広島大学新聞(100号)発行者:広島大学新聞会 発行年月日19601210
著者 |
タイトル |
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論説委員会 |
□巻頭言□ 学生新聞と中立 |
特集・教育の危機を考える |
長田新 |
国民教育の大道 |
■座談会■ 教育をわたしたちの手に=国民教育と学生の課題を追って= |
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佐藤正夫・横山富子・藤井敏彦・池岡修身・吉本 均・篠原孝義・飛石多恵子(司会)編集部 |
高階近穂 |
第五回中四国教育ゼミ統一テーマ解説「国民教育と学生の任務」 |
石井金一郎 |
うれうべき教科書 |
カンカンガクガク☆尚志会をめぐって☆ |
荘司雅子 |
学閥物語 |
伊東隆夫 |
尚志会の新しい道 |
森戸辰男 |
大学教育における科学と人文 |
広大生はこう考える |
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数字にみる私達の意見・社会意識調査報告 |
矢田部文吉 |
私の分析「奇妙な全学連分裂問題」 |
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私と生活と意見(アルバム、研究室、課外活動、学生運動の中から) |
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グラビア 分校よどこへ行く? |
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★東雲、福山、深安、三原分校探訪★ |
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研究室の課題(13)広大理論物理研究所(竹原市) |
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広大レポート「厚生施設の現状と問題点」 |
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[窓]自然科学・スポーツ・映画・文学・マスコミ・音楽 |
■シンポジュウム・安保斗争の教訓 |
岡本 進 |
問題提起1 労働者階級の果たした役割と評価について |
千葉喬之 |
問題提起2 学生の先駆性と既成指導部の誤謬 |
村上哲得 |
問題提起3“平和共存ナンセンス論”に対する批判 |
前芝確三・手島正毅 |
総括〈対談〉“情勢の正しい認識を” |
え・山部ただお 文・S・N記者 |
学園戯画 嗚呼!広大生 |
新刊書評 |
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松富弘志 |
現代史研究会編著「戦後日本の国家権力」 |
松崎 徹 |
今掘誠二著「原水爆時代」(下) |
為貞貞人 |
森戸辰男著「日本教育の回顧と展望」 |
塩見 浩 |
松崎寿和著「新黄土地帯」 |
あれからどうなった?(教養移転・サークル協議会・スパイ事件・公安条例問題) |
広大新聞一〇〇号のあゆみ |
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★広大新聞創刊号紹介 |
尾形幸雄 |
★創刊のころ |
連載 フェニックス |
真下三郎 |
メシの種 |
赤木仁兵衛 |
研究者魂 |
☆創刊一〇〇号記念懸賞応募作品入選発表☆ |
評論部門(選後評・伊藤満氏、今掘誠二氏) |
創作部門(選後評・詩・深川宗俊氏、小説・羽白幸雄氏) |
入選作品 |
菅瀬 実 |
詩・サハラ |
山田夏樹 |
小説・穴ぐら |
山下梅子 |
評論・忘れられた学生としての視角 |
佐久間澄 |
選後評 |
若い広島の会
1960年5月24日 中国新聞ビルで発会式を開催。(『中国新聞』5月25日)
年月日 |
事項<出典:機関誌『若い広島 第1号』、『同2号』> |
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19600524 |
午後6時より中国新聞下ライオンにて第1回会合。25名出席。司会、小久保均。「若い広島の会」趣旨を説明(松元寛)、質疑応答。8月6日を期して夏季研究集会をもつことの提起などあり。 |
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19600609 |
東京の「若い日本の会」主催の民主主義をまもるための抗議集会(6月11日予定)に会よりメッセージをよせられたいというよびかけがあり、電話連絡のとれる限りの人々に賛同を得てメッセージを起草、東京の桂芳久氏に送り、同時に会員へも発送、こちらでも6月11日に集会を持つこととして連絡。 |
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19600611 |
午後1時より、モンブラン3階にて、第2回会合。18名出席。松元司会、東京の集会へ送ったメッセージを中心に討論。デモなどの外向的行動と同時に自分の内面の問題として受けとめて対処するという会の趣旨を再確認、具体的抗議行動は各自の所属組織を通じて行うこととし、会としては東京に送ったと同趣旨の声明書を各報道機関に送るにとどめることとする。 |
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19600705 |
午後6時より、モンブラン3階にて、第3回会合。出席者16名。テーマ1/職場と創造活動/報告者岩崎清一郎、2/我々は誰のために作るのか/報告者松元寛。まだお互いの言葉が充分に通じ合わず手間どるが、意欲的な雰囲気が盛上ってきた。7月末に夏季集会の準備会をすることとする。 |
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19600731 |
午後1時より、広島YMCA会館にて、第4回会合。出席者22名。夏季研究集会準備会。テーマ1/原爆と文学/報告者島陽二、2/地方文化の問題/報告者松元寛。会後過半の人々がモンブランに集り討論をつづける。 |
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19600806 |
