「23 被爆国」カテゴリーアーカイブ

原水爆被災資料センター(仮称)の設置について(勧告)

 

日本学術会議から政府への勧告
原水爆被災資料センター(仮称)の設置について(勧告)
(昭和46年11月9日付総学庶第1682号 日本学術会議会長から内閣総理大臣宛)

標記のことについて,本会議第59回総会の議に基づき,下記のとおり勧告します。

日本学術会議では,原水爆被災資料の収集・保存・利用の問題について,かねてから検討を進め,1968年4月の第50回総会の議に基づき,この問題について政府に申し入れを行なった。(別添資料1)一方,本申し入れの具体化のため原水爆被災資料センター(仮称)の設置についてもひきつづき検討を行なってきた。

戦後四分の一世紀を経過した今日,原水爆被災資料センター(仮称)を設置して,原水爆被災問題についての学術的資料を収集・整理・保存し,これを正しく活用すること,とりわけ,このことを通じて被爆者の福祉と世界の平和・人類の福祉に寄与するよう努めることは,国家的急務であると考え,このたび別記のような一案をえたので,ここにこれを勧告する。

なお,本勧告の具体化に当っては,日本学術会議に協議されたい。

く本信写送付先>総理府総務長官,科学技術庁長官,大蔵・文部・厚生・自治各大臣
〔別記〕
(紙数の都合で要点のみ掲載します)

原水爆被災資料センター(仮称)
1.設立の趣旨
1945年8月,米軍による広島,長崎への原爆投下による被害は人類の経験した最大の悲惨事であり,1954年3月のビキニ水爆実験による日本人漁夫の被害もまたわれわれに深刻な衝激を与えた。われわれは,この悲惨な経験を正しく受けとめ,人類として絶対にこのような過誤を再びおこさせないよう自ら努力する義務を有すると共に広く全世界の人々に要請する権利がある。そして,それと同時に現在なお身体的・精神的・生活的に苦しめられている幾多の被爆者に完全な援護が行なわれねばならないことも勿論である。

原水爆の悲惨から人類を防衛するための努力と被爆者に対する完全援護実現のための努力とは相互に切りはなすことのできない関係にある。核兵器の禁止、平和への寄与と被爆者援護への寄与は,センター構想の当初より,その目的とするところである。

この目的を達成するためには,原水爆被災の実態を明らかにすること。そのための諸資料の収集,整備,それを基礎とする研究などが必要である。しかるに広島,長崎に原爆が投下されて25年を経過した今日に至るまで原爆被災に関する年次を追っての継続的実態調査も行なわれておらず,被爆者は十分な援護のみちもないままに年々老令化し,また死亡しつつつある一方で被爆二世問題など新たな問題をも生みだしており,戦後25年の生活史を含めた完全な実態調査を行なうことが緊急に要請されている。

そのうえ,上記目的達成に貢献しうる原水爆被災に関する学術的価値のある標本,研究文献,調査報告,公私の文書,統計その他の記録,文学作品,映画,写真,絵画などの総合的,体系的収集,保存,整理などもいまだに行なわれていない。

もとより,これまで広島及び長崎においては,両市を始めとする地方自治体や民間篤志の団体,個人等の多大の苦心によってかなりの貴重なモニュメント的な資料が収集,陳列,展示され,年々,これらの施設を訪れる多数の人々に原爆の惨禍と平和の意義を訴え,偉大な社会教育的意義を発揮しているが,これらの貴重な活動に対して,これまで国は何らの財政的負担をも行なっていない。

加えて戦後25年は世代交代の時期,一つのエポックであり今の時期に関係する未発掘,未着手の資料の収集,整理や調査を行なわないならば,今後,ことは甚だ困難となるおそれがある。

したがって,各地に分散し,冬眠しつつあるあらゆる原水爆被災関係の学術的実践的価値ある資料を収集,保存,整理し,文化・社会・経済・行政・法学・医学,生物学,物理学など各方面からの総合的追究に活用しうる態勢を樹立し,原水爆被災の全貌を科学的に明らかにするための資料センターの設置が強く要望されるのである。

2.審議の経過
以上のような趣旨から,日本学術会議では,原水爆被災資料の収集・保存・利用の問題について,すでに1968年5月,原子力特別委員会のもとに原水爆被災資料小委員会をおいて検討をすすめ,1967年9月及ぴ11月の両度にわたって政府に申入れを行ない(別添資料1及び別添資料2)被爆現地の意見をきくため「原爆被災資料に関するシンポジウム」1967年12月,広島)及び「原水爆被災資料センター構想に関する懇談会」(1968年9月,広島及び長崎)また1969,70両年度においては,文部省総合科学研究費による「原水爆被災資料の蒐集・保存・利用の方法に関する基礎的研究班(略称「原水爆資料基礎研究班」)と協力して研究を続け,被爆者健康手帳や被爆者の健康診断ないし治療カルテの保存につき政府に要望した(別添資料3)のをはじめ,熱心な共同討議を継続し,その結果に基づき,今回の本勧告を行なうに至ったものである。

(注)班員は,人文・社会科学系より石田忠一ツ橋大学教授他12名,自然科学系より内野治人広島大学教授他13名の計27名。班長は広島大学原爆放射能医学研究所長志水清教授,1970年度は同所長岡本直正教授である。

