ヒロシマ会議 1970年11 月29 日~ 12 月2日
『現代における平和への条件-1970ヒロシマ会議』(「世界」編集部編、ヒロシマ会議委員会)
内容
 
はじめに-「ヒロシマ」会議の成立と構成 
 
基調講演・映画「ヒロシマ・原爆の記録」 
 
Ⅰ 
核時代を超えて 湯川秀樹 
 
Ⅱ 
一九七〇年のヒロシマが教えるもの フィリップ・ノエルベーカー 
 
Ⅲ 
平和と人間 飯島宗一 
 
 
全体会議 原爆被災をめぐる諸問題と市民の連帯 松本寛 
 
市民会議Ⅰ 人間差別の根源とその解決 橋本栄一 
 
市民会議Ⅱ ヒロシマとは何か 小黒薫 
 
 
ヒロシマの世界化に向って-本会議の討論をふりかえる- 関寛治 
 
会議の周辺 原田東岷 
 
おわりに 庄野直美 
 
ヒロシマ宣言 
 
ヒロシマ市民会議の報告・議事録 
 
 
 
止
	 
	
	 
	
	
		
		ドキュメント:1970年8月6日<作業中 
できごと 
備考 
 
広島の女子高校生グループ「折鶴の会」、3月に白血病で死亡した8歳の被爆二世の少女をしのぶパンフレットを平和記念式終了後、遺族に配布。 
 
内田常雄厚生大臣、平和式典終了後、広島原爆病院と原爆養護老人ホームを慰問。 
 
広島市、原爆死没者慰霊式・平和祈念式を挙行。約5万人が参列。米兵捕虜の名前が合祭。 
 
山田広島市長平和宣言。「ヒロシマの叫びは、世界の世論に支えられ、少なくとも核兵器の使用を阻止してきた。われわれはこの成果を踏まえて、国民的悲願を結集しつつ、ヒロシマの体験をすべての人の心に探く定着させ、核兵器の全廃と世界恒久平和 
 
広島市の原爆死没者名簿に米兵捕虜と白系ロシア人の名簿を記載。 
 
旧中島本町原爆復元地図製作委員会、平和公園で復元地図の碑除幕式と慰霊式. 
 
鷹野橋商店街振興組合原爆犠牲者慰霊碑、大手町五丁目で除幕式 
 
済美学校の碑、広島市八丁堀で除幕式。 
 
原爆被災資料広島研究会、原爆被災資料総目録第二集を発行.内容:官公庁文書・中国放送(RCC)・広島テレビ(HTV)・映画・音楽. 
 
原爆記録映画「ヒロシマ・原爆の記録」、広島市公会堂で一般公開。中国放送・広島テレビでも放映。 
 
広島市と報道三社製作の映画「ヒロシマ・原爆の記録」(29分)、一般公開。広島市公会堂で六回上映。テレビ放映も 
 
ニューヨーク・タイムズ、「ヒロシマの教訓」と題する社説を掲載。 
 
中国放送RCC,平和記念式典の模様を宇宙衛星により米CBS系ネットワークを通じ全米に向け放映。初の試み。 
 
日本原水協の第16回原水禁世界大会広島大会。広島県立体育館に約五千人「核兵器と侵略のない世界実現のために、共に戦うことを被爆二十五周年の広島から全世界に呼びかける」 
 
原水禁国民会議などの被爆25周年原水爆禁止世界大会、閉会。 
 
8・6ヒロシマ反戦集会。広島平和記念公園に学生、労働者ら1500人が参加。 
 
北ベトナム労働党機関紙ニャンザン、原爆投下は不必要だったとする社説を掲載。 
 
クランストン米上院議員、「原爆投下はトルーマン大統領の誤り」と、広島・長崎平和使節団に語る。 
 
クレイグ・ホズマー塀下院議員、下院本会議で原爆投下は「必要やむを得ない措置であった」と演説。 
 
フランス、ムルロア環礁で核実験。同国の実験はこれで通算39回に。 
 
 
 
 
 
 
 
 
	 
	
	 
	
	
		
		広島県原水協年表(1970年)
月日 
事項 
 
0124 
第 2回広島県学生ゼミナール, 県下18の大学・短大・看護学校と 6の高校か –25 ら 650人参加. 
 
