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広島女学院原爆被災実態調査報告書(19700625)

広島女学院原爆被災実態調査報告書(19700625)

<昭和20年8月6日広島女学院に在籍の生徒を対象とする>
(広島女学院大学学生自治会・広島女学院原爆被災実態調査委員会、1970年6月25日)

内容目次
はじめに

はじめに(抄)
昭和42年6月,広島女学院大学では同大学宗教委員会と,学生自治会共催のもとに、「8・6の意味するもの」と題する一連の講座を全学生対象に企画,実施しました。以後毎年続けられているこの講座に対する学生の反応は,必らずしも満足出来るものとは言えませんが,今回の調査が学生たちの手によって始められたことは,やはり講座がもたらした結果の一つだと言えると思います。
「原爆」を知るための手がかりとして,「原爆」は私たちの先輩たちにどんな爪跡を残しているか」,又,「私たちが,被爆者である先輩たちから受け継がねばならないものは何なのか」と言うことから先ず始めようとしました。同時に,広島女学院と原爆を,被爆25年に当って,何らかの形で整理し,後輩に記録として残すことも必要なのではないかと思われました。しかしこの調査作業の間中,「一体私たちはこの調査から何を得ようとしているのだろうか」,「私たちがしようとしていることは本当に必要なのか」,「先輩たちに迷惑をかけるだけで終るのではないだろうか」と言った疑問と不安が絶えず私たちについて廻りました。そして最終段階に来た今,「原爆」と言う問題は,一度や二度の調査,成は数冊の本を読んだだけで掴み得るものではなく,ましてや解決出来るものではない事を改めて痛感しました。
面倒なアンケートに積極的に回答して下さった方々には,一人一人お目にかかってお礼を申し上げたい程感謝で一杯です。アンケート用紙にぎっしり書き込みをして励まして下さった方々もありました。しかしそれど同時に,66%もの方にご回答いただけなかったことを,私も同じ調査対象者である卒業生の一人として,大変残念に思います。心情的に決して答えやすい事がらではありませんし,それぞれご家庭の事情もあり,中にはこの調査でご迷惑をおかけした方もあると思います。しかし切角若い学生たちが,毎日の行動の決断を追られながら,或は,「今更原爆でもあるまい」と言った声を耳にしながらも,原爆を知ろう,被爆者の実態を知ろうとして集ったのにと残念に思うのです。
(以下略)

調査の概要(目的・方法・時期・対象・委員)
調査の結果

1 被爆の状態
2 被爆者自身の健康状態とそれに関する不安度
3 原爆問題に対する関心度
4 原爆死没者に対する意識
5 原水禁運動及び被爆者援護に関する意識
6 被爆者に対する差別の実態
7 被爆二世に対する意識
8 A.B.C.C.に対する意識
9 原爆投下及び現在の核兵器に対する意識
10 支持政党
11 「原爆」と人生観について
12 「原爆」という言葉に対する反応

調査結果を見て

調査から学んだもの

後記

付録Ⅰ「広島女学院原爆被災実態調査」調査票/付録Ⅱ在学生用調査票

ひろしまの平和教育

『ひろしまの平和教育』

発行年月日 備考 所蔵
G=原爆資料館。U=宇吹。
1 19700315 県平和教育専門委、教材編集委、被爆教師の会編 GU
19700701 『広島教育』別冊 No.218。第19次広島県教研集会平和部門専門委員会、広島県平和教育教材編集委員会、広島県原爆被爆教師の会編 GU

 

2 19710720 広島県平和教育専門委員会、広島県平和教育教材編集委員会、広島県被爆教師の会編 GU
3 19730330 広島県平和教育専門委員会、広島県被爆教師の会編、広島平和教育研究所 GU
4 19760110 広島平和教育研究所、広島県教研平和教育部会編 GU
5 19780325 広島平和教育研究所、広島県教研平和教育部会編 GU
6 19800315 広島平和教育研究所、広島県教研平和教育部会編 GU

 

 

平和を語る市民集会(第3回)