3.設立の目的
1)原水爆被災についての学術的資料を収集・整理・保存しこれを正しく活用すること。

2)とりわけ,そのことを通じて被爆者の治療・援護などその福祉に寄与すること。

3)さらに上記学術的資料の整備等を通じて,核兵器の廃絶・世界平和と人類の幸福に寄与すること。

4.センターの事業
(1)学術的資料の収集,整理,保存,活用すでに現地においてこれまで市,民間団体等によって収集,保存,展示などが行なわれているモニュメント的資料は,現地現物主義に立って,これを尊重し,センターはこれとの重複をさけ,これら既存諸機関の機能と重複しないよう留意し,全体的・社会科学的,自然科学的学術研究,被災者援護に貢献しうる資料(研究文献,公私の文書,被爆者手帳,カルテその他の記録,調査報告や諸統計,立法,行政資料医学標本,文芸作品,映画,写真など)の収集,整理,保存,閲覧,資料,データ提供など,活用のため必要な業務を行なう。

既存諸機関所在の資料または現地で発掘される諸資料で現地保存を希望するものなどのうち,センターの目的に照らして必要なものは許可協力を得てコピー,マイクロフィルムなどを作成してこれをセンターに保存する。

既存諸関係機関所蔵の資料を含め全国的な資料リストを作成し,どのような資料がどこにあるかを明らかにする。

なを,このセンターは上記の目的達成のためには,さらに今後の原子力被害問題なども扱う必要があるのではないかと考えられる。

(2)調査,研究を自ら又は委託もしくは受託して行なう。共同利用の便宜を提供する。

なお,調査研究プロジェクトの参考例として別添資料4のようなものがある。

(3)成果の刊行。情報や複写,提供などのサービス業務を行なう。

(4)連絡,調整。関係諸機関との連絡,調整をはかる。

(5)国際的連絡,資料収集。スウェーデンの国際平和研究所など国際諸機関との連絡,国際的資料の収集などを行なう。

(6)被爆者援護に寄与する事業を行なう。

(7)研究会,講演会,展示会その他,センターの目的達成に必要な事業を行なう。

5.センター設置の場所
東京に東京センターをおく。

広島に広島センターをおく。

長崎に長崎センターをおく。

場合により,又は必要に応じて,大学,研究所等に分室等をおくことができる。

6.設置全体及び運営
(1)本センターの設置主体は国とする。

(2)運営

本センター設置の趣旨・目的に即してセンターの業務を推進し,その民主的運営をはかり,センター相互及びセンターと全国の関係研究者,被爆者などとの密接な連絡協力をはかるため次のような運営方式がとられることが望ましいと考えられる。

センターの所長は,日本学術会議の推薦によって任命する。

全体の長はおかず,各センターの所長のうち1人がその互選によって所長代表となる。

センター運営協議会及びセンター運営委員会をおく。

運営協議会は全国的運営協議会と各センターごとの運営協議会とする。

全国的運営協議会は,各センターの所長,各センターより選出された若干の所員,被爆者代表及び日本学術会議から推薦するものをもって構成し,所長代表が議長となる。

各センターごとの運営協議会は,当該センターの所長,当該センターの所員中より選出された若干名,被爆者代表及び日本学術会議から推薦するものをもって構成し,当該センターの所長が議長となる。

運営協議会はセンターの運営に関する重要事項の大綱を協議決定する。

運営委員会は,各センターごとに当該センターの所長,部室長およびその他の所員中より選出された若千名とをもって構成し,当該センター内の運営に直接に参画し,それに関する重要事項を協議する。

(3)センターの目的達成のためには,大学等研究機関との緊密な連けい、協力が不可欠であることから,センターの所長及び調査研究的職務を行なう所員の身分については教育公務員特例法に準ずる保障がなされねばならない。

7~8.(各センターの業務)(略)
9.機構
いずれのセンターをも通じて,既存諸活動を科学的に総合し,深め,サービスするという機能が重視される。流動研究員などのように若い研究者がたえず活用しうるようなうけ入れ体制が必要と考えられる。

過去と将来の架橋として将来にむかって,国際的にも発言しうるような基礎的データを準備するなどの機能が重視される必要がある。

センサスの分析なども重要な研究プロジェクトとなろう。こういう期待にこたえうるよう,機構が考えられる必要がある。

(各センターの機構)

(概略,各センターとも所長室,事務部門のほか,研究調査部門,資料管理部門,資料サービス及び相談室よりなるサービス部門電子計算機室などとしている)

10.設備
(各センターとも,概略,事務室,会議室,資料作成室,閲覧室,書庫,展示室,研究室,講堂,相談室,宿泊室,電子計算機室などのほか特殊設備として電子計算機,撮影機,マイクロリーダー,ゼロックス,映写装置,印刷機,計算機,タイプライター,写植装置,空調装置,エレベーターなどを考えている)

11.所要人員及び費用
東京,広島,長崎3センターともそれぞれおおむね同規模とし,人員は,各センター50人以上を予定し,費用については,

建設費 3か所 合計5~6億円
付帯設備費 3か所 合計7~8億円
年間経営費 3か 所合計4~5億円
程度と考える。

別添資料1-4(略)

