む懇談会」(天満小学校)に参加。
峠和子、広島県教組主催「原爆被害者を囲む懇談会」(天満小学校)に参加。
滝谷、広島県教組主催「原爆被害者を囲む懇談会」(天満小学校)に参加。
寺岡、広島県教組主催「原爆被害者を囲む懇談会」(天満小学校)に参加。
ビルマのラングーンで広島10周年集会。
原水爆禁止世界大会、広島市で開催(8日まで、正式参加約5000人、傍聴者を含めると2万人余)。2日目の分散会場で、原爆障害者による体験報告。3日目、本会議場で原爆被害者救援カンパを実施、被害者救済を盛り込んだ大会宣言を採択。
原水爆禁止世界大会準備会、広島市の平和広場で「歓迎と祈りの国民大会」を開催。約3万人が参加。
広島市公会堂で平和合唱交歓会。
広島市内泉邸ホテルで8・6大会参加の文学者を囲む座談会。中野好夫・中野重治・山代巴・永瀬清子ら90余名が参加。
世界連邦建設琉球同盟、原水爆禁止を要求する平和大会を開催。
法務省、共済圏からの世界大会大会代表のうち北朝鮮系を除き、入国を許可。
北海道美唄市で平和市民大会。1000名が参加。「8月6日を原水爆抗議の日として年中行事とする」ことなどを決める。
会場内に入れなかった世界大会代表約500名、広島市本川小学校で開催された原爆被害者50名との懇談会に出席。
世界連邦母の会広島支部、結成式を広島女学院中学校講堂で開催。柳原白蓮同本部理事らが参列。
原水爆禁止世界大会「学生の集い」、修道高校で被爆者との懇談会を開催。全国70の大学・高校から約500人が参加。
伊藤豊(被爆当時広島銀行副頭取)など9人、「原爆想い出の会」を東京で開催。
長崎市教組・県高教組、平和教育研究集会を国際文化会館で開催(~9日)。九州各県から約700人が参加。清水幾太郎が講演。(長崎日々)
広島平和記念資料館、完工し、原爆資料展示会を開催。

 

 

 

広島県原水協年表(1955年)

広島県原水協年表(1955年)

月日 事項 備考
1.10 世界平和集会広島世話人会, 「八時十五分―原爆広島十年の記録」を発行. 1.13 原水爆禁止署名運動全国協議会, 8月 6日に広島で世界大会開催を内定.
1.16 原水爆禁止署名運動全国協議会第 1回全国会議(東京).
1.20 世界民青連代表来広. 歓迎会を広島市児童文化会館で開催. 1000人参加.
1.21 世界民青連代表を囲む原爆被害者懇談会を広島市内教育会館で開く.
― 世界民青連代表歓迎の「中四国のうたごえ」開催.
1.27 アメリカ民主党シドニー・イエーツ下院議員, 広島市に原子力発電所を建設する決議案を提出.
1.29 原水爆禁止運動広島協議会, アメリカ下院議員の原発建設案に反対声明.
2.28 広島・長崎の被爆者 2名, 原爆の惨禍を訴えるため訪英.
4.25 広島の被爆者 3名, 東京地裁に国を被告とする損害賠償請求訴訟を提訴.
5.14 広高教組, ウィーンアピール署名運動推進を決定.
5.16 長田新, モスクワのソ連邦平和大会に出席し, 原爆の子友の会のメッセージを伝え「原爆と平和」と題し講演.
5.21 原水爆禁止世界大会広島準備会結成総会.
5.30 国際医師連盟の放射線影響国際学術懇談会( 6月11日まで東京・大阪・京都・広島・長崎)
6. 1 府中市青年連盟, ウィーンアピール支持署名運動に着手.
6. 4 原水爆禁止世界大会へむけて広島準備会の募金運動始まる.
6. 7 日本母親大会(東京).
7. 1 広島県議会, 原水爆禁止世界大会支持を決議.
7. 9 ラッセル・アインシュタイン宣言発表.
7.18 世界青年婦人学生平和友好祭広島派遣代表2名が上京.
7.28 広島市議会, 原水爆禁止世界大会支持を決議.
8. 5 平和美術展(第1回),広島市平和記念館で開催.
8. 6 原水爆禁止世界大会(第1回)本会議開催.
― 平和公園で歓迎と祈りの国民大会.
8. 7 原水爆禁止世界大会分散会.
8. 8 原水爆禁止世界大会本会議閉会.
8.13 原水爆禁止関西大会(大阪), 原水爆禁止福岡大会開催.
8.14 政府の妨害で入国が遅れた原水爆禁止世界大会のソ連代表来広.
8.15 原水爆禁止東京大会.
8.19 世界大会の中国・東ドイツ代表来広.
8.24 広島平和記念資料館(原爆資料館)開館.
9.19 原水爆禁止日本協議会発足.
10. 3 中国からの原爆被害者慰問金贈呈式(広島教育会館で).
10. 9 広島子どもを守る会青年部(あゆみグループ)発足.
10.24 全日自労分会, 原爆被爆者の実態調査実施.
10.25 佐々木禎子(広島市幟町中学 1年), 亜急性リンパ性白血病で死亡.
11.11 世界平和アピール七人委員会発足.
11.12 全国社会福祉協議会総会, 原爆被害者救援を決議.
11.23 ソ連, 新型水爆完成.
11.26 原水爆禁止広島県民協議会開催. 原水爆禁止広島協議会発足.
12. 7 広島市議会, 原水爆禁止広島市協議会結成を決議.
12. 9 原水爆禁止広島協議会, 米英ソ仏四カ国と国連に水爆実験停止要望書を送る12.15 郭沫若ら中国学術視察団来広.

