原爆被爆地の復元運動
出典:『ナガサキ原爆ノート』(NHK長崎放送局、19711201)
内容
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1970(昭和45)年8月7日 「旧松山町町民のつどい」には湯崎広大原医研助手らも出席 | |||
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1971(昭和45)年7月9日 広島大の湯崎稔氏を迎え「復元の会」関係者が初めて一堂に会し懇談。 | |||
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原爆被爆地の復元運動
出典:『ナガサキ原爆ノート』(NHK長崎放送局、19711201)
内容
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1970(昭和45)年8月7日 「旧松山町町民のつどい」には湯崎広大原医研助手らも出席 | |||
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1971(昭和45)年7月9日 広島大の湯崎稔氏を迎え「復元の会」関係者が初めて一堂に会し懇談。 | |||
止
放送資料
出典:『ナガサキ原爆ノート』(NHK長崎放送局、19711201)
内容
はじめに | ||
1 | 被爆の実態 4 | |
2 | 核兵器の開発・軍縮をめぐる世界の動き 21 | |
3 | 原爆被爆地の復元運動 57 | |
4 | (1)援護関係用語 62(2)核に関する用語 69 | |
5 | 原爆関係団体(付・人物)87 | |
6 | 放送資料 114 | |
番組 |
6 放送資料 114
番組
昭和年月日 | 番組名 | 番組内容 | |
3904 | 時の表情 | 番組 | |
390803 | 九州に生きる | あれから19年①~⑦ | |
400805~09 | 時の動き | 原爆 | |
400809 | 原爆特集 | ||
41 | <4件略> | ||
420823 | 長崎の青春 | 長崎8月折り鶴の会 | |
431206 | (管中特集) | 原爆孤老 | |
430808 | 原爆特集 | ケースワーカーの記録1,2,3 | |
440809 | 管中 時の話題 | 被爆対策24年 | |
450627 | 話題の窓 | 爆心地復元 | |
450716 | スタジオ102 | 復元運動はじまる | |
450806 | ローカル特集 長崎被爆25年 | 原爆公園の一日 | |
450807 | “ | ふれられざる被爆 | |
450809 | “ | 被爆老人 | |
450807 | 時の動き | 爆心地復元 | |
450809 | 管中 式典中継 | ||
451002 | 時の話題 | 拡がる復元運動 | |
451114 | 話題の窓 | 25年目の青年団 | |
460109 | 管中 正月特集 九州人と話題 | 爆心地復元にかける | |
460224 | (管中特集) ある九州人 | 復元にかける執念 | |
460515 | スタジオ102 | 掘り出された天主堂ドーム | |
460525 | 管中 話題の窓 | 26年目の天主堂ドーム | |
460713 | ローカル特集 原爆意識調査 | 長崎市民の核意識 | |
460714 | ” | 被爆者の26年 | |
460715 | ” | 爆心地復元 | |
460806 | 管中 話題の窓 | 被爆体験をこの子らに | |
460807 | ” | 26年目の被爆記録 | |
460809 | 管中 特集 | 爆心の空白 | |
460809 | 全中 ここに生きる | 爆心地復元にかける~内田伯氏 | |
