原子爆弾後障害研究会で取り上げられた海外のヒバクシャ
年 |
回 |
報告者 |
タイトル |
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1964 |
06 |
熊取敏之 |
ロンゲラップ島被曝住民の調査報告(特別報告) |
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1987 |
28 |
蔵本淳 |
チェルノブイリ原発事故における医療の実態 |
|
1989 |
30 |
蔵本淳 |
チェルノブイリ原発事故における医療の実態(第2報)-骨髄移植の適応と再評価 |
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1991 |
32 |
佐々木英夫ほか |
IAEA国際チェルノブイリ計画検診報告 |
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パネルディスカッション:放射線被曝者医療の国際協力 |
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平田克己 |
放射線被曝者医療の国際協力:広島県医師会の立場から |
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迎英明 |
過去の経験をふまえての被曝者への海外協力の問題点 |
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石野誠 |
放射線被曝者医療の国際協力:長崎における国際協力 |
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蔵本淳 |
放射線被曝者医療の国際協力:チェルノブイリの場合(医療サイドから) |
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河合護郎 |
医療推進事業への願いと提言 |
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矢野周作 |
放射線被曝者医療の国際協力:行政としての立場から |
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本間泉 |
放射線被曝と国際協力 |
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寺崎昌幸ほか |
腫瘍登録による国際協力-長崎市医師会腫瘍統計・組織登録 |
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1993 |
34 |
竹岡清二ほか |
ヒューマンカウンターによるチェルノブイリ周辺地域から来日した子供の137Cs体内放射能測定 |
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難波裕幸ほか |
チェルノブイリ周辺地域住民の尿中ヨード測定 |
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武市宣雄ほか |
チェルノブイリ原発事故と小児甲状腺癌-広島の原爆被爆者例と比べて |
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武市宣雄ほか |
広島の胎内原爆被爆者にみられた甲状腺癌の経験、チェルノブイリ原発事故の胎内被爆症例も含めて |
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佐藤幸男ほか |
WHOのInternational Program on the Health Effects of the Chernobyl Accident (IPHECA) のプロジェクト “Brain Damage in Utero” 紹介 |
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1994 |
35 |
久住静代ほか |
チェルノブイリ原発事故による広域放射能被曝の心理的影響(国際シンポジウム報告) |
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島崎達也ほか |
チェルノブイリ原発周辺住民の内部被曝線量の測定 |
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伊東正博ほか |
チェルノブイリ原発周辺地域における小児甲状腺疾患の形態学的検討 |
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瀬山敏雄ほか |
チェルノブイリ事故汚染地域における小児甲状腺癌の遺伝子変化 |
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高木昌彦 |
セミパラチンスク医科大学における第1回国際会議(環境・放射線・健康)の報告 |
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<以下未調査> |
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止
財団法人放射線影響研究所年報に見る放影研の「国際化」
年度 |
内容(抄) |
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75-78 |
「研究所の名称で、放射線影響学会及び日本学術会議よりクレームが出されていました」
「吸血鬼とか、禿鷹のような異名まで付けられ、比治山で睥睨[へいげい=周囲をにらみすえて威勢を示すこと]しているのはけしからん、早く山より下りて、もっと被爆者の福祉につながる仕事をしろというような声が高くて、それを打ち消すのにもかなりの期間と隠忍自重と努力とを要しました。」 |
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85-86 |
第13回放影研専門評議員会議事録(昭和61年3月18日-20日)
非公開会議