第3回平和を語る市民集会
シンポジウム:これからのヒロシマ
1970(昭和45)年7月31日

dc700731

第3回平和を語る市民集会構成団体

広島市社会福祉協議会
広島市婦人会連合会
広島市原爆被害者協議会
広島市医師会
広島YMCA
原爆被災資料広島研究所
原爆被災復元委員会
広島県宗教連盟
広島市青年連合会
広島市民生委員協議会
広島市立小学校PTA連合会
広島市立中学校PTA連合会
広島市子ども会育成協議会連合会
広島青年会議所
原水爆禁止広島市協議会

原爆25年(毎日新聞社)

毎日新聞広島支局編『原爆25年』(毎日新聞広島支局、19701201)

目次

 序章 聖域への挑戦
恩讐を越えて 田坂博子
 「何の平和」  さかもとひさし
  「解決ずみ?」  藤本千万太
  ある参加
第1章 悲願のうねり-廃虚の中から
 朝鮮の暗雲
手を組む被爆者
 ビキニ署名
 世界に響けこの声
政治とヒューマニズム
多様性と統一
 怒れるダルマ
 幻の国民運動
挑戦する反戦
 接着剤
世界平和巡礼
 B29とB52
 権利の意識
朝鮮人被爆者
第2章 手探りの医療-油と赤チン 
 プレス・コード
原爆乙女
 後障害研究会
ABCC
 原爆病院
広大原医研
健康診断
認定のヒズミ
 期待の人体病理学
  基礎と臨床
第3章 悪魔のツメ跡-白血病
 ケロイド
 原爆白内障
 ガン
 おりおうた貧血
  ブラブラ病
 胎内被爆小頭症
 治りにくい病気
 染色体異常
 被爆二世
第4章 こたえよ政治  平和式典
手帳のゆがみ
拝啓自治体殿
保障から補償へ
殉職の代償
差別生む二つの原爆症
被爆の全体像
第二の原爆
仮面のヒロシマ
ハコの中の原点
平和行政のカクレミノ
原爆スラム
世界連邦市長
被爆国の行方
第5章 未来のために 教室での継承
高校教育
物による証言
この傷を見よ
原爆文学?
 フィルムは語る
くりごとの原点
折鶴の少女
被爆者の血
●資料 原爆カルテ
原爆意識調査
あとがき

 

編年資料:ヒロシマ-1970年

編年資料:ヒロシマ-1970(昭和45)年

月日 資料名
0731 第3回平和を語る市民集会-シンポジウム:これからのヒロシマ
0803 第16回原爆禁止世界大会日本代表団の決議
「被爆25周年にあたり被爆者救援運動の新たな前進のために訴える」
0806 第16回原爆禁止世界大会日本代表団の決議
「第五福竜丸保存運動をさらに強化し成功させよう」
0806 広島市平和宣言
0806 原爆被災資料広島研究会『原爆被災資料総目録』第2集
0809 長崎市平和宣言
1129 ヒロシマ会議委員会編『原爆関係文献目録』
1202 ヒロシマ会議「ヒロシマ宣言」
原爆記録映画英文解説(広島大学原医研、1970年?)

 

核兵器不拡散条約(NPT)(1970年)

核兵器不拡散条約(NPT)

かくへいきふかくさんじょうやく

Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons

署名:1968年7月1日(ロンドン、モスクワ、ワシントン)

効力発生:1970年3月5日

日本:1970年2月3日署名、1976年5月24日国会承認、6月8日批准書寄託、効力発生。

核保有国が非核保有国に対し核兵器を移譲することや、非核保有国が核兵器を製造すること等を禁止する条約。1995年5月に条約の無条件・無期限延長が決まる。

参考資料:外務省の解説 http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/hosho/npt/index.htm

 

書名コード 書名 編著者 発行所
97100601 軍縮条約・資料集[第2版] 藤田久一・浅田正彦編 有信堂

 

