『ヒロシマはどう記録されたか 上 昭和二十年八月六日 』、『ヒロシマはどう記録されたか 下 昭和二十年八月七日以後』(小河原正己著、朝日新聞出版、20140730)
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『ヒロシマはどう記録されたか 上 昭和二十年八月六日 』 | 
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目次 はじめに…3 
序章 そのとき、ラジオ・新聞は…25 
ラジオ放送が止まった/ 
新聞記事にできない 
第一章 それぞれの八月六日朝…39 
八月六日付中国新聞朝刊/ 
その朝のラジオ放送/ 
大佐古記者の身代わり/ 
生き運のいい松重カメラマン/ 
中村記者の汚れたワイシャツ/ 
間一髪、三人の放送局員 
第二章 広島壊滅のとき…85 
原爆投下・一〇秒の衝撃/ 
広島中央放送局壊滅/ 
中国新聞・もう一つのヒロシマ/ 
中国新聞社壊滅/ 
中国新聞社国民義勇隊全滅 
第三章 あの日の五枚の写真…131 
八月六日午前・二枚の写真/ 
黒い赤ちゃんと丸坊主/ 
後ろ姿の少年とセーラー服の少女/ 
明の行方を知っていますか/ 
八月六日午後・三枚の写真/ 
被爆写真・もう一つの記憶 
第四章 絵に残されたあの日の記憶…175 
市民の手で原爆の絵を/ 
母と子の原爆の絵/ 
血みどろの被爆者の列/ 
まぼろしの声/ 
母と子の絵、ふたたび/ 
母の形見・人影の石 
第五章 幻の原爆第一報…217 
黒い雨/ 
幻となった原爆第一報/ 
軍管区発表、記事にできない/ 
ピカドン第二報、地獄の川を下る 
第六章 爆心地の夜…247 
八月六日夜・相生橋の一夜/ 
袋町小学校の朝、比治山の夜/ 
韓国に渡った原爆孤児/ 
アメリカに渡った原爆乙女/ 
生ましめんかな 
第七章 原子野の月…277 
比治山多聞院の臨時県庁/ 
宇品・江戸家猫八さんと原爆資料館長/ 
中国新聞社、代行印刷へ/ 
呉鎮調査隊、市内に入れず | 
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『ヒロシマはどう記録されたか 下 昭和二十年八月七日以後』 | 
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第八章 原子砂漠の朝…11 
八月七日・広島が消えた/ 
爆心半径五百メートル/ 
被爆地図復元へ/ 
爆心地復元の元ディレクター/ 
材木町から中島本町へ/ 
ヒロシマからの第一声 
第九章 子どもたちの被爆…53 
三位一体の人形になった子どもたち/ 
母たちの悲しみ/ 
元原爆資料館長と元エノラ・ゲイ機長/ 
動員学徒たちの被爆 
第十章 アメリカ兵捕虜の被爆…89 
爆心地の被爆米兵/ 
爆撃機ローンサム・レディー号/ 
元搭乗員たちの生と死/ 
トルーマン米大統領の声明/ 
二発目の原爆・長崎被爆 
第十一章 特殊爆弾の正体を解明せよ…127 
呉鎮調査団、爆心地へ/ 
密命・幻の海軍原爆調査団/ 
陸軍原爆調査団/ 
わが国の原爆研究/ 
三発の不発弾(?)/ 
終戦を決めた原爆調査報告書/ 
調査団員、それぞれの戦後 
第十二章 新聞再開への苦闘…185 
在広新聞社の被爆/ 
一県一紙と代行印刷/ 
八月九日付中国新聞、そして終戦/ 
九月三日付、自力発行第一号/ 
原爆プレス・コードの発令/ 
台風、ふたたび代行印刷へ/ 
十一月五日付、本社復帰第一号/ 
生きている「死せるカメラマン」/ 
放送局再開、平和祭の開催 
第十三章 「廣島特報」から「ビロシマ新聞」へ…253 
三十五年目の原爆新聞/ 
昭和二十年八月七日付け「廣島特報」/ 
昭和二十年八月八日付け「廣島特報」/ 
昭和二十年八月七日付け「ヒロシマ新聞」/ 
いまなぜ「ビロシマ新聞」か 
昭和二十年八月十五日付け「沖縄戦新聞」 
終章 未来への伝言…295 
俳優木村功の遺言/ 
記者たちの伝言/ 
科学者たちの予見・核戦争後の地球/ 
ヒロシマとチェルノブイリ/ 
ヒロシマからフクシマへ
あとがき この十年の間に…343 
解説・竹西寛子…356 
引用・参考文献  | 
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		『月刊中国』(中国新聞社刊)
| 創刊号 1946年5月1日 | 
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| 原子爆弾記念号 1946年5月1日 | 
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止
	 
