「原爆報道(NHK)」カテゴリーアーカイブ

放送資料

放送資料

出典:『ナガサキ原爆ノート』(NHK長崎放送局、19711201)

内容

はじめに
1 被爆の実態 4
2 核兵器の開発・軍縮をめぐる世界の動き 21
3 原爆被爆地の復元運動 57
4 (1)援護関係用語 62(2)核に関する用語 69
5 原爆関係団体(付・人物)87
6 放送資料 114
  番組

6 放送資料 114

番組

昭和年月日 番組名 番組内容
3904 時の表情 番組
390803 九州に生きる あれから19年①~⑦
400805~09 時の動き 原爆
400809 原爆特集
 41  <4件略>
 420823  長崎の青春  長崎8月折り鶴の会
 431206  (管中特集)  原爆孤老
 430808  原爆特集  ケースワーカーの記録1,2,3
 440809  管中 時の話題  被爆対策24年
 450627  話題の窓  爆心地復元
 450716  スタジオ102  復元運動はじまる
 450806  ローカル特集 長崎被爆25年  原爆公園の一日
 450807  ふれられざる被爆
 450809  “  被爆老人
 450807  時の動き  爆心地復元
 450809  管中 式典中継
 451002  時の話題  拡がる復元運動
 451114  話題の窓  25年目の青年団
 460109  管中 正月特集 九州人と話題  爆心地復元にかける
 460224   (管中特集) ある九州人  復元にかける執念
 460515  スタジオ102  掘り出された天主堂ドーム
 460525   管中 話題の窓  26年目の天主堂ドーム
 460713  ローカル特集 原爆意識調査  長崎市民の核意識
 460714  ”  被爆者の26年
 460715  ”  爆心地復元
 460806    管中 話題の窓  被爆体験をこの子らに
 460807   ”  26年目の被爆記録
 460809  管中 特集  爆心の空白
 460809  全中 ここに生きる  爆心地復元にかける~内田伯氏
 460809  スタジオ102  原爆平和教育

ニュース

年月日 放送時刻 番組内容
1961
0424 12全中 両陛下原爆病院へ
0602 19  すずらんの花束原爆病院へ
0623 19  原爆殉難記録近く出版
0626  19  長崎、広島の原爆慰霊祭開く
0627 14 原爆殉難記録近く出版
0630  19  被爆者の展示会
0701   19  原爆被災者協議会総会
0704  14   被爆者の展示会
0711  14  平和行進長崎を出発
0711  14  原爆病院へTVの贈り物
0712  19  佐世保からの平和行進団出発
0721  19  原爆被爆者の一斉検診
0808  15 原爆の句碑完成
0808  19   原爆殉難者の慰霊祭
0809  10全中  原爆特集ニュース
 12  原爆特集ニュース
 19  原爆特集ニュース
 21  原爆特集ニュース
0810  19  原水爆世界平和大会 長崎から出発
0912  19  核実験反対の街頭署名
0920  14   核実験反対の街頭署名
以下 <作業中
 1962
 0309  19:10  中学生がアメリカの核実験に反対し抗議集会
 0809 10全中  今日原爆記念日
 全中12   今日原爆記念日
管中12 原爆の日の今日 浦上天主堂で追悼ミサ
 今日原爆の日
 全中19 原水爆禁止長崎大会
 全中21  原爆記念日
 1963
 1964
 1965
 1966
 1967
 1968
 1969
 1970
 1971
0809  06  今日原爆祈念日
 08  浦上天主堂の追悼ミサ
 12  平和祈念式典
 原爆教育の日
浦上天主堂のミサ
 城山小の平和祈念式典
 17  原水禁大会終る
 アメリカ代表ハノイへ
 浦上天主堂の追悼ミサ
 城山小の祈念式典
 復元地図新たに50世帯
 21  とうろう流し
 復元地図新たに50世帯

ナガサキ原爆ノート

『ナガサキ原爆ノート』(NHK長崎放送局、19711201)