「その第1は、調査対象となり得る被爆者の数が徐々に減少しているという自明の事実であった。この事実により、放影研の将来を検討しなければならない問題が生じてくる。放影研は、その使命が次第に終結に近づくにつれて、厚生省が支援する他の団体に吸収合併されれば理想的である。言及されたように、加齢研究所が設立されれば、放影研はそこに同質の棲家を見いだすかもしれない。日米双方の専門評議員がこの問題の対策をたてられるように真剣に取り組む必要があるという点で意見が一致した。」 |
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86-87 |
重松逸造理事長「緒言」「昭和61年度における重要ニュースの一つは、4月に突如起こったソ連Chernobyl原子力発電所の爆発事故である。これに関連して、昭和62年1月11日から21日まで5名のソ連視察団が日本に派遣され、その一行は1月13日と14日の両日放影研の調査研究を見聞するために来訪した。広島・長崎の長年にわたる協力によって得られた当所の経験とデータは、原発事故被害者の保健福祉に役立つものと確信しているが、これはまた被爆者各位の御意向に沿うものと考えている。」 |
|
87-88 |
重松逸造理事長「緒言」
「現在、放影研で進行中の研究課題は67件あり、そのうち29件(43%)が実験研究である。20年前に実験室研究が占める割合は10%に過ぎなかった。」 |
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88-89 |
J.W.Thissen副理事長「緒言」
「本年報で報告の対象となっている昨年度は、放影研の学術活動が極めて盛んに行われた記念すべき年であった。[中略] 世界の舞台において増大しつつある放影研の役割の一つに「国際化」がある。外国からの来訪者が増加しているばかりでなく、放影研の科学者に対し、世界保健機関、国際放射線防護委員会(ICRP)、欧州共同体委員会などの国際的機関が主催する活動への参加依頼が増加している。この原因の一端は、1986年のソ連Chernobylの原子炉事故と、ソ連における医学的追跡調査研究計画を作成するにあたり放影研をモデルにしていることにあるが、より大きな原因は、ICRPや国連科学委員会(UNSCEAR)等の機関の報告書や勧告に繰り込まれている人体に対する放射線リスクの測定に関する当研究所の所見の重要性が認められていることではなかろうか。」 |
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90-91 |
重松逸造理事長「緒言」
「最近では、当研究所で調査・研究してまいりました後影響の問題が重要視され、WHO(世界保健機関)、IAEA(国際原子力機関)などの国際機関のほか、日ソ政府間協力事業を通して協力が要請されております。」
「国際協力」の項
「放影研は、1979年に世界保健機関(WHO)の「放射線の人体影響に関する研究協力センター」に指定されている・・・」
「ソ連政府は、Chernobyl事故の健康影響についての科学的調査を国際原子力機関(IAEA)に依頼し、これを受けてIAEAは各国の専門家で構成された諮問委員会を組織し、重松逸造理事長がその委員長に任ぜられた。」
「日ソ両政府の間で1990年9月にChernobyl原発事故被害対策で協力することに合意し、それに基づく日ソ専門家会議が1990年12月に東京で、続いて1991年3月4-5日の両日、Moscowで開催された。重松逸造理事長は日本政府派遣専門家(9人)の団長としてこの会議に出席し、長期的な健康被害疫学調査に関する日本政府の協力内容の細部についてソ連専門家と協議した。」
「広島県が中心となって、人類初の原爆被爆地の使命として、世界各地の放射線被爆者の医療援助に資するため、県、市、医療・研究機関が参加して「放射線被曝者医療に関する国際協力検討委員会」を設立することになり、重松逸造理事長がその会長に選任された。原爆後40数年の経験について世界各国から情報提供、助言、医療面での援助などの要請が数多く寄せられており、関係各機関や行政が連係をとりながら、窓口を統一してより効率的に対応するための協力体制を検討することが目的であり、放影研も大きな役割を果たすことが期待されている。」 |
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『放射線影響研究の10年』(文部省科学研究費(総合)「放射線の影響」研究班、196503)
目次
事項 |
執筆者 |
備考 |
はしがき |
桧山義夫(東大農教授) |
|
|
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|
前篇(時代別) |
|
ビキニ以前 |
田島英三(立大理教授) |
|
原爆症 |
渡辺漸(広大原医研所長) |
|
ビキニ事件 |
桧山義夫(東大農教授) |
|
国連科学委員会 |
田島英三(立大理教授) |
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後篇(分野別) |
|
物理関係 |
山崎文夫(理研主任研究員) |
|
化学関係 |
三宅泰雄(東教育大教授) |
|
生物と遺伝 |
田島弥太郎(遺伝研部長) |
|
環境放射能汚染 |
桧山義夫(東大農教授) |
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医学関係 |
宮川正(東大医教授) |
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広島市原対協被爆生存者(児童生徒)調査表
1956年1月10日現在
|
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小学校 |
中学校 |
高等学校 |
計 |
A.外傷のみあるもの |
検査希望 |
27 |
44 |
15 |
86 |
治療希望 |
31 |
52 |
16 |
99 |
検査治療希望せず |
155 |
270 |
149 |
574 |
計 |
213 |
366 |
180 |
759 |
B.自覚症状のみあるもの |
検査希望 |
186 |
175 |
82 |
444 |
治療希望 |
151 |
140 |
52 |
343 |
検査治療希望せず |
332 |
619 |
286 |
1237 |
計 |
669 |
935 |
420 |
2024 |
C.外傷自覚症状共にあるもの |
検査希望 |
50 |
52 |
34 |
136 |
治療希望 |
60 |
86 |
29 |
175 |
