平和と学問を守る大学人の会会報第26号
1960年2月20日
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平和と学問を守る大学人の会会報第26号
1960年2月20日
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原子爆弾被爆者の医療等に関する法律改正の制定経過
昭和35年8月1日 [広島市]保健局長
1.改正医療法制定経緯
| 昭和 年 |
月日 | |
| 34 [1959] |
0904 | 幹部会同意 |
| 0907 | 厚生委員会採択 | |
| 0914 | 全員協議会了解(資料再検討) | |
| 1207 | 自民党政務調査会社会部会において政府提案とすることに決定 | |
| 1226 | 現行法予算 143,462,000 内示 | |
| 35 [1960] |
0106 | 改正法予算 43,637,000 内示 |
| 0112 | 改正法予算 56,064,000 内示 | |
| 0301 | 自民党政策審議会、総務会通過 | |
| 0302 | 閣議了解 | |
| 0303 | 国会提出 | |
| 0308 | 衆議院社会労働委員会付託 | |
| 0705 | 医療審議会了解 | |
| 0712 | 衆議院社会労働委員会 可決。 参議院社会労働委員会 予備審査終了 | |
| 0715 | 衆参両議院可決 | |
| 0720 | 改正法成立感謝会(尾崎会館) | |
| 0728 | 次官会議にて政令決定 | |
| 0801 | 公布 |
2.とくに問題となった事項の経緯
一、政府提案
当初国としては憲法の平等の原則に反するし、学問的、理論的でなく立法技術上困難があり、事務的には措置しがたいので政治的に議員立法として提案されるよう強く要望していたが、議員立法では予算措置が困難であるから灘尾先生がとくに政府提案を強く主張され、遂に政府も同意せざるをえなかった。
二、予算措置
政府提案決定後審議の時間が十分なかったので、法は抽象的に表現することとし、全て政令、省令に委ね、予算措置をとることとなった。

広島県議会意見書
原水爆実験禁止についての要望
1960年2月29日
原水爆実験禁止についての要望
理由
昭和二十年八月六日わが広島に原爆が投下されて、本年は十五年を迎えんとしているのである。われわれは、この原爆を身をもって経験したるが故に今日まで、あらゆる機会にまたあらゆる方法をもって幾度か、原爆の惨禍とその脅威をさけび、人類恒久の平和を希求する世界の諸国に、原水爆実験禁止を訴えてきたのである。
今や原水爆実験禁止は世界の常識となっているに拘らずフランスにおいては、世界の世論を無視して、去る十三日サハラサバクにおいて核実験を強行したことは、まことに遺憾のきわみである。
よって政府においては、原水爆実験の即時無条件禁止を、国連、あるいは、核実験停止会議に申し入れるとともに、原水爆保有国に実験禁止を要請する等格段の努力を要望するものである。
ドキュメント:1960年8月6日<作業中>
| できごと | 備考 |
|---|---|
| 広島県・市、原爆慰霊式ならびに平和記念式典を挙行。明仁皇太子・中山マサ厚生大臣・清瀬衆議院議長・各政党代表など参列。約4万人が参列。[天皇] | |
| とうろう流し、広島市内6つの川11か所で実施。 | |
| 原爆15周年記念総合体育大会、広島市内の22会場で開催。-7日。 | |
| 中山マサ厚生大臣、広島市内の旅館で県動員学徒犠牲者の会・県身体障害者団体連合会など県内23団体の陳情を受ける。広島市、原爆総合医療研究所の設置を要望。 | |
| 「原爆の子追悼のつどい」(第3回)、広島市平和公園の原爆の子の像の前で開催。約200人が参列。 | |
| 原爆などで死亡した消防関係者の慰霊祭、広島市比治山公園内の慰霊碑まえで開催。 | |
| 原爆犠牲者慰霊のミサ、広島市幟町の世界平和記念聖堂で開催。約200人が参列。 | |
| 広島市古田町古江婦人会、似島沖で原爆犠牲者の海上供養を実施。 | |
| 東京虎ノ門・社会事業会館で被爆15周年原爆犠牲者慰霊祭を挙行。1500人が参加。 | |
| 広島市医師会原爆殉職碑(小町・平和大通公園) | |
| 嵐の中の母子像(広島平和記念公園) | |
| 英の原水爆禁止全国青年運動のメンバー、広島原爆犠牲者追悼ミサを英首相官邸前で実施。 | |
| 広島県原水協、平和公園で、原水爆禁止県民大会を開催。約3000人が参加。 | |
| 第6回原水爆禁止世界大会本会議(第1日)、東京・千駄ケ谷の都体育館で開催。中国代表、中国総工会などから被爆者に見舞金10万元(日本貨で約1,500万円)を贈るとのメッセージを発表。 | |
| 「若い日本の会」の城山三郎・大江健三郎・開高健・桂芳久の4人、広島入り。平和式典に参加後、県教育会館で開催されたシンポジウムに出席。 | |
| 広島県三次市三次小学校の生徒約30人、広島市平和公園の「原爆の子の像」建立の契機になった佐々木禎子の墓(三次町の専法寺)に千羽鶴を捧げる。 | |
