機関紙『歴史と教育』総目録
広島歴史教育者協議会 1962年月日設立
No. |
発行年
月日 |
内容(抄=広島の動向を中心に) |
1 |
196210 |
設立大会特集 |
2 |
196212 |
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道重哲男「わが国におけるファシズムの成長過程-高等学校日本史における近・現代史に教材的取り扱いの一例として」 |
3 |
1963 |
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後藤陽一「人権の歴史としての日本史について」(4月27日呉歴教協発会記念講演要旨) |
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広島歴教協 |
討議資料-部落解放と歴史教育について |
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ニュース |
歴教協呉地区協議会の発足 |
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佐伯郡下に歴教協サークル結成の動き |
特別 |
19630428 |
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<資料>義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律(案) |
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<紀元節問題に関する資料>1963.2.5国民文化会議声明 |
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「紀元節法案」の歴史 |
4 |
196311 |
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渕上和俊 |
歴史授業研究-主体的学習を深めるために-第13次広島県教研報告 |
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歴史教育者協議会第15回大会参加記 |
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高橋信雄 |
(1)「部落解放と歴史教育」分科会に参加して |
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三上勝康 |
(2)京都大会で感じたこと |
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天野卓郎 |
第13次広島県教育研究集会社会科部門集会から-中学校部会 |
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事務局 |
広島歴教協の動き |
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(1)佐伯社会科教育協議会の結成(6月22日) |
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(2)歴教協安芸サークルの結成(10月12日) |
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(3)歴教協評議員遠山茂樹先生を囲んで(10月26日)-広島史学研究大会・日本歴史学協会総会- |
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5 |
19640120 |
第2回大会特集号 |
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今堀誠二 |
歴教協の進むべき道―広島歴史教育協議会第2回大会講演 |
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横山英 |
大衆運動をどう把えるか-五四運動の評価について |
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天野卓郎 |
大正デモクラシー運動について |
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6 |
19640420 |
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川島 |
例会報告-戦争をどう教えるか |
7 |
19650110 |
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今堀誠二 |
挨拶 |
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細田鼎 |
現代と社会科教育-広島歴史教育協議会第3回大会講演 |
8 |
19650310 |
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今堀誠二 |
現代史の課題(1) |
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紀元節復活に反対する |
9 |
19651220 |
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天野卓郎 |
民族の伝統と変革をどう扱うか(1)-明治維新の学習ノート |
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今堀誠二 |
現代史の課題(2) |
10 |
19660410 |
