平和学連携講座「ヒロシマ」200508

平和学連携講座「ヒロシマ」20050805~09

事項(敬称略)
05 10:00 集中ヒロシマ受講生(関西学院大学):21人。(広島女学院):日文3年2人、4年1人、英文3年13人、4年1人、人社2年6人、生活2年4人。計27人。総計48人。
05 10:30 関西学院大学学生、宿舎(広島工業大学セミナーハウス)より到着。歴史資料館前。堀川・宇吹で出迎え。
05 10:31 ソフィア101で関西学院大学学生へのガイダンス。今田学長が女学院と関西学院大学の関係について簡単に説明。
05 10:50 大学内見学:歴史資料館=岩内解説、図書館フリースペース「広島女学院における平和教育のあゆみ」展、図書館内=土屋解説。~12:00。
05 12:00 集中ヒロシマ受講生:昼食。ヒノハラホール。~12:40。
05 13:00 集中ヒロシマ(第1日)①今田寛女学院大学学長歓迎の言葉。平松一夫関西学院大学学長挨拶。*本(女学院学生代表)挨拶。ソフィア202。
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05 13:01 集中ヒロシマの取材:久米井(NHK神戸)、佐竹(日経新聞大阪本社社会部)、稲田(読売新聞大阪本社福山支局三原通信部)、取材。NHK神戸は、の広島県出身の*本(関西学院大学生)を追跡取材。
05 13:10 講義「平和式典と平和公園の歴史」(宇吹暁)。ソフィア202。~14:30。
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05 14:40 集中ヒロシマ(第1日)②発表「私のヒロシマ」。自己紹介(関西学院大学の学生)=自らのこれまでのヒロシマとの関わり、今回の講義への参加動機、期待など)。女学院学生は簡単な自己紹介。班分けでの打合せ。
05 14:42 集中ヒロシマ(第1日)直野章子の本を紹介。
05 16:20 集中ヒロシマ(第1日)③講義「ヒロシマの心」(赤木直美:広島女学院高等女学校1948年卒、広島女学院高等学校1949年卒、広島女学院大学英文科1953年卒、現在:学校法人赤木学園・井口台シオン幼稚園理事長)。~15:20。
05 16:21 赤木の話=1930年生まれ。1941年在米3年の父が最後の帰国船で帰国。1943年広島女学院入学。200人の定員に260人が応募。200人中20人の死亡と65人の生存を確認。1943年~45年の女学院の資料は、歴史資料館を調べたが皆無に近い状態。
05 16:22 赤木の話=1945年2年生のとき、身体が弱いので財務局に動員。7月30日トラックで山形郡のかすかな知人宅をたよりに疎開。屯所に住む。8月6日引越しの手伝いで山県にいる。数日後、母が父を探しに入市。1週間近く音沙汰なし。父は足を骨折して二中から廿日市の病院に移動して入院中。その後、父は岐阜に移住。
05 16:23 赤木の話=1946年2月、女学校が牛田山で開校。現在の牛田山荘で生活。現在、原爆体験記朗読会に所属。1年下の小田なおこの手記を朗読。父は牧師で、女学院では聖書と事務を手伝っていた。
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05 17:20 赤木と生活科学部長室で話す。西垣院長、桐木も同席。17:40、赤木を見送る。
05 18:00 集中ヒロシマ(第1日)懇親会(夕食)。西垣院長、歓迎の挨拶。途中で私から桐木・丸田・堀川を紹介。村田関西学院大学教務部長から、中迫周一教務部次長、片岸教務課員、吉津広報室員の紹介。終了後、堀川から同行していた*教務課主任が体調不良のため帰宅したとの情報。ヒノハラ。~19:30。
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05 19:00 関西学院大学から、女学院の学生一人一人に同大学グッズ(ストラップとボールペン)のプレゼント。残6組を私が預かる。
05 19:30 懇親会(夕食)終了。テーブルを元通りに直し、関西学院大学の学生を20:00ごろ見送る。