| 明仁皇太子、広島原爆病院を見舞い、ABCCを訪問。[天皇] | |
| 明仁皇太子、似島学園を慰問。原爆慰霊碑の近くに楠の記念植樹[孤児][天皇] |
広島県原水協年表(1960年)
| 月日 | 事項 | |
| 0114 | 安保改定阻止第11次統一行動. | |
|
1.22 広島県議会・市議会正副議長, 日本原水協と新日本協議会に 8月の大会の広島開催を遠慮するよう要望する声明を発表. 24日広島県原水協, 再考を要望 2.13 フランス, サハラで初の核実験. 2.25 安保改定阻止第12次統一行動. 2.28 安保反対共同声明広島世話人会主催, 研究集会・デモ. 3. 1 沖縄返還貫徹大行進を迎え, 広島県原水協・県安保共闘・県平和委員会共催のビキニ被災 6周年記念広島県民大会. 広島市児童文化会館に1500人参加. 3.10 ~16 安保改定阻止・日中国交回復・生活と権利を守る県内大行進. のべ 5 万人が行進に参加. 4. 5 安保改定阻止第14次統一行動. 4.15 安保改定阻止第15次統一行動. 5. 1 呉地区メーデー, 黄幡基地撤去のスローガンを決議. その後, 呉市議会・県議会も決議. 5.12 新安保批准阻止・岸内閣打倒・国会解散・三池闘争勝利・広島県中央集会(広島市役所横広場) 5.20 新安保批准阻止・岸内閣打倒・国会解散・三池闘争勝利・広島県中央集会(広島市役所横広場) 5.22 広島県被団協主催の原爆被害者大会. 広島市中央公民館に 600人参加. 6. 1 平和と学問を守る大学人の会, 政府・国会が世論を尊重するよう声明. 6. 2 原水爆禁止広島母の会・広島県母親連絡協議会など 8婦人団体, 安保批准阻止の共同声明. 6. 9 軍備全廃をめざす 1万キロ国民平和大行進広島市入り. 2000人が市中行進. 平和公園での歓迎集会に4000人参加. 6.10 日本原水協全国代表者会議(広島市平和記念館). 安保問題で非常事態宣言 6.11 広島市平和公園で各界県民総決起大会. 1万人参加. 広島駅前までデモ. 本川小学校で開催の新安保阻止婦人のつどい参加者 300人も合流. 6.16 東大女子学生虐殺( 6月15日)に広島市内の各労組が弔旗をかかげ抗議. 広大の学生・教官も合流. 6.23 広島平和委員会主催「国民闘争研究討論集会」. 広島平和記念館に50名参加 6.25 米軍の撤退を要求するアジア・アフリカ国際連帯行動デー. 朝鮮総連広島県本部が広島市役所横で集会. 1000名参加. 7. 2 新安保不承認・国会即時解散・不当弾圧粉砕・広島県全階層総決起大会. 平和公園に5000名参加. 広島駅前までデモ. 7.10 岩国市で新安保不承認の集会. 中国 5県から7000人参加. 基地周辺をデモ. 7.17 中央国民会議・中国 5県の安保共闘共催で池田内閣反対・新安保不承認・国会解散・不当弾圧粉砕国民大会. 呉市中央公園に中国 5県から5000人参加. 7.29 全日自労広島分会, 広島県・市の慰霊祭平和記念式が 8月 6日を単なる祈りの日に後退させる恐れがあると県・市に抗議. 8. 6 原水爆禁止広島県民大会. 平和公園に3000人参加. 8.28 広島折り鶴の会, 原爆ドーム保存署名運動を開始. 10.20 新安保反対・浅沼暗殺抗議広島県中央集会. 広島市役所横に39団体6000人余参加. 12. 1 日本原水協・中国ブロック原水協主催「原水爆禁止・被爆者激励広島大会」広島市公会堂に1400人参加. 12. 2 日本原水協, 原爆ドームの永久保存を要望. 12.10 広大わだつみの会・平和と学問を守る大学人の会, 不戦のつどいを開く. 12.18 広島県原水協, ABCCの報告「原爆被爆生存者にみられる放射能の遅発性影響」に強く反対することを決定. 12.23 |
||
| 1223 | 広島県被団協, ABCCの報告に抗議. |
『原水爆時代 現代史の証言(下)』(今堀誠二、三一書房、19600806)
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| <以下未完> | ||||
| 章 | 節 | |||
| Ⅴ | 崩れぬ平和をかえせ | |||
| あるブルジョアの一家 | ||||
| 三吉の少年時代 | ||||
| 原爆の日より | ||||
| 広島日鋼争議 | ||||
| 平和大会と「われらの詩」 | ||||
| 朝鮮戦争への抵抗 | ||||
| 砲声下の原爆詩集 | ||||
| 平和運動の組織化へ | ||||
| 美しい生涯と原爆症 | ||||
| 生きている峠三吉 | ||||
| Ⅵ | 朝鮮戦争に抗して | |||
| 1 | 原爆禁止運動の烽火 | |||
| 原爆は世界をゆるがす、歴史の暗転期1949年、公安条例の舞台裏、イールズ声明と原子戦準備、平和擁護広島大会、ヒロシマは原子兵器の廃棄を要求する、もえあがっていた市民の願い、婦人運動と原爆理解、青年運動と青年教師、歴史の重み、平和擁護東京大会も原爆禁止を要求、国際的評価について | ||||
