ベトナムに関する緊急国際会議(ローマ世界集会)1973年2月〈作業中〉
1973年2月22~24日・ローマ |
ベトナムに関する緊急国際会議報告(ローマ世界集会) |
楠忠之(広教組広島地区支部長・広島市原水協事務局長) |
止
ベトナムに関する緊急国際会議(ローマ世界集会)1973年2月〈作業中〉
1973年2月22~24日・ローマ |
ベトナムに関する緊急国際会議報告(ローマ世界集会) |
楠忠之(広教組広島地区支部長・広島市原水協事務局長) |
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資料:自衛隊パレード反対(1973年)
日本共産党広島地区委員会(1973年10月) |
表 |
裏 |
安保破棄諸要求貫徹広島県実行委員会(1973年10月) |
共催:広島県平和委員会、広島憲法会議、原水爆禁止広島県協議会、広島県文化団体連絡会議、広島商工会 |
広島市職員労働組合、広島市職労・青年部(1973年10月) |
広島県教職員組合広島地区支部 |
止
『つぐない 原爆補償』創刊号(原爆被災者補償法の制定を期する市民の会、19731206)
頁 | 項目 | 著者 |
01 | 発刊を祝して | 志水清(理事長) |
02 | 裁判所の法技術論と原爆補償 | 畑博行(広島大学政経学部教授) |
04 | 原爆補償の思想 | 今堀誠二(広島大学教養部部長) |
06 | 無縁仏の遺族さがしを通して | 佐伯敏子(主婦) |
08 | 署名運動に参加して | 矢野庫雄() |
09 | 奉仕国家建設をめざそう | 相原和光(広島YMCA総主事) |
10 | 憲法九条から地球市民へ | 小谷鶴次(広島大学元政経学部長) |
12 | どこまで国の責任か | 村上忠敬(女学院大学学長) |
13 | 原爆被災者補償法を考える | 久保正直(事務局長) |
15 | 被爆者援護のあゆみ | 志水清(理事長) |
18 | 事務局報告 | |
20 | 編集後記 | 末永 |
広島県原水協年表(1973年)
月日 | 事項 | 備考 |
0113 | 広島県原水協・広島市長、ベトナムでの核使用の可能性を示唆したクレメンツ発言に抗議。 | |
1211 | 広島県被団協、被爆者への年末手当を要求し、NHK中国本部東向側の100米道路緑地帯で座り込み。 |
『写真家100人 顔と作品 カメラ毎日創刊20周年記念別冊』(1973)
内容
094 | 木村伊兵衛 | |
098 | 長野重一 | |
102 | 浜口タカシ | |
114 | 福島菊次郎 | |
変身のきっかけは「原爆」 | 羽生晴久 | |
146 | 土門拳 | |
212 | 土田ヒロミ | |
216 | 東松照明 | |
『グラフひろしま』(広島市役所秘書室広報課)
目次(抄)
NO. | 発行年月日 | 記事 |
01 | 19731001 | |
56 | 19930331 | ひろしま昭和ヘソ時代 みんなが残した路地裏グラフィティ<1952~1962> |
61 | 19951201 | 変わらない約束 被爆50周年記念号 |
今後、すべての色の花が、おだやかな風に吹かれますように。~ダグラス・グラハム~ 1 天地いっぱい、緑のゆりかご 2 未来の記憶の中へ 4 忘れかけの街で 6 風化しないように、子どもたちヘヒロシマを託す 7 風景の途上にて 8 故郷のうたを聴きながら 10 八月六日午前四時。いとおしい夜明け 12 Hiroshima:8:15a.m.August6,1995 平和宣言(全文) 14 Midnight-8:00p.m.August6,1995 回復する時間 16 遠い先のまだまだ先へ。8:00p.m.August6,1995 18 まなざしがくれたもの。●8.6ヒロシマ発のメッセージ● 20 あしたの夢を掘る。 22 百万人の大ピース。1995.8.2ピース・ワールド・イン広島’95 24 ボクら平和と隣組。1995.8.1~2こども平和のつどい 26 21世紀と話をしよう。 28 広島市被爆50周年記念事業 30 変わらない約束「ヒロシマ」 32 |
||
63 | 199610 | ボランティア特集 |
64 | 199612 | 特集・ひろしま国体 おりづる大会ひろしま |
71 | 19991001 |
月 | 日 | 記事 |
---|---|---|
05 | 14 | 長崎大学医学部原爆後障害医療研究施設、米国から返還された資料を開封し報道陣に公開。 |
06 | 11 | 広島市が返還資料のうち134枚だけを公開することについて、二つの県被団協や被爆二世問題連絡会が抗議。 |
06 | 16 | 広島、長崎両市と中国新聞、地元放送3社共催「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」、広島平和記念館で開催。。-25日。期間中、8万245人入場。 |
06 | 16 | 朝鮮李王朝の子孫・李*公のいとこにあたる李玖、広島市を訪れ、「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」を見学。 |
06 | 22 | 中国新聞「対話:私の中の”返還被爆資料展”」 |
06 | 23 | 「ナガサキ・ヒロシマ米国返還原爆被災写真展」、長崎国際文化開館で開幕。 |
