資料年表:大佐古一郎
年月日 |
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1912 |
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1115 |
誕生 |
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1953 |
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0801 |
『文芸春秋 第31巻第11号』(文芸春秋新社) |
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ヒロシマ記者の靴のあと 大佐古一郎 220 |
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1965 |
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0806 |
『週刊広島 4号』(広報出版センター) |
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日本の広島人 升田幸三 九段 大佐古一郎 14 |
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1971 |
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1001 |
『随想尾道 第28号』(尾道随筆クラブ) |
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核兵器のロボット 大佐古一郎 56 |
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1972 |
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0701 |
『潮 第156号』(潮出版社) |
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焦熱のもとで”取材”したこと 大佐古一郎 …248 |
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1975 |
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0825 |
『広島昭和二十年 中公新書 404』(大佐古一郎 著、中央公論社) |
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1977 |
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0801 |
『広島新史編修手帖 No.1』(広島市史編修委員会専門部会) |
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6.随筆三題
その1 ジュノー博士の資料 大佐古一郎 17 |
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1978 |
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1101 |
『平和文化 第14号』(広島平和文化センター) |
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ドクタージュノーと私 大佐古一郎 |
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1225 |
『広島県医師会速報 第953号』(広島県医師会) |
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ドクター・ジュノーの世界⑥(大佐古一郎) 19 |
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1979 |
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0115 |
『広島県医師会速報 第955号』(広島県医師会) |
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ドクター・ジュノーの世界⑧(大佐古一郎) 19 |
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0215 |
『広島県医師会速報 第958号』(広島県医師会) |
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ドクター・ジュノーの世界⑪(大佐古一郎) 28 |
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0225 |
『広島県医師会速報 第959号』(広島県医師会) |
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ドクター・ジュノーの世界⑫(大佐古一郎)21 |
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0305 |
『広島県医師会速報 第960号』(広島県医師会) |
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ドクター・ジュノーの世界⑬(大佐古一郎) 17 |
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0415 |
『広島県医師会速報 第964号』(広島県医師会) |
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ドクター・ジュノーの世界17(大佐古一郎) 23 |
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0515 |
『広島県医師会速報 第967号』(広島県医師会) |
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ドクター・ジュノーの世界20(大佐古一郎) 23 |
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0525 |
『広島県医師会速報 第968号』(広島県医師会) |
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ドクター・ジュノーの世界・24(大佐古一郎) 23 |
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0605 |
『広島県医師会速報 第969号』(広島県医師会) |
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ドクター・ジュノーの世界補遺(大佐古一郎) 22 |
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0901 |
『世界 第406号』(岩波書店) |
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ジュノー博士と広島 大佐古一郎 269 |