宮内庁ホームページの中のヒロシマ

宮内庁ホームページの中のヒロシマ<作業中

事項
1995平7 両陛下は,戦後50年に先立つ平成6年(1994年)には,硫黄島・父島・母島へ,また,戦後50年に当たる平成7年(1995年)には,長崎・広島・沖縄・東京(東京都慰霊堂)へ,それぞれ,慰霊のために赴かれました。このほか,戦後70年の平成27年(2015年)には,高尾みころも霊堂(産業殉職者慰霊施設)(東京都八王子市)をご訪問になったほか,東京都慰霊堂(東京都墨田区),観音崎公園内の戦没船員の碑(神奈川県横須賀市)にも赴かれました。
https://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/01/activity01.html
1995 平成7年5月20日(土)~平成7年5月22日(月)
広島県行幸啓(第46回全国植樹祭にご臨席併せて地方事情ご視察)
平成7年5月20日(土)
天皇皇后両陛下 皇居御発
天皇皇后両陛下 県勢概要ご聴取(広島県知事)(広島県庁(広島県))
天皇皇后両陛下 ご供花(原爆死没者慰霊碑)(広島平和都市記念碑(広島市))
天皇皇后両陛下 ご視察(広島平和記念資料館)(広島市)
天皇皇后両陛下 ご視察(広島原爆養護ホーム舟入むつみ園)(広島市)
天皇皇后両陛下 ご臨席(全国植樹祭懇親会)(リーガロイヤルホテル広島(広島市))
平成7年5月21日(日)
天皇皇后両陛下 第46回全国植樹祭式典ご臨席(広島県立中央森林公園)(本郷町)
天皇皇后両陛下 ご視察(ふれあいの里)(御調町)
平成7年5月22日(月)
天皇皇后両陛下 ご視察(広島県立歴史博物館)(福山市)
天皇皇后両陛下 ご視察(広島県立東部工業技術センター)(福山市)
天皇皇后両陛下 皇居御着
https://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/h07/gonitei-h07-02.html
天皇皇后両陛下のご日程
平成7年7月3日(月)
天皇皇后両陛下 拝謁(東京都硫黄島戦没者追悼式に参列の遺族代表等)(宮殿)
平成7年7月26日(水)~平成7年7月27日(木)
長崎県・広島県行幸啓(戦後50年に当たり)
平成7年7月26日(水)
天皇皇后両陛下 皇居御発
天皇皇后両陛下 「戦災50年の概況」ご聴取(長崎県知事)(ホテルニュー長崎(長崎市))
天皇皇后両陛下 ご供花(平和公園)(長崎市)
天皇皇后両陛下 ご視察(原爆資料センター)(長崎国際文化会館(長崎市))
天皇皇后両陛下 ご視察(恵の丘長崎原爆ホーム)(長崎市)
平成7年7月27日(木)
天皇皇后両陛下 広島県へご移動
天皇皇后両陛下 「戦災50年の概況」ご聴取(広島県知事)(リーガロイヤルホテル広島(広島市))
天皇皇后両陛下 ご供花(広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑))(平和記念公園(広島市))
天皇皇后両陛下 ご視察(広島原爆養護ホーム倉掛のぞみ園)(広島市)
天皇皇后両陛下 皇居御着
平成7年8月2日(水)
沖縄県行幸啓(戦後50年に当たり)
お名前 ご日程
天皇皇后両陛下 皇居御発
天皇皇后両陛下 「戦災50年の概況」ご聴取(沖縄平和祈念堂)(糸満市)
天皇皇后両陛下 ご供花(国立沖縄戦没者墓苑)(糸満市)
天皇皇后両陛下 ご視察(平和の礎)(糸満市)
天皇皇后両陛下 皇居御着
平成7年8月3日(木)
天皇皇后両陛下 戦後50年に当たり行幸啓(東京都慰霊堂)
平成7年8月15日(火)
天皇皇后両陛下 全国戦没者追悼式ご臨席(日本武道館)
平成7年9月14日(木)
天皇皇后両陛下 ご供花(戦没船員の碑)(神奈川県立観音崎公園)
https://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/h07/gonitei-h07-03.html
2006 広島県行啓(第30回全国育樹祭にご臨場,併せて地方事情をご視察)
平成18年10月21日(土)
皇太子殿下 東宮御所御発
皇太子殿下 県勢概要ご聴取(広島県知事),ご昼食(リーガロイヤルホテル広島(広島市))
皇太子殿下 ご供花(広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)(広島市))
皇太子殿下 ご視察(広島原爆養護ホーム神田山やすらぎ園(広島市))
皇太子殿下 第30回全国育樹祭懇談会ご臨席(リーガロイヤルホテル広島(広島市))
平成18年10月22日(日)
皇太子殿下 広島エアポートホテルお立ち寄り(三原市)
皇太子殿下 第30回全国育樹祭ご臨場,お手植え樹お手入れ(広島県立中央森林公園(三原市))
皇太子殿下 ご昼食(広島エアポートホテル(三原市))
皇太子殿下 ご視察(酒蔵通り(東広島市))
平成18年10月23日(月)
皇太子殿下 ご視察(厳島神社(廿日市市))
皇太子殿下 ご昼食(岩惣(廿日市市))
皇太子殿下 東宮御所御着
https://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/02/h18/gonittei-2-2006-10.html
2006 平成18年10月21日(土)
広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)へご供花になる皇太子殿下(平和記念公園(広島市))
(写真:広島県)
https://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/02/photo2/photo-200610-727.html
2014 天皇陛下お誕生日に際し(平成26年)天皇陛下の記者会見
会見年月日:平成26年12月19日
会見場所:宮殿 石橋の間
宮内記者会代表質問
問1 この1年を振り返り,社会情勢やご公務,ご家族との交流などで印象に残った出来事をお聞かせください。来年に向けてのお考えもあわせてお答えください。また,来年は戦後70年という節目の年を迎え,両陛下のパラオご訪問が検討されています。改めて先の戦争や平和に対するお考えをお聞かせください。
<中略>
問2 宮内庁が24年あまりをかけて編纂し,この夏に両陛下へ奉呈された「昭和天皇実録」に関してのご感想とともに,昭和天皇についての思い出や,天皇としてのお姿から学び生かされていることをお聞かせください。
天皇陛下