	
	
	
	
		
		『もう一つのヒロシマ』(御田重宝著、中国新聞社、19850706)
内容
| 章 | 
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はじめに(山本朗<中国新聞社社長>)1985年7月 | 
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| 1 | 
長い一日  1 | 
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7時9分B29接近/朝は静かになったが/疎開作業へ社員出動/3ヵ所へ天候観測機/B29、福山湾へ向かう/運命分けた朝の行動/警報発令に参謀迷う/落下傘目撃後に閃光/ニジとともに原子雲/瞬間、1万度の高熱が/信じられぬ現象続々/飛散物を伴い“黒い雨”/火球、中国新聞を襲う/惨状にわが目を疑う/郊外へ続く半裸の列/義勇隊員の大半即死/古材の下敷きで焼死/炎の中で同僚と握手/一瞬周囲が暗やみに/ぼう然と火災見送る/わが子は家の下敷き/社員の連絡所へ急ぐ/火炎くぐり 社目指す/社はすでに火だるま/3人、肩抱き合い避難/自宅は被爆者で満員/荷車に二人乗せ歩く/警報の度に軍指令部へ/写真を…報道班員直感/撮影に20分ためらう/3枚目は涙で撮れず/マッチ爆弾かと疑う/世界初の”原爆写真”/高熱…社内に入れず/「音のない世界」体験/京橋川船上で黒い雨/一挙に社員113人失う/市内に入り直後に大雨/単身 炎の街突っ切る/やけど押し 社へ走る/1枚の布団で命拾い/中央放送局も犠牲に/勤務交代前、警報ベル/警報を放送中に爆風 | 
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| 2 | 
 原爆第一報  63 | 
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 現在も なおあいまい/焼却された軍機課類/「8時30分」には疑問/呉鎖守府から調査隊/特殊爆弾の疑念わく/全滅・・・指揮能力失う/暗号打電 翻訳遅れる/新聞発表は7日午後/四国・九州・福山に連絡/9時過ぎ「全滅」の連絡/自転車で広島へ急ぐ/入市やめ原放送所へ/岡山の局と連絡つく/「死者およそ17万人/「大げさでは」疑う軍部/船を雇い広島市入り/両岸、救援叫ぶ被爆者/日発「搬送電話」を利用/出張で被爆、惨状報告/軍管区指令部も壊滅/縮景園に火勢広がる/8時20分過ぎに発信/7日未明に新聞発表 | 
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| 3 | 
再建への鼓動  95 | 
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「社員と家族を救え」/トップの苦しさ自覚/代行印刷依頼に奔走/総監府通じ代行依頼/船舶司令部通じ連絡/印刷機能壊滅を確認/軍通じ代行印刷打電/臨時県庁で情報収集/人材喪失、印刷に痛手/応召の編集局長 不明/カギを握る朝礼時刻/つかめぬ中尉の行動/緊張の作戦室で徹夜/当直済ませて自室へ?/庁舎で仮眠中、被爆か/夫人先頭に市中捜索/悲壮感漂う“再建本部”/社員の容体を案じる/幹部、相次ぎ被爆死/支社局から次々応援/尾道港で「壊滅」聞く/救援トラックに便乗/尾道に戻り救援活動/トラック“徴発”救援へ/被爆者に乾パン配る/被爆者乗せ救護所へ/「知事布告を報道せよ」/「布告」が報道第1号に/焼け残った部屋発見/民心の安定へ口伝隊/道路わきに死体の山/被爆米兵捕虜を目撃/避難阻まれ被爆死も/即死まぬがれたが…/切れた新聞社専用線/電話線ほとんど壊滅/陸軍主導で原爆隠し/「ピカドン」呼称広まる/軍部に「硫酸爆弾」説も/「爆心は護国神社上空」/ラジオ・ゾンデ発見/陸軍・大本営も調査隊/「ト声明」に仁科氏衝撃/「原爆」と正式に認める | 
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|  4 | 
