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国連軍縮会議

 

国連軍縮会議は、アジア・太平洋地域において、軍縮問題に対する意識を高め、また、軍縮・安全保障に関する対話を行う場を提供するという観点から、1988年に設置された国連アジア太平洋平和軍縮センター(当初はアジア平和軍縮センター)の主催により開催されている。この会議では、国連総会やジュネーブ軍縮会議など、各国政府代表で構成される通常の軍縮会議のように条約交渉や決議、アピールを行うのではなく、世界各国の政府高官や軍縮問題の専門家などが、個人の資格で参加し、毎回のテーマに沿った討議を行っている。
国連軍縮会議は、1988年の第3回国連軍縮特別総会において、竹下内閣総理大臣(当時)より、国連主催の軍縮会議を日本で開催する用意があると表明したことを受けて、1989年以来毎年、日本政府の協力の下で、日本国内の地方都市で開催されている。これは、日本の軍縮に対する積極的な姿勢を国内外にアピールする良い機会となるとともに、この種の会議を全国の様々な都市で開催することにより、軍縮問題に対する日本国民の関心を高めることに貢献している。これまで、広島、長崎をはじめとして、京都、仙台、札幌、秋田、金沢、大阪、横浜,さいたま,新潟で開催。出典:http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/un_cd/gun_un/gaiyo.html

開催年月日 開催地 備考
01 1989年4月19ー22日 京都
1991年5月 京都 05 31 FRI 14:10 S 国連京都会議一行への講演。14時10分より15分間。後、秋葉(放影研)・阿部静子・高橋昭博。
05 31 FRI 18:30 S 国連軍縮専門家一行歓迎レセプション(県知事・市長主催)。於グランドホテル。
06 01 SAT 10:00 S 「国連と軍縮」シンポジウム。於広島国際会議場。-12時。こういう啓蒙活動は、もういいのではないか。だれを対象としているのか、日本政府のため?明石次長の「北鮮」発言、気になっていたら、会場からもその後にも問題になった。
1992年6月15-18 広島
 03 1993年4月 京都 93 04 17 SAT 13:30 S 第3回国連軍縮京都会議参加者一行への「原爆被害の概況説明」。宇吹・長谷川・渡辺美代子・高橋。
1995年6月12-16日 長崎
08 1996年7月17-20日 広島
10 1998年11月24-27 長崎 基調テーマ「核兵器のない世界に向けて」
25 2015年8月26-28日 広島 参加者:23か国・5国際機関から83人。
27 2017年11月29-30日 広島

年表:国連軍縮会議(1989~2000年)

