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広島県原水協年表(1945~53)

広島県原水協年表(1945~53)

年月日
1945
 7.16 アメリカ, 史上初の核(プルトニウム)爆発実験に成功.

  1. 6 8時15分, 広島市に原子(ウラニューム)爆弾投下さる.
  2. 9 11時 2分, 長崎市に原子(プルトニウム)爆弾投下さる.

8.10 日本政府, スイス政府を通じ新型爆弾使用につきアメリカ政府に抗議.

8.15 天皇の終戦詔書放送さる.

― 新聞, 原爆被災の詳細を一斉に報道.

8.23 毎日新聞, 原爆爆心地域70年生物不毛説を伝える. 翌日, 朝日・読売報知, 75年生物不毛説を報道.

  1. 3 連合国従軍記者団広島入り. W.バーチェット,単独で広島入りし現地報告を打電

9.19 GHQ,プレスコードを指令.

10.17 日映撮影班員, 長崎でMPに拘束され,19日撮影を禁止さる.

11.20 GHQ,日本の原子研究3施設(理研・京大・阪大)を管理下に置く.24日, 3施設のサイクロトンの破壊に着手.

  1. 7 仁井田教一ら, 広島戦災者同盟を結成.

12.17 GHQ,日映に被爆地撮影のフィルムの提出を命令.

1946
1.21 国連, 原子力委員会の設置を決定.

3.10 雑誌「中国文化」創刊号, 原子爆弾を特集.

  1. 1 アメリカ, 太平洋マーシャル群島ビキニ環礁で戦後初の原爆実験.

7.26 グロムイコ・ソ連代表, 国連原子力委員会で原子爆弾の即時廃棄を要求.

  1. 5 広島平和復興市民大会.

8.30 栗原貞子, 「詩歌集  黒い卵」を発刊.

8.31 アメリカの週刊紙「ニューヨーカー」, J.ハーシーのヒロシマ・ルポを特集.

  1. 5 フーゴー・ラサール神父(広島市幟町カトリック教会牧師), ローマ法王にヒロシマ救済を懇請.

11.26 トルーマン米大統領, 米国学士院・学術会議に原爆傷害調査委員会(ABCC)の設置を指令.

1947
  1. 7 中国配電ビル講堂で広島初の国際婦人デー広島大会.
  2. 1 原民喜, 「三田文学」に「夏の花」を発表.
  3. 6 広島平和祭式典(第1回).

9.28 日本文化平和協会発会式.

12. 5 正田篠枝, 歌集「さんげ」を出版.

1948
 3.31 国立予防衛生研究所広島支所(広島原子爆弾影響研究所)設立.

4.18 アメリカ北部バプテスト連盟の提唱により世界平和デー委員会結成.

7.14 ABCC(広島)の開所式.

  1. 6 第2回広島平和式典.

8.10 労働省婦人少年局広島職員室主催広島県下傷痍婦人協力大会.

  1. 5 広島流川教会牧師谷本清, サンフランシスコに到着.

10.13 ヘレン・ケラー, 広島訪問.

11.10 大田洋子「屍の街」(中央公論社)出版.

11.30 小倉豊文「絶後の記録」(中央社)出版.

1949
 3.29 広島地方労組・生活擁護同盟・部落解放委・朝鮮人連盟・共産党で組織する共同闘争委員会が「生活擁護人民大会」を開催(平和広場, 2000人参加). 労働法規反対・戦争反対・講和促進など6スローガンを決定.

  1. 6 トルーマン米大統領, 「原爆の使用辞さず」と言明.

4.11 峠三吉, 共産党に入党.

4.20 パリとプラハで平和擁護世界大会. 25日まで.

5.11 広島平和記念都市建設法・長崎国際文化都市建設法成立.

5.15 共産党広島市委員会が浜井市長にたいし広島平和記念都市建設法案の実施について「平和都市建設が働く市民の犠牲の負担になったり, 一部市議や土建業者の利権漁りにならぬこと.建設運営委員会に進歩的政党・各労組・民主団体の代表を入れること」などを要請した文書を渡す.

  1. 7 広島平和記念都市建設法の住民投票.
  2. 6 第3回広島平和記念式典.

― 日本民主婦人協議会・広島県婦人連合会など, 平和婦人大会を開催(児童文化会館).

― 民主主義擁護同盟, 広島市民にメッセージを寄せる.

8.10 八田元夫, 「原爆の町『ひろしま』」を「アカハタ」に掲載.

8.29 ソ連, 初の原爆実験(シベリア).

  1. 6 広島市, トルーマン米大統領への平和嘆願10万人署名を発送.
  2. 7 浜井広島市長ら, 日本共産党本部を訪問, 広島平和記念都市建設法国会通過のさいの共産党の努力に感謝を表明.

9.26 平和をまもる会準備会総会.

10・2 国際平和デーを打ち合わせ, 平和闘争7目標を決定.

  1. 2 平和擁護広島大会(広島女学院講堂). 原子兵器の禁止を宣言し広島から全世界に打電.

10.15 第4回全国民生・児童委員大会(広島市で).最終日の17日, ひろしまの惨劇を繰り返すなと決議.

11.20 「われらの詩の会」(発起人代表・峠三吉), 「われらの詩」を創刊.

― 原爆都市青年交歓会結成.

1950
  1. 9 谷本清, 米国平和行脚を終え広島に帰る.

