『ヒロシマの旅-碑めぐりガイドブック 』(広島県歴史教育者協議会・「ヒロシマの碑」建設委員会・広島県高校生平和ゼミナル監修、平和文化、19830623)
内容
頁 |
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はじめに ヒロシマを学ぶことの意味 |
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02 |
ヒロシマの旅 原爆モニュメントめぐりモデルコース解説 |
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04 |
原爆ドーム |
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06 |
原民喜詩碑 |
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07 |
爆心地 |
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08 |
原爆犠牲ヒロシマの碑 |
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10 |
広島平和都市記念碑 |
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12 |
原爆の子の像 |
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14 |
原爆供養塔 |
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15 |
嵐の中の母子像 |
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16 |
原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑 |
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18 |
峠三吉詩碑 |
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20 |
全損保労働組合被爆20周年記念碑 |
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21 |
韓国人原爆犠牲者慰霊碑 |
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22 |
モニュメント案内(2) |
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21 |
原爆遺跡案内一覧 |
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28 |
原爆慰霊碑・記念碑一覧 |
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30 |
歌集 原爆を許すまじ |
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31 |
歌集 青い空は |
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32 |
おわりに |
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32 |
原爆学習文献一覧 |
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平和公園内慰霊碑所在地図 |
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『続・ひろしまたたかう婦人教職員』(ひろしまたたかう婦人教職員編集委員会、ヒロシマ平和教育研究所出版部、19830701)
目次
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1章 |
平和のにないてとして |
1-Ⅰ |
生命の尊厳を基調に |
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私の被爆体験と生きる道/平和教育にとりくむ婦人教職員 |
1-Ⅱ |
オキナワで学ぶ |
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交流団六日間のうごき/沖縄の婦人教職員たちのたたかい/子どもたちもまきこんだ沖縄戦/基地の中の沖縄と子どもたち/沖縄の歴史と離島問題 |
1-Ⅲ |
平和・教育・文化交流で訪朝 |
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平和と友好にみちた共和国での十日間/民族の統一をねがって |
1-Ⅳ |
平和・友好と反核にむけて |
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世界平和友好祭に婦人代表として参加/国連軍縮特別総会百万人集会に参加 |
2章 |
民主教育を守るために |
2-Ⅰ |
74年国民春闘にとりくむ |
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74年春闘の要求と婦人教職員のたたかい/政府・警察が一体となって不当弾圧/不当弾圧と処分に抗して |
2-Ⅱ |
主任制度反対のたたかい |
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学校管理規則改悪阻止にむけて/したたかさを学んだ2年間/手当支給・主任制拡大阻止のとりくみ/福山地区支部養護教員部のたたかい |
2-Ⅲ |
定数法抜本改正のたたかい |
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広島でのたたかい・婦人教職員を中心に/四〇人学級は子どもの願い |
3章 |
自主教研などへのとりくみ |
3-Ⅰ |
婦人教職員の自主教研運動 |
3-Ⅱ |
女子教育問題へのとりくみ |
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婦人部教研で女子教育をとりあげる/自主教研に女子教育が位置づく |
3-Ⅲ |
公害学習とリジンなどの不使用運動 |
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リジン不使用運動のとりくみ/臭素酸カリウム禁止のとりくみ |
3-Ⅳ |
母と女教師の会の運動 |
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中ブロ母と女教師の会活動/広島県母と女教師の会活動 |
4章 |
婦人の労働権確立のために |
4-Ⅰ |
国際婦人年とそのとりくみ |
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中国ブロック国際婦人年学習会/「行動計画」に対する県内のとりくみ/婦人差別撤廃条約の批准にむけて |
