広島県原爆被爆教師の会入会のしおり 1972年6月現在
所蔵:ピカ研 |
広島県原爆被爆教師の会入会のしおり 1972年6月現在
所蔵:ピカ研 |
第22次教育研究広島県集会報告書4 第1分科会[1972年]
氏名 | 所属 | タイトル |
仁田 | 甲山支区 中央小 | 「あるハンノキの話-6年生でのとりくみ」 |
砂畠 | 三原地区支部 中之町小学校 | 国語教育を通しての人間形成はどのようにすればよいか |
神原 | 三原地区支部 尾道支区 吉和中学校 | 平和教育共通教材のとりくみ「ヒロシマのうた」 |
今西祐行 | ヒロシマのうた | |
『現代教育科学 No.173 特集:戦後教育における「原爆問題」の欠落』(明治図書、19720301) 所蔵:ピカ研
著者 | タイトル | 備考 |
石田明 | 戦後教育における「原爆問題」の欠落(50枚) | |
■社会科教科書で「原爆」はどう扱われてきたか | ||
空辰男 | 小学校社会科教科書での「原爆」の扱い | |
真野久 | 中学校社会科教科書での「原爆」の扱い | |
磯本恒信 | 「原爆問題」と「部落問題」 | |
■被爆体験は教師の生き方にどうかかわってきたか | ||
箱田浩 | 風化現象はどこから起きるか | |
今田斐男 | 教師の平和に対する意識の確認を | |
永坂昭 | 子どもらにピカを浴びさせない | |
■副読本「ひろしま」はどう教えられているか | ||
米田進 | 小学校における「ひろしま」の実践 | |
藤原義治 | 中学校における「ひろしま」の実践 | |
■地下核実験「アムトチカ島」は教室でどう話し合われたか | ||
三上敏夫 | 学級会の話し合い活動の中で | |
山岡照 | 国語科・ロングホームルームの中で | |
■「」を授業でどう扱ったか | ||
押上武文 | 文学の授業での「原爆」教育 | |
野口良子 | 「同和」教育との関連での「原爆」教育 | |
広島平和教育研究所 設立:1972年6月1日
設立宣言
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
峠三吉
ヒロシマを忘却することは許されない。
それは、原爆の犠牲となった多くの人びとへの贖罪と鎮魂の意味からだけではない。全人類が無知と偏見、戦争の恐怖から免れ、平和のうちに生存し抜くことは、核時代を生きるわれわれの至上の課題であり、ヒロシマはその原点だからである。
人間の心に平和のとりでを築くことは、教育の力にまつところが大きく、ヒロシマは核時代の教育を問い直す原点である。教育を通して、ヒロシマを後の世代に継承し、人類共通のものにすることは、世界平和に貢献する人類史的責務である。
われわれは、このことを深く自覚し、平和教育に関する科学的究明を行なうとともに、広く世界の平和教育を推進することをめざして、ここに「広島平和教育研究所」を設立する。
機関誌:
原爆と文学の会
山口勇子=米、ハノイを爆撃。連日のニュースに目はくぎづけになる。でき得る限りの方法で、なにかをしなければ、といういら立つ思いの中から『原爆と文学』は生まれでた。
増岡敏和=今年の3月、山口勇子が東京に在住することになって、いきなりわたしのところに電話がかかってきた。そして文学における原爆のたたかいをすすめる話になり、『原爆と文学』を創刊する話に発展した。
出典:「あとがき」(機関誌『原爆と文学』創刊号1972年07月25日刊)
『原爆と文学』
号 | 発行年月日 | 備考 |
所蔵:G=広島原爆資料館、U=宇吹 | ||
01 | 1972/07/25 | G、創刊号 U |
02 | 1973/06/01 | G |
03 | 1974/06/15 | G |
04 | 1975/07/10 | G、U |
05 | 1977/08/01 | G |
06 | 1995/03/01 | G、U、1995年版 |
07 | 1996/02/27 | G、U |
08 | 1997/03/01 | G、U |
09 | 1998/03/01 | G |
10 | 1999/03/01 | G、U |
11 | 2000/03/01 | G、U |
12 | 2001/03/01 | G、U |
13 | 2002/03/01 | G |
14 | 2003/03/01 | G |
15 | 2004/03/01 | G、U |
16 | 2005/03/01 | G |
17 | 2006/03/01 | G |
18 | 2007/03/01 | G、2007年版 |
広島県医療社会事業協会『患者と福祉 1972』1972年10月10日発行
目次
上村吉郎 | 巻頭言:社会福祉の向上を<広島県医療社会事業協会長> | |
江崎須賀子 | 人工血液腎臓透析医療のかかえる問題 | |
特集=社会福祉士法制定試案を考える | ||
三村正弘 | 「社会福祉士法」案に対する提言 | |
特集=老人と医療 パネルディスカッション(=1971年12月16日開催の広島県MSW協会第2回研修会のまとめ) | ||
<出席者>上村吉郎、*江紀雄、若林節美(広島原爆病院、MSW)、田中勉<助言者>和田直(広島大学名誉教授、ABCC顧問)<司会>早川美子(原爆対策協議会、PSW) | ||
事例研究 | ||
西村清登 | 事例4:ある婦人の腎臓摘出手術をめぐって | |
早川美子 | 事例7:ある被爆家庭の人間関係(PSW、現広島県立精神衛生センター専門員) | |
特集=原爆被爆者対策に考える= | ||
志水 清:原爆被爆者対策に対する提言 | ||
宮本秀夫:被爆者対策の基底 | ||
西谷義則:被爆保護世帯の実態と今後の課題 | ||
事例研究 | ||
若林節美:入院拒否を続けた原爆被爆母子家庭 | ||
児島美都子:講評/遅すぎたケース紹介 | ||