若手文学者の会「若い日本の会」の主力メンバー城山三郎、大江健三郎、開高健、桂芳久の4氏が、「若い広島の会」(世話人代表、松本寛氏)の招待で広島を訪問。城山、大江、開高の3氏は初訪問。平和記念式典に参加の後、県教育会館でシンポジウム |
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19600806 |
作家大江健三郎氏が中国新聞に「ヒロシマ一九六〇」を寄稿 |
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19600807 |
午前9時半より、教育会館にて、第5回会合。出席者傍聴者を含めて約60名。会として招いた大江健三郎氏、開高健氏、城山三郎氏、桂芳久氏の他に朝日新聞の特別記者として来広中の堀田善衛氏出席。司会広岡尚利、テーマ1/地方文化の問題/報告者松元寛、2/原爆と文学/報告者島陽二。前回既に討論しつくしていたのと会場の空気のために充分な論議が行われたとは言えなかったが、まずまずの成績というべきか。 |
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19600812 |
「若い日本の会」の城山三郎、大江健三郎、開高健、桂芳久の4氏と堀田善衛氏が広島市で「文学放談会」 |
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19600828 |
午後1時より、広島YMCA会館にて、第6回会合。出席者20名。テーマ/現代における文明批評の問題/報告者荏原肆夫。なおこの日、8月7日の会での堀田善衛氏の示唆にもとづいて「原爆関係文献センター(さしあたり文学関係)」の計画を発表。 |
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19600925 |
午後1時より、広島YMCA会館にて、第7回会合。出席者18名。テーマ1/組織における人間の問題/報告者高武淳夫。2/個におけるファシズムの問題/報告者向山宏、越智道雄。 |
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19601118 |
午後5時半より、モンブラン3階にて、第8回会合。出席者23名。総選挙を前にして具体的に今度の選挙に投票すべきか棄権するかで議論分れる。学生の人々の発言が活発であったが、全体としては議論が堂々巡りして重苦しい会となった。11月末か12月はじめに冬季研究集会をもつことが提案され決まる。 |
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19601214 |
付け朝日新聞学芸蘭「素描」に主として「原爆資料センター」の問題を中心に「若い広島の会」の紹介が出る。その他にも原爆官営の仕事をめぐって色々な反響が出はじめつつある。 |
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19601217~18 |
2日間、広島市中央公民館にて、第9回会合を兼ね冬季研究集会として共同討議/現代芸術について、を行う。第一日、午後三時より、Ⅰサークル部会/テーマ/創造サークルと享受サークル/報告者松元寛(歯車)、増岡正(われらのうた)、山手茂(広島女子短大)、Ⅱ、現代詩部会/テーマ/現代詩における思想と言語/報告者北川純(洪水)、島陽二(われらのうた)/荏原肆夫(囲[糸+堯]地)。
第二日、午前十時より、Ⅲ、ラジオテレビ部会/テーマ/個の芸術と総合芸術/報告者田頭和憲、竹田淳、広岡尚利、Ⅳ、小説部会/テーマ/状況と人間/報告者小久保均/文沢隆一(安芸文学)、松元寛(歯車)、Ⅴ、共同討議/現代芸術について/報告者山手茂、荏原肆夫、広岡尚利、小久保均、司会松元寛。
丁度寒い時期でしかも年末に迫っていたため二日間を通じて出席者延べ60名と予想をはるかに下回ったが、討議は熱心にかつ集中的に行われた。 |
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19610218 |
機関誌「若い広島 第1号」発行 |
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19610806 |
若い広島の会夏季研究集会(第16回)。広島市中央公民館。出席者:35名。 |
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報告1 |
地方における創造の可能性(報告者:松元寛) |
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報告2 |
被爆体験の思想化のために-原爆文学について-<甘やかされる原爆文学><おもしろくない原爆文学><見捨てられてゆく原爆文学><転換期にきた原爆文学><反省期にきた原爆文学><経験主義からの脱却><原爆とはなにか?><被爆体験の思想化>(報告者:小久保均) |
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19611019 |
若い広島の会夏季研究集会(第18回)。会場:紅蜂。 |
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報告3 |
原水爆禁止運動における思想と行動(報告者及びまとめ:松元寛) |
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19611201 |
機関誌「若い広島第 2号」発行。 |
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平和と学問を守る大学人の会会報第26号
1960年2月20日
終戦15周年国民行事 平和祈念慰霊国民大祭
8月15日 午前10時 広島市公会堂
「祈りの像」除幕式 午后5時広島市平和公園内 慰霊碑前
主催・平和祈念慰霊国民大祭実行委員会
後援・広島県・広島市・中国新聞社・広島中央放送局・ラジオ中国
編年資料:ヒロシマ-1960年
書名・資料名 |
著者・発行者 |
発行年月日 |
備考 |
わたしたちの広島市 |
広島市小学校社会科研究会 |
19600415 |
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