1.24 
 
 
 
 
 
 
1125 
弾薬輸送反対・基地撤去要求11・25呉地区集会, 広駅前で開催. 30人参加. 
 
1210 
12.10-11 広島労演, 広島演劇サークル協議会と共同企画で「ひろしまの冬」を上演. 
 
 
 
 
	 
	
	 
	
	
		
		年表:原爆展(1970年) 
月 
日 
記事 
 
02 
03 
万国博・テーマ館への広島・長崎被爆写真展示、再検討ヘ。政府の万国博推進対策会議で「どぎつくて万国博にふさわしくない」との意見が出たため 
 
02 
24 
万国博・地方自治体館、被爆写真を撤去。 
 
03 
04 
万国博政府出展懇談会、最終会合。茅誠司座長、原爆タペストリーを「抽象的でわからぬ」と批判。 
 
03 
06 
中国新聞「受難続きの原爆展示-万国博-撤去や横ヤリ相次ぐ-”悲惨さにベール”-主催者・米人に気がね」 
 
03 
13 
原爆展示をめぐって紛糾した万国博テーマ館が、公開される。15日、一般公開。 
 
03 
15 
日本万国博、大阪・千里で開幕。原爆展示は大幅後退 
 
03 
末 
万国博の宮内弥地方自治体館館長、地方自治体館2号館「明け行く日本列島」の”海と船のショー・中国地方”(上映時間1分30秒)の場面に登場する原爆被害関係のシーンを差し替えるように日本映画新社に伝える。4月30日、差し替えたものが上映される。 
 
04 
14 
米ニューヨーク在住のノーマン・カズンズ、広島市に、5月から開催を予定しているリンカーン・センターでの原爆資料展のために、被爆資料写真などの貸出を要請。 
 
04 
24 
大原亨、万国博の地方自治体館の写真展示から館側が勝手に原爆被爆写真を撤去した問題を、衆議院文教委員会で取り上げる。 
 
04 
24 
山田広島市長、米の平和団体がニューヨークで開く原爆資料展への資料貸出について、時期が適当でないと、断る。 
 
05 
11 
万国博の地方自治体館が公開される。初めに制作者が計画していた「被爆母子」と「原爆の子の像」など円形パネル写真が姿を消し、きのこ雲の写真と長崎・浦上天主堂のマリア像の背景写真だけとなる。 
 
05 
11 
米のニューヨーク文化センターで開催される「ヒロシマ・ナガサキ原爆写真展」の開会式。リンゼー・ニューヨーク市長とノーマン・カズンズが挨拶。 
 
05 
12 
米フレンド奉仕委員会、海外初の原爆写真展をニューヨーク文化センターで開幕(~6月21日).2万人以上の観客. 
 
05 
22 
朝日新聞社、ニューヨークで原爆展を開催。海外初(「平和の推進」)。 
 
07 
18 
大阪市の働くものの絵画集団「レアラ・ロンド(真実の仲間)」、万国博場外の原爆展として「原爆と平和展」を大阪・朝日文化ホールで開催。万国博に展示されなかった被爆写真の展示や映画の上映。-22日。8月5日~16日には、京都府立総合資料館で開催。 
 
07 
21 
広島の写真家・佐々木雄一郎、原爆写真展「広島の日記」を西宮市民会館で開催。-23日。 
 
07 
24 
長崎の浦上天主堂の写真を撮り続けた池松経興とその写真をもとに油絵をかいた福田重人の「原爆・二つの心展」、長崎市内のギャラリーで開催。 
 
08 
05? 
万国博会場で数少ない原爆展示の「かなしみの塔」のある日本館のホステスたち、被爆の悲惨さについて勉強会を開く。原爆に関する英文パンフの配布を計画するが政治的な配慮から中止させられる。 
 