Y M D NEWS1
89 03 04? 長崎・広島両市長に、「国連軍縮京都会議」(4月19日-)への招待状が届く(オブザーバーとして出席)。
89 03 16 国連軍縮局、4月に京都で開催する「軍縮問題に関する国連京都会議」の概要を発表。それによると、31カ国約100人が参加。テーマは「軍縮と安全保障」など。同会閉会後は広島に移動し、原爆資料館など見学。
89 04 16 京都の市民グループ、国連軍縮京都会議へのアピール文を掲げ、反核デモ(約30人参加)。
89 04 17 「国連軍縮京都会議」(19ー22日)出席者のうち広島を訪問するメンバー・スケジュールなど決定。
89 04 19 「国連軍縮京都会議」(国連主催)、京都市で開催(31ヵ国から90人参加、22日まで)。テーマ「核実験禁止と検証」。被爆国日本での初の世界的な軍縮会議。外相、開会式に出席。広島・長崎両市長、オブザーバーとして出席。
89 04 19 「国連軍縮京都会議」の主催者、広島市の被爆者の作った「反核人形」の配布を、「人手がない」と断わる。
89 04 19? 京都の市民グループ「国際市民アクセスセンター」、各国の市民の「国連軍縮京都会議」へのメッセージをパソコン通信で収集、冊子にまとめ同会議参加者に配布。
89 04 20 「核軍縮を求める二十二人委員会」、「国連軍縮京都会議」で、非核三原則の法制化を検討していることを公表。
89 04 20 京都の市民グループ、「国連軍縮京都会議」の会場周辺で、プラカードを掲げて同会議参加者へ核兵器廃絶などを訴え。京都府警からデモ行進を阻止され、中止。
89 04 23 「国連軍縮京都会議」に出席したベネゼエラ・ソ連代表、原爆ドーム募金に寄金。(海外からの第1号。)
89 04 23 「国連軍縮京都会議」への参加者(25ヵ国53人)、来広し、原爆資料館など見学。原医研・放影研職員より被爆の社会・医学的影響の説明を受け、被爆者より被爆体験を聴取。
89 04 24 「国連軍縮京都会議」に参加したカナダ代表、来広し、原爆ドーム保存募金に寄金。
89 04 24 「『国連と軍縮』広島講演会」(広島市など主催)、広島市で開催(聴衆約400人)。「国連軍縮京都会議」参加者(日・米・ソ・カナダ代表)による講演。テーマ「いま、世界は」。
90 04 16 広島平和文化センター河合護郎理事長ら、国連軍縮仙台会議にオブザーバー参加。
90 11 15 広島市長、即位の礼出席のため来日したデクエヤル国連事務総長と東京で会見。同市長、1991年の国連軍縮京都会議参加者の広島訪問と1992年の国連軍縮会議の広島開催を要請。事務総長、前向きに取り組む姿勢を表明。
91 04 09 中山外相、参院外務委で、広島市が同市で開催を希望している国連軍縮会議について、政府としても実現に協力する考えのあることを表明。
91 04 10 国連筋、5月末の「国連軍縮京都会議」には海部首相らが参加し、これまでより注目度の高いものになるとの見方を表明。海外からの会議参加者の大半が、会議後に来広。
91 05 14 第2回国連軍縮京都会議の参加者を広島に招いて開催する「国連と軍縮シンポジウム」の内容、決定。テーマは「冷戦後の国際システム構築への課題」。
91 05 27 第2回国連軍縮京都会議、京都市で開催。30日まで。広島・長崎両市長、オブザーバー参加。広島市長ら、軍縮会議の広島開催を関係者にアピール。
91 05 28 本島長崎市長、国連軍縮京都会議に出席中に、広島市と合同で在韓・北朝鮮の被爆者の調査を国に要望したい意向を表明。
91 05 30? 国連軍縮京都会議に出席した仏のソラニュ・フェルネクス(「欧州議会」議員・「平和のための婦人グループ」メンバー)、同会議について「抽象論議をやめて具体的に行動を」とコメント。同グループは、毎年パリ郊外で広島・長崎記念行事を開催。
91 05 31 国連軍縮京都会議参加者一行45人、来広し、原爆資料館など見学。原爆映画を鑑賞し、被爆体験を聴取。
91 06 01 「国連と軍縮シンポジウム」、広島市で開催(広島県・市など主催、約500人参加)。「冷戦後の国際システム構築への課題」をテーマに、国連軍縮京都会議参加者らがパネリストとして参加。
91 10 26 広島市長、帰広。1992年の国連軍縮会議の広島市での開催について、前向きの感触を得たこと・1993年の第3回世界平和連帯都市市長会議が広島・長崎両市で開催されることなどを報告。
91 11 12 宮沢首相、広島市が1992年に開催を要望している国連軍縮広島会議について、開催が決定すれば政府は積極的に協力していきたいとの見解を表明。
92 01 21 広島市議会国際交流推進特別委員会で、6月ごろ広島市で国連軍縮会議が開催されることが明らかにされる。
92 02 01 広島市、同市で初めて開催される国連軍縮会議の日程などを発表。6月15日-18日に60人参加。国内での開催は4回目。
92 02 06? 宮沢首相、広島市で開催される国連軍縮会議に出席の意向を示す。
92 02 18 平岡広島市長、首相官邸で宮沢首相に6月の国連軍縮広島会議への出席を要請。首相、日程が許せば出席したいとの意向を表明。
92 02 19 非核の呉港を求める会、呉市・同市議会に国連軍縮広島会議が核兵器廃絶をテーマとするよう請願。
92 03 12 広島県平和委員会、6月の国連軍縮広島会議の議題を「核兵器廃絶」とするよう、広島市長と市議会議長に文書で申し入れる。
92 03 19 「核兵器全面禁止・廃絶のためにヒロシマ・ナガサキからのアピール広島市署名推進委員会、国連軍縮広島会議で核兵器の緊急廃絶を議題とするよう国連に求めることを、広島市と市議会に要請。
92 03 27 田中義具ジュネーブ軍縮会議日本政府代表部大使、平岡広島市長と広島市内で会談。国連軍縮広島会議について意見を交換。
92 05 13 広島県被団協(市岡正憲理事長代行)、米国の国連本部軍縮室に国連軍縮広島会議の主要テーマを「核兵器廃絶」とするよう要請書を送付。
92 05 13? 高橋昭博ら2人の被爆者が国連軍縮広島会議終了後の6月18日、各国代表に被爆体験を証言することが決定。
92 05 15 堂ノ脇光朗前軍縮大使、国連軍縮広島会議の会場視察のため広島市を訪問。
92 06 03 広島県被団協(市岡正憲理事長代行)、広島平和文化センタ-に、国連軍縮会議代表に核兵器廃絶を要請できるよう取り計らって欲しいと申し入れ。
92 06 03 広島平和文化センタ-、国連軍縮局から明石国連事務総長特別代表が国連軍縮広島会議に出席できないとの連絡を受ける。
92 06 09 宮沢首相、国連軍縮広島会議への出席を断念。
92 06 10 国連軍縮広島会議の参加者が決定。海外22か国31人と国内38人計69人。
92 06 12 広島県被団協(市岡正憲理事長代行)、核兵器廃絶を国連軍縮広島会議の主要テーマにするよう求めた英文の申入書を広島平和文化センタ-に提出。
92 06 12 プロブスラブ・ダビニッチ国連軍縮室長、軍縮会議出席のため広島入り。
92 06 15 長崎市議会総務委員会で、国連軍縮広島会議に長崎市が関与していないことに関連し、市の平和行政へのとりくみに対する批判が出る。
92 06 15 国連軍縮広島会議開幕。19か国56人が出席。-18日。
92 06 15 国連軍縮広島会議の参加者、原爆資料館を見学し原爆慰霊碑に献花。
92 06 16 国連軍縮広島会議2日目。「アジア・太平洋地域における対話の開始及び信頼醸成の現状」をテーマに討議。
92 06 16 フィリップ・ゼリコー米ハーバード大学教授、国連軍縮広島会議で「原爆投下は正当」と発言。
92 06 16 国連軍縮広島会議で原爆投下容認発言を行ったゼリコー米大教授、姿を消し会議を欠席。
92 06 17 広島県原水爆被害者団体協議会と広島県原水禁のメンバー約30人、国連軍縮広島会議での米教授の原爆投下容認発言に抗議して原爆慰霊碑前で座り込み。
92 06 17 「平和を願う友の会」(竹内千代ら)、国連軍縮広島会議の参加者全員に手作りの折り紙人形を渡し終える。
92 06 17 大阪府高槻市立庄所小学校の修学旅行生52人、広島国際会議場を訪れ、国連軍縮室のスタッフに折り鶴を手渡す。
92 06 17 国連軍縮広島会議3日目。「大量破壊兵器とその運搬手段の不拡散」・「アジア・太平洋地域における信頼醸成措置」の2つの作業部会に分かれて討議を続行。
92 06 17? 国連軍縮広島会議の参加者、全員が毎日新聞社のアンケートに「核兵器廃絶は可能」と回答。
92 06 18 国連軍縮広島会議、全体会議を開催し閉幕。
92 06 18 国連軍縮広島会議の海外からの参加者約20人、原爆映画「ヒロシマ・母の祈り」を鑑賞後、被爆者2人の証言を聞く。
92 06 19 広島修道大学、国連軍縮広島会議に参加した米国務省科学部門科学専門調査顧問を招いて国際交流講演会を開催。約150人が聴講。
92 07 25 広島県原水禁、国連軍縮広島会議で原爆投下肯定発言をおこなったゼリコーハーバード大助教授を広島に改めて招待し対話することを計画。
92 08 28 広島県原水禁、6月の国連軍縮広島会議で原爆投下を正当する発言をしたゼリコー米ハーバード大講師に反論文を送付。