1.31 トルーマン米大統領, 原子力委に水爆製造を指令.

  1. 4 ハンス・ベーテなど米物理学者, 水爆研究に対し警告.
  2. 8 丸木位里・赤松俊子の「原爆の図」展(東京). 以後全国を巡回.

2.27 日本平和を守る会正式発足.

  1. 5 広島県教職員組合第6回大会,「平和声明」を採択.

3.10 国際ワイズメンズクラブ日本区大会, 「広島メッセージ」を採択.

3.15-19  平和擁護世界大会常任委員会第3回総会,19日ストックホルム・アピールを採択.

3.21 「アカハタ」連載記事「平和への熱情」に大田洋子「原爆の体験を道標に」を掲載

  1. 6 大山郁夫を囲み広島市内「精養軒」で平和擁護の懇談会. 約60人出席. 平和擁護世話人会結成. 4月15日に第 1回世話人会を流川教会で開く.

4.15 日本ペンクラブ「広島の会」, 平和宣言を発表.

4.22 反戦詩歌人集団結成準備会を新日本歌人協会広島支部で開催.  5月 1日に「反戦詩歌集」第 1号創刊.

  1. 1 第21回メーデー. 広島では「戦争反対, 平和擁護」を声明.

5初  世界民青連の呼びかけにこたえ民青団広島地区委員会が 8月 6日を反戦闘争デーとし, 反戦大デモンストレーション実行を決定.

5.10 トルーマン米大統領, 原爆の再使用を言明.

5.12 モスクワ放送, 「原爆の廃墟の中から全世界の青年諸君に訴う」を報道. この声明は青年祖国戦線結成大会(東京で)に参加した広島民青団の代表が連名で発表したもの.

― 日本弁護士会第1回定期総会,「平和宣言」を採択.

5.31 広島文理大学生自治会大会で「平和を守る会」結成. ストックホルムアピール 1人 5名の署名を集めることを決議.

5.- 民青団広島地区委員会, 広島市八丁堀で写真「原爆の日の惨状」数点を掲示し, 平和投票の署名運動展開. この運動が広船・全商工・全逓など労組青年部へ広がる.

  1. 3 広島文理大学生自治会, 1日ストを宣言し,平和大会.「戦争反対」・「平和を守れ,学問の自由を守れ」・「イールズ声明を撤回せよ」などのスローガンを採択.大会宣言に「原爆の再使用禁止」を盛り込む.
  2. 7 共産党中国地方委員会機関紙「平和戦線」第7号,被爆写真を特集.主張に「再び原子爆弾を繰り返すな,全愛国者は平和戦線へ!」を掲げる.峠三吉「八月六日」を掲載.

6.15 広島文理大学生自治会, 広島市南座で「きけわだつみの声」を上映(超満員).終わって反戦学生同盟を中心に日鋼事件一周年集会(平和広場)までデモ行進.

―  日鋼争議一周年を記念する平和擁護人民大会.1000人参加. 原爆反対などのスローガン決議.

6中 広大内に広島反戦学生同盟結成.

6.24 「平和戦線」第8号,「原爆をうけた人達」の掲載開始.

6.25 朝鮮戦争勃発.

6.27 広島平和擁護世話人会, ストックホルムアピール支持署名運動と八月六日に平和大会開催の方針など決定.

  1. 1 広島平和擁護委員会世話人会, 「平和への訴え」を発表.

7.13 西ドイツ訪問中の楠瀬広島県知事・浜井広島市長, 朝鮮での原爆使用反対を表明.

7.14 広島平和委, 8・6平和大会実行委員会を開く.スローガンは原爆禁止.

7.24 全中国地方共闘委・全労連中国地協・県労協など, 電産民同のゼロ号指令に反対し電産労働者に統一と平和擁護の闘争を訴えるとともに8・6原爆カンパニアに際し全日本の労働者に反帝・平和闘争に立ち上がるよう呼びかける 7.25 中国地方青年代表者会議. 労組青年部・民主的青年組織など21団体代表40数名参加反帝平和闘争・朝鮮民族解放闘争支持などを決定. 8・6の平和大会への参加を全国の青年に呼びかけ青年平和擁護大会開催を決定.全世界の青年にこの大会への支援と代表派遣要請のアピールを決議.

7.27 広島平和擁護委員会, 全国の平和愛好者に8・6平和大会への参加を呼びかける.

  1. 1 反戦・平和擁護週間の第一日目, 街頭署名運動のトップを切って全建労広島支部20数名, ストックホルムアピールの街頭署名.
  2. 1 中村武雄編「ヒロシマを忘れるな」(自由青年出版社)発刊.
  3. 2 広島平和協会, 平和祭中止を決定.
  4. 3 広島西署長, 広島平和擁護委員会主催の平和擁護市民大会の許可願の受取りを拒否 ― われらの詩の会,「平和のための宣言」を発表.
  5. 5 広島市警察, 8月6日以降の集会禁止のビラを全戸に配布.

― 中国地方のブロック別青年平和会議が「全世界に対する平和宣言」など決議.青年平和大会は原子兵器の禁止・朝鮮に原爆を使うな等のスローガンで2000人規模の集会を開くことを決める.

  1. 6 広島・福山・三次で非合法の平和集会.

広島では午前11時30分, 八丁堀「福屋」前で平和大会, 約 500名. 午後 0時30分広島駅前で平和大会, 約 300名, 猿猴橋までかけ足デモ. 「福屋」屋上や市内映画館などで平和の闘いを訴えたビラ 2万枚配布.