08 
06 
万国博会場の野外劇場で広島テレビ制作の原爆ドキュメンタリー映画「朝顔」が上映される。 
 
08 
06 
ゲレロ国連貿易開発会議(UNCTAD)事務局長、同会議デーを迎えた万国博の国連館で、各国のコインを集めて鋳造された「平和の鐘」を付き鳴らし、原爆死没者などを追悼。 
 
08 
07? 
万国博会場内テーマ館の空中展示室にある原爆写真コーナーに菊の花が供えられる。 
 
08 
23 
広島県、万国博の地方自治体館の「広島県の日」に被爆当時の写真パネル3枚を展示。-25日。 
 
08 
26 
中国新聞「万国博「県の日」終わる-観光面で大収穫-被爆写真に不満の声も」 
 
 
 
	 
	
	 
	
	
		
		『ヒロシマ25年 写真記録』(佐々木雄一郎、朝日新聞社、19700730)
頁 
No. 
備考 
 
2 
佐々木雄一郎 
 
3 
8本の線と1個の点 
 
4 
1 
自宅付近の焼け跡 
 
2 
市電の残骸 
 
3 
義兄本田勘六宅の焼け跡 
 
4 
次兄佐々木末爾宅の焼け跡 
 
7 
原子砂漠 
 
5 
原子砂漠 
 
8 
6 
爆心地 
 
10 
7 
爆心地1 
 
11 
7 
爆心地2 
 
12 
8 
鉄分の噴き出した墓石 
 
9 
ピカドン墓 
 
13 
10 
屋根のぬけ落ちた産業奨励館 
 
14 
11 
爆心地下の白骨 
 
15 
閃光 
 
15 
12 
石段の人影 
 
16 
13 
ガスタンクの影 
 
18 
14 
護国神社入口の狛犬1 
 
15 
護国神社入口の狛犬2 
 
16 
護国神社入口の狛犬3 
 
17 
避雷針の基礎の影 
 
18 
竹の火傷 
 
19 
広島城のユーカリ1 
 
20 
広島城のユーカリ2 
 
23 
爆風 
 
21 
 
21 御幸橋の欄干…23 
 
30 
焼け跡 
 
30 
街の焼け跡 1~20 
 
43 
人間をかえせ 
 
50 
50 孤独な老人…43 
 
55 
惨劇の証人 
 
61 早暁の原爆ドーム…55 
 
69 
廃嘘のヤドカリ 
 
78 バラックと子ども…69 
 
79 
怒りと祈りと 
 
92 ハトと噴水…79 
 
101 
消えぬ爪あと 
 
121 街を行く被爆者…101 
 
115 
涙と叫びの夏 
 
138 8月6日の慰霊碑…115 
 
147 
死者をたずねて 
 
182 原爆っ子の成人式…147 
 
157 
来訪者の顔 
 
200 ジョセフィン・ベーカー…157 
 
173 
不死鳥のごとく 
 
226/275 よみがえる街々1~50…173/202 
 
205 
焦土の祭典 
 
 280 消防出初め式…205 
 
223 
声なき墓標の群れ 
 
広島県地方木材KKの慰霊碑 
 
225 
慰霊碑 
 
 311 雑草の中の供養塔…225 
 
239 
墓標 
 
338/351 墓標1~14…239/246 
 
247 
供物 
 
247 
352 
タイ国海軍使節団の捧げた花輪 
 
248 
353 
皇太子殿下の捧げた花輪 
 
249 
354 
ネール・インド首相の花輪 
 
249 