460809 | スタジオ102 | 原爆平和教育 | |
ニュース
年月日 | 放送時刻 | 番組内容 | |
1961 | |||
0424 | 12全中 | 両陛下原爆病院へ | |
0602 | 19 | すずらんの花束原爆病院へ | |
0623 | 19 | 原爆殉難記録近く出版 | |
0626 | 19 | 長崎、広島の原爆慰霊祭開く | |
0627 | 14 | 原爆殉難記録近く出版 | |
0630 | 19 | 被爆者の展示会 | |
0701 | 19 | 原爆被災者協議会総会 | |
0704 | 14 | 被爆者の展示会 | |
0711 | 14 | 平和行進長崎を出発 | |
0711 | 14 | 原爆病院へTVの贈り物 | |
0712 | 19 | 佐世保からの平和行進団出発 | |
0721 | 19 | 原爆被爆者の一斉検診 | |
0808 | 15 | 原爆の句碑完成 | |
0808 | 19 | 原爆殉難者の慰霊祭 | |
0809 | 10全中 | 原爆特集ニュース | |
12 | 原爆特集ニュース | ||
19 | 原爆特集ニュース | ||
21 | 原爆特集ニュース | ||
0810 | 19 | 原水爆世界平和大会 長崎から出発 | |
0912 | 19 | 核実験反対の街頭署名 | |
0920 | 14 | 核実験反対の街頭署名 | |
以下 <作業中> | |||
1962 | |||
0309 | 19:10 | 中学生がアメリカの核実験に反対し抗議集会 | |
0809 | 10全中 | 今日原爆記念日 | |
全中12 | 今日原爆記念日 | ||
管中12 | 原爆の日の今日 浦上天主堂で追悼ミサ | ||
今日原爆の日 | |||
全中19 | 原水爆禁止長崎大会 | ||
全中21 | 原爆記念日 | ||
1963 | |||
1964 | |||
1965 | |||
1966 | |||
1967 | |||
1968 | |||
1969 | |||
1970 | |||
1971 | |||
0809 | 06 | 今日原爆祈念日 | k |
08 | 浦上天主堂の追悼ミサ | ||
12 | 平和祈念式典 | ||
原爆教育の日 | |||
浦上天主堂のミサ | |||
城山小の平和祈念式典 | |||
17 | 原水禁大会終る | ||
アメリカ代表ハノイへ | |||
浦上天主堂の追悼ミサ | |||
城山小の祈念式典 | |||
復元地図新たに50世帯 | |||
21 | とうろう流し | ||
復元地図新たに50世帯 | |||
止
『ナガサキ原爆ノート』(NHK長崎放送局、19711201)
内容
頁 | |||
はじめに | |||
1 | 被爆の実態 4 | ||
(1)長崎の原爆被災状況 5 イ.警報発令 5 ロ.B29進入状況 5 ハ.爆心 5 ニ.被災状況 6 ホ.人、建物の被害 10 |
|||
(2)被爆者分布状況 19 イ.全国分布 19 ロ.長崎の被害者 20 |
|||
2 | 核兵器の開発・軍縮をめぐる世界の動き 21 | ||
イ.年表 23 ロ.核の威力(ウ・タント報告から)33 ハ.米ソの核拡散防止条約 38 ニ.部分核停条約・核拡散防止条約 38 ホ.ヒロシマ会議 48 |
|||
3 | 原爆被爆地の復元運動 57 | ||
4 | (1)援護関係用語 62 (2)核に関する用語 69 |
||
5 | 原爆関係団体(付・人物)87 | ||
団体 88 | |||
長崎市原爆被爆者対策課 | |||
国際文化会館原爆資料室 | |||
長崎市原爆被災復元調査室 | |||
原爆被災復元調査協議会 | |||
原爆被災復元の会 | |||
長崎市民生委員総務協議会 | |||
長崎市立原子爆弾被爆者健康管理所 | |||
長崎市原爆被爆者検査センター(原爆被爆者中央健診所) | |||
