「1995年」カテゴリーアーカイブ

長崎 よみがえる原爆写真

『NHKスペシャル 長崎 よみがえる原爆写真』(NHK取材班編、日本放送出版協会、19950830)

目次

序文
序章 アメリカでよみがえる長崎
写真修復計画「長崎・ジャーニー」
1945年8月10日、川端庸介の「長崎・ジャーニー」
山端写真と最新技術との出会い/クリスとジュディ
第1章 長崎を記録した男
ヒロシマとナガサキ
原爆を記録したカメラマンたち
写真家・山端庸介の戦争
西部軍報道部と火野葦平
新たに発見された山端写真
PHOTOGRAPHS 8・10 長崎・ジャーニー
第2章 長崎・ジャーニー1 ラッキーガール、おにぎりを持った親子
偶然の「浦上工場」/八月十日「悲劇の谷」到着/早朝の憲兵隊本部
少女の微笑み/「ラッキーガール」の悲劇/「さまよう兄弟」との出会い
炊き出しのおにぎり/「おにぎりを持った親子」/優しかった母の面影
第3章 長崎・ジャーニー2  爆心地・傷つき焼かれた人々
モンペの柄から/トラックの上の炎熱地獄/爆心地の悲惨/立ちすくむ少女
平和を祈る龍さんの五十年/路面電車、生と死のドラマ
謎の「浦上天主堂」写真
第4章 長崎・ジャーニー3  救援・逃げ延びた人々
爆心地から北へ/市役所職員奮闘す/「これは私の家だ」
道ノ尾駅の幻の看護婦/日赤第七一三救護班/胸に滲むチンク油の匂い
語ってくれた[お乳をあげる母]/二人の子を失って/写真が説明している
〇〇 PHOTOGRAPHS  8・10 長崎・ジャーニー
終章 長崎の映像は語る
クリスとジュディの長崎再訪/アメリカ・原爆写真展の衝撃
あとがき

HIROSHIMA 半世紀の肖像-やすらぎを求める日々

『HIROSHIMA 半世紀の肖像-やすらぎを求める日々』(大石芳野、角川書店、19950303 )

目次

004 <はじめに>ヒロシマを撮り始めて
021 火傷の痕跡をかかえて
清水ツルコ、池田精子、山岡ミチコ、岩谷久仁子、
067 入・退院を繰り返しながら
高橋昭博、松重美人、原広司、芝間タズ、橋本待子
加藤礼子、宮田幸子、桑原千代子、定信多紀子
小倉醇、久保浦寛人、宮永初子、室田秀子、小松清興、金田郁子、今田弥一、沼田鈴子、沼田聰子、日詰忍、佐伯敏子、下江武介、
李実根、金連順、郭福順、鄭寿作、権順分、厳粉連、金*禮、
久保美津子、豊永ツヤ子、豊永恵三郎、宗藤尚三、平元一登・平元ツルヨ、梅津康子、竹内武・竹内美代子、槻山ミツエ、山根富子、浜田忠夫、友保絹枝、
149 治らない原爆の傷 胎内被爆小頭症の場合
171 半径500メートル圏内
199 もう一つのヒロシマ 毒ガス島
213 夏の記憶 平和公園
252 <あとがき>凛然とした歳月
255 原爆被害MEMO

 

 

川手健を語る

『川手健を語る』(川手健を語る会編、岡本智恵子 19950806)