06 06:30 広島駅の駐車場に車を置き、駅の売店で新聞を購入。日経が昨日の模様を大きく掲載。電車で市民球場南側へ。07:15関西学院大学のバス到着。まとまった班から平和公園へ。宇吹ゼミの*木・*間も来る。デジタルビデオカメラでの撮影を依頼していた。
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06 07:30 集中ヒロシマ(第2日)④⑤現地実習(広島市平和式典参加)。会場内に空席が無く、式典会場の西側へ。翌朝の報道では5万5000人が参列。学生とはぐれ、式典の最中に出口付近に移動して待ったが会えず。最後までいたとのことで、ほとんどが女学院慰霊祭に遅刻。
06 10:00 集中ヒロシマ(第2日)⑤現地実習(広島女学院原爆死没者追悼式典参加)。西垣が約20分の式辞。参列者に同窓会から梅坪の和菓子3個入りが配られる。大学教員では谷沢・篠原・石井・岡井・下岡・佐藤の顔が見える。
06 10:01 西垣の式辞=戦略爆撃、碑文論争などさまざまな論点を克明にレポート。
06 11:10 集中ヒロシマ(第2日)昼食。同窓会の手記集が配布されていた。
06 11:11 集中ヒロシマ(第2日)集合時間を20:30に変更したことを伝える。班別行動をこの日に相応しいものにするよう注意するつもりだったが止める。関西学院大学の職員から、5時半以降は班行動をしないような女学院学生の雰囲気について心配があったので、私から注意。
06 12:00 集中ヒロシマ(第2日)⑥⑦⑧現地実習。昼食後、学生は、タクシーを呼んで移動。(平和公園碑めぐり、原爆資料館、原爆死没者追悼平和祈念館、袋町小学校平和資料館、広島市立中央図書館など、班ごとに行動・見学)。
06 20:30 集中ヒロシマ(第2日)広島女学院中高校前集合。バスで宿舎へ帰るのを見送る。
08 09:00 集中ヒロシマ(第3日)⑨講義「オキナワとヒロシマ」(桐木建始・沖縄県人会=中村盛博・柴田ゆき子)。ヒノハラ5Fアセンブリーホール。踊り4人。これらの人たちに薄謝で申し訳ない思い。
08 10:40 集中ヒロシマ(第3日)⑩講義「アウシュヴィッツとヒロシマ」(原谷勉)。ヒノハラ5Fアセンブリーホール。ビデオを使用。「ハロルド・アグニューとヒバクシャとの広島での対話」(筑紫哲也の特別番組の一部)。翌日の討論では、衝撃を与えていた。
08 13:00 集中ヒロシマ(第3日)⑪講義「アジアの中のヒロシマ」(丸田孝志)。ソフィア202。内容は韓国人原爆犠牲者慰霊碑について。丸田は講義の最後に簡単なレポートを提出させる。丸田へのレポートの感想で多かったもの:韓国人原爆犠牲者慰霊碑の存在を知らなかった。ドイツと日本の戦後責任への対応の違い=市民権を持った国民と市民権を持たない国民の違い。
08 14:40 集中ヒロシマ(第3日)⑫講義「原爆の絵」(直野章子:九州大学大学院助教授)。ソフィア202。前半、原爆投下問題について。主題:パワーポイントで原爆の絵を示しながら、聞き取りの結果を紹介。本人が涙ぐむ場面もあった。翌日の討論では男子学生が高く評価。
09 09:00 集中ヒロシマ(第4日)⑬グループ討論。ソフィア202(もともとヒノハラの予定であったが変更)。
09 10:30 私が持参した被爆建物のレンガの解説「放射線が含まれているかも知れない」を*徳が批判。
09 10:40 集中ヒロシマ(第4日)⑭グループ代表によるまとめ発表。ソフィア202。
09 11:02 *(関西学院大学の学生)の呼びかけで、長崎の時間に合わせ30分間の黙祷。
09 12:00 集中ヒロシマ(第4日)⑭宇吹の講評=被爆二世への影響をどう考えるか。昨年と比較し加害の問題に焦点、被爆50周年と比較するとイベント化が今年の特徴。本講座の講師は、私の依頼に真摯に対応してくれた。自分の問題として「ヒロシマ」の向き合ってくれた。
09 12:01 集中ヒロシマ(第4日)⑭村田関西学院大学教務部長の講評=靖国の問題が論議を加害の問題に集めた。昨年よりレベルの高い議論ができた。
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平和学連携講座ヒロシマ20040805-08