検査治療希望せず |
83 |
150 |
125 |
358 |
計 |
193 |
288 |
188 |
669 |
D.外傷自覚症状共にないもの |
検査希望 |
175 |
161 |
73 |
413 |
治療希望 |
76 |
98 |
22 |
196 |
検査治療希望せず |
1690 |
2801 |
1105 |
5596 |
計 |
1945 |
3060 |
1200 |
6205 |
E.総計 |
検査希望 |
442 |
433 |
204 |
1079 |
治療希望 |
318 |
376 |
119 |
813 |
検査治療希望せず |
2260 |
3840 |
1665 |
7765 |
計 |
3000 |
4349 |
1988 |
9657 |
出典:『広島原爆医療史』」601頁
Y.SCOTT Matsumoto,Ph.D.「原爆の被爆者に及ぼした社会的影響 広島・長崎」(『原爆傷害調査委員会 業績報告書』 TECHNICAL REPORT 12-69)April 1969承認
(以下抜粋)
本報告は、1967年1月18-21日、New Jersey 州 Princeton 市において開かれたニューヨーク科学アカデミー主催の会議 ”Interdisciplinary Communication Program” に発表するために準備した覚え書きをまとめたもの。
緒言
*過去年間にわたって継続している両市におけるマスコミの影響と効果
*1946年以来の両市のおもなできごと<継続的に絶えず大きく報道され、その結果、被爆者の不安をいっそう増大>を簡単にのべてみる
1945-67年のおもなできごと
年 |
できごと |
1945 |
70年間一切の生物の棲息不可能。都築の診察開始。米国陸海軍合同調査団結成 |
1946 |
Henshaw, Brues, Block, Neel, Ullrichからなる調査団の広島。長崎訪問 |
1947 |
3月、Neelが広島赤十字病院に事務所を開設、ABCCの活動が実際に始まる。12月、天皇の広島訪問。 |
1948 |
特記すべきことなし。 |
1949 |
|
|
|
|
|
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|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
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|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
1966 |
映画「ヒロシマ1966」 |
1967 |
映画「愛と死の記録」、映画「千曲川絶唱」(3月封切) |
解説および考察
表 |
|
|
1 |
|
|
2 |
|
|
3 |
|
|
4 |
|
|
5 |
成人健康調査における医療社会ケースワーク:被爆区分・都市別、第3診察周期、1962-64 |
|
6 |
|
|
7 |
|
|
8 |
|
|
9 |
|
|
要約
**健康・寿命・結婚・転住、その他の社会的要因に関する統計を提示したが、これらの統計資料は、一般にいわれている被爆者の自殺、結婚における傾向についての概念を裏づけず、時には否定する結果を示した。
国立予防衛生研究所 1957年5月21日設立
年報目次(抄)
年度 |
章節 |
見出し |
備考(抄録) |
1947 |
1 |
沿革 |
|
|
1-1 |
誕生 |
|
|
1-2 |
設立の趣旨及び機能 |
|
|
1-3 |
予研の将来 |
|
|
1-4 |
運営方針 |
|
1948 |
|
原子爆弾影響の医学的調査に関する米国Atomic Bomb Casualty Commision (ABCC)との協同研究 |
|
1949 |
Ⅶ |
原子爆弾影響研究所 |
|
1950 |
Ⅳ |
原子爆弾影響研究所その他における協力 |
|
1951 |
Ⅵ |
原子爆弾影響研究 |
|
1952 |
ⅩⅤ |
広島・長崎支所 |
|
1953 |
ⅩⅤ |
広島・長崎支所 |
|
1953 |
ⅩⅥ |
原爆症調査研究協議会 |
|
1954 |
ⅩⅣ |
放射能研究委員会 |
|
1954 |
ⅩⅥ |
広島・長崎支所 |
|
1954 |
ⅩⅦ |
原爆症調査研究協議会 |
|
1955 |
ⅩⅣ |
放射能研究委員会 |
|
1955 |
ⅩⅥ |
広島・長崎支所 |
|
1956 |
ⅩⅣ |
放射能研究委員会 |
|
1956 |
ⅩⅥ |
広島・長崎支所 |
|
1957 |
ⅩⅤ |
放射能研究委員会 |
|
1957 |
ⅩⅦ |
広島・長崎支所 |
|
1958 |
ⅩⅤ |
放射能研究委員会 |
|
1958 |
ⅩⅦ |
広島・長崎支所 |
|
1959 |
ⅩⅤ |
放射能研究委員会 |
|
1959 |
ⅩⅦ |
広島・長崎支所 |
|
1960 |
ⅩⅦ |
広島・長崎支所 |
|
1961 |
ⅩⅧ |
広島・長崎支所 |
|
1962 |
ⅩⅧ |
広島・長崎支所 |
|
1963 |
ⅩⅨ |
広島・長崎支所 |
|
1964 |
ⅩⅨ |
広島・長崎支所 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
原爆被災者数(1950年)と被爆者数の推移<都道府県別>
*1950年国勢調査の付帯調査としてABCCが実施した原爆被災生存者調査の結果判明した数。**各年度末の被爆者健康手帳所持者数
|
1950広島* |
1950長崎* |
1950両市計* |
1975年度** |
1995年度** |
2017年度** |
北海道 |
581 |
105 |
686 |
592 |
638 |
292 |
青森県 |
103 |
15 |
118 |
85 |
113 |
50 |
岩手県 |
145 |
24 |
169 |
110 |
116 |
27 |
宮城県 |
256 |
27 |
283 |
234 |
273 |
130 |
秋田県 |
131 |
18 |
149 |
48 |
74 |
19 |
山形県 |
163 |
12 |
175 |
104 |
101 |
18 |
福島県 |
264 |
25 |
289 |
147 |
161 |
62 |
茨城県 |
360 |
29 |
389 |
369 |
600 |
344 |
栃木県 |
247 |
31 |
278 |
273 |
351 |