三次では数班に分かれ「原子兵器の禁止」などのプラカードを先頭に平和署名を集め, 午後は 300名が三次で結集大会を決行, のち三次・十日市間をデモ行進. 10名検束される.

福山, 60名参加. 青年祖国戦線結成大会を成功させる.

― 広島平和擁護委員会, 平和宣言「平和を愛する全世界の人民へ」を発表.

― 丸木位里・赤松俊子(絵・文)平和を守る会(編)「ピカドン」(ポツダム   書店)発刊.

― 武村好郎編「平和歌集」(広島原爆記念会)発刊.

― 「反戦詩歌集  第二集」発刊.

― 「われらの詩  第八集」発刊.

― 広島市民生局社会教育課編「原爆体験記」(広島平和協会)発刊.

8初  ストックホルムアピール署名, 広島県内で10万票突破.

  1. 9 政府, 警察予備隊の設置を閣議決定.
  2. 3 県内で国際青年デー. 広船で前夜祭. 福山で平和集会. 尾道では日立向島労組を中心に大衆集会.

9上 国鉄労組広島支部( 12000人)の平和世論調査結果. 全面講和67%, 原子爆弾使用禁止52%, 軍事基地化反対78%.

9頃 広島平和擁護委員会に報告された平和投票(ストックホルムアピール)数は広島一帯で 62282票. うち青年祖国戦線4608, 全造船分会6322, 全建設広島支部5942, 広島県朝鮮人団体協議会5608.

9.30 GHQ労働課セニア来広.広島造船労組幹部と会見しストックホルムアピールを支持しないよう勧告.

  1. 5 広島市内五流荘で原爆の図三部作展覧会始まる. 5日間でストックホルムアピール署名 186票.

10.20 上下高校の記念祭で「平和展」. 会場で原爆写真などを紹介(25日まで). 10.27 広島平和擁護委員会, 10万400 票のストックホルムアピールを岡山にリレー

1951
 1.15 広島講和問題懇談会, 広島市内日通会館で開催.

1頃 芦品郡戸手高校で, 校長のストックホルムアピール署名運動禁止命令に対し抗議行動.

2.17 広大講堂で講和問題講演会.  150名参加.

2.21 反植民地闘争デーの各地での催し.

(広島)国際ビルで反戦青年同盟広島準備会, 平和宣言を発表. 広大でも集会.

(尾道)記念パンフを配布. 尾道自由労組青年部主催職場大会. 全面講和, 再軍備反対を決議.

(戸手)戸手町平和を守る会発足. 会長光成秀子(故戸坂潤夫人).

(福山)民青団・反戦学同がストックホルムアピール署名, ソ同盟写真展,  2・21記念ビラ配布. 夜福山市公会堂で反植民地闘争デー記念講演会.

  1. 8 広島婦人民主クラブ主催の国際婦人デー記念集会. 原子兵器使用禁止などのアピール決定.

3.13 原民喜, 東京で自殺.

3.21 因島大浜村に平和を守る会.

3.26 呉で平和懇談会.

  1. 7 広島平和擁護委員会世話人会開催.
  2. 8 広島県反戦学生同盟結成.

4.15 広島で中国地方平和の闘士団大会. ベルリンアピールの実践につき決議. 8・6を全国的な一大平和カンパニアにしようとの緊急動議を決議.大会後平和の闘士団中国地方協議会結成.

  1. 1 P.M.S.ブラケット「恐怖・戦争・爆弾―原子力の軍事的・政治的意義」(法政大学出版局)発刊.
  2. 4 日本教育学会有志 114名(広島で開かれた第10回日本教育学会総会の参加者の約90%)の署名で世界の教育学者への平和への呼びかけを発表.
  3. 5 ベルリンアピールに長田新が署名.
  4. 6 舟入平和擁護委員会結成.

5.24 広島平和の闘士団, 8・6めざす運動を決定.

  1. 2 大田洋子を囲んで座談会(われらの詩の会主催).
  2. 3 広島市で西日本婦人民主クラブ代表者会議をひらく. 8・6婦人平和大会を開くことなどを決議.
  3. 4 県労協など16団体代表, 8・6平和擁護全国代表者会議実行委員会を結成.大会スローガンとして「再び原爆を落とすな」・「五大国は平和条約を結べ」・「対日講和のための四大国外相会議をひらけ」を決定.全国にむけ「広 島の悲劇をくりかえさないために」のアピールを発表.

― 「民族の星」№44に吉田初夫(峠三吉の筆名), 「墓標」(詩)を掲載.

  1. 6 広島自由労組拡大執行委員会, 全面講和署名と並行しベルリンアピールの署名をおこなうことを決定.
  2. 8 平和の闘士団全国連絡会議(東京)で広島代表が8・6大会を提案,全面的支持・協力をえる.

― 8・6平和擁護全国代表者会議実行委が中心となり8・6カンパニア実行委員会を結成.

6.15 反戦学生同盟全国協議会(東京). 40校代表約 100名が参加. ベルリン青年 –17 平和祭に呼応する日本の平和祭は8・6を中心とした広島の平和祭を中心に することを決議.

6.16 全造船広船分会執行委員会, 7月7日を期して「再軍備反対中国地方労働者会議」開催を呼びかけるアピールを発表.