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1215 |
『ドクター・ジュノー 武器なき勇者』(大佐古一郎、新潮社) |
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1980 |
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0105 |
『広島県医師会速報 第991号』(広島県医師会) |
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新春炉辺談話 大佐古一郎、松永勝、阪田数年 6 |
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0305 |
『広島県医師会速報 第996号』(広島県医師会) |
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随想 ドクター・ジュノー(大佐古一郎) 26 |
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0801 |
『廣島特報 昭和20年8月7日(火曜日)・昭和20年8月8日(水曜日)』(大佐古一郎・中村敏・松重美人) |
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1981 |
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0901 |
『世界 第430号』(岩波書店) |
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ヒロシマ記者の証言 大佐古一郎 93 |
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1982 |
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0125 |
『広島県医師会速報 第1064号』 |
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特別寄稿・GHQと日本政府は広島に何をしたか?(大佐古一郎) 24 |
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1985 |
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1125 |
『昭和の戦争ジャーナリストの証言 6 終戦』(講談社出版研究所編、講談社) |
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証言
IV 原爆に竹槍・国民義勇戦闘隊 大佐古一郎(中国)125 |
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1988 |
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0718 |
『消えたペン 新聞労働者の8月6日』(中国新聞労働組合編、汐文社) |
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炎熱のもとで取材したこと 大佐古一郎 9 |
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1989 |
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1115 |
『平和の勇者ドクタージュノー 探せ!ヒロシマの恩人の軌跡』(大佐古一郎、蒼生書房) |
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1995 |
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?? |
死亡。 |
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止
水原肇「ある記者のヒロシマ報道の軌跡と民衆との連帯」
平和をつむぐ人の会発足(1982年10月28日)記念講演 |
会場:福山市民会館。参加者約50名 |
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止
日本海軍と原子力(浅田常三郎)1964年9月9日
止
大森正信<作業中>
資料年表:大森正信
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日本科学者会議広島支部事務局長 |
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原水爆禁止日本協議会 |
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2002 |
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0131 |
撮影日:2002年1月31日 |
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2015 |
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1217 |
大森正信 広島県原水協筆頭代表理事・佐久間邦彦広島県被団協理事長ら4人、原爆被爆者養護ホーム「舟入むつみ園」と「矢野おりづる園」を訪問、全国から寄』せられた被爆者への「見舞金」あわせて300人分を届ける。<『原水協通信 On The Web』> |
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橋本秀夫の仕事ぶり 建築家橋本秀夫遺稿集
= The works of Hideo Hashimoto
橋本秀夫遺稿集編集委員会編・刊 20090701
目次
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まえがき |
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秀夫と連れそって |
橋本ノブエ |
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橋本秀夫氏の資料について |
菊楽忍 |
第1部 論文集 |
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広島城 |
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廻り番付と広島城
広島城城割に就て
「度量之絵図」に学ぶいろは四十八櫓
広島城再建「基礎と瓦」
広島城と石垣
広島城と石垣(郡山)
石塁工事普請符牒(石垣文様)について
広島城遺構三之丸校倉(多家神社宝蔵)
多家神社宝蔵と廻り番付について
広島城の生活用水と樋門
広島城修築と天災考 |
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レンガ建築 |
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広島の近代文化遺産 煉化石あらかると
ヒロシマの被爆建造物は語る レンガあらかると