内容

はじめに
1 被爆の実態 4
(1)長崎の原爆被災状況 5
イ.警報発令 5
ロ.B29進入状況 5
ハ.爆心 5
ニ.被災状況 6
ホ.人、建物の被害 10
(2)被爆者分布状況 19
イ.全国分布 19
ロ.長崎の被害者 20
2 核兵器の開発・軍縮をめぐる世界の動き 21
イ.年表 23
ロ.核の威力(ウ・タント報告から)33
ハ.米ソの核拡散防止条約 38
ニ.部分核停条約・核拡散防止条約 38
ホ.ヒロシマ会議 48
3 原爆被爆地の復元運動 57
4 (1)援護関係用語 62
(2)核に関する用語 69
5 原爆関係団体(付・人物)87
団体 88
 長崎市原爆被爆者対策課
 国際文化会館原爆資料室
長崎市原爆被災復元調査室
原爆被災復元調査協議会
原爆被災復元の会
長崎市民生委員総務協議会
長崎市立原子爆弾被爆者健康管理所
長崎市原爆被爆者検査センター(原爆被爆者中央健診所)
原爆被爆者温泉保養所”大和荘<ダイワ>”
厚生省国立予防衛生研究所・ABCC
財団法人長崎原子爆弾被爆者対策協議会(原対協)
被爆者3団体連絡協議会(被災協、遺族会、手帳友の会)
財団法人長崎原子爆弾被爆者対策協議会
長崎原爆資料協議会
長崎原爆遺族会
長崎県被爆者手帳友の会・長崎県動員学徒犠牲者の会
原水爆禁止長崎県民会議(社会党総評系の原水禁)
原水爆禁止長崎県協議会(共産党系の原水協)
原水爆禁止・平和建設国民会議長崎県民会議(核禁会議)
長崎県被爆教師の会
原爆青年乙女の会
「長崎の証言」刊行委員会
原水爆被災白書をすすめる長崎市民の会(新左翼系)
長崎平和折り鶴の会
ラッセル平和財団日本資料センター
ともしび会
長崎大学医学部
旧長崎医科大学原爆犠牲者遺族会
恵の丘長崎原爆ホーム
聖フランシスコ病院
三菱製鋼長崎製鉄所
三菱重工業長崎造船所
国労原爆被爆者対策協議会長崎支部
全電通長崎県支部被爆者の会
純心女子学園
城山小学校
山里小学校
日赤長崎原爆病院
人物 90
 永井隆
 渡辺千恵子
 橋口幸子(当時 山口幸子)
 池松経興
 寺田秋蔵
 上林靱夫
 相原秀次
 荒川秀男
 江頭千代子
6 放送資料 114

NHK広島放送局60年史

『NHK広島放送局60年史』( NHK広島放送局60年史編集委員会編、NHK広島放送局刊、1988/07/01)

