「1993年」カテゴリーアーカイブ

ヒロシマから生物・化学兵器を考える

『全国シンポジウム「ヒロシマから生物・化学兵器を考える」―過去・今・未来全廃のシナリオ―』(広島県教職員組合「広島教育」編集部(編)、広島教育会館(刊)、19931101)<作業中

タイトル 発言者など 備考
01 基調講演「人類はBC兵器を棄てられるか」 常石敬一
第1部 生物・化学兵器の過去と現在
18 ABC兵器廃絶そしてDへ 水島朝穂
20 C兵器廃絶にむけた日本の「国際貢献」 粟屋憲太郎
21 禁止条約の抜け道 常石敬一
22 「私たちの叫びが通じた」条約締結 村上初一
23 水で洗うことを教わった軍国少女 沼田鈴子
31 毒ガス障害者援護の長い道のり 梶村政夫
39 窮地に「毒ガス使え」の命令 谷菅静夫
第2部 全廃へのシナリオ
42 竹田
45 七沢
54 岡田
56 松江澄
59 木原省二
63 岩野
64 宝木
65 中土
67 伊藤
76 生物・化学兵器に対するヒロシマアピール(要旨)

「ヒロシマから生物・化学兵器を考える―過去・今・未来全廃のシナリオ―」<資料集> 1993年1月30日(土) 東方2001(広島教育会館)

反核運動1993

反核運動1993


1993年の年頭(1月3日)に、第2次戦略兵器削減条約(START2)がアメリカとロシア両国首脳の間で調印された。また、フランス(1月)やアメリカ(7月)が核実験停止(モラトリアム)延長の声明を行ったことにより、核軍縮への大きな期待が寄せられた。しかし、いっぽうでは、北朝鮮の核拡散防止条約からの脱退声明(3月)、西シベリアの軍事閉鎖都市「トムスク7」の放射能汚染事故(4月)、中国の約1年ぶりの核実験実施(10月)、ウクライナの核兵器保有継続の意志表明(11月)などがあり、核軍縮の困難さが改めて明らかになった1年であった。

【原水爆禁止世界大会】

欧米の反核運動が退潮する中でも、日本においては、被爆体験に基づく運動が展開され続けている。原爆記念日を中心に、さまざまな団体が恒例の集会を開いた。原水爆禁止日本協議会(原水協、共産党系)は、8月3日~9日に、広島・長崎で、それぞれ、3500人、8000人規模の大会を開催し、「核兵器全面禁止・廃絶国際条約締結」と「原爆被害と核実験被害などの実相調査と補償」を求める特別決議を採択した。また、原水禁国民会議(原水禁、社会党系)の大会にも、両地合わせて1万人近くが参加し、細川連立政権に、原爆被爆者援護法の制定や戦後責任を明確にし戦後補償を果たすことなどを求める行動決議を採択している。このほかに、日本生活協同組合連合会と連合が、両地合わせて数千人規模の集会を開いた。

【放射線ヒバクシャ問題】

海外のヒバクシャとの交流が活発に行われた。原水爆禁止日本協議会(原水協、共産党系)は、3・1ビキニデー前後に、アメリカ、マーシャル、カザフの核実験被害者を招いて、東京・広島・長崎などで国際シンポジウムを開催するとともに、10月にはネバダ核実験場に訪問交流団を派遣した。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)も、代表をセミパラチンスク(5月)・ネバダ(7月)に送り、放射線ヒバクシャとの交流を行った。また、全国各地の市民団体により、チェルノブイリ原発事故被災者の招請も見られた。行政レベルでも、発足して3年目の放射線被爆者医療国際協力推進協議会(広島県・市を中心に組織)に加えて、今年には外務省や長崎・ヒバクシャ医療国際協力会(1992年発足)による放射線医療関係者の招へい事業も始まった。

【国内の動き】

国連軍縮局は、4月13日~16日、国連軍縮京都会議を開催した。国内での開催としては5回目となるこの会議に、37か国から約90人の軍縮専門家が参加した。会議では、核拡散や核流出問題が話し合われた。また、8月5日~9日には、広島・長崎両市で、「平和の構築と都市の役割-核兵器廃絶をめざして」をテーマに、第3回世界平和連帯都市市長会議が開催され、海外37か国81都市、国内41都市、合計38か国122都市の市長や市議会議長などが参加した。