広島の明治建築 広島の近代文化遺産 旧広島陸軍兵器支廠の研究
古いアルバムに拾った平和の尊さ 広島陸軍兵器支廠火薬庫大爆発に想う
明治1号館有難う 旧陸軍兵器支廠1号館の解体によせて
広島の明治建築 旧陸軍糧秣支廠の研究
広島市郷土資料館見学記
旧広島陸軍糧秣支廠
上等赤煉化石造「広島市郷土資料館」の周辺
宇品陸軍糧秣支廠倉庫(宇品日通倉庫)
蘇る旧広島陸軍被服支廠 保存と文化
広島の明治建築 夢を贈る中世のお城
亀山発電所
広島電気軌道(株)
広島県物産陳列館
臨時広島軍用水道(牛田水源地) |
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郷土史と文化財 |
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六号潜水艇と人間佐久間
旧広島水上警察署
旧広島地方気象台
蘇った日本外史
拓本が語る厳島神社五重塔
広島の近代文化遺産 後楽のこころ
広島の秘境 湯之山明神旧湯治場
悟をひらいた苔
もう一つの八岐の大蛇
鑪と吉水園
広島 加計町のバロック『吉水亭』
呉市に咲いた花「蔵本通り」
新日山安國寺 不動院梵鐘楼に就て
不動院鐘楼実測に依る時代的班別について |
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第2部 砲台巡り |
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著者御紹介 広島大学名誉教授 日本民俗建築学会会長 |
佐藤重夫 |
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まえがき
広島湾要塞の築城
第1章 室浜砲台
第2章 鷹の巣砲台
第3章 大那沙美砲台
第4章 岸根砲台
第5章 鶴原砲台
第6章 三高山砲台
第7章 大君砲台
第8章 早瀬堡塁砲台(早瀬第1~第2砲台)
第9章 休石砲台
第10章 高鳥砲台
第11章 大久野島堡塁砲台
第12章 忠海芸備砲兵大隊
第13章 大空山砲台
第14章 小島砲台
砲台建築仕法通則
沿革年表 |
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コラム |
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特集 彫刻と建築 街の表札
黄金の汗に輝く 広島大会
広島 ネズミのくれた小判『海田の宿 千葉邸』
旧街道ウォッチング「命びろいの三角の家垂」
古釘のうた 日本のバロック建築
『世紀末のドイツ建築』小幡一著
学校は心のふるさと 学校特集 球児とカンカン帽子
心の叙勲
古釘のうた 小さな平和
古釘のうら 床下のベートーベン(鴬張り) |
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私の推薦する作品
・生まれかわった芸備線向原駅
・唯信寺本堂
・私立学校教職員共済組合広島会館(広島ガーデンパレス)
・広島富士見郵便局局舎 |
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私の推薦する作品 ・筆の里工房
・株式会社日食広島支店
・三良坂リバティーホール
・広島市安芸区スポーツセンター |
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旧街道ウォッチング「最敬礼!!」 |
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番付と人生観 |
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街路地と陽光 |
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心の故郷 懐かしい学窓 |
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長官山に咲いた金唐紙 |
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お庭を喰った美術館 |
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あとがき |
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橋本さんへの手紙 |
松林俊 一 |
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小堺吉光
こさかい・よしてる |
19生
1986没 |
広島市公文書館長(初代)。[69原爆被災資料広島研究会]。『広島原爆戦災誌(全6巻)』 |
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著書
発行年月日 |
書名 |
発行所 |
1952111001 |
歌集・死灰の街 |
エコールドヒロシマ |
1957071002 |
白光-小堺吉光歌集 |
山光書房 |
1967053302 |
広島の歌 |
小堺吉光 |
1978072003 |
ヒロシマ読本(平和冊子NO.1) |
広島平和文化センター |
こさかいよしてる
水原肇
読売新聞記者(1989年55歳で定年退職。その後は自称トップ屋)
資料 |
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正観「梟」通信第1号(1999年6月9日) |
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carnet通信VOL1No.1(個人誌「正観」改題、1999.10.13) |
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carnet手帖Vol1No.1(キャルネー=手帖、1999.1110) |
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平和記念資料館メルマガ第98号(2011/ 9/ 1)
最近、研究過程で作成した過去の資料を整理中、「広島大学原医研新聞切抜きの分類別枚数(1975~81年分)」とのタイトルのデジタルデータを見つけた。そして二つのことを思い出した。
その一つは、私の提案が原因で、「原発」関係の記事の収集が1982年から取りやめとなったことである。1975~81年分の切り抜き枚数総計は、12507枚、うち「核軍事」(3221枚)と「核平和利用」(3083枚)に分類されている枚数の合計は6304枚で全体のほぼ半数を占めている。原爆放射能医学研究所では、原爆被害に関する資料を収集対象としていたので、私には、限りある予算・人員を考えれば、この二つの分類に属する記事収集を中止するのはやむを得ないと主張した。
もう一つは、広島の眼科医・杉本茂憲先生(故人)との出会いである。チェルノブイリ原発事故(1986年4月26日)から2ヶ月あまり後に先生が原医研に来所、この事故関連の新聞記事の閲覧を希望された。要望された資料は収集対象としていないことを伝えると、非常に残念がられた。そして、ヒロシマの蓄積をこの被災者に生かすことはヒロシマの医師の使命と力説されたのである。被爆者医療に情熱を注ぐと同時に、世界にも目を向ける医師の存在に直接触れる ことのできた貴重な体験であった。
元広島大学原爆放射能医学研究所 宇吹 暁(うぶき さとる)
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。