昭和天皇実録は宮内庁書陵部が中心となって多くの資料に基づき編纂さんしたもので,完成までの苦労には計り知れないものがあったと察しています。携わった関係者の努力に深く感謝しています。これから折にふれ,手にとり,御事蹟せきに触れていくことになると思います。このことは大変に困難な時代を歩まれた昭和天皇を,改めておしのびするよすがになろうと思っています。
昭和天皇との思い出については様々なことがありますが,夏の那須の附属邸に滞在していて,御用邸に滞在していらっしゃる昭和天皇,香淳皇后をお訪ねしたり,植物を御覧になるため,その植物の自生地にいらっしゃるのにお供をしたりしたことが懐かしく思い起こされます。実録にも私の結婚の翌年の夏の記述に「皇后及び皇太子妃と御同車にて御用邸敷地外の広谷地ひろやじに向かわれ,同所にてお揃いで湿地のサギソウ等を御覧になる」と記されています。
この時私は那須を離れ,地方で行われる行事に出ていたのですが,昭和天皇は生まれたばかりの浩宮を守って留守をしている美智子が寂しくないよう,香淳皇后と共に散策にお誘いくださったのではないかと思います。少し後になりますが,皇后と私とで,廻谷めぐりやであったかと思いますが,お供した時には,皇后に水辺の白い花で,野生のスイレンであるヒツジグサの花をお教えくださいました。この2度の大切な思い出のため,皇后にとりサギソウとヒツジグサはそれ以後ずっと特別な花となっていたようで,それから大分後になって私どもが女の子に恵まれ,清子さやこと名付けたその同じ日に,私どもは清子のお印にヒツジグサを選びました。昭和天皇が「大変よい」とお喜びくださったことが,うれしく思い出されます。
昭和天皇から学んだことは多いと思います。結婚前には葉山の御用邸に昭和天皇,香淳皇后と一緒に泊めていただくこともありましたから,そのような時に昭和天皇から学んだことが多くありました。人のことを常に考えることと,人に言われたからするのではなく,自分で責任を持って事に当たるということは,昭和天皇の御言動から学んだ大きなことであったのではないかと思っています。
この1年のご動静<抄>
地方へのお出ましは,・・・
12月には広島県広島市をご訪問になり,今年8月の豪雨災害とその後の復興状況をご視察,被災者を見舞われ,復興尽力者をねぎらわれました。翌日は広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)にご供花なさり,広島原爆養護ホーム矢野おりづる園を訪問されました。この度,比較的新しい原爆養護ホームをご訪問になったことで,両陛下は広島県内に4か所ある原爆養護ホームの全てを訪れたことになります。
https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h26e.html
2015 平成27年4月6日(月) ~ 平成27年4月7日(火)
広島県お成り(「山階鳥類研究所 中国地区賛助会員の集い」ご臨席併せて地方事情ご視察)
平成27年4月6日(月)
文仁親王殿下 宮邸御発
文仁親王殿下 平成26年8月豪雨による土砂災害被害状況等ご聴取(広島市安佐南区役所(広島市))
文仁親王殿下 被災地域ご視察及び被災者お見舞い(広島市安佐南区八木地区(広島市))
文仁親王殿下 ご供花(広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)(広島市))
文仁親王殿下 「山階鳥類研究所 中国地区賛助会員の集い」ご臨席(リーガロイヤルホテル広島(広島市))
平成27年4月7日(火)
文仁親王殿下 宮邸御着
https://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/show/3?quarter=201502
皇后陛下のお写真
皇后陛下お誕生日に際してのご近影
宮内記者会の質問に対する文書ご回答
問 この1年,自然災害などさまざまな出来事がありました。戦後70年にあたり,皇后さまは天皇陛下とともにパラオをはじめ国内外で慰霊の旅を重ねられました。また,玉音放送の原盤なども公開されたほか,若い皇族方も戦争の歴史に触れられました。1年を振り返って感じられたことをお聞かせください。8月には心臓の精密検査を受けられましたが,その後のご体調はいかがですか。
皇后陛下
<前略>
先の戦争終結から70年を経,この1年は改めて当時を振り返る節目の年でもありました。終戦を迎えたのが国民学校の5年の時であり,私の戦争に関する知識はあくまで子どもの折の途切れ途切れの不十分なものでした。こうした節目の年は,改めて過去を学び,当時の日本や世界への理解を深める大切な機会と考えられ,そうした思いの中で,この1年を過ごしてまいりました。
平和な今の時代を生きる人々が,戦時に思いを致すことは決して容易なことではないと思いますが,今年は私の周辺でも,次世代,またその次の世代の人々が,各種の催しや展示場を訪れ,真剣に戦争や平和につき考えようと努めていることを心強く思っています。先頃,孫の愛子と二人で話しておりました折,夏の宿題で戦争に関する新聞記事を集めた時,原爆の被害を受けた広島で,戦争末期に人手不足のため市電の運転をまかされていた女子学生たちが,爆弾投下4日目にして,自分たちの手で電車を動かしていたという記事のことが話題になり,ああ愛子もあの記事を記憶していたのだと,胸を打たれました。若い人たちが過去の戦争の悲惨さを知ることは大切ですが,私は愛子が,悲しみの現場に,小さくとも人々の心を希望に向ける何らかの動きがあったという記事に心を留めたことを,嬉しく思いました。
今年,陛下が長らく願っていらした南太平洋のパラオ御訪問が実現し,日本の委任統治下で1万余の将兵が散華したペリリュー島で,御一緒に日米の戦死者の霊に祈りを捧げることが出来たことは,忘れられない思い出です。かつてサイパン島のスーサイド・クリフに立った時,3羽の白いアジサシがすぐ目の前の海上をゆっくりと渡る姿に息を呑んだことでしたが,この度も海上保安庁の船,「あきつしま」からヘリコプターでペリリュー島に向かう途中,眼下に,その時と同じ美しい鳥の姿を認め,亡くなった方々の御霊みたまに接するようで胸が一杯になりました。
戦争で,災害で,志半ばで去られた人々を思い,残された多くの人々の深い悲しみに触れ,この世に悲しみを負って生きている人がどれ程多く,その人たちにとり,死者は別れた後も長く共に生きる人々であることを,改めて深く考えさせられた1年でした。
<後略>
この1年のご動静<関連部分>