4-Ⅱ |
諸権利を守るとりくみ |
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産前・産後休暇などのとりくみ/婦人労働学級のとりくみ |
4-Ⅲ |
社会保障拡大のとりくみ |
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共済組合の保障拡大のとりくみ/互助組合の保障拡大のとりくみ |
5章 |
これからも歩み続けるために |
5-1 |
養護教員部のとりくみと課題 |
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養護教諭の本務をめぐって/保健主事廃止と子どもの健康を守るとりくみ |
5-2 |
事務職員部のとりくみと課題 |
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母性保護をめぐって/賃金・職務内容・研修権をめぐって |
5-3 |
栄養職員部のとりくみと課題 |
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賃金・研修権・母性保護をめぐって/学校給食抜本改善のとりくみ |
付章 |
婦人活動のおもなうごき―略年表 |
資料編 |
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『原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録』
「原爆犠牲ヒロシマの碑」建設委員会(編・刊)1983/02/21
目次
◆『八月六日』 峠三吉 1
◆『あの時…』 小林岩吉 2
◆『水ヲ下サイ』 原民喜 4
◆建立除幕によせて 5
石田明/河野浩樹/荒木武 7
若者の願いはばたけ 森下弘 11
ヒロシマの高校生とノエルベーカー卿 森滝市郎 12
原爆瓦が語るもの 佐久間澄 13
君たちは知ったのです 宮崎安男 14
ヒロシマの碑建立に思う 藤本幸作 15
『高校生の平和アピール』の意味するもの 松崎徹 16
高校生の平和アピール・行動提起 17
原爆瓦の叫び今こそ 大亀信行 18
小さなともしびから大きな炎へ 吉川徹忍 19
青春のエネルギーに囲まれて 土肥穣治 20
◆ちかいのことば 21
小学生のちかい・斉藤力(福山市立旭丘小学校 児童会代表)23
中学生のちかい・林文子(広島市立翠町中学校 生徒会代表)24
若者のちかい・山口小百合(広島商業高等学校・広島県高校生平和ゼミナール)25
◆碑・制作を終えて 27
『ヒロシマの碑』の思想 横山英 28
モニュマンの空高く 芥川永 30
平和を願う心の目を 吉田正浪 31
『ヒロシマの碑』に思う 林重男 32
私への鎮魂歌 構成詩『原爆瓦は語り続ける』を執筆して 深川宗俊 34
『原爆瓦』を追う映画を 田辺昭太郎 38
◆建設のあしどり 山下希昭 39
原爆犠牲ヒロシマの碑建設運動と募金活動のあらまし 41
原爆犠牲ヒロシマの碑建設委員会・同発起五十六団体名簿 62
原爆犠牲ヒロシマの碑建設のあそどり(事務局日誌)63
原爆犠牲ヒロシマの碑建設募金会計決算書 69
◆碑文づくり・ヒロシマ学習のなかで 71
平和学習のシンボルとして 沢野重男 72
全国の子どもたちから寄せられた碑文案撰64点 73
◆ヒロシマの碑プロフィール 77
◆募金に添えて送られてきた全国からの便り 91
◆構成詩『瓦を守れ』 広島・鈴峰高等学校社会科学研究部 123
◆ヒロシマの碑除幕に捧げる構成詩・『原爆瓦は語りつづける』 深川宗俊 131
◆ヒロシマの碑除幕に捧げる歌『ひびけひろがれ』 丸山亜季 146
◆附属資料 147
1 原爆犠牲ヒロシマの碑『説明文』(和・英)149
2 除幕式関係・各社報道記事(紙面)151
3 ヒロシマへの旅・原爆遺跡、記念碑めぐり 157
4 広島市長『平和宣言』 166
5 一九四七年八月文部省著作発行『あたらしい憲法のはなし』 188
6 平和の歌 歌曲集 232
『非戦を生きる-高良とみ自伝』(高良とみ、ドメス出版、19830325 )
目次
章 |
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プロローグ |
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Ⅰ |
生いたち |
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婦人運動の先駆者、母邦子 |
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父のこと |
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キリスト教の家 |
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寄宿舎生活 |
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タゴールとの出会い |
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「中条百合子<宮本百合子>さんについて」 |
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Ⅱ |
行動する心理学者として |
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アメリカ留学 |
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女子教育者として |
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「友和会設立」 |
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暗い時代へ |
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「空襲・疎開・敗戦」 |
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Ⅲ |
平和を求めて |
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復興への息吹の中で |
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呉市助役として |
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戦後初の婦人議員に |
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極東裁判の印象 |
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新憲法発布 |
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緑風会へ |