176 |
群馬県 |
242 |
17 |
259 |
215 |
268 |
118 |
埼玉県 |
372 |
54 |
426 |
1499 |
2607 |
1728 |
千葉県 |
611 |
67 |
678 |
2174 |
3722 |
2213 |
東京都 |
2936 |
766 |
3702 |
9158 |
9791 |
5203 |
神奈川県 |
925 |
215 |
1140 |
4459 |
6166 |
3886 |
新潟県 |
262 |
29 |
291 |
193 |
225 |
92 |
富山県 |
97 |
26 |
123 |
132 |
137 |
52 |
石川県 |
170 |
32 |
202 |
186 |
189 |
82 |
福井県 |
190 |
31 |
221 |
178 |
165 |
57 |
山梨県 |
152 |
11 |
163 |
107 |
130 |
72 |
長野県 |
264 |
30 |
294 |
196 |
227 |
106 |
岐阜県 |
331 |
39 |
370 |
543 |
722 |
338 |
静岡県 |
438 |
65 |
503 |
786 |
1062 |
534 |
愛知県 |
940 |
120 |
1060 |
2862 |
3610 |
1957 |
三重県 |
431 |
40 |
471 |
619 |
796 |
336 |
滋賀県 |
360 |
72 |
432 |
317 |
536 |
311 |
京都府 |
821 |
143 |
964 |
1422 |
1707 |
927 |
大阪府 |
2362 |
634 |
2996 |
9184 |
10795 |
5083 |
兵庫県 |
2025 |
475 |
2500 |
5045 |
6033 |
3204 |
奈良県 |
240 |
60 |
300 |
542 |
985 |
553 |
和歌山県 |
386 |
53 |
439 |
467 |
509 |
207 |
鳥取県 |
586 |
19 |
605 |
622 |
779 |
255 |
島根県 |
1667 |
67 |
1734 |
2119 |
2626 |
918 |
岡山県 |
1840 |
88 |
1928 |
3289 |
3385 |
1417 |
広島県 |
125167 |
318 |
125485 |
179761 |
147695 |
19836 |
山口県 |
4245 |
331 |
4576 |
7008 |
6387 |
2602 |
徳島県 |
377 |
123 |
500 |
426 |
520 |
139 |
香川県 |
702 |
113 |
815 |
812 |
796 |
298 |
愛媛県 |
1410 |
209 |
1619 |
1842 |
1664 |
666 |
高知県 |
442 |
127 |
569 |
333 |
395 |
141 |
福岡県 |
1854 |
2530 |
4384 |
8597 |
10527 |
5892 |
佐賀県 |
304 |
1685 |
1989 |
2157 |
2190 |
943 |
長崎県 |
1031 |
111287 |
112318 |
109650 |
86913 |
11385 |
熊本県 |
498 |
1843 |
2341 |
2286 |
2372 |
999 |
大分県 |
667 |
870 |
1537 |
1028 |
1236 |
547 |
宮崎県 |
427 |
692 |
1119 |
732 |
1024 |
398 |
鹿児島県 |
575 |
1334 |
1909 |
1013 |
1749 |
652 |
沖縄県 |
0 |
0 |
0 |
340 |
353 |
146 |
広島市 |
0 |
0 |
0 |
114542 |
96929 |
50384 |
長崎市 |
0 |
0 |
0 |
82705 |
59850 |
29064 |
全国 |
158597 |
124901 |
283498 |
364261 |
323420 |
154859 |
|
1950広島* |
1950長崎* |
1950両市計* |
1975年度** |
1995年度** |
2017年度** |
歴史資料管理委員会(放射線影響研究所)(歴史懇話会を含む)
回 |
開催年月日 |
備考 |
1 |
20110704 |
|
2 |
20111219 |
|
3 |
20130418 |
|
|
歴史懇話会(第1回) |
講師:岡本義夫元長崎研究所事務部長https://www.rerf.or.jp/uploads/2017/09/historyforum01j.pdf |
4 |
|
|
5 |
|
|
6 |
|
|
7 |
|
|
8 |
|
|
9 |
|
|
10 |
20170713 |
|
|
歴史懇話会(第8回) |
話し手:土手盛人元疫学部次長 |
11 |
20171227 |
|
財団法人放射線影響研究所年報に見る放影研の「国際化」
号(年度) |
内容 |
75-78 |
山下久雄理事長「緒言」「研究所の名称で、放射線影響学会及び日本学術会議よりクレームが出されていました」
「吸血鬼とか、禿鷹のような異名まで付けられ、比治山で睥睨[へいげい=周囲をにらみすえて威勢を示すこと]しているのはけしからん、早く山より下りて、もっと被爆者の福祉につながる仕事をしろというような声が高くて、それを打ち消すのにもかなりの期間と隠忍自重と努力とを要しました。」 |
85-86 |
第13回放影研専門評議員会議事録(昭和61年3月18日-20日)非公開会議
「その第1は、調査対象となり得る被爆者の数が徐々に減少しているという自明の事実であった。この事実により、放影研の将来を検討しなければならない問題が生じてくる。放影研は、その使命が次第に終結に近づくにつれて、厚生省が支援する他の団体に吸収合併されれば理想的である。言及されたように、加齢研究所が設立されれば、放影研はそこに同質の棲家を見いだすかもしれない。日米双方の専門評議員がこの問題の対策をたてられるように真剣に取り組む必要があるという点で意見が一致した。」 |
86-87 |