川手健を語る会

とき 1985年4月28日(日曜日)午後5時半
ところ 広島県民文化センター5階ルビーの間
会費 5000円

目次

事項 備考
002 案内状 発起人=13人
003
とき 1985年4月28日(日曜日)午後5時半
ところ 広島県民文化センター5階ルビーの間
会費 5000円
003 川手健君の横顔
004 川手健を語る会発起人
005 出席者 <宇吹暁が藤居平一の指示で代理として出席>
008 川手健追悼会(発言者)
大牟田(司会)
012 長崎
013 高橋
017 好村(司会)
018 岡田
021 中江
023 岡田
023 司会
025 松江
028 野村
028 司会
029 松野
031 司会
032 広岡
033 司会
033 望月
036 司会
037 森滝
046 司会
041 岡本智恵子(朗読) 「かんかんがくがく 黒い橋―あるコミュニストの死―」(『中国新聞』19600605)
043 司会
043 温品
044  司会
044 石田
047  司会
047 里信
048  司会
050 寺前
051  司会
052 高橋
053 石井
054 文沢
054  司会
055 石井
060  司会
060 沼田
061  司会
061 丸本
062  司会  メッセージ紹介
062  藤居平一
063  佐久間澄
 063  伊東壮
 063  竹内武
 063  杉本きみよし
 064  高橋昭博
 064  村上操
 064  多地映一  本名:田村順一
 064  小久保均
 065  司会
  065  石川
 066  司会
  066  川本
 067  高橋
 069  司会
 070  川手健  半年の足跡(「原爆に生きて」195306)
 080   川手健  ”傷は癒えたか”応募原稿
 087  川手健  年譜
 091  且原澄夫  川手健君のこと(1989.2.24)
 099  山元敏之  東京で38日間生きた
 104  新聞記事
 105  新聞記事
 106  広島大百科辞典
 107  新聞記事
108 奥付 100部発行の40

呉市史第8巻

『呉市史第8巻』(呉市史編纂委員会、呉市役所、19950331)

目次(抄)