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天野卓郎 |
1966年度”ひろしま歴教協”のとりくみのために<資料>-「民族の課題」にどう迫るか- |
11 |
19660715 |
教科書検定問題特集 |
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天野卓郎 |
教科書検定訴訟を支援する全国連絡会第2回全国総会に参加して |
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<資料> |
教科書検定訴訟を支援する全国連絡会第2回全国総会(1966.7.10)運動の現状と課題 |
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同上 声明 |
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天野 |
教科書検定訴訟を支援する歴史研究者の会懇談会ひらかれる |
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高橋 |
教科書訴訟を支援する広島集会 |
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12 |
19660801 |
第18回歴教協大会報告資料特集 |
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扉のことば―年表にない歴史 |
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川島孝郎 |
第6分科会・歴史学習の方法 学習授業の方法-戦後の実践を事例として |
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天野卓郎 |
第11分科会・現代史 現代史学習のねらいと構成-報告「資料」として(1)- |
13 |
19661201 |
ひろしま歴教協1966年次研究集会特集 |
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今堀誠二 |
歴史の現時点 |
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青才智恵雄 |
社会科における「生きる」ということの意味-社会科教師の基本像 |
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空辰男 |
とくに政経社教授に訓育的過程をしている |
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川島孝郎 |
大会参加記-教科書批判学習について- |
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天野卓郎 |
”歴史と教育”手帖 |
14 |
19671001 |
石井金一郎先生追悼号<別記> |
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1 |
196402 |
広島歴教協月例会報告 |
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1 |
19670501 |
ひろしま歴教協通信 |
2 |
19670601 |
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3 |
19670701 |
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4 |
19670901 |
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5 |
09671101 |
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19 |
19701216 |
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1 |
19720910 |
広島県歴教協広島支部ニュース |
2 |
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3 |
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4 |
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5 |
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6 |
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7 |
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8 |
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9 |
19730613 |
広島県歴教協広島支部ニュース(再刊) |
広島・長崎原爆被爆者大会
1962年5月22日
広島市公会堂で2,500人の被爆者の参加のもとに開催。厚生省公衆衛生局全画課長の講演・両市被爆者代表の意見発表ののち,次のような宣言および決議を採択。大会の席上、全日本被爆者協議会を結成。
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案内ビラ |
宣言
われわれ原爆被害者は,一生拭い去ることのできない放射能に対する不断の脅威と不安を内包し,日常生活並びに社会活動に多くの障害と制約を受け,物心共に苦難の十七年を生きてきた。その間放射能障害による症状の悲惨な現実と,被爆者の生活の実態が認識され,被爆者の切実な声が通して,最近に至り原爆医療法が制定され,逐次医療の充実をみつつあることはまことに慶びに堪えない。ここに関係各位の並々ならぬ御熱意と御努力に対し深甚なる感謝の意を表するものである。