原爆被爆者温泉保養所”大和荘<ダイワ>” | |||
厚生省国立予防衛生研究所・ABCC | |||
財団法人長崎原子爆弾被爆者対策協議会(原対協) | |||
被爆者3団体連絡協議会(被災協、遺族会、手帳友の会) | |||
財団法人長崎原子爆弾被爆者対策協議会 | |||
長崎原爆資料協議会 | |||
長崎原爆遺族会 | |||
長崎県被爆者手帳友の会・長崎県動員学徒犠牲者の会 | |||
原水爆禁止長崎県民会議(社会党総評系の原水禁) | |||
原水爆禁止長崎県協議会(共産党系の原水協) | |||
原水爆禁止・平和建設国民会議長崎県民会議(核禁会議) | |||
長崎県被爆教師の会 | |||
原爆青年乙女の会 | |||
「長崎の証言」刊行委員会 | |||
原水爆被災白書をすすめる長崎市民の会(新左翼系) | |||
長崎平和折り鶴の会 | |||
ラッセル平和財団日本資料センター | |||
ともしび会 | |||
長崎大学医学部 | |||
旧長崎医科大学原爆犠牲者遺族会 | |||
恵の丘長崎原爆ホーム | |||
聖フランシスコ病院 | |||
三菱製鋼長崎製鉄所 | |||
三菱重工業長崎造船所 | |||
国労原爆被爆者対策協議会長崎支部 | |||
全電通長崎県支部被爆者の会 | |||
純心女子学園 | |||
城山小学校 | |||
山里小学校 | |||
日赤長崎原爆病院 | |||
人物 90 | |||
永井隆 | |||
渡辺千恵子 | |||
橋口幸子(当時 山口幸子) | |||
池松経興 | |||
寺田秋蔵 | |||
上林靱夫 | |||
相原秀次 | |||
荒川秀男 | |||
江頭千代子 | |||
6 | 放送資料 114 | ||
止
NHK平和アーカイブズ
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『NHK広島放送局60年史』( NHK広島放送局60年史編集委員会編、NHK広島放送局刊、1988/07/01)
内容
章節 | ||
開局60周年にあたって | ||
Ⅰ | 広島放送局の誕生 1 | |
1 | 日本放送協会中国支部設立 | |
ラジオの幕開け 1 日本放送協会中国支部設立 2 JOFK・こちらは広島放送局 4 総動員の郷土芸能人-開局記念番組- 7 |
||
2 | 初期の放送番組 | |
放送番組の編成 9 とぎれとぎれの放送時間 10 報道放送 13 ニュース 臨時ニュース 産業ニュース 職業紹介 時報 生繭相場 局報 日用品値段 気象通報 経済市況 教養放送 17 講演講座 料理献立 青年の時間と農家の時間 学校放送 子供の時間 慰安放送 20 演芸 演劇 邦楽 洋楽 スタジオ外放送 23 |
||
3 | 初期の放送設備 | |
放送機 電源 空中線 演奏室 マイクロホン 音声増幅器 連絡線・中継線・非常時連絡装置 有線中継と無線中継 | ||
4 | 強まるラジオへの関心 | |
全国初めての聴取者嗜好調査 30 受信者普及運動 31 文書宣伝 映画講演会 放送実演・放送実験つき子供大会 ラジオ体操の会 講習会 ラジオ商組合・供電業者 特殊サービス 伸びる受信契約者数 35 地方局と出張所 37 中国支部が広島中央放送局に 38 |
||
Ⅱ | 戦争と放送 | |
1 戦争体制へ 日中戦争と放送統制 41 戦時色に変わる放送番組 42 ひろがる放送網 45 岡山・鳥取放送局は、大阪から広島中央放送局管内に 46 |
||
2 太平洋戦争 きびしい電波管制 48 戦時中の放送番組 49 原放送所に三角塔型空中線建設 53 妨害放送 53 受信者の動き(昭和10年代)55 司令部地下壕からの空襲警報放送 56 番組表・加入者原簿の疎開 57 |
||
Ⅲ | 原爆と広島中央放送局 | |