 

 

年表:原爆展(1954~55年)

年表:原爆展(1954~55年)

記事
54 01 09? 山口県防府地区労、丸木・赤松の原爆図展を開催(54.1.21中国新聞)。
54 04 08 福井芳郎「広島原爆画展」、中国新聞社ホールで開幕。
54 04 13 世界平和者会議広島大会参加の海外代表、中国新聞社2階ホールで開催中の福井芳郎原爆画展を参観。
54 08 06 市立長崎博物館で原爆記念文筆展開幕(~10日)。(長崎日々)
54 08 12 東京新宿・伊勢丹で「原子力展覧会」開幕(-12日)。広島・長崎の原爆被災写真・資料も展示。
54 09 24 広島・長崎両市の関係者、広島市役所で原爆資料展開催について協議。11月に日赤本社講堂を借り受け開催することを決定。
54 10 02 広島市、宇野長崎市社会課長を迎えて、原爆資料展について協議。ABCC、逓信・日赤・県立の各病院に資料の貸出を要請することなどを決定。
54 10 09 浜井広島市長、ロバート・ホームズABCC所長から原爆展のための資料提供要請に快諾の返答を受ける。
54 10 13 広島市原対協治療部会、原爆障害者の治療促進・原爆資料展への資料提供を決定。
54 10 14 広島市、来広した佐藤日赤本社報道室長・岸田日本民主文化協会理事長をまじえて、原爆展について協議。
54 11 01 長崎市議会全員協議会、東京で開催予定の原爆資料公開展の長崎市負担額119万3000円を承認。(長崎日々)
54 11 05 広島市、原爆展の概要をまとめる。
54 11 17 ロバート・ホームズABCC所長、初公開の原爆資料(男児の出生率が減少する)などを原爆展のため広島市に寄贈。
54 11 25 広島・長崎原爆資料公開展(日赤本社・広島市・長崎市共催)、東京日赤本社で開催(12月3日まで)。被災資料・写真など408点展示。ABCCの調査資料も展示。
54 11 26 日赤、原爆資料展の開催に合わせ、在京被爆者の健康相談所開設。
55 03 08 丸木・赤松「原爆の図」展、英国コヴェントリで開幕(3.13朝日新聞)
55 07 10 丸木・赤松「原爆の図」展、ロンドン市美術館で開幕。(1955.8.1)
55 08 06 広島平和記念資料館[広島原爆資料館]、完工し、原爆資料展示会を開催。
55 08 17 広島県・山県郡加計町青年団、中央青年会館で原爆資料展を、また常禅寺で庄野直允の講演会を開催。

 

原爆と平和(ユネスコ特定実験報告書)