本日被爆者大会の開催に当り,われわれは核爆発の実験停止と,真の世界平和確立のための,広島・長崎の悲願達成に,根気強く努力をつづけ,全国二十方に上る被爆者相携えて,あらゆる困難と苦痛を克服して力強く生き抜くことを誓い,更にいわれなき無この犠牲者に対する国家の責任と保障において,万全の援護対策の速かなる実現を切に要望して已まない。
右宣言する。
決議
戦後既に十七カ年の歳月を閲みし,全国二十万に上る原爆被爆者の多くは,経済的基盤を失い,或いは放射能障害に悩みかつ脅えつつ,日常生活並びに社会活動に幾多の制約を蒙り,苦難の日々に堪えて今日に至った。
医療に関しては,さきに特別立法により補償の途が開かれ,稍々安らかなるものを得たとはいえ,更に政府,国会その他関係機関におかれては,被爆者の生活の実態に鑑み,原爆犠牲者国家保障性の見地に立って更に援護その他強力なる施策を打出すべきである。よって次の事項について速かに適切なる措置を講するとともに全面的な援助を要請する。
一、特別被爆者の範囲の拡大をすみやかに実現することを期する。
二、原爆被爆者援護対策の確立を期する。
三、原爆被爆者ホームの建設を要望する。
四、原水爆禁止と世界恒久平和実現への正しい国民運動を力強く推進する。
五、全日本被爆者協議会の結成を促進する。
右決議する。
大会次第
「原爆放射能医学研究所設置」・「原爆医療法中二粁の制限拡大」・「戦傷病者戦没者遺族等援護法中学徒・女子挺身隊・義勇隊等の時限法改正」に関する陳情運動日誌
(広島・長崎原爆被爆者医療法改正対策委員会 1962年2月)
はしがき
昭和三十四年九月原爆医療法の一部改正を目的とする政治運動展開を企図して構成された本対策委員会は、同年、画期的な同法改正に成功、翌三十五年原爆放射能医学研究所設置運動に乗り出し、僅々一カ月の短期間において同所究所創設にかかる予算獲得・法律改正を奇蹟的に果し、引続き三十六年には、特別被爆者の二粁制限撤廃に立ち上り、遂にその制限を三粁に拡大する予算獲得に成功し、ここに原爆問題の当面する重要案件を殆んど処理し終えたものである。
本委員会が斯る華々しい成果を収め得たのは、自民党幹部を始めとする関係各位の強力は御支援・御協力によるところであるが、特に運動の推進役を担当して貰った自民党広島県支部連合会被爆者対策委員長・広島市被爆者対策委員長任都栗司君の献身的努力に負うところ極めて多く、ここに改めて深甚なる敬意と謝意を表明するものである。
本委員会は、運動の当初より事務局をして運動の詳細を記録せしめていたものであるが、原爆問題の重要案件を殆んど処理完了した今日、ここにこれが運動日誌を公にし、格別の御協力を賜わった関係各位に対し心からの謝意を表すとともに、将来の参考とすることとした。
各位の御高覧を御願いして止まない。
昭和三十七年二月
広島長崎原爆被爆者医療法改正対策委員会
常任委員 参議院議員 岩沢 忠恭
目次(其の一)
年月日 |
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昭35(1960)
0922~1210 |
1.原爆医療法中2粁の制限拡大問題に関し、主として厚生省当局の意向を打診 |
1212-1213 |
1.原爆被害者医学総合研究機関の設置に関し関係各方面と基礎的打合わせ(特に所管省問題)をなす。
2.本対策委員会、昭和35年運動目標を原爆被害者医学総合研究機関の設置に置くことに決定。 |
1214-1221 |
1.広島市及び長崎市の原爆問題関係機関と打合せの結果、原爆医学研究機関の設置について地元の意識統一成る。
2.原爆医学研究機関設置にかかる陳情書作成 |
1223-1227 |
1.原爆医学研究機関設置に関し、関係各方面、特に自民党政調会文教部会に対し、陳情書提出の上、強力に陳情。
2.文部省当局に対し、原爆医学研究機関設置に関し、陳情運動展開中の旨連絡、表面化した場合引受け方陳情 |
1227 |
1.原爆医学研究機関設置の案件、広島大学に附置することとし、自民党政調会文教部会において満場一致をもって採択に決定 |
1228-0105昭36(1961) |
広島大学当局に対し、原爆医学綜合研究機関設置に要する必要予算を至急追加要求方要請
2.広島大学との協同陳情書(要求予算を含む)作成 |
昭36(1961)
0106~0107 |
1.広島大学より広島原爆放射能医学研究所にかかる追加要求予算書を文部省当局に提出
2.広島大学より文部省に対し、提出の追加要求予算内容一部訂正の上、必要陳情書作成 |
0106~0107 |
1.自民党役員、同政調会役員、文教部会役員に対し、訂正陳情書を提示の上原爆放射能医学研究所問題の採択方について強力に陳情
2.自民党政調会文教部会は、政調役員会に対し原爆放射能医学研究所予算四億六百万円を要求することに決定 |
0107-0109 |
1.自民党政調役員会において原爆放射能医学研究所関係予算満場一致をもって採択に決定 |
0109-0111 |
1.自民党政調会副会長並びに各部会長合同会議において原爆放射能医学研究所関係予算採択に決定
2.大蔵省に対し、関係有力者を通じ、協力に陳情 |
0111-0115 |
文部省は、大蔵省当局に対し、新規追加要求予算として原爆放射能医学研究所予算四億六千六百万円を提出 |
0116-0117 |
1.広島原爆放射能医学研究所設置に要する関係予算、大蔵省第三次査定に於いて二カ年継続事業として遂に承認を受く
2.本件に関し格段の協力を賜った自民党役員、同政調会役員、その他関係各位に対し、御礼挨拶廻りをなす。 |
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目次(其の二)
年月日 |
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昭36(1961)
