『原爆と戦った特攻兵 8・6広島、陸軍秘密部隊(レ)の救援作戦』(豊田正義著、KADOKAWA、20150731)
内容
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まえがき…3
ベニヤ板製の特攻艇「㋹」
特攻兵が非戦闘員の死を看取らなければならなかった
大君の御楯となりて捨つる身と 思へば軽きわが命かな
被爆地を駆け回った特攻兵は原爆症に苦しめられた |
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1 |
学徒-学生は、戦地へ送り出された…21 |
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二万五千人の八列縦隊
兵力補充に使われた学生たち
違和感を覚えた来賓の訓示
講道館の門を叩く
「権力に迎合する貴様には天誅を下す!」
「二、三年は徴兵猶予がつづく」と考えていた
開戦直後から軍部は大学生出兵を示唆していた
学生狩り
徴兵検査で評価が一変した
「俺は戦争に行きたくない!軍隊に入隊したくない!」 |
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2 |
志願-見習士官、水上特攻兵となる…51 |
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「佐倉兵営」
「まるでロボット養成所にいるようでした」
殴る蹴るの懲罰
「将校・下士官・馬・豚・兵」
えんえんと繰り広げられた私的制裁
露骨な機嫌取りで競い合う
後悔した施術がある
玉砕への洗脳
「決死生還を期せざる要員」
「これが母さんに会える最後かもしれない」
「えっ、江田島に陸軍基地があるのか!?」
「一艇を以て一艦を屠る、それが諸君の任務である」
㋹はベニヤの板だった |
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3 |
開発-技術者の願いは砕かれた…91 |
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特攻作戦の本格化
㋹の研究開発チーム
「これは戦闘だと思って掛かれ」
「人命を救いたい」という設計技術者の願い
ベニヤ板製の㋹「甲一号型」の完成
「特攻隊なんだから、体当たりしかない」
技術者たちの望みは打ち砕かれた
戦闘方法大綱に「帰還」「生還」の文字はなかった
十五~十九歳の少年兵
「これで下士官になれるぞ!」
「みんな今年いっぱいの命だと覚悟して精進してくれ」
「手柄を立てんでもよいから絶対帰ってきてね」
拳銃を口に咥え、引き金を引く |
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4 |
戦場-㋹、戦果をあげ、散る…127 |
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「捷号作戦」
アメリカのフィリピン侵攻を予想した大本営
隊員の多くがフィリピンに到着できなかった
バシー海峡は〝魔界〟であった
ルソン島上陸
決戦準備は、判断ミスにより瞬く間に瓦解した
隊員は誰ひとり残っていなかった
㋹の戦果
隊員たちを「特攻戦没者」として扱わなかった
「私たちには玉砕は許されませんでした」
「身体を…、東の方へ…、向けてくれ…」
総員千四百人のうち、約千二百人が命を失った |
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5 |
敗北-㋹輸送船、爆沈す…169 |
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第三十戦隊長・富田稔大尉
「憲兵がなんだ!上等兵のくせして生意気な事を言うな!」
父の背中は小さかった
㋹を貨車で輸送する
慣れからくる失態
出港
「敵機来襲!」
奇跡が起こった
二十二名の隊員が久慈湾で戦死した
㋹はすべて燃えた
三人は沖縄をめざして出発した
「これはとんでもない所へ来てしまった!」
「内地防衛を頼む」
特攻兵同士の友誼
帰還 |
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6 |
原爆-秘密部隊は広島を奔走した…217 |
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全軍特攻化
少年特攻兵の訓練教官となる
機密系将校
本土空襲
親日家が支持した原爆投下
「対日原爆使用問題」
候補地は広島、小倉、新潟、長崎に絞られた
トルーマンの態度は「別人のように変わった」
ポツダム宣言発表前に原爆投下命令は承認された
トルーマンのシナリオ通りの展開
「諸君、我々の運んでいる爆弾は世界最初の原子爆弾だ!」
見習士官の目に映った原子雲
民間人救助は司令官の即断だった
惨状
全隊員、出動
少年兵、突入す
猛火の中を駆け回る
「今は眠る時ではない」
「見ていろ!この仇は必ず取ってやる!」
少年特攻兵たちが見た地獄
広島市民に告ぐ
御前会議
すべての㋹は特攻兵の手で焼かれた |
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7 |
被曝-「戦後」を戦いつづける…289 |
