『今中次麿 生涯と回想』(今中次麿先生追悼記念事業会編、法律文化社、19820415)
内容
236 中村義知 |
239 熊田重克 |
259 佐久間澄 |
264 今堀誠二 |
268 後藤陽一 |
271 佐藤正夫 |
274 山代巴 |
277 挾田喜義 |
280 山口利男 |
284 石田明 |
288 中村吉男 |
290 山田浩 |
294 大西典茂 |
298 北西允 |
302 池田重久 |
303 頼和子 |
今中次麿年譜 |
遺稿目録 |
あとがき 大西典茂・北西允・中村義知・山田浩 |
止
『今中次麿 生涯と回想』(今中次麿先生追悼記念事業会編、法律文化社、19820415)
内容
236 中村義知 |
239 熊田重克 |
259 佐久間澄 |
264 今堀誠二 |
268 後藤陽一 |
271 佐藤正夫 |
274 山代巴 |
277 挾田喜義 |
280 山口利男 |
284 石田明 |
288 中村吉男 |
290 山田浩 |
294 大西典茂 |
298 北西允 |
302 池田重久 |
303 頼和子 |
今中次麿年譜 |
遺稿目録 |
あとがき 大西典茂・北西允・中村義知・山田浩 |
止
『今中次麿―生涯と回想』(今中次麿先生追悼記念事業会編、法律文化社、19820415)
目次
まえがき | ||
Ⅰ | 私の政治学の歩み | 今中次麿 |
Ⅱ | 時々事々 | 今中次麿 |
Ⅲ | ||
Ⅳ | ||
Ⅴ | ||
Ⅵ | ||
Ⅶ | ||
今中先生と平和運動―広島大学人会を中心として | 佐久間澄 | |
回想の五十年 | 今堀誠二 | |
今中先生を偲んで | 後藤陽一 | |
今中先生を偲ぶ | 佐藤正夫 | |
留守番としての交わり | 山代巴 | |
今中先生の笑顔 | 狭田喜義 | |
今中先生と私 | 山口利男 | |
今中先生を偲んで | 石田明 | |
マルキシズムを超えることだ | 中村吉男 | |
「畏敬」の対象としての先生 | 山田浩 | |
今中先生のこと―思い出すままに | 大西典茂 | |
今中門下の末っ子として | 北西允 | |
広島大学時代の先生 | 池田重久 | |
今中先生の思い出―「今中大学日記」寄託のことなど | 頼和子 | |
Ⅷ | ||
Ⅸ | 学者として、人間として―父を語る | 今中比呂志 |
今中次麿年譜 | ||
遺稿目録 | ||
あとがき <大西典茂・北西允・中村義知・山田浩 > | ||
今中次麿(いまなか・つぎまろ)
18930409生19800726没 | 享年87 | [52広島平和問題談話会](広島大学政経学部教授)。[54世界平和集会世話人(発起・常任)]。広島大学名誉教授。世界平和評議会評議員、第1回原水爆禁止世界大会議長、広島平和教育研究所議長。『広島県大百科事典』(中村義知・記)。 |
略年譜
年月日 | ||
18930409 | 広島市中区国泰寺町1丁目20番地に生まれる | |
19450529 | 東京大空襲 | |
19450630 | 東亜研究所を辞職し、家族全員で長野県佐久郡に疎開。 | |
19450806 | 原爆のため兄の権六夫婦被爆。そのため妻とともに広島に向う。 | |
195304 | 広島大学政経学部教授として九大法学部から配置換え。 | |
平和と学問を守る大学人の会代表理事 | ||
1972 | 広島平和教育研究所研究会議議長 | |
19800726 | 午前5時45分、死亡。 |