| 2 | ストックホルム・アピール、原爆戦争にうち勝つ | |||
| 広島平和擁護委員会、牧師・教授も平和委へ、開戦前のSアピール、朝鮮戦争を企てた人、戦時下の言論統制、広島平和委の弱体化、大会を支えるもの、8・6大会の前哨戦、大会の記録、巧妙を極めた非合法集会、共産党の分裂と大会のありかた、平和擁護日本委員会、第三次大戦を防止した8・6大会、枯尾花戦争とトルーマンの原爆使用声明、ワルソー大会と世界平和評議会、平和運動、原爆使用を阻む、朝鮮戦争は天佑か、日本戦没学生記念会、立ち上がった青年団、Sアピール運動掉尾を飾る、立ち上れない労働者、労働者の意識構造、ある詩人のねがい、 | ||||
| 3 | 流星光底長蛇を逸す | |||
| マスコミへの注文、国民運動の目標、全面講和運動、ベルリンアピールをめぐって、即時停戦が必要だったのに、マ元帥の解任、朝鮮停戦交渉の舞台裏、平和運動の良心と責任、レジスタンス、平和の闘士団、署名運動と組織強化、警官包囲下の8・6大会、平和戦線とは何か、平推の消長、単独講和と二挺拳銃の平和記念祭、踏まれてもけられても、情勢判断を誤った平和運動、 | ||||
| 4 | 冬の旅を行く | |||
| Ⅶ | 人命は冷戦より尊い | |||
| 1 | 原水協のうまれるまで | |||
| ビキニ事件、原水爆にたいする国民のいかり、杉並アピール、アピール運動の性格、全国協議会の結成、原水爆禁止運動広島協議会、8・6広島平和大会、広島大会の提案、署名運動の意義、日本原水協の成立、 | ||||
| 2 | 輝かしい啓蒙-ヒロシマ大会 | |||
| 10年前と同じ時間に同じ場所で、鳩山首相の立場、アメリカ人の願い、平和を願うものと願わないもの、原爆被害者の生活と意見、アメリカ民衆との共同戦線、学者の役割、大衆のものとなった運動、禁止運動、救援運動に結びつく、基地問題と運動の進め方、歴史をになうもの、組織上での暗影、署名運動および大会の評価、 | ||||
| 3 | 原水爆戦略との対決をめざして-ナガサキ大会 | |||
| 世界を動かす原爆禁止の声、参加した人々、国際連帯の花の輪、危機は去らない、沖縄は日本を制圧するための基地でもある、渡辺千恵子氏の発言、被爆者のなやみと喜び、原子力の平和利用、運動のすすめ方、 | ||||
| 4 | フォールアウトとロケット基地にいどむアジア民族主義-第三回大会 | |||
| 地方での大会風景、国際的な予備討議、世界の期待をあつめて、演説のかずかず、失敗した議事運営、政治ととりくむ禁止運動、大会運営の問題点、高い指導と全国民の参加を、原水協の苦悩、歴史のうねり、 | ||||
| 5 | 東西の兵力引離しと日本の非核武装化のために-第四回大会 | |||
| 総選挙に敗れた原水協、ICBMは世界を変えた、欧米の運動NATOをゆるがす、核武装と国民の批判、核武装した自衛隊と米軍基地、国民生活の圧迫と被爆者の援護、日本人はアジアを見損なっている、運動の進め方の評価と反省、国際会議は成功したか、政治目標を明示した宣言と決議、原水協の強化と世界の命運、 | ||||
| 6 | 東西融和の促進と安保改訂-第五回大会 | |||
| 原水爆時代のマニュフェスト、大衆は平和行進と大会を支持した、自民党と右翼のおもわく、大会内部の右翼的偏向、大会における左翼的偏向、東西融和の具体策を欠く、 | ||||
| 7 | 世界大会への批判と妨害と謀略-一部外国代表の思想と行動 | |||
| ヤング卿らの脱退劇、理由は無理に作られた、ものにならなかったスクープ、第三回大会の妨害者、第四回大会の妨害はなぜおこったか、第五回大会の工作者と同調者、大会と朝鮮人 | ||||
| Ⅷ | 新紀元は始まる | |||
| 一発で地球を全滅させる爆弾、戦争の準備をはじめた平和産業、日本と沖縄の核武装はすすむ、安保条約は朝鮮戦争の落とし子、新安保はアメリカの要求、新安保に託する岸・藤山の夢、アジアは新安保に反対する、頂上会談はなぜ流れたか、新安保の国会採決は冷戦激化の謀略、冷戦を終らせる道、ヒロシマの十字架から新紀元は始まる | ||||
| あとがき | ||||
| 上巻は庶民の動きを中心として叙述を進めた。 下巻もそのつもりで草稿をまとめ、朝鮮戦争以後における原爆被災者・青少年・婦人・学者・ジャーナリスト・芸術家(美術・文学・演劇)・労働者・農民・漁民などが、どんな役割を果たしてきたかをあとづけるつもりだった。 |
||||
| 運動の発展をみつめるとともに、それを妨げる社会の壁を、写し出すことが、ねらいとなっていた。 | ||||
| しかし、安保問題の発展につれて、この計画は根本的に変更せねばならなくなった原水爆禁止運動は、国際政治の変転につれて、重大な段階にさしかかり、国内政治の面でも、高度の政治性を帯びるに至ったので、庶民の動きという間接描写の方法では、焦眉の問題に焦点を合せることが、出来なくなってしまった。 | ||||
| 今からの一、二年間は、原水爆時代を終らせるチャンスであるとともに、原水爆戦争のピンチともいえる。 | ||||