編章節 タイトル 備考
発刊のことば 小笠原臣也(呉市長)
発刊にあたって 高橋衛
1 呉海軍の解体と旧海軍施設の再編
1-1 海軍の解体と旧軍施設の転換  高橋衛
1-1-1 呉海軍の解体   高橋衛
1-1-1-1 復員業務などの推進
艦艇・兵器などの処理
引揚対策の推進
戦争犠牲者の慰霊
1-1-2 旧軍施設の再開
1-1-2-1 旧呉海軍工廠設備の再開
旧第11海軍航空廠設備の再開
旧軍港施設の移管
旧軍施設の総合的利用計画
施設賠償指定とその解除
旧軍所有施設・機械の活用
1-2 掃海業務の推進と海上自衛隊の誕生  平岡洋一
1-2-1 戦後の混乱と掃海活動の実態
1-2-1-1 終戦前後の掃海活動
組織・兵力の変遷
掃海活動の成果と犠牲
YCクラフトと試航船
1-2-2 海上保安庁の創設
1-2-2-1 呉航路啓開部の開設
航路啓開活動
朝鮮戦争と第六管区海上保安本部呉航路啓開部
①出動命令の発令②出動への不安と不満③「掃海艇(MS)第14号」の触雷沈没
④その他の海域の掃海⑤掃海隊派遣の成果
1-2-3 保安庁警備隊の誕生と呉市
1-2-3-1 警察予備隊の誕生
海上保安庁海上警備隊の誕生
保安庁警備隊への改組
呉掃海部隊の実績
1-2-4 海上自衛隊の誕生と呉
1-2-4-1 防衛庁海上自衛隊の誕生
市の性格論争-軍港か商港か  117
理想と現実―誘致への傾斜
旧海軍施設の配分
1-3 旧軍港市転換法」の制定   高橋衛
1-3-1 旧軍施設の平和利用促進運動
1-3-1-1 敗戦と旧海軍施設
旧海軍施設の平和的利用を陳情
旧軍港四市の連携
特別法立法化の発想
「旧軍港市転換法」の立案
 1-3-2  「旧軍港市転換法」の制定
 1-3-2-1  法案成立促進運動
 法案の国会上程
 法案の両院通過成立
 「旧軍港市転換法」の制定
1-3-3  「旧軍港市転換法」の効果
1-3-3-1  「旧軍港市転換法」とその効果
 「旧軍港市転換法」制定後の推移
 連合軍接収地域の返還要求
1-4  旧海軍用地への諸企業の進出と展開   高橋衛
1-4-1  企業誘致運動の推進
 1-4-1 -1  『旧軍港市転換法』制定以前の企業進出
 1-4-1 -2  『旧軍港市転換法』と企業誘致
 1-4-2  旧呉海軍工廠地区への企業進出
  1-4-2-1  『尼崎製鉄株式会社
 株式会社播磨造船所呉船渠
 NBCインコーポレイテッド
 日亜製鋼株式会社
 株式会社淀川製鋼所
 株式会社日立製作所
そ の他の企業・工場
 1-4-3  旧第11海軍航空廠地区への企業進出
  1-4-3-1  広造機株式会社
 東洋パルプ株式会社
 中国工業株式会社
 広重工業株式会社
 寿工業株式会社
 その他の事業所
 2  連合軍の進駐と呉市  千田武志
 2-1  連合軍の進駐と日本側の対応  千田武志
2-1-1  アメリカ占領軍の進駐
 2-1-1 -1  敗戦にともなう呉市民の不安
 アメリカ占領軍受入態勢の整備
 アメリカ占領軍の呉進駐
 中国・四国地区への展開
2-1-2  地方軍政機構の推移
2-1-2-1  地方軍政機構の確立
 地方軍政機構の変更
 地方軍政機構と英連邦占領軍
 2-1-3  連合軍受入機関の整備
 2-1-3-1  終戦連絡事務局の設立と業務
 特別調達庁の設立と活動
 広島県等の受入機関
 呉市渉外局の設立と活動
 2-2  英連邦占領軍の形成と任務  千田武志
2-2-1  外交交渉の推移
2-2-1-1  対日本土侵攻英連邦軍形成への胎動
 英連邦内の交渉
 アメリカとの交渉
 マッカーサー・ノースコット協定
2-2-2  指揮と管理をめぐる諸問題
2-2-2-1  『在オーストラリア統合参謀本部の設立と諸問題
 JCOSAとオーストラリア国防機構との関係
 英連邦軍日本占領参加計画書」にみるBCOFの指揮と管理
 2-2-3  任務と目的
 2-3  英連邦占領軍の進駐と再編成  千田武志
 2-3-1  占領地区の決定と拡大
 2-3-1-1  占領地区の決定と各国の反応
 占領地区の拡大
 2-3-2  英連邦占領軍の進駐と展開
 2-3-2-1  先遣隊の到着
 オーストラリア陸軍の進駐
 ニュージーランド陸軍の進駐
 英印師団の進駐
 イギリス海軍の進駐
 空軍の進駐
 英連邦占領軍の展開
 2-4  英連邦占領軍の組織と活動  千田武志
 2-4-1  指令と作戦
 2-4-1-1  司令部の動向
 2-4-1-2  軍事作戦
 ①旧日本軍の兵器処分②出入国者の監督③その他の軍事作戦
 2-4-1- 3  情報収集
 2-4-1- 4  訓練
 2-4-1- 5  通信
 2-4-1- 6  広報
2-4-2  人事部門等の活動
 2-4-2-1  人事問題と職員の不足
 給与等支払い
 従軍牧師
 医療
 歯科
 法律
 憲兵
 ①憲兵の任務②特別捜査班と捜査の概要
 教育
 慰安施設(アメニティ)
 社会奉仕班
 2-4-3  丘站部門の活動
 2-4-3-1  移動と輸送
 兵站支援と軍事施設
 工事
 補給と輸送
 軍需品の補給
 電気および機械工兵
 酒保
 郵便
 軍需品回収
 印刷と文房具
 2-5  朝鮮戦争勃発後の英連邦軍  千田武志
 2-5-1  朝鮮戦争の勃発と英連邦軍の活動
 2-5-1-1  朝鮮戦争の勃発と英連邦軍諸国の派兵
 英連邦朝鮮派遣軍への兵站支援
 2-5-2  国連軍協定をめぐる諸問題
 2-5-2-1  サンフランシスコ講和条約の締結と発効
 2-5-2-2  国連軍協定の締結
 2-5-3  英連邦朝鮮派遣軍の引揚げと施設の返還
 2-5-3-1  朝鮮休戦協定の締結と国連軍施設の返還
 国連軍の撤退にともなう施設の返還
2-6  連合軍と呉市民  千田武志
 2-6-1  連合軍の受入れと市民感情  千田武志
 2-6-1-1  連合軍の進駐と対応  千田武志
 労働者との交流  千田武志
 市民との交流  千田武志
 相互の誤解と理解  千田武志
 2-6-2  フラタニゼーション・ポリシーの実態  千田武志
2-6-2-1  スフラタニゼーション・ポリシーの発令  千田武志
 2-6-2-2  英連邦占領軍軍人の結婚にたいする方策の決定  千田武志
 ①COSAによる指針の策定②英連邦占領軍による方針の具体化  千田武志
 2-6-2-3  フラタニゼーション・ポリシーの推移  千田武志
 ①フラタニゼーションーポリシーの実施と矛盾②占領政策の変更とフラタニゼーション・ポリシーの転換  千田武志
  2-6-2-4  「戦争花嫁」の状況とその帰結  千田武志
  2-6-3  連合軍をめぐる犯罪  北村恒信
写真一覧
編集後記