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世界平和者会議ヘ |
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ローマ法王に戦犯の減刑請願 |
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全インド婦人会議 |
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全面講和か片面講和か |
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売春防止法制定にむけて |
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“鉄のカーテン”をくぐる |
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モスクワへの道 |
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モスクワでのこと |
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モスクワ経済会議 |
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グロムイコ会見 |
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モスクワ見聞記 |
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シベリアのラーゲル訪問 |
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日中第一次貿易協定を結ぶ |
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新しい中国の内側 |
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スイスの赤十字へ |
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高良とみ帰国歓迎会 |
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日本婦人団体連合会結成 |
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在中国同胞引揚げ交渉に再び北京ヘ |
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アジア・アフリカの婦人と共に |
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「妻として母として」
-内側から見た高良とみ |
高良留美子 |
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解説 |
柘植恭子 |
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高良とみ年譜 |
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『原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録』(「原爆犠牲ヒロシマの碑」維持委員会編・刊、19830221 )
目次
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◆『八月六日』 |
峠三吉 |
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◆『あの時…』 |
小林岩吉 |
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◆『水ヲ下サイ』 |
原民喜 |
◆建立除幕によせて |
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ごあいさつ |
石田明 |
|
ごあいさつ |
河野浩樹 |
|
ごあいさつ |
荒木武 |
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若者の願いはばたけ |
森下弘 |
|
ヒロシマの高校生とノエルベーカー卿 |
森滝市郎 |
|
原爆瓦が語るもの |
佐久間澄 |
|
君たちは知ったのです |
宮崎安男 |
|
ヒロシマの碑建立に思う |
藤本幸作 |
|
『高校生の平和アピール』の意味するもの |
松崎徹 |
|
高校生の平和アピール・行動提起 |
|
|
原爆瓦の叫び今こそ |
大亀信行 |
|
小さなともしびから大きな炎へ |
吉川徹忍 |
|
青春のエネルギーに囲まれて |
土肥穣治 |
◆ちかいのことば |
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|
小学生のちかい (福山市立旭丘小学校 児童会代表) |
斉藤力 |
|
中学生のちかい(広島市立翠町中学校 生徒会代表) |
林文子 |
|
若者のちかい(広島商業高等学校・広島県高校生平和ゼミナール) |
山口小百合 |
◆碑・制作を終えて |
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『ヒロシマの碑』の思想 |
横山英 |
|
モニュマンの空高く |
芥川永 |
|
平和を願う心の目を |
吉田正浪 |
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『ヒロシマの碑』に思う |
林重男 |
|
私への鎮魂歌 構成詩『原爆瓦は語り続ける』を執筆して |
深川宗俊 |
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『原爆瓦』を追う映画を |
田辺昭太郎 |
◆建設のあしどり |
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原爆犠牲ヒロシマの碑建設運動と募金活動のあらまし |
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原爆犠牲ヒロシマの碑建設委員会・同発起五十六団体名簿 |
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原爆犠牲ヒロシマの碑建設のあそどり(事務局日誌) |
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|
原爆犠牲ヒロシマの碑建設募金会計決算書 |
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◆碑文づくり・ヒロシマ学習のなかで |
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|