特に,今年は戦後70年に当たることから,改めて戦没者を慰霊され,遺族を始め戦後の苦境を乗り越え,支えてきた人々に寄り添われました。昨年6月の学童疎開船対馬丸の犠牲者を慰霊されるための沖縄県ご訪問,同年10月の長崎市平和公園及び恵の丘長崎原爆ホームご訪問に引き続き,陛下と共に,昨12月には,広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)に参られ,広島原爆養護ホーム矢野おりづる園をご訪問になりました。また,今年の8月には,広島市被爆70周年記念事業として東京で開催されたマルタ・アルゲリッチ協演による広島交響楽団「平和の夕べ」コンサートをご鑑賞になりました。戦後60年の平成17年6月には慰霊のためサイパン島をご訪問になりましたが,戦後70年の今年4月には,慰霊と国際親善のためパラオ共和国を訪問され,ペリリュー島にある西太平洋戦没者の碑,米国陸軍の慰霊碑に参られるとともに,同共和国大統領ご夫妻,この折に参加されたミクロネシア連邦大統領ご夫妻,マーシャル諸島共和国大統領ご夫妻,さらにパラオ共和国の多数の人々とお会いになりました。同じく4月には,戦後復興に尽力し産業災害で殉職した人々を慰霊する高尾みころも霊堂に,5月には東京都慰霊堂に参られました。6月には,先の大戦で軍に徴用されて戦没した商船等の船員を慰霊する戦没・殉職船員追悼式にご臨席,また,私的ご旅行として宮城県及び山形県を訪問された折に,戦後,南洋パラオから引き揚げた人々が入植,開拓した宮城県蔵王町北原尾地区をご訪問になりました。そして,7月には満州から引き揚げた人々が開拓した千振開拓地(栃木県那須町)を,8月には同様の大日向開拓地(長野県軽井沢町)をそれぞれご訪問になりました。
https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h27sk.html
 2016  平成28年7月29日(金) ~ 平成28年7月31日(日)
広島県お成り(第40回全国高等学校総合文化祭「2016ひろしま総文」ご臨席,併せて地方事情ご視察)
平成28年7月29日(金)
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下
ご訪問(広島原爆養護ホーム矢野おりづる園(広島市))
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下
ご供花(広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)(広島市))
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下
県勢概要ご聴取,ご夕食会ご臨席(リーガロイヤルホテル広島(広島市))
平成28年7月30日(土)
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下
書道部門ご覧(広島県立広島産業会館(広島市))
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下
美術・工芸部門ご覧,特別支援学校部門ご覧(広島県立美術館(広島市))
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下
総合開会式ご臨席(広島県立総合体育館(広島市))
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下
写真部門ご覧(広島国際会議場(広島市))
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下
平成28年7月31日(日)
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下
郷土芸能部門ご覧(三原市芸術文化センター(三原市))
https://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/show/3?quarter=201603
2018 平成30年2月13日(火) ~ 平成30年2月14日(水)
広島県お成り(「第69回結核予防全国大会」ご臨席)
平成30年2月13日(火)
文仁親王妃殿下 結核予防会支部長午餐会ご臨席,研鑽集会ご聴講,アトラクションご鑑賞,全国結核予防婦人団体連絡協議会懇談会ご臨席,県勢概要ご聴取,大会歓迎レセプションご臨席(リーガロイヤルホテル広島(広島市))
平成30年2月14日(水)
文仁親王妃殿下 第69回結核予防全国大会式典ご臨席,大会議事及び特別講演ご聴講(リーガロイヤルホテル広島(広島市))
文仁親王妃殿下 ご供花(広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)(広島市))
https://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/show/3?quarter=201801
2018 平成30年6月19日(火) ~ 平成30年6月20日(水)
広島県お成り(「公益社団法人日本植物園協会第53回大会」ご臨席)
平成30年6月19日(火)
文仁親王殿下 ご昼食会ご臨席(リーガロイヤルホテル広島(広島市))
文仁親王殿下 ご供花(広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)(広島市))
文仁親王殿下 「公益社団法人日本植物園協会第53回大会」開会式・表彰式ご臨席,意見交換会ご出席(広島市佐伯区民文化センター(広島市))
平成30年6月20日(水)
文仁親王殿下 口頭発表ご臨席,ポスター発表ご覧(広島市佐伯区民文化センター(広島市))
文仁親王殿下 ご視察(広島市植物公園(広島市))
https://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/show/3?quarter=201802
2021 上皇陛下のご近況について(お誕生日に際し)
令和3年12月23日:上皇職
「沖縄県慰霊の日,広島・長崎原爆の日,終戦記念日並びに阪神淡路大震災及び東日本大震災の発生日には,今もテレビ中継に合わせて,上皇后さまと共に黙祷をなさっています。」
https://www.kunaicho.go.jp/joko/press/r031223.html