 原爆の投下責任  151 | 
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ポツダム宣言を“黙殺”/ソ連参戦の報届かず/アイクは使用に反対/ソ連参戦防止を狙う?/「東西冷戦」絡み?作戦/宣言受諾条件で紛糾/海相、外相は降伏主張/閣議に長崎被爆の報/ポ宣言の受諾決まる/スイスなど通じ公電/軍主戦派と押し問答/10日夜に「受諾」放送/海外へは受諾流れる/陸相布告 掲載を強要/和平派殺害の計画も/「国体護持」を米が論議/米回答文、12日に通達/米回答の翻訳で粉糾/米ソ対立が引き金/終戦引き延ばしが致命/御前会議で終戦決定/天皇自ら詔書ご加筆/14日、全国へ「内密電」/録音盤から天皇の声/使節団、マ司令部へ/米側、厚木入りを通告/マ元帥迎える星条旗/占領軍批判はタブー | 
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| 5 | 
輪転機を回せ  189 | 
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9日、代行印刷紙届く/疎開機器の整備急ぐ/川手牧場と疎開交渉/「一県一紙」で重い責任/増加部数印刷に苦慮/温品移転やっと軌道/社員自ら組み立ても/新聞資材も分散疎開/20日ごろ工場へ送電?/20~30人集まり再出発/突貫工事、工場建てる/9月3日付から印刷/壁新聞用紙は軍提供/地下ごうの紙 役立つ/温品ではテント生活/代行紙、2駅で仕分け/「新聞復興に死力注ぐ」/「あの日」胸に社員連帯/各紙に「70年不毛説」/不毛説を医学者否定/悪戦苦闘…損紙の山/新聞見て社員“出社”/調子上がらぬ試運転/苦労した「紙型」取り/太陽光線で写真製版/活字は捨てず再使用/社報でも原爆の特集/再建へ意欲みなぎる/復員姿で社屋に直行/復員の日、温品印刷成功/分担超え紙面に情熱/米人記者と一問一答/原爆症に医学界混乱/医学論文の公表禁止/社の動き「日誌」に克明/10月26日に採用試験/「米兵の犯罪」を報道/「同盟」に業務停止命令/「同盟」が自主解散通告/検閲受け送信再開へ/声高に「平等」を否定/厳しい事前検閲開始/客観報道促す一面も/GHQ、混乱する路線/23年12月に検閲全廃 | 
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| 6 | 
またも試練が  251 | 
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枕崎台風が広島直撃/「不毛説」弱めた台風/“温品版”最後の報道に/輪転機は被害免れる/温品工場の機能マヒ/流川での再建を決意/代行印刷、朝日へ依頼/自力再生を迫られる/全社一丸で題字守る/代行印刷、西部毎日も/京大の調査班も被災/訃報、3日後に京都へ/被爆調査資料も失う/100人が本社ビル清掃/温品の輪転機を解体/東洋工業菜が技術協力/「復興資材部」を設置/資材払い下げに奔走/移転の前日に慰霊祭/撤回された発禁処分/天皇会見で特報発行/「戦争責任」で陛下回答/本社員214人でスタート/ガス会社に鋳造機搬入/バタンコで活字運ぶ/復興財団に資材依頼/「特報中国新聞」に改題/巻き取り紙捨てられる/米軍駐留のとばっちり/社員総出で搬入作業/巻き取り紙に無情の雨/進駐軍用に慰安施設/用紙収容に米軍脇力/マツタケ狩りで一息/「共販制」16年末に発足/連盟に情報局が圧力/一県一紙体制を強行/「相互援助」で発行継続/25年まで共販制存続 | 
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| 7 | 
うなる輪転機  303 | 