92 10 05 広島県原水禁、6月の国連軍縮広島会議で原爆投下正当化発言をしたゼリコー米ハーバード大講師から返書を受け取る。
92 11 09 国連軍縮室、1993年に京都市で国連主催の軍縮会議を開催することを明らかにする。
93 01 12 本島長崎市長、国連軍縮会議を被爆50周年に長崎で開催したい意向を表明。
93 01 13 渡辺外相、パリの化学兵器禁止条約調印式で4月に京都で国連軍縮会議(4月13日~16日)を開催することを明らかにする。
93 02 09 国連アジア太平洋平和軍縮センタ-、国連軍縮局と共催で4月13日から4日間、「第3回国連軍縮京都会議」を開催すると発表。
93 03 20 国連軍縮室・国連アジア太平洋軍縮センタ-、第3回国連軍縮京都会議の細目と主な参加者を発表。
93 04 09? 長崎県・市でつくる国連軍縮会議長崎シンポジウム協議会が開催するシンポジウムの概要が決定。
93 04 13 本島・平岡の広島・長崎両市長、国連軍縮京都会議に出席し、参加者や国連関係者と懇談。本島市長、被爆50周年に国連軍縮長崎会議を開催したい意向を伝える。
93 04 13 国連軍縮京都会議開催。-16日。メインテーマ「相互依存世界における軍縮と国家安全保障」。約80人が参加。
93 04 16 国連軍縮京都会議の出席者のうち17か国22人、広島入り。
93 04 17 長崎県・市、ダビニッチ国連軍縮室長らを招き「国連軍縮会議長崎シンポジウム」を長崎市で開催。約420人が参加。
93 04 17 第3回国連軍縮京都会議参加者のうち17か国の22人、広島の原爆資料館などを見学し、被爆者らの話を聞く。
93 04 18 国連軍縮京都会議の参加者によるシンポジウム「アジア太平洋地域における対話構築と共通安全保障の探求」、広島国際会議場で開催。約500人が参加。
93 06 03? 国連軍縮室と国連アジア太平洋軍縮センター、被爆50周年の1995年に長崎市で国連軍縮会議を開催する方向で検討を開始。
93 09 20 本島長崎市長、中田勝郎市議会議長、2年後の被爆50周年の記念行事として国連軍縮会議の長崎開催を、細川首相に要望。首相、理解を示す。
94 02 08 本島長崎市長、記者会見で第6回国連アジア太平洋地域軍縮会議に参加した感想を述べる。被爆50周年に国連軍縮会議を長崎市で開催するよう要請。
94 02 08 石栗勉国連アジア太平洋平和軍縮センター所長、広島入りし、5月に国連軍縮会議を広島市内で開催する方向で準備していることを明らかにする。
94 02 15 広島市、平成6年度当初予算案を発表。6月の国連軍縮広島会議、7月の平和・戦争に関する博物館会議の開催に向けた費用などを盛り込む。
94 05 19 石栗勉国連アジア太平洋平和軍縮センター所長、24日から開催の国連軍縮広島会議に中国・北朝鮮は参加しないことを明らかにする。
94 05 23 ダビノビッチ国連軍縮センター所長、第2回国連軍縮広島会議について「アジア太平洋地域の軍縮と信頼醸成を図る」と記者会見で語る。また、被爆50周年にあたる1995年の国連軍縮会議の開催地として長崎が内定していることを公表。
94 05 24 「ピース・リンク広島・呉・岩国」、国連軍縮広島会議を主催する国連軍縮センターと国連アジア太平洋平和軍縮センターあてに、核兵器廃絶などの取り組み強化を求める要請書を提出。
94 05 24 第2回国連軍縮広島会議開会式・全体会議、広島国際会議場で開催。テーマ「軍備の透明性、地域対話及び軍縮」。-27日。19か国から61人が参加。核拡散防止条約(NPT)の延長問題に議論が集中。
94 05 24 河野洋平自民党総裁、国連軍縮広島会議で、来年広島で核兵器保有国会議を開催するよう提案。
94 05 24 平岡広島市長、国連軍縮広島会議の全体会議で、核保有5か国の首脳会議の開催など、核兵器廃絶やヒバクシャ救援を目的とした提案をおこなう。
94 05 24 本島等長崎市長、国連軍縮広島会議で被爆50周年に国連軍縮会議を長崎で開催したい意向を表明。
94 05 24 日本政府代表、国連軍縮広島会議の発言で、来年の軍縮会議の長崎開催支持を表明。
94 05 24 第2回国連軍縮広島会議の参加者、原爆資料館を見学。
94 05 25 「被爆体験者証言の集い」、国連軍縮広島会議に参加している伊東壮日本被団協代表委員を囲み被爆者援護法の展望について話し合い。13人が参加。
94 05 25 米国の反核市民団体「ネバダ砂漠の体験」代表パメラ・マイデル、国連軍縮広島会議の出席者に、全面核廃絶を求める要請書を提出。
94 05 25 第2回国連軍縮広島会議、第2日目。「地域安全保障と軍縮推進への努力」をテーマに全体会議。
94 05 26 第2回国連軍縮広島会議、非公開の作業部会。
94 05 26 国連軍縮広島会議に出席中のシャー・インド駐日大使、平岡広島市長を表敬訪問。
94 05 27 ダビニッチ国連軍縮センター所長、来年の国連軍縮長崎会議には中国・北朝鮮が参加する公算が大きいことを明らかにする。
94 05 27 広島県・市など、公開シンポジウム「核軍縮と今日の安全保障対話」を、広島国際会議場で開催。ダビニッチ国連軍縮センター所長をコーディネーターに軍縮会議に参加した5カ国の5人が参加。市民約750人が聴取。
94 05 27 国連軍縮広島会議、締めくくりの全体会議。
94 05 27 国連軍縮広島会議の参加者ら約40人、原爆記録映画「ヒロシマ・母たちの祈り」を鑑賞後、高蔵信子と高橋昭博の被爆体験を聴取。
94 07 04 長崎県、被爆50周年に国連軍縮会議を長崎市に誘致するため高田知事らが10月か11月にニューヨークの国連本部を訪問し要請する予定であることを発表。
94 07 26 長崎県の戦後50周年記念事業懇話会、第1回会合を開催。県が提示した国連軍縮会議の開催などの事業計画案について話し合う。
94 10 12 高田長崎県知事と本島長崎市長、米ニューヨークの国連本部を訪れ、来年の被爆50周年に国連軍縮会議を長崎市で開催することを正式に要請。-13日。
94 10 13? グールディング国連事務次長、国連軍縮会議を1995年6月12日から長崎市で開催することを高田長崎県知事・本島長崎市長ら訪問団に正式回答。
94 10 18 高田長崎県知事・本島市長、国連軍縮長崎会議開催を要請するためのニューヨーク国連本部訪問を終え、県庁で記者会見。長崎開催の正式決定と「核廃絶」が主要議題になったことを明らかにする。
95 02 16? 長崎市で6月15日から5日間の日程で開催予定の国連軍縮長崎会議のテーマがまとまる。「半世紀の軍縮努力と展望」。
95 02 24 石栗勉国連アジア太平洋平和軍縮センター所長、6月の国連軍縮会議の打ち合わせのため高田長崎県知事・本島長崎市長を訪問。
95 05 11 村山首相、6月12日から長崎市で開催される国連軍縮長崎会議に出席の意向を表明。
95 05 17 村山首相が6月から長崎市で開催される国連軍縮長崎会議で演説することが決まる。
95 06 06 共産党長崎市議団、伊藤長崎市長に対し、国連軍縮長崎会議で核兵器全面禁止などを各国代表や国連に強く働きかけるよう申し入れ。
95 06 08 原水爆禁止長崎県協議会、国連軍縮長崎会議で核兵器廃絶を求める県民の願いを強く主張するよう高田県知事に申し入れ。
95 06 08 国連軍縮長崎会議を主催する国連の現地事務所が長崎市内のホテルに開設される。
95 06 09 長崎県原水禁、長崎市平和公園で「反核9の日座り込み」で、国連軍縮長崎会議で核兵器廃絶を真剣に討議するよう求めるアピールを採択。高田県知事・伊藤市長に提出。
95 06 09 村山首相、国連軍縮長崎会議への出席取りやめを決める。
95 06 11 NGO「ワールド・ピース・プレイヤー・ソサエティー」、国連軍縮長崎会議の開催に合わせて「世界各国の平和を祈る長崎の集い」を長崎市内で開催。約130人が参加。
95 06 12 徐冒植北朝鮮外交部軍縮課長、国連軍縮長崎会議に参加した長崎市で記者会見し、同国内の被爆者の実態調査を開始していることを明らかにする。
95 06 12 村山首相、国連軍縮長崎会議の演説(園田官房副長官代読)で、来年に「核軍縮セミナー」を日本で開くことを提案。
95 06 12 長崎の被爆者と若者代表、国連軍縮長崎会議の開会式で被爆体験や平和への願いを訴える。会議の場でのこうした訴えは初めて。
95 06 12 国連軍縮長崎会議、開会式を長崎市内のホテルで開催。36か国91人が参加。平岡広島市長、10月に採択される国連50周年記念特別宣言に核兵器廃絶促進を盛り込むよう提案。
95 06 12 国連軍縮長崎会議、「過去半世紀における軍縮努力と将来への展望」をテーマに開幕。-16日。国連軍縮会議としては初めて「核兵器廃絶」をテーマに掲げる。
95 06 12 国連軍縮長崎会議の参加者やオブザーバー約80人、長崎市の平和祈念像に献花、原爆資料館を見学し、原爆養護ホームを慰問。
95 06 14 国連軍縮長崎会議(全体会議)。伊藤長崎市長、再度の長崎開催を提案。