呉の戦災

『呉の戦災 あれから 半世紀くりかえすな』(呉戦災展実行委員会編、呉戦災を記録する会刊、19950622)目次

 

備考
はじめに―被災50周年記念が問いかけるもの
朝倉郁夫(呉戦災を記録する会)
戦争への道
1 呉と海軍・海軍工廠
2 日中15年戦争とアジア・太平洋戦争のはじまり
3 日本の戦争加害
 Ⅱ  戦時体制と空襲
 1  戦時体制下でのくらし
 2  日本への空襲
 Ⅲ  呉の空襲
 1  呉が「真珠湾攻撃」された日
 2  恐怖の白昼爆撃
 3  呉海軍工廠、壊滅
 4  呉市街地夜間無差別大空襲
 5  帝国海軍、最後の日
6  爆弾と焼夷弾
 7  原爆投下計画と呉
 8  呉空襲の特色
 Ⅳ  呉の現在
 1  呉と基地
 2  呉の戦災遺跡
 資料と参考文献
 1  呉空襲の記録とアメリカ軍の記録
 2  参考文献
 おわりに―呉の戦後は終わっていない
 アジア・太平洋戦争および呉の戦災 略年表
編集委員:朝倉邦夫(呉戦災を記録する会)、是恒高志(全教広島海田支部)、武智碩一(歴史教育者協議会)、林茂(非核の呉港を求める会)、平岡典道(高教組平和教育推進部)、平賀伸一(呉戦災を記録する会)、吉田昭雄(呉戦災を記録する会)

 

爆心復元運動とヒロシマの思想

『世紀を超えて-爆心復元運動とヒロシマの思想』(児玉克哉編 、中国新聞社、19950801)

目次

章節
序に代えて-爆心地復元運動の今日的意義-(芝田進午)
人間の復権を目指して(湯崎稔)
Ⅰ-1 原爆被災復元調査の意味 (湯崎稔)
Ⅰ-2 原爆被災復元の論理の構想(志水清編、金沢寛太郎・長屋龍人・湯崎稔)
Ⅰ-3 広島における被爆の実相
『歴史評論 NO.336』(197804)
爆心復元運動の誕生と展開(長屋龍人)
はじめに
Ⅱ-1 被爆原点の空白
Ⅱ-2 「爆心半径五〇〇メートル」の衝撃
Ⅱ-3 「爆心復元」アイデアの源泉
Ⅱ-4 爆心復元の論理と構想
Ⅱ-5 キャンペーン始動
Ⅱ-6 爆心復元運動の展開
爆心復元運動からヒロシマ理論へ(児玉克哉)
はじめに
Ⅲ-1 日本現代史の縮図としての広島
Ⅲ-2 ヒロシマの視点
Ⅲ-3 ヒロシマと現代
Ⅲ-4 爆心地復元運動からヒロシマ理論へ
座談会「爆心調査」からヒロシマを考える
出席者
青木豊子(爆心地復元調査協力者)
鎌田七男(原爆放射能医学研究所研究員)
高橋昭博(爆心地復元調査参加被爆者)
長屋龍人(爆心地復元運動企画提案者、当時NHK番組ディレクター)
渡辺正治(元原爆放射能医学研究所研究員)
児玉克哉(三重大学人文学部助教授)
太田武男([中国新聞]編集部)
あとがき(児玉克哉)

ひろしまの原爆の木たち

『ひろしま原爆の木たち 歩いて見てほしい 写真・マップ・証言 』(大川悦生、たかの書房、19950720)