| 本書が政治技術を中心として、運動の展開をあとづけることにしたのは、正しい政治路線の発見に、ささやかながらも資料を提供したいと考えたからである。 | ||||
『原水爆時代 現代史の証言(下)』(今堀誠二、三一書房、19600806)
| 章 | 節 | |||
| Ⅴ | 崩れぬ平和をかえせ | |||
| あるブルジョアの一家 | ||||
| 三吉の少年時代 | ||||
| 原爆の日より | ||||
| 広島日鋼争議 | ||||
| 平和大会と「われらの詩」 | ||||
| 朝鮮戦争への抵抗 | ||||
| 砲声下の原爆詩集 | ||||
| 平和運動の組織化へ | ||||
| 美しい生涯と原爆症 | ||||
| 生きている峠三吉 | ||||
| Ⅵ | 朝鮮戦争に抗して | |||
| 1 | 原爆禁止運動の烽火 | |||
| 原爆は世界をゆるがす、歴史の暗転期1949年、公安条例の舞台裏、イールズ声明と原子戦準備、平和擁護広島大会、ヒロシマは原子兵器の廃棄を要求する、もえあがっていた市民の願い、婦人運動と原爆理解、青年運動と青年教師、歴史の重み、平和擁護東京大会も原爆禁止を要求、国際的評価について | ||||
| 2 | ストックホルム・アピール、原爆戦争にうち勝つ | |||
| 広島平和擁護委員会、牧師・教授も平和委へ、開戦前のSアピール、朝鮮戦争を企てた人、戦時下の言論統制、広島平和委の弱体化、大会を支えるもの、8・6大会の前哨戦、大会の記録、巧妙を極めた非合法集会、共産党の分裂と大会のありかた、平和擁護日本委員会、第三次大戦を防止した8・6大会、枯尾花戦争とトルーマンの原爆使用声明、ワルソー大会と世界平和評議会、平和運動、原爆使用を阻む、朝鮮戦争は天佑か、日本戦没学生記念会、立ち上がった青年団、Sアピール運動掉尾を飾る、立ち上れない労働者、労働者の意識構造、ある詩人のねがい、 | ||||
| 3 | 流星光底長蛇を逸す | |||
| マスコミへの注文、国民運動の目標、全面講和運動、ベルリンアピールをめぐって、即時停戦が必要だったのに、マ元帥の解任、朝鮮停戦交渉の舞台裏、平和運動の良心と責任、レジスタンス、平和の闘士団、署名運動と組織強化、警官包囲下の8・6大会、平和戦線とは何か、平推の消長、単独講和と二挺拳銃の平和記念祭、踏まれてもけられても、情勢判断を誤った平和運動、 | ||||
| 4 | 冬の旅を行く | |||
| Ⅶ | 人命は冷戦より尊い | |||
| 1 | 原水協のうまれるまで | |||
| ビキニ事件、原水爆にたいする国民のいかり、杉並アピール、アピール運動の性格、全国協議会の結成、原水爆禁止運動広島協議会、8・6広島平和大会、広島大会の提案、署名運動の意義、日本原水協の成立、 | ||||
| 2 | 輝かしい啓蒙-ヒロシマ大会 | |||
| 10年前と同じ時間に同じ場所で、鳩山首相の立場、アメリカ人の願い、平和を願うものと願わないもの、原爆被害者の生活と意見、アメリカ民衆との共同戦線、学者の役割、大衆のものとなった運動、禁止運動、救援運動に結びつく、基地問題と運動の進め方、歴史をになうもの、組織上での暗影、署名運動および大会の評価、 | ||||
| 3 | 原水爆戦略との対決をめざして-ナガサキ大会 | |||
| 世界を動かす原爆禁止の声、参加した人々、国際連帯の花の輪、危機は去らない、沖縄は日本を制圧するための基地でもある、渡辺千恵子氏の発言、被爆者のなやみと喜び、原子力の平和利用、運動のすすめ方、 | ||||
| 4 | フォールアウトとロケット基地にいどむアジア民族主義-第三回大会 | |||
| 地方での大会風景、国際的な予備討議、世界の期待をあつめて、演説のかずかず、失敗した議事運営、政治ととりくむ禁止運動、大会運営の問題点、高い指導と全国民の参加を、原水協の苦悩、歴史のうねり、 | ||||
| 5 | 東西の兵力引離しと日本の非核武装化のために-第四回大会 | |||
| 総選挙に敗れた原水協、ICBMは世界を変えた、欧米の運動NATOをゆるがす、核武装と国民の批判、核武装した自衛隊と米軍基地、国民生活の圧迫と被爆者の援護、日本人はアジアを見損なっている、運動の進め方の評価と反省、国際会議は成功したか、政治目標を明示した宣言と決議、原水協の強化と世界の命運、 | ||||
| 6 | 東西融和の促進と安保改訂-第五回大会 | |||
| 原水爆時代のマニュフェスト、大衆は平和行進と大会を支持した、自民党と右翼のおもわく、大会内部の右翼的偏向、大会における左翼的偏向、東西融和の具体策を欠く、 | ||||
| 7 | 世界大会への批判と妨害と謀略-一部外国代表の思想と行動 | |||
| ヤング卿らの脱退劇、理由は無理に作られた、ものにならなかったスクープ、第三回大会の妨害者、第四回大会の妨害はなぜおこったか、第五回大会の工作者と同調者、大会と朝鮮人 | ||||
| Ⅷ | 新紀元は始まる | |||