95 06 15 国連軍縮長崎会議。非公開の作業部会。核兵器廃絶が討論されず、究極の目標確認に終わる。
95 06 15? 共同通信社、国連軍縮長崎会議参加者を対象としたアンケート結果をまとめる。「原爆投下は正しくなかった」とする回答が6割を占める。
95 06 16 国連軍縮長崎会議、最終全体会議を開催。ダビニッチ国連軍縮センター所長が総括報告。「究極的な核廃絶」を確認。
95 06 16 国連軍縮長崎会議の一環として長崎市内で軍縮シンポジウムが開催される。
95 06 18 広島県・市・平和文化センター、国連軍縮長崎会議の参加者を招きシンポジウム「核軍縮の促進と核兵器廃絶」を広島国際会議場で開催。約500人の市民が参加。
96 01 26? 第8回国連軍縮会議(5月開催予定)の開催地が広島市に決定。
96 03 21 国連、5月に開催予定だった国連軍縮広島会議を7月頃に延期すると広島市に連絡。
96 06 06 広島県、7月に広島市で開催される第3回国連軍縮広島会議の概要を発表。テーマは「より安全な、また核兵器のない世界に向けての共通の努力」。
96 07 17 第3回国連軍縮広島会議の開会式、広島国際会議場で開催。22か国の政府関係者や学者62人が参加。
96 07 17 第8回国連軍縮会議、広島市で開催。-20日。
96 07 17 第3回国連軍縮広島会議の各国の参加者、広島市平和公園の原爆慰霊碑に参拝後、原爆資料館を見学。
96 07 18 第3回国連軍縮広島会議(第2日)。全体会議「通常兵器・新たな問題」、作業部会「核軍縮促進のための今後の措置」、「信頼醸成措置と地域の安全」を開催。
96 07 19 第3回国連軍縮広島会議「広島県民・市民との対話」、広島国際会議場で開催。海外参加者と被爆地代表9人が意見交換。
96 07 19 第3回国連軍縮広島会議の海外参加者ら約60人、渡辺美代子の被爆の証言を聴取。
96 07 20 第3回国連軍縮広島会議、総括の全体会議を開き閉幕。
96 10 08 桂信雄札幌市長、来年7月22日-25日に、札幌市で国連軍縮会議を開催すると発表。
97 03 26 伊藤長崎市長、国連軍縮長崎会議の来年開催を国連側に要請する考えを国連側に要請する考えを明らかにする。
97 06 21 伊藤長崎市長、来年の第10回国連軍縮会議が長崎で開催される見通してあることを明らかにする。
97 07 22 国連軍縮札幌会議、開催。32か国からオブザーバーを含む101人が参加。-25日。
97 07 27 長崎県・長崎市、国連軍縮札幌会議の海外参加者を招いて「国連と軍縮シンポジウム」を長崎原爆資料館で開催。約300人が参加。
97 08 28 伊藤長崎市長・高田県知事、国連本部を訪問。-29日。2日、帰国の記者会見。来年秋の国連軍縮会議の長崎開催が実現しそうだと語る。
97 11 26? 国連軍縮会議の第10回会議が来年11月に長崎市で開催されることが内定。
98 02 10 伊藤長崎市長、国連に対し県とともに要請していた国連軍縮会議の同市開催が決定した、と発表。同会議は今年で10回目、長崎開催は2回目。
98 02 24 長崎市、新年度予算案を発表。新規予算として国連軍縮長崎会議開催費負担金2000万円など。
98 09 25 平岡広島市長、長崎市で11月に開かれる国連軍縮会議でのあいさつの中に、米国の臨界前核実験への抗議を盛り込む考えを、市議会本会議の一般質問の中で明らかにする。
98 11 13 長崎市の「平和推進専門会議」の初会合、東京で開催。「国連軍縮長崎会議」への対応などを協議。
98 11 15 朝日新聞「国連軍縮会議、24日から長崎で-議題はひとつ、核廃絶」
98 11 17 長崎平和研究所・長崎総科大学平和文化研究所、国連軍縮長崎会議に向け緊急シンポジウム「核不拡散・廃絶への道を探る」を長崎原爆資料館で開催。
98 11 19 中国新聞連載「核なき世界へ-10回目の国連軍縮会議」(-24日、6回)。
98 11 22 長崎新聞「長崎で再び国連軍縮会議-「核不拡散・核軍縮」に絞り論議」
98 11 24 武見敬三外務政務次官、日本政府が来年4月か5月にカザフスタン共和国・セミパラチンスク旧核実験場周辺の被曝者を救済する技術・医療協力を推進するための国際セミナーを日本で開催する方針を、国連軍縮長崎会議の挨拶の中で明らかにする。
98 11 24 国連軍縮長崎会議。基調テーマ「核兵器のない世界に向けて」。-27日。10回目。
98 11 24 国連軍縮局など、国連軍縮長崎会議を長崎ブリックホールで開催。海外23か国の29人と国内42人の計71人が参加。広島・長崎両市長や山口仙二が開会式で挨拶。市民約1000人が傍聴。
98 11 24 長崎市内の中学・高校計30校の生徒約420人、国連軍縮長崎会議の開会式を傍聴。主催者が招待。
98 11 24 国連軍縮長崎会議(第1日)。明石康広島平和研究所長が基調講演「核不拡散・軍縮を阻害する新たな課題」。「核不拡散および軍縮を阻害する新たな課題」をテーマにした全体会議。
98 11 24 国連軍縮長崎会議の参加者、会議を前に長崎原爆資料館を訪問。
98 11 25 長崎新聞「国連軍縮会議要旨」
98 11 25 国連軍縮長崎会議に参加したインド・パキスタン・米国・中国などからの6人、谷口長崎被災協会長代行、杉本県被爆二世の会会長ら6人と懇談。
98 11 25 国連軍縮長崎会議(第2日)。「当面の課題・核兵器開発能力の拡散をいかに防ぐか」をテーマに全体会議。
98 11 25 国連軍縮長崎会議に参加したインド・米国・パキスタン・インドネシア・中国の代表5人、長崎の高校生・大学生34人との意見交換会に出席。
98 11 26 長崎新聞「国連軍縮長崎会議・2日目要旨」
98 11 26 朝日新聞「時時刻刻:「核拡散」危機直面で緊迫 国連軍縮長崎会議」
98 11 26 国連軍縮長崎会議(第3日)、「核軍縮への現実的手段」と「核不拡散および軍縮への好ましい環境づくり」をテーマとする全体会。核兵器廃絶への取り組みと長崎を最後の被爆地とする決意を盛り込んだ決議を採択。軍縮会議での決議は初めて。
98 11 27 長崎新聞「国連軍縮長崎会議・3日目要旨」
98 11 27 国連軍縮長崎会議。最後の全体会を開催。
98 11 28 長崎新聞「国連軍縮会議閉幕、成果と課題」
98 12 02 伊藤長崎市長、国連軍縮長崎会議を、核兵器廃絶への大きな一歩と、市議会本会議で評価。
98 12 02 朝日新聞「国連軍縮長崎会議:核の惨禍、繰り返さぬ、被爆地からの決意の一歩」
98 12 07 広島県立庄原格致高校高野山分校、「教育に新聞を」(NIH=Newspaper In Education)の公開授業を実施。「国連軍縮長崎会議」・「被爆」などを取り上げる。
98 12 08 毎日新聞「記者の目:国連軍縮長崎会議-「核廃絶の意志」連携を」(綿貫洋・長崎支局)
98 12 08 長崎新聞「わがまち回顧(1)本社(上)-「長崎を最後の被爆地に」-国連軍縮会議で決議」
98 12 15 平岡広島市長、明石広島平和研究所長の「普遍的核の傘」発言(国連軍縮長崎会議の基調講演で)について慎重論を、市議会一般質問の中で述べる。
98 12 22 中国新聞「中国新聞を読んで:国連軍縮会議-市民とのかかわり焦点」(吉田修)
99 07 27 国連軍縮局・国連アジア太平洋平和センター、国連軍縮京都会議を国立京都国際会館で開催。24か国60人の政府高官・軍縮専門家らが参加し、「今後10年間の安全保障上の懸念と軍事戦略」をメーンテーマに意見交換。-30日。
99 07 27 明石康・前広島平和研究所長、国連軍縮京都会議で基調講演。東京フォーラムの内容を紹介。
99 07 27 武見敬三外務省政務次官、カザフスタンなど5か国による中央アジア非核地帯設置に向けた取り組みを財政支援することを、国連軍縮京都会議の開会式で明らかにする。
99 07 28 国連軍縮京都会議(第2日目)。東京フォーラムの報告書について意見交換。「北東アジアにおける安定と協力」について集中討議。
99 07 29 毎日新聞「「平和」に不況の影-次回開催地決まらず-自治体負担4000万円[国連軍縮会議]」
99 07 29 国連軍縮京都会議(第3日目)。「核兵器とミサイル」・「通常兵器軍縮の再検討」の二つの全体会議を開催。
99 07 30 朝日新聞「時時刻刻:国連軍縮京都会議 24カ国が参加-軍拡阻め10年の計」
99 07 30 国連軍縮京都会議(第4日目)。閉会式。5つの全体会のごとに討議内容を報告。
99 08 02 長崎新聞「報道スペシャル:国連軍縮京都会議を終えて」
99 08 11 毎日新聞「深層:国連軍縮京都会議を振り返って-北朝鮮不参加にいら立ち」
99 10 28? 広島市など自治体が財政難を理由に、開催引き受けに伴う約4000万 円の費用負担を渋っているため、国連軍縮会議の2000年の開催が危ぶまれる。
00 08 22 国連軍縮局・国連アジア太平洋平和軍縮センター、国連軍縮秋田会議、秋田市で開催。明石康前国連事務次長(広島平和研究所前所長)が「国連の役割」と題して問題提起。-25日。主テーマ:21世紀の軍縮と国連-その戦略と行動。広島・長崎両市長が出席。