目次

005 詩・ひろしまの木の声
008 平和記念公園のアオギリ
015 本川小学校のニワウルシ
021 広島城のユーカリ
025 報専坊のイチョウ
030 基町小学校の子どもたちと枯死したエノキ
037 天満小学校のプラタナス
044 観音小学校のクロガネモチ
050 千田小学校のクスノキ、エノキ、マツ、フジほか
056 鶴見橋のヤナギ
061 縮景園のイチョウとケヤキ
066 幟町中学校のエノキ
073 安楽寺の大イチョウ
076 あやめ幼稚園の大クス
078 ピカドンたけやぶ
085 大芝小学校のヤナギ
091 伝説『地獄極楽の木』
095 その他の被爆した木
099 木の素顔
103 今、なぜ被爆樹にこだわるか?
106 碑についてのメモから
109 あとがき

未来を語りつづけて(続)

『未来を語りつづけて(続)ヒロシマ・平和教育の継承と連帯 原爆被爆50年事業』(広島県教職員組合、広島県原爆被爆教職員の会編、刊、19950525)

目次

章節 タイトル 著者 備考
発刊にあたって  高橋晋作
 (広島県教職員組合執行委員長)
序章  石田明
(広島県原爆被爆教職員の会)
 1  戦争と人間の条件
 2  爆心から生きて生きて
 3  人は生きるために生きる
 4  心配をこえて
1章 被爆体験と教育
燃えて、そして燃えた 坪井直
すべてが無になったヒロシマ-被爆体験を語りつづけて- 松井昭三
ヒロシマを生きてきて-自分史としての一断章- 寺岡昭壮
加害の原罪が間われた日 田坂積
黒こげの庭松と南瓜 下岡絹子
被爆・あゆみ続けた平和教育 空フミコ
子らに語り継ぐ被爆体験と平和 大畠泰造
反戦・反核・反差別の闘いを 下原隆資
2章 ヒロシマ・平和教育といま
  とりあげた「ヒロシマの平和教育」
 1  組織的平和教育おこしの背景と動機
 2  広島県原爆被爆教職員の会の結成  19690326
 3  広教組、教育研究集会の中に「平和教育」分科会を新設
4  広島県・市教育委員会の「8.6」学習提言
 5  “ヒロシマ・ナガサキを教えつづけることの誓いと訴え”全国にアピール
 6  「原爆犠牲国民学校教師と子どもの像」の建立
 7  広島平和教育研究所の設立
8   平和教育の深まりとカリキュラム
9  平和教育の全国への広まり
 10  興隆期・日教組教研・平和教育全国レポート表題で語ること
 11  一つのカリキュラムをみつめる
 12  広島県・市教育委員会の指導手引書・指導資科の配布
13  文部省「学習指導要領」の変遷と教科書検定を衝く
 14  平和教育と修学旅行
 15  平和教育実践アンケートとその意味するもの
16  全国シンポニ十周年記念。構成詩、“ヒロシマ・ナガサキを究めつづけて”
 17  被爆五十周年とゆるぎなきヒロシマの心
 3章 戦後の平和教育理念とこれから
戦後の平和教育をささえてきた不忘の理念
1  新教育指針
 2  あたらしい憲法のはなし
3  ストックホルム・アピール
4  教え子を再び戦場に送るな
5  原爆の子
6  原爆詩集・峠三吉
7  1951年、中学校社会科教科書にみる戦争体験記記述例
 8  杉並アピール
9  第1回原水爆禁止世界大会宣言文・1955年8月6日広島市公会堂 2
 10 私は広島を証言する 八島藤子作詩
11 瞬光二十年 石田明作詩
12 NG0・広島アピール
13 ユネスコ軍縮教育十原則
 14  過去を振り返ることは、将来に対する責任をになうことである
 15  「広島アピール」軍縮教育国際シンポジウム、1982年10月29日
 16  過去に目を閉ざすものは、現在に盲目となる
 17  核兵器廃絶に関する広島宣言
18 原爆ドーム保存募金運動
19  西ドイツに「広島同盟」、そのニュルンベルク宣言でみるヒロシマ
 20 八月六日・八月九日、広島・長崎両市の平和記念式典での両市長「平和宣言」例
  ヒロシマ・平和教育年表

国際平和シンポジウム(朝日新聞社・広島市)

国際平和シンポジウム(朝日新聞社・広島市)