国会会議録の中の「被爆国」(年別件数=該当会議録数)

国会会議録の中の「被爆国」(年別件数=該当会議録数)<作業中

件数 備考
1954 2 初出
1955 2
1956 0
1957 4
1958 1
1959 1
1960 0
1961 9
1962 13
1963 10
19631217佐藤榮作(科学技術庁長官)新しい原子力そのものにつきまして、なかなか国民の間には理解しかねるものもございます。ことに、第一の核の被爆国であるという意味合いにおきまして、なかなか感情的に解けないものもあるようであります。
1964 20
19641128佐藤榮作(内閣総理大臣)私どもは唯一の被爆国であり、しかもまた軍備を持たない、どこまでも平和な国としての日本、こういう立場から考えてみましたときに、少なくとも世界の国民、民族が希望しないような核兵器を持つという、とにかくそれだけはやめてほしい。
1965 15
1966  21
1967  26
1968  31
1969 15
1970 6
1971 16
1972 15
1973 17
1974 26
1975 45
 1976  16
1977 63
1978 40
1979 12
1980 37
1981 65
1982 79
1983 36
1984 45
1985 59
1986 56
1987 44
1988 41
1989 24
1990 27
1991 38
1992 16
1993 32
1994 63
1995 41
1996 22
1997 26
1998 63
1999 37 1「戦争被爆国」1999年06月24日衆 – 本会議江崎鐵磨(自民党)
2000 22 0「戦争被爆国」
2001 22
2002 41
2003 41
2004 38
2005 32
2006 49
2007 26
2008 22
2009 58
2010 49  4「戦争被爆国」2010年04月23日参 – 本会議鳩山由紀夫(内閣総理大臣)ほか
2011 21  3「戦争被爆国」
2012 14  4「戦争被爆国」
2013 32  13「戦争被爆国」
2014 44  23「戦争被爆国」
2015 46  34「戦争被爆国」
 2016  62  44「戦争被爆国」
 2017  44  42「戦争被爆国」
 2018  33  21「戦争被爆国」
 2019  18  13「戦争被爆国」
 2020  21  18「戦争被爆国」
 2021  29  23「戦争被爆国」

年表:石田原爆訴訟 1973~78年

年表:石田原爆訴訟 1973~78年

Y M D NEWS1
73 04 18 石田明広島県被爆教師の会会長、桑原訴訟に続く原爆訴訟の提訴を準備していることを明らかにする。
73 05 16 「石田原爆訴訟をすすめる会」の準備会、広島市内で開催。23人が出席。
73 05 17 石田明全国被爆教師の会会長、厚生大臣を相手取り、白内障の原爆症認定申請却下処分の取り消しを求める訴えを広島地裁に提出。
73 05 26 「石田原爆訴訟をすすめる会」、結成総会を広島市内で開催。50人が出席。
73 06 10 広島県原爆被害者団体協議会(田辺勝理事長)、広島市内で総会を開催。約60人が参加。被爆者援護法制定への取り組み、桑原訴訟・石田訴訟支援など昭和48年度の運動方針を決定。
73 06 26 広島県被爆教師の会、1973年度定期総会を広島市内で開催。石田原爆訴訟支援など1973年度活動方針を決定。
73 06 26 広島地裁、石田原爆訴訟の第1回口頭弁論。原告訴訟陳述、被告答弁書陳述、原告求釈明(原爆投下責任の所在・認定基準の存否等)、原告本人意見陳述。
73 07 10 石田原爆訴訟で、被告が準備書面を提出。却下処分は適法と主張。(「石田原爆訴訟ニュース最終号」)
73 07 21 石田原爆訴訟で、被告が準備書面を提出。原爆投下責任は本件訴訟と係わりなく釈明の要なし、認定基準は無しと主張。(「石田原爆訴訟ニュース最終号」)
73 07 23 石田原爆訴訟で、被告が準備書面を提出。(「石田原爆訴訟ニュース最終号」)
73 07 24 広島地裁、石田原爆訴訟の第2回口頭弁論。被告が準備書面を陳述。
73 07 26 石田原爆訴訟で、被告が準備書面を提出。(「石田原爆訴訟ニュース最終号」)
73 09 18 広島地裁、石田原爆訴訟第3回公判。被告が準備書面を陳述。原告準備書面提出(原爆医療法の解釈、在り方、国家補償原理に依る法の解釈、運用の義務、被爆者の実態、行政の在り方、本件の処分の違法性)。(「石田原爆訴訟ニュース最終号」)
73 11 13 広島地裁、石田原爆訴訟の第4回口頭弁論。被告が準備書面を提出し陳述。原告側、24人の証人を申請。
74 03 06 「石田原爆訴訟をすすめる会」、広島市内で原告側弁護団と合同会議を開催。被爆者援護法制定要求とからめ石田原爆訴訟を支援する署名運動を30万人規模で展開することを決定。
74 03 12 広島地裁、石田原爆訴訟の第5回口頭弁論。加藤智一元厚生省公衆衛生局企画課長補佐、被告側証人として証言。
74 05 25 「石田原爆訴訟をすすめる会」、提訴1周年をむかえ支援集会を広島市内で開催。
74 05 28 広島地裁、石田原爆訴訟第6回公判。被告側証人・加藤智一元厚生省公衆衛生局企画課長補佐に対する反対尋問。(「石田原爆訴訟ニュース最終号」)
74 07 16 広島地裁、石田原爆訴訟の第7回口頭弁論。高橋澄子・富永初子、原告側証人として証言。
74 09 17 広島地裁、石田原爆訴訟第8回公判。原告側証人・寺地操・高橋昭博・西田文子。(「石田原爆訴訟ニュース最終号」)
74 09 19 広島地裁、石田原爆訴訟の第9回口頭弁論。伊東壮日本被団協事務局長、原告側証人として証言。
74 12 24 広島地裁、石田原爆訴訟の第10回口頭弁論。佐久間澄が原告側証人として証言。
75 02 18 広島地裁、石田原爆訴訟の第11回口頭弁論。草野信男が原告側証人として証言。
75 05 13 広島地裁、石田原爆訴訟の第12回口頭弁論。小川政亮が原告側証人として証言。
75 07 15 広島地裁、石田原爆訴訟の第13回口頭弁論。訴訟進行について、原被告双方意見陳述。
75 09 09 広島地裁、石田原爆訴訟の第14回口頭弁論。田坂正利福島生協病院長が原告側証人として証言。
75 10 09 広島地裁、石田原爆訴訟の証人調べ(出張尋問、東京地裁)。庄治義治九州大学名誉教授、被告側証人として証言。
75 12 09 広島地裁、石田原爆訴訟で第15回口頭弁論。杉本茂憲、原告側証人として証言。
75 12 23 広島地裁、石田原爆訴訟の第16回口頭弁論。杉本茂憲、前回に引続き原告側証人として証言。
76 03 02 広島地裁、石田原爆訴訟の第17回口頭弁論。原告の石田明が証言。
76 05 07 石田原爆訴訟の原告側弁護団、最終準備書面と原告の勝訴判決を求める日本原水爆被害者団体協議会の要望書を広島地裁に提出。
76 05 11 広島地裁、石田原爆訴訟の第18回口頭弁論。原・被告双方準備書面提出及び陳述(結審)。
76 05 11 「石田原爆訴訟をすすめる会」、広島弁護士会館で報告集会を開催。
76 05 17 「石田原爆訴訟をすすめる会」、「石田原爆訴訟の勝利をめざす報告集会」を広島平和記念館で開催。約80人が参加。
76 07 12 広島地裁、石田原爆訴訟の判決を27日に言い渡すことを関係者に通知。
76 07 27 「石田原爆訴訟をすすめる会」、広島城跡公園で判決報告集会を開催。約200人が参加。
76 07 27 広島地裁、石田原爆訴訟で原告側勝訴の判決。厚生省に原爆白内障の認定申請却下処分の取り消しを命じる
76 07 27 広島地裁、石田原爆訴訟で判決。
76 07 27 石田訴訟判決に出かける。
76 07 27 日本原水爆被害者団体協議会、石田原爆訴訟の判決に関連し、政府が早急に被爆者援護法を制定するよう求める声明を発表。
76 07 27 「石田原爆訴訟をすすめる会」、広島市内で判決検討会を開催。国に控訴をやめるよう求めることを決定。
76 07 29 荒木広島市長、石田原爆訴訟の判決について、記者会見で、国が控訴を控えるよう希望を表明。
76 07 30 石田明と訴訟支援関係者5人、厚生省を訪れ、控訴を断念するよう要請。
76 07 31 広島県原水禁、役員会を開催。石田原爆訴訟で控訴しないよう国に要請することを決定。
76 08 03 宅和純「石田原爆訴訟をすすめる会」会長ら3人、広島県・市の原爆対策担当者に石田訴訟の控訴を断念するよう首相に働きかけることを要請。
76 08 04 石田明、第22回原水爆禁止世界大会本会議で訴訟勝利の挨拶。5日には、被爆31周年原水爆禁止世界大会でも。
76 08 06 三木首相・田中厚相、広島での記者会見で石田原爆訴訟の控訴をしない方向で検討していることを明らかにする。
76 08 10 厚生省、石田原爆訴訟で、控訴断念を決定。広島地裁判決が確定。
76 08 31 「石田原爆訴訟をすすめる会」、幹事会を開催。3年間の活動を総括、近く解散することを決定。
76 09 04 石田明、原爆症認定書を受け取る。
76 10 01 石田原爆訴訟勝利を記念する講演会と祝賀会、広島市内で開催。石田忠一橋大学教授が講演。約100人が参加。
77 08 22 「石田原爆訴訟勝利1周年記念、桑原訴訟の勝利を目指す集会」広島市内で。
78 04 26 “桑原訴訟”の口頭弁論で、証拠書類として“石田原爆訴訟”の記録集を提出。

