「1969年」カテゴリーアーカイブ

広島県原水協年表(1969年)

広島県原水協年表(1969年)

月日 事項
0204 県労主催の B52撤去・原潜「寄港」阻止・総合労働布令撤廃・沖縄即時無条件全面返還要求広島県中央集会, 県庁前で開催. 1500人参加. 庄原では地区労が共・社両党に呼びかけ 200人参加.
2.11 広島県被団協理事会.
3.16 安保条約廃棄・沖縄全面返還・統一戦線促進などを中心スローガンに全国統一行動.3 ・16広島県民大集会. 広島県庁前広場に3000人が参加.
3.26 桑原忠男, 厚生大臣を相手どり原爆医療法にもとずく認定処分取消を求め, 広島地裁に提訴.
3.26 広島県被爆教師の会結成.
4.19 日本原水協, 広島市平和公園で広島県原水協に被爆者検診車を引き渡す.
5. 2 福島病院, 福島地区被爆者の一般検診の結果を発表. 受診者の 8割に異常. 5.25 広島県原水協総会.
6. 1 広島県被団協第 6回定期総会.
6.17 尾道原爆被爆者の会・尾道原水協共催で被爆者特別措置法についての説明会. 60名参加.
6.23 安保条約廃棄・沖縄全面返還・大学立法と反動諸法案粉砕・第15回原水爆禁止世界大会成功 6・23広島県中央集会, 県庁前で開催. 28団体 800人参加. 6.28-30 第18回日本平和委員会定期全国大会, 広島市で開催.
7. 1 新日本婦人の会広島県本部, 「木の葉のように焼かれて第 5集」発行.
7.12 広島県平和委員会など, 台湾むけの軍艦を建造中の宇品造船所を現地調査. 7.14 安芸地区原水協総会.
7.14 吉島病院被爆者の会, 特別措置法についての説明会を開く. 30名が参加.
7.31 安保破棄・諸要求貫徹広島県実行委員会, 大学立法・反動諸法案粉砕・議会制民主主義擁護・第15回原水爆禁止世界大会成功広島中央集会を県庁前で開催.300人参加.
8.- 吉島被爆者の会, 「老いと怒りと第 4集」発行.
8.  福島地区被爆者の会, 「壁第 2集」発行.
8. 4 第15回原水爆禁止世界大会開会総会. 広島県立体育館に約 1万人参加.
8. 5 被爆者家庭訪問. 900人の大会代表が市内の被爆者約 300人の家庭・職場を訪問.
8. 5 第15会原水爆禁止世界大会記念文化大集会「とどろけ世界の空に」. 広島県立体育館に約 1万人参加.
8.26 福山市原水協, 世界大会の報告集会を開催.
9.27 被爆二世森井昭夫( 5歳), 急性骨髄性白血病で死亡.
10.21 10・21国際反戦統一行動デー. 県内では広島・呉・尾道など11カ所で計 2万5000人が結集.
10.29 共・社など15団体, 自衛隊の行事を県・市教委が後援することに抗議.
10.29 広島県平和委員会, 国鉄に弾薬輸送の中止を申し入れる.
12.21
1221 被爆二世問題研究会, 広島市社会福祉センターで開催.

 

 

原爆爆心地(志水清編)

『原爆爆心地』(志水清編、日本放送出版協会、19690720 )

