「1982年」カテゴリーアーカイブ

遺品は語る

『遺品は語る』(深沢一夫 (文)、森下一徹 (写真)、汐文社、19820806)

目次

見出し 備考(著者、寄贈者など)
巻頭言 被爆資料から声なき声が聞こえる 高橋昭博
1 無言の語部
2 消せない記憶
溶けた瓦に埋まった人骨
学生服上衣の一部 (寄贈者・河野寿)
罹災証明書 (寄贈者・)
学生服上衣 (寄贈者・)
原爆瓦
陸軍将校の軍服 (寄贈者・)
軍刀 (寄贈者・)
学徒の地下足袋 (寄贈者・)
学徒隊女学生の下駄 (寄贈者・)
象牙製の印鑑 (寄贈者・)
炭化した象牙のパイプ (寄贈者・)
眼鏡のレンズ・ハサミ等 (寄贈者・)
文字の焼け抜けたポスター片 (寄贈者・)
焼跡のついた竹 (寄贈者・)
硬貨の溶融塊 (寄贈者・)
懐中時計 (寄贈者・)
2 消せない記憶
八丁堀付近のガラス瓶 (寄贈者・)
23年後の爆発 (文・深沢一夫)
中学生の弁当箱、水筒、財布 (寄贈者・)
わが子の遺体に呼び寄せられて (文・深沢一夫)
学徒が残した生爪と生皮 (寄贈者・)
おもかげ (文・深沢一夫)
皮ベルト (寄贈者・)
母もあびた放射能 (文・深沢一夫)
陶製の学生服ボタン
剛武と名づけた父 (文・深沢一夫)
ガラス小瓶の集塊 (寄贈者・)
死者へのいとおしさ (文・深沢一夫)
女学生の弁当箱 (寄贈者・)
遺体すらかえらずに (文・深沢一夫)
妻のモンペ (寄贈者・)
永遠に妻の形見を (文・深沢一夫)
生死不明のままに (文・深沢一夫)
〈轟沈〉をうたいつつわが子は (文・深沢一夫)
おくれた後遺症対策におびえて (文・深沢一夫)
うす墨の空に黒い雨が (文・深沢一夫)
夫との最後の一夜 (文・深沢一夫)
いつかこの声がとどかぬ日が (文・深沢一夫)
遠ざかるヒロシマの記憶 (文・深沢一夫)
落果した青い果実 (文・深沢一夫)
兵隊がくれた金米糖 (文・深沢一夫)
シカゴにも落としてやったぞ! (文・深沢一夫)
いのち断つ炎の街が…… (文・深沢一夫)
不運の中の幸福 (文・深沢一夫)
忘れたい記憶をいま語り継ぐ (文・深沢一夫)
穿たれた青春 (文・深沢一夫)
穿たれた青春 (文・深沢一夫)
大義の末 (文・深沢一夫)
広島の惨劇 (文・深沢一夫)
資料館で胸に迫った兄の最期 (文・深沢一夫)
米軍の警告ビラ
ポツダム宣言ビラ (寄贈者・)
船舶司令官告諭
原爆投下が意味するもの (文・深沢一夫)
3 平和記念資料館の歴史
あとがき 高橋昭博(広島平和資料館館長)
取材後記 深沢一夫(作家)
撮影後記 森下一徹(写真家)

 

年表:原爆展(1982年)

年表:原爆展(1982年)