| 一発で地球を全滅させる爆弾、戦争の準備をはじめた平和産業、日本と沖縄の核武装はすすむ、安保条約は朝鮮戦争の落とし子、新安保はアメリカの要求、新安保に託する岸・藤山の夢、アジアは新安保に反対する、頂上会談はなぜ流れたか、新安保の国会採決は冷戦激化の謀略、冷戦を終らせる道、ヒロシマの十字架から新紀元は始まる | ||||
| あとがき | ||||
| 上巻は庶民の動きを中心として叙述を進めた。 下巻もそのつもりで草稿をまとめ、朝鮮戦争以後における原爆被災者・青少年・婦人・学者・ジャーナリスト・芸術家(美術・文学・演劇)・労働者・農民・漁民などが、どんな役割を果たしてきたかをあとづけるつもりだった。 |
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| 運動の発展をみつめるとともに、それを妨げる社会の壁を、写し出すことが、ねらいとなっていた。 | ||||
| しかし、安保問題の発展につれて、この計画は根本的に変更せねばならなくなった原水爆禁止運動は、国際政治の変転につれて、重大な段階にさしかかり、国内政治の面でも、高度の政治性を帯びるに至ったので、庶民の動きという間接描写の方法では、焦眉の問題に焦点を合せることが、出来なくなってしまった。 | ||||
| 今からの一、二年間は、原水爆時代を終らせるチャンスであるとともに、原水爆戦争のピンチともいえる。 | ||||
| 本書が政治技術を中心として、運動の展開をあとづけることにしたのは、正しい政治路線の発見に、ささやかながらも資料を提供したいと考えたからである。 | ||||
『ヒロシマ・1960 永田登三写真集』(永田登三、パトリア書店、19600805 )
| まえがき | ユンク | |
| 1 | ある女教師 | |
| 2 | ある女事務員 | |
| 3 | ある漁夫 | |
| 4 | ある夫婦 | |
| 5 | ある老サラリーマンの一家 | |
| 6 | ある老夫婦 | |
| 7 | ある老婆. | |
| 8 | わたしらには戦後はない. | |
| あとがき | 永田登三 |
年表:平和教育(~1960)
| 年 | 月 | 日 | 事項 |
| 1950 | 10 | 26 | 三原市西小学校、修学旅行で広島を訪問。原爆孤児にと630円を中国新聞社に寄託。 |
| 1951 | 04 | 05 | 順宮・清宮、修学旅行の途次、広島入り。供養塔、原爆記念館、御便殿、ABCCなどを視察。[天皇] |
| 51 | 06 | 29? | 広島市教育委員会、市内小中学校在学中の孤児71人の境遇調査結果まとめる。原爆で父を失った者は、小学校25.8%・中学校32.9%、母を失った者小学校30.6%・中学校34.9%。 |
| 51 | 08 | 17? | 広島市教育委員会、5月に調査した市内小中学生の身体検査の結果を公表。被爆児童と非被爆児童の間に身長・体重・胸囲とも差がないことが判明。 |
| 51 | 11 | 02 | 長崎市立城山小学校子供会、第2回平和記念式を「あの子らの碑」前で開催。 |
| 51 | 11 | 22 | 広島市教育委員会、原爆犠牲学徒・教職員数を調査、犠牲者9505人と発表。 |
| 1952 | 02 | 25 | 長崎市立山里小学校、自主教育研究会に合わせて「永井博士と浦上の子ら」遺品展を開催。 |
| 52 | 03 | 04 | 長崎市立城山小学校、教育心理学専門家を招き、原爆学級編成について協議。 |
| 52 | 03 | 08 | 長崎市立城山小学校、同校入学予定児童の身体検査を実施。うち、原爆被災児童36名に対しては別個に知能検査を実施。 |
| 52 | 04 | 04 | 長崎市立城山小学校入学式。新入学児童259人(うち被爆児童40人)を対象に原爆学級2クラスを編成。 |
| 52 | 04 | 07 | 広島の原爆当日に生まれた3人、小学校に入学。 |
| 52 | 08 | 08 | 広島市の児童・生徒代表2人、長崎市平和祈年祭に出席のため長崎入り。 |
| 52 | 08 | 10 | 長崎市城山小学校で広島の生徒を迎えて被爆児童座談会を開催。 |
| 52 | 11 | 01 | 長崎市山里小学校、5年生以上の児童約600名で「あの子らの碑」第3回設立記念式を開催。 |
| 1953 | 02 | 26 | 長崎城山小学校、原爆学級開設(1952年4月)から1年間の研究発表会を開催。関係者約50名が参加。被爆児(183人)は知能が劣る、疲労回復が遅い、普通児より胸囲が小さい、などの結果が報告される(長崎日々) |
| 53 | 02 | 27 | 長崎市城山小学校教諭道口マチ子、冊子「原爆児の記録」をまとめる(長崎日々)。 |
| 53 | 03 | 05? | 長崎大学医学部小児科教室、城山小学校の原爆児の知能調査に関連し、4月から医学的調査を2年計画で実施することを決定。(長崎日々) |
| 53 | 08 | 05 | 広島市己斐小学校、「平和のつどい」を開催。4年生以上600名の児童が平和への誓いを新たにするとともに、校内72名の原爆孤児たちを慰める。 |