ヒロシマ会議

ヒロシマ会議 1970年11 月29 日~ 12 月2日

「平和文化推進審議会」委員の発案が契機となり,「ヒロシマ会議」が開催された。広島市が市民の協力を得て開催した戦後初めての国際平和会議である。招待参加者は,海外からフィリップ・ノエルベーカー(英国,ノーベル平和賞受賞),ユージン・ラビノビッチ(米国,パグウォッシュ会議創始者の一人)ら6人,国内からは,湯川秀樹・朝永振一郎(いずれもノーベル物理学賞受賞者)ら13 人であった。

ヒロシマ宣言 1970年12月2日
原子爆弾がヒロシマ・ナガサキに投下されてから二十五年経た今日、われわれはこの広島に集まり、同時に組織された市民会議と相協力して「現代における平和への条件」を中心に真剣な討議を行なった。
われわれは、今なお被爆による肉体的苦痛と精神的不安に耐えつつ生きる多くの人々のいることを知り、被爆者の切実な声を聞き、推定二十万人を越える犠牲者の数々の遺品、被爆の物的資料、さらに本年七月広島市民の手で編集された当時の惨状を生々しく伝えるフィルムを見る機会を得た。核兵器は二度と使われてはならない。一日も早くこれを廃絶しなければならない。
にもかかわらず、現実の世界においては、ますます核兵器体系は巨大化と多様化の一途をたどっている。われわれは、われわれの努力が足りず、こうした事態を招いていることに対して深い自責の念を禁じ得ない。
核時代においてはいかなる国家にとっても、もはや防衛はありえない。核抑止とは核報復を前提とする戦略であり、核報復は自滅ないし共滅以外の何物でもない。その上、抑止戦略の根底には大量殺りくの威かくによって生存を図ろうとする恩恵が横たわっており、それは人類の安全をおびやかすだけでなく、人間の尊厳に対する許しがたい冒とくと言わなければならない。
したがって核兵器は即時禁止され、廃棄されなければならない。さらに各国は他の軍備をも廃棄し、軍事力を徹底的に解体する必要がある。このような措置が平和の強化のために持つ意義は大きい。
しかし、その場合でも、もし国際紛争が戦争に転化するならば、核兵器の再軍備が始り相手への不信と恐怖にかられて、ついには核戦争に突入する危険もある。
人類がこの核戦争の危険を防止し、現代における科学技術の進歩と人間の精神的荒廃というこの矛盾を克服し、人類の安全と人間の尊厳を確立するために、われわれのとるべき道はただ一つ、それは戦争を廃絶することである。
そのためには、われわれ自身の価値体系を変革し、従来の国家主権から人類主権へと向かう道を切りひらかなけれぱならない。それは単なる理想ではなく、人類の生存にとって不可欠の条件である。のみならず、政治、経済、文化の面で国際的相互依存関係が急速に増大している今日、その実現可能性も増大している。この人類主権の原理を現実化するために、われわれは次のような措置がぜひ必要であることに合意した。
第一に、国際機構の次元において、われわれは、核兵器の使用は国連憲章に直接違反すると宣言した第十六回国連総会決議に立脚して、国連がこれを実効性のあるものにするための具体杓措置をとり、核兵器の廃絶を早急に実現することを要請する。またこのような決定を有効に実行しうるためにも国連は中国の復帰によって普遍性を高める必要がある。それは国連を一層強化する道でもある。とりわけ、焦眉の課題であるインドシナと中東に平和をもたらすためにも、国連の強化は急がれなければならない。さらにまた、人類の成員は主権者として、だれしも全く平等であるにもかかわらず、現代の世界には南北間の重大な不平等があり、また、一国の内部にも不当な差別が存在している。こうした社会的不正義を平和的に除去するには、人類の協力を一段と強めなければならない。そのためにも現在開発途上にある貧しい人々に代って、人類共同の建設的努力を行なっている国連及びその他の国際機関に対しこれまでにも増して強力な努力を望むものである。
第二に、日本の対外政策に関して、会議への日本人参加者は、核武装と日本国憲法とが全く相いれないことを再確認し、日本政府が全人類に向けて非核武装を誓約する宣言を行なうことを強く要求する。また参加者の全員は、軍備競争の悪循環を断ち切るために、日本国憲法に規定された一方的非武装の方式が、きわめて有効であることを再確認し他の日々も日本の例にならうことを希望する。
第三に、全世界においてまた日本において以上のような変革を実現するためにも、一人々々の思考様式や価値体系を変革する必要がある。われわれは、そのような目的のために、全世界で平和研究が一段と活発に行なわれることが緊要であると考える。平和研究は単なる過去や現在の事実の分析だけでなく、戦争の廃絶された人類の将来を想像し計画し、これを積極的につくり出して行くために、軍備を必要としている現在の制度を乗り越えていくものでなければならない。さらにわれわれは、次の世代に戦争の悲惨と平和の意義とを正しく伝えるために、すべての国において平和教育が自由かつ学問的に行なわれる必要を強く訴えたい。特に世界の様々の宗教団体、青少年団体、文化団体にも積極的に平和教育にたずさわる責任が負わされていると考える。
被爆四半世紀後のヒロシマに集まったわれわれは、世界の同胞に向ってこう訴えたい。人間の能力の中で最も弱いのは想像力であり最も強いのは忘却力であるという。だがわれわれは決してヒロシマを忘れないし、戦争の廃絶された世界を構想する能力を失わない決意である。
一九七○年十二月二日  広島にて(本会議への参加者全員)
相原和光 秋月辰一郎 テイボール・バルタ ダニロ・ドルチ 江川義雄 原田東岷 橋本栄一 飯島宗一 今堀誠二 石田明 ロベルト・ユンク 川田侃 牧二郎 松元寛 森滝市郎 村上忠敬 フィリップ・ノエルベーカ 野村浩一 小黒薫 岡咲恕一 大田昌秀 ユージン・ラビノビッチ バーバラ・レイノルズ 坂本義和 佐久間澄 関寛治 庄野直美 荘司雅子 田畑茂一郎 高野雄一 谷川徹三 朝永振一郎 豊田利幸 山田節男 湯川秀樹