昭和20年(1945)8月6日、広島に原爆投下 59 原爆投下8月6日午前8時15分 61 被爆直後の広島中央放送局 63 広島中央放送局職員の被爆状況 65 原放送所での救急活動と生活 77 惨禍の中での単独放送開始 78 昭和20年8月21日以降の放送部事務日誌から 81 |
||
Ⅳ | 混乱から復興へ | |
1 占領下の放送 第二放送、第三放送開始 89 ラジオコードの指令 90 復旧した流川演奏所 92 再生第一歩の初放送 94 ゼロからの出発 95 2 開放された放送 ローカル放送番組始まる 97 戦後のJOFKかいわい 99 マイク街頭へ 101 放送ストライキと放送国家管理 102 放送記者誕生 104 天皇ご巡幸と報道 105 平和記念式典の変遷 106 公開番組あれこれ 107 広島県放送文化普及委員会の発足 109 |
||
Ⅴ | 発展するラジオ文化 | |
1 新しい放送制度 電波三法の施行 111 特殊法人日本放送協会の発足 111 中国地方の民間放送 112 2 ラジオ全盛期へ 多彩なラジオ番組 115 戦後の番組編成から- FKのスタジオ事情 農事放送とRFD全局をあげての仕事 スポーツ放送(昭和20年代)全国版に躍り出たローカル番組 芸能番組と部外放送関連団体 報道課誕生(昭和26年から現在まで)134 ラジオ・ドラマ花ざかり 151 FK芸能団体の活躍 156 広島放送管弦楽団 広島放送交響楽団 広島放送合唱団 広島放送劇団 広島放送児童合唱団 広島放送児童劇団 円盤録音からテープ録音へ 167 ラジオ放送網の建設 168 活発な周知活動 171 瀬戸内海文化船・文化バス 巡回ラジオ列車 NHKたすけあい夏・期移動相談 ラジオの集い NHK全国学校音楽コンクール 受信者の動き(昭和20年代)176 受信障害対策の変遷 178 |
||
Ⅵ | テレビ時代の到来 | |
1 広島テレビジョン局開局 テレビの始まり 181 比治山テレビ放送所 182 昭和31年3月21日JOFK-TV開局 185 |
||
2 初期のテレビ番組と放送制作 テレビローカル定時番組開始 189 平和記念式典初のテレビ中継 190 ローカルテレビニュース放送開始 192 待望のテレビ中継車配備 196 テレビ中継車でスタジオ番組を制作 199 8ミリによるローカル番組 200 テレビ特集、特別番組(昭和30年代)202 スポーツ放送(昭和30年代)205 FK制作テレビドラマの系譜 207 広島放送会館落成 213 テレビジョン放送局建設ラッシュ 217 中国地方放送番組審議会の発足 221 FM放送の開始と運行業務 222 |
||
3 放送利用運動と視聴者サービス 放送教育研究会全国大会の開催 225 NHK婦人学級・放送利用農業集団の開設 228 あいつぐ海外演奏家・海外著名人の来広 228 番組公開 230 NHKサービスステーションの開設 231 テレビ受信対策 232 福山テレビ開局対策 大崎テレビ局UHF転換対策 受信者の動き(昭和30年代)234 |
||
Ⅶ | カラー放送の時代 | |
1 テレビ、カラー化進む カラー放送の開始 237 ローカル番組もカラー化 238 爆心地図復元運動 240 ローカル30分番組の移り変わり 246 市民の手で原爆の絵を運動 249 特集・特別番組(昭和40年代)256 スポーツ放送(昭和40年代)と昭和50年のカープ初優勝 258 |
||
2 視聴者とともに 視聴者サービス月間実施 261 生涯学習と放送 262 NHK交響楽団公演 266 番組公開 267 難視解消への取り組み 268 広島中央放送局ロビーに原爆之碑建立 272 受信者の動き(昭和40年代)275 |
||
Ⅷ | 地域放送の拡充 | |