記事
01 11 10フィート運動広島呼びかけ人会・広島平和文化センター共催「原爆写真巡回展」、広島市役所・区役所で開催(2月6日まで)。
01 29 参院本会議で、江田五月議員、国連軍縮総会へ被爆記録写真を持参するよう政府に提言。
01 29? 昨年香川県内で開かれた「広島・長崎原爆展」を見た子どもたちによる「平和への願いを親から子へ-戦争の実像を見きわめ平和の貴さを知る感想文集」、刊行される。
02 08 広島県主催巡回原爆写真展、開始。
02 16 衆議院憲政記念館、「第5回憲政史特別展」を開催。-3月16日。広島原爆資料館の被爆資料14点を展示。
02 24 東京の憲政記念館で、「憲政史特別展」開かれ、被爆資料10点余(原爆製造計画書など)展示。
02 25 長崎県福江市の下五島で、「被爆の実相を全世界に!原爆写真展」開催(同展下五島実行委主催)。
03 13 長崎県五島奈良尾町で、原爆写真展開催。広島・長崎原爆写真展上五島実行委員会主催。
03 14? 「子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会」が贈った被爆写真の巡回展、ニューヨーク市などで開催。
03 20 仏在住の日本人有志、「広島・長崎を伝える会」を結成し、パリ市内で被爆写真展を開催(28日まで)。
04 09 庄原市の青年グループ、同市で「原爆写真展」開催。
04 25 広島・長崎原爆写真展実行委員会、五島有川町で原爆記録映画を上映し、原爆写真展を開催。
04 27 長崎市長、県内7市(長崎市を除く)で原爆被災写真展を開くことを提案。
04 28 国連広報局、SSD2期間中国連本部ロビーで「現代世界の核の脅威展」開催すると発表。(6月3日-7月9日)
05 18 長崎・広島青年会議所、宮崎市で国際青年会議所アジア会議開き、原爆写真展開催。
05 23 ナガサキから世界へ!核兵器廃絶をめざす5.23長崎行動実行委員会、平和公園で原爆写真展・原爆記録映画上映会開催。
05 23 広島・長崎を伝える会(在仏の日本人グループ)、パリで、原爆展開催。(24日も)
05 30 長崎市長、国連での「現代世界の核の脅威展」出席などのための訪米。
05 31 広島市長、国連本部ロビーでの原爆写真・資料展「現代世界の核の脅威展」開会式出席のため出発。出発前原爆慰霊碑に献花。
06 02 長崎市長、SSD2出席・「現代世界の核の脅威展」出席などのため、ニュヨーク入り。(6日帰国)
06 03 広島・長崎原爆写真・資料展「現代世界の核の脅威展」、ニューヨーク国連本部ビルで開催。(国連広報局主催。)
06 08 カナダ・オタワ市の国立カナダ美術館で、被爆者の描いた「原爆の絵」展(8月8日まで)。(初の海外展示。)
06 08 広島市長、帰国し、国連本部ロビーで開催されている原爆写真・資料展のもようなど報告。
06 18 島原市・長崎市、島原市で「語り継ごう原爆被災写真展」を開催。
06 18? ソ連・ボルゴグラード市、広島市との姉妹都市縁組10周年を記念して原爆写真展の開催を広島市に申し入れ。
06 29? 広島・長崎原爆写真展実行委員会、北松宇久町で原爆写真展・原爆記録映画上映会を開催。(昨年11月から離島などを巡回)
06 30 長崎市、市内公民館で「語り継ごう原爆被災写真展」開催。(8月末まで17カ所巡回)
07 13 長崎県松浦市役所で、初の原爆写真展開催。
07 19 自治労被爆2世連絡協議会、東広島市で被爆写真展開催(24日まで)。
07 19 佐世保市役所で「語りつごう原爆被災写真展」、開催。
07 26 広島市の全区役所で「被爆者が描いた『原爆の絵』」展、開催(8月14日まで)。
07 30 広島・長崎両市、朝日新聞社主催「原爆展」、東京で開催(8月4日まで)。その後、大阪(8/6‐8/18)千葉(8/20‐25)名古屋(8/28‐9/2)礼幌(9/9‐9/20)沖縄(10/12‐10/24)で開催。
07 31 国連広報局・創価学会平和委員会、東京で「反核・反戦展」開催(8月6日まで)。被爆資料など展示。(松本・福岡・仙台・広島を巡回。)
08 02 広島市の区役所で、「市民が描いた原爆の絵展」開催。
08 03 諫早市で「語りつごうナガサキ原爆写真展」開催(9日まで)。
08 04 第3回被爆直後の長崎写真展、長崎市で開催(NHK長崎放送局など主催)。
08 05 読売新聞大阪本社主催第6回読売新聞連載〈戦争〉展、大阪市で開催。広島で被爆した俳優丸山定夫らの遣書・遺品なども展示。(16日まで。)
08 06 長崎市の妹姉都市オランダ・ミデルブルグ市で、「長崎・広島の原爆写真展」開催(26日まで)。
08 06 米のシカゴ平和資料館で、「市民が描いた原爆の絵」展開催(11月末まで)。(海外での展示は2度目。)
08 06 長崎県西彼長与町の「第2回長与川まつり」で、原爆与真展・原爆映画上映会など開催(8日まで)。同町で初めて。
08 06 広島・長崎両市、朝日新聞社主催「原爆展」、大阪市で開催。
08 06 仏の市民グループ・パリ郊外の核施設で、断食。原爆写真展開催。
08 09 長崎県被爆者手帳友の会郷ノ浦支部など、長崎県壱岐で、「原爆映画と写真展の集い」開催。
08 15 長崎県西彼大島町で、「大島平和を考える集い」開催。原爆記録映画を上映、原爆写真展開催。
08 20 広島・長崎両市、朝日新聞社主催「原爆展」、千葉市で開催。
08 28 広島・長崎両市、朝日新聞社主催「原爆展」、名古屋市で開催。
09 04 オランダの首都アムステルダムで、「長崎・広島の原爆写真展」開催。
09 09 広島・長崎両市、朝日新聞社主催「原爆展」、札幌市で開催。
09 29 長崎市・同市教委、市内公立中学校(27校)で原爆写真展開催。(各校で3日間、12月中旬まで)。
10 10 広島市議会、中国へ議員団派遣。中国での原爆展開催などについて協議。
10 12 広島・長崎両市、朝日新聞社主催「原爆展」、沖縄で開催。
10 21 国連広報局・創価学会平和委員会、広島市で「現代世界の核の脅威展」開催(26日まで)。6月のSSD2会期中に国連本部ロビーで行った原爆展のパネルを展示。
10 24 岡山市民生協、「第4回生協まつり」を開催し、平和コーナーに原爆パネルなど展示。
10 28 戦後25年間の写真を紹介する「日本現代写真史展」、呉市で開催。原爆被災写真を展示。
10 31 長崎市の日見地区住民による「原爆写真展と映画の会」開催。
11 06? オランダでの原爆写真展(8-9月)が成果を収めたことの手紙が、ミテルグルク市長から長崎市に届く。
11 10 カナダ・オタワ市の国立美術館副部長、来広し、同館での「原爆の絵」展(6月8日から3カ月)のもようを報告。(約五万人が入館。)
11 10? 広島・長崎両市、朝日新聞社主催「原爆展」、横浜市で開催(9日まで)。(7月から全国八都市を巡回。)
11 15 朝日新聞社主催「原爆展」(7月~11月まで、全国八都市で開催)での募金、被爆者援護資金として広島・長崎市へ寄贈される。
11 18? 「原爆展」(広島・長崎両市、朝日新聞社主催)入場者の「声」を収録した小冊子「原爆展を見て」、刊行。
11 26 国連総会第一委員会、国連の「世界軍縮キャンペーン」行動計画を認める決議を採択。それによって、広島・長崎原爆資料の国連本部常設展示が決定。
12 04? 長崎市、国連に永久展示される原爆資料のリストアップ開始。
12 08 真珠湾(パールハーバー)攻撃で沈没した戦艦「アリゾナ」を記念するアリゾナ記念館、同館に原爆犠牲者の遺品などを展示することを計画。日本の宗教関係者に協力を依頼。