00403~1003 |
1.戦傷病者戦没者遺族等援護法中、学徒、女子挺身隊、義勇隊等の時限法改正に関し、運動の基本的打合せ、陳情書の作成、国会に対する請願書の提出並びに同請願の衆議院社会労働委員会において採択に至るまでの陳情
2.、原爆医療法中二軒の制限拡大に関し、運動の基本的打合せ、拡大の必要性を裏付ける資料の蒐集並
びに二粁制限拡大に伴う経費の昭和三十七年度厚生省要求予算に計上に至るまでの陳情
3.昭和三十六年度原爆医療法一般疾病医療費予算の不足に伴う予備費補充に関する陳情
4.原爆放射能医学研究所にかかる昭和三十七年度予算要求に関する陳情 |
1004-1116 |
1.原爆医療法中二粁の制限拡大にかかる経費について、昭和三十七年度厚生省要求予算に計上決定に伴い、関係各方面に対し、これが予算獲得に関する基礎的陳情運動 |
1128-1211 |
1.原爆問題陳情運動の一元化、漸くにして決定
2.二粁制限拡大の必要性を裏付ける資料蒐集、漸く完成し、陳情書作成 |
1212-1216 |
1.原爆医療法中二粁の制限拡大の必要性について、関係各方面、主として自民党政調会、社会部会並びに大蔵省に対し、陳情書を提出の上、強力に陳情
2.二粁制限拡大の案件、自民党政調会社会部会を満場一致をもって通過
3.原爆放射能医学研究所にかかる昭和三十七年度事業並びに長崎支所設置の明年度予算獲得について関係方面に強力に陳情 |
1217-1219 |
1.二粁の制限拡大に関し、自民党政調会役員並びに大蔵省当局に対し、関係有力者を通じ、強力に陳情 |
1220-1221 |
1.明年度予算にかかる大蔵省第一次査定の結果、二粁制限拡大に要する予算全額ゼロ査定を受く |
1222-1223 |
1.二粁軒制限拡大関係要求予算、大蔵省第一次査定に於いて全額不承認の結果に基き、これが復活要求について自民党政調会役員並びに大蔵省当局に対し、引続き強力に陳情
2.広島原爆放射能医学研究所残事業にかかる要求予算、大蔵省第一次査定において不承認の結果に基き、自民党政調会関係役員にこれが復活要求について陳情 |
1224-0105昭37(1962) |
1.二粁制限拡大関係要求予算、大蔵省第二次査定において三粁に拡大することとする基本線に基き、遂に承認を受く。
2.、戦傷病者戦没者遺族等援護法中学徒、女子挺身隊、義勇隊等の時限法改正に関する予算、厚生大臣、大蔵大臣の大臣接渉において、昭和三十八年度予算に計上することに確約を得る。
2.本件に関し、格段の協力を願った自民党役員、同政調会役員その他関係各位に対し、御礼の挨拶廻りをなす。 |
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核実験禁止要請に関する決議
世界で最初に原爆の惨禍を受け、今尚放射能害による死と闘いつつ原水爆禁止と核実験停止を全世界にくりかえし強く呼びかけてきた広島県民は、今回の貴国の核実験に対し不安と憤激の念とどめがたく、真に遺憾とするものである。
たといどのような理由があろうと実験のもたらす放射能は人類の生存に多大な悪影響を与え、実験が実験を呼ぶ悪循環は、軍拡競争に拍車をかけ、恐しい人類の危機をますます増大させている。
よって、広島県議会は従来しばしば決議要請した如く広島県民を代表してここに貴国核実験の即時中止を要請するとともに核保有国による実験停止協定の締結、核兵器の製造禁止を含む軍備全廃を目指して即時首脳会談を開いて努力されるようう要請する。
昭和三十七年八月十一日
要請先
ソビエート社会主義共和国連邦
アメリカ合衆国
核実験停止協定締結要請に関する決議(1962年12月22日)
アメリカとソ連は、現在なお核実験を続けています。核実験は、現在将来にわたって人類の生命と健康に害を与えます。
広島県議会は、従来しばしば決議要請してまいりましたがすぺての国の核実験をやめさせるために何度でもくりかえし反対し、一刻も早く停止協定を結ばせなければなりません。
ここに広島県民を代表して、すべての核保有国は来年一月一日を期して核実験停止協定を締結されるよう要請します。
右決議する
昭和三十七年十二月二十二日
『被爆二世 その語られなかった日々と明日』(広島記者団被爆二世刊行委員会編、時事通信社、1972年7月15日)
目次
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そうてい・カット 四国五郎 |
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今中次麿 |
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序 |
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この子らのあすに何があるか/ひき継がれる“核の爪跡” |
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Ⅰ |
あすにむかって-被爆二世とその周辺 |
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1 |
“帰らぬ鶴”を越えて<瀬戸真美さんの場合> |
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被爆二世であることの自覚/四つのときからの会員/玄海灘を越えて/多くの人に知らっもらいたい/真美さんの夢 |
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2 |
歩みはじめた二十歳<川口裕子さんの場合> |
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私は平凡な女の子/主体的な歩み/活動家一年生/若ものたちとともに/大地に種をまく勇気を |
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3 |