6.22 広大学生大会,  153名中 146名の賛成で”青年は再び銃をとらない”ことを決議. 平和擁護準備会・社研・ユネスコ・YMCAなど合同の平和協議会結成.

6.27 広大教養部で学生大会,  450名参加. ベルリンアピール支持, 全学連加入など可決.

6.30-7.2 出隆が尾道・広島・呉で平和講演会.

  1. 1 7・1国際反戦デー.広島市と府中町で平和活動家10数名がベルリンアピール, 講和投票の署名運動を展開.
  2. 7 再軍備反対中国地方労働者会議. 広船労組に15組合代表と24組合有志 153名で開催統一行動綱領, 中国地方再軍備反対共同闘争委員会結成, 8月6日広島で平和大会開催をそれぞれ決議.

7.10 第1回広島県再軍備反対共同闘争委員会開催.「原爆を再び落とすな」などのスローガン決定.

7.14 京都大学文学部学友会「原爆体験記」発刊.

7.20 広島県再軍備反対共闘委など8・6平和大会準備会を開催.

7.22 再軍備反対広島県青年学生決起大会(国際ビルで). 代表50名が参加.

7.25 広島平和擁護委員会など22団体, ポスター「全広島の市民諸君および全日本の平和と独立を愛する国民諸君に訴う」を市内各所に張る.

7.31 共産党府中細胞が主体となり府中高校で原爆犠牲者追悼音楽会.

  1. 1 「民族の星」№56に「ふたたび原爆を落とすな」写真6葉を掲載.
  2. 2 峠三吉「原爆詩集」(ガリ版刷り 500部).
  3. 5 反戦青年同盟中国地方結成大会.

― 祖国防衛日本再軍備反対中国地方朝鮮青年決起大会.

  1. 5-7 広島市内国際ビルで平和展示会.
  2. 6 原爆記念全国平和会議(荒神小学校)に 140団体代表1500名参加. サンフランシスコ会議反対のアピール発表. 広島平和会議書記局が中華人民共和国政府に全面講和会議開催などの要請書を送る.

― 第1回全国労働者平和大会(児童文化会館で).約 800人参加.

― 宗教者平和運動広島協議会(結成準備中),中島本町爆心地で辻説法するも警察に禁止され,広島駅前に移る.ビラ「原爆体験の宗教者として全世界の宗教者に訴う」を配布.

― 民主商工会,平和大売出し,駅伝競争,燈篭流しをおこなう.

8.15 駅家地方平和を守る会主催の平和懇談会が計画されたが, 警察の弾圧で中止 8.17 再軍備反対中国地方共闘委員会開催.

8.27 広島原爆傷害者更正会結成.

  1. 8 (日本時間 9日)サンフランシスコ講和条約・日米安全保障条約調印.

9.20 峠三吉「原爆詩集」(新日本文学会広島支部・われらの詩の会)発刊.

9.22 広島大学平和問題研究会発足.

  1. 2 長田新編「原爆の子―広島の少年少女のうったえ」(岩波書店)発刊.

10.16 広島平和問題談話会結成.

 

1952
  1. 6 広大教養部学生大会(皆実分校講堂)に 500名参加. 「わだつみの悲劇をく   りかえすな. ノーモア・ヒロシマ」など5基本スローガン.

2.17 原爆の子友の会結成式. 長田新編「原爆の子」に手記を寄せた児童生徒約 1   00人出席.

3.29 広島県教職員組合第9回定期大会.「教え子を戦場に送るな」のスローガン –30 を採択する.

4.28 対日講和条約発効.

4.30 戦傷病者戦没者遺族等援護法公布.

  1. 1 講和後初のメーデー.県下で4万人参加.広島では松川裁判の公正を求める   緊急動議可決.会場に原爆の惨状を描いた絵や写真 100枚近くを展示.

6.15 峠三吉「原爆詩集」(青木文庫)を刊行.

  1. 9 大山郁夫を迎えた広島市児童文化会館で平和講演会.聴衆3000人.アジアの   不戦を強調.

7.13 広島平和友の会,YMCAで例会.FOR川本一郎,海田市町議法山大麓の   実相報告をうけ,海田市への火薬庫設置反対を決議.

7.14 安芸郡江田島町,賀茂郡原村,呉市の小・中学校の教員を中心に広島市雑魚   場町教育会館で基地教育の苦悩を語る会を開く.県教委,県PTA連からも   出席.基地教育対策委員会を結成.

7.15 ABCC運輸部労働組合結成.18日組合つぶしのための解雇通告. 8月 8日   ,9月 4日労組48時間ストライキ. 9月 9日妥結.

  1. 3 肥川治一郎編「原爆の子―広島の少年少女・魂の叫び」(日本労働組合総評   議会情報出版部)発刊.
  2. 6 広島地区労,平和国民大会を開催(原爆記念館前で). 800人参加.

― 同日,映画「原爆の子」(近代映画協会,民芸共同製作)試写会(広島市福   屋劇場)

― 平和記念都市建設碑(原爆慰霊碑)除幕.

― 同日,峠三吉,広島平和祭で詩「八月六日」「よびかけ」を朗読.25日「ア   カハタ」掲載.

  1. 6 「広島―戦争と都市」(岩波写真文庫)発刊.

― 「アサヒグラフ」8月6日号,「原爆被害の初公開」を特集.

8.10 原爆被害者の会発会式. 吉川清・佐伯晴代・内山正一・上松時枝・峠三吉の   5幹事を決定.

