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新編広島県警察史

『新編広島県警察史』(広島県警察史編修委員会編、広島県警察連絡協議会刊、19540428)

目次

見出し
  警察制度の変遷と広島県の警察
1、中央政治機構の変遷
2、広島県の行政機構の変遷
3、警察制度の変遷
4、広島県警察の変遷
5、警察官吏制度、警察費及び服制の変遷
6、警察法規の変遷
7、警察官吏の採用と教養
  日支事変及び太平洋戦争と警察
1 戦争と国内の戦時体制
第1節 日支事変の発生とその展開
第2節 太平洋戦争の勃発とその推移
第3節 国内の新体制
第4節 戦争と広島県
2 警察の戦時体制
第1節 戦時下行政機構の改革
第2節 戦時下の警察法規
第3節 警察機構の戦時編成
第4節 警察執務態勢の改善刷新
第5節 警察(消防)官吏の採用、教養制度の特別措置
3 戦時下の警察活動一般
1 防空の強化と警防警察
2 経済警察の誕生とその推移
3 輪送統制と交通輪送警察の展開
4 戦時下の犯罪趨勢と刑事警察
5 言論統制の強化と特高警察
6 戦時下の風俗警察
7 労務統制の強化と労政警察
8 警防団の活動と梨本官殿下の御視閲
9 特設消防署の設置
10 警備隊の設置とその推移
11 南方占領地域の拡大と警察
12 華人労務者の警備
13 敵国人の抑留と俘虜の警備
 14 戦時下警察武道の振興
  原爆下の広島県警察
1 原爆投下さる
2 原爆罹災下の警防活動
3 原爆の被害
4 原爆下の警察部及び広島市内の警察、消防署 669
5 原爆と広島
  終戦直後(終戦より警察法施行まで)の警察
1 戦争の終結と国内諸制度の変革
 1 終戦の大詔下る
2 連合軍の本土進駐と日本管理政策
3 国内諸制度の改革と混乱
 敗戦と広島県
2 警察の民主化
第1節 行政機構の改革
第2節 終戦直後の警察機構の改編
第3節 警察法規の応急措置
第4節 警察執務態勢の改革
第5節 特高並びに武徳会追放
第6節 警察自体の混迷と監察制度の強化
第7節 警察教養制度の整備
3 終戦直後の警察活動一般
第1節 治安情勢の悪化と公安警察
第2節 連合国軍の進駐とその警備
(附)連合国軍特殊慰安施設の開設とその推移
第3節 第三国人(主として朝鮮人)の暴挙と警察
第4節 犯罪の激増と刑事警察
第5節 混乱期の経済警察
第6節 闇市場の簇生とその推移
第7節 風俗の頽廃と風俗警察
第8節 交通の混乱と交通警察の強化
第9節 水上警察の復活とその推移
第10節 天皇の行幸と御警衛
  新制度下の警察
1 新憲法制定と諸制度の改革
第1節 占領政策の転換とその推移
第2節 日本国憲法の制定
第3節 新憲法下における政治機構の改革
第4節 地方制度の改革と広島県
2 警察制度の改革
第1節 警察法の制定とその推移
第2節 広島県における新警察制度の実施とその推移
第3節 警察法規の整備再建
第4節 公安委員連絡協議会の設置のその推移
第5節 警察連絡協議会の設置とその推秒
第六節 警察執務態勢の刷新
第七節 警察教養制度の充実、強化
3 新制度下の警察活動一般
第1節 犯罪の趨勢と刑事警察
第2節 各種社会運動の激化と警備警察
第3節 防犯警察活動の強化
第4節 交通機関の発達と交通警察
第5節 朝鮮動乱の勃発と警察
第6節 警察予備隊の設置と警察
第7節 天皇、皇后両陛下の国体御臨席と御警衛
第8節 警察武道の復活
  警察官吏制度、警察費及び服制の改革
1 警察官吏制度
第1節 戦時中の警察官吏制度
第2節 終戦直後の官吏制度の改革と警察官吏
第3節 公務員制度下の警察官吏
2 警察費の変遷
第1節 旧制度時代(主として戦時中及び終戦直後)の警察費
第2節 新制度下の警察費
3 警察官吏服制の改革
第1節 戦時中の服制
第2節 終戦後の服制改革
年表
索引
付録  
   警察各部署の沿革  
1  旧制度下  
 1、  警察部の沿革  
 2、  各警察署の沿革  
 2  新制度下  
 1、  公安委員会の沿革  
 2、  警察本部の沿革  
 3、 各警察署の沿革  
殉職警察(消防)官吏並びに功労記章(功績章)受領 警察官吏の殉職功績録
1 殉職警察(消防)官吏
2 功労記章(功績章)受領警察官吏
警察職員名簿

