『ドキュメンタリー原爆遺跡 -ヒロシマの子の爆心地レポート』(広島高校生平和ゼミナール・広島県歴史教育者協議会・広島市教職員組合編、平和文化、19880701)
目次
章 |
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刊行によせて |
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森田俊男(日本平和教育研究協議会代表委員) |
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序文 |
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横山英(広島大学名誉教授・広島高校生平和ゼミナール校長) |
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原爆遺跡マップ |
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電車運転系統図 |
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[楽譜]核の時代ヒロシマの子は |
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グラフ原爆遺跡 |
1章 |
被爆樹の記録 |
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樹木の被害状況(大亀信行) |
01 |
基町の被爆エノキ(沢野重男) |
02 |
広島城のユーカリ(衛藤裕華) |
03 |
平和公園のアオギリ(岡田邦子) |
04 |
鶴見橋の被爆ヤナギ(坂本そのみ) |
05 |
縮景園のイチョウとケヤキ(田丸綾子) |
06 |
天満小学校のプラタナス(二宮孝司) |
2章 |
爆心建造物の記録 |
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建物の被害の概況(村井誠吾) |
01 |
広島大学理学部一号館(村井誠吾) |
02 |
広島赤十字病院(村本秀樹) |
03 |
日本銀行広島支店(河本俊雄) |
04 |
旧制広島第一中学校(福永誓) |
05 |
中国電力(杉本麗次) |
06 |
原爆ドーム(三宅昌子) |
07 |
頼山陽文徳殿九輪の塔(水津素行) |
08 |
広島銀行銀山町支店(小川周作) |
09 |
旧広島管区気象台(木本安彦) |
10 |
旧広島中央放送局(村井誠吾) |
11 |
本川小学校(小西、松井) |
12 |
広島市役所(加藤知之) |
13 |
広島貯金支局(新谷博美) |
14 |
逓信局と逓信病院(岡田邦子) |
3章 |
川と橋の記録 |
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橋は見ていた(高橋信雄) |
01 |
猿猴橋(門田令子) |
02 |
元安橋(村上敬之助) |
03 |
旧観音橋(辻隆広) |
04 |
御幸橋(高橋信雄) |
05 |
京橋(高橋信雄) |
06 |
万代橋(高橋信雄) |
07 |
荒神橋(大西五巳) |
4章 |
寺と社の記録 |
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神社・寺院・墓石などの原爆被害に因んで(沢野重男) |
01 |
白神社(大盛真子) |
02 |
慈仙寺(正路順子) |
03 |
禿翁寺の六地蔵(井口博美) |
04 |
興禅寺(前田賢二、古川暢之、皆川直史) |
05 |
広瀬神社(田丸綾子) |
06 |
光隆寺(新谷博美) |
07 |
西向寺(為平新吾) |
08 |
三滝寺と原爆無縁墓(河岡陽子) |
09 |
本願寺派広島別院(吉川徹忍) |
10 |
被爆親鸞聖人像の台座(沢野重男) |
11 |
清住寺(渡辺雅恵) |
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平和について考え、行動する高校生とともに |
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光寺重信(光隆寺住職) |
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友情と団結のある未来を |
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ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の言葉より |
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解説(1):相原和光(元広島YMCA総主事) |
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解説(2):野口由松(元広島教区長、司教ドミニコ) |
5章 |
旧軍全滅の記録 |
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広島市内の旧軍関係施設について(高橋信雄) |
01 |
大本営と広島城周辺の旧軍施設() |
02 |
広島陸軍兵器支廠 |
03 |
陸軍被服支廠 |
04 |
宇品陸軍糧秣支廠 |
05 |
広島第二陸軍病院 |
06 |
比治山陸軍墓地 |
07 |
宇品線 |
08 |
似島 |
09 |
金輪島 |
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調査を終えて 高校生の感想 |
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あとがき(高橋信雄・沢野重男) |
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『ヒロシマの旅-碑めぐりガイドブック 』(広島県歴史教育者協議会・「ヒロシマの碑」建設委員会・広島県高校生平和ゼミナル監修、平和文化、19830623)
内容
頁 |
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はじめに ヒロシマを学ぶことの意味 |
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02 |
ヒロシマの旅 原爆モニュメントめぐりモデルコース解説 |
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04 |
原爆ドーム |
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06 |
原民喜詩碑 |
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07 |
爆心地 |
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08 |
原爆犠牲ヒロシマの碑 |
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10 |
広島平和都市記念碑 |
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12 |
