広島原爆障害研究会 設立日:1956年11月
研究会メンバー
名前 |
所属 |
分野 |
井上省三 Inoue,Shozo |
広島赤十字病院 |
内科 |
小川修三 Ogawa,Shuzo |
広島大学理学部 |
理論物理 |
於保源作 Obo,Gensaku |
広島市 |
内科 |
佐久間澄 Sakuma,Kiyoshi |
広島大学理学部 |
理論物理 |
重藤文夫 Shigeto,Fumio |
広島赤十字病院 |
内科 |
品川睦明 Shinagawa,Mutsuaki |
広島大学理学部 |
分析化学 |
庄野直美 Shono,Naomi |
広島女学院大学 |
理論物理 |
杉原芳夫 Sugihara,Yoshio |
広島大学医学部 |
病理 |
瀬戸紀守 Seto,Norimori |
広島市 |
産婦人科 |
原田東岷 Harada,Tomin |
広島市 |
外科 |
広瀬文男 Hiroshe,Fumio |
広島大学医学部 |
病理 |
広藤道男 Hirofuji,Michio |
広島市 |
内科 |
細川利郎 Hosokawa,Toshiro |
広島赤十字病院 |
内科 |
槙殿順 Makidono,Jun |
広島市 |
放射線科 |
山本司 Yamamoto,Tsukasa |
広島原爆病院 |
病理 |
以上は1957年12月末のメンバー |
以下は1958年7月のメンバー表で新たに加えられたメンバー |
Masuda,Yoshiya |
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Mizuno,Moriso |
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Nishida,Sekio |
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Nakayama,Hiromi |
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Tabuchi,Akira |
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原爆被害相談員の会からの報告(IPSHU研究報告シリーズ No.23 広島大学平和科学研究センター 1996年3月1 日)
著者 |
タイトル |
相良カヨ(原爆被害者相談員の会) |
被爆者とABCC |
三村正弘(広島県保険医協会) |
原爆被害者援護法と社会保障の一考察 |
若林節美(広島YMCA健康福祉専門学校) |
被爆者は今 |
船橋喜恵(広島大学総合科学部) |
原爆被害者相談員の会の歩み |
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被爆者問題国際シンポジウム広島準備会・生活史調査委員会(編) 『被爆者・この32年の苦悩
-相談援助制度と援護法を求めて-』

『原爆被害に関する事例報告-生き続けた31年』(原爆被害者問題ケースワーカー懇談会<日本被団協気付・伊藤直子>、19760730刊)
目次
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「原爆被害に関する事例報告」発刊にあたって―経過と目的――1976年7月30日原爆被害者問題ケースワーカー懇談会 |
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事例報告 |
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加藤礼子 |
1原爆に奪われた「人並み以上」の人生(広島赤十字病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴16年>)<当病院の医療社会事業部は、全国の日本赤十字社と足並を揃えて昭和28年ごろより始められ> |
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若林節美 |
2 被爆,下痢そしてスモン発病-2重の苦しみを背負って-(広島原爆病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴9年>) |
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西村清登 |
3ある被爆者の老後-24年目の親子再会-(放射線影響研究所・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴13年>) |
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中村住代 |
4 生きるのぞみをうばわれて(長崎原爆病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴7年>) |
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白石照子 |
5 なおつづく「戦後」を背負って―二世に及ぶ被害(長崎原爆被災者協議会相談員) |
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野口文子 |
6 アル中,そして死-妻子にも語れたかった死の恐怖-(柳原病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴9年>) |
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原玲子 |
7 影深く-尾をひく被爆体験(代々木病院・医療ソーシャルワーカー<ワーカー歴9年>) |
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石田忠 |
原爆被害の全体像をどうとらえるか-ケースワークにおける生活史把握の意味-<1976年2月29日広島県社会事業協会主催「被爆者問題事例検討会」での講演をまとめたもの> |
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記録をおわって あとがき |
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参考資料 |
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全国ケースワーカー大会(日本医療社会事業協会主催) 1977年5月20~21日。テーマ:「資格制度の方向性をさぐる」。会場:中国新聞社・平和記念会館(広島市)。参加者約600人。2日目の8分科会の一つに「原爆被害者問題」(このテーマの分科会が設けられたのは初)。約50人が出席。長崎(友池敏雄・長崎原爆病院)と広島(山田寿美子・福島生協病院)から実践報告。午後1時から石田忠一橋大学教授の特別講演「ケースワーカーにおける生活史把握の意味」と分科会報告。
出典:「赤旗」1977年5月22日。
平和キャラバン 1971年、山口大学ユネスコクラブ(被爆者福祉会館『ゆだ苑』内)が第1回を実施。
出典:『第十回平和キャラバン総括集』(山口大学ユネスコクラブ、1981年?)目次
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第1部 |
第10回平和キャラバン総括―歴史を再検討しつつ― |
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1. |
趣意書 |
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2. |
第10回平和キャラバンの足どり |
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3. |
各企画紹介 |
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(1)被爆者懇談会 |
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(2)自治体交渉 |
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(3)6・9行動 |
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(4)行進 |
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(5)施設訪門 |
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4. |