広島では、数年前から活発になった原爆遺跡保存をめぐる動きに新たな進展が見られた。広島市は、5月に被爆建物の保存に補助金を交付するための要綱を制定し、その第1号として広島日赤の被爆窓枠の保存に3000万円を交付した。また、6月には連合広島など13団体が「原爆ドームの世界遺産化をすすめる会」を結成した。100万人を目標に署名運動を開始し、10月に約134万人分の署名を衆参両院議長に提出した。

【海外の動き】

世界保健機構(WHO)は、5月の第46回年次総会で、核兵器の使用が国際法違反かどうかの判断を国際司法裁判所に求める決議案を賛成多数で採択した(賛成73、反対40、棄権10か国で、日本政府は棄権)。これは、国際平和ビューローが1992年5月に発足させた「世界法廷プロジェクト」の働きかけによるもので、11月には、決議が国連総会第1委員会(軍縮・安全保障)に提出された。このプロジェクトに加わっている核戦争防止国際医師会議(IPPNW)は、第11回世界大会を、9月30日~10月3日にメキシコ市で開催(73か国から約1200人が参加)し、「核兵器は、化学・生物兵器と同様に、国際条約によって禁止すべきだ」とする声明を発表した。

10月17日、ロシア海軍の船舶が日本海に液体放射性廃棄物の投棄を行った。この動向に対する国際環境保護団体グリーンピースによる追跡・抗議行動は、世界的な反響を呼びおこし、液体放射性廃棄物海洋投棄中止のロシア政府声明(10月21日)を引き出すことに成功した。さらに、11月18日には、海洋汚染を防止するための「ロンドン条約」の締約国定例会議が、低レベル放射性廃棄物の海洋投棄を全面禁止する条約改正案を圧倒的多数で採択した。

日本の老人たち

『日本の老人たち』(船越恵<ふなこし・けい>、創樹社、19730630)

内容

章節
序 呼び覚まされるもの―この写真集に寄せて 佐多稲子
東北の老人たち
都市の孤老たち
広島の老人たち 備考
ベッドが”お城”の原爆孤老 寺内キシノ
だれの罪 広本フサ
廊下が玄関の家で 吉田英子
迷路の奥で 曽根ヨシ
自己にこもる 梅野智章
筑豊の老人たち
あとがき

 

年表:原爆展(1993年)

年表:原爆展(1993年)