1 多様化するテレビ番組 ローカルワイドニュースの新設 277 特集番組の拡充 284 瀬戸内海企画シリーズ(昭和15年から現在まで)285 番組素材の宝庫「厳島」 288 昭和50年代の特集番組 290 地域とともに「まちかど号」 293 スポーツ番組(昭和50年代)296 昭和50~60年代の主なラジオ番組 297 |
||
2 新しい技術 ニュース・番組制作全面ビデオ化 298 ニュースメディアの幕開け 300 衛星放送 文字放送 テレビ音声多重放送 緊急警報放送 ハイビジョン放送 |
||
3 放送文化の発展を願って 視聴者センターの設置 304 テレビ放送開始30周年キャンペイン 305 中国地方テレビ映像祭 306 地域総合イベント 307 受信者の動き(昭和50年代)311 |
||
4 ニューメディア時代を迎えて 各地で衛星放送公開・BSコンサート 315 中国地方文字放送フェア 315 広島放送局のきょうとあす 317 |
||
原爆放送史 | ||
原爆放送の概観 321 | ||
NHKの原爆放送と私 327 | ||
原爆関連放送番組表(昭和21年~昭和63年)330 | ||
広島放送局制作原爆関連番組出版図書一覧 364 | ||
資料 | ||
昭和63年度地域放送番組一覧 367 広島放送局制作受賞番組一覧 368 ラジオ受信契約数の推移 371 テレビ受信契約数の推移 373 中国管内・県別受信契約数 376 中国管内ラジオ放送局一覧 377 中国管内テレビジョン・FM放送局一覧 378 広島県内の辺地共同受信施設一覧 393 広島放送局在籍者名簿[管理職 昭和2年度~61年度] 399 〃 [全職員 昭和30年度~61年度] 413 〃 [全職員 昭和62年度] 426 |
||
年表 429 |
備考
『原爆死の真実―きのこ雲の下で起きていたこと』(NHKスペシャル取材班、岩波書店、20170725 )
目次
章 | ||
1 | きのこ雲の下の二枚の写真 | |
原爆投下三時間後の写真 | ||
「涙でファインダーがくもった」 | ||
御幸橋は壊滅地帯の出口だった | ||
コラム① 「地獄の再現」は、証言者がいたからこそ実現した | ||
2 | 橋の上には凄惨な光景が広がっていた | |
少女は動かなくなった赤ちゃんを抱いていた | ||
「どこに逃げればいいのか」それだけを考えていた | ||
瀕死の重傷を負って | ||
あれは「死の前の光景」だった | ||
コラム② 私たちは八月六日、御幸橋を通った | ||
3 | 写真にはどのような”痛み”が写し出されているか | |
「科学の力」で原爆の実相を浮かび上がらせる | ||
人間が感じる最大の痛み、”フラッシュ・バーン” | ||
写真は”原爆の非人道性”を物語る | ||
放射線による影響は出ていたか | ||
コラム③ 対談 熱傷の専門家×原子核物理学者 | ||
4 | 橋の上は、命を救う最前線だった | |
御幸橋は、救護の拠点となっていた | ||
広島に入った特攻兵を皮肉な運命が待っていた | ||
命の選別が行われた | ||
似島に運ばれて | ||
コラム④ 水をあげるか、あげないか。それは究極の選択だった | ||
5 | 私は友を置いて橋へと逃げた | |
がれきの下で校歌の合唱が始まった | ||
橋の上にいたのは、一〇代の少年少女たち | ||
最大の犠牲者は中学生だった | ||
悔いを抱えて | ||
コラム⑤ 写真が写し出す”悲しき物語” | ||
終章 | 原爆は市民の上に落とされた | |
公表になぜ七年もかかったのか | ||
世界で唯一の写真は、訴え続ける | ||
「被爆の真実」は伝わっているか | ||
コラム⑥ 差別を超えて | ||
あとがき | ||
『NHKスペシャル 長崎 よみがえる原爆写真』(NHK取材班編、日本放送出版協会、19950830)
目次
章 | ||
序文 | ||
序章 | アメリカでよみがえる長崎 | |
