日米安全保障条約改定反対共同声明広島世話人会
平和と学問を守る大学人の会は,1959(昭和34)年7月7日の常任理事会および7月20日の理事会において,日米安全保障条約改定交渉の即時打ち切りを求める声明書の案を作成し,それを会の名において発表することについて,全会員の賛否を問うことを決定した。この声明は,152人中77人の賛成を得て7月31日に発表された。
同会有志は,11月初めには,再度声明文の発表を企画,前回よりも広い範囲の署名を集めるため,会員外の人々にも呼びかけ人(=世話人)となってもらうよう働きかけた。11月19目の第1回世話人会時点では,29人が世話人となることを承諾,12月初めには40数人の文化人・学者からなる安保改定反対共同声明広島世話人会が発足した。
世話人会の討議の結果,「一般大衆署名は他団体の運動に期待することにし,世話人会としては広島県下の文化人・学者の安保改定にたいする反対意志の表明に運動の重点をおき,その立場から全国民の運動にサポートを与えるという方針を打ち出した。12月10日には,次のような声明書を作成,48人の世話人名で共同声明への参加を呼びかけた。
昨年の秋から交渉が進められてきた新しい日米安全保障条約は,その全貌が国民に明らかにされないままに,いよいよ調印されようとしています。
この日米安全保障条約の改定にたいして私どもは日本の安全と平和,世界の平和をねがう見地から深刻な不安を感じます。
政府は今回の条約改定の目的として日本の安全と自主性の回復とをあげ,その具体的な問題として,日米共同防衛の原則を確立すること,在日米軍の配備,装備並びに出動を協議事項とすること,期限を十年にすることなどをあげています。
しかしながら,第一に,これによって日本が戦争にまきこまれる危険がかえって大きくなるばかりか,極東における国際的な緊張が緩和されないで,かえって強められる恐れがあります。合衆国が一方的に他国と紛争をひきおこしたばあい,日本はその意思いかんにかかわりなくほとんど自動的に参戦せしめられることになるでしょうし,事前協議にかんする規定も,寸秒を争うミサイル戦の時代においては事実上実効をもたないと考えられます。
第二に,これによって,原水爆禁止という日本国民全体,とくに原爆被災者である私ども広島県民の悲願が日本自身の手でふみにしられる恐れがあります。改定条約の中に,バンデンバーグ決議をもりこんだ「共同防衛」の原則が確立されることによって,当然に日本の軍事力の増強,とくに核武装が避けられないものとなるでしょう。
第三に,これによって日本国憲法と国内民主主義にさらに重大な制約が加えられる恐れがあります。この改定によって国内法上違憲の疑いのある日本の自衛隊が国際的に合法化され,ひいては「共同防衛」の原則によってその海外派兵が避けられなくなり,この面から日本国憲法改定のための突破口が開かれることが懸念されます。また,日米協議事項を定めることとひきかえに,秘密保護法がつくられる恐れもあります。
フルシチョフ・ソ連首相の訪米と来春に予定されているアイゼンハワー米大統領の訪ソ,また,国連における八十二か国の軍縮決議の可決など,急速に世界情勢が平和と軍縮に向かおうとしている今日,日本がなぜ急いでこのように多くの重大な疑点のある条約を,しかも十年間という長い期限を定めて結ばなければならないのでしょうか。このことについても私どもは納得できません。
ふたたび戦争の悲劇をくりかえさないことを念願している私どもは,以上の理由からしてこのたびの日米安全保障条約改定交渉ならびに調印は中止すべきであると考えます。
右声明致します。
この声明書は,12月25日,広島大学関係者374人をはじめ,文学者・画家・舞踊家など計531人の名前とともに発表され,内閣・国会・各政党および県内の市長・市議会議長その他諸団体に送付された。
世話人会は,共同声明発表後もひきつづき存続し,1960(昭和35)年2月28日には,広島市内専立寺において相原和光・佐久間澄を講師として安保研究集会を開催,集会終了後,参加者は平和公園原爆慰霊碑前まで静かなる行進を実施した。また,3月16日には,安保改定阻止広島県民共闘会議主催の「安保改定阻止・日中国交回復・生活と権利を守る国民大行進」に積極的に参加した。
5月19日から20日にかけての国会は,安保条約を自民党の単独で採決,これを契機に安保反対の運動は最大の盛り上がりを示すが,世話人会は,6月4日,広島キリスト者平和奉仕会・広島平和問題談話会・広島文学会・平和と学問を守る大学人の会とともに,「新安保反対,平和と民主主義を守る抗議集会および行進」を行った。