  1. 1 原爆の詩編さん委員会, 「原子雲の下より」(青木文庫)発刊.
  2. 3 イギリス, 初の原爆実験(オーストラリア領モンテベロ島).

10.12 第2回世界仏教徒会議広島大会,児童文化会館前広場に20数カ国代表 180名   参加. (13日まで)

  1. 1 アメリカ, 初の水爆装置実験(太平洋エニウェトク環礁).
  2. 3 世界連邦アジア会議, 広島市本川小学校で開催. 県労会議・原爆被害者の会 –6 ・婦人民主クラブ広島支部・新日本文学会広島支部・人民文学広島友の会な   ど17団体が大会へメッセージを寄せる.
  3. 6 パール博士, 広島ガスビルで開催の高裁・高検主催の懇談会で, アメリカが   朝鮮で細菌弾を使用していると非難.

- パール博士,原爆慰霊碑の碑文に異議をとなえる.10日, 広大雑賀教授反論11.15 「改造」, 増刊号「この原爆禍」を発刊.

11.24 日本国民救援会広島県本部, ローゼンバーグ夫妻の死刑宣告に抗議. 原爆の   戦争目的使用に抗議する署名 300をトルーマン大統領に送る.

12.12 ウィーンで諸国民平和大会(19日まで).

1953
0120 大阪弁護士会の岡本尚一, アメリカへの「原爆の損害賠償請求」を提案.
0125 第2回全国教育研究大会(高知市)で呉市立和庄小学校の教諭が「軍事基地の教育白書」を発表.
0211 広島弁護士会, 原爆投下は違法と特に国際法曹界に訴えることを決定.
0211 平和と学問を守る大学人の会発会式.
0222 広島子どもを守る会発会式.
0310 峠三吉死亡. 享年36才. 同月15日に民主団体合同葬.
0314 県労・広島地区労共催で平和擁護労働者総決起大会. 1300人参加(児童文化会館)長田新の講演「軍事学からみた第3次世界大戦の危機」.
0521 日教組製作原爆映画「ひろしま」撮影開始.
0522 中国帰国者大会, 広島市教育会館に約70人参加. 出席者を中心に日中友好協会支部をつくることを決める.
0523 国際医師会議(25日までウィーンで). 草野信男が原爆症について講演.
0623 全国共同募金で原爆傷害者治療費募金を決定.
0801 世界平和評議会から平和擁護日本委員会へ広島平和国民大会(8・6),全九州平和大会(8・9)の成功を願う祝電が届く.
0906 原爆8周年記念広島平和国民大会,広島市民広場に県内・全国から7600名参加. 原爆など大量殺人兵器の禁止, 再軍備反対, 基地撤去などのスローガン決定. 市内デモ.
 「アカハタ」,「原爆おとされて八年」を特集.
0809 大沢幹夫作・演出「原爆の子」, 広島市児童文化会館で上演.
0810  映画「ひろしま」, 東京・広島・長崎で完成試写会.
0812  ソ連, 初の水爆実験(中央アジア).
0815 呉市公民館で「原爆の図」展覧会(17日まで). 市民の10%約2万人が観覧10頃  映画「ひろしま」空前の観客を動員. 呉・福山・三原・広島で計15万 8千人

広島市立第一高等女学校原爆慰霊碑(平和塔)

広島市立第一高等女学校原爆慰霊碑(平和塔)

建立年月日:1948(昭和23)年8月6日
場所:広島市中区中島町・平和大橋西詰
(裏面)
友垣に まもられなから やすらかに ねむれみたまよ このくさ山に

昭和廿三年八月六日
宮川雅臣
〔説明板〕(正面)(原文左横書)
広島市立高女 原爆慰霊碑
(裏面)
この碑は昭和廿年八月六日八時十五分この地附近で家屋疎開作業中原爆に遭って全員殉職した広島市立第一高等女学校報国隊職員生徒六七九柱の霊を弔うため、遺族会が昭和廿三年忌日母校校庭に建立同卅二年十三回忌に現地に移したものである。
碑面の浮彫は河内山覚祐氏の作で、国家の難に挺身した可憐な生徒たちを「あなたは原子力(E=MC*)の世界最初の犠牲として人類文化発展の尊い人柱となったのです」と慰めている姿をあらわしている。

秘録大東亜戦史 原爆国内篇

『秘録大東亜戦史 原爆国内篇』(田村吉雄編、富士書苑、19531110)