原爆の子の像 |
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14 |
原爆供養塔 |
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15 |
嵐の中の母子像 |
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16 |
原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑 |
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18 |
峠三吉詩碑 |
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20 |
全損保労働組合被爆20周年記念碑 |
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21 |
韓国人原爆犠牲者慰霊碑 |
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22 |
モニュメント案内(2) |
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21 |
原爆遺跡案内一覧 |
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28 |
原爆慰霊碑・記念碑一覧 |
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30 |
歌集 原爆を許すまじ |
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31 |
歌集 青い空は |
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32 |
おわりに |
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32 |
原爆学習文献一覧 |
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平和公園内慰霊碑所在地図 |
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『原爆瓦-世界史をつくる十代たち』
(山口勇子著,出版元:平和文化、発売元:汐文社、1982/07/07)
頁 |
タイトル |
備考 |
12 |
瓦が再現してみせた原爆 |
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実験-原爆を再現する 12
瓦が気体になった 12
ぼくたちの原爆 16
ヒロシマナガサキを「体験」する 17
熱量計算-三・〇×一〇の一二乗カロリー 19
核兵器廃絶の若い仲間 20
にのしま |
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25 |
「その日はいつか」の詩にあるように |
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ヒロシマの風景 27
そしてわたしのヒロシマ 29
ほんとうのところを見極めて欲しい |
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34 |
高枚生集会の高まり |
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原爆瓦までの道のり 34
歩み始めた高校生たち 35
高まり見せた高校生集会 37
「史樹ちゃんはわたしたちです」 |
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46 |
平和ゼミナールで育つ高校生たち |
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無名戦士の碑 46
平和ゼミナールの授業 48
その日にこそ平和と民主主義を学ぶ 52
ヒロシマに生きる |
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56 |
ヒロシマの子どもたち |
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拠点 56
八木満喜男のこと |
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62 |
初めて瓦を掘りあてたとき |
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片手落ちの広島 62
「あった!」 63
頭と心と体で学ぶフィールドワーク 66
突然の新聞記事 |
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71 |
瓦のように溶かされたくない |
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アピール・ヒロシマの川を考えよう 71
初めての対市交渉 71
みんなの手で一枚でも多く 75
瓦のように溶かされたくない |
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79 |
各地に旅立つ原爆瓦 |
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輪の広がり 79
世界につながる瓦発堀 81
「この瓦でヒロシマの願いを広めてください!」 82
瓦を守れ |
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93 |
はがき作戦 |
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荒木広島市長殿 93
再び瓦発掘ヘ 95
市の計画 97
急速に盛り上がる瓦保存運動 |
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100 |
ボタンを見つけた |
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四種のボタンが語る戦争と原爆 100
「だからなくさなければ、わたしらがやらなくては……」 102
「原爆さえなかったら……」 104
自分の手でつかみとったもの |
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108 |
「昭和の歴史」研究グループ |
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特別講座-学習から自分の生き方を考える 108
ヒロシマのもう一面 110
青春のひとみを支えるもの 113
米軍機ファントム墜落 114
安保によって米兵は裁かれない! 115
女性である前に人間であれ |
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120 |
受ける平和からつくりだす平和へ |