平和キャラバン、第10回迄の歩みと今後の発展方向 |
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5. |
各企画総括 |
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(1)自治体交渉被 |
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(2)爆者懇談会 |
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(3)施設訪門 |
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第2部 |
基本懇答申をのりこえて~状況とユネスコクラブの運動の方向~ |
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第1章 |
基本懇答申の経緯と内容 |
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第2章 |
被爆者援護法の根本精神と答申批判 |
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第3章 |
基本懇答申に反映される社会情勢 |
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第4章 |
地域の申に援護法精神を~ユネスコクラブの今後に向けて~ |
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※哀悼の意を表します |
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※第10回平和キャラバン会計報告 |
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※協力団体 |
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※県内被爆者を支える『ゆだ苑』にご協力を |
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『ヒバクシャ-ともに生きる第30号』原爆被害者相談員の会、20130806
目次
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相良カヨ |
栗原淑江さんの「明日へつなぐ集い」に参加して |
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3月16日、東京・渋谷で開催。 |
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河宮百合恵 |
若林節美さん 第41回「医療功労賞」全国表彰受賞の報告 |
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3月15日、東京・帝国ホテルで開催。 |
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『ヒバクシャ-ともに生きる第33号』原爆被害者相談員の会、20150806
目次
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栗原淑江 |
今、「自分史」を書くということ~被爆70年をふりかえって~ |
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1.はじめに―「被爆者の自分史」の20年 |
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「自分史つうしん ヒバクシャ」を20年間240か月、240号(2013年1月)まで発行。のべ940編、実数は、被爆者95人、二世・三世10人、支援者66人。 |
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『ヒバクシャ-ともに生きる第33号』原爆被害者相談員の会、20160806
目次
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三村正弘 |
巻頭言 |
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田村和之 |
最高裁で勝訴-在韓被爆者医療費裁判~最高裁判決の意味、残された課題~ |
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高東征二 |
「黒い雨」地域拡大の運動に参加して |
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望月照己 |
世界遺産・原爆ドームの近くにかき船は、いらない! |
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渡邊美和 |
原発事故から五年四ヵ月~福島原発ひろしま訴訟~ |
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山地恭子 |
在韓被爆者渡日治療広島委員会活動終了の節目に |
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村田 朱 |
12・11基本懇意見書にこだわる被爆者問題講演会の報告 |
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村上須賀子 |
「被爆体験の継承~ヒロシマMSWの生活史から~」 |
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『ヒバクシャ-ともに生きる第34号』原爆被害者相談員の会、20170806
目次
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三村正弘 |
巻頭言 |
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山下正寿 |
ビキニ事件を検証する |
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古寺愛子 |
原爆症認定申請を支援して |
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中野陽子 |
長崎原爆学級について |
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宇田茂樹 |
長崎原爆・被爆稲を育てて感じていること |
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渡辺淳子 |
“究極の偶然”リオオリンピック1分間の黙祷を目指して |
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古寺愛子 |
第35回 8・6原爆被害者証言のつどい報告 |
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村田 朱 |
12・11被爆者問題講演会の報告 |
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直野章子 |
講演録「被爆者を引き受ける―七一年目の広島で」 |
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三村正弘 |
福島第一原発被災地の視察と交流・研修(概要) |
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中村有紀子 |
貧困研究会 第九回研究大会 シンポジウム報告 |
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山地恭子 |
福島に生きるソーシャルワーカー~被災者として~ |
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望月みはる |
福島、原発避難区域の現地調査 |
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三村正弘 |
浜通り医療生協組織部訪問 |
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古寺愛子 |
『生きる』5集出版記念パーティー |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。