「1988年」カテゴリーアーカイブ

被爆教職員ここまで生きてきて

『被爆教職員ここまで生きてきて 被爆40周年を記念して』(原爆被爆教職員の会全国連絡会編・刊、19880310)

目次

はじめに 石田明(全国被爆教職員の会 会長)
1 被爆教職員の会結成へ-自らの体験を教え子に語り伝え
1 未来を語りつづけて(広島県被爆教職員の会結成)11
2 二度と悲劇をくりかえさないために(広島高校被爆教職員の会結成)16
3 沈黙の壁をやぶって(長崎被爆教職員の会結成
2 どのような課題を背負ってきたか-平和教育を創り出す力
平和教育運動
(1)広島から平和教育の創造
1 組織的にとりあげた平和教育 27
2 広島平和教育研究所の設立 34
3 とりたてた平和教育とカリキュラム 45
4 修学旅行生への証言活動
(2)広島(高校)の平和教育運動
1 会結成以後の原爆、平和教育推進について 73
2 これからのわたしたちのつとめ-高校生の批判に応える
(3)長崎からの平和教育運動
1 初期の平和教育運動 94
2 平和教育運動の復活と抵抗と創造
(4)全国被爆教職員の会結成と行動
くらしといのちを守るために
(1)被爆教職員の健康管理と権利の確立について 109
(2)修学旅行ヒロシマ学習への対応について 112
(3)広島(高校)被爆教職員の会結成と活動 112
(4)長崎県被爆教職員の会活動
《資料》これが人間のすべてをうばった原爆の実相-原爆死没者に関する中間報告の要点
3 被爆40周年にたって
(1)ヒロシマの心と教育 広島・空辰男 155
(2)池子弾薬庫米軍住宅建設阻止闘争について 神奈川・矢納直彦 162
(3)沖縄の反戦平和のたたかい 沖縄・栄野川安邦 166
(4)あの時、私は-40年を生きてきて
(被爆40周年ヒロシマ・ナガサキ被爆教職員・ヒロシマの集いから)177
4 ここから被爆教職員は生きる
忘れられない8月9日 福岡・豊田千五穂 193
広島原爆記念日にあたって 福岡・小川武志 198
被爆の洗礼の下で 熊本・小高盛穂 210
一日もはやく被爆者援護法を 長崎・岡本博 214
被爆を体験した私が残せるもの 広島・峠岡邦英 218
原爆と私 広島・田邊智恵美 223
ちぎれかけた左腕 広島・占部成人 226
あの日から四〇年 広島・入沢庄平 228
原爆の日に想うこと 広島・林美喜雄 231
集団疎開 広島・渡部みさを 233
被爆体験を語りつぐ 広島・浅野知恵子 246
広島のまほうつかい 広島・沢井充子
■原爆被爆教職員の会全国連絡会会則

 

 

SSDⅢ(第3回軍縮特別総会)

SSDⅢ(第3回軍縮特別総会)1988年5月31日~6月25日、ニューヨーク

出典:http://www.unic.or.jp/texts_audiovisual/libraries/research_guide/themes/disarmament/

第3回軍縮特別総会
A/RES/41/60GおよびA/RES/42/40による第3回軍縮特別総会(通算15回目の国連特別総会)は、1988年5月31日から6月25日にかけ、ニューヨークで開催されました。
A/RES/41/60GおよびA/RES/42/40によって設置された準備委員会の作業文書は、文書記号A/AC.230/-の形で発行されました。会合記録は文書記号A/AC.230/SR.-の形で発行されました。準備委員会の総会に対する最終報告書はA/S-15/1(GAOR, 15th spec. Sess., Suppl. No. 1)として発行されています。
総会決定S-15/21によって設置された第15回国連特別総会全体委員会の作業文書は、文書記号A/S-15/AC.1/-の形で発行されました。会合記録は文書記号A/S-12/AC.1/SR.-の形で発行されました。全体委員会の最終報告書はA/S-15/50として発行されています。
同特別総会の作業文書は文書記号A/S-15/-の形で発行されました。会合記録は文書記号A/S-15/PV.-の形で発行されました。総会決定S-15/24により、特別総会は第3回軍縮特別総会の最終文書として、アドホック委員会の報告書(A/S-15/50)に留意しました。