重松逸造理事長「緒言」「昭和61年度における重要ニュースの一つは、4月に突如起こったソ連Chernobyl原子力発電所の爆発事故である。これに関連して、昭和62年1月11日から21日まで5名のソ連視察団が日本に派遣され、その一行は1月13日と14日の両日放影研の調査研究を見聞するために来訪した。広島・長崎の長年にわたる協力によって得られた当所の経験とデータは、原発事故被害者の保健福祉に役立つものと確信しているが、これはまた被爆者各位の御意向に沿うものと考えている。」 |
87-88 |
重松逸造理事長「緒言」「現在、放影研で進行中の研究課題は67件あり、そのうち29件(43%)が実験研究である。20年前に実験室研究が占める割合は10%に過ぎなかった。」 |
88-89 |
J.W.Thissen副理事長「緒言」
「本年報で報告の対象となっている昨年度は、放影研の学術活動が極めて盛んに行われた記念すべき年であった。[中略] 世界の舞台において増大しつつある放影研の役割の一つに「国際化」がある。外国からの来訪者が増加しているばかりでなく、放影研の科学者に対し、世界保健機関、国際放射線防護委員会(ICRP)、欧州共同体委員会などの国際的機関が主催する活動への参加依頼が増加している。この原因の一端は、1986年のソ連Chernobylの原子炉事故と、ソ連における医学的追跡調査研究計画を作成するにあたり放影研をモデルにしていることにあるが、より大きな原因は、ICRPや国連科学委員会(UNSCEAR)等の機関の報告書や勧告に繰り込まれている人体に対する放射線リスクの測定に関する当研究所の所見の重要性が認められていることではなかろうか。」 |
90-91 |
重松逸造理事長「緒言」「最近では、当研究所で調査・研究してまいりました後影響の問題が重要視され、WHO(世界保健機関)、IAEA(国際原子力機関)などの国際機関のほか、日ソ政府間協力事業を通して協力が要請されております。」
「国際協力」の項「放影研は、1979年に世界保健機関(WHO)の「放射線の人体影響に関する研究協力センター」に指定されている・・・」
「ソ連政府は、Chernobyl事故の健康影響についての科学的調査を国際原子力機関(IAEA)に依頼し、これを受けてIAEAは各国の専門家で構成された諮問委員会を組織し、重松逸造理事長がその委員長に任ぜられた。」
「日ソ両政府の間で1990年9月にChernobyl原発事故被害対策で協力することに合意し、それに基づく日ソ専門家会議が1990年12月に東京で、続いて1991年3月4-5日の両日、Moscowで開催された。重松逸造理事長は日本政府派遣専門家(9人)の団長としてこの会議に出席し、長期的な健康被害疫学調査に関する日本政府の協力内容の細部についてソ連専門家と協議した。」
「広島県が中心となって、人類初の原爆被爆地の使命として、世界各地の放射線被爆者の医療援助に資するため、県、市、医療・研究機関が参加して「放射線被曝者医療に関する国際協力検討委員会」を設立することになり、重松逸造理事長がその会長に選任された。原爆後40数年の経験について世界各国から情報提供、助言、医療面での援助などの要請が数多く寄せられており、関係各機関や行政が連係をとりながら、窓口を統一してより効率的に対応するための協力体制を検討することが目的であり、放影研も大きな役割を果たすことが期待されている。」 |
1991年4月、被曝者医療国際協力推進協議会(HICARE)発足。
『広島原爆医療史』(広島原爆障害対策協議会、1961年8月6日刊)
目次
章 |
節 |
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見出し |
メモ |
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発刊のことば |
松坂義正 広島原爆医療史編集委員会代表
広島原爆障害対策協議会副会長 |
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序 |
中山マサ 厚生大臣 |
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祝辞 |
尾村偉久 厚生省公衆衛生局長 |
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序 |
大原博夫 広島県知事 |
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序 |
浜井信三 広島市長 |
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序 |
武見太郎 日本医師会会長 |
1 |
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広島市防空救護対策の概要 |
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1 |
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戦局の様相 |
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防空対策 |
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3 |
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救護対策 |
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2 |
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原子爆弾投下と救急救護 |
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1 |
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原爆投下 |
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2 |
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原子爆弾と障害作用 |
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1 |
原子爆発の原理 |
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2 |
広島における原子爆弾の爆発 |
