「原爆被災写真」カテゴリーアーカイブ

原爆と写真

『原爆と写真』(徳山喜雄、御茶の水書房、20050715)

目次

はじめに
キノコ雲と空爆写真
生身の一人一人への視線
忘却と想起の間で
土門拳
「魔性の爪跡」を記録/叫び、怒りながら撮影/かなぐり捨てた中立性
東松照明
「白いうなじ」と疎外感/被爆者は核時代のキリスト
大石芳野
「かれらのいま」に対時/半世紀の風貌を撮る
江成常夫
見えなくなったものの視覚化/遠かったヒロシマヘの道
キノコ雲の下で起こったこと
松重美人
原爆禍を伝える最初の一枚/なんと惨たらしい光景か/加害と被害
山端庸介
被爆翌日の長崎に入る/廃嘘をさまよう少年/冷徹に任務を遂行/重慶爆撃にも従軍/被爆者と人間天皇を撮って
松本栄一 アサヒグラフで初公開
林重男 「道楽」をせずに、忠実に記録
原爆棄民を追う
伊藤孝司
なぜ韓国・朝鮮人の被爆者が多いのか/身の丈の目線で淡々と/被響が警認める不条理
山本将文
「恨」を象徴する一枚/スナップショットを超えるために
鈴木賢士
「韓国のヒロシマ」という意味/被爆した屍まで差別された/「定年カメラマン」と称して
核の風下の人々
豊崎博光
おしゃべりするマグロ/水爆実験で流浪の民にされた人たち
徳山喜雄
冷戦崩壊後の危険な「核」の行方/核弾頭を搭載したミサイルを眼前にして
森住卓
「残虐な写真」を撮る勇気と確信/日本の被爆者と向き合えなかった
広河隆一
原発事故で消えた村を記録/自ら救援組織を立ち上げる
おわりに
参考文献
写真家紹介

原爆=写真論 「網膜の戦争」をめぐって

『原爆=写真論 「網膜の戦争」をめぐって』(鈴木雅文、窓社、20050620)

目次

原爆=写真論
初発「原爆写真」の位相 山田精三と山端庸介
まなざしをめぐる〈神話〉8
基点としての一枚の写真 10
見ること/知ることを困難とした無告の光景 13
『黒い雨』の欠陥をめぐって 16
〈ことば〉への像の叛乱 19
撮影者を反照する「記録」 22
原爆写真には二つの「語りえぬもの」が溶融している 26
始まりのない終わりの始まり 30
原爆写真の現場性 32
戦後「原爆写真」の円環 土門拳と東松照明
「擬死」からの覚醒 37
ジェノサイド以降の〈野蛮〉 39
歓待された写真集、『ヒロシマ』 41
賞賛と翼賛の関係 44
なんという「非転向」だろう! 46
『ヒロシマ』から十年を経た原爆写真の「現在」 49
問われるべき「息苦しさ」の意味 52
落涙の理由とその帰結 54
自縛する反物語 58
『ヒロシマ』から『〈11時02分〉NAGASAKI』へ 62
現代「原爆写真」の展開 石黒健治と土田ヒロミ
薄れゆく「記憶」 66
見えがたいままに見届けようとする試み 68
非物語へ架橋する『広島HIROSHIMA NOW』 70
像と〈ことば〉の臨界 73
表現者から報告者へ 76
「見えないヒロシマ」の方ヘ 79
「引用」という想像力 81
方法を挑発する『ヒロシマ・コレクション』 84
「私写真」から遠く放たれて 88
来たるべき〈野蛮〉のために 90
リーフェンシュタール覚書
彷徨する眼球 開高健「闇、三部作」考
識閾の木霊〈ことば〉と〈まなざし〉の病理
写真をめぐる、欄外的独言

 

トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録

『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』(ジョー・オダネル写真 ジェニファー・オルドリッチ聞き書き 平岡豊子訳 、小学館、19950610)