平和学連携講座「ヒロシマ」

スケジュール(2004.8.5)

授業科目名 ヒロシマ
使用言語 日本語
開設時期・単位 集中(8月5日~8日)・2単位
担当者 宇吹 暁 (UBUKI, Satoru)

Ⅰ.授業の目標
ヒロシマの追悼行事への参加、ヒロシマをめぐる様々な視点を提示する講義およびグループ討論により、ヒロシマの歴史・現状を多面的に理解するとともに、平和について考え、発表する能力を養う。

.授業の内容・計画

月日   講義内容 担当者 教室・場所
0805 13:00~14:30 ①西垣院長・女学院学生代表挨拶

講義「平和式典と平和公園の歴史」

桐木建始・宇吹暁 人文302
14:40~16:10 ②発表と討論「私のヒロシマ」 女学院学生代表

関学学生代表

人文302
16:20~17:50

 

③講義「ヒロシマの心」 野村久子(広島女学院同窓会) 人文302
18:00~19:30 交流会(夕食)   ヒノハラホール
0806 07:30~11:00 ④⑤現地実習(広島市平和式典、広島女学院原爆死没者追悼式典参加) 西垣院長

女学院学生代表

平和公園

女学院中学高校

11:10~12:00 昼食(昼食後、平和公園まで徒歩移動)   女学院中学高校
13:00~17:50 ⑥⑦⑧現地実習(平和公園碑めぐり、原爆資料館見学など) 宇吹 暁

女学院学生代表

平和公園
0807 09:00~10:30 ⑨講義「オキナワとヒロシマ」 沖縄県人会

中村盛博・柴田ゆき子

ヒノハラホール5F

アセンブリーホール

10:40~12:10 ⑩講義「アウシュヴィッツとヒロシマ」 大塚 信ホロコースト記念館 館長 ヒノハラホール5F

アセンブリーホール

12:10~13:00 昼食   ヒノハラホール
13:00~14:30 ⑪講義「アジアの中のヒロシマ」 宇吹 暁

 

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14:40~16:10 ⑫講義「エノラゲイとヒロシマ」 直野章子

 

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0808 09:00~10:30 ⑬グループ討論 女学院学生代表

関学学生代表

ヒノハラホール5F

アセンブリーホール

10:40~12:10 ⑭グループ代表によるまとめ発表

講評

 

西垣院長・桐木・宇吹

 

ヒノハラホール5F

アセンブリーホール


III.テキスト・参考書

女学院学生の準備する冊子

広島平和記念資料館編・刊『図録 広島平和記念資料館――ヒロシマを世界に』(1,000円(税込))

IV.履修上の注意 Course Prerequisites

成績評価は、出席(参加)状況とレポート(8月末までに提出)による。

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韓国・淑明女子大学での交流とソウル市内研修

韓国・淑明女子大学での交流とソウル市内研修

2004年3月25日(木)~28日(日)

D T J
25 広島からソウルへ
15:35 広島空港発JAL965便。丸田、*、*、*原、**田、*田、***原、*本、宇吹。
16:58 仁川空港着。曹が出迎え。5万円を両替:52万7500ウォン。リムジンバス。2便が満員で乗車出来ず。18:35―シャトルバス(各駅停車料金:7000W)-ソウル駅-20:00淑明女子大学校国際会館Ⅰ
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21:00 国際会館近くの韓国料理店で夕食―10:10会館。宇吹:514号室泊。
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26 10:00 淑明女子大学キャンパスツアー(案内:安・曹):韓国料理研究所-フランス料理を教える教室-図書館-11:30学内のレストランで昼食(淑明女子大学の招待)。
ツアー(1)ツアー(2)ツアー(3)、ツアー(4)
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13:00 ソウル市内:ロッテ免税店16800W―書店kyobobook:9冊100200W+韓国の世界遺産DVD2万8000円(カード)-20:00大学付近の食堂で夕食(プルコギ)22:00-*原と国際会館付近のスーパーで買物(海苔・駄菓子など)16520W+7210W-11:00国際会館泊。
27 10:00 淑明女子大学前で*田と待ち合わせ-地下鉄-ソウル駅10:30-市内観光バス:ソウルシティーツアーバス10000W-
11:00 戦争記念館:入館料=2000W。
12:30 ソウル(南山)タワー(昼食)。時間が無く、入館せず。
14:30 昌慶宮:入館料=1000W
14:50 宗廟(世界遺産)
16:20 昌徳宮(世界遺産)入館料=2300W。~17:50。
18:00 地下鉄で淑明女子大学前へ。淑明女子大学校近くの食堂で夕食(鶏肉料理)。国際会館Ⅰ泊。
28 09:00 淑明女子大学校国際会館Ⅰ発。1泊35000W×3=105000W。大学付近に*田・曹が出迎え。タクシー3台に分乗してソウル駅へ。ソウル(仁川)空港行きのシャトルバスの乗り場が直行便(12000W)と各駅停車では異なっており、一時はぐれる。ソウル(仁川)空港で*田、曹と別れる。
28 11:00 ソウル(仁川)空港:搭乗手続き後、昼食(ビビンバ)。各自最後の買物。宇吹の買物:書籍=25000W。タバコ・土産=2860円+875円+1050円+3285円
28 13:10 ソウル(仁川)発JALアシアナ航空966便-14:40広島空港着。5時過ぎ帰宅。