目次

部章節 見出し 備考
残された都市
プロローグ
広島
1 爆撃禁止令の出ていた広島
(1)アインシュタインよりルーズヴェルトへの書簡 20
(2)マンハッタン計画 22
(3)原爆完成目標-一九四五年八月一日 24
(4)ニュー・メキシコからヒロシマへ
2 戦時下の広島
(1)空襲は何故ないのか? 28
(2)富国強兵と広島 29
(3)爆心地 33
(4)一九四五年八月六
炎の中から 失われたものと残されたもの
炎の中から
1 その朝の爆心地
(1)電話 その一 42
(2)電話 その二 43
(3)横川で 45
(4)牛田で 47
(5)材木町で 47
(6)造船所で 50
(7)疎開先出
2 その日
(1)爆心地「中島」 53
(2)幻の爆心生存者 54
(3)炎の中の中島 55
(4)焼けたニワトリ 57
(5)本川橋 61
(6)爆心に生き残っていた人びと 65
(7)慈仙寺 66
(8)地下足袋が燃える 68
(9)みんなだったんだから… 71
(10)元安橋 その一 73
(11)元安橋 その二 77
(12)火が舞うて… 79
(13)岡山の水蜜桃 82
(14)遡ぼる舟
3 夜を徹して
(1)手記 その一 91
(2)手記 その二 94
(3)落ちていた雑嚢 99
(4)相生橋に泊った人びと
4 夜が明けて-八月七日
(1)「おじさん、キルものはないですか」 104
(2)焼けて女時計 108
(3)三姉妹 113
(4)誓願寺に集まった人たち 116
(5)みんな死んでいた 119
(6)何もかも変わった 122
(7)川の中のわが子の遺体 128
(8)全部の骨を少しずつ 129
(9)ひとりぼっち 130
(10)相生橋・慈仙寺ノ鼻・元安川 131
(11)被爆の実体-調査の経験から-
残された傷跡
1 断絶
(1)断絶の街 144
(2)生き残った人の断絶
2 残された身体の傷
(1)被爆による身体的な後遺障害 153
(2)よくわからない身体障害 156
(3)社会的後遺障害 160
(4)被爆者のおかれている状況 162
(5)さまざまな被災調査
広島の空白から広島の復元へ
―鎮魂から平和原点への道のり
広島の空白
1 爆心の空白
(1)確定せぬ犠牲者の数 170
(2)被爆実態をつかめぬ空白
2 爆心調査の系譜
(1)「爆心半径500メートル」 183
(2)広大原医研調査 186
(3)爆心復元-市民・メディア・学会の握手 192
(4)爆心追跡調査 198
(5)市民運動を通して「全体へ」 202
3 市民の胎動
(1)手書きの戸別地図
4 ノー・モア・ヒロシマ
(1)ダモクレスの剣 213
(2)原水禁運動と「広島」
5 広島の風化と模索
(1)原点広島の風化 225
(2)始まった「広島」の模索
爆心復元の論理と構想
1 爆心復元の論理
(1)核時代に 238
(2)素朴な疑念-結びあうもの
2 追跡調査の構想
(1)血の通った調査 242
(2)綜合調査 243
(3)基礎調査と「爆心復元」 246
(4)本調査と生活史のあとづけ 249
(5)「爆心復元」のひろがり
3 爆心復元の意味するもの
被爆地図復元運動
1 被爆地図復元運動を支えるもの
(1)被爆者・市民の「地図作り」 257
(2)行政の役割り 260
(3)学会・研究機関の体制作り 263
(4)報道機関の参加
2 被爆地図復元調査のもたらすもの
(1)被爆地図 265
(2)被爆者戸籍と家族別ファイル 265
(3)核時代の良心の証 266
(4)被爆地図復元の実施・推進組織 267
(5)爆心復元の現状
3 爆心復元の課題
エピローグ
参考文献
あとがき
付録 広島市原爆爆心地復元市街図

 

年表:原爆展(1969年)

年表:原爆展(1969年)

記事
03 24 大平通産相、万国博での原爆展示について、「原子力の誤った利用による過去の悲惨な経験と平和利用による明るい未来を展示する」と、参議院予算委員会で答弁。
04 24 社会党、万国博での原爆展示について政府に要請。5月16日、回答。
07 29 詩人さかもと・ひさしと写真家・大深みのじの「広島原爆25周年 詩と写真想像展」を広島市福屋デパートで開催。-8月10日。
08 01 広島在住の写真家・佐々木雄一郎、写真展「広島の日記」を東京銀座・松屋デパートで開催。-6日。
08 06 広島県府中市土生町の自動化移管で第3回原爆展。-17日。
09 25 万国博で日本政府館の「悲しみの塔」内壁を飾る原爆展示のタペストリーの制作が、京都・西陣の竜村美術織物で始まる。
10 17? 万国博の日本政府館に展示される原爆展示のうち「平和利用」の図柄が決まる。

 

未来を語りつづけて-原爆体験と平和教育の原点

『未来を語りつづけて-原爆体験と平和教育の原点』(広島県教職員組合・広島県原爆被爆教師の会編、労働旬報社、19690806)