平和学習のシンボルとして |
沢野重男 |
|
全国の子どもたちから寄せられた碑文案撰64点 |
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◆ヒロシマの碑プロフィール |
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◆募金に添えて送られてきた全国からの便り |
|
◆構成詩『瓦を守れ』 広島・鈴峰高等学校社会科学研究部 |
|
◆ヒロシマの碑除幕に捧げる構成詩・『原爆瓦は語りつづける』 |
深川宗俊 |
◆ヒロシマの碑除幕に捧げる歌『ひびけひろがれ』 |
丸山亜季 |
◆附属資料 |
|
1 |
原爆犠牲ヒロシマの碑『説明文』(和・英) |
|
2 |
除幕式関係・各社報道記事(紙面) |
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3 |
ヒロシマへの旅・原爆遺跡、記念碑めぐり |
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4 |
広島市長『平和宣言』 |
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5 |
一九四七年八月文部省著作発行『あたらしい憲法のはなし』 |
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6 |
平和の歌 歌曲集 |
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資料’82反核(単行本・雑誌・教科書・新聞)-原爆文献を検証する( 「ひろしまをよむ」会編、 溪水社刊、1983年7月15日)
目次
まえがき |
<共同検証82反核> |
1 |
新味に欠ける原爆出版 |
2 |
消極的な大手出版社 |
3 |
新刊しのぐ重版・再刊 |
4 |
手記・体験記に多様性 |
5 |
「読む」から「見る」へ |
6 |
すそのを支える童話 |
7 |
無難さ目立つ教科書 |
8 |
雑誌-欠落した原点 |
9 |
新聞連載-不十分な総括 |
10 |
新聞社説-もの足りぬ分析 |
<82出版物リスト> |
1 |
単行本-反核・ヒロシマ・ナガサキ |
2 |
単行本-防衛・原発・学術・再刊 |
3 |
童話-絵本・平和教育 |
4 |
教科書-国語科82年採択 |
5 |
雑誌-月刊・季刊・旬刊・週刊 |
6 |
新聞-連載・社説 |
おわりに |
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「ひろしまをよむ」会(石踊一則、内田恵美子、宇吹暁、木村逸司、島津邦弘、田原幻吉、丹藤順生、藤原浩修、松林俊一)協力・ピカ資料研究所 |
『ヒバクシャ-ともに生きる第2号』原爆被害者相談員の会、19831211
目次
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石田 明 |
三十八年目の自戒 |
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古山寿朗 |
被爆者行政の問題点 広島市における「手帳」交付事務の一側面 |
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槙 繁 |
私にとって被爆者とは― 相談所・取材雑感 |
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*はじめに、*草の根運動と被爆者運動、*加害と被害をめぐって<アジア文学者会議、浄土真宗西本願寺派の平和シンポジウム>、*語ってほしい””被爆に至る個人史、*被爆者相談の社会的責任、*たとえば被爆者条例を |
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相談活動から |
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小嶋章吾 |
原爆手帳の意味におもう |
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原爆被害者証言のつどい |
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久保浦寛人 |
「原爆被害者証言のつどい」誕生の経緯とグループ活動一年のあゆみについて |
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山岡ミチコ |
私の人生を変える広島 |
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沼田鈴子 |
ヒバクシャとして悔いのない一生のために |
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山本幸雄 |
三十八年目に書いた妻の証言手記から |
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相良カヨ |
”まったなし”の状況に適切な対応を |
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山本昌子 |
県東部地区被爆者相談に参加して |
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石田一紀 |
証言活動のエッセンス |
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奥谷義行 |
相談員の会の活動に思う(平和を語る青年の集い) |
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シンポジウム:原爆被害と援護問題
日時:1983年8月7日
場所:広島市社会福祉センター
主催:「原爆被害と援護問題」シンポジウム世話人会
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田村和之 |
開会のあいさつ |
小川政亮 |
被爆者援護の法理 |
湯崎稔 |
原爆被害者援護問題への課題 ー「基本懇」答申の問題をめぐって一 |
河合幸尾 |
被爆者援護と社会保障 |
若林節美 |
被爆者行政の現状と限界 |
ローマ法王平和アピール碑 1983年2月25日 場所:広島市(広島平和記念公園・広島平和記念館)
資料
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「ライオンズを探せ!@広島県・広島 村上薫元国際会長のテーマを伝えるピープル・アット・ピースの碑」(『LION 日本語版 2015年10月号』https://www.thelion-mag.jp/emag/201510/index_h5.html) |
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文献
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。