桑原裁判の判決について 相良勝美

『桑原裁判判決(全文)-昭和48年4月19日言渡』(水爆禁止広島県協議会・広島県原爆被害者団体協議会)

 20220411a
 20220411b
 20220411c
 20220411d
 20220411e
 20220411f

内容

01 相良勝美(主任弁護士) 桑原裁判の判決について
07 佐久間澄(広島県原水協理事長) 桑原訴訟に対する田辺判決の矛盾について
12 田辺博介(裁判長裁判官)
海老沢美広(裁判官)
野田武明(裁判官)
判決
36 証拠関係

桑原訴訟に対する田辺判決の矛盾について 佐久間澄

桑原訴訟に対する田辺判決の矛盾について 佐久間澄

20220411g
20220412a
20220412b
20220412c
20220412d

『桑原裁判判決(全文)-昭和48年4月19日言渡』(水爆禁止広島県協議会・広島県原爆被害者団体協議会)

内容

01 相良勝美(主任弁護士) 桑原裁判の判決について
07 佐久間澄(広島県原水協理事長) 桑原訴訟に対する田辺判決の矛盾について
12 田辺博介(裁判長裁判官)
海老沢美広(裁判官)
野田武明(裁判官)
判決
36 証拠関係

 

『桑原裁判判決(全文)-昭和48年4月19日言渡』(水爆禁止広島県協議会・広島県原爆被害者団体協議会)

『桑原裁判判決(全文)-昭和48年4月19日言渡』(原水爆禁止広島県協議会・広島県原爆被害者団体協議会)

内容

20220412083320649
01 相良勝美(主任弁護士) 桑原裁判の判決について
07 佐久間澄(広島県原水協理事長) 桑原訴訟に対する田辺判決の矛盾について
20220412083x
12 田辺博介(裁判長裁判官)
海老沢美広(裁判官)
野田武明(裁判官)
判決
36 証拠関係

 

桑原裁判の経過と問題点

 