目次

部章 タイトル 著者
はじめに
教育の魂 宗像誠也
日本人の心から「ひろしま」を消してはならない 服部学
初心に立ちかえって原爆教育を 宮之原貞光
序章 被爆教師の名において告発する 石田明
1 原爆体験と教育の原点
1-1 それでも未来を語りつづける
被爆二世のわが子を失って 名越謙蔵
子どもらに支えられて 中谷玉江
ある被爆教師の死 村木誠
石は川底からみていた 増田勉
原罪への問いかけ 高松由子
先生同情されない人間になって下さい 森下弘
1-2 爪跡をこえて
子どもたちに語る私の体験 米田進
ふた昔を生き抜いて 尾形静子
子どもらの遺骨をひろって 石富広江
“平和の鐘”をついて 岩田守雄
甲状腺ガン 吉本フサエ
少年の日の被爆とABCCと 橋本行宏
2 原爆教育・平和教育の実践のために
原爆と子どもたち-「原子爆弾被害に関する調査」のまとめ・問題点 川島孝郎
広島をどう教えてきたか-学生時代の被爆教師として 田坂積
原爆不在の教育・教科書の実態とその批判 空辰男
ヒロシマを高校生にどう教えるか 森下弘
終章  全国民・全教師への誓いと訴えと  楠忠之
補=ひろしま-原爆をかんがえる-(試案)
広島平和教育教材編集委員会 広島県原爆被爆教師の会
あとがき 宅和純

 

 

ひろしま-原爆をかんがえる(試案)について

『”ひろしま”-原爆をかんがえる(試案)=そのとり扱いと若干の留意点について=』(広島県原爆被爆教師の会・広島県平和教育教材編集委員会・広島県教職員組合、19690701)

所蔵:ピカ研 形態:紙1枚
はじめに(1969年7月1日)
平和教育教材「ひろしま」について
1 8月6日8時15分
2 被爆の苦しみと怒り
3 第2次世界大戦のありさま
4 戦争をすすめた人びとのうごき
5 原爆投下の目的
6 原子爆弾の破壊力
7 死の科学
8 原爆症
9 プレスコード
10 ストックホルム・アピール
11 映画「ひろしま」
12 第五福竜丸と原水爆禁止運動の高まり
13 ひろしまの子どもたちのさけび
14 いまなお続く被爆者の苦しみ
15 被爆者の苦しみ、その責任はどこに
16 日本人としておもうこと

 

国連大学広島誘致期成同盟会

国連大学広島誘致期成同盟会

年月日 事項
1969年 ウ・タント国連事務総長、年次総会で、「真に国際的な性格を有し、国連憲章が定める平和と進歩のための諸目的に合致した国際連合大学」の設立を提案。国連総会はこのような大学の実現可能性を検討するため、ユネスコと緊密に協力して調査を行う専門家委員会を任命。https://jp.unu.edu/
19720818 山田広島市長、ベルギー・ブリュッセル大学で開催された第15回先生会連邦大会の最終日本会議で「国連大学の広島設置」を提案。23か国代表の全員賛成で決議。
19720916 広島県・広島市・広島大・経済界が広島商工会議所で「国連大学広島誘致期成同盟会」結成大会。永野厳雄県知事を会長に選ぶ。
19720726 広島市議会、国連大学誘致に関し決議。(「平和の推進」)
197209 国連大学の設立を検討する委員会、国連経済社会理事会に報告書を提出。https://jp.unu.edu/
197212 国連総会、国連大学の設立を認める。https://jp.unu.edu/
197312 国連総会、国連大学の設立委員会が提出した大学憲章と決議案を採択。https://jp.unu.edu/
19750120 初代国連大学理事会および学長のジェイムス・M・ヘスター博士の就任式、東京の暫定本部施設で開催。https://jp.unu.edu/
197509 東京の本部施設および 寄付基金設立に向けて寄付金1億ドルが日本政府の好意により提供され、国連大学の研究活動スタート。https://jp.unu.edu/
19780605?  国連大学広島誘致期成同盟会、誘致の構想まとまらず運動中断。

原爆の被爆者に及ぼした社会的影響

Y.SCOTT Matsumoto,Ph.D.「原爆の被爆者に及ぼした社会的影響 広島・長崎」(『原爆傷害調査委員会 業績報告書』 TECHNICAL REPORT 12-69)April 1969承認

(以下抜粋)

本報告は、1967年1月18-21日、New  Jersey 州 Princeton 市において開かれたニューヨーク科学アカデミー主催の会議 ”Interdisciplinary Communication Program” に発表するために準備した覚え書きをまとめたもの。