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3 |
爆発による諸現象と障害作用 |
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3 |
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被害 |
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人的被害 |
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建築物の被害 |
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3 |
その他の被害 |
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4 |
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救急救護活動 |
一、指揮系統の壊滅と応急措置、二、陸海軍およびその医療組織の活動、三、各大学医学部の活動、四、県下救護組織の活動、五、県外よりの来援 |
3 |
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地元における救護活動の実相 |
--座談会の記録-- |
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1 |
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県衛生課関係 |
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2 |
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市役所関係 |
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3 |
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警察および警防団関係 |
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4 |
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学校救護所関係 |
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5 |
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県下医師会関係 |
一、当時の県医師会長を囲んで、二、市医師会関係、双三郡医師会関係、四、高田郡医師会関係、五、その他各郡市医師会関係(尾道市医師会、山県郡医師会、安佐郡医師会、賀茂郡北部医師会、甲奴郡医師会、豊田郡医師会、神石郡医師会、呉市医師会、三原市医師会、世羅郡医師会、比婆郡医師会、御調郡医師会) |
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6 |
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在広病院関係 |
一、広島赤十字病院、二、広島逓信病院、三、広島三菱造船所病院 |
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7 |
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市歯科医師会関係 |
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市薬剤師協会関係 |
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9 |
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市看護婦会、市助産婦会関係 |
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4 |
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占領下原爆障害の医療と調査研究 |
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1 |
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救護所の閉鎖と医療機関の復興 |
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2 |
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市民生活の窮乏と原爆医療 |
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3 |
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調査研究の困難性 |
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4 |
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文部省学術研究会議その他 |
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5 |
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ABCCの開設 |
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5 |
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占領解除後の原爆後障害対策 |
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1 |
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原対協の発足と初期の活動 |