記事
02 02 終戦直後の広島・呉を元オーストラリア兵が写した写真展「アッケラ観HIROSHIMA」、広島市内で開幕。-28日。丸木位里・赤松俊子「原爆の図」展の開催された五流荘の写真も展示。
02 25? 「峠三吉記念事業委員会」、8月に資料展の開催を計画。
03 01? 「殿敷侃-遺されたメッセージ・アートから社会へ」展、下関市立美術館で開催。-21日。
03 04 ヒロシマ・ナガサキ平和基金など、写真展「人間の価値-ナチス時代のドイツ医学」を広島市南区民センタ-で開催。
03 17? ノルウェー・ベモルク産業労働博物館の館長と学芸員、6月にノルウェーで開催予定の戦争・平和セミナーで「ヒロシマ・ナガサキ展示コーナー」を開設するため広島を視察。
04 05 スミソニアン協会・国立航空宇宙博物館のマーティン・ハーウィット館長ら、広島市役所を訪れ、平岡市長に被爆関係資料の貸与を要請。
04 16 広島県大久野島の毒ガス資料館、開館5周年を迎える。入館者は延26万5000人。1992年は過去最高の7万3000人。
05 08? 三菱信託銀行広島支店、ロビーで高橋昭博が原爆資料館在任中に集めた映画関係者・作家などの色紙71枚を展示。-31日。
05 15 長崎平和公園・原爆遺跡写真展、山口市で開催。-16日。
05 21? 東広島市被爆資料保存推進協議会、同市福祉センタ-「松翠苑」内にある原爆資料展示室のパンフレットと被爆証言ビデオを作製。
05 31 写真展「出会ってくれ-進駐軍ビル・シェリフの見た呉・広島」、呉市役所ロビーで開催。-6月6日。
06 02 広島市歴史科学教育事業団、広島城で特別企画展「天守閣再建物語-広島城の戦後」を開催。-7月18日。
06 29? 第14回ながさき8・9平和展、作品を募集。
07 17? 広島県大竹市の本町郵便局、被爆体験を描いた絵画の展示会を開催。-28日。昭和63年から初め今年で6回目。
07 24 「第13回平和のための大阪の戦争展」、通天閣で開幕。被爆1月後に米国人医師が撮影した長崎の写真など初公開。
07 26 広島市公文書館、写真展「天まで響け トンテンカン展」を開催。-9月30日。
07 29 滝口秀隆の写真展「廃墟に生きた樹木たち」、広島市内の中国電力電化ホールで開幕。-8月7日。[被爆樹木]
07 30 創価学会広島青年平和委員会、「アジアから見た日本・ヒロシマ」展を広島池田平和記念会館で開催。-8月31日。
08 01 埼玉県平和資料館、東松山市の物見山公園内にオープン。
08 01 埼玉県平和資料館、オープン。広島・長崎の原爆被災のコーナーも設置。
08 01 写真展・「安野」からの証言、広島労働会館で開催。-6日。
08 02 クリントン米大統領、広島に原爆を投下したB29爆撃機エノラ・ゲイを展示する博物館をワシントン郊外のダレス空港近くに建設する法律に署名。
08 03 広島市、米国スミソニアン協会・国立航空宇宙博物館が送ってきた被爆50周年の「展示計画書」(7月17日届く)の和訳を公表。長崎市にも同様の書簡が届く。
08 13 岐阜県可児郡御嵩町・同町教育委員会、「世界の恒久平和を願って-平和記念展」を同町中央公民館で開催。-15日。被爆資料など展示。
09 07 李鍾万韓国原爆被害者協会会長、長崎市役所を訪問し、ソウルに建設を計画している原爆資料館への協力を要請。
09 15? 長崎県原水協・日中友好協会長崎支部など、「平和のための戦争展」を長崎市内で開催。
10 24? 広島市、1994年6月に「平和博物館会議」(仮称)の開催を計画。
11 05 長崎平和推進協会、南高千々町の公民館で「語りつごう原爆被災」と題した行事(写真展・映写会・体験講話)を開催。-6日。
11 06 京都府舞鶴市に「赤れんが博物館」がオープン。広島原爆ドームのれんがなど国内外の約650点を収集。
11 11? 広島・長崎両市、米国スミソニアン協会航空宇宙博物館から貸出を希望する
12 31? 写真展「われらみな人間家族」、東京で開催。-1994年1月11日。

ヒロシマ・ナガサキ原爆写真・絵画集成

『ヒロシマ・ナガサキ原爆写真・絵画集成(全6巻)』(編集委員:家永三郎・小田切秀雄・黒古一夫、発行所:日本図書センター、19930325)

ヒロシマ・ナガサキ原爆写真・絵画集成1-被爆の実相

タイトル 著者・作者
003 序 (映像記録の意味するもの) 家永三郎
005 アサヒグラフ 1952年8月6日号
原爆犠牲都市第1号・広島  尾糠政美/松本栄一/宮武甫
原爆犠牲都市第2号・長崎  富重安雄/松本栄一
020 広島 戦争と都市 林重男/菊池俊吉
037 被爆直後 惨禍の映像
林重男/川原四儀/松重美人/菊池俊吉/宮武甫/尾糠政美/松本栄一/山端庸介/塩月正雄/富重安雄
123 記録写真 原爆の長崎 山端庸介
186 解説「原点」から 黒古一夫

 

ヒロシマ・ナガサキ原爆写真・絵画集成2-惨禍の傷跡

 頁  タイトル   著者・作者
003 写真記録 ヒロシマ25年 佐々木雄一郎
8本の線と1個の点/原子砂漠/閃光/爆風/焼け跡/人間をかえせ/惨劇の証人/廃墟のヤドカリ/怒りと祈りと消えぬ爪あと/涙と叫びの夏/不死鳥のごとく
101 ヒロシマは生きていた 佐々木雄一郎
105 原爆と人間の記録 福島菊次郎
病苦と極貧の谷間で/狂気の出漁/7年目の通院/中村蓉子の青春/家を棄てる子供たち/そして、絶望と死と/怨念の水彩画
161 写真集 長崎の証言 日本リアリズム写真集団長崎支部
長崎原爆病院/山口仙二さん
いまだ癒えず 現在を語る被爆者たち 日本リアリズム写真集団長崎支部
日々を生きて・富永吉五郎さん、タセさん
198 写真記録 被爆者 森下一徹
224 解説 「記録」しつづけることの意味 黒古一夫