緒言

*過去年間にわたって継続している両市におけるマスコミの影響と効果

*1946年以来の両市のおもなできごと<継続的に絶えず大きく報道され、その結果、被爆者の不安をいっそう増大>を簡単にのべてみる

1945-67年のおもなできごと

できごと
1945 70年間一切の生物の棲息不可能。都築の診察開始。米国陸海軍合同調査団結成
1946 Henshaw, Brues, Block, Neel, Ullrichからなる調査団の広島。長崎訪問
1947 3月、Neelが広島赤十字病院に事務所を開設、ABCCの活動が実際に始まる。12月、天皇の広島訪問。
1948 特記すべきことなし。
1949
1966 映画「ヒロシマ1966」
1967 映画「愛と死の記録」、映画「千曲川絶唱」(3月封切)

解説および考察

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5 成人健康調査における医療社会ケースワーク:被爆区分・都市別、第3診察周期、1962-64
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要約

**健康・寿命・結婚・転住、その他の社会的要因に関する統計を提示したが、これらの統計資料は、一般にいわれている被爆者の自殺、結婚における傾向についての概念を裏づけず、時には否定する結果を示した。

8月6日の「原爆の日」の指導について(広島県通知)

8月6日の「原爆の日」の指導について(広島県通知)
1969年7月14日
広教委指第311号
昭和44年7月14日
各教育事務所長殿
各県立学校長殿
各市町村教育委員会教育長殿
各私立小・中・高等学校長殿
広島県教育委員会教育長
(指導課)
広 島 県 総 務 部 長
(総務課)
8月6日の「原爆の日」の指導について
(通知)
8月6日の「原爆の日」を中心として、広島市では原爆についてのいろいろな行事がいとなまれることになっております。
ところが、この日は夏季休業中の関係もあって、児童・生徒のこれらの行事に対する関心は、テレビ・ラジオ・新聞等を通じて知る程度であり、「原爆の日」についての関心も年を経るにつれて漸次薄れてきている現状であります。
原爆の被害をうけた広島市をもつ広島県の県民としては、この際、「原爆の日」についての認識を新たにし、平和への関心を深めることは、教育的にも意義あることと考えます。
すでに、広島市の学校においては、従前からこのことの計画的な指導に取り組んできておられますが、県下の各学校においても下記事項にご留意のうえ、適切な指導が行なわれるようご配意願います。

1.基本的態度
昭和20年8月6日は、広島市に人類最初の原子爆弾が投下された日であり、これを契機に全人類が平和への悲願に立ちあがった歴史的な記念すべき日である。
県下の各学校においては、この8月6日の「原爆の日」について、地域の実情や学校の実態に即して計画的に取り上げて指導することが望ましい。
なお、平素の教育活動においても、平和への理解や関心を深め、戦争のもたらす人類の不幸について深く考えさせるとともに、平和を希求する態度を育成するように努めることがたいせつである。
2.指導の観点
「原爆の日」の意義を理解させるとともに、いっそう平和を願う心情や態度を育てる。
3.指導の内容
地域、学年等によりちがいがあろうが、主題的な扱いにおいては、たとえば、次のようなものが考えられる。
・「原爆の日」について
「原爆の日」の意義
原爆死没者慰霊式・祈念式について
・原爆をうけた人びと
原爆の被害、被爆者の現状
原爆病院
・平和への願い
原爆慰霊碑 原爆の子の像 原爆ドーム
4.指導の機会と場
・適当な機会をとらえて、「原爆の日」について指導する。
・社会科などの教科の指導内容と関連づけて指導したり、ホーム・ルーム、学校行事等で、「原爆の日」に関連した主題を設けて指導したりする。
5.取り扱い上の留意事項
(1)校長以下全職員が、この指導についての研究の機会をもち、共通理解を図るとともに、児童・生徒の実態に即した指導の詩画を立てること。
(2)地域に関係の深い事例を取り上げるなど、できるだけ具体的に取り扱うこと。
(3)児童・生徒の発達段階に応じて、内容程度・取り扱い等を考慮すること。
(4)現実の具体的な国内問題や国際問題などと関連づけて取り扱う場合には、いろいろな立場や考え方があることを理解させ、広い視野にたって平和のあり方について考えさせるようにすること。
(5)特定の立場や考え方に偏した取り扱いにならないように留意すること。
備考 なお、参考までに、広島市教育委員全編集(昭和43年)の資料を添えます。
◎参考資料(広島市教育委員会編集)「原爆記念日」