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ヒロシマ-一九八一・八・六 120
ええことばかりいって 121
“新天地”長崎ヘ 122
第八回八・六高校生集会 123
受ける平和からつくりだす平和ヘ 124
白いチョゴリの被爆者 126
吸収したものの重さ 127
「ぼくの弟も食べ物がなくなって死にました」 128
ずっと続く道 |
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131 |
長崎研修旅行で得たもの |
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平和ヘの初旅 131
この怖さをいっぱいに広げよう 133
ヒロシマナガサキの瓦で友情と平和を 135
平和ゼミの感覚だけで考えてはいけない 137
若者は若者らしい方法で |
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141 |
ノエルベーカーの手紙運動 |
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|
ノエルベーカー卿との再会 141
ノエルベーカーの手紙 142
ノエルベーカー卿に瓦を渡した |
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156 |
原爆の証を消してはいけない |
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|
第三回対市交渉 156
こっちの力を大きくすることだ |
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163 |
げんばくがわらをほりました |
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すすむ発掘作業と交流 P63
現実と理想が一体化されない不安 164
げんばくがわらをほりました 166
一〇フィートフィルムカンパ 170
お供養して下さい |
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174 |
平和への願いが市を動かした |
|
|
「ぼくはかわらをすててはいけないと思います」 174
平和への願いが市を動かした 176
最後の原爆瓦発掘 |
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182 |
原爆瓦モニュメントの土台の重さ |
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かわらおばさん 182
あの平和公園はきれいすぎる 183
安田女子高校社会科学研究部の場合 185
出会いのすばらしさ 190
原爆瓦前史-故田辺勝さんのこと |
|
196 |
アリス・ハーズ賞受賞 196
アリス・ハーズ賞 196
生にむかって先頭に立ってください 197
生命が未来をもつように 199
実践を通じて学ぶこと 201
高校生平和ゼミの意義深さ |
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206 |
原爆瓦のモニュメント建設へ |
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|
建設募金一番乗り 206
原爆の子の像 207
第二の原爆の子の像建設にむけて 209
平和のためのモニュメント 214
街頭行動ヘ 216
世界の歩みの中の原爆瓦発掘 218 |
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220 |
各地の高校生平和ゼミ“出航” |
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被爆体験継承の役目を担って 220
神奈川でも 221
長崎でも 223
呉でも 223
埼玉でも |
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236 |
平和の記念碑を |
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相つぐ募金と手紙 236
小学生たちの奮闘 238
ヒロシマの心を世界に 244
第五回平和ゼミナール 5
別れと出発の季節 247
もどらぬ風 249
平和教育“戦士”の新しい門出 251
平和は待つものではない、つくりだすものだ |
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254 |
あとがき 1982年5月23日・東京行動の日に |
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『父は沖縄で死んだ』(大田英雄、高文研、19890613 )
目次
章 |
見出し |
備考 |
Ⅰ |
沖縄県民かく戦えり |
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◇還ってきた父のシャレコウベ◇沖縄”捨て石”作戦◇武器は「竹槍」だった◇海軍部隊の最期◇二つの電文◇壕の中の遺骨◇命沖縄の土になった「父」 |
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Ⅱ |
家族の見た父の肖像 |
|
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◇命父と母の出会い◇軍人とその妻◇「武人」の横顔◇子供たちの目に映った父◇六番目で最初の男の子◇かいま見た太平洋戦争の実態◇佐世保に移る◇坂に消えた白い手袋 |
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Ⅲ |
遺族たちの「戦後」 |
|
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◇初めての呉空襲◇学童疎開先で知った父の死◇八月十五日の夕焼け◇墨を塗らされた教科書◇食うためのたたかい◇離散したきょうだい◇新制中学の授業◇高校時代の記憶◇一度は考えた防大受験◇「沖縄」を避けていた大学時代◇教会活動・洗礼・就職 |
|
Ⅳ |
教師として生きる |
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島の分校の新米教師 |
倉橋分校? |
|
***倉橋分校?。昼間定時制 |
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生徒に教えられたヒロシマ |
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***体育祭の仮装行列で原爆被災者を演じる。 |
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「瀬戸の花嫁」 |
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末弟も防衛大へ |
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職員会議で罵倒された私 |