 

ヒロシマの証(土田ヒロミ)

『ヒロシマの証  岩波グラフィックス ・7 』(土田ヒロミ写真、杉原正、兼口芳哉文、岩波書店、19821124)

目次

遺品 旧所有者 タイトル 証言者(寄贈者)
02 半ズボンとバンド 満田二朗 ナガサキ・ヒロシマ 満田義忠
06 懐中時計 二川謙吾 8時15分で止まった時計 二川一夫
10 弁当箱と水筒 折免シゲコ
12 防空ずきんとカバン 生まれ変わり 舛田耀夫・舛田和枝
17 スリップ
18 救急袋 妹のけな気さ 桑山暁美
22 ご飯蒸しとコウリャン 黒いコウリャン 道田政雄
26 双眼鏡
28 学生服 甲子園への夢 下田則明
33 中学生の学生服
34 将校の軍服 心の負い目 冨田実
39 サーベル
40 ガラス・皿・酒杯 「武田一括資料」 武田学郎
45 ワンピース
46 ガラス片 体内ガラス 伊藤悟
50 軍医の服 夫からのはがき 本田松子
55
56 預金通帳 残った通帳 佐久間一夫
61 もんぺ
62 ピアノ 被爆ピアノ 金子修郎
66 鉄かぶと 教師の心の痛み 福丸敦枝
70 帽子・防空ずきん・被服帳
72 下駄 執念の下駄 井上富子
76 ワンピース 謝る毎日 古川ミツヨ
80 金銅仏