目次

見出し 備考
010 戦争は終わった!そして日本へ。
014 「君の任務は上陸の模様をカメラにおさめることだ」 1945年9月
016 水平線に蟻のような黒い点々が現れ始めた。 佐世保
018 あたりの空気はこげ臭く、空は淡い灰色にもやっていた。
024  その晩、招待を受けて市長宅を訪れた。
028 おもしろそうなものを見つけてはシャッターを切った。
030 「墜落した飛行士も気の毒な死者のひとりですよ」 八幡地区
036 福岡に海兵隊の新しい司令部ができることになった。 福岡
044  奇妙な老人の言葉を忘れずに。
064 なんとか現像してみよう。
065 雨の夜の惨事。 佐世保
066 海岸線はまだかなりの数の砲台が。 広島
068 死の町広島を歩く。 広島
072 ジープを捨てボーイにまたがる。 長崎
075 長崎の爆心地に立つ。
085 瓦礫の中に人骨が。
086 仮設病院の祈り。
090 彼らはリンゴの芯まで食べつくした。
092 子供たちの幸せな日。
096 少年ヘ気を付けの姿勢で、じっと前をみつづけた。
104 廃虚と化したカテドラル。
106 帰国命令。 福岡。1946年3月
109 あとがき

 

 

広島、1945 生きていた広島

『広島、1945 生きていた広島』(南々社編集部編著、南々社、20120806)

目次

No. 内容(写真解説など)
01 まえがき―生きていた広島
04 8・6以前の広島(大正中期~昭和20年)
06 商都として
中島地区(現平和記念公園)
本通
紙屋町・八丁堀・新天地
市内点描
学都として
軍都として
銃後の支え
学徒動
8・6以後の広島(昭和20年8月6日~12月末)
被爆の実相
一瞬で死の街に
救援・救護・捜索
弔う
復旧・復興への兆し
日常の回復
被爆調査
写真撮影者・所蔵先・提供先

 

 

長崎原爆写真集 決定版

『長崎原爆写真集 決定版』(小松健一、新藤健一編、「反核・写真運動」監修、勉誠出版、20150809)

内容<工事中>

002 はじめに 「反核・写真運動」運営委員会
008 凡例
009 決定版 長崎原爆写真集
232 対談「原爆を撮った男たち」の証言 松本栄一 林重男 (聞き手・小松健一)
242 解説「長崎の原爆を撮った男」 新藤健一
255 あとがき 小松健一・新藤健一
257 撮影者一覧

 

広島原爆写真集 決定版

『広島原爆写真集 決定版』(小松健一、新藤健一編、「反核・写真運動」監修、勉誠出版、20150806)

内容<工事中>

002 はじめに 「反核・写真運動」運営委員会
008 凡例
009 決定版 広島原爆写真集
010
011
012
013
014
015
016
017
018
019
020 御幸橋西詰 (撮影:松重美人)
021
022 御幸橋西詰 (撮影:松重美人)
023
024 広島市翠町 (撮影:松重美人)
025
026 (撮影:松重三男)
224 対談「原爆を撮った男たち」の証言 松本栄一 林重男 (聞き手・小松健一)
234 解説「広島の原爆を撮った男」 新藤健一
243 あとがき 小松健一・新藤健一
245 撮影者一覧
247 編者プロフィール

 

 

母と子でみる 原爆を撮った男たち

『母と子でみる 原爆を撮った男たち』(反核・写真運動、草の根出版会、19870806)

目次

1 原爆の実相を伝える
はじめに-真の平和をめざして
広島・長崎の原爆
原爆カメラマン
日照計
アトミック・フィールド
2 原爆を撮った男たち(上)
尾糠政美
尾木正己
鴉田藤太郎
川原四儀
川本俊雄
岸田貢宜
岸本吉太
北勲
木村権一
黒石勝
空博行
斎藤誠二
林寿麿
深田敏夫
松重三男
松重美人
森本太一
山田精三
川端庸介<長崎>
3 原爆を撮った男たち(下)
松本栄一<長崎・広島>
菊池俊吉<広島>
林重男<広島・長崎>
4 原爆カメラマンの証言
どうして原爆写真を撮ったか
林重男・松重美人・松本栄一・相原秀次・菊池俊吉
広島原爆被災写真撮影者が語る被爆の実態
(河村盛明・三宅利明)、松重美人・松重三男・深田敏夫・林重男・黒石勝・岸田貢宣・尾糠政美・尾木正己
戦中・戦後のカメラマン
写真家をめざしたころ  菊池俊吉
幻のグラフ雑誌  多川精一
軍隊を終えカメラマンに  林重男
敗戦とアメリカ  林重男
「国際医師の会」で被爆体験を訴える  松重美人
平和へのかけ橋  「反核・写真運動」事務局
フィルムの話  林重男
「反核・写真運動」-あとがきにかえて   「反核・写真運動」事務局