看護婦をえらんだ姉<向井秀子さんの場合> |
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陸上競技の選手/お母さんの被爆/弟の発病/弟の死/看護婦の道をえらんで |
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4 |
十三日目の二次被爆が…<栗栖みどりさんの場合> |
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午前六時までもちこたえれば/いっしょに仕事をしたい・遊びたい/あの人に悪いけど、死にたい/原爆投下後十三日目の放射能が……/母の思い |
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5 |
もう少し遅く生まれていれば<山下恵子さんの場合> |
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クラスの中心人物/たった一つの弱音/壁と壁を破るもの |
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6 |
母親の心の軌跡<名越史樹君と操さんの場合> |
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原爆の生き証人/ランドセルも背負えないで/フミキ、シッカリ、カンドケ/『ぼく生きたかった』の出版/マスコミにとりあげられる苦痛/ベトナムの子らと |
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7 |
四十五万円の希望<沖縄の被爆者> |
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復帰にともなう生活危機/米軍を恐れながら/絶望を深める検診/沖縄の被爆二世/この距離をどう埋めるか |
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Ⅱ |
原水禁運動と被爆二世 |
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1 |
黙殺しつづけた行政 |
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『ヒロシマの証言』の所信/行政姿勢の反映? |
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2 |
「守る会」生まれる |
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守る会の目的と方針/被爆者差別は核武装への奉仕/日本中の子どもの問題/目的は一致しながら/『広島はたたかう』 |
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3 |
被爆二世の健康調査 |
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五人に一人が異常あり/救援に役立つ調査を |
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4 |
一貫する行政の姿勢 |
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広島県・市へ申し入れ/調査に踏みきらぬ行政当局/母の怒り、市民の怒り/守る会から対策会ヘ |
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5 |
母親たち 110 |
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山下会の歩み/被爆二世と結婚/屈折した経験/手記づくり運動\ヒロシマの母とベトナムの母 |
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6 |
要求で起ち上がった労働者 |
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国労被爆協の取組/全電通の調査活動/被爆教師の会/新しい共同の動きⅢ 医学と被爆者 |
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Ⅲ |
医学と被爆者 |
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1 |
原爆と医学 杉原芳夫 |
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医学の根底-政治/障害の隠蔽-ABCC/原爆症とは何か-科学的認識論/胎内被爆-非人道的調査/遣伝的障害-突然変異/被爆二世-白血病/差別の根源-核戦争政策 |
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2 |
核戦略体制下のABCC |
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二十五年ぶり来広の真意は/原爆投下直後の救護体制/日本側救護を禁圧したプレス・コード/調査研究資料を押収したアメリカ調査団/日本料学者の努力とそれへの圧迫/ABCCの調査活動/被害者より加害者がはばをきかす/ABCCの真の目的/核戦争対策/ABCCは米政府機関/米本国へ送られた被爆者の臓器/アメリカの防衛と安全のための「契約」/無条件完全返還を |
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3 |
ABCCに癒着する広大原医研 |