 

 

資料調査通信(広島大学原医研)1982年

1982年

第6号(1月号)-第16号(12月号)

 

分冊 記 事
6 1 1 まどうてくれ ―藤居平一聞書―その(2)原水爆禁止大会 1 21
6   1 THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ (6)1960年 1 2
6   1 被爆問題年表 1982年1月 3 8
6   1 連載記事一覧 1981年 9 12
6   1 文献・図書資料 1982年1月受け入れ分 13 22
7 3 2 まどうてくれ 藤居メモ(1)1955年11月ー1956年3月 1 21
7 B 2 原爆障害症研究文献目録 ―渡辺 漸氏より借用分― 1 21
7 1 2 まどうてくれ ―藤居平一聞書―その(3)原爆被害者の救援と組織 1 17
7 2 2 まどうてくれ 資料 18 40
7   2 THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ (7)1961-1964年 1 4
7   2 被爆問題年表 1982年2月 5 12
7   2 文献・図書資料 1982年2月受け入れ分 13 16
8 1 3 まどうてくれ ―藤居平一聞書―その(4)広島県被団協 1 14
8 2 3 まどうてくれ 資料 14 58
8 3 3 まどうてくれ 藤居メモ (2)1956年3月~7月 1 31
8   3 被爆問題年表 1982年3月 1 13
8   3 被爆問題年表 1982年4月 14 25
8 3 「反核・軍縮の決議・意見書・宣言を採択した地方議会一覧」   26 33
8   3 THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ (8)1965-1971年 34 43
8   3 文献・図書資料 1982年3・4月受け入れ分 44 52
9 1 5 まどうてくれ 資料特集 1956年8月6日 第3回原水爆禁止広島大会,他 1 21
9 2 5 まどうてくれ 資料特集 くずれぬ平和を 8.6広島大会被害者大会議事録[抄] 1 19
9 3 5 まどうてくれ 資料特集 第2回原水爆禁止世界大会議事速報[抄] 1 19
9   5 THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ (9)1972-1976年(連載終わり) 1 5
9   5 被爆問題年表 1982年5月 6 21
9   5 トピック() 5月13日の宮沢官房長官の衆院外務委での答弁について 21 21
9   5 文献・図書資料 1982年5月受け入れ分 22 24
10   6 国会論議の中の原爆被害 (1)第55回特別国会 1967年2月15日~7月21日 1 5
10   6 被爆問題年表 1982年6月 6 21
10   6 連載記事一覧 1982年上半期 22 25
10   6 文献・図書資料 1982年6月受け入れ分 26 34
11   7 国会論議の中の原爆被害 (2)第56回~第60回国会 1967年7月12日~1968年12月21日 1 8
11   7 被爆問題年表 1982年7月 9 20
11   7 文献・図書資料 1982年7月受け入れ分 21 26
12   8 国会論議の中の原爆被害 (3)第61・62第国会 1968年12月27日~1969年12月2日 1 8
12   8 被爆問題年表 1982年8月 9 25
12   8 文献・図書資料 1982年8月受け入れ分 26 37
13   9 国会論議の中の原爆被害 (4)第63・64回国会 1970年1月14日~12月18日 1 5
13   9 被爆問題年表 1982年9月 6 11
13   9 トピック(秦野) ―「週間明星」の“事実誤認記事”について― 12 13
13   9 文献・図書資料 1982年9月受け入れ分 14 24
14 10 国会論議の中の原爆被害 (5)第65-67回国会 1970年12月26日~1971年12月17日 1 6
14   10 メモ(秦野) ―「被爆二世の遺族から体験を聞く会」とは? 16 16
14   10 被爆問題年表 1982年10月 7 16
14   10 文献・図書資料 1982年10月受け入れ分 17 21
15 11 国会論議の中の原爆被害 (6)第68-70回国会 1971年12月29日~1972年11月13日 1 6
15   11 被爆問題年表 1982年11月 7 14
15   11 文献・図書資料 1982年11月受け入れ分 15 22
16 12 国会論議の中の原爆被害 (7)第71-74回国会 1972年12月22日~1974年12月25日 1 10
16 12 トピック(秦野) ―「被爆者対策予算」について― 17 17
16   12 被爆問題年表 1982年12月 11 17
16   12 連載記事一覧 1982年下半期 18 20
16   12 文献・図書資料 1982年12月受け入れ分 21 29