ヒロシマ会議・市民会議の報告

世界最初の原子爆弾が広島・長崎に投下され、二十五年を経過した。この間、被爆者の不安と社会的差別は解消されないばかりか、憲法第九条は空洞化され、日本の核武装の危険は増大し、国際情勢は大きな危機をはらむに至っている。われわれは、こうした現実を直視し、その歴史的、政治的根源を追求しなければならない。今日、被爆者は、みせかけの繁栄の中に埋没し、いまなお原爆症の不安におののいている。われわれは、被爆者の援護措置が国の戦争責任において、国家補償としてすみやかに確立されるよう、日本政府に強く要求する。

さらに進んで、われわれ広島・長崎市民はもとより、被爆者も自らの体験をのり越え、通常戦災者や公害被害者との連帯を強化するとともに、核基地沖縄の県民や外国人被爆者がおかれた生々しい苦悩にも切実なる思いを寄せ、一方では、日本の侵略戦争によって犠牲となった中国をはじめとする諸国民の実情をも見つめなおし、それらを自分自身の内なる問題として位置づけなければならない。

また、原爆のおそろしさが意識的に知らされなくなった今日のきびしい体制分析をふまえて、平和教育の重要性を深く認識し、学校教育や家庭教育を通じて教師と母親との一体化をはかり、真の被爆体験の継承をしんぽうづよく持続させなければならない。そのためにも、正確な資料の収集・調査・活用や平和問題の科学的研究を行なうための総合的な研究のセンターが設立され、被爆者を勇気づけ、市民や教師の諸活動を結びつけ、はげます方向が打ち出されることを望むものである。

われわれは、ここにいままでねぱり強く展開され、積みかさねてきた幾多の平和運動の成果を正しく評価するものである。同時にその欠陥をも忠実に摘出しながら自己の戦争責任を反省し、人間生命の尊厳を運動の基調として定着させなければならないと考える。

将来にわたって国民的課題である平和の諸問題を、根気よく、探究することを誓い、それを行動化することを確認する。

出典:ヒロシマ会議委員会『現代における平和への条件-1970ヒロシマ会議-』

 

参考資料:「原爆関係文献目録-ヒロシマ・ナガサキは世界に問い続ける」

BK701129