 

向原町原爆被爆者慰霊碑

向原町原爆被爆者慰霊碑

1976年10月建立、1995年8月1日、丸山公園に移設。

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被爆者慰霊誌

昭和二十年八月六日広島市に原子爆弾が投下され本町がいち早くこれらの戦災者の救護活動を展開したが真夏日と医薬品皆無の状態の下悶死された犠牲者は百数十柱に及んだ
本年は原爆投下五十周年に当りこれら無縁物の心からの鎮魂と二度と戦争のない世界平和を誓い静閑なこの地にこの地に慰霊碑を移設するものである
平成七年八月一日
向原町

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裏面 「昭和56(1981)年10月 建之」

 

原爆と未解放部落-いのちあるかぎり

『いのちあるかぎり 原爆と未解放部落』(福島地区被爆者の会編、兵庫県部落問題研究所刊、19850520 )

内容

著者
藤川春雄 はじめに
戦争・差別・貧困
高橋信雄 軍都広島
戦争のあゆみと一本の線路 軍都広島への道  軍港宇品から戦場へ 戦争とはなんだったのか  食料の補給もない戦場で すべての物を奪いつくす  すべての物を焼きつくす そして殺しつくす-「三光」作戦
手記〔その1〕
田中ハル ピカに夫を奪われて
和佐田政一(仮名) 米騒動と原爆で差別がわかった
堀川俊市 三重苦のわたしらの現状
高田春子 娘を奪ったあの日
滝川ヨネ子 若い人たちに伝えたい
炎と瓦礫の中で
金崎是 原爆と未解放部落
三滝山の無縁仏 炎と瓦礫の中で-わたしの体験 原爆による福島地区の被害状況戦前の部落の生活とわたしの生いたち部落差別を解消し、平和で豊かな日本を
手記〔その2〕
山中幸雄 悲しき被爆二世
前畑チヨノ 日本が戦争さえしなければ
大崎ヨシ子 一ケ月もたって掘り出されたわが子
宝神実人 まちがいなくわが娘だった
森本範雄 太陽の光もなんにもない
川口ユミ子(仮名) そりゃ生き地獄です
藤井イマコ 助かるとは思いませんでした
いのちあるかぎり
田阪正利 未解放部落の健康と医療
福島診療所創設のこと 部落と健康  健康へのあゆみ これからの課題
佐藤秀之 非核の日本を-若者たちは今
平和と核兵器廃絶は全人類の願い  深まる核戦争の危機 広がる反核運動の輪  若者たちは今
手記〔その3〕
丸岡ユキ 二人の息子をかえして!
川田芳夫(仮名) みんなの力で!
滝本静 いのちあるかぎり
中島カヨ 子どもや孫には平和な世界を
広田美千代 戦争を二度とおこさないために
平田路雄 原爆と森永ヒ素ミルク中毒のなかで
古賀昭子 被爆二世にも手帳を!
中西はるゑ あとがき
金崎是 あとがき(福島地区被爆者の会会長)

 

壁―未解放部落原爆被害者の手記

壁―未解放部落原爆被害者の手記(発行:福島地区被爆者の会)

