『時代の証言 原子科学者の昭和史』(伏見康治著、同文書院、1989/12/16)
内容
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奇蹟の都市(1932年) 1
陽電子…1
中性子…4
重水素…6
人工的核反応…6
サイクロトロン…8
東大物理教室…9 |
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理化学研究所の空気 18
教室に現われない同級生…18
寺田物理学…21
物理学助手として…23
理研2号館…26
東大工学部力学教室…29
本郷の理学部では…32 |
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新設大阪帝国大学 37
阪大五人の教授…37
菊池教授の原子核研究の方針…43 |
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晴耕雨読の季節 50
核実験のいろは…53
質量分析器…55
青木さんの大功績…61 |
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遅い中性子との出遇い 67
口コミがもたらしたニュース…67
イタリア後の雑誌…71
核物理におけるモーズレーの法則を目指して…76 |
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不純な物質 80
ボーアの玉突き…85
重陽子の理論…89
パルチチオ・ヌメロールム…91 |
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菊池研究室の周辺 94
陰極線…94
宇宙線…96
湯川さんとの接触…97
中間子論の誕生を目撃して…103 |
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阪大の同僚たち 109
湯川さんとの交渉はまだある…109
武谷三男の出現…113
武谷三男さんの憶い出…115
第一回の卒業生たち…120 |
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加速器の時代 130
高圧ファン・デ・グラーフ加速器…130 |
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忍びよる軍靴の跫音 137
中性子・電子の直接作用の仮説…137
忍びよる軍靴の跫音…144 |
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核分裂発見 150
ネーチュア誌に現われた核分裂発見の歴史…150 |
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核分裂に関する論議 157
彦坂氏の存在…157 |
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同位体分離 162
電探レーダーの研究…166 |
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私の戦時研究 169
興味をもてなかった戦時研究…169
立体回路の回路論に熱中…172 |
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確率論及び統計論 177 |
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戦争中の原子炉研究 181
大学の留守番…181
中性子の反射…184
中性子減速の時間…187 |
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敗戦の年 189 |
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戦争末期の症状…189 |
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空襲の体験…191 |
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遂に広島、長崎…194 |
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情報の餓え 201
オンザーガーの論文との出会い…201
原子力情報-スミス報告との出会い…203 |
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日本学術会議の場で 207
研究か組織か…207
学術会議の誕生…209 |
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サンフランシスコ条約、茅・伏見提案 217
原子力研究の開始…217
原子力研究の伏見私案…219
茅・伏見提案と学術会議総会…223 |
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中曽根予算、原子力憲章 228
原子力シンポジウムと中曽根予算…228
伏見による原子力憲章草案…230
朝永委員会の主張…232
原子力平和利用に関する声明…236 |
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ビキニ事件 239
福竜丸事件…239
放射線に関する研究所の設立…241 |
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藤岡ミッション 245
初めての外遊…245
原子力の年一九五五年…251 |
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原子核研究所 255
原子核物理学の研究所をつくる…255
日本原子力研究所と研究者…258 |
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関西研究用原子炉 261
関西研究用原子炉の構想…261
原子炉設置は私の最高の義務…267 |
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大阪府原子炉問題審議会 271 |
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略年譜 275 |
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止
伏見康治
ふしみ・こうじ |
19090629生20080508没 |
享年98歳 |
物理学者。1953年日本学術会議会長。1958年参議院議員(公明党)。 |
略年譜<出典:『時代の証言 原子科学者の昭和史』(同文書院)>
資料年表:伏見康治
年月日 |
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1909 |
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0629 |
誕生 |
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1946 |
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0501 |
『科学の反省 再建叢書 , 第1輯』(帝国人造絹糸刊) |
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「原子爆弾経緯 8」 |
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1952 |
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1101 |
日本物理学会が原子力委員会設置問題で論争。賛成=伏見(阪大)ら、反対=三村剛昴(広大)ら。 |
C |
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1954 |
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0915 |
『原子力のゆくえ 朝日文化手帖 35』(朝日新聞社) |
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1955 |
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0807 |
伏見阪大教授、原水禁世界大会で発言。「原子力の平和利用にはABCCのような研究が不可欠」。 |
C |
1956 |
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0410 |
『新パンドラの箱 原子力平和利用のために』(毎日新聞社編) |
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伏見「人類のための原子力」 |
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1957 |
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1015 |
『原子力とエネルギー 市民のための原子力Ⅲ 市民のための原子力 3』(伏見康治・安芸皎一著、朝日新聞社) |
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1958 |
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1015 |
『原子力シンポジウム報文集 第2回第1分冊 総合講演 討論』(日本学術会議、原子力シンポジウム報文集刊行委員会) |
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伏見(第二回原子力シンポジウム報文集編集委員会委員長)「編者のことば」 |
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伏見(日本学術会議原子力特別委員会委員長)「挨拶」 |
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1980 |
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1022 |
『科学者憲章』(渡辺直経 他著、勁草書房) |
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伏見「科学者社会の憲章」 11 |
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伏見「学術振興の基本」159 |
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1981 |
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0416 |
『嵯峨根遼吉記念文集』(嵯峨根遼吉、嵯峨根遼吉記念文集出版会) |
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伏見「第2部 座談会 嵯峨根遼吉先生の六つの活動相」 121 |
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0903 |
第31回パグウォッシュ会議(カナダ)閉会。伏見日本学術会議議長らが参加。 |
C |
1982 |
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0512 |
世界平和アピール7人委員会の新メンバーに井上靖(日本ペンクラブ会長)・伏見日本学術会議会長。故湯川秀樹らの欠員補充。 |
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1025 |
『シラードの証言』(S・R・ウィアート、G・W・シラード編 伏見康治 他訳、みすず書房) |
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1983 |
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0212 |
『原子力委員会の闘い』(石川欽也著、酒井節雄刊) |
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伏見「推薦のことば」 |
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1984 |
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1024 |
広島市で「核軍縮を求める22人委員会」のシンポジウム。伏見参議院議員らが参加。 |
C |
1985 |
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0213 |
『信州白樺』 |
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伏見「長田新先生の憶い出」…113 |
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1986 |
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0120 |
『「1%問題」と軍縮を考える 岩波ブックレット No.54』(核軍縮を求める二十二人委員会平和構想懇談会編、岩波書店) |
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伏見康治(参議院議員、元日本学術会議会長) |
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1987 |
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0730 |
東京で「核兵器廃絶運動連帯」主催の国際フォーラム「連帯のつどい」。世話人代表は伏見参議院議員ら。 |
C |
1988 |
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0803 |
『核廃絶と世論の力(長崎平和シンポジウム) 岩波ブックレット No.120』(長崎市・核軍縮を求める二十二人委員会編、岩波書店) |
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0815 |
『証言-ヒロシマ・ナガサキの声1988 第2集』(長崎の証言の会) |
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長崎平和シンポジウム(核軍縮を求める二十二人委員会・長崎市) 201 |
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1103 |
「核兵器廃絶運動連帯」(世話人代表は伏見参議院議員)主催の「日米ソ国際フォーラム」の米ソ代表ら、広島の原爆資料館を見学。 |
C |
1989 |
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0509 |
「核兵器廃絶運動連帯」(世話人代表:伏見参議院議員、原水禁国民会議、核禁会議、市民団体などの連絡組織)、米水爆搭載機水没事件で政府に非核三原則の法制化を要求する声明。 |
C |
1216 |
『時代の証言 原子科学者の昭和史』(同文書院) |
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2008 |
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0508 |
没 |
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止
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