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東洋工の技師が視察/社長同士で移設契約/社長が訪れ運搬依頼/人使いのよさ見込まれ/運搬方法に知恵絞る/馬車使い本社へ運搬/難題だった定盤輸送/まくら木で道直し運搬/悪路のうえ雨までも/横転防止へ24人“伴走”/午前4時に本社到着/組み立て班、泊まり込み/11月5日「流川第1号」/東洋工業に1200円謝札/本社体制作りも着々/11月1日、新体制発足/進駐軍検閲係が来社/進駐軍の検閲を報道/板張り編集局に熱気/自力発行に緊張・興奮/裸電球の下鉛版セット/労苦報われ社員歓声/復興ぶり克明に報告/衣食住の補給訴える/建設目標は1日100戸/苦難超え原爆報道貫く | 
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[年表]新開・言論関係/原子爆弾関係/国内、戦争関係 339 | 
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[人名索引] 346 | 
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 あとがき (尾形幸雄<編集局長>)1985年7月 | 
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(カット絵:金崎是) | 
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注: 中国新聞社被爆40周年企画「もう一つのヒロシマ」(連載259回、期間:1984年7月1日~85年3月23日) | 
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		『ドキュメント中国百年第3部-重い軌跡』(中国新聞社(編)、浪速社、1968年5月27日)
内容
| 章 | 
見出し | 
| 1 | 
空行かば | 
 | 
山本長官の戦死/元師につづけ/色あせたノート/魂の記録/土浦/海軍航空隊/玉砕の悲報/悪化する戦況/感激の初飛行/死生観/硫黄島/血戦/夢まくら/戦死公報/悪魔のつめ跡/看病日記/英霊/防人の歌/ | 
| 2 | 
学徒出陣 | 
 | 
/冷たい秋雨/死の影/精神の軌跡/国家と青春と死と/高速戦艦/「榛名」/海の城井沈没/生き残った者の怒り/ | 
| 3 | 
必死必中 | 
 | 
/「回天」誕生/訓練開始/初の殉職者/和田稔の日記/菊水隊の戦果/死との対決/生還者/死と生と/読経の日々  遺族めぐり/望郷の丘/全軍特攻/連続と断絶/ | 
| 4 | 
民族のどうこく | 
 | 
/霧の島//敗戦の日/正義を信じて/暗い不安/モロタイ島/重労働と虐待/東京裁判/原爆投下問題/報復/残虐の証言/暴行/死の行軍/屈辱の体罰/涙雨 /近づく最期 /絞首台の祈り/良心と真実/巣鴨入り/獄中からの手紙/マヌス送り/四年間の落差/裏切り/有罪判決/見捨てられた戦犯/いけにえ/命令と責任/ | 
| 5 | 
原爆裁判 | 
 | 
/戦勝国の不正義/歌集『人類』/「原爆民訴或問」/原爆損害求償同盟発足/失望/ビキニ事件/火の玉/未知への挑戦/原告たち/ゆがんだ社会/訴状/賠償請求の権利/食い足りぬ答弁書/政府の議声明/二つの論理/後継者/国際法違反で一致/三鑑定人の解釈/裁判官の怒り/あふれた真情/回想と反省/戦後は終わらない/ | 
| 6 | 
民族と国家 | 
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あとがき(森脇幸次 中国新聞編集局長) | 
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<昭和42年9月1日から同年12月31日まで、121回にわたって中国新聞朝刊に連載した「日本の血・第3部―重い軌跡」をまとめたもの> | 
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 <取材・執筆には特別取材班の平岡敬・阿部洋が当たった。> | 
止
	 