内容

章節
開局60周年にあたって
広島放送局の誕生 1
1 日本放送協会中国支部設立
ラジオの幕開け 1
日本放送協会中国支部設立 2
JOFK・こちらは広島放送局 4
総動員の郷土芸能人-開局記念番組- 7
2 初期の放送番組
放送番組の編成 9
とぎれとぎれの放送時間 10
報道放送 13
ニュース 臨時ニュース 産業ニュース 職業紹介 時報 生繭相場 局報 日用品値段 気象通報 経済市況
教養放送 17
講演講座 料理献立 青年の時間と農家の時間 学校放送 子供の時間
慰安放送 20
演芸 演劇 邦楽 洋楽
スタジオ外放送 23
3 初期の放送設備
放送機 電源 空中線 演奏室 マイクロホン 音声増幅器 連絡線・中継線・非常時連絡装置 有線中継と無線中継
4  強まるラジオへの関心
全国初めての聴取者嗜好調査 30
受信者普及運動 31
文書宣伝 映画講演会 放送実演・放送実験つき子供大会 ラジオ体操の会 講習会 ラジオ商組合・供電業者 特殊サービス
伸びる受信契約者数 35
地方局と出張所 37
中国支部が広島中央放送局に 38
戦争と放送
1 戦争体制へ
日中戦争と放送統制 41
戦時色に変わる放送番組 42
ひろがる放送網 45
岡山・鳥取放送局は、大阪から広島中央放送局管内に 46
2 太平洋戦争
きびしい電波管制 48
戦時中の放送番組 49
原放送所に三角塔型空中線建設 53
妨害放送 53
受信者の動き(昭和10年代)55
司令部地下壕からの空襲警報放送 56
番組表・加入者原簿の疎開 57
原爆と広島中央放送局
昭和20年(1945)8月6日、広島に原爆投下 59
原爆投下8月6日午前8時15分 61
被爆直後の広島中央放送局 63
広島中央放送局職員の被爆状況 65
原放送所での救急活動と生活 77
惨禍の中での単独放送開始 78
昭和20年8月21日以降の放送部事務日誌から 81
混乱から復興へ
1 占領下の放送
第二放送、第三放送開始 89
ラジオコードの指令 90
復旧した流川演奏所 92
再生第一歩の初放送 94
ゼロからの出発 95
2 開放された放送
ローカル放送番組始まる 97
戦後のJOFKかいわい 99
マイク街頭へ 101
放送ストライキと放送国家管理 102
放送記者誕生 104
天皇ご巡幸と報道 105
平和記念式典の変遷 106
公開番組あれこれ 107
広島県放送文化普及委員会の発足 109
発展するラジオ文化
1 新しい放送制度
電波三法の施行 111
特殊法人日本放送協会の発足 111
中国地方の民間放送 112
2 ラジオ全盛期へ
多彩なラジオ番組 115
戦後の番組編成から- FKのスタジオ事情 農事放送とRFD全局をあげての仕事 スポーツ放送(昭和20年代)全国版に躍り出たローカル番組 芸能番組と部外放送関連団体
報道課誕生(昭和26年から現在まで)134
ラジオ・ドラマ花ざかり 151
FK芸能団体の活躍 156
広島放送管弦楽団 広島放送交響楽団 広島放送合唱団 広島放送劇団 広島放送児童合唱団 広島放送児童劇団
円盤録音からテープ録音へ 167
ラジオ放送網の建設 168
活発な周知活動 171
瀬戸内海文化船・文化バス 巡回ラジオ列車 NHKたすけあい夏・期移動相談 ラジオの集い NHK全国学校音楽コンクール
受信者の動き(昭和20年代)176
受信障害対策の変遷 178
テレビ時代の到来
1 広島テレビジョン局開局
テレビの始まり 181
比治山テレビ放送所 182
昭和31年3月21日JOFK-TV開局 185
2 初期のテレビ番組と放送制作
テレビローカル定時番組開始 189
平和記念式典初のテレビ中継 190
ローカルテレビニュース放送開始 192
待望のテレビ中継車配備 196
テレビ中継車でスタジオ番組を制作 199
8ミリによるローカル番組 200
テレビ特集、特別番組(昭和30年代)202
スポーツ放送(昭和30年代)205
FK制作テレビドラマの系譜 207
広島放送会館落成 213
テレビジョン放送局建設ラッシュ 217
中国地方放送番組審議会の発足 221
FM放送の開始と運行業務 222
3 放送利用運動と視聴者サービス
放送教育研究会全国大会の開催 225
NHK婦人学級・放送利用農業集団の開設 228
あいつぐ海外演奏家・海外著名人の来広 228
番組公開 230
NHKサービスステーションの開設 231
テレビ受信対策 232
福山テレビ開局対策 大崎テレビ局UHF転換対策
受信者の動き(昭和30年代)234
カラー放送の時代
1 テレビ、カラー化進む
カラー放送の開始 237
ローカル番組もカラー化 238
爆心地図復元運動 240
ローカル30分番組の移り変わり 246
市民の手で原爆の絵を運動 249
特集・特別番組(昭和40年代)256
スポーツ放送(昭和40年代)と昭和50年のカープ初優勝 258
2 視聴者とともに
視聴者サービス月間実施 261
生涯学習と放送 262
NHK交響楽団公演 266
番組公開 267
難視解消への取り組み 268
広島中央放送局ロビーに原爆之碑建立 272
受信者の動き(昭和40年代)275
地域放送の拡充
1 多様化するテレビ番組
ローカルワイドニュースの新設 277
特集番組の拡充 284
瀬戸内海企画シリーズ(昭和15年から現在まで)285
番組素材の宝庫「厳島」 288
昭和50年代の特集番組 290
地域とともに「まちかど号」 293
スポーツ番組(昭和50年代)296
昭和50~60年代の主なラジオ番組 297
2 新しい技術
ニュース・番組制作全面ビデオ化 298
ニュースメディアの幕開け 300
衛星放送 文字放送 テレビ音声多重放送 緊急警報放送 ハイビジョン放送
3 放送文化の発展を願って
視聴者センターの設置 304
テレビ放送開始30周年キャンペイン 305
中国地方テレビ映像祭 306
地域総合イベント 307
受信者の動き(昭和50年代)311
4 ニューメディア時代を迎えて
各地で衛星放送公開・BSコンサート 315
中国地方文字放送フェア 315
広島放送局のきょうとあす 317
原爆放送史
原爆放送の概観 321
NHKの原爆放送と私 327
原爆関連放送番組表(昭和21年~昭和63年)330
広島放送局制作原爆関連番組出版図書一覧 364
資料
昭和63年度地域放送番組一覧 367
広島放送局制作受賞番組一覧 368
ラジオ受信契約数の推移 371
テレビ受信契約数の推移 373
中国管内・県別受信契約数 376
中国管内ラジオ放送局一覧 377
中国管内テレビジョン・FM放送局一覧 378
広島県内の辺地共同受信施設一覧 393
広島放送局在籍者名簿[管理職 昭和2年度~61年度] 399
〃 [全職員 昭和30年度~61年度] 413
〃 [全職員 昭和62年度] 426
年表 429