ハーグ平和市民会議

 1899年にハーグで開催された平和会議の100周年を記念し、1999年5月12日~15日、オランダのハーグで開催。「国際反核法律家協会」・「核戦争防止国際医師会議」・「国際平和ビューロー」・「世界連邦運動」の4団体が、国際社会から戦争と軍備(とりわけ核兵器)をなくすための討論と運動を、世界に呼びかけた。

文献

 

年月日 書名 編著者
2000806 戦争のない世界の実現を-公正な世界秩序のための基本10原則 日本ハーグ平和アピール運動

 

年表

Y M D NEWS1
99 01 30 原水爆禁止日本協議会、全国理事会を東京都内で開催。-31日。1999年度の運動方針としてガイドライン関連法案反対運動を推進すること、5月にハーグで開催される国際平和市民会議に代表団を派遣するこなどを決定。
99 03 02 長崎市、オランダ・ハーグで5月に開かれるNGO(非政府組織)主導の国際市民平和会議「ハーグ平和アピール1999」に幹部職員ら数人を代表として派遣する方針を明らかにする。
99 03 18 広島県原水禁、常任理事会を開催。5月にオランダのハーグで開催されるハーグ国際市民平和会議に7人の派遣団を送ることを決める。
99 04 27 ピースボート(本部:東京)、ハーグで開催される世界市民平和会議に北朝鮮の代表を招き、北東アジア非核化などについて討議する計画を明らかにする。
99 04 27 日本被団協・日本生協連などでつくる「つたえようヒロシマ・ナガサキ」、ハーグで開かれる世界市民平和会議に総勢79人の共同代表団を派遣することを明らかにする。広島県からは、両被団協の代表ら5人が参加。
99 05 06 中国新聞連載「築け非核市民ネット-印パ衝撃から1年-ハーグNGO平和会議を前に」(-8日、3回)
99 05 07 伊藤長崎市長、記者会見でハーグ市民平和会議に出席することを明らかにする。
99 05 09 「第9条の会ヒロシマ」の世話人・藤井順子、ハーグ平和会議に出席するため出発。
99 05 10 朝日新聞「ハーグ平和会議 期待と役割-県内から惨禍の4人に聞く」
99 05 10 広島からハーグ平和会議に出席する金子一士・坪井直・石川俊義の出発式、JR広島駅で実施。約30人が見送る。
99 05 10 秋葉広島市長、ハーグ平和会議に出席するため広島を出発。-16日。
99 05 11 長崎原爆松谷訴訟の原告・松谷英子、ハーグの市民平和会議に出席するため日本を出発。
99 05 11? 「核兵器廃絶を求める広島・長崎市民集会」実行委員会、「ハーグ平和アピール1999」で、NATO軍によるユーゴスラビア空爆の中止や今世紀中に国連軍縮特別総会を開き核兵器廃絶宣言をすることなど7項目を提言することを計画。
99 05 11? ハーグ市民平和会議で採択される提言「21世紀の平和と正義への課題(ハーグ・アジェンダ)」の草案が明らかになる。1.市民(団体)の重要性、2.軍備に頼らない人間の安全保障と人権の尊重、3.力の支配から法の支配への転換、など。
99 05 12 世界市民平和会議「ハーグ平和アピール1999」、オランダのハーグ市国際会議場で開催。-15日。100か国から日本の400人を含む約8000人が参加。
99 05 12 日本被団協などの「つたえようヒロシマ・ナガサキ共同代表団」、オランダ・ハーグ市内で被爆者の証言集会を開催。約60人が入れる会議室は満員。
99 05 13 秋葉広島市長、「ハーグ平和アピール1999」の中の「軍縮と人間の安全保障」全体会で冒頭発言。核抑止論の打破を訴える。
99 05 13 秋葉広島市長・伊藤長崎市長、「ハーグ平和アピール1999」の「ジャパン・デー」で講演。被爆体験の継承を訴える。
99 05 13 ハーグ世界市民平和会議、広島・長崎の被爆者や世界の核実験被害者が被爆の実相を語る討論集会を開催。200人以上が参加。
99 05 14 世界平和連帯都市市長会議と「ピースメッセンジャー都市国際協会」、オランダ・ハーグで会合を開く。20都市の約90人が参加。秋葉広島市長、ネットワークの強化を呼びかける。
99 05 14 日本のNGOピースボートが「ハーグ平和アピール1999」で企画した東アジアの非核地帯化を目指す会合、予定していた北朝鮮のパネリストが欠席のまま開催。
99 05 14? 森下一徹・伊藤孝司・桐生広人・豊崎博光・本橋成一の5人、「ハーグ平和市民会議」の会場で世界の「ヒバクシャ」をテーマとした写真展を開催。
99 05 15 朝日新聞「時時刻刻:ハーグ市民会議-空爆・・・すくむ平和の理念」
99 05 15 世界市民平和会議「ハーグ平和アピール1999」、核兵器禁止条約の交渉完結などを求める「21世紀の平和と正義に向けたハーグ・アジェンダ(提言)」を採択して閉幕。
99 05 16 朝日新聞社説「ハーグ会議-したたかに、しなやかに」
99 05 16 オランダ・ハーグからNATO本部のあるベルギー・ブリュッセルまで歩く「核廃絶2000ウオーク」、ハーグを出発。平和市民会議の出席者ら約500人が参加。出発集会で日本の被爆者4人が挨拶。
99 05 16 秋葉広島市長、ハーグでの世界市民平和会議から帰国し、記者会見。
99 05 17 伊藤長崎市長、ハーグの国際市民平和会議から帰国し、記者会見。
99 05 18 中国新聞連載「ハーグ発平和-検証世界NGO会議」(-19日、2回)
99 05 19 朝日新聞「主張・解説:ハーグ平和市民会議-NGO、収穫と課題と-国際舞台で軍縮けん引、日本の指導性に期待も」(山本敦子・深津弘・斎賀孝治)
99 05 19 朝日新聞「ハーグ市民会議-「戦争」被害手つなぎ発信-広島・長崎の被爆者-核実験場の犠牲者らと証言」
99 05 25 朝日新聞(広島版)「風・取材ノートから-ハーグ会議で知った「市民」の様々な主張」
99 05 25 大庭里美「プルトニウム・アクション・ヒロシマ」代表、広島市役所で世界市民会議「ハーグアピール1999」の帰国報告。
99 05 28 長崎新聞連載「ハーグの報告-平和会議に参加して」(-6月4日、7回)
99 05 28 坪井直・金子一士ら、オランダ・ハーグで開かれた世界市民会議に参加した5人、広島市役所で共同の記者会見。
99 06 05 中国新聞「中国論壇:ハーグ精神とNATO空爆-国連軸に平和の世紀に」(神谷昌道)
99 06 08 中国新聞「中国新聞を読んで:ハーグ平和会議-「核」追跡継続を熱望」(三上瞻)
99 06 09 朝日新聞(広島版)連載「ハーグからヒロシマへ」(-11日、3回)
99 06 26 毎日新聞「ウイークエンド・リポート:NGOから世界へ発信-ハーグ平和アピール1999-100か国超、8000人が参加」
99 07 23 「被爆体験証言者交流の集い」、広島原爆資料館で開催。坪井直広島県被団協事務局長と石川俊義自治労連委員長がハーグ会議への出席報告。約20人が参加。
99 07 23 広島原爆資料館、講演会「ハーグ平和アピール1999に参加して」を同館で開催。講師:金子一士、坪井直。(「ひろしま市民と市政」)