写真修復計画「長崎・ジャーニー」 | ||
1945年8月10日、川端庸介の「長崎・ジャーニー」 | ||
山端写真と最新技術との出会い/クリスとジュディ | ||
第1章 | 長崎を記録した男 | |
ヒロシマとナガサキ | ||
原爆を記録したカメラマンたち | ||
写真家・山端庸介の戦争 | ||
西部軍報道部と火野葦平 | ||
新たに発見された山端写真 | ||
PHOTOGRAPHS 8・10 長崎・ジャーニー | ||
第2章 | 長崎・ジャーニー1 ラッキーガール、おにぎりを持った親子 | |
偶然の「浦上工場」/八月十日「悲劇の谷」到着/早朝の憲兵隊本部 | ||
少女の微笑み/「ラッキーガール」の悲劇/「さまよう兄弟」との出会い | ||
炊き出しのおにぎり/「おにぎりを持った親子」/優しかった母の面影 | ||
第3章 | 長崎・ジャーニー2 爆心地・傷つき焼かれた人々 | |
モンペの柄から/トラックの上の炎熱地獄/爆心地の悲惨/立ちすくむ少女 平和を祈る龍さんの五十年/路面電車、生と死のドラマ 謎の「浦上天主堂」写真 |
||
第4章 | 長崎・ジャーニー3 救援・逃げ延びた人々 | |
爆心地から北へ/市役所職員奮闘す/「これは私の家だ」 道ノ尾駅の幻の看護婦/日赤第七一三救護班/胸に滲むチンク油の匂い 語ってくれた[お乳をあげる母]/二人の子を失って/写真が説明している |
||
〇〇 | PHOTOGRAPHS 8・10 長崎・ジャーニー | |
終章 | 長崎の映像は語る | |
クリスとジュディの長崎再訪/アメリカ・原爆写真展の衝撃 | ||
あとがき | ||
『世紀を超えて-爆心復元運動とヒロシマの思想』(児玉克哉編 、中国新聞社、19950801)
目次
章節 | ||
序に代えて-爆心地復元運動の今日的意義-(芝田進午) | ||
Ⅰ | 人間の復権を目指して(湯崎稔) | |
Ⅰ-1 | 原爆被災復元調査の意味 (湯崎稔) | |
Ⅰ-2 | 原爆被災復元の論理の構想(志水清編、金沢寛太郎・長屋龍人・湯崎稔) | |
Ⅰ-3 | 広島における被爆の実相 | |
『歴史評論 NO.336』(197804) | ||
Ⅱ | 爆心復元運動の誕生と展開(長屋龍人) | |
はじめに | ||
Ⅱ-1 | 被爆原点の空白 | |
Ⅱ-2 | 「爆心半径五〇〇メートル」の衝撃 | |
Ⅱ-3 | 「爆心復元」アイデアの源泉 | |
Ⅱ-4 | 爆心復元の論理と構想 | |
Ⅱ-5 | キャンペーン始動 | |
Ⅱ-6 | 爆心復元運動の展開 | |
Ⅲ | 爆心復元運動からヒロシマ理論へ(児玉克哉) | |
はじめに | ||
Ⅲ-1 | 日本現代史の縮図としての広島 | |
Ⅲ-2 | ヒロシマの視点 | |
Ⅲ-3 | ヒロシマと現代 | |
Ⅲ-4 | 爆心地復元運動からヒロシマ理論へ | |
Ⅳ | 座談会「爆心調査」からヒロシマを考える | |
出席者 | ||
青木豊子(爆心地復元調査協力者) | ||
鎌田七男(原爆放射能医学研究所研究員) | ||
高橋昭博(爆心地復元調査参加被爆者) | ||
長屋龍人(爆心地復元運動企画提案者、当時NHK番組ディレクター) | ||
渡辺正治(元原爆放射能医学研究所研究員) | ||
児玉克哉(三重大学人文学部助教授) | ||
太田武男([中国新聞]編集部) | ||
あとがき(児玉克哉) |
単行本となった放送番組(NHK)
NHK
NHK原爆関連番組(1947~49年分) | |
NHK原爆関連番組(1951~53年分) | |
放送はヒロシマをどう伝えてきたか(1998年7月17日~18日) | |
NHK関連出版物 | |
年月日 | 書名 | 編著者 | 発行所 |
20030730 | ヒロシマはどう記録されたか-NHKと中国新聞の原爆報道 | NHK出版編 | NHK出版 |