原対協の発足、二、発足前後のいきさつ(座談会)、三、治療活動の開始、四、治療資金の確保、五、治療対策の進展 |
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2 |
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ビキニ水爆と原対協の動き |
一、広島市建設促進協議会の活動、二、政府、国会への陳情と関係者の視察、三、市民署名運動の展開、四、原爆資料展の東京開催、五、政府予備費支出(昭和二十九年度)、六、政府、調査研究費を予算計上(昭和三十年度)、七、治療研究の成果、八、「原爆乙女」の渡米治療、九、原爆病院の設立 |
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3 |
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原対協の強化と活動 |
原対協の法人化、二、予算増額運動(昭和三十一年度)、三、被爆者調査と精密検査、四、国民健康保険実施と被爆者いっせい調査、五、研究治療部の実績、六、治療資金の概況 |
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4 |
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原爆後障害調査研究の概要 |
一、原子爆弾症の問題、二、「原子爆弾後障害症治療指針」の作成、三、学会その他の動き |
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5 |
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原爆医療法制定のいきさつ |
一、原爆障害者援護法制定への動き、二、原爆医療法政府提案に決定、三、原爆医療法関係予算の内示、四、「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律案」可決 |
6 |
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原爆医療法の施行と原対協の事業 |
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1 |
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原爆医療法の施行 |
一、原爆医療法の概要と行政機関、二、被爆者健康手帳の交付、三、被爆者の健康診断と医療 |
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2 |
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原対協の事業 |
一、原爆医療法の施行と原対協の事業目的、二、原爆障害者生活援護の実施、三、原爆後陣書治療研究の助長、四、保健文化賞受賞と記念事業 |
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3 |
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諸団体の援護活動 |
一、中国新聞社会事業団、二、「広島憩いの家」、三、キリスト教広島被爆者福祉センター、四、その他の団体 |
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4 |
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原爆被爆者福祉センターの建設 |
一、お年玉つき年賀葉書寄付金配分団体に指定、二、建設の着手と利用計画 |
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5 |
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原子爆弾後障害研究会 |
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7 |
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原爆医療法の改正 |
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1 |
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法律改正のいきさつ |
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2 |
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改正原爆医療法 |
一、特別被爆者と一般疾病医療費の支給、二、原爆障害者と医療手当の支給 |
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被爆者対策の諸問題 |
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1 |
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原爆医療総合研究機関の設立 |
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2 |
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被爆者医療保障の前進 |
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3 |
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被爆者生活援護の確立 |
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編集を終えて |
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資料篇 |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。