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㋹の特攻兵たちの戦争は終わらなかった
兵士を襲った被曝症状
当初「被爆者健康手帳」の交付は「直接被爆者」のみだった
病状がもっとも重かった時期には、何の支援もなかった
奇跡的にみつかった特幹隊の戦友名簿
四十代で毎年数人の戦友たちが逝った
「俺が原爆症だと知れ渡ったら、子供たちが何されるかわからん」
㋹特攻兵を襲った被爆者差別
証言は鎮魂であり、継承であり、遺言である |
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あとがき…317 |
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止
『「あの日」ピカドンが 見習い看護師、広島での被爆体験を語る』(服部道子著、文芸社、20150805)
内容
章 |
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はじめに7 |
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1 |
戦時下の青春 |
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生い立ち 14
父の任地・広島へ 16
語って聞かせられなかった祖父の思い 18
いやおうなく戦火の中に投じられていく 20
昭和高等女学校の選択科目看護科に進む 21
学徒動員で勤労に明け暮れる日々 24
切り上げ卒業して軍医部に従事 28 |
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2 |
広島に原子爆弾投下 |
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初めて見た飛行機雲 32
バケツを持ったまま意識を失う 33
防空壕に避難 35
「軍医部の各隊員は治療に専念しろ!」 37
「死ぬときはきれいに死ね」 39
見習い看護師、不眠不休で大奮闘 42
「アッ、赤ちゃんの首がない1」 44
こんな悲惨な死に方はしたくない 46
家族そろって”最後の晩餐” 47
驚くべきモルヒネの力 51
ヤケド患者にはバターを塗って治療 51
ウジにくわれるまま、なすすべもなく…53
そして終戦。日本は敗けた! 56
敵兵に八つ裂きにされるかもしれない 57 |
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3 |
広島を離れて青森へ |
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屋根のない貨物列車に揺られて 62
道連れは6頭の馬と2人の兵隊さん 64
青森も見渡すかぎりの焼け野原 66
歓迎されなかった家族 67
読み間違えられた電報 69
宮城の山村での生活がはじまる 71
ふんどし5枚と交換した茶碗一杯の米 73
重い遺言を残して父逝く 76
代用教員として福島県の小学校に赴任 78
全身の倦怠感に悩まされる日々 81
松川事件に遭遇 82
再び東京へ。2日だけの花売り娘 83
3人の子どもを授かる 85
知られざるABCC(原爆傷害調査委員会)の実態 88 |
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4 |
被爆体験を語り継ぐ |
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平和祈念式典に出席 92
「もう原爆の話はしないでちょうだい」 93
「しらさぎ会」(埼玉県原爆被害者協議会)の活動に参加 96
外務省の特使として「地球一周の船旅」のクルーズに参加 97
生きていることはすばらしい 103 |
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あとがき 106 |
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巻末資料 109 |
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【資料1】原爆投下までの経緯 109
【資料2】加害者による被害者の調査 115
【資料3】「しらさぎ会」の歴史・いきさつ・足あと 115
【資料4】第五福竜丸事件 118 |
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広島・長崎の眠る少年少女の声 服部道子(1970年作詞)120 |
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止
書誌2015
書名 |
著者 |
発行所 |
発行年月日 |
被爆した南方特別留学生への名誉博士号授与の記録 |
広島大学 |
20150301 |
福山市史 近代現代資料編Ⅲ 教育・文化 |
福山市史編さん委員会 |
福山市 |
20150331 |
歴史学が問う公文書の管理と情報公開―特定秘密保護法下の課題 |
安藤正人・久保亨・吉田裕(編) |
大月書店 |
20150520 |
日本軍「慰安婦」問題の核心 |
林博史 |
花伝社 |
20150625 |
2015年NPT再検討会議要請行動 広島県代表団報告集 2015年4月24日~5月2日 |