ユネスコ特定実験報告書(昭和30年1月30日)
実験題目『原爆と平和』
広島大学教育学部 付属東千田中学校

序説
1 学校の環境条件および生徒の特性、教育方針などについての概略
国際理解のための全般的な指導計画および指導状況の概略
国際理解テスト等実施の結果と指導上問題とすべき諸点の指摘
特定実験テーマ設定の理由
実験のための組織
運営委員会
森戸辰男(顧問:広島大学長)
皇至道(顧問:広島大学長教育学部長)
森岡文策(委員長:広島大学長教育学教授兼附属東千田高・中学校長)
(委員:)<22人氏名等未入力>
実験学級の生徒についての一般的諸テストとその結果
短期実験経過の大要
集団討議・感想文・面接等の結果の処理及びその解釈
2年生の場合
A 感想文
生徒の作品の一例
B 集団討議及び面接の結果
1年生の場合
実験教育指導に関する評価
総括的結論
資料:戦争並びに原爆に関する調査用問題

原水爆禁止日本協議会

原水爆禁止日本協議会 設立:1955年9月19日

資料

日本原水協通信
19580201 No.5()~ 宇吹蔵=目次のコピー
19581005 No.15() 宇吹蔵=目次のコピー
原水協通信
19590605 No.2
19590715 No.6()通巻83
19590905 No.7()通巻84
19590995 No.8()通巻85
19590995 No.9()通巻86
19591005 No.10()通巻87
19591015 No.11()通巻88
19610825 No.19()通巻141
19610825 No.15()通巻164
19620715 No.16()通巻165
19630315 No.5()通巻177
19630515 No.9()通巻181
19630815 No.15()通巻187
19630901 No.16()通巻188
19640115 No.2()通巻197
19680701 No.11()通巻197
19751101 別冊 特集:第21回原水爆禁止世界大会国際予備会議・特別報告

編年資料:ヒロシマ-1955年

編年資料:ヒロシマ-1955年

月日 資料名
0130 広島大学教育学部付属東千田中学校 ユネスコ特定実験『原爆と平和』 1955年1月30日
0222 アジア諸国会議日本代表候補者一覧表[抄](1955.2.22)
03 森滝市郎メモ(1955.3)
厚生省・原爆症調査研究協議会(「国立予防衛生研究所年報 昭和29年度」より)
03 『広島市戦災処理の概要』[抄](元船舶司令官佐伯文郎)
0605 原水爆禁止世界大会日本準備会「8・6世界大会準備ニュース」(1955年6月5日)
0521 原水爆禁止世界大会広島準備会加盟団体および加盟者組織(1955年5月21日現在)
0615 原水爆禁止世界大会広島ニュース第1号(1955年6月15日)
06 原水爆禁止世界大会募金要領 1955.6
06 原水爆禁止世界大会広島準備会の構成 1955.6
0701 広島県議会決議「原水禁世界大会支持決議」 1955年7月1日
0806 広島市平和宣言
0806 原水爆禁止世界大会(第1回)本会議 1955年8月6日 広島公会堂
0807 原水爆禁止世界大会(第1回)第1分散会 1955年8月7日 広島公会堂
0807 原水爆禁止世界大会(第1回)第2分散会 1955年8月7日 平和記念館ホール
0807 原水爆禁止世界大会(第1回)第3分散会 1955年8月7日 本川小学校講堂
0807 原水爆禁止世界大会(第1回)第4分散会 1955年8月7日 農業協同ビル
0807 原水爆禁止世界大会(第1回)第5分散会 1955年8月7日 藤田ビル
0807 原水爆禁止世界大会(第1回)第6分散会 1955年8月7日 広大付属小学校講堂
08 広島市民生委員連盟代表意見発表原稿(1) 1955.8
08 広島市民生委員連盟代表意見発表原稿(2) 1955.8
0808 原水爆禁止世界大会(第1回)本会議 1955年8月8日
0809 長崎市平和宣言
0810 原水爆禁止世界大会(第1回)長崎大会 1955年8月10日
0815 原水爆禁止世界大会(第1回)東京大会 1955年8月15日
0815 原水爆禁止東京大会 1955年8月15日
0831 原水爆禁止世界大会広島準備会の募金進捗状況[抄]
0902 原水爆禁止世界大会広島準備会常任委員会議事録[抄] 1955年9月2日
0906 原水爆禁止世界大会日本準備会の原水爆被害者救援のための特別委員会 1955年9月6日
0919 原水爆禁止世界大会日本準備会総会記録[抄](1955年9月19日)
09 中国から寄せられた救援金に対する要望 1955年9月
1001 全国民生委員児童委員大会 1955年10月1日-3日
1022 原水爆禁止日本協議会第1回常任委員会記録[抄](1955年10月22日)
1110 広島市社会福祉協議会・長崎市社会福祉協議会「お願い」(全国社会福祉事業大会参加者各位あて) 1955.11.10
1112 原水爆禁止日本協議会被爆者救援委員会 1955年11月12日
1113 原水爆禁止日本協議会被爆者救援委員会 1955年11月12日
1112 朝日新聞「天声人語」(1955年11月13日)
原爆で死んだ少女
原水爆禁止広島協議会原爆被害者救援委員会会計報告 1955
広島市原爆障害者治療対策協議会『原爆障害者治療対策の概要』[抄] 1955年
国民救援会の動向