 

 

にんげん 反戦平和編1

『資料集 にんげん 反戦平和編1』(全国解放教育研究会、明治図書出版、明治図書出版、198208)

目次

1 兄やんは今日から兵隊
2 大もりいっちょう
3 ひろしまのピカ 丸木俊(え・文)
4 ノブと戦争
5 版画・坂道 佐伯敏子「ヒロシマに年はないんよ」をよみあって
6 ばんざい兵太 さねとう あきら
7 新聞にのった写真 中野重治
8 私がその部落民だ―原爆の街・長崎に生きて 磯本恒信
9 十五年戦争 統計・資料が綴る
解説・資料
作品解説
『にんげん』資料集刊行にあたって 全国解放教育研究会

世界の平和・軍縮教育 1982年国際シンポジウム報告書

『世界の平和・軍縮教育 1982年国際シンポジウム報告書』(WCOTP・日教組報告書編集委員会編、勁草書房、19830710)

目次

刊行のことば 槙枝元文
世界の平和・軍縮教育 1982年国際シンポジウム
序章
広島アピール 19821029 軍縮教育国際シンポジウム
第1部
第1章 シンポジウムの意義と課題-全体会議挨拶・報告
沈黙を守らずに声をあげて語ろう ジェームス・キリーン
被爆国の国際的責務を自覚して 槇枝元文
国際教育分野におけるユネスコの活動 ヤハイル・カバチェンコ
第2回国連軍縮特別総会後の国連と軍縮教育 ヤン・モーテンソン
勝利は必ずや私たちのものに ヴィクター・シュー
第2章 全大陸から
戦争をさばく良心を アルフレッド・バッド
平和を望むのなら平和を準備せよ ギー・ジョルジュ
資源を飢えと無知の克服のために  シー・アビブーラエ
平和・軍縮のために勇気を サミュエル・ベロ
子どもたちに何を語るべきか  ウィラード・マックガイヤー
核時代に人類の生存をかけて 橋口和子
近・現代史教育を強化しよう ワー・スト
真実の軍縮と世界平和のために(メッセージ) 中国教育工会全国委員会
軍縮教育-ソ連の経験から- ユーリ・ニキホロフ
第3章 国際組織から
今こそ人権と平和の教育を ジャン・ドバール
今日の世界における軍縮教育 アンドレ・ドルベー
IFFTU第13回世界大会決議の意義  フレッド・ヴァン・ルーウェン
平和・軍縮のための教育者の国際的協議を ダニエル・ルトロー
第4章 二つの学会から
平和・軍縮教育-3つの視点 大田堯
国家主義をのりこえて 福島新吾
第5章 ヒロシマの心を世界に 荒木武
世界の恒久平和実現を 竹下虎之助
ヒロシマからの提言 栗野鳳
長崎の平和教育を省みて 坂口便
人類が生きのびるために  岸槌和夫
ヒロシマからの証言(メッセージ) 石田明
世界の先生たちへ(メッセージ) 広島女学院高校3年生
第6章 二つの提言-招待者発言-
勇気と忍耐を-平和・軍縮をめざして- 宇都宮徳馬
人類の平和と真の発展を求めて  永井道雄
第2部
第1章 平和・軍縮教育をめぐって〈第1分科会〉
〔基調報告〕
この分科会の課題-ユネスコ80年「軍縮教育十原則」の追求を- アンドレ・ドルベー
〔討論〕
平和・軍縮教育と教材選択の自由を ギー・ジョルジュ
“国防論信仰”の克服を-憲法教育の意義- 太田一男
軍縮をすべての子どもに テリー・ハーンドン
貧困・人種差別をなくすとりくみを デビッド・トンキン
原爆を原点に-日本の平和教育の展開と課題- 梶村晃
父母とともに原爆の学習と継承を  山川剛
教育学上の問題として-残酷さの教育、戦争史学習の意義- ロバート・バーカー
子どもたちに平和な世界を-第3世界の直面する課題- ワジュデイ
世論の喚起でカリキュラムに S・エスワラン
子どもの心に偏見ではなく連帯を-超大国の支配の中で- シュー・チャラン
〔分科会報告(草案)をうけて〕
軍縮教育の機は熟した-核凍結の市民の運動と学習を土台に-  ウィラード・マッガイヤー
重ねて残酷さを教えることについて  ロバート・バーカー
残酷さを教えねばならない-だが分析的考察へ向けて- デービッド・トンキン
核戦争の危機の認識を-軍縮教育十原則を自覚的に- 庄野直美
平和と民族の自決の教育を-日本人と連帯し、教訓に学ぶ- 朴光沢
軍事基地の撤去の課題を-非核地帯設定とともに- 大田昌季
第2章 平和・軍縮教育の教材開発をめぐって〈第2分科会〉
〔基調報告〕
日本の平和教育の具体的とりくみ 福島昭男
〔討論〕
教職員・学生の交流を深めよう  ウォーターハウス・ワイワイ
世界の三分の一の文盲がいる アバニ・ボラル
どうして非暴力のエレメントを教えるか ジャック・スミス
二度と戦争を繰返すな コンラッド・バクヤク
たとえ命を賭しても平和を  ホアン・アンブロシオ・サビオ
軍備拡大の最大の被害者は途上国 トッサ・クペソー・カングニ
軍隊のない国から訴える マルコ・アントニオ・バランテス・ヴェガ
弾圧をはねのけ教師を再教育 マットス・トッタ・ザヒヤ
考え方のプロセスに参加する教え方 ホアン・ルイ・フェンテス
急がれる教材開発 サーロン・せつ子
先生が変わらなければ生徒を変えることはできない 栗原貞子
教材の開発は教師・親の手で フレッド・ヴァン・ルーウェン
広島の三つの顔を教材に 空辰男
近・現代史の教育を強化すること プン・ティン・チー
軍人にも一般教養を ギー・ジョルジュ
安全保障は軍備撤廃によってのみ  森滝市郎
あらゆる教材の活用と開発をすすめよう キャシー・ブロック
第3章 平和・軍縮教育を自覚的に〈分科会報告と総括発言〉
〔第一分科会報告〕
平和・平和軍縮教育の原則をめぐって-教員団体の責務- ジョージ・リース
〔第二分科会報告〕
平和・軍縮教育の教材・方法の創造的開発を マットス・トッタ・ザヒヤ
〔総括発言〕
平和と人類の道を選ぶ意志を-教職員の責務- ノーマン・ゴーブル
資料
日程および参加者名簿
あとがき