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***1963年4月広島県立賀茂高等学校へ赴任。「日の丸」問題。滝尾英二先生のアシスタントとして社会科研究クラブの研修旅行「大和路の旅」へ生徒を引率。 |
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古墳にとりつかれて |
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呉市に戻る |
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***1967年4月広島県立呉宮原高等学校へ赴任。 |
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モーニング論争 |
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同和教育運動のなかで |
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防衛大へ行った教え子 |
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***呉でも大学セクトの指導でアジト。宮原高校も一つの拠点。「反戦高校生」は「呉黄幡弾薬庫や江田島秋月弾薬庫」などを取り上げる。 |
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自衛隊員の子女に自衛隊をどう教えるか |
|
|
***1983年に盛岡で開かれた「第32次全国教育研究集会」の「人権と平和」教育分科会にレポーターとして参加。助言者に森田俊男先生。 |
Ⅴ |
平和教育にとりつかれて |
|
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映画「沖縄」の上映運動 |
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カヤさん、マキさんとの出会い |
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***1972年カヤ(萱原威=被爆者。広高校の数学の教師)先生が中心となり県下に先がけ高教組呉地区支部内に平和教育推進部を結成。マキ(牧岡宏明。広高校の数学の教師)。972年カヤ、マキらで全国高校生活指導研究協議会呉支部(略称:呉高生研)結成。 |
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呉空襲を記録する会 |
|
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***1974年歴史教育者協議会呉支部を中心に 呉空襲を記録する会を結成。1975年『呉空襲記』(中国新聞社、吉川記者)刊。 |
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平和教育読本をつくる |
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***呉地区の平和教育推進部の提案で高教組本部に編集委員会設置。『明日に生きる』 |
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平和教育推進部 |
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***1977年カヤさんが広島商業高校に転勤。 |
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呉地区高校生「平和の集い」 |
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***1973年、平和教育推進部で貸し切りバスを仕立て第19回原水爆禁止世界大会の文化集会に生徒ともども参加。上条恒彦の声に圧倒される。翌年、生徒の要望で世界大会そのものに参加。1975年2月、第1回呉地区高校生「平和の集い」(呉地区高校生徒会連絡会主催、平和教育推進部・呉高生研援助、原水爆禁止呉協議会・歴史教育者協議会呉支部後援)。 |
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「高校生平和ゼミナール」の出発 |
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***1977年(松崎徹、沢野重男ら)「広島平和ゼミナール」結成。
8・6高校生平和集会への道=
1975年第19回原水爆禁止世界大会高校生分科会終了後、松崎から大田に相談。
第20回原水爆禁止世界大会高校生分科会終了後、指導者会議に提起。
第21回原水爆禁止世界大会高校生分科会で学園に根差した高校生の活動報告。
大阪清水谷高校の文化祭での平和問題への取り組み。
以後、3年のうち2回は広島県高校生平和ゼミナールが、1回は長崎高校生平和ゼミナールが、地元実行委員会として世話役。 |
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平和は創りだすもの |
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***呉地区高校生「平和の集い」=2月と6月の2回。第3回、第5回、第6回の内容 |
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すばらしい生徒たち |
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***第7回、第13回、 |
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「原爆瓦」に負けるな |
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***戦跡フィールドワーク。1982年2月第15回「平和の集い」。 |
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一年六組の旗 |
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***1982年4月、ホームルームを担当。6月の第16回「平和の集い」 |
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盛岡の誓い |
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***「第32次全国教育研究集会」(1983年)。広島(沢野重男・大亀信行)・長崎・埼玉(小岩井増夫)・呉で「8・6全国高校生集会」。森田塾。 |
VI |
沖縄で見た「父」 |
|
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父の「電文」との出会い |
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歴教協・呉支部をつくる |
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海軍壕で見た「父」 |