355 
世界連邦外国代表一行の花輪 
 
249 
356 
ジョンソン駐日アメリカ特命全権大使の花軸 
 
249 
357 
スポポダ・チェコスロバキア大統領の花輪 
 
250 
358 
修学旅行生の献花 
 
250 
359 
修学旅行生の捧げた折鶴 
 
250 
360 
小学校児童の献花 
 
251 
361 
センをぬいて供えられた酒 
 
252 
362 
供養塔前の供物 
 
252 
363 
慰霊碑前の菊の花と硬貨 
 
253 
364 
新婚旅行者が捧げたブーケ 
 
253 
365 
万博粉砕の千羽鶴 
 
255 
366 
ヒロンマ1970年 
 
258 
広島被爆地図 
 
260 
ヒロシマの持続 大江健三郎 
 
268 
ヒロシマ年表 庄野直美・編… 
 
279 
あとがき 
 
 
 
	 
	
	 
	
	
		
		『HIROSHIMA』(長岡省吾、19700720)
構成と概要
構成 
頁 
 
Ⅰ 
Aerial View of’ Hiroshima City 
 
01 
HIROSHIMA : under atomic bomb attack 
 
Determination of the Explosion Center.2 
 
07 
Casualties. 
 
Distributions of Survivors.8 
 
09 
Physical Damage 
 
Buildings and Houses.10 
 
Ⅱ 
01 
ひろしま・航空写真 
 
02 
広島市被害図 
 
廃墟と化した広島全市(約1ケ月後撮影) 
 
03 
原子雲(爆心地より4000米離れた宇品町7丁目より決死的撮影、木村権一氏) 
 
04 
爆心地(細工町 志摩病院の廃屋) 
 
04 
爆央と市内各所に火災起る(撮影 木村権一氏) 
 
05 
市中央より東方を望む 
 
 
09 
産業奨励館焼跡(爆心地より150米) 
 
 
18 
比治山第一高等国民学校収容所 
 
19 
似ノ島収容所 
 
20 
似ノ島収容所 
 
21 
本川小学校前道路、比治山小学校収容所、本川小学校収容所 
 
22 
比治山第一高等国民学校収容所 
 
23 
宇品収容所、比治山第一高等国民学校収容所、似ノ島収容所 
 
24 
柄模様の火傷、熱線によるケロイド症状 
 
25 
熱線によるケロイド症状、馬、放射能による脱毛 
 
26 
柳橋 
 
27 
瓦、本川橋、竹の焼傷 
 
28 
墓石 
 
29 
万代橋に残った9人の影 
 
30 
ガスタンク、住友銀行 
 
31 
下村時計店、 
 
32 
富国生命ビル、竹屋町付近、三滝分院、本川小学校3階 
 
33 
護国神社、慈仙寺、相生橋、 
 
34 
御幸橋欄干 
 
35 
平和記念聖堂、比治山ABCC 
 
36 
原爆慰霊碑 
 
37 
平和記念資料館 
 
38 
広島原爆病院 
 
39 
平和記念講演 
 
40 
原爆の子の像 
 
 
Ⅲ 
01 
“ひろしま” 原子爆彈による被害状況(長岡省吾) 
 
 
10 
刊行の言葉(長岡省吾) 
 
 
 
“
	 
	
	 
	
	