	
	
	
	
		
		『消えたペン-新聞労働者の8月6日』(中国新聞労働組合編 、汐文社、19880718)
目次
| 頁 | 
項目 | 
備考 | 
| 003 | 
はじめに | 
中国新聞労働組合不戦の碑実行委員会 | 
| 009 | 
炎熱のもとで取材したこと | 
大佐古一郎 | 
| 019 | 
<記録>新聞労働者の1945・8・6  | 
 | 
 相川愛子さん(21) 相原利夫さん(23) 有馬軍治さん(25) 井川勝雄さん(28) 伊藤音三郎さん(29) 石井道子さん(32) 石井諒一さん(36) 出雲初一さん(39) 今田レツさん(42) 今出良秋さん(44) 上田照子さん(46) 後チサ子さん(50) 小野一明さん(53) 落窪ミカさん(55) 神田留次郎さん(57) 本原フサヨさん(59) 北山一男さん(63) 串本誉さん(65) 桑原玉江さん(67) 小迫周蔵さん・美律枝さん(68) 小谷増夫さん(70) 河野秀三さん(72) 佐伯カメさん(84) 佐上美代子さん(77) 佐々木猪勢治さん(80) 佐瀬実さん(84) 坂本定造さん(86) 下本キクエさん(88) 下江達重さん(91) 新城朝子さん(96) 杉野勝吉さん(97) 高田久子さん(100) 竹前省三さん(102) 千葉恭子さん(105) 寺尾政之さん(107) 寺本簫三さん(108) 戸田正記さん(111) 伴谷ヤスヨさん(112) 中井ヨシヱさん(114) 中野勝正さん(115) 仲伏一之さん(118) 中村正男さん(121) 難波くみ子さん(124) 西村静一さん(126) 馬場謙一郎さん(128) 橋本令一さん(130) 桧山八重子さん(132) 平本ウメ子さん(134) 深川庄三郎さん(136) 福井ミツヱさん(137) 藤勇哲さん(140) 法安雅次さん(143) 細川儀一さん(146) 前田英子さん(148) 三木芳郎さん(150) 三田久ニさん(152) 三好友太郎さん(155) 水原智識さん(157) 宮武松三郎さん(161) 宮本軍一さん(163) 宮本澄香さん(165) 宮本藤吉さん(166) 望月慶三さん(168) 矢田茂さん(170) 保田博さん(173) 山井治吉さん(176) 山根喜美子さん(179) 山本利さん(181) 横田怐治さん(185) 横山隆ニさん(186) 吉田芳夫さん(189) 若林ツネヨさん(190) | 
| 192 | 
藤間侃治(合同新聞=現山陽新聞) | 
| 196 | 
<座談会>「不戦の碑」運動と犠牲者遺族取材を通して | 
| 204 | 
戦時編集局の八月六日 | 
ト部清隆 | 
| 209 | 
逝ってしまった先輩たち | 
兼井亨 | 
| 214 | 
原爆と私 | 
下住忠 | 
| 218 | 
涙でうるんだファインダー | 
松重美人 | 
| 224 | 
おわりに | 
浅井幹夫(中国新聞労働組合執行委員長) | 
 
	 
	
	
	
	
		