 

概観広島市史(浜井信三市長 序)

概観広島市史
広島市史編修委員会、広島市役所、1955年1月25日


何ごとによらず、その歴史を明らかにすることは、極めて重要なことであります。
わが広島市には、大正年代に発行された広島市史四巻がありますが、それは、本市の市史編纂事業としてははじめてのことでありましたので、先人の多大な労作にも拘らず、今日から見れば、その内容、形式ともに再検討を要するものが多々残されておりました。それに、この市史はさきにも申しましたように大正年代までの広島の歴史を記録したものでありまして、それ以後のことは早晩追録されなければならない破目になっていたのであります。
しかるに、顧みますと、この市史ができて昭和年代に入り、本市が飛躍的な発展を遂げ、続いて太平洋戦争を経て、昭和二○年八月六日、人類史上未曾有の原子爆弾によって、市街の大半が潰滅し、戦後再び廃墟の中に、新たな都市建設が始められるまでの約四○年間市の歴史は、まことに変転極まりないものでありまして、この間の史実を整理記録して、これを後世に遺すことは、いまこそ、その絶好の機会であり、それはまた今日の市民である吾々の責務でもありますので昭和二六年、私の市長再選を機会に、新しい市史の編纂事業に着手した次第であります。
もっとも過去において、第一七代市長藤田若水氏(昭和一四年~一八年)は、その在任中に新しい市史の編纂を企図せられ、少数の職員の手で、その準備を進められましたが、完成を見るに至らず、その資料などもいまは散逸して残っておりませんので、今回の市史編纂については、その組織、方法等、全然新たな出発点に立ってこれを行うことといたしました。
すなわち、組織としては、広島大学教授を中心とする、市内学識経験者をもって、広島市史編修委員会を設け、これに事務局を併置し、委員会自身の責任において、新たな市史を編修することとし、内容も既存の市史に拘泥することなく、往古より昭和二五年末に至る間の史実を収録することとして、昭和二六年秋から本格的に事業を開始して今日に至っております。しかるに、戦災により史的資料の多くは焼亡或いは散逸して、事業は意想外の困難を来し、これが完成までには、なお若干の日時を要しますので、とりあえす今日までに整理された資料に基づいて、広島市の歴史の概要を単冊にまとめて発行することにいたました。それがこの「概観広島市史」であります。
今日これを世に出すことができましたのも、ひとえに広島市史編集委員各位の並々ならぬ御努力と広島市民各位ならびに各方面の熱心な御援助の賜でありまして、衷心感謝に堪えません。
私は、本書が広島市紹介の良い手引となり、またより良い市史完成への礎石となりますよう心から祈る次第であります。

一九五五年一月  広島市長 浜井信三

 

広島平和美術協会

広島平和美術展 

1955年八月4~8日、初の広島平和美術展が平和記念館を会場で開催。

開催趣旨「いつの時代においても戦争は文化の破壊者でした。核戦争がはじまれば、人類の絶滅を意味します。八月六日を中心に集まり、作品を通して世界平和への願いを現すために」

第2回以降は、広島平和美術協会の主催。時には、広島市教育委員会(第4回)、広島市中央公民館・中国新聞社(第10回)、広島平和文化センターなど、他機関との共催。

 

広島平和美術展
平和美術展 「平和の推進1980」
広島平和美術展 「平和の推進1982」
広島平和美術展 「平和の推進1983」p.34
広島平和美術展 「平和の推進1985」
広島平和美術展 「平和の推進1986」
平和美術展 「平和の推進1987」
広島平和美術展 「平和の推進1988」p.55
(1)広島平和美術展 106 「センター20年誌」pp.106-107
(1)第43回広島平和美術展の共催…………91 「平和と交流1998」pp.
(1)第44回広島平和美術展の共催 83 「平和と交流1999」pp.
(1)第45回広島平和美術展の共催 129 「平和と交流2000」pp.
(1)第46回広島平和美術展の共催 122 「平和と交流2011」pp.