平成7 年(1995 年)度から、核兵器廃絶をテーマに市民の平和意識啓発を図ることを目的として、広島市、広島平和文化センター、朝日新聞社の共催により広島で開催。平成18年(2006 年)度からは広島・長崎の交互開催に改める。

開催年月日 テーマ 会場 備考
19950718 核兵器廃絶への道を探る―ジャーナリストは何がいきるのか 広島 1
19960802 核兵器ゼロの世界を目指して
19970729 北東アジアの非核化と日本の役割
1998 1998年8月4日(第4回)国際シンポジウム・講演会「核廃絶へ今、私たちは何をすべきか」
1999 1999年8月5日(第5回)「語ろう、核兵器廃絶を!~ヒロシマから21世紀に向けて」
2000 2000年8月4日(第6回) 「非核の傘を広げよう!核のない21世紀めざして」
2001 2001年8月3日(第7回)「核廃絶の流れを確かなものに~地球市民としてなにをなすべきか」(原爆資料館蔵)
2002 2002年8月3日(第8回)「呼び戻そう核廃絶の流れを-報復から対話へ」(原爆資料館蔵)
2003 2003年8月3日(第9回)「語り続けよう核廃絶の道を-力の論理に抗して」
2004 2004年8月1日(第10回)「再び築こう核廃絶の流を-強めよう都市と市民の連携」(原爆資料館蔵)
2005 2005年月日(第回)2006年7月29日(第12回)<会場:長崎>
「核なき世界へ~61年目のナガサキから」
2006
2007 2007年8月4日(第13回) 「再び核廃絶のうねりを~ヒロシマから世界へ」
2008 2008年7月27日(第回)<会場:長崎>
「核兵器廃絶への道~NGOとミドルパワーの可能性」
2009 2009年8月1日(第15回)
「核兵器廃絶への道~2010年NPT再検討会議に向けて」2009年8月1日(土)広島国際会議場
国際平和シンポジウム「核兵器廃絶への道~2010年NPT再検討会議に向けて」
2010 2010年8月7日(第回)<会場:長崎>
「核兵器廃絶への道~2010年ナガサキ」
2011
2012
2013 2013年7月27日(第19回)
「核兵器廃絶への道~核兵器の非人道性と被爆体験の伝承~」(原爆資料館蔵)
2014
2015 2015年7 月25 日第回)
「核兵器廃絶への道~被爆70 年:核兵器の非人道性を見つめ、非合法化へ~」
2015年7 月25 日(土)午後1 時~午後5 時 広島国際会議場「ヒマワリ」
テーマ:核兵器廃絶への道~被爆70 年:核兵器の非人道性を見つめ、非合法化へ~
内 容:①オープニング:広島女学院高校音楽部による「リメンバー」合唱
②被爆体験を語り継ぐ:山本 定男(被爆体験証言者)
③特別講演:為末大(世界陸上競技選手権メダリスト)
④基調講演:モハメド・ベジャウィ(元国際司法裁判所裁判長)
⑤パネル討論:
〔パネリスト〕モハメド・ベジャウィ(元国際司法裁判所裁判長)
2016
20170729 核兵器廃絶への道~この世界の分断を越えて 広島国際会議場
▽特別対談「映画『この世界の片隅に』を語ろう」 片渕須直、蔵本順子
▽基調講演「トランプ時代における挑戦」 ジョン・ウォルフスタール(オバマ政権で特別担当補佐官)
▽パネル討論 ジョン・ウォルフスタール、ニーナ・タネンウォルド、小溝泰義氏、林田光弘
20180728 核兵器廃絶への道~持続平和な平和のために~ 長崎原爆資料館
2019
20200801 核兵器廃絶への道~世界の危機に、歩みをとめない~ 長崎原爆資料館ホール
一般傍聴者は募らず、海外の登壇者とはオンラインでつなぎ、その模様をライブ配信
20210731 核兵器廃絶への道~『希望の条約』が照らす新しい世界~
会場での参加者は募らず、広島国際会議場から無料ライブ配信
20220730 核兵器廃絶への道~世界を『終わり』にさせないために~ 長崎原爆資料館ホール
20230729 核兵器廃絶への道~被爆地が核戦争の「歯止め」となるために 広島国際会議場
ライブ配信の視聴も可能