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三つの研究機関/遺体についての協定/ABCCへの死亡連絡/原医研のなりたち/原爆医学標本センター/原医研と被爆二世/ABCCとの関係/被爆者の背番号/下請け機関であることをやめよ |
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Ⅳ |
国、地方自治体と被爆二世 |
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1 |
“特別援護はしない”―厚生省- |
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「学術の進歩に合わせて考慮する」/その行政上の矛盾/急務にこたえよ |
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2 |
“医科学的証明がない”―広島県・市- |
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被爆地の自治体でありながら…/県も市と同歩調/後退する陳情書 |
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3 |
先進的にとりくむ京都府など |
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京都の被爆者/被爆二世対策の実施/北海道でも/川崎市でも |
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4 |
長崎にて<ルポルタージュ> 深川宗俊 |
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被爆二世の死/国への要望/対策にのりだした長崎市/ある被爆活動家の意見/沈黙は差別を助長する/長崎「青年と被爆二世の会」の発足/鎮魂のうたとして/“死を待つ行政”をのりこえて |
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Ⅴ |
朝鮮人被爆者・被爆二世 |
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1 |
差別の中を生きぬく |
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朴竜時さん一家の場合-一家の苦難/差別にくじけずに 金秀鉉さん一家の場合-生きかえってからの苦しみ/被爆者の子どもの人生/骨身にしみる憤り/快活な二世たち |
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2 |
二十七年間の空白 |
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差別と貧困ヘの告発/広島の朝鮮人被爆者/はかどらぬ朝鮮人被爆者の救援/北朝鮮の被爆者たち/日本の責任 |
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むすびにかえて |
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あとがき <本書は、日本ジャーナリスト会議広島支部(昭和42年結成)の学習会のなかから生まれた> |
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編年資料:ヒロシマ-1962(昭和37)年
月日 |
事項・資料名など |
02 |
平和巡礼<『広島県大百科事典』原田東岷・記> |
02 |
「原爆放射能医学研究所設置」・「原爆医療法中二粁の制限拡大」・「戦傷病者戦没者遺族等援護法中学徒・女子挺身隊・義勇隊等の時限法改正」に関する陳情運動日誌
(広島・長崎原爆被爆者医療法改正対策委員会) |
0318 |
軍縮のための広島県婦人集会アッピール<軍縮のための世界婦人会議のみなさんへ> |
0323 |
日ソ協会広島支部「広島市とボルガグラード市の姉妹都市縁組をむすびましょう」(ビラ) |
0420 |
核実験抗議の座り込み。場所:広島平和記念公園原爆慰霊碑<『広島県大百科事典』枡田勲・記> |
0422 |
核実験反対広島抗議集会(0425)参加呼びかけ(ビラ)<原水爆禁止広島母の会・婦人民主クラブ・広島子供を守る会・婦人有権者同盟・広島県母親連絡会・くらしの会・平和婦人新聞読者の会> |
???? |
(座り込み参加)訴え(ビラ)<広島県平和委員会> |
0522 |
広島・長崎原爆被爆者大会宣言 |
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0804 |
核停協定無条件即時調印のため浜井市長・門田委員長がケネディ大統領に送った手紙(全文) |
0804 |
ソ連政府に送った手紙(全文) |
0816 |
同上手紙に対するライシャワー大使からの返事<全文> |
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0806 |
浜井信三広島市長「広島市民の訴え」 |
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0811 |
広島県議会決議「核実験禁止要請に関する決議」 |
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1021 |
核戦争阻止軍事基地撤去のための国際共同行動岩国大会 |
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統一行動に関する訴え |
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宣言 |
|
当面の行動に関する決議 |