原爆参考資料陳列室(原爆記念館)

原爆参考資料陳列室(原爆記念館)

開設:1949(昭和24)年9月25日

 

広島市、市内中央公民館内に暫定的に
原爆参考資料陳列室(原爆記念館)を開設。
長岡省吾が中心となり収集した
被爆岩石・瓦・コンクリート・植物類などを
机や椅子の上に並べた
写真:中央公民館横に開設された原爆資料館。
出典:「広島市勢要覧」1951年版

参考資料

文沢隆一「平和記念資料館物語」(『季刊平和教育1』、明治図書、1976.5.15)

広島平和記念資料館概要

広島平和記念資料館(通称:原爆資料館)

1955年8月24日開館

所在地:広島市中区中島町1-2

TEL:082-241-4004

 

前史 平和都市建設と原爆資料==広島市勢要覧にみる「観光都市広島」
原爆参考資料陳列室(原爆記念館)
原爆資料保存会
年表 1951~69年、1970~77年、1978~79年、1980~81年、1982~831984~87年、
1988~90年、1991~93年、1994~95年、1996~97年、1998
関連文献
入館者数の変遷

 

書名・資料名 著者・発行者 発行年月日 備考
 広島原爆被害の概要  広島平和記念資料館  197011  197803改訂

 

日米安全保障条約改定反対共同声明広島世話人会(1959年12月)

日米安全保障条約改定反対共同声明広島世話人会

平和と学問を守る大学人の会は,1959(昭和34)年7月7日の常任理事会および7月20日の理事会において,日米安全保障条約改定交渉の即時打ち切りを求める声明書の案を作成し,それを会の名において発表することについて,全会員の賛否を問うことを決定した。この声明は,152人中77人の賛成を得て7月31日に発表された。

同会有志は,11月初めには,再度声明文の発表を企画,前回よりも広い範囲の署名を集めるため,会員外の人々にも呼びかけ人(=世話人)となってもらうよう働きかけた。11月19目の第1回世話人会時点では,29人が世話人となることを承諾,12月初めには40数人の文化人・学者からなる安保改定反対共同声明広島世話人会が発足した。

世話人会の討議の結果,「一般大衆署名は他団体の運動に期待することにし,世話人会としては広島県下の文化人・学者の安保改定にたいする反対意志の表明に運動の重点をおき,その立場から全国民の運動にサポートを与えるという方針を打ち出した。12月10日には,次のような声明書を作成,48人の世話人名で共同声明への参加を呼びかけた。

 昨年の秋から交渉が進められてきた新しい日米安全保障条約は,その全貌が国民に明らかにされないままに,いよいよ調印されようとしています。

 この日米安全保障条約の改定にたいして私どもは日本の安全と平和,世界の平和をねがう見地から深刻な不安を感じます。

 政府は今回の条約改定の目的として日本の安全と自主性の回復とをあげ,その具体的な問題として,日米共同防衛の原則を確立すること,在日米軍の配備,装備並びに出動を協議事項とすること,期限を十年にすることなどをあげています。

 しかしながら,第一に,これによって日本が戦争にまきこまれる危険がかえって大きくなるばかりか,極東における国際的な緊張が緩和されないで,かえって強められる恐れがあります。合衆国が一方的に他国と紛争をひきおこしたばあい,日本はその意思いかんにかかわりなくほとんど自動的に参戦せしめられることになるでしょうし,事前協議にかんする規定も,寸秒を争うミサイル戦の時代においては事実上実効をもたないと考えられます。

 第二に,これによって,原水爆禁止という日本国民全体,とくに原爆被災者である私ども広島県民の悲願が日本自身の手でふみにしられる恐れがあります。改定条約の中に,バンデンバーグ決議をもりこんだ「共同防衛」の原則が確立されることによって,当然に日本の軍事力の増強,とくに核武装が避けられないものとなるでしょう。

 第三に,これによって日本国憲法と国内民主主義にさらに重大な制約が加えられる恐れがあります。この改定によって国内法上違憲の疑いのある日本の自衛隊が国際的に合法化され,ひいては「共同防衛」の原則によってその海外派兵が避けられなくなり,この面から日本国憲法改定のための突破口が開かれることが懸念されます。また,日米協議事項を定めることとひきかえに,秘密保護法がつくられる恐れもあります。

 フルシチョフ・ソ連首相の訪米と来春に予定されているアイゼンハワー米大統領の訪ソ,また,国連における八十二か国の軍縮決議の可決など,急速に世界情勢が平和と軍縮に向かおうとしている今日,日本がなぜ急いでこのように多くの重大な疑点のある条約を,しかも十年間という長い期限を定めて結ばなければならないのでしょうか。このことについても私どもは納得できません。

 ふたたび戦争の悲劇をくりかえさないことを念願している私どもは,以上の理由からしてこのたびの日米安全保障条約改定交渉ならびに調印は中止すべきであると考えます。

 右声明致します。

この声明書は,12月25日,広島大学関係者374人をはじめ,文学者・画家・舞踊家など計531人の名前とともに発表され,内閣・国会・各政党および県内の市長・市議会議長その他諸団体に送付された。

世話人会は,共同声明発表後もひきつづき存続し,1960(昭和35)年2月28日には,広島市内専立寺において相原和光・佐久間澄を講師として安保研究集会を開催,集会終了後,参加者は平和公園原爆慰霊碑前まで静かなる行進を実施した。また,3月16日には,安保改定阻止広島県民共闘会議主催の「安保改定阻止・日中国交回復・生活と権利を守る国民大行進」に積極的に参加した。

5月19日から20日にかけての国会は,安保条約を自民党の単独で採決,これを契機に安保反対の運動は最大の盛り上がりを示すが,世話人会は,6月4日,広島キリスト者平和奉仕会・広島平和問題談話会・広島文学会・平和と学問を守る大学人の会とともに,「新安保反対,平和と民主主義を守る抗議集会および行進」を行った。

広島平和委員会(1958年 )

広島平和委員会

昭和33年9月27日,広島市内の光道会館で広島平和委員会の結成総会が開かれた。

これは,在広の日本平和委員会々員十余名の集まりであった広島平和協議会が原水爆問題に限定されがちな広島県原水協の制約を越えて、原水爆問題のみならず、民主主義の確保、憲法擁護,基地撤廃など広範な平和運動を進めるための組織として準備したものであった。(広島平和協議会「広島平和協議会へ参加のお願い」昭和33年9月)。

成総会には県内から50人が参加(総会当日の入会者は60人)し,日中関係・勤評問題・国際続一行動の点について討議を行った。また,当日,会長(佐久間澄)・幹事(佐久間・板倉静夫・三宅登・石井金一郎・村中好穂・石田千鶴子・松江澄)を決定している(「広島平和ニュース」No.1)。

広島平和委は,10月末に労働者を中心とした部会を開いたが,40人近く参加した。この時の討議で岩国基地行進を成功させようということが強く主張された。この行進というのは,10月16日に広島で開催された日本原水協中国ブロック山陽側会議で決定されたものである。この時,11・1国際共同行動デーの取り組みとして,広島・山口両県原水協共催で,核武装阻止岩国墓地平和大行進と岩国市における大衆集会を開催することとなった(「広島原水協情報」No.1 昭和33年10月30日)。

11月8日から9日にかけて広島から岩国まで40人近くの人々が徒歩行進を行ったが,その半数以上は広島平和委の労働者部会に参加した者かあるいはその働きかけによる参加者であった。広島平和委員会が結成後初めて取り組んだ続一行動である岩国基地行進の成功は,その後の平和運動に少なくない影響力を与えた(「広島大学人会会報」N。.22)。同会自身の総括によれば,その意義は次のようである。