世界写真家平和シンポジウム・写真展報告書

『世界写真家平和シンポジウム・写真展報告書 核の半世紀―目撃者は語る』(広島平和文化センター、19941216)

目次

発刊に当たって 平岡敬(広島市長、財団法人広島平和文化センター会長)
001 出席者のプロフィール
003 全体スケジュール
004 写真展の概要
005 原爆被害概況説明の概要
007 宇吹暁 原爆の社会的影響
011 練石和男 医学的影響「原爆放射線の健康影響」
013 山岡ミチコ 被爆者の証言「米国で27回の手術を受ける」
018 高橋昭博 被爆者の証言「私の被爆体験とヒロシマの心」
022 世界写真家平和シンポジウムの概要
1 日時
2 会場
3 テーマ
4 内容
5 主催
6 協力
7 後援
8 参考
023 平岡敬 開会あいさつ
024 シンポジウムの発言内容
勝部領樹
025 ジョー・オダネル
028 ユーリ・イワノビッチ・クイディン
30 勝部
30 キャロル・ギャラガー
32 勝部
33 ロバート・デルトレダシー
35 勝部
35 アンドレアス・ロベ
37 勝部
37 大石芳野
53 プロフィール
098 写真展における展示写真
109 新聞記事[原文]

爆心地ヒロシマに入る

『爆心地ヒロシマに入る カメラマンは何を見たか
』(林重男 、岩波ジュニア新書208 、19920619)

目次

1 パノラマ写真
原爆災害調査団
パノラマを撮る
パノラマ写真を見る
技術上の問題点
2 広島を撮る
志願してヒロシマへ
第一日目
護国神社
島病院の伝言板
西向寺
産業奨励館
広島瓦斯本社
広島城址
相生橋
庶民金庫(商工中金)
中国新聞社屋上からのパノラマ
植物への放射能障害
枕崎台風
日照計の記録
3 裏側から見た戦争
東方社に入る
大艦隊や大戦車隊を”つくりあげる”
新鋭機発表
”空中遊泳”
東京に戦火せまる
松戸上空の死闘
撃墜記録が敗戦記録に
敗戦
4 長崎を撮る
ある兵士を護送する
パノラマを撮る
城山国民学校
市電大橋終点
ガスタンク
山王神社
山里国民学校
浦上天主堂
長崎医科大学付属病院
三菱重工長崎兵器製作所大橋工場
最上少年の被爆
鎮西学院からのパノラマ
アトミックーフィールド
春木町丘陵からのパノラマ
新興善国民学校からのパノラマ
長崎を離れる
5 原爆カメラマンたち
接収されたフィルム
原爆災害を記録した人たち
原子爆弾を最初に撮った人―山田精三さん
ファインダーが涙でくもった―松重美人さん
縮景園の感動を呼びおこした写真―松本栄一さん
6 写真が生んだ感動
返還されたフィルム
城山国民学校との再会
ニューヨークに展示された写真
「反核・写真運動」
孫の一言
あとがき

 

 

広島(吉川清)

『広島』(吉川清<編集・発行人>、広島八・六の会<発行所>、19580415)<第3版>

写真 備考
表紙 原爆慰霊碑、原爆ドーム
原爆ドーム
01 原子雲 木村権一撮影
02 被爆前の広島 比治山より写す
04 広島城 被爆前
04 広島城 被爆12年後
05 広島大本営跡
05 広島大本営表門
06 原爆ドーム・広島産業奨励館
07 原爆ドーム 閃光電球による美観
08 原子雲
09 原子雲
10
11 御幸橋西詰
12 兄弟
13 似ノ島収容所、
14
15
16 広大萩原教室のドーム内放射能検査
17
18
19
20 動員学徒及び義勇隊の罹災
21
22
23
24
25
26 日赤病院
27
28 日赤病院
29 富国生命ビル6階
30
31
32
33
34 収容名簿に見入る人々
35 富国生命ビル内、白骨
36
37
38
39
40 広島市戦災児育成所、天皇
41 原爆乙女
42
43 原爆・水爆禁止広島市民大会
44
45
46 原爆資料館、原爆資料館内部
47 100米道路、広島市公会堂
48 中国新聞社
49
50
51 広島大学、市営アパート
52 広島赤十字原爆病院
53 比治山ABCC
54
55
56
57
58
59
60
61
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63 (深川宗俊記)
64 広島原爆一号 吉川清氏
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