広島県原水協ほか |
201506 |
被爆70年記念写真展 復興の記憶 ヒロシマを見つめた写真家たち |
泉美術館 |
20150716 |
被爆70周年ヒロシマを見つめる三部作 第1部 ライフ=ワーク |
松岡剛(展覧会企画・編集) |
広島市現代美術館 |
20150718 |
原爆体験と戦後日本 記憶の形成と継承 |
直野章子 |
岩波書店 |
20150724 |
広島・長崎被爆70周年 戦争と平和展 |
広島県立美術館・長崎県美術館 |
広島・長崎県美術館平和発信事業委員会 |
20150725 |
被爆70年―市民が育んだヒロシマ― |
広島自治体問題研究所 |
20150728 |
原爆と戦った特攻兵 8・6広島、陸軍秘密部隊(レ)の救援作戦 |
豊田正義著 |
KADOKAWA |
20150731 |
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呉市立昭和図書館蔵 |
あじさいの街から 1995 2015 語り継ぐ!被爆70年の平和への思い |
長崎県商工団体連合会婦人部協議会 |
201507 |
しまってはいけない記憶―被爆体験記集Ⅰ― 被爆70周年記念事業 |
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 |
20150801 |
浦上の原爆の語り―永井隆からローマ教皇へ |
四條知恵 |
未来社 |
20150801 |
証 被爆70周年慰霊の記 |
広島舟入・市女同窓会慰霊部会(編) |
広島市高等学校・広島市立高等学校同窓会<昭和図書館蔵> |
20150806 |
原水爆禁止2015年世界大会の記録 |
原水爆禁止世界大会実行委員会 |
20150831 |
変化を生みだすソーシャルワーク~ ヒロシマMSWの生活史から~ |
村上須賀子 |
大学教育出版 |
20150910 |
被爆70周年ヒロシマを見つめる三部作 第2部 俯瞰の世界図 |
角奈穂子(執筆・編集) |
広島市現代美術館 |
20151010 |
広島神輿行列通り御祭礼 |
広島神輿行列「通り御祭礼」実行委員会 |
20151010 |
「ヒロシマ」が鳴り響くとき |
能登原由美 |
春秋社 |
20151120 |
放射線影響研究所 2014年度年報 |
放射線影響研究所 |
201512 |
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雑誌論文
著者 |
タイトル |
掲載誌(編集、発行所) |
発行年月日 |
助野信正 |
記録 原爆被災および敗戦後の広島工業専門学校での学生生活の思い出 |
広島大学文書館紀要 第17号(広島大学文書館) |
20150227 |
特集・被爆70年、核廃絶の道を探る |
広島ジャーナリスト 第20号(広島ジャーナリスト会議) |
20150315 |
浅井基文 |
金子一士さんと丸屋博さんのこと |
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大亀信行 |
ドームにかき船はふさわしくない |
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那須正幹 |
ズッコケ三人組からのメッセージ |
赤い鳥便り10号 別冊(鈴木三重吉赤い鳥の会) |
20150401 |
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鈴木三重吉忌講演会「那須正幹さんに聞く―ズッコケ三人組からのメッセージ」。2014年6月21日、長遠寺での講演要旨。 |
金子千鶴枝 |
戦後70年 今、言っておかなければ② 核廃絶を若い人たちに |
ヒロシマの子育て・教育第274号(広島教育研究所) |
20150330 |
宇吹暁 |
すいせんのことば |
木の葉のように焼かれて第49集 被爆体験集(新日本婦人の会広島県本部) |
201506 |
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こーぷぱれっと2015 8月号 Vol.301 |
生協ひろしま |
2015 0720 |
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(特集:NPT再検討会議を終えて 核兵器のない世界を)中村澄子・箕牧智之 「「せっかく生かされた命」 被爆者として今、伝えたいこと」 |
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潮 8月号 [特集]広島県 |
潮出版社 |
20150801 |
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湯崎英彦、松井一實、志賀賢治、岡谷義則、片岡勝子、松田元、森瀧春子、椚田進 |
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広島ジャーナリスト 第22号 |
広島ジャーナリスト会議 |
20150915 |
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特集・戦後70年・被爆70年 |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。