①平和委員会グルーブによる目的意識的な活動によって基本的に成功した。労働者部会の果した役割はこの成功を決定づけた。

②運動の目標の面で,不充分ながらも警職法闘争を平和を守る運動の一環としてとらえ,この闘争に組織された力を意識的な行動方向をうちだすことによって,民主主義と平和の闘争を統一的に発展させた。

③運動の方法の面で,従来くりかえされた官僚的な上からの動員方法を打破し下からの自主的参加とそのための活動を強調し,それは基本的に実現され,今回の「行進」の重要な特徴としてその成功を保障する主要な原因となった。

④この「行進」は従来の一般的,抽象的な原水禁運動を,昨年の美保基地闘争から発展させ,具体的な基地反対の行動にたかめ広島の平和運動を前進させた。

⑤さらにこの「行進」は国鉄第二支部の経験にみられるように,行動を通じて活動家をつくりだし,今後の平和活動の一層の発展を保障した。

昭和33年12月初めには,会員数は100人を越え,各地・各職域に,平和委員会結成の動きが生まれた。

8・6学生平和会議(1956年8月5~7日)

8・6学生平和会議

主催:広島大学学生自治会

1956年8月5~7日

第1日(5日)

午前9時半~午後5時半 広島児童文化会館

広島大学・広島女子短大、北海道・東北・東京・京都・四国・九州など全国80の大学・高校から約500人が参加。

開会宣言=棗田金治(広島大学文学部)

実行委員長あいさつ=児玉健次(広島大学文学部)

「原爆許すまじ」全員合唱

平和問題シンポジューム

講演

長田新日本教育学会会長

佐久間澄広島大学教授

柳田謙十郎戦没学生記念会理事長

今中次麿広島大学教授

重藤文夫広島赤十字病院院長

討論

午後6時~

高校生代表者会議

映画会=原爆記録映画「生きていてよかった」観賞

レセプション 於紙屋町ガスビル

第2日(6日)

午前8時~ 広島市平和記念式典参列

午前10時~ 修道高等学校講堂

原爆被害者実情報告会=吉川清・原成子・温品道義など7名。

午後1時~

大学部会(於広島市平和記念館)

北海道・東北・東京・京都・四国・九州などから約300名参加。

高校部会(修道高等学校)

四国・鳥取などからの参加者を含め100名参加。

代表30名による原爆症患者の慰問=日赤・市民病院・県病院

午後6時~

被害者を囲む会(学生会館)

柳田謙十郎氏を囲む高校座談会(教育会館)

女子学生懇談会(東保健所ホール)

第3日(7日)

午前9時~午後4時 広島市中央公民館

総会

大会宣言

人類の上に初めての原爆が投下されて十一周年目に世界の平和運動とはっきりとした連帯の下に進められた、始めての日本学生の平和会議が開催されました。この会議に集った学生代表は平和を望むすべての人々、とりわけ日本の学生の平和への希望と期待とに応え、原子戦争を企だてている力をうち砕くためにいかにすべきかについて、自由かつ真剣に討議しました。私達は平和をめぐる世界情勢を検討することを通じて、社会体制の相違にもかゝわらず両体制の共存は可能であり、戦争は不可避ではないという点ですべての参加者の意見の一致を見、平和についての強い確信をうるにいたりました。

私達はこの様な期待のもとに開催される第二回原爆禁止世界大会に心からの支持と援助を送ります。

第一回原爆禁止世界大会以后の此の一年間に国際緊張を緩和し、冷たい戦争を中止させる動きは増々活発になり、現在東西陣営の間での軍縮について、歩みよりが次々と行なわれております。軍備の増大は今迄諸国民に対して貧困と不安をもたらしただけでした。軍拡競争はたヾ戦争に向かって進むにすぎません。最大の軍備である原水爆兵器が出現した現在、戦争の危険ははかりしれない程大きなものとなり、将来もし原水爆戦争がおこるならば世界中がヒロシマ、ナガサキ、ビキニとなって人類は死滅してしまうでしょう。

しかし長い間の国際緊張に代って第一回原水爆禁止世界大会以後のこの一年間、国際緊張を緩和し冷たい戦争を中止させる動きはますます活発となり現在大国の間での軍縮についての歩みよりがつぎつぎと行なわれております。和解のための共通の努力があれば大国の間にある色々な障害は必ず解決されるでしょう。この見通しを実現するのは私達の努力いかんにかゝっております。けれどもこの様な世界の国際緊張緩和の動きに逆行する動きが私達の祖国日本に於て依然続行されております。沖繩問顧にみられる様に、日本がアジアにおける国際緊張の増大の焦点となっております。原水爆戦争の基地は拡大され軍国主義復活の傾向が明らかになり、世界の平和に対する主要な障害となっております。私達は国際緊張増大に反対する立場からその様な平和の障害を取り除く為に活動を続けて行かなくてはなりません。

この様な国際緊張緩和の運動に於て、成功をおさめることこそ原爆被害者の私達の期待にこたえる第一の道であります。この道にそって被害者の国家保障を勝ち取る運動を強力に押し進めて行かればなりません。平和はすべての学生の中心的課題であり、学問と学園を守り発展させることは平和なくしてはありません。

平和運動を正しく展開して行くことによって私達は日本の若き知性と良心と云う名に恥じない立派な学生であることが出来ます。私達は第二回原水爆禁止世界大会を全面的に支持し大会の成果を日本の国民とりわけ学生のものとする為に全カをかたむけるでありましょう。私達は第二回世界大会の成果を全世界のすべての学生の運動に発展させて行くことによって日本の学生の平和への名誉ある義務を果して行くでしょう。

本日の会議によってうち立てられた平和運動の正しい方向によって、私達日本の学生は原水爆が禁止され、その貯蔵が廃棄され全般的な軍縮が達成されて人類の上に恒久平和の確固とした保証が行なわれる日迄広く全世界の願いを同じくする人々としっかりと手を携えて前進して行くでしょう。

輝かしい世界恒久平和への望みは私達の努力にかゝっています。

一九五六年八月六日 広島にて

 

決議

1.軍縮、原水爆実験禁止を世界全学連へアッピールする。

2.大国間の軍縮協定、原水爆実験禁止協定の即時締結を国連に要請する。

3.日ソ国交回復について日本政府に要請する。

4.日本政府に対して、軍縮と原水爆禁止運動の先頭に立って努力するよう要請する。

5.日本の再軍備は世界の動きに逆行するものであるから憲法擁護について日本政府、自民党に要請する。

6.沖縄返還問題について米政府と沖縄政府へ決議文を送る。

7.砂川土地接収に反対するむね日本政府に呼びかける。

8.原水爆被災者の救援について治療、家族の生活の完全な国家保障を政府に要請する。

長崎大会代表選出

 

 

ヒロシマ会議

ヒロシマ会議 1970年11 月29 日~ 12 月2日

「平和文化推進審議会」委員の発案が契機となり,「ヒロシマ会議」が開催された。広島市が市民の協力を得て開催した戦後初めての国際平和会議である。招待参加者は,海外からフィリップ・ノエルベーカー(英国,ノーベル平和賞受賞),ユージン・ラビノビッチ(米国,パグウォッシュ会議創始者の一人)ら6人,国内からは,湯川秀樹・朝永振一郎(いずれもノーベル物理学賞受賞者)ら13 人であった。