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1130 |
「アジアの平和のための日本大会」報告集会へのご案内と「原水禁と平和のための国民大会」への不参加要請について |
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1222 |
広島県議会意見書「核実験停止協定締結要請に関する決議」 |
1962年10月?日設立
資料「広島歴史教育者協議会機関紙 歴史と教育」総目録
タイトル |
発行年月日など |
|
歴史と教育(機関紙) |
(No.1)196210~(No.14)19671001 |
|
広島歴教協月例会報 |
(No.1)196402 |
|
ひろしま歴教協通信 |
(No.1)19670501~(No.19)19701216 |
|
広島県歴教協広島支部ニュース(再刊) |
(No.1)19720910~(No.9)19730613 |
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|
歴史と教育(機関紙) |
(No.15)19750203~(No.14)19671001 |
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|
歴教協広島支部ニュース |
(No.4)19750224~ |
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ヒロシマ平和巡礼 1962年
月 |
日 |
事項 |
01 |
22 |
レイノルズ夫妻、「ヒロシマ平和巡礼計画」を発表。 |
02 |
04 |
ヒロシマ平和巡礼代表に松原美代子、英宏昌決まる。 |
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「ヒロシマ平和巡礼」のバーバラ・レイノルズ、松原美代子、英宏昌、広島を出発。13日、羽田を出発。 |
03 |
19 |
「ヒロシマ平和巡礼」のバーバラ・レイノルズ、松原美代子、英宏昌、米サンフランシスコに到着し、記者会見。 |
04 |
11 |
ヒロシマ平和巡礼、国連本部で米ソ代表に核兵器禁止を訴える。 |
04 |
11 |
「ヒロシマ平和巡礼」の松原美代子、英宏昌、米ニューヨークの国連本部を訪れ、バンチ事務次官らに核実験禁止への努力を要請。 |
04 |
23 |
英核兵器廃止運動主催の大行進、ロンドンに到着。野外大会で、「ヒロシマ平和巡礼」の松原美代子、英宏昌が挨拶。 |
04 |
30 |
「ヒロシマ平和巡礼」の松原美代子、英宏昌、ジュネーブに到着。 |
05 |
01 |
平和巡礼の広島原爆被災者松原美代子・英宏昌, 18カ国軍縮会議開催中のジュネーブでゾーリン・ソ連代表と会見. 広島平和行進委員会のメッセージを手渡す. |
05 |
02 |
平和巡礼、米代表にも核実験停止を訴える。11日のタス通信, メッセージが軍縮委の公式文書として配布されることになったと報道. |
05 |
26 |
広島平和巡礼委員会、タイム誌に抗議電報。 |
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19 |
「ヒロシマ平和巡礼」のバーバラ・レイノルズ、松原美代子、英宏昌、共産圏諸国に向けストックホルムを出発。 |
07 |
09 |
全面軍縮と平和のための世界大会、モスクワで開催。-14日。各国代表2200人参加。13日、斉藤義雄日本被団協代表理事、演説(「岩手の被爆者は願う」)。広島の山田浩広島大学助教授が参加。 |
07 |
27 |
「ヒロシマ平和巡礼」の松原美代子、英宏昌、広島に帰る。 |
07 |
29 |
ヒロシマ平和巡礼、広島に帰る。ソなど14カ国訪問。 |
08 |
03 |
ヒロシマ平和巡礼報告会、広島市・平和記念館で。 |
04 |
24 |
19630424 レナ・エッケルト(シュバイツァー博土のひとり娘)広島を訪問。「広島は全世界の人間性を象徴する意味をもつ都市です。広島を見てたとえようのない感銘を受けました。広島こそ巡礼地にいる気持ちをいだかせるところです。非人間性は破壊されねぱ |
書名コード |
書名 |
編著者 |
出典 |
6201 |
「被爆者平和巡礼」の提議 |
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620124 |
[ヒロシマ平和巡礼者推薦のお願い] |
レイノルズ一家 |
(L)-25 |
620201 |
各団体・個人の皆様へ |
バーバラ・レイノルズ(平和巡礼広島本部) |
(L)-61 |
620204 |
ヒロシマ平和巡礼メンバー選考会 |
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(L)-31 |
620206 |
広島の皆様へ |
フェニックス・オブ・ヒロシマ号、ヒロシマ平和巡礼本部 |
(L)-26 |
620224 |
[平和巡礼広島委員会委員就任の]おねがい |
相原和光(平和巡礼広島委員会準備事務局長) |
(L)-44 |
620301 |
国連総会に対する広島市民の訴え |
ヒロシマ平和巡礼委員会 |
(L)-63 |
620301 |
18カ国軍縮会議に対する広島市民の訴え |
ヒロシマ平和巡礼委員会 |
(L)-64 |
620309 |
[平和巡礼壮行会出席依頼] |
平和巡礼広島委員会・代表委員・河村政任、事務局長・相原和光 |
(L)-62 |
620801 |
ヒロシマの願いを訴えて 平和巡礼の座談会 |
『中国新聞(2回連載)』~8月2日 |
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620803 |
[平和巡礼一般報告会案内ビラ] |
広島平和巡礼委員会 |
(L)-179 |
止
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。