Bk691130s
原水爆禁止広島県協議会
広島県原爆被害者団体協議会
山陽民主医療機関連合会
1969年11月30日発行

 

被爆者医療の権利を守るたたかいのために--桑原経過と問題点

原子爆弾被爆者特別措置法が施行されて間もない昭和四三年九月七日、桑原忠男さん(五九才)は、特別手当を受けるため、脊髄円椎上部症候群の診断書を添えて、認定申請書を厚生大臣に提出しました。

被爆前には、剣道二段、一○○米を一二秒で走り、乗馬にも堪能で、体育指導員や剣道助教などをしていた桑原さんは、爆心から一、三○○米くらいの、広島市鷹野橋地区の路上で被爆しました。爆風で吹きとばされて重篤な打撲傷を負い、数時間も意識を失っていましたが、幸い一命はとり止め、同夜は、近くの吉島町の実兄の家に泊り、翌日、郷里の広島県御調郡原田村(現、尾道市原田町)ヘ帰りました。

帰郷後は、被爆時に体の各所にうけた外傷、打撲傷、とくに、そのために起った腰痛、また、大・小便の排泄の困難などで、二年間くらいは、ほとんど床に就いたままで苦しみ続けました。昭和二五年頃から、ようやく軽快して、松葉杖にすがりながら歩けるようになり、世話好きの桑原さんは、選ばれて村会議員、農業委員などになり、不自由な体ながらも、村民のために尽されました。しかし、その間も、健康が十分回復したというのではなく、病院に通い続けていたのですが、昭和二八年頃から、再び病状が悪化し、歩行は困難となり、排尿、排便にも苦しむようになりました。引き続き、通院、あるいは入院(尾道市民病院に二回、農協病院に三回、民医連福島病院に一回)して治療を続けていますが、現在も、腰部下部及び下肢の内側が麻痺して、歩行は困難を極め、大・小便の排泄にも苫しんでいます。

このような状態の中で、桑原さんは、特別措置法の実施によって、永年の苦しみが、幾らかでも償われるのではないかと、認定申請に大きい期待をかけたわけです。

ところが、厚生大臣は、桑原さんの病状が、原爆医療法第八条第一項(認定に関する条項)に該当するものと認め難い、として、一二月二五日付で申請を却下してきました。

それまで桑原さんの診察、治療を行ない、それに基づいて、認定の申請を勧めて、申請のための診断書も作製した福島病院はもちろん、広島県原水協、広島県被団協は、この却下処分が、原爆被害の実態、とくに放射能障害に対する故意の無視、医療法・特別措置法の立法精神の否定あるいは運用上での不誠実、また、認定の判断をする原爆医療審議会の認定基準のあいまいさなどによるもので、これは、ひとり桑原さん個人の問題ではなく、被爆者全体にかかわる極めて重大な問題であることを痛感しました。

そこで、広島県原水協、被団協及び山陽民医連は種々協議した結果、桑原さんに、異議申立の訴訟をするように勧めました。政府に対して法で争うことが、何か悪いことをするかのような、不当な考え万に慣らされてきている日本国民の多くの人びとと同じように、桑原さんの家族は、この訴訟をすることに、こぞって反対しました。家族の反対のために、桑原さんも一時は訴訟をためらいましたが、この数年、尾道被爆者の会の世話役などもしてきた桑原さんは、自分の一生を台なしにした原爆への怒り、ごまかしの医療法、特別措置法の実態についての不満、そして、それが、桑原さん一人のものでなく、三○万被爆者全部のものであることを痛感して、全国の被爆者のために、どうしても立ち上がるべきだと決心し、家族の反対を押して、訴訟に踏み切りました。

広島の民主的法律家グループ、広島法律事務所が積極的にこれに協力して、桑原さんの代理人となつて、昭和四四年二月一八日、行政不服審査法第六条による異議申立てがなされ、ついで、三月二六日、厚生大臣を被告として、「原爆医療法に基づく認定処分の取消請求」の訴訟を提起しました。

訴訟は今、広島地方裁判所で、原告(桑原さん)と被告(厚生大臣)との間で、訴訟の目的、お互の意見、異議を文書で交換し合っている段階にあります。これらの準備書面交換を一応終了した時期に裁判が行なわれるのですが、準備書面に開陳された意見が、判決に最も大きい影響を与えるので、広島県原水協、被団協及び山陽民医連は、広島法律事務所と一体となって、今この問題にとり組んでいます。

この訴訟は、桑原さんの認定獲得のための訴訟ではありますが、さきに述べたように、全ての被爆者の権利を主張し、援護を獲得するための、最も具体的な、また、もっとも直接的な斗争であると考えています。全国の被爆者及び被爆者救援に日夜活動しておられる全ての方々が、この桑原訴訟の意義を理解され、強力な支援を与えられることを心から念願して、以下の資料を提供する次第です。

資料Ⅰは、原爆被爆者の特殊な身体障害の実態とこれに対する政府の態度の問題点を明らかにするためのもの、資料Ⅱは、桑原訴訟に関して原告及び被告から出された準備書面(提訴理由書、却下理由書、それに対する反論等)、資料Ⅲは、被告厚生省の却下理由書に対し、現在の、桑原さんの主治医である福島病院長田阪正利氏が、過去のカルテを綿密にしらべ、現病状を詳しく診断した医学的立場に基いてなされた反論です。

今国の仲間の皆さんが、この問題の重大さに深く思いを致され、私たちのたたかいを、被爆者救援を願う全国民のたたかいとして、強化、拡大されることを心から願って止まない次第です。

一九六九年一一月

広島県原水協理事長      佐久間 澄
広島県被団協理事長      田辺  勝
山陽民主医療機関連合会会長  中本 康雄