		
		『核権力ーヒロシマの告発』(金井利博、三省堂、19700615 )
目次
章節 
 
Ⅰ 
核権力下の日本  
1 
広島はなぜ“ヒロシマ”か 
 
広島と沖縄 
 
2 
「核権力」下の日本 
 
日本をとりまく「核」 
 
3 
日本の「核権力」 
 
核軍縮と日本政府 
 
4 
「核」軍事論の誤算 
 
抑止論の弱点 
 
5 
核廃棄の政治学-「人質」論をめぐって 
 
戦略から政略へ 
 
6 
 
Ⅱ 
核権力と軍事  
1 
「軍都」広島の体験 
 
人民と「軍都」 
 
2 
「無差別爆撃」の歴史 
 
日本軍の無差別爆撃 
 
3 
「戦時」と「平時」の境界なき攻撃 
 
外国との戦争と民衆の被害の歴史 
 
4 
「未知」効果に無責任な攻撃 
 
原爆投下作戦の実態 
 
Ⅲ 
核権力と自由  
1 
「あいまいさ」の恐怖 
 
原爆投下の戦略上、政略上の「あいまいさ」 
 
2 
人種差別は「敵意」を増幅するか 
 
人種差別と戦争 
 
3 
被爆者ヘの差別 
 
生活上の差別 
 
4 
官尊民卑の戦災補償 
 
軍人優先の思想 
 
Ⅳ 
反核権力論  
1 
原水禁運動の断層 
 
意識のずれの問題 
 
2 
核権力の「君臨」 
 
核権力の神格化 
 
3 
原爆被害の実態調査 
 
「人的被害」の追跡 
 
4 
広島の「怨念」と「自由」 
 
広島の「怨念」と権力者 
 
差別の垣 
 
被爆地図復元運動-原爆体験を社会体験に 
 
貴重な原爆映画 
 
拡大する資料収集運動 
 
核権力“神話”の破壊 
 
 
〈資料〉原水爆被害白書を国連へ提出の件  
1.原爆は「威力」としてだけ知られた 
 
2.原水爆は人間的悲惨の極としてはいまだ知られていない 
 
(1964年8月5日・中国新聞社論説委員・金井利博記) 
 
 
あとがき(抄) 
 
この本は安田武氏、また中国新聞社の平岡敬、大牟田稔両氏の三年前の強い勧めによって生まれた。間接には原爆犠牲者と亡母金井時子の無言の励ましを感じながら書き続けた。 
 
 
 
 
 
	 
	
	 
	
	
		
		年表:平和教育(1961~1970)
年 
月 
日 
事項 
 
1967 
06 
20 
広島女学院大学で学生対象に原爆特別講座始まる。テーマ「八月六日の意味するもの」。同大宗教委主催 
 
1968 
07 
01 
広島市教委、原爆・平和問題に関する特別授業実施を決める。8・6を中心に一時間程度 
 
1969 
03 
26 
広島県被爆教師の会結成。県内小、中、高校教員、退職教員などが参加。平和教育の推進が目的 
 
69 
04 
20 
東京都青梅市の都立農林高校定時制4年生50人、修学旅行で広島を訪問。同校は3年前から修学旅行で広島に来ているが、今回初めて被爆者を囲み懇談。 
 
69 
06 
19 
鳥取市での日教組三十六回定期大会、原爆教育推進を運動方針に掲げる 
 
69 
07 
05 
広島県教組の原爆・平和教育教材「ひろしま」出版 
 
69 
07 
16 
広島県教委、原爆・平和教育指導指針をまとめ各学校に通知。「原爆の日の意義を理解させるとともに、いっそう平和を願う心情や態度を育てる」 
 
69 
07 
19 
広島市立荒神小学校で原爆・平和教育。被爆教師の体験と同校制作のスライドで 
 
69 
07 
28 
広島県教組、同県被爆教師の会編集の被爆教師の体験記「未来を語りつづけて」出版 
 
69 
08 
02 
広島市、第2回平和を語る市民集会を開催。テーマ「被爆体験の継承と平和教育」。 
 
69 
10 
18 
吉川清、原爆慰霊碑前で東京電気大学高校工業科2年生340人に原爆の惨状などを話す。 
 
1970 
10 
18 
東京電気大学高校工業科2年生344人、修学旅行で広島市を訪問。今回が10回目。高橋昭博広島県被団協理事の話を聞く。 
 
 
 
	 
	
	 
	
	
		
		『沈黙の壁をやぶって』(長崎県教職員組合長崎総支部・長崎市原爆被爆教師の会編、労働旬報社、19700809)
目次
章節 
 
はじめに 
 
序 
七○年代教育創造の糧に 
宮之原貞光(日教組委貝長) 
 