広島女学院大学・若葉寮解体式 2003年10月2日

広島女学院大学・若葉寮解体式 2003年10月2日

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設計管理:ヴォーリス建築事務所 施工:藤田組。
米国合同メソジスト教会婦人部から贈られた資金により1952年5月に建築された。

解体式 2003年10月2日

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解体直前の若葉寮内部

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同時に伐採されるメタセコイア
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フェリス女学院2003年度ジャパンスタディーツアー

フェリス女学院「2003年度ジャパンスタディーツアー(広島)」との交流 2003年9月19日

 

参加者:一行(フィリピン、アメリカ、中国、韓国、台湾からの留学生17名、日本人学生12名=広島市立大学・広島工業大学など、教職員2名)31名+女学院学生3名、他大学学生7名、教職員5名、計46名。

時間 日程
09:20 広島アステールプラザで、丹土(たんど)美代子氏の証言を聞く。~9時50分。
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09:50 宇吹が講演。「原爆の被害とその後」、「広島女学院を世界遺産学の研究拠点に」。~11時40分。
13:30 広島城跡公園へ。高橋信雄先生のガイドで原爆遺跡めぐり。大本営跡-師団司令部地下壕(地下室見学)-被爆ユーカリ-重営倉跡。アンデルセン前を歩いて袋町小学校へ。袋町小学校平和資料館。レストハウス(地下室見学)。2陣に別れて入る。
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15:30 アステールプラザに帰る。
17:00 交流会。各国ごとに自分が受けてきた平和教育についての報告。~7時。中国、インドネシア、台湾、アメリカ、フィリピン、韓国。

 

 

 

広島女学院大学第37回原爆講座

広島女学院大学第37回原爆講座-8・6の意味するもの
朗読構成劇「夏雲」 2003年7月8日

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『中国新聞(夕刊)』(20030715)
広島女学院大で原爆朗読劇
先輩の手記題材 スライドも上映
「あの友もこの友もみんな死んだ みんな死んだ!」。あの日(八月六日)を風化させないよう広島女学院大学(広島市東区)で八日、朗読構成劇「夏雲は忘れない」が上演された。
<中略>
同校では三十六年前から毎年一回、原爆講座を開いている。ことしは職員の石谷忠之さん(48)らが学生参加型の講座を呼びかけ、朗読サークル「ブルースカイ」を結成。二月から練習に取り組んだ。構成と演出を担当した職員の土屋時子さん(55)は「平和を考えるきっかけになったのでは」と、満足そうだった。
(福井宏史)

比治山ツアー(広島女学院大学宗教委員会主催)

比治山ツアー(広島女学院大学宗教委員会主催)2003年5月17日

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午前10時集合 広島現代美術館前
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重信教授の解説に話がはずむ
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広島陸軍墓地  大東亜戦争 台湾出身戦没者供養碑
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広島陸軍墓地
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ひろしま文芸の碑
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ゲーンズ先生の墓前

 

 