第集 発行年 備考
1 19680806 差別と貧困の中から
壁―差別と貧困の中から―によせて 2
原爆被爆者の手記に寄せて 4
「未解放部落の被爆者として」 6
「日雇いぐらしの中から」 7
「差別と闘う我が子たち」 9
「私しゃ戦争にゃぜったい反対ですよ」 11
「ピカに夫を奪われて」 13
「朝鮮人被爆者として」 15
「原爆ブラブラ病に苦しむ」 16
「私の体験」 19
「二人のむすごをかえして!」 20
「一日も早く差別と戦争のない世の中を」 23
「私のあゆんだ道」 25
むすびのことば 28
2 19690806 三重苦の斗かい
○推せんのことば 広島県被爆者団体協議会理事長 田辺勝 1
○推せんのことば 部落解放同盟広島県連委員長 藤川春雄 2
はんせんのうた (一被爆者) 5
被爆者の保障はない *** 6
三重苦の斗い *** 7
食べるものも食べられぬ生活 *** 10
戦争と差別をなくするため!! *** 12
二十五年たったいまでも *** 14
三重苦のわたしらの現状 *** 17
原水禁運動を強めなくては *** 27
むすびのことば 金崎是 29
3 19700806
「壁」第三集発行によせて 福島病院院長 田坂正利 1
被爆者健診から 福島病院被爆診療科 鏑木富衛 3
被爆老人に生きる喜こびを 部落解放同盟広島県連合会 委員長 藤川春雄 13
〔特別寄稿〕
原子爆弾傷害調査委員会を告発する 深川宗俊 33
手記
米騒動と原爆で差別がわかった *** 15
カンボジアでもベトナムでもけっしてこんなことを切り返さないで *** 18
私の感想 *** 19
悲しき被爆二世 *** 21
みんなの力で! *** 24
生命のあるかぎり *** 28
子係や孫には平和な世界を *** 30
戦争を二度とおこさないために *** 31
あとがき 41
4 19710806
すいせんのことば 福島生協病院々長・田坂正利 1
人間らしい生活を 失対・***(62才) 2
嫁に行けない子 (認定被爆者)無職・***(63才) 3
わたしたちが死ぬのをまっている 失対・***(60才) 5
一五、六〇〇円で暮らしている ***(69才) 7
天皇や佐藤さんが来てもうれしくない ***(47才) 9
夫婦の記録 (認定被爆者)***(63才)・***(59才) 11
あの時の悲惨さは口にはいえない ***(67才) 13
このままでは死にきれない ***(63才) 14
被爆者活動から *** 17
ここに生きる(赤旗より) 故 鏑本富衛 19
むすび 事務局 25
5 19720806 被爆二世特集号
6 19730806 広島県水平社50周年記念
「壁」第六集発行によせて 部落解放同盟正常化広島県連委員長 藤川春雄 1
〔主張〕
原水禁運動と被爆者運動の真の統一と発展を願って 福島地区被爆者の会 3
〔特別寄稿〕
吉島被爆者の会「老いと怒りと」と野口久子さんの死 田丸歌子 5
〔手記〕
三重苦のわたしらの現状 堀川俊市 6
終戦の年のこと *** 14
差別の中に生きて靴職人の生活と原爆被爆 *** 16
娘をうばったあの日 八月六日
ひたむきに生きつづけてきた老婆の怒り *** 20