内容

見出し 著者 メモ
口絵
昭和20年8月6日 原子爆弾、広島に爆発の一瞬  広島原子雲
B29の翼の下に 長崎原子雲
悪夢を綴って 平和に祈る子(長崎)
009 北辺の悲劇 森川勇作 北海道新聞社社会部次長
028 霧の中の死闘 山口武光 北海道新聞社旭川支社
044 敗戦への道 三沢重美 北海道新聞社遠軽支局長
050 北海道戦争末期図絵 森川勇作 北海道新聞社社会部次長
079 予告された空襲 本多徳治 ラジオ青森編成局長
085 猛火に崩れた仙台 佐藤英敏 河北新報社社会部
095 ああ、この惨禍 高橋清一 栃木新聞社編集局次長
098 記者ざんげ 河合栄 朝日新聞社弘前支局
103 女子挺身隊 五十嵐清江 朝日新聞社企画部
108 東京の表情 野村正男 朝日新聞社社会部
122 松代大本営異聞 河合栄 朝日新聞社弘前支局
126 山本元帥の墓碑 成沢猛 新潟日報長岡支局編集局長
131 金鯱炎上 中越富雄 中部日本新聞社社会部次長
142 雨の面会日 宍倉恒孝 朝日新聞社社会部次長
149 古都洛陽の紙爆弾 後藤明 京都新聞社編集局次長
155 焼都大阪 金子喜三 朝日新聞社調査研究室
168 岡山戦災記 谷竜太郎 山陽新聞社顧問
172 殉難の乙女二十二柱 石田晃 愛媛新聞社報道部
183 呪われし空襲 鶴田敬一 西日本新聞社文化部次長
195 壊滅した鹿児島市 川越政則 南日本新聞社論説委員
204 槍奇譚 鈴木正七 日本新聞協会事業課
215 赤い砲火を浴びて 藤井康吉 北海道新聞社連絡部長
226 鉄扉をくぐる 星野竜猪 元樺太新聞社編集局次長
242 第三十二軍壊滅す 富田祐行 日本文化放送協会製作部長
272 曼珠沙華ー原子雲の下の広島 中村敏 共同通信社整理部次長
空襲解除/紅蓮の焔/竜巻―黒い雨/(絵)自転車に無電気をくくりつけ広島へ/火傷者の群/合掌…/猛火のそと/可部街道/ピカッドン/(絵)原爆第一報を送るべく電話機をつかんだ/第一報、十七万/虫も鳴かない/信じられない第一報/算を乱す老兵/運命の酒/(絵)にぎり飯を口にした皆の頬に涙が流れた/体験者たち/屍の川/(絵)猛火に追われて川べりに集まる半裸の人々/白骨の父母/すすり泣き/(絵)変り果てた父のまわりを赤ん坊は無心に這い/一本の注射液/友の屍を焼く/大本営発表/収容所/悪魔の正体/(写真)石垣だけ残った広島城/裸の参謀長/(絵)全身繃帯した参謀長はテントの中で敗戦を/横穴陣地/(写真)形のみ残った産業奨励館/応援/合宿/(絵)明治時代そのままの新聞社が出現した/第二弾/トルーマン放送/政府の抗議/ソ連の参戦/真っ赤な太陽/平和の詔勅/建設そして絶望/神は許さない/
311 歴史の終焉―八月六日の悲劇 大下春男 中国新聞社調査部長
時に八時十五分/地獄図絵さながら/(絵)客車の中は重傷者でいっぱいだった/火の海を行く/燃える木材、飛び散る米/累々たる死屍/(図)広島市被害図―7万の家屋と26万の人命を一瞬に失い16万の傷者を出した広島市の被害区域/街を呑む紅蓮の焔/無電で代替紙の依頼/(絵)倒れた家から火がふき助けを求める声がする/必死に消火に努む/口伝隊の編成/青い火柱のたつ街/肉親者、地獄の生別/無謀な避難阻止/七十年死滅説/責任を回避する米人/人間モルモット/原爆投下状況/(写真)今なお残る階段の跡/いたまし、戦争の惨禍/
327 原子雲の下(長崎原爆) 熊倉一夫 読売新聞社神戸支局長
//(絵)//ピカドンの名付け親/(絵)///(写真)猛火におびえる市民《松重美人撮影・御幸橋写真》//////////////////////
340 私は生きていた(長崎) 田崎八重子
   勤労挺身の乙女///////////

 

年表:原爆展(1953年)

年表:原爆展(1953年)

記事
01 ? 丸木・赤松夫妻の「原爆の図」、国際平和賞を受賞。
01 02 秩父農業高校、原爆展を開催(アカハタ)。
01 15 長崎市教委ほか21団体、赤松俊子・丸木位里「原爆の図展」を長崎市労働会館で開催(~18日)。15日、3000名が入場。18日までに1万名を突破。会期を19日まで延期(長崎日々)。
03 18 長崎原爆の図展実行委員会、赤松俊子・丸木位里を招き、労働会館で長崎平和を守る会の結成大会を開催。(長崎日々3.13)
04 10 YMCA奉仕グループの河本一郎らの努力により釧路市労働会館で原爆展。以後、北海道各地に巡回(1953.7.4朝日新聞)。
07 10 山口大学講堂で原爆図展。3日間。
07 10 山口大学講堂で原爆図展開催(3日間)。(アカハタ)。
08 07 中国新聞社、「ノー・モア・ヒロシマズ原爆画展」を東京日本橋白木屋で開催(-12日)。福井芳郎の記録画を展示。
08 09 広島市・朝日ホールで丸木・赤松「原爆の図」展を開催(-13日)。(朝日新聞)
08 15 呉市公民館で「原爆の図」展覧会(17日まで).市民の10%約2万人が観覧

 

広島市平和記念式典(1953年)における内閣総理大臣のメッセージ

内閣総理大臣のメッセージ
1953(昭和28).8.6
メッセージ

本日ここに,広島市原爆死没者慰霊式並びに平和記念式を厳修されるに当り,謹んで諸霊の冥福を祈ると共に,平和都市建設の理想を実現されつつある,広島市市民諸君の御努力に対し,深甚の敬意を表すものであります。