原水爆禁止世界大会に 関する覚書

「原水爆禁止世界大会に関する覚書」(『広島県史研究』第8号 1983年)

内容

 

タイトル
はじめに
1 世界大会の継続開催
表1 世界大会の開催地・参加者数(第1~9回)
表2 世界大会の日程
表3 新しい潮流による大会開催状況
表4 原水禁3団体による大会の開催地・参加者数(昭和39~51年)
表5 統一大会の開催地・参加者数
2 大会の課題
表6 第1回大会の分科会における代表の発言内容
表7 各大会の正式名(昭和30~38年)
表8 分科会一覧(第2~4回)
表9 大会本会議(総会)における意見発表者
表10 世界大会で採択された宣言・決議・勧告(第1~9回)
表11 原水協・原水禁の大会でとりあげられた主要議題(昭和39~51年)
3 大会の基盤(国民運動性・大衆性・国際性)
表12 平和行進の概要
表13 平和行進歓迎集会の概要
表14 原水協大会・統一大会の平和行進の概要
表15 原水協による大会内外での対外活動
表16 統一大会に参加したアメリカ代表の所属団体一覧
表17 各大会に厳守・議長などがメッセージを寄せた国一覧
おわりに
付記 大会関係資料の収集に当たっては、北西允・佐久間澄・竹内武・藤居平一・三宅登・宮崎安男の各氏、および平和会館。平和親善センター・日本原水協の各機関のご協力を得ました。末尾ながら、記して謝意を表します。

はじめに

昭和29年3月1日のビキ二水爆被災事件を直接の契機として生まれた日本の原水爆禁止運動は、今日まで絶えることなく展開されている。昭和30年以降毎年8月6日に前後して開催される原水爆禁止世界大会は、各年の運動の頂点に位置するものであった。各大会は、マスコミにより大きく取りあげられ、各方面からさまざまな論評が加えられている。また、これまでにも、この運動に関する著書がいくつか出版されてきた。今堀誠二『原水爆禁止運動』(潮出版社 昭和49年)は、第1回から第10回までの大会への参加記をまとめたものであるが、同時にこの間の大会の分析を通して日本における原水爆禁止運動の特質の解明を試みた書ということができる。熊倉啓安『原水爆禁止運動』(労働教育センター 昭和53年)は、原水爆禁止日本協議会の指導的立場からの、また伊藤茂(編著)『平和運動と統一戦線―原水禁運動の歴史と
展望-(増補版)』(ありえす書房 昭和50年)は、原水爆禁止国民会議の指導的立場からの運動の一つの総括である。また、岩垂弘『核兵器廃絶のうねり―ドキュメント原水禁運動-』(連合出版、昭和57年)は、昭和52年以降の統一大会に関する詳細な報告書である。しかし、これらの著書は、いずれも対象とする時期が限定されたり、分裂した運動の一方の立場に立った総括であり、日本で30年近くにわたって展開されてきた原水爆禁止運動の全体を対象としたものではない。一般的に、大会が分裂して開かれた昭和39年から51年までの期間の運動の意義は、分裂した大会の一方の当事者によっては無視され、第三者からは、両者ともに極めて不当に軽視されている。また、運動の総括は、しばしば、
分裂の責任あるいは運動の正統性に集中する傾向があり、そのことは運動の実態の把握を困難なものとしている。
本稿は、原水爆禁止世界大会の分析を対象とするものであるが、大会の論議に立ち入ることは意識的に避け、主としてその形式的側面からのアプローチを試みた。また、大会が分裂していることにではなく、大会が分裂してではあれ開催されつづけてきたことを重視する立場をとった。こうした方法によって明らかにできる日本の原水爆禁止運動の性格や意義は、おのずと限られたものであろう。本稿の意図は、すでに28回を数える大会を、大会の継続開催、大会の課題、大会の基盤という三点から整理し、今後の運動の本格的な分析に資そうとするものである。

「被爆体験」の展開

「被爆体験」の展開――原水爆禁止世界大会の宣言・決議を素材として(『芸備地方史研究 140・141合併号』、芸備地方史研究、19830531)