 

ヒロシマ・ナガサキ原爆写真・絵画集成3-継続する悲劇

 頁  タイトル  著者・作者
003 ヒロシマ  土門拳
広島原爆病院/ABCC/精薄児施設六方学園/広島市戦災児育成所/育児施設広島明成園/13年寝たきりの人・平本ツタさん 13年寝たきりの人・中村杉松さん/被爆者同士の結婚・小谷夫妻/倶会一処
153 憎悪と失意の日々  ヒロシマはつづいている 土門拳
紫斑の手の娘さん/片足を切断した老婆/病理学標本/柱のガラス・窓のガラス・懐中時計/煮えた瓦/原爆スラム/百合子ちゃん/大野寮の子どもたち/私の目をかえせ
179 原爆棄民 韓国・朝鮮人被爆者の証言 伊藤孝司
朴昌煥/朴守龍/尹甲秀/徐正雨/白昌基/辛福守/林玉仙/金南出/安永千/鄭登明/宋年順/金永根/韓鳳愚/李猛姫
210 解説 生きている〈ヒバクシャ〉 黒古一夫

 

ヒロシマ・ナガサキ原爆写真・絵画集成4-絶後の意志

 頁  タイトル  著者・作者
003 広島壊滅のとき 被爆カメラマン写真集 広島原爆被災撮影者の会
尾木正己/川原四儀/川本俊雄/岸田貢宜/岸本吉太/北勲/木村権一/黒石勝/斉藤誠二/空博行/林寿麿/深田俊夫/松重三男/松重美人/森本太一/山田精三
069 母と子で見る 原爆を撮った男たち 「反核・写真運動」
松本栄一/菊池俊吉/林重男
110 米軍返還資料 林重男/菊池俊吉
125 米軍撮影写真
165 もの言わぬ証言者たち 原爆遺品  土田ヒロミ
189 被爆から半世紀 未来への灯として SOLENT TESTIMONY:Artifacts form the Bombings
238 解説 〈風化〉に抗して  黒古一夫

 

ヒロシマ・ナガサキ原爆写真・絵画集成5-ヒロシマ

 頁  タイトル  著者・作者
003 原爆の図  丸木位里 ・丸木俊
第1部 幽霊/第2部 火/第3部 水/第4部 虹/第5部 少年少女/第6部 原子野/第7部 竹やぶ/第8部 救出/第9部 焼津/第10部 署名/第11部 母子像/第12部 とうろう流し/第13部 米兵捕虜の死
054 きり絵画文集  原爆ヒロシマ 寺尾知文
閃光/原子雲/炎/川に飛び込む/水を求めて/さまよう/閃光と爆風/子どもを返せ/学徒たち/被爆者の顔/病床/平和の鐘
069 閃光の軌跡  山下蘇朴
炸裂/うずくまる少女/乳飲子を抱いて炎の海から脱出しようとする血だるまの母/炎の街で/目玉の飛出した少年/炎の中で/閃光より子を守る母/閃光に皮を剥がれた娘/炎の中の母子/死んだ子どもを焼く家族/蛆虫の棲処となったヒバクシャの体/ケロイドのある被爆者/子どもの頭蓋骨を持つ女/黒い雨の降る街/髪の抜けることを気にしながら死んだ弟/ヒロシマの鳩
083 〝ヒロシマ〟シリーズ  増田勉
自画像/溶解/廃墟/屍/防空壕
88 被爆市民が描く原爆の絵
169 人間の再生を希求して 原爆に挑む画家たち
平山郁夫/上野誠/司修/島崎庸夫/石井壬子夫/森芳雄/奥谷博/絹谷幸二/福島瑞穂/大森運夫/秀島由己男
200 解説 心に刻印された〈地獄〉◎黒古一夫

 