世界の平和を目指して,民主主義に基く文化国家を建設することは,わが国憲法の理想とするところであり,われわれ国民の進むべき目標であります。新しい広島市の建設も,この意味においてわが国の理想を世界に闡明せんとするものであり,広島市の成長は平和的文化的の日本国家の成長を表徴するものであります。身を以て尊い平和の礎となられた地下の諸霊も民主日本の成長発展をのぞみ見らるるものと信してうたがいません。

この式典にあたり,私は謹んで原爆死没者各位の冥福を祈り,またその遺家族諸子の労苦に対し深く同情の意を表し,再びかかる大いなる不幸の繰り返されることのないよう祈念するものであります。

昭和二十八年八月六日

内閣総理大臣 吉田茂

〔広島市役所蔵〕

岡本尚一『原爆民訴或問』(抄)(1953年5月)

岡本尚一『原爆民訴或問』(抄)(1953年5月)

「拝啓 人類と文明の為一書を敬呈することを御許し下さいませ。

私は昭和21年6月から2年有半に亘り東京に於ける極東国際軍事裁判に主任弁護人の一人として参加していました。其間終始私の念頭にありましたことは、戦勝国側の極めて重大な国際法違反が勝てるが故に何等その責任を問われない不公正でありました。然し私は、講和条約が発効した暁には、戦勝国側の指導者から広島・長崎に対する原爆投下については、悔恨の情を披瀝されるであらうと心ひそかに期待しつづけてきたものであります。

然るに、それより既に1ケ年を経た今日に於て、未だかかる言葉の片鱗だに聞くことを得ないのであります。

これが基督教を以て普遍的な宗教となし、ヒューマニズムを以て民主主義の基調とする米国・英国の態度であることは遺憾の極みであります。私は当時から講和条約が発効した後においては、尠くとも広島及び長崎に対する原爆の投下についてはこの責任を民事不法行為の面において採りあげて原爆投下の決定に参与した指導者及び国家に対して不法行為の管轄裁判所に対し提訴致し度いと念願し、これを親友にも語ってまいりました。(後略)」

 

月日 事項
1953年
01  16、17両日広島市在住弁護士46名長崎市在住弁護士18名に「主要関係研究事項」を付して原爆損害民訴提起の可能提唱の書面を郵送。又同じ頃弁護士、学者、宗教家等の知友その他64名に同一書面を郵送
0120  印度最大の新聞タイムズ・オブ・インディアの東京特派員(前本社副編輯長) N・G・ナンポリア氏来訪、岡本提唱の内容及び進行の予定について3時間に渉って質問、即夜徹夜して長文の記事原稿をタイプし空輸
0124  朝日新聞大阪本社社会部記者平野一郎氏来訪相当質問して取材
0128  朝日新聞7面中央に別枠で岡本提唱の記事掲載、又BKニュース放送
0130  UP通信員藤本博氏来訪。印度ではタイムズ・オブ・インディアその他の新聞の記事によってセンセーションを起しているので取材に来たという。同時にUP東京支局から電話で質問があった。
0131 人類愛善新聞記者長掛芳介氏来訪
0201 英文毎日に岡本提唱及び其の論拠を報じた
0221  1月31日付広島市内発行の法廷新聞は第1面を埋める記事を掲げ広島弁護士会はこの問題で2月11日臨時総会開催を報じた
0203 UP藤本博氏来訪。
0203 毎日新聞7面に「原爆投下に賠償請求」と題して広島、長崎弁護士会では岡本提唱がきっかけとなって右損害賠償請求訴訟の具体的研究にのりだしたことを報じ た。
0204 英文毎日は広島弁護士会総会開催その他の反響を報じた
0118~0201  原爆被害者その他から感謝激励の電信書面葉書来る。自宅への電報配達人は感謝激励の言葉を添えて送達紙を手渡した。被害者の手紙は一つ一つ泣かされる。
0206 原爆損害民訴の主要法律関係研究事項について一応卑見を原爆民訴或問と題して簡単な問答体に書き上げた書面を広島弁護士会員全部その他に郵送
0207  中国新聞によれば長崎弁護士会も立上り2月10日全員協議会を開く
0209 ナンポリア氏の令兄から記事掲載のタイムズ・オブ・インディアを届けらる。見出しには「日本弁護士原爆訴訟を計画す。トルーマン氏は被告名簿の一人」 とあり正確な好意ある立場での報道である。
0211  産経によれば10日開催の長崎弁護士会全員協議会では広島弁護士会と連絡提携し21日開催の日本弁護士連合会(常任理事会)に本問題の研究と善処方を要望する正式議案を提出することを可決した
0212  原爆民訴或問を長崎弁護士会員全部その他に郵送
0308 岡本、広島弁護士会の招請により広島に出張。特別委員諸氏と原爆訴訟の法律問題及び実行方法について懇談、又広島市庁及び原爆被害者の会訪問
0329  広島原爆被害者の会は幹事会開催原爆民訴の原告になる用意がある旨決議し、これを広島弁護士会に申入れた。
0427 岡本、長崎弁護士会に出張。同会員諸氏と原爆訴訟の法律問題及び実行方法について懇談

 

 