平和教育入門

『平和教育入門』(広島平和教育研究所編、広島平和教育研究所出版部刊、19820601)

目次

はじめに
1章 平和教育の目的
問01 平和教育の重要性が叫ばれていますが、その理由を説明してください。
問02 平和教育のなかで、「ヒロシマ・ナガサキ」の原爆学習が重要視されているのは、なぜですか。
問03 平和教育は特設のかたちでおこなわれていますが、教科指導や生活指導のなかではやれないのですか。
問04 文部省や教育委員会は、平和教育に積極的に取りくんでいるとは思えませんが、なぜですか。
問05 平和教育では、なぜ戦争体験を語りつぐことが大切にされているのですか。また、平和教育は、戦争を防ぐ力になるのですか。
問06 平和教育とは、どのような教育で、どのような子どもを育てていくのですか。
問07 同和教青と平和教育の関係について、述べてください。
2章 第二次大戦と核戦争の危機
問08 戦争は、なぜおこるのですか。また、平和とはどのようなものですか。
問09 第二次世界大戦は、たいへん悲惨な戦争であったといわれますが、具体的に説明してください。
問10 第二次世界大戦は、日本にとってはさけることのできなかった戦争であったとか、正当な戦争であったという人たちがいますが、本当ですか。
問11 「原爆は大きな被害を与えたけれども、それによって早く平和がもたらされたのだから、原爆投下はしかたがなかったことだ」という主張は、正しいのですか。
問12 第二次世界大戦で日本国民は、なぜ戦争に反対し、戦争をやめさせることがてきなかったのですか。
問13 いま核戦争がはじまると、地球は減亡するといわれていますが、具体的に説明してください。また、今日、地球を減亡させるほどの核兵器がつくりだされた原因について述べてください。
問14 第二次大戦後も、核兵器が使用される危機が、何度かあったといわれていますが、その具体的内容と、使用されなかった埋由について述べてください。
問15 核戦争は防げるのでしょうか。核兵器廃絶のすじみちについて述べてください。
問16 国連が平和のために果してきた役割について、具体的に説明してください。
3章 日本国憲法と自衛隊・軍事基地
問17 日本国憲法はアメリカにおしつけられたものであるから、自主憲法をつくろうという主張がありますが、説明してください。
問18 日本国憲法では、どのような方法で平和を守ろうとしているのですか。
問19 自衛隊の存在と憲法の関係について、説明してください。
問20 平和憲法下に成長した自衛隊は、他国の軍隊とは違うのではありませんか。自衛隊の足どりと現在の装備や戦力について、具体的に示してください。
問21 日本に米軍基地があるのはなぜですか。米軍基地によって日本の安全が本当に守られているのでしょうか。
問22 岩国などの米軍基地には、核兵器がもちこまれているといわれていますが、本当ですか。
4章 体制づくりと実践例
問23 平和教育は、いつごろから、どのように取りくまれたのですか。
問24 平和教有を実践するためには、どのような職場体制を考えていかなければならないでしょうか。
問25 平和教青は、いつ、どこでどのようにすすめればよいのでしょうか。
問26 戦争体験のない教師が、平和教有に取りくめるでしょうか。
問27 小学校低学年での、平和教青実践例をお示しください
問28 小学校中学年での、平和教育実践例をお示しください
問29 小学校高学年での、平和教育実践例をお示しください。
問30 中学校での、平和教育実践例をお示しください。
問31 高等学校での、平和教育実践例をお示しください。
資料編:「平和宣言」広島市長
あとがき 寺岡昭壮(広島平和教育研究所事務局長)