備考

原爆死の真実―きのこ雲の下で起きていたこと

『原爆死の真実―きのこ雲の下で起きていたこと』(NHKスペシャル取材班、岩波書店、20170725 )

目次

1 きのこ雲の下の二枚の写真
 原爆投下三時間後の写真
「涙でファインダーがくもった」
御幸橋は壊滅地帯の出口だった
コラム① 「地獄の再現」は、証言者がいたからこそ実現した
2 橋の上には凄惨な光景が広がっていた
少女は動かなくなった赤ちゃんを抱いていた
「どこに逃げればいいのか」それだけを考えていた
瀕死の重傷を負って
あれは「死の前の光景」だった
コラム② 私たちは八月六日、御幸橋を通った
3 写真にはどのような”痛み”が写し出されているか
「科学の力」で原爆の実相を浮かび上がらせる
人間が感じる最大の痛み、”フラッシュ・バーン”
写真は”原爆の非人道性”を物語る
放射線による影響は出ていたか
コラム③ 対談 熱傷の専門家×原子核物理学者
4 橋の上は、命を救う最前線だった
御幸橋は、救護の拠点となっていた
広島に入った特攻兵を皮肉な運命が待っていた
命の選別が行われた
似島に運ばれて
コラム④ 水をあげるか、あげないか。それは究極の選択だった
5 私は友を置いて橋へと逃げた
がれきの下で校歌の合唱が始まった
橋の上にいたのは、一〇代の少年少女たち
最大の犠牲者は中学生だった
悔いを抱えて
コラム⑤ 写真が写し出す”悲しき物語”
終章 原爆は市民の上に落とされた
公表になぜ七年もかかったのか
世界で唯一の写真は、訴え続ける
「被爆の真実」は伝わっているか
コラム⑥ 差別を超えて
あとがき