06 | 23 | 広島市の主婦、「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」で展示されている被爆直後の御幸橋の写真の女子学生が自分であると名乗り出る。 |
06 | 29 | 中国新聞「返還被爆資料展-8万人(入場者)の重み-記者座談会」 |
06 | 30 | 米返還被爆資料展、福山市で開幕。-7月3日。入場者は3万1828人。 |
07 | 06 | 広島市内の原水禁,被爆者団体,町内会関係者約30人、ヒロシマの街に8月6日を再現する被爆者と市民の会を結成. |
07 | 06 | 「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」、広島県三次市で開催。-8日。総入場者数は1万5769人。 |
07 | 13 | 「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」、山口市で開催。-16日。総入場者数は5012人。 |
07 | 23 | 住友銀行広島支店、米返還被爆資料のうち30点を1階ロビーに展示。-8月6日。 |
07 | 30 | ヒロシマの街に8月6日を再現する被爆者と市民の会、市内40か所で返還被爆写真街頭展を開始(~8月11日). |
07 | 31 | 広島市など、2回目の「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」を広島平和記念館で開催。-8月6日。総入場者は2万4028人。 |
07 | 31 | 広島市、原爆死没者名簿を平和記念館で公開。-8月6日。 |
07 | 31 | 国鉄広島駅の団体待合室で「原爆の記録と広島駅の今昔展」開催。-8月7日。 |
08 | 01 | 広島市沼田公民館、沼田地区戦災関係資料展を開催。-4日。 |
08 | 02 | 広島市在住の主婦、「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」で「太陽館」と解説されているのは、「呉服店倉庫」であると誤りを指摘。男性による、「防空ごう」は「ざんごう」との指摘も。 |
08 | 05 | 中国新聞「返還被爆写真展を見て-広島会場でのアンケートから」 |
08 | 06 | 「全電通全国原爆被爆者協議会」、広島市で結成。 |
08 | 07 | 中国新聞「どうとどめる薄れる記憶-「あかし」を葬るな-急げ史実の収録-食い違う証言解明」 |
08 | 08 | 「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」、京都市で開催。-13日。 |
08 | 08 | 米返還被爆資料展、京都で開幕。九月中旬まで山形、新潟、宇都宮、大宮、熊本、宮崎の各市でも開催 |
08 | 12? | 中国新聞社、全国有力地方紙に「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」の開催を呼びかける。 |
08 | 14 | 「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」、山形市で開催。-19日。入場者は約500人。 |
08 | 17 | 「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」、岡山市で開催。-21日。総入場者は3万2822人。 |
08 | 18? | ブラジル在住の広島出身の男性、原爆を教えるための資料集めに帰国。 |
08 | 19 | 「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」、新潟市で開催。-26日。 |
08 | 24 | 「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」、宇都宮市で開催。-29日。 |
08 | 31 | 「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」、熊本市で開催。-9月4日。 |
09 | 13 | 「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」、宮崎市で開催。-18日。 |
09 | 13 | 「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」、大宮市で開催。-18日。 |
10 | 13 | 広島県・県商工会議所連合会など、米ホノルル市で「ハワイ・ひろしま親善フェア」を開催。-19日。広島市の被爆前と後の写真も展示。 |
『原子爆弾 広島・長崎の写真と記録』(仁科記念財団編纂、光風社書店、19730806)
目次
章節 | ||
序文 朝永振一郎 | ||
Ⅰ | 発端 | |
Ⅱ | 「新型高性能爆弾」 | |
広島・その日 | 私はそこにいた 監視哨報告 最初の報道 | |
火災・旋風・黒い雨 | 宇田道隆 | |
初期救護活動・広島 | 緊急非常事態 宇品船舶司令部 船舶練習部第10教育隊 南大橋付近 斎藤部隊本部 東練兵場付近 爆心周辺避難路と救護所 夜があけて 救護部隊の到着 | |
似島臨時救護所 | ||