| 53 | 10 | 19 | 大阪府教育委員会、映画「ひろしま」を教育映画として推薦しないことを決める。 |
| 1954 | 11 | 02 | 長崎市山里小学校、「あの子らの碑」設立5周年記念式を開催。約1000人が参列。(長崎日々) |
| 1955 | 03 | 22 | 広島大学附属東千田中学校、1954年4月から実施したユネスコ実験教育「原爆と平和」の結果をまとめる。 |
| 55 | 06 | 16 | 広島市PTA連合会、本年度事業計画として原爆被害児童の健康管理実施など決定。 |
| 55 | 08 | 06 | 長崎市教組・県高教組、平和教育研究集会を国際文化会館で開催(~9日)。九州各県から約700人が参加。清水幾太郎が講演。(長崎日々) |
| 55 | 11 | 02 | 長崎市立山里小学校、あの子らの碑設立6周年平和祈念式を挙行。同校生徒約2000名が参列。平和の誓いを宣言。(長崎日々) |
| 1956 | 01 | 21 | 広島市・幟町中学校2年佐々木雅弘(禎子兄)、同1年万代紀子(禎子友人)、原爆症で死亡した佐々木禎子をテーマに県下中学校弁論大会に出場、それぞれ2位・1位に入選。(毎日新聞) |
| 56 | 04 | 18 | 修学旅行中の名古屋市の淑徳高校生徒10人、広島赤十字病院の原爆症患者を見舞う。(朝日新聞) |
| 56 | 05 | 30 | 平和を築く児童生徒の会、広島市での全国連合小学校長会で、原爆の子の像建設趣意書を配布し、協力を要請。(読売新聞) |
| 56 | 05 | 30 | 第8回全国連合小学校長会、広島市で開催(-31日)。 |
| 56 | 07 | 13 | 長崎市内小中学校長理事会、勝山小学校で開催。全校生徒に原水爆禁止世界大会のため白バラ募金に協力させることを申し合わせる。(長崎日々) |
| 56 | 07 | 14 | 「平和をきずく児童生徒の会」、総会開催(約100人参加)。原爆の子の像建設募金は150万円を達成。原爆障害者慰問などについて打ち合せ。(毎日新聞) |
| 56 | 08 | 06 | 名古屋市淑徳高校生徒、原爆症患者にと慰問品を寄贈。今年で3年目。(朝日新聞) |
| 56 | 11 | 07 | 広島女子商学園生徒、広島原爆病院を慰問。(読売新聞) |
| 1957 | 04 | 23 | 愛知淑徳高校の生徒代表4人,修学旅行の途中に広島原爆病院を慰問. |
| 57 | 07 | 05? | 長崎市城山小学校の原爆学級をテ-マとした教育映画「長崎の子」(共同映画社)、完成。 |
| 57 | 08 | 09 | 長崎市城山小学校、平和祈念式を挙行。 |
| 57 | 11 | 05 | 広島市内の私立崇徳高校の教員・生徒308名、九州一周旅行の帰途、長崎の原爆公園で犠牲者に献花し、誓いの言葉をささげる。 |
| 1958 | 02 | 15 | 核兵器禁止高校生連絡協議会、核兵器禁止高校生集会を東京神田・教育会館で開催。都内・神奈川・埼玉から約300人が参加。 |
| 58 | 03 | 02 | 巣立ちゆく原爆学級の子ら すくすく成長 普通の子より成績よい |
| 58 | 03 | 20 | 長崎県内の小学校で卒業式。長崎市城山小学校でも原爆の子ら36人が卒業。 |
| 58 | 03 | 30 | 兵庫県伊丹高校の修学旅行生、生徒から集めた被爆者への見舞金5,000円を長崎日日新聞社に届ける。 |
| 58 | 06 | 17 | 名古屋市の椙山高校3年生230人の女子学生、修学旅行で長崎入りし、原爆病院の入院患者を慰問。 |
| 58 | 10 | 22 | 高知大学教育学部附属中学校3年生の修学旅行生一行110人、長崎入り。平和公園の祈念像前で黙祷・「原爆許すまじ」合唱の後、被爆者の体験談を聞く。代表10人が原爆病院に折鶴を届ける。 |
| 58 | 11 | 03 | 京浜女子短期大学附属高校の生徒3人、修学旅行の途中、長崎日日新聞社に原爆病院入院患者あての千羽鶴を寄託。 |
| 1959 | 06 | 13 | 東京の私立大妻女子高校の修学旅行生約500人、広島市平和記念公園の「原爆の子の像」に千羽鶴を捧げる。 |
| 59 | 06 | 20 | 長崎県小長井中学1年2組の代表5人、原爆病院への千羽鶴5箱を西日本新聞諌早支局に寄託(「西日本」) |
| 59 | 07 | 07 | 広島県教組、広島市内で委員会を開催。-8日。8月6日に夏休暇中の児童・生徒を招集し、学校毎に「平和の祈り」を捧げることなどを協議。 |
| 59 | 07 | 25 | 長野大学附属小学校生徒ら5人、千羽鶴を広島市に送る。映画「千羽鶴」を見たのが契機。 |
| 59 | 08 | 09 | 長崎市城山小学校、校庭で慰霊祭を挙行。在校生1470人が参列。(「西日本」) |
| 59 | 08 | 09 | 長崎市純心女子学園演劇部30人、原爆リズム劇「白い雲のかげに」を同校講堂で上演(「西日本」) |
| 1960 | 04 | 30 | 宮崎西中学校修学旅行団(340人)、千羽鶴を長崎原爆病院の患者に届ける。 |