ヒロシマ・ナガサキ原爆写真・絵画集成6-ナガサキ

 頁  タイトル 著者・作者
003 原爆の図◎  丸木位里 ・丸木俊
第14部 からす/第15部 ながさき
012 被爆市民が描く原爆の絵
055 原爆絵巻 崎陽のあらし  深水経孝
096 原子野スケッチ  山田英二
101 平和版画集 原爆の長崎 上野誠
長崎の顔/長崎の像/廃墟の丘/生きて残る/傷痕から/丘の上の老女/原子野A・B・C・D/ある被爆物語/火の中の鳩/はばたき/飛翔
128 人類の再生を希求して 原爆に挑む画家たち
山崎善次郎/永瀬平八/小川緑/大塚伊次/寺井邦人/松添博/尾崎正義/黒崎美千子/池野巌/小崎侃/平方亮三
196 解説 「証言」と〈祈り〉、〈怒り〉  黒古一夫

 

呉市史第7巻

『呉市史 第7巻』(呉市史編纂委員会・呉市、19930331)

目次()

編章節 タイトル 備考
発刊のことば 佐々木有(市長)
1 戦後の市民生活
1-1 再建・復興期の呉市の動向 千田武志
1-2 民主政治の推進 千田武志
1-2-6 治安・消防と災害 北村恒信
1-3 経済の再建・復興 高橋衛
1-3-5 農林水産業の変様 千田武志
1-4 都市基盤の整備 千田武志
1-5 戦後の教育と文化
1-5-1 新教育制度の発足と充実 藤原浩修
1-5-2 文化 千田武志
1-5-3 宗教 千田武志
1-5-4 スポーツ活動 千田武志
1-6 社会運動と社会福祉の新展開
1-6-1 労働組合の結成と労働運動の高揚 天野卓郎
1-6-2 社会運動の進展 天野卓郎
1-6-3 社会福祉の展開 千田武志
1-6-4 失業問題とその対策 千田武志
1-7 医療・衛生事業の推進 千田武志
1-8 復興期の市民生活 千田武志
2 合併町村 千田武志

 

アジア太平洋戦争から何を学ぶか

『アジア太平洋戦争から何を学ぶか』(歴史教育者協議会編、青木書店、19930725)

目次

アジア太平洋戦争を問いなおす
アジア太平洋戦争をどう学ぶか
1
2
3
4 侵略戦争の結果もたらされたもの
4-1 戦略爆撃
4-2 沖縄戦
4-3 広島・長崎への原爆投下 西島有厚
4-4 日本の敗戦
5 戦争責任を考える
授業実践記録
戦争資料館
アジアと近代日本
アジア太平洋戦争略年表
あとがき

旧陸軍被服支廠保存・活用方策への提案

旧陸軍被服支廠保存・活用方策への提案
(1993.2.1 宇吹 暁委員)
ヒロシマ・ピース・プラザ(広島県平和館)とし、非核自治体宣言に基づく行政施策の中心施設と位置づけ、県民やアジアを中心とした世界の平和情報の受信と発信の機能を持たせる。

[具体的機能]

Ⅰ.広島県近・現代史資料館としての機能
☆原爆被害の実態解明
*原爆被害は、建物疎開作業や救護活動への動員により、県内全般にひ ろがっている。しかし、これらの実態解明は、広島市の努力には限界が あり、県として独自に取り組む意義が存在する。
☆広島県と戦争に関する資料の収集・整理
*広島県編「広島県戦災史」の編さん過程で、県内には多数の軍事関係 の行政資料が残っていることが確認できた。県立文書館と連携をとりな がら、明治以降の兵事資料を中心に収集・保存・整理を行う。
*兵役・戦闘・空襲・銃後に関連する資料は、呉や福山の空襲を記録す る会などにより、展覧会用に一時的に収集されたことはあるが、恒久的 な保存措置は取られていない。県として協力を呼びかけることにより、 多数の団体・個人資料が発掘できるものと思われる。
*「軍都広島」の実態を明らかにするため、防衛庁防衛研修所・13師 団(海田)・入船山記念館(呉)・参考資料館(江田島)・毒ガス資料 館(大久野島)などで収集されている資料の映像化による収集と総括的 なデ-タベースの構築を行う。

Ⅱ.国際交流機能
*海外からの広島訪問者に広島県を紹介する窓口
*海外からの短期の技術研修者・放射線医療研修者の宿泊施設
*留学生と日本の青少年との交流の場