内容

はじめに
原水爆禁止と被爆者救援
第1図 第1回大会宣言における原水爆禁徒と原爆被害の関連
運動分裂後の展開
2-1 原水爆被害者
第1表 宣言・決議(1955~62年の大会)に現れた原水爆被害者の用例
第2表 宣言・決議(1963~76年の大会)に現れた原水爆被害者の用例
2-2 原爆投下責任の追求
第2図 第14回大会における原水爆禁止と原爆被害の関連
第3表 大会決議の標題にみえる救援と援護法
2-3 「被爆体験」の新展開
第4表 大会宣言・決議に現れた原水爆被害者(被爆者およびABCCなど被爆者関連機関・制度を除く)
おわりに
第3図 原爆手記の掲載書・誌数と手記数の年次別変遷(『原爆被災資料総目録第3集』原爆被災資料広島研究会、1972年 より作成)
第5表 原爆手記の掲載書・誌数と手記数の発行主体別変遷

はじめに

「被爆体験」を原爆被害の組織化と思想化を契機に形成される社会的体験としてとらえるならば<1>、ビキニ水爆被災事件は、その全国的展開の出発点であった。1954年3月以降国会をはじめ全国の議会で採択された決議や全国各地で展開された署名運動は、そのほとんどが水爆実験禁止ではなく原水爆禁止を訴えていた<2>。また、1955年8月に開催された第1回原水爆禁止世界大会は、原水爆被害者救援運動を原水爆禁止運動と密接不可分のものとして位置づけた。こうした中で原爆被爆者自身による原爆被害の組織化と組織化か急速に進んだ。たとえば、広島県内の原爆被害者の組織状況をみると、1955年5月頃には約300名(原爆被害者の会々員数)ほどであったが、56年2月には「数個の団体、二千名程度」となり、同年一一月には「一七郡市及び広島市(12団体)約2万名」が組織されている。こうした55年5月から11月にかけての原爆被害者の組織化の急速な発展は、原水爆禁止運動の力によるものであった<3>。一方、広島県原爆被害者団体協議会の結成(1956年5月27日)につながる広島県原爆被害者大会(56年3月18日)および日本被団協の結成総会となった原水爆被害者全国大会(56年8月10日)の決議は、その第一項でそれぞれ「原・水爆禁止運動を促進しよう」、「原水爆とその実験を禁止する国際協定を結ばせよう」と述べていた。これは、原爆被害者レベルでの「被爆体験」が原水爆禁止と密接に結合していることか示すものである。原水爆禁止運動は、一方で、原爆被害者の「被爆体験」形成の契機になるとともに、原爆被害者の「被爆体験」を核にしながら、独自の「被爆体験」を発展させていく。本稿の課題は、原水爆禁
止世界大会の宣言・決議を素材として、日本における原水爆禁止運動の中で展開された「被爆体験」をあとづけることである<4>。なお、1977年以降の統一大会および独自大会は、本稿の対象としなかった。

<1>拙稿「日本における原水爆禁止運動の前提-『被爆体験』の検討-」(『日本史研究』236 1982年)。
<2>拙稿「日本における原水爆禁止運動の出発一1954年の署名運動を中心に―」 (広島大学平和科学研究センター『広島平和科学5』1982年)。
<3>「原爆医療法の成立」(『広島大学原爆放射能医学研究所
年報』23号 1982年)。
<4> 被爆者問題については、田沼肇『原爆被爆者問題』(新日本出版社 1971年)、伊東壮『被爆の思想と運動』(新評論 1975年)の労作がある。また拙稿「原水爆禁止世界大会に
関する覚書」(『広島県史研究』第8号 1983年)は、日本の原水爆禁止運動を大会の形式的側面から検討したものであり、これを総論とすれば、本稿はその各論に当たる。

 

平和記念式典後の総理記者会見20010806

小泉内閣総理大臣記者会見録
(広島市)
平成13年8月6日(月)
【司会】それでは、ただいまから小泉内閣総理大臣の記者会見を始めさせていただきます。
初めに、広島市政記者クラブから代表質問をお願いいたします。

【質問】 第1点目ですが、在外被爆者の支援問題についてお尋ねします。
大阪地裁は6月1日、在外被爆者にも、被爆者援護法の適用を認める判決を出しました。国外に出ると援護法の適用が認められない現状に、在外被爆者の不満は強く、国内でも支援の動きが強まっています。
判決後、厚生労働省も援護法見直しの検討会を設置しましたが、総理として、在外被爆者支援の在り方をどのように考えておられますか、お聞かせください。