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基地オキナワの現実 |
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安仁屋政昭氏との再会 |
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「兄は反戦教師、弟は自衛官」 |
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二度目の訪沖 |
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平良知事の涙 |
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|
三度目の訪沖 |
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VII |
沖縄戦“追体験”の旅 |
|
|
「観光コースでない沖縄」 |
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本島中部の戦跡と基地 |
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糸数壕にて |
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摩文仁の丘にて |
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平和祈念資料館にて |
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|
「ひめゆり」の衝撃 |
|
|
父の「電文」の背後にあったもの |
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|
旅の終わり |
|
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|
VIII |
呉にも「沖縄」があった |
|
|
軍港都市・呉の誕生 |
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海軍・戦争とともに歩んだ呉 |
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呉空襲の被害が大きかった理由 |
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呉の「摩文仁ヶ丘」と「健児の塔」 |
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呉にもあった「ひめゆりの塔」 |
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|
戦艦「大和」の碑 |
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壕の中の地獄 |
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帝国海軍の終焉「呉沖海空戦」 |
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「軍都」呉は、いま |
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あとがき |
|
広島県高校生平和ゼミナール
年 |
月 |
日 |
|
77 |
|
|
広島県高校生平和ゼミナール、発足。 |
78 |
02 |
11 |
第1回県高校生平和ゼミナール(県高校平和ゼミ実行委主催)、広島市内で開催。 |
|
|
|
『第1回広島県高校生平和ゼミナール』第1回広島県高校生平和ゼミナール(第1回広島県高校生平和ゼミナール実行委員会編・刊、1978.2.11)、『より確かに平和へ歩もう No.1 第1回広島県高校生平和ゼミナールの記録』(1978.5.3)<広島平和記念資料館蔵> |
79 |
02 |
11 |
「第2回県高校生平和ゼミナール」、広島市で開催。(12日まで) |
80 |
02 |
10 |
「第3回高校生平和ゼミナール」、広島市で開かれる。(2月11日まで) |
81 |
02 |
11 |
広島市で広島県高校生平和ゼミナール、開催。 |
81 |
02 |
21 |
広島県高校生平和ゼミナールなど、広島市で第3回平和と民主主義のための上映会を開催。 |
82 |
02 |
06 |
「第5回広島県高校生平和ゼミナール」、広島市で開催。(11日・13日も)。 |
83 |
02 |
11 |
「広島県高校生平和ゼミナール」、広島市で開校(13日まで)。シンポジウム、各教科による平和学習を実施。 |
84 |
02 |
11 |
広島県高校生平和ゼミナール実行委、広島市で第七回広島県高校生平和ゼミナールを開催。(12日も) |
85 |
02 |
09 |
第8回高校生平和ゼミナール(同実行委主催)、広島市で開催(11日まで)(約350人参加)。11日、約200人参加非核宣言採択。エチオピアの駐日大使を招き、対話集会「戦争と飢えはいらない」を開催。 |
86 |
02 |
11 |
第 9回広島県高校生平和ゼミナール(同ゼミナール実行委主催)、広島市で、開催(約 350人出席)。 |
87 |
02 |
07 |
第10回広島県高校生平和ゼミナール、広島市で開催(11日まで、約400人参加)。反 核ソング「ヒロシマ・スチューデンツ・アピール」を披露。 |
88 |
02 |
11 |
「広島県高校生平和ゼミナール」、広島市で開催(13日も)。今年11回目。 |
89 |
02 |
04 |
第12回広島県高校生平和ゼミナール(実行委員長・横山英広大名誉教授)、広島市で開催(約600人参加、11日も)。映画観賞会など。 |
89 |
02 |
12 |
「広島県高校生平和ゼミナール」、広島市で開催(約200人参加)。英語・国語などの授業形式で平和学習。原爆ドーム保存などを求める緊急アピールを採択。(「2.4」の項参照。) |
90 |
02 |
11 |
広島高校生平和ゼミナール、同市内で、「一日平和学校」を開催(約200人参加)。今年で13回目。原爆をテーマにした一人芝居「朝ちゃん」の公演など。 |
91 |
02 |
10 |
「第14回広島高校生平和ゼミナール」、広島市で開催(約250人参加)。湾岸戦争への発言が相次ぐ。 |
92 |
02 |
08 |
第15回ヒロシマ高校生平和ゼミナール、「平和とは何だ、人間とは何だ」をテーマに広島市の平和記念館で開催。約200人が参加。 |
|
書名 |
著者出版者 |
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1 |
第1回広島県高校生平和ゼミナール |
第1回広島県高校生平和ゼミナール実行委員会編 |
1978/02/11 |
2 |
より確かに平和へ歩もう No.1 第1回広島県高校生平和ゼミナールの記録 |
第1回広島県高校生平和ゼミナール実行委員会編 |
1978/05/03 |
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。