ヒロシマ宣言 1970年12月2日
原子爆弾がヒロシマ・ナガサキに投下されてから二十五年経た今日、われわれはこの広島に集まり、同時に組織された市民会議と相協力して「現代における平和への条件」を中心に真剣な討議を行なった。
われわれは、今なお被爆による肉体的苦痛と精神的不安に耐えつつ生きる多くの人々のいることを知り、被爆者の切実な声を聞き、推定二十万人を越える犠牲者の数々の遺品、被爆の物的資料、さらに本年七月広島市民の手で編集された当時の惨状を生々しく伝えるフィルムを見る機会を得た。核兵器は二度と使われてはならない。一日も早くこれを廃絶しなければならない。
にもかかわらず、現実の世界においては、ますます核兵器体系は巨大化と多様化の一途をたどっている。われわれは、われわれの努力が足りず、こうした事態を招いていることに対して深い自責の念を禁じ得ない。
核時代においてはいかなる国家にとっても、もはや防衛はありえない。核抑止とは核報復を前提とする戦略であり、核報復は自滅ないし共滅以外の何物でもない。その上、抑止戦略の根底には大量殺りくの威かくによって生存を図ろうとする恩恵が横たわっており、それは人類の安全をおびやかすだけでなく、人間の尊厳に対する許しがたい冒とくと言わなければならない。
したがって核兵器は即時禁止され、廃棄されなければならない。さらに各国は他の軍備をも廃棄し、軍事力を徹底的に解体する必要がある。このような措置が平和の強化のために持つ意義は大きい。
しかし、その場合でも、もし国際紛争が戦争に転化するならば、核兵器の再軍備が始り相手への不信と恐怖にかられて、ついには核戦争に突入する危険もある。
人類がこの核戦争の危険を防止し、現代における科学技術の進歩と人間の精神的荒廃というこの矛盾を克服し、人類の安全と人間の尊厳を確立するために、われわれのとるべき道はただ一つ、それは戦争を廃絶することである。
そのためには、われわれ自身の価値体系を変革し、従来の国家主権から人類主権へと向かう道を切りひらかなけれぱならない。それは単なる理想ではなく、人類の生存にとって不可欠の条件である。のみならず、政治、経済、文化の面で国際的相互依存関係が急速に増大している今日、その実現可能性も増大している。この人類主権の原理を現実化するために、われわれは次のような措置がぜひ必要であることに合意した。
第一に、国際機構の次元において、われわれは、核兵器の使用は国連憲章に直接違反すると宣言した第十六回国連総会決議に立脚して、国連がこれを実効性のあるものにするための具体杓措置をとり、核兵器の廃絶を早急に実現することを要請する。またこのような決定を有効に実行しうるためにも国連は中国の復帰によって普遍性を高める必要がある。それは国連を一層強化する道でもある。とりわけ、焦眉の課題であるインドシナと中東に平和をもたらすためにも、国連の強化は急がれなければならない。さらにまた、人類の成員は主権者として、だれしも全く平等であるにもかかわらず、現代の世界には南北間の重大な不平等があり、また、一国の内部にも不当な差別が存在している。こうした社会的不正義を平和的に除去するには、人類の協力を一段と強めなければならない。そのためにも現在開発途上にある貧しい人々に代って、人類共同の建設的努力を行なっている国連及びその他の国際機関に対しこれまでにも増して強力な努力を望むものである。
第二に、日本の対外政策に関して、会議への日本人参加者は、核武装と日本国憲法とが全く相いれないことを再確認し、日本政府が全人類に向けて非核武装を誓約する宣言を行なうことを強く要求する。また参加者の全員は、軍備競争の悪循環を断ち切るために、日本国憲法に規定された一方的非武装の方式が、きわめて有効であることを再確認し他の日々も日本の例にならうことを希望する。
第三に、全世界においてまた日本において以上のような変革を実現するためにも、一人々々の思考様式や価値体系を変革する必要がある。われわれは、そのような目的のために、全世界で平和研究が一段と活発に行なわれることが緊要であると考える。平和研究は単なる過去や現在の事実の分析だけでなく、戦争の廃絶された人類の将来を想像し計画し、これを積極的につくり出して行くために、軍備を必要としている現在の制度を乗り越えていくものでなければならない。さらにわれわれは、次の世代に戦争の悲惨と平和の意義とを正しく伝えるために、すべての国において平和教育が自由かつ学問的に行なわれる必要を強く訴えたい。特に世界の様々の宗教団体、青少年団体、文化団体にも積極的に平和教育にたずさわる責任が負わされていると考える。
被爆四半世紀後のヒロシマに集まったわれわれは、世界の同胞に向ってこう訴えたい。人間の能力の中で最も弱いのは想像力であり最も強いのは忘却力であるという。だがわれわれは決してヒロシマを忘れないし、戦争の廃絶された世界を構想する能力を失わない決意である。
一九七○年十二月二日  広島にて(本会議への参加者全員)
相原和光 秋月辰一郎 テイボール・バルタ ダニロ・ドルチ 江川義雄 原田東岷 橋本栄一 飯島宗一 今堀誠二 石田明 ロベルト・ユンク 川田侃 牧二郎 松元寛 森滝市郎 村上忠敬 フィリップ・ノエルベーカ 野村浩一 小黒薫 岡咲恕一 大田昌秀 ユージン・ラビノビッチ バーバラ・レイノルズ 坂本義和 佐久間澄 関寛治 庄野直美 荘司雅子 田畑茂一郎 高野雄一 谷川徹三 朝永振一郎 豊田利幸 山田節男 湯川秀樹

ヒロシマ会議・市民会議の報告

世界最初の原子爆弾が広島・長崎に投下され、二十五年を経過した。この間、被爆者の不安と社会的差別は解消されないばかりか、憲法第九条は空洞化され、日本の核武装の危険は増大し、国際情勢は大きな危機をはらむに至っている。われわれは、こうした現実を直視し、その歴史的、政治的根源を追求しなければならない。今日、被爆者は、みせかけの繁栄の中に埋没し、いまなお原爆症の不安におののいている。われわれは、被爆者の援護措置が国の戦争責任において、国家補償としてすみやかに確立されるよう、日本政府に強く要求する。

さらに進んで、われわれ広島・長崎市民はもとより、被爆者も自らの体験をのり越え、通常戦災者や公害被害者との連帯を強化するとともに、核基地沖縄の県民や外国人被爆者がおかれた生々しい苦悩にも切実なる思いを寄せ、一方では、日本の侵略戦争によって犠牲となった中国をはじめとする諸国民の実情をも見つめなおし、それらを自分自身の内なる問題として位置づけなければならない。

また、原爆のおそろしさが意識的に知らされなくなった今日のきびしい体制分析をふまえて、平和教育の重要性を深く認識し、学校教育や家庭教育を通じて教師と母親との一体化をはかり、真の被爆体験の継承をしんぽうづよく持続させなければならない。そのためにも、正確な資料の収集・調査・活用や平和問題の科学的研究を行なうための総合的な研究のセンターが設立され、被爆者を勇気づけ、市民や教師の諸活動を結びつけ、はげます方向が打ち出されることを望むものである。

われわれは、ここにいままでねぱり強く展開され、積みかさねてきた幾多の平和運動の成果を正しく評価するものである。同時にその欠陥をも忠実に摘出しながら自己の戦争責任を反省し、人間生命の尊厳を運動の基調として定着させなければならないと考える。

将来にわたって国民的課題である平和の諸問題を、根気よく、探究することを誓い、それを行動化することを確認する。

出典:ヒロシマ会議委員会『現代における平和への条件-1970ヒロシマ会議-』

 

参考資料:「原爆関係文献目録-ヒロシマ・ナガサキは世界に問い続ける」

BK701129

広島平和記念資料館

広島平和記念資料館(通称:原爆資料館)

1955年8月24日開館

前史 平和都市建設と原爆資料==広島市勢要覧にみる「観光都市広島」
原爆参考資料陳列室(原爆記念館)
原爆資料保存会
年表 1951~69年、1970~77年、1978~79年、1980~81年、1982~831984~87年、 1988~90年、1991~93年、1994~95年、1996~97年、1998
関連文献
入館者数の変遷

*1998年4月、広島平和文化センターに委託。

*被爆資料約1万2000点。165項目の分類。

*1999年、図録を作成。