【小泉総理】今日は坂口大臣もお見えになっておられますが、この在外被爆者の問題については、保健・医療等、どういう辺の措置ができるかというのを検討会を設けまして、年内に一定の結論を出していただこうかなということで今、検討を進めていると思います。その検討結果を待って、しかるべき援護措置を講じたいと思っております。

【質問】2点目をお伺いします。
国が平和記念公園内に建設中の原爆死没者追悼平和記念館の展示説明文を巡って、被爆者団体は国策の誤りが戦争につながったという文言を盛り込むように強く求めています。総理はこの問題をどう解決しようと考えていらっしゃいますか。

【小泉総理】 各方面の御意見を伺って、碑文ですから、どういう表現がいいか、それぞれ専門家の意見を伺って妥当なものにしていけばいいのではないか思っております。

【質問】地元からは最後の質問になります。
米国のブッシュ政権は、包括的核実験禁止条約の死文化を目指して、議会に批准を求めない姿勢を見せたり、ミサイル防衛システムの早期配備に意欲を示したりして、核軍縮の動きを逆行させていると被爆者から懸念の声が出ています。
総理は核軍縮を前進させるため、どのような対応を取られるつもりでしょうか。

【小泉総理】アメリカはアメリカの事情もありますし、確か、上院で一度否決されているんじゃないですか。そういうことも伺っております。日本としては、唯一の被爆国として今後も核軍縮に向けて国際社会の場でも今までの歩んできた道を振り返りながら、今後も核廃絶に向かって一歩一歩地道な努力を続けていきたい。また、それぞれの場を生かして、積極的な核廃絶に向かっての努力を世界にも理解してもらえるような努力を続けていきたいと思っております。

【司会】引き続きまして、内閣記者会から代表質問をお願いいたします。

【質問】まず、初めに靖国神社の参拝について、改めて伺います。
総理は8月15日の靖国神社参拝をこれまで繰り返し表明されてきましたけれども、今現在もその気持ちにお変わりはないでしょうか。
また、参拝する場合には、公式参拝という認識かどうか。どのように記帳なさるか。参拝の形式は神道形式にするのかしないのか。公用車を使用し、秘書官を同行させるか。以上の点について、それぞれ御見解をお述べください。

【小泉総理】相変わらずの御質問で、相変わらずの答弁で申し訳ないんですが、虚心坦懐に各方面からの御意見を伺っているところでございます。それぞれ傾聴に値すべきいい御意見だと、お聞きしながら感じております。私自身のことを心配してくださる方、また、日本国家の利益とは何ぞやという観点から、いろいろ御助言くださる方、また、近隣諸国の友好関係を増進していくという外交的見地から、忠告やら御提言をいただく方々、それぞれ本当に親身になって御心配していただく方々の御意見に対しまして、本当にありがたいと思っております。
私自身はそういう御意見をいろいろ今伺っている最中でございまして、まさに賛否両論ありますが、虚心坦懐、熟慮している最中でございますので、いずれ結論を出さなきゃならない問題でございますが、もう少し時間をいただきたいと思います。まさに今、熟慮している最中でございます。

【質問】続いての質問に移ります。来年度予算の概算要求基準の問題なんですけれども、経済財政諮問会議で従来の歳出から5兆円を削減をして、重点7分野に2兆円を配分する方針が確認されました。塩川財務大臣は、公共事業の10%削減などにも言及されていますが、総理御自身は公共事業やODA、防衛費などをどの程度削減するイメージを持っていらっしゃるのでしょうか。
それから、これまで重点化枠と称して与党に配分を任せる方法も取られてきましたけれども、この点などについて与党とどのように調整されるお考えでしょうか。

【小泉総理】

【質問】続きまして、最後の質問ですけれども、今年度予算の補正予算の問題です。経済指標の低迷から、景気の先行きに対する不安が高まり、与党内からも景気対策のための補正予算を望む声が出ています。現時点での総理の補正予算についての考えをお聞かせください。
それから、景気対策の策定の判断基準についてもお聞かせください。

【小泉総理】