原爆瓦ー世界史をつくる十代たち

『原爆瓦-世界史をつくる十代たち』
(山口勇子著,出版元:平和文化、発売元:汐文社、1982/07/07)

タイトル 備考
12 瓦が再現してみせた原爆
実験-原爆を再現する 12
瓦が気体になった 12
ぼくたちの原爆 16
ヒロシマナガサキを「体験」する 17
熱量計算-三・〇×一〇の一二乗カロリー 19
核兵器廃絶の若い仲間 20
にのしま
25 「その日はいつか」の詩にあるように
ヒロシマの風景 27
そしてわたしのヒロシマ 29
ほんとうのところを見極めて欲しい
34 高枚生集会の高まり
原爆瓦までの道のり 34
歩み始めた高校生たち 35
高まり見せた高校生集会 37
「史樹ちゃんはわたしたちです」
46 平和ゼミナールで育つ高校生たち
無名戦士の碑 46
平和ゼミナールの授業 48
その日にこそ平和と民主主義を学ぶ 52
ヒロシマに生きる
56 ヒロシマの子どもたち
拠点 56
八木満喜男のこと
62 初めて瓦を掘りあてたとき
片手落ちの広島 62
「あった!」 63
頭と心と体で学ぶフィールドワーク 66
突然の新聞記事
71 瓦のように溶かされたくない
アピール・ヒロシマの川を考えよう 71
初めての対市交渉 71
みんなの手で一枚でも多く 75
瓦のように溶かされたくない
79 各地に旅立つ原爆瓦
輪の広がり 79
世界につながる瓦発堀 81
「この瓦でヒロシマの願いを広めてください!」 82
瓦を守れ
93 はがき作戦
荒木広島市長殿 93
再び瓦発掘ヘ 95
市の計画 97
急速に盛り上がる瓦保存運動
100 ボタンを見つけた
四種のボタンが語る戦争と原爆 100
「だからなくさなければ、わたしらがやらなくては……」 102
「原爆さえなかったら……」 104
自分の手でつかみとったもの
108 「昭和の歴史」研究グループ
特別講座-学習から自分の生き方を考える 108
ヒロシマのもう一面 110
青春のひとみを支えるもの 113
米軍機ファントム墜落 114
安保によって米兵は裁かれない! 115
女性である前に人間であれ
120 受ける平和からつくりだす平和へ
ヒロシマ-一九八一・八・六 120
ええことばかりいって 121
“新天地”長崎ヘ 122
第八回八・六高校生集会 123
受ける平和からつくりだす平和ヘ 124
白いチョゴリの被爆者 126
吸収したものの重さ 127
「ぼくの弟も食べ物がなくなって死にました」 128
ずっと続く道
131 長崎研修旅行で得たもの
平和ヘの初旅 131
この怖さをいっぱいに広げよう 133
ヒロシマナガサキの瓦で友情と平和を 135
平和ゼミの感覚だけで考えてはいけない 137
若者は若者らしい方法で
141 ノエルベーカーの手紙運動
ノエルベーカー卿との再会 141
ノエルベーカーの手紙 142
ノエルベーカー卿に瓦を渡した
156 原爆の証を消してはいけない
第三回対市交渉 156
こっちの力を大きくすることだ
163 げんばくがわらをほりました
すすむ発掘作業と交流 P63
現実と理想が一体化されない不安 164
げんばくがわらをほりました 166
一〇フィートフィルムカンパ 170
お供養して下さい
174 平和への願いが市を動かした
「ぼくはかわらをすててはいけないと思います」 174
平和への願いが市を動かした 176
最後の原爆瓦発掘
182 原爆瓦モニュメントの土台の重さ
かわらおばさん 182
あの平和公園はきれいすぎる 183
安田女子高校社会科学研究部の場合 185
出会いのすばらしさ 190
原爆瓦前史-故田辺勝さんのこと
196 アリス・ハーズ賞受賞 196
アリス・ハーズ賞 196
生にむかって先頭に立ってください 197
生命が未来をもつように 199
実践を通じて学ぶこと 201
高校生平和ゼミの意義深さ
206 原爆瓦のモニュメント建設へ
建設募金一番乗り 206
原爆の子の像 207
第二の原爆の子の像建設にむけて 209
平和のためのモニュメント 214
街頭行動ヘ 216
世界の歩みの中の原爆瓦発掘 218
220 各地の高校生平和ゼミ“出航”
被爆体験継承の役目を担って 220
神奈川でも 221
長崎でも 223
呉でも 223
埼玉でも
236 平和の記念碑を
相つぐ募金と手紙 236
小学生たちの奮闘 238
ヒロシマの心を世界に 244
第五回平和ゼミナール 5
別れと出発の季節 247
もどらぬ風 249
平和教育“戦士”の新しい門出 251
平和は待つものではない、つくりだすものだ
254 あとがき 1982年5月23日・東京行動の日に