宇品船舶練習部 | ||
大和人絹広島工場 | 8月6日野戦病院の設営 陸軍軍医学校派遣調査斑 | |
焼け残った病院 | 陸軍共済病院 広島第一陸病・江波分院 三菱・広島造船所構内病院 広島逓信病院 | |
広島赤十字病院(回想)重藤文夫 | ||
Ⅲ | 初期調査はじまる | 呉鎮守府調査団 海軍広島調査団 技術院調査団の派遣 大本営,有末調査団を派遣 陸軍省災害調査班(当時をかえりみて)山科清 京都大学調査団大阪 大学調査団 |
「判決」 | 「広島爆弾調査報告」 レントゲンフィルムの感光 | |
最初の新聞発表 | ||
放射能を追って | 仁科博士の西下 「観測するモルモット」玉木英彦 放射能の測定 | |
Ⅳ | 未知の原爆症 | |
「原子爆弾症の恐怖」 現地医師の体験 ある新劇女優の死 「医学も揺らぐ原子爆弾の惨」 都築博士一行の西下原子爆弾症講演会 「所謂原子爆弾傷の医療方針」都築正男 〔解説〕「広島と長崎の原爆」 | ||
Ⅴ | 長崎被災 | |
爆発の瞬間 | 香焼島監視哨 大村からの観察針 尾海兵団からの観察 長崎測候所での観測 | |
「長崎地区憲兵隊報告」 | ||
長崎医科大学 | 「長崎医大の壊滅」調来助 | |
長崎・避難と救護 | その日の旧市内 救護組織の壊滅 勝山国民学校臨時救護所 飽ノ浦三菱病院 浦上-爆心周辺 浦上工場群の被爆 その後の浦上 大橋以北救援列車 | |
諌早大村海軍病院 | 諌早海軍病院 大村海軍病院他 新興善救護病院 |
|
仁科博士長崎へ | ||
Ⅵ | 学術調査 | |
原爆調査特別委員会 | 長崎における調査活動 不可解な事件 「r原爆災害調査報告書」 | |
原爆調査回顧 | 菅義夫 | |
枕崎台風による遭難回想 | 木村毅一 | |
日米合同調査団の経緯 | ||
災害調査のいくつかの課題 | 被曝線量の問題 「仁科博士のメモ」より遮蔽効果について 死亡統計について | |
「仁科報告」 | ||
Ⅶ1 | 原爆記録映画 | |
映画採録 131 「広島篇」 132 一般被害 物理-影について熱放射能 |
||
Ⅶ2 | ||
Ⅷ | 資料 | |
Ⅸ | 終章 | |
消えた都市・消された人間 | 加納竜一 | |
原爆記録写真について | 相原秀次 | |
後記 | 山崎文男・田島英三 | |
原爆の記録ヒロシマ―米国返還資料から(中国新聞社、19730806)
目次
頁 | ||
009 | 広島・長崎の原爆 | |
010 | 返還資料の内容 | |
011 | 資料のもつ意義 | |
013 | 接収から返還に至る経緯 | |
014 | 今後の問題点 | |
017 | その日 | |
021 | 御幸橋の上で | 松重美人撮影。HH100。 |
022 | 御幸橋の上で | 松重美人撮影。HH101。 |
023 | 専売局電停角 | 松重美人撮影。[返還資料には含まれず] |
024 | 翠町の理髪店 | 松重美人撮影。[返還資料には含まれず] |
024 | 理髪店の内部 | 松重美人撮影。[返還資料には含まれず] |
025 | 焦土 | 小堺吉光(広島平和文化センター主幹) |
063 | 破壊 | 佐々木雄一郎(原爆被災資料広島研究会) |
161 | 熱線 | 佐久間澄(広島大学教授) |
175 | 救護活動 | 大内五良(広島市医師会長) |
203 | 調査 | 今堀誠二(広島大学教養部長) |
213 | その他 | |
225 | 人体傷害 | 岡本直正(広島大学原爆放射能医学研究所長) |
281 | 返還写真資料目録 | |
301 | 「返還」写真資料について | 相原秀次(原爆記録映画プロデューサー) |
310 | あとがき | 宮本思雲(中国新聞社編集局長) |
日本平和学会 設立日:1973年9月10日
機関誌:平和研究(19760405創刊号)
ホームページ https://www.psaj.org/
創立前後の動向(抄)(出典:「平和研究に関する国内のおもな動き」(『平和研究』創刊号、p.201))
年月日 | 事項 | |
1966 | ||
02 | 日本平和研究懇談会(初代会長・川田侃) | |
1967 | ||
03 | Peace Reseach In Japan(日本平和研究懇談会英文機関誌)発刊 | |
1972 | ||
07 | 日本学術会議、平和問題研究連絡委員会(委員長・岡倉古志郎)設置 | |
08 | 日本平和教育研究所設立 | |
09 | 日本平和研究懇談会内に「平和教育研究グループ」(部会長・浮田久子)組織 | |
0912 | PSSI日本支部設立準備大会開催 | |
1973 | ||
0528 | 日本平和学会設立準備委員会発足 | |
0903 | 「日本平和学会設立」についての記者会見 | |
0910 | 日本平和学会設立総会および研究会。~11日 | |
1974 | ||
03末 | 会員数104名になる | |
1975 | ||
06 | 広島大学「平和科学研究所」設置 | |
08 | 被爆30周年国際核フォーラム | |
08 | パグウォッシュ会議シンポジウム | |
0903 | 日本平和学会第5回研究大会(広島大学)~4日 | |
1976 | ||
02 | 会員数245名となる | |
03 | 学会機関誌「平和研究」創刊号発刊 |