| 60 | 08 | 06 | 広島県三次市三次小学校の生徒約30人、広島市平和公園の「原爆の子の像」建立の契機になった佐々木禎子の墓(三次町の専法寺)に千羽鶴を捧げる。 |
| 67 | 06 | 20 | 広島女学院大学で学生対象に原爆特別講座始まる。テーマ「八月六日の意味するもの」。同大宗教委主催 |
『わたしたちの広島市』(広島市小学校社会科研究会(編集・執筆、金子廉(監修)、19600401)
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| 初版19600415 | 19720401発行 | 19750401発行 |
| 中国書店発行 | 児童図書出版社(取扱) | |
| 宇吹蔵 | ピカ研蔵 | |
広島大学新聞(100号)発行者:広島大学新聞会 発行年月日19601210
| 著者 | タイトル |
| 論説委員会 | □巻頭言□ 学生新聞と中立 |
| 特集・教育の危機を考える | |
| 長田新 | 国民教育の大道 |
| ■座談会■ 教育をわたしたちの手に=国民教育と学生の課題を追って= | |
| 佐藤正夫・横山富子・藤井敏彦・池岡修身・吉本 均・篠原孝義・飛石多恵子(司会)編集部 | |
| 高階近穂 | 第五回中四国教育ゼミ統一テーマ解説「国民教育と学生の任務」 |
| 石井金一郎 | うれうべき教科書 |
| カンカンガクガク☆尚志会をめぐって☆ | |
| 荘司雅子 | 学閥物語 |
| 伊東隆夫 | 尚志会の新しい道 |
| 森戸辰男 | 大学教育における科学と人文 |
| 広大生はこう考える | |
| 数字にみる私達の意見・社会意識調査報告 | |
| 矢田部文吉 | 私の分析「奇妙な全学連分裂問題」 |
| 私と生活と意見(アルバム、研究室、課外活動、学生運動の中から) | |
| グラビア 分校よどこへ行く? | |
| ★東雲、福山、深安、三原分校探訪★ | |
| 研究室の課題(13)広大理論物理研究所(竹原市) | |
| 広大レポート「厚生施設の現状と問題点」 | |
| [窓]自然科学・スポーツ・映画・文学・マスコミ・音楽 | |
| ■シンポジュウム・安保斗争の教訓 | |
| 岡本 進 | 問題提起1 労働者階級の果たした役割と評価について |
| 千葉喬之 | 問題提起2 学生の先駆性と既成指導部の誤謬 |
| 村上哲得 | 問題提起3“平和共存ナンセンス論”に対する批判 |
| 前芝確三・手島正毅 | 総括〈対談〉“情勢の正しい認識を” |
| え・山部ただお 文・S・N記者 | 学園戯画 嗚呼!広大生 |
| 新刊書評 | |
| 松富弘志 | 現代史研究会編著「戦後日本の国家権力」 |
| 松崎 徹 | 今掘誠二著「原水爆時代」(下) |
| 為貞貞人 | 森戸辰男著「日本教育の回顧と展望」 |
| 塩見 浩 | 松崎寿和著「新黄土地帯」 |
| あれからどうなった?(教養移転・サークル協議会・スパイ事件・公安条例問題) | |
| 広大新聞一〇〇号のあゆみ | |
| ★広大新聞創刊号紹介 | |
| 尾形幸雄 | ★創刊のころ |
| 連載 フェニックス | |
| 真下三郎 | メシの種 |
| 赤木仁兵衛 | 研究者魂 |
| ☆創刊一〇〇号記念懸賞応募作品入選発表☆ | |
| 評論部門(選後評・伊藤満氏、今掘誠二氏) | |
| 創作部門(選後評・詩・深川宗俊氏、小説・羽白幸雄氏) | |
| 入選作品 | |
| 菅瀬 実 | 詩・サハラ |
| 山田夏樹 | 小説・穴ぐら |
| 山下梅子 | 評論・忘れられた学生としての視角 |
| 佐久間澄 | 選後評 |
若い広島の会
1960年5月24日 中国新聞ビルで発会式を開催。(『中国新聞』5月25日)
| 年月日 | 事項<出典:機関誌『若い広島 第1号』、『同2号』> | |
| 19600524 | 午後6時より中国新聞下ライオンにて第1回会合。25名出席。司会、小久保均。「若い広島の会」趣旨を説明(松元寛)、質疑応答。8月6日を期して夏季研究集会をもつことの提起などあり。 | |
| 19600609 | 東京の「若い日本の会」主催の民主主義をまもるための抗議集会(6月11日予定)に会よりメッセージをよせられたいというよびかけがあり、電話連絡のとれる限りの人々に賛同を得てメッセージを起草、東京の桂芳久氏に送り、同時に会員へも発送、こちらでも6月11日に集会を持つこととして連絡。 | |
| 19600611 | 午後1時より、モンブラン3階にて、第2回会合。18名出席。松元司会、東京の集会へ送ったメッセージを中心に討論。デモなどの外向的行動と同時に自分の内面の問題として受けとめて対処するという会の趣旨を再確認、具体的抗議行動は各自の所属組織を通じて行うこととし、会としては東京に送ったと同趣旨の声明書を各報道機関に送るにとどめることとする。 | |
| 19600705 | 午後6時より、モンブラン3階にて、第3回会合。出席者16名。テーマ1/職場と創造活動/報告者岩崎清一郎、2/我々は誰のために作るのか/報告者松元寛。まだお互いの言葉が充分に通じ合わず手間どるが、意欲的な雰囲気が盛上ってきた。7月末に夏季集会の準備会をすることとする。 | |