核禁会議二十年史

『核兵器廃絶の叫び-核禁会議二十年史』(核兵器禁止平和建設国民会議、19820615)

目次

章節 タイトル
題字(磯村英一)
発刊のことば-核禁会議は躍進する(磯村英一)
1 核禁会議の誕生
1-1 結成までのいきさつ
1-2 内外注視の中の結成大会
<資料>結成大会で採択された宣言・決議・活動方針・組織方針
2 核兵器廃絶をめざして
2-1 核実験阻止の抗議行動
2-2 部分核停協定などの促進
2-3 核兵器禁止国民大会の開催
2-4 核禁運動の大同団結の呼びかけ
2-5 シンポジウムと地方核禁討論集会
2-6 行進・キャラバンなど世論喚起
2-7 非核3原則の堅持を訴える
3 国際世論に訴えて
3-1 核兵器禁止宗教者平和使節団の派遣
3-2 第1回アジア核禁会議の開催
アジア核禁会議開催委員氏名
アジア核禁会議実行委員氏名
3-3 国連軍縮特別総会に向けて
3-4 東京サミットに核廃絶を申入れ
3-5 釜山で「韓国・原爆資料展」開催
4 被爆者に愛の手を
4-1 被爆者救援カンパ活動の展開
4-2 被爆者の健康管理に役立つ医療器具の贈呈
4-3 韓国被爆者の救援と診療センターの建設
4-4 被爆者援護法の制定実現に努力
<資料>「原子爆弾被爆者援護対策の基本的要綱」
5 平和への願い
5-1 「平和の灯(ともしび)」の建設
5-2 「平和の泉」の建設
5-3 「平和の森」の建設
5-4 “万羽鶴”に願いをこめて
5-5 「人間環境宣言」で要望
5-6 被爆20周年・核禁会議の決意
5-7 原子力の平和利用をめざして
5-8 核軍縮国際センターの設立へ
6 核兵器をめぐるここ10年の情勢と核禁会議の基本姿勢座
座談会 核禁会議結成前後「あのころ・あのこと」(松下正寿・伊藤郁男・山本道・一木香告樹)
資料集 核禁会議理事団体・歴代役員並びに規約
被爆者救援金配分内容=各県別カンパ額
年表
 あとがき

 

 

 

世界平和連帯都市市長会議

世界平和連帯都市市長会議 1982年6月24日発足

2001年8月5日、「世界平和連帯都市市長会議」から「平和市長会議」に、2013年8月6日に「平和首長会議」に名称変更。