		ヒロシマの記録(西本雅実・中国新聞記者)
(抄)
| 頁 | 
見出し1 | 
見出し2 | 
備考(掲載日など) | 
 | 
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| 001 | 
ヒロシマガールズ | 
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| 017 | 
ドームの街 猿楽町 | 
 | 
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| 031 | 
体験記53年後の訴え | 
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| 041 | 
ヒロシマの記録―遺影は語る | 
 | 
 | 
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| 053 | 
ヒロシマの記録―平和都市法50年 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
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| 058 | 
ヒロシマの記録―遺影は語る | 
 | 
 | 
 | 
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| 132 | 
写真家・林重男 | 
 | 
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 | 
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| 135 | 
ヒロシマの記録 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
平和記念式典の歩み | 
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 | 
 | 
| 136 | 
ヒロシマ打電第1号 レスリー・ナカシマの軌跡 | 
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| 144 | 
ヒロシマの記録 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
平和大通り | 
 | 
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 | 
被災写真をみる | 
 | 
| 147 | 
原爆被災写真 1945~2003年 | 
 | 
 | 
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 | 
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| 156 | 
ヒロシマの記録―原爆・平和写真データベース化 | 
 | 
 20040322 | 
 | 
資料館と本社共同 参加や式典2802枚 1次分を保存 | 
| 157 | 
松重美人さんが撮影 45.8.6全5カット 貴重な「記憶」次代へ | 
| 158 | 
広島平和ミッション 歴史を見つめて 中国編 | 
 | 
 | 
 | 
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 | 
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| 167 | 
広島平和ミッション 過去、今、未来 韓国編 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
| 174 | 
ヒロシマの記録 | 
 | 
 | 
|  182 | 
 ヒロシマの記録 原爆被災写真 | 
 | 
 20050802 | 
 | 
被爆の惨状 鮮明267枚 被災撮影者の会台帳の原本 中国新聞社に保存 | 
| 183 | 
被爆直後の市民 惨禍伝える「証言者」 | 
 | 
原子雲 市内外から9カット | 
| 193 | 
被爆者運動50年 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
| 206 | 
ヒロシマの記録 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
| 224 | 
被爆1カ付き 廃墟の映像が現存 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
| 226 | 
原爆写真を追う 1945―2007年 | 
 | 
 | 
|  230 | 
 原爆写真を追う 1945―2007年⑤ | 
 | 
 20070814 | 
 | 
御幸橋の惨状 | 
| 231 | 
ヒロシマの記録―原爆写真の撮影者たち | 
 | 
 20070814 | 
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   原爆写真57人が2571枚 1945年8月6日―年末に撮影 資料館、1819枚保存 全体像が判明 | 
| 232~233 | 
広島原爆の写真撮影者(1945年8月6日~12月末) | 
| 234 | 
広島県女一年六組 1945-2008年 | 
 | 
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 | 
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| 243 | 
ヒロシマの記録 | 
 | 
 | 
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		新研ニュース(中国新聞労組新研部発行)
| 号 | 
発行年月日 | 
備考 | 
| 01 | 
 | 
 | 
| 02 | 
19840113 | 
 | 
| 03 | 
19840117 | 
 | 
| 04 | 
19840204 | 
 | 
| 05 | 
19840209 | 
自治体報道への提言①兼井亨「一貫性欠ける特落ち対策」 | 
 | 
 | 
 | 
| 11 | 
19840321 | 
原爆・平和報道への提言①秦野裕子「『なぜ』に答えぬ連載 多い常とう句深まらぬ認識」 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 
	 
	
	
	
	
		
		生きて(中国新聞連載)
| 氏名 | 
回 | 
見出し | 
掲載日・担当記者 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
| 葉佐井博巳 | 
核物理学者 | 
西本雅実 | 
 | 
 | 
1 | 
原爆 放射線測定で実態追う | 
 | 
 | 
 | 
15 | 
顧みて 戦争なき世界つくろう | 
 | 
 | 
| 石丸紀興 | 
都市・建築研究者 | 
林淳一郎 | 
 | 
 | 
1 | 
復興史研究 被爆地広島の軌跡追う | 
20161206 | 
 | 
 | 
15 | 
提案 地域見つめて研究継続 | 
20161227 | 
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| 鎌田七男 | 
<医師・広島大名誉教授(1937年~)> | 
西本雅実 | 
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1 | 
顧みて 被爆者に教えられ歩む | 
20170725 | 
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15止 | 
継承 広島だからこその務め | 
20170815 | 
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| サーロー節子 | 
<被爆者(1932年~)> | 
金崎由美 | 
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1 | 
新たな決意 廃絶へ仕事はこれから | 
20180803 | 
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20止 | 
核兵器 終わりの始まり | 
20180901 | 
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		中国新聞
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| 本 | 
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| 『山本正房追悼録』(中国新聞社、19710815) | 
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| 論文 | 
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| 小池聖一「中国新聞・中国新聞社の戦前と戦後」 | 
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| https://home.hiroshima-u.ac.jp/hua/public/mitsubishi/mitsubishi01.pdf#search=%27%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E6%AD%A3%E6%88%BF%27 | 
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		単行本となった新聞連載(中国新聞)
	 
	
	
		
					 
	
		
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