| 19600731 | 午後1時より、広島YMCA会館にて、第4回会合。出席者22名。夏季研究集会準備会。テーマ1/原爆と文学/報告者島陽二、2/地方文化の問題/報告者松元寛。会後過半の人々がモンブランに集り討論をつづける。 | |
| 19600806 | 若手文学者の会「若い日本の会」の主力メンバー城山三郎、大江健三郎、開高健、桂芳久の4氏が、「若い広島の会」(世話人代表、松本寛氏)の招待で広島を訪問。城山、大江、開高の3氏は初訪問。平和記念式典に参加の後、県教育会館でシンポジウム | |
| 19600806 | 作家大江健三郎氏が中国新聞に「ヒロシマ一九六〇」を寄稿 | |
| 19600807 | 午前9時半より、教育会館にて、第5回会合。出席者傍聴者を含めて約60名。会として招いた大江健三郎氏、開高健氏、城山三郎氏、桂芳久氏の他に朝日新聞の特別記者として来広中の堀田善衛氏出席。司会広岡尚利、テーマ1/地方文化の問題/報告者松元寛、2/原爆と文学/報告者島陽二。前回既に討論しつくしていたのと会場の空気のために充分な論議が行われたとは言えなかったが、まずまずの成績というべきか。 | |
| 19600812 | 「若い日本の会」の城山三郎、大江健三郎、開高健、桂芳久の4氏と堀田善衛氏が広島市で「文学放談会」 | |
| 19600828 | 午後1時より、広島YMCA会館にて、第6回会合。出席者20名。テーマ/現代における文明批評の問題/報告者荏原肆夫。なおこの日、8月7日の会での堀田善衛氏の示唆にもとづいて「原爆関係文献センター(さしあたり文学関係)」の計画を発表。 | |
| 19600925 | 午後1時より、広島YMCA会館にて、第7回会合。出席者18名。テーマ1/組織における人間の問題/報告者高武淳夫。2/個におけるファシズムの問題/報告者向山宏、越智道雄。 | |
| 19601118 | 午後5時半より、モンブラン3階にて、第8回会合。出席者23名。総選挙を前にして具体的に今度の選挙に投票すべきか棄権するかで議論分れる。学生の人々の発言が活発であったが、全体としては議論が堂々巡りして重苦しい会となった。11月末か12月はじめに冬季研究集会をもつことが提案され決まる。 | |
| 19601214 | 付け朝日新聞学芸蘭「素描」に主として「原爆資料センター」の問題を中心に「若い広島の会」の紹介が出る。その他にも原爆官営の仕事をめぐって色々な反響が出はじめつつある。 | |
| 19601217~18 | 2日間、広島市中央公民館にて、第9回会合を兼ね冬季研究集会として共同討議/現代芸術について、を行う。第一日、午後三時より、Ⅰサークル部会/テーマ/創造サークルと享受サークル/報告者松元寛(歯車)、増岡正(われらのうた)、山手茂(広島女子短大)、Ⅱ、現代詩部会/テーマ/現代詩における思想と言語/報告者北川純(洪水)、島陽二(われらのうた)/荏原肆夫(囲[糸+堯]地)。
第二日、午前十時より、Ⅲ、ラジオテレビ部会/テーマ/個の芸術と総合芸術/報告者田頭和憲、竹田淳、広岡尚利、Ⅳ、小説部会/テーマ/状況と人間/報告者小久保均/文沢隆一(安芸文学)、松元寛(歯車)、Ⅴ、共同討議/現代芸術について/報告者山手茂、荏原肆夫、広岡尚利、小久保均、司会松元寛。 丁度寒い時期でしかも年末に迫っていたため二日間を通じて出席者延べ60名と予想をはるかに下回ったが、討議は熱心にかつ集中的に行われた。 |
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| 19610218 | 機関誌「若い広島 第1号」発行 | |
| 19610806 | 若い広島の会夏季研究集会(第16回)。広島市中央公民館。出席者:35名。 | |
| 報告1 | 地方における創造の可能性(報告者:松元寛) | |
| 報告2 | 被爆体験の思想化のために-原爆文学について-<甘やかされる原爆文学><おもしろくない原爆文学><見捨てられてゆく原爆文学><転換期にきた原爆文学><反省期にきた原爆文学><経験主義からの脱却><原爆とはなにか?><被爆体験の思想化>(報告者:小久保均) | |
| 19611019 | 若い広島の会夏季研究集会(第18回)。会場:紅蜂。 | |
| 報告3 | 原水爆禁止運動における思想と行動(報告者及びまとめ:松元寛) | |
| 19611201 | 機関誌「若い広島第 2号」発行。 |
平和と学問を守る大学人の会会報第26号
1960年2月20日
終戦15周年国民行事 平和祈念慰霊国民大祭
8月15日 午前10時 広島市公会堂
「祈りの像」除幕式 午后5時広島市平和公園内 慰霊碑前
主催・平和祈念慰霊国民大祭実行委員会
後援・広島県・広島市・中国新聞社・広島中央放送局・ラジオ中国
編年資料:ヒロシマ-1960年
| 書名・資料名 | 著者・発行者 | 発行年月日 | 備考 |
| わたしたちの広島市 | 広島市小学校社会科研究会 | 19600415 | |