編年資料:ヒロシマ-1953年

編年資料:ヒロシマ-1953年

月日 資料名
0125 志條みよ子「『原爆文学』について」(「中国新聞(夕刊)」)
0218 長崎原爆傷害者治療対策協議会結成準備打合会
0308 第4回広島・長崎青年交歓会
05 岡本尚一『原爆民訴或問』(抄)(1953年5月)
0620 広島市社会課の原爆犠牲者調査結果(『中国新聞』)
0625 『原爆に生きて』目次・筆者略歴
0625 川手健の原爆被害観(「半年の足跡」、「原爆に生きて」所収)
0806 広島市平和宣言(浜井信三)
0806 内閣総理大臣のメッセージ
0806 衆・参両院議長のメッセージ
0806 広島県知事、県・市議会議長の式辞
0809 長崎市平和宣言
0815 子供を守る会の原爆孤児調査(『広島子どもを守る会々報』第1号)
09 長田新編『原爆の子にこたえて』(牧書店)
1114 原爆症調査研究協議会の設置

 

平和と学問を守る大学人の会

平和と学問を守る大学人の会
会の結成
1953(昭和28)年2月21日,広島県内の大学に教職を持つ有志約50人は,平和と学問を守る大学人の会(略称・大学人会)を結成した。結成の背景について同会会報創刊号(1953年6月1日)は次のように述べている。
昨年の破防法問題の時には,広島の大学人は結局これを見送ったのであったが,見送りながらも刻々民主々義の基盤が侵蝕され,平和が危機に曝されて行く事実を見逃すことはでぎなかったのである。さらに昨年末から本年にかけて問題となった科学技術庁案は,侵略の魔手が直接研究の現場にまで迫ってきていることを気づかせたのである。そして,このことはかって支那事変から太平洋戦争の時代にかけて,軍事科学の偏重のために人文・社会の研究は勿論,自然科学といえども,基礎的研究は経済的に圧迫されて事実上閉塞し,さらに軍国主義思想が学問の自由を破壊したという,まだ去って間もない過去の苦しい経験を,まざまざと思い起させたのである。この反省が,今度こそはわれわれ自身の手によって学問の自由を確保し,平和を擁護しなければならないという自覚を促し,その自覚がわれわれを,今,ここに結集させているのである。春秋の筆法を以てすれば,破防法に始まる悪法が--さらに遡ってサンフランシスコ条約以来の反平和的情勢が,われわれ広島の大学人会を結成させたものである。
大学人会の目的は,「平和を擁護し良心と学問自由を守ること」(規約第2条)とし,事業として,1.共同研究会の開催,2.公開講演会・公開討論会・座談会等の開催,3.本会と目的を同じくする諸団体との連絡提携などが定められた(規約第3条)。発足以後,3月末には会員数は90入に達し,5月末現在では100人を超した。
大学人会の発足当初の活動は,地味なものであったが,この会は,のちの広島の社会運動,とりわけ原水爆禁止運動・安保闘争の中で重要な役割を果すこととなる。
大学人の会の研究活動
平和と学問を守る大学人の会は,同会研究論集として『原爆と広島』(1954年12月10日),『広島の農村』(1955年7月20日)を発行し,高い評価を受けていたが,これらは同会の共同研究の成果というよりも,個人的労作を編集したものであった。1956(昭和31)年には会の共同研究を推進することを決め,石井金一郎を中心に検討がなされた。その結果,次のような計画がまとめられ,6月12日の常任委員会で承認された。
1.広島の平和運動の過去と現状及び将来の展望(世話役=今中次麿・石井)-運動実践家を囲んで運動の実態を聞く会と,研究参加会員によるその運動の評価の研究会とを交互にもって,研究をすすめる。平和運動としては原水爆禁止運動・平和憲法擁護運動・平和文学の運動等々を含めた広い運動を対象とする。
2.原子力問題(伊藤満・庄野博允)=肩のこらない軽い気持で参加できる研究会にする。原子力をめぐる各方両の問題を一つづつとりあげて懇談を行うことから出発する。自然科学部門の人と社会科学部門の人との共同研究の場にしたい。
3.日本における学問の自由=欧州の学問の自由の歴史・日本の学問の自由の歴史・大学自治の問題,現在われわれが直面している問題等々を問題としたい。
(「広島大学人会会報」NO.16)
このほか,平和文学(または国民文学)の問題を取りあげることも検討されたが,結局見送ることになった。
平和運動の研究班は,8月17日に大原亨(広島県労議長)・松江澄(平和擁護委)・棗田金治(広大自治会)から労組・学生団体の平和運動について,同月20日に円辺耕一郎・藤居平一(広島県原水協)・山口勇子(広島子供を守る会)・松江澄から原水爆禁止運動について,また,23日には米田栄作・望月久・島陽二(詩人)・佐々木豊・志木寥波(歌人)・小林健三・土谷厳郎(平和問題談話会)・桑原英昭(人類愛善会)・河本一郎(FOR友和会)・金井利博(中国新聞社記者)から宗教・文化関係の話を聞く会を開いた。この3回の懇談会の記録は,同年12月に石井金一郎により『広島の平和運動(平和運動研究班(中間報告)」としてまとめられた。同書は,「広島の平和運動研究資料一」と銘打たれていたが,1957(昭和32)年中に「同二」として『原爆被害者の歩み』(庄野博允執筆)が、また「同三」として『原爆被害者救援の動き』(佐久間澄執筆)がそれぞれ発行された。
なお,原子力の班は,討議の資料として原子力に関する自然科学・社会科学各方面にわたる国内文献目録の作成と原子力問題についての歴史年表の作成を計画,前者については,1957(昭和32)年3月に「原子力問題研究資料1原子力関係文献目録』(佐久間澄編)として発行している。