序章 
今こそ沈黙の壁をやぶって 
坂口 便 
 
1章 
長崎の原爆 
編者 
 
その前夜 光と雲 幽鬼の群れ 屍の列車 看護るものなく 燔祭の炎の中に 児童・生徒・教師 
 
2章 
被爆教師の体験と証言 
 
生き残り三人の記録 
城山小学校 
 
城山殉難記 
荒川秀男 
 
追憶の涙の中から 
江頭千代子 
 
医者がいない、薬がない 
宮本スミエ 
 
「二六人の教師が憤死」 
山里小学校 
 
土壕の奥に生きて 
林英之 
 
熱い骨・原爆の歌 
瀬戸口千枝 
 
母の愛情すら奪う 
川口勇 
 
生きながら焼けた友 
築城昭平 
 
トンネル工場 
まつお びん 
 
屍体整理班 
三輪博志 
 
3章 
原爆と子どもたち 
 
子どもの記録 
林勝己 
 
「原爆に関する調査」の集計から 
編者 
 
調査を実施して 広島と長崎と 原爆はなぜおとされたか  原爆を誰が教えるか 原爆に対する子どもの感じ方 
 
4章 
原爆学級の記録-世界でただ一つの悲しい学級 
 
4-1 
原子爆弾はまだ生きている 
 
4-2 
原爆学級の編成 
 
4-3 
研究発表「被爆児の心身発達について」 
城山小学校 
 
4-4 
原爆学級のその後 
 
4-4-1 
四番目の犠牲者 
 
4-4-2 
原爆教室の父 
 
4-5 
被爆二世の問題 
 
資料 
被爆児の心身発達について(昭和28年2月26日) 
長崎市立城山小学校 
 
目次 
 
1.発表までの経緯 
 
2.被爆児の心身発達について 
 
3.一年実験学級年長組の被爆児と対照児 
 
4.特殊児童の指導の実際 
 
 【付】 
原爆の児を偲びて―故橋本長利さんの霊に捧ぐ 
 
5章 
平和教育の原点 
 
(1)芽生えは出ている 編者 
 
(2)スラノド台本「原爆許すまじ」 
佐世保・平和と教育を守る高校教師の会 
 
(3)原爆体験記の英訳について 
編者 
 
 (4)一つの教室実践 
 三輪博志 
 
 (5)教え子に明るい未来を 
 中西俊造 
 
6章 
原爆体験の継承と国民教育への展望 -長崎の屈折した体験の中から 
 
鎌田定夫(長崎県教研講師・長崎造船大学教員) 
 
6-1 
原点としての“原爆”とその風化・潜伏 
 
6-2 
風化に抗して新しい創造へ -子どもと教師・父母の葛藤のなかから 
 
 6-2-1 
 教研活動のなかでの反省と確認(小・中) 
 
  6-2-2 
 新しい民主的学園建設の試み(高・大) 
 
 6-3 
 被爆者たちの連帯のなかで 
 
 終章 
 長崎の教師はこう訴える-被爆25年間の屈辱と怒り、そして70年代の教師はいま何をなすべきか 
 
   田中義明 (長崎市立江平中学校教諭) 
 
 あとがき-この芽を枯らすことなく 
 宮崎勇二(長崎県教職員組合執行委員長) 
 
 
 
 
	 
	
	 
	
	
		
		広島県立広島商業高等学校
資料 (所蔵:ピカ研)
『創立70周年記念文化祭 10月31日、11月1日・2日』(冊子)
『県立広島商業高校 創立70周年記念文化祭 本校被爆実態調査を終了するにあたって、御来場皆様に訴える』(広商原爆実態調査研究会、1970年)
 
	 
	
	 
		
		投稿ナビゲーション 
		
	 
					 
	 
		
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。