老いて訪づれた不幸 *** 23
どうしても語りつがなければ
少年の日、原爆と生活を背負って *** 25
被爆二世にも「手帳」を! *** 28
原爆被爆下の福島町 *** 30
「壁」を読んで読者からの便り 34
あとがき 38
7 19740806 原水禁運動20年
はしがき 1
福島地区の原水禁運動 第一回大会より第二〇回大会へ 2
原水禁運動・被爆者救援運動のなかで学んできたもの 8
被爆者の会を結成したころ 14
廃品回収運動の想い出 15
分裂への怒り(九回大会) 18
被爆者訪問の中から 20
被爆診療科のあゆみ 26
原水禁運動の日常化をめざして 30
被爆二世としてのとりくみ 32
原爆犠牲者慰霊碑建立趣意書 35
あとがき 36
8 19750806 原爆被爆30周年
はしがき 1
福島地区の原水禁運動 第一回大会より第二〇回大会へ 2
原水禁運動・被爆者救援運動のなかで学んできたもの 8
被爆者の会を結成したころ 14
廃品回収運動の想い出 15
分裂への怒り(九回大会) 18
被爆者訪問の中から 20
被爆診療科のあゆみ 26
原水禁運動の日常化をめざして 30
被爆二世としてのとりくみ 32
原爆犠牲者慰霊碑建立趣意書 35
あとがき 36
9 19760806 福島地区原爆犠牲者慰霊の碑建設記念
10 19780806 「壁」第十集発刊によせて 田阪正利 1
被爆者を囲んで 2
太陽の光もなんにもない。まっ暗ななかから狂うた牛が飛びかかってきた  *** 17
何べん死のう思うたかわからん *** 23
福島生協病院に入院中の被爆者のかたの話 27
戦争さえなければ、こんな目におうてないのに *** 34
「わしゃあ、あんたをかばっとるヒマはないんじゃけぇ」と妻に言って *** 39
あとがき 46
11 19790806
「壁」第十一集発刊によせて 中本康雄 1
われわれが訴えなければ、われわれの体験を現在の方々に伝えなければ 林田みや子 2
命をみつめて 林田みや子 8
いつでも子どもといっしょに いっしょに死ぬりゃあええ思うっとたんです 佐藤テル子(仮名)14
原爆に遭うた者には平等に手当をだしてもらいたい 鈴木ミネ子(仮名) 23
貧血のせいで、この暑いのにコタツがはなせんのですよ 藤川貞雄・藤川房江(仮名) 27
朝鮮の人に助けてもろうての、うれしかったよ 山田スミ子(仮名) 31
生き証人として大きい声でいゝたいよ *** 37
街が燃える最中に広島にはいってきました 杉山ヨシ子(仮名) 46
あとがき 53
12 19950806 終刊号
巻頭言・『壁』に寄せる 齋藤紀 1
主張 被爆者援護法の課題 3
平和・民主主義・生活擁護のたたかい五十年-金崎是の被爆・戦後五十年- 小西正則 5
助産婦として六十年-益田小蝝さんとの対談- 西岡ミツ子 12
岩井コマノさんの被爆体験 秋本美佐子 18
学童疎開から五十年-水本文子さんの孫への話し- 藤井みな子 22
藤川美代子さんの被爆とその後 佐竹陽子 27
米三升で焼いてもらったひろこちゃん・姉 木原清子さんの回想 柿本一征 30
金崎さんのお話を聞いて 山口竜司 36
金崎さんの話をうかがって 小西結介 38