 

長崎 よみがえる原爆写真

『NHKスペシャル 長崎 よみがえる原爆写真』(NHK取材班編、日本放送出版協会、19950830)

目次

序文
序章 アメリカでよみがえる長崎
写真修復計画「長崎・ジャーニー」
1945年8月10日、川端庸介の「長崎・ジャーニー」
山端写真と最新技術との出会い/クリスとジュディ
第1章 長崎を記録した男
ヒロシマとナガサキ
原爆を記録したカメラマンたち
写真家・山端庸介の戦争
西部軍報道部と火野葦平
新たに発見された山端写真
PHOTOGRAPHS 8・10 長崎・ジャーニー
第2章 長崎・ジャーニー1 ラッキーガール、おにぎりを持った親子
偶然の「浦上工場」/八月十日「悲劇の谷」到着/早朝の憲兵隊本部
少女の微笑み/「ラッキーガール」の悲劇/「さまよう兄弟」との出会い
炊き出しのおにぎり/「おにぎりを持った親子」/優しかった母の面影
第3章 長崎・ジャーニー2  爆心地・傷つき焼かれた人々
モンペの柄から/トラックの上の炎熱地獄/爆心地の悲惨/立ちすくむ少女
平和を祈る龍さんの五十年/路面電車、生と死のドラマ
謎の「浦上天主堂」写真
第4章 長崎・ジャーニー3  救援・逃げ延びた人々
爆心地から北へ/市役所職員奮闘す/「これは私の家だ」
道ノ尾駅の幻の看護婦/日赤第七一三救護班/胸に滲むチンク油の匂い
語ってくれた[お乳をあげる母]/二人の子を失って/写真が説明している
〇〇 PHOTOGRAPHS  8・10 長崎・ジャーニー
終章 長崎の映像は語る
クリスとジュディの長崎再訪/アメリカ・原爆写真展の衝撃
あとがき

爆心復元運動とヒロシマの思想

『世紀を超えて-爆心復元運動とヒロシマの思想』(児玉克哉編 、中国新聞社、19950801)

目次

章節
序に代えて-爆心地復元運動の今日的意義-(芝田進午)
人間の復権を目指して(湯崎稔)
Ⅰ-1 原爆被災復元調査の意味 (湯崎稔)
Ⅰ-2 原爆被災復元の論理の構想(志水清編、金沢寛太郎・長屋龍人・湯崎稔)
Ⅰ-3 広島における被爆の実相
『歴史評論 NO.336』(197804)
爆心復元運動の誕生と展開(長屋龍人)
はじめに
Ⅱ-1 被爆原点の空白
Ⅱ-2 「爆心半径五〇〇メートル」の衝撃
Ⅱ-3 「爆心復元」アイデアの源泉
Ⅱ-4 爆心復元の論理と構想
Ⅱ-5 キャンペーン始動
Ⅱ-6 爆心復元運動の展開
爆心復元運動からヒロシマ理論へ(児玉克哉)
はじめに
Ⅲ-1 日本現代史の縮図としての広島
Ⅲ-2 ヒロシマの視点
Ⅲ-3 ヒロシマと現代
Ⅲ-4 爆心地復元運動からヒロシマ理論へ
座談会「爆心調査」からヒロシマを考える
出席者
青木豊子(爆心地復元調査協力者)
鎌田七男(原爆放射能医学研究所研究員)
高橋昭博(爆心地復元調査参加被爆者)
長屋龍人(爆心地復元運動企画提案者、当時NHK番組ディレクター)
渡辺正治(元原爆放射能医学研究所研究員)
児玉克哉(三重大学人文学部助教授)
太田武男([中国新聞]編集部)
あとがき(児玉克哉)