 

核に灼かれて 安芸地区被爆の記録

『核に灼かれて 安芸地区被爆の記録』(安芸地区被爆実相委員会)

第1集
第2集
第3集
目次
1 はじめに(1996.7.30)
2 各町の実相
B 矢野町
高山俊郎 原爆を目のあたりにして
広島高等師範学校附属中学校1年生
C 海田町
尾木正己 白島付近を通って
D 船越町
上田盈 私の原爆体験記
F 熊野町
田原詩郎 熊野町では
平和のために
中節二 槇尾さんを偲んで
奥村邦一 中節二さんに捧げる
金子一士 タヒチ集会に参加して
4 三村博保さん追悼集

 

 

占領下被爆者医療活動(都築正男資料から)

広島市公文書館開館30年講演会(2007年9月29日)
占領下における被爆者医療活動-医学博士・都築正男資料から
宇吹 暁(広島女学院大学)

はじめに
1972年2月3日、日赤に重藤文男院長を訪問。
都築著『医学の立場から見た原子爆弾の災害』借用。
1978年6月11日、80年11月17日~18日、都築家資料調査。
1994~96年度 科学研究費補助金
1995年12月23日、広島大学公開講座「原爆医療法制定前の被爆者問題」。

Ⅰ 占領下における被爆者医療活動
『広島大学公開講座・被爆50年-放射線が人体に与えた影響』
(広島大学1995.10.01)<資料1

Ⅱ 都築資料の概要
広島市寄贈(1981年7月6日)点数
書簡・葉書53点、論文247点、講演要旨27点、写真19点、雑誌17点、調査票9点、地図9点、その他264点 計645点 <『広島市公文書館紀要 第5号』(広島市、1981.03.31)>
『広島新史 資料編1(都築資料)』(広島市、1981.03.31)
目次<略>

Ⅲ 都築正男をめぐる現在

1.文献

1.文献

No. 発行年月日 書名 著者・編者 発行所
  1959.07.21 原水爆時代-現代史の証言(上) 今堀誠二 三一書房
  1972.03.31 広島県史・原爆資料編 広島県(編) 広島県
  1979.07.25 広島・長崎の原爆災害 広島市・長崎市原爆災害誌編集委員会(編) 岩波書店
  1980.08.06 桜隊全滅-ある劇団の原爆殉難記 江津萩枝 未来社
  1981.03.31 広島新史・資料編Ⅰ-都築資料 広島市(編) 広島市
  1981.03.31 広島市公文書館紀要 第5号 広島市(編) 広島市
  1981.04.05 都築正男研究業績目録-都築正男大人命20年祭 広島市史編纂室(編) 都築正和
  1982.11.10 長崎原爆体験-医師の証言 調来助・吉沢康雄 東京大学出版会
  1986.08.11 DDT革命-占領期の医療福祉政策を回想する サムス,クロフォード、F.、竹前栄治(訳) 岩波書店
  1990.10.18 核と共に50年 木村一治 築地書館
  1995.03.30 漱石の脳 斎藤磐根 弘文堂
  1995.10.01 広島大学公開講座・被爆50年
-放射線が人体に与えた影響
広島大学 広島大学
  1997.02. 原爆被爆者対策史の基礎的研究―原爆被爆者対策前史 1945年(昭和20)~1953年(昭和28)資料集― 宇吹 暁 宇吹 暁

 2.今堀誠二の評価

占領軍と日本人科学者:サムス、アレン、ケリー、  ジュノー

『原水爆時代-現代史の証言(上)』、『広島県史・原爆資料編』、(『広島・長崎の原爆災害』)、『広島新史・資料編Ⅰ-都築資料』

3.検閲
「所謂『原子爆弾傷』に就いて-特に医学の立場からの対策」(『総合医学』、1945年10月1日)
<ゲタバキ部分あり。「昭和20年9月8日米国原子爆弾損害調査団を案内して広島市へ向ふ時記す」>

4.調査データのプライオリティ
大橋成一(元陸軍軍医学校教官・少佐、宇品陸軍救護病院副院長)、井深健次(元陸軍軍医学校校長・中將)宛の書簡(1953年5月3日付)の中で原子爆弾災害調査報告集の中に軍関係者の名前が掲載されていないことを指摘。(「広島県史原爆資料編」)。
大橋書簡=「当時の軍関係者の研究分担者の名前が掲載されて居らず、大学の先生方等のみの名があり、之のレポートが大学の先生方によって主になされた如く誤解される恐れがあると愚考致します。」

5.政府機関
予防衛生研究所、文部省、厚生省研究班、

6.広島・長崎の医療関係者
*都築正男報告(新聞発表)『中国新聞』
1945.9.4  9.5  11.25    1946.5.22  12.21
『広島県史・原爆資料編』(広島県、1972.03.31)
*公開治療
*松坂義正(広島)、調来助(長崎)
*学研調査団資料 調査票

7.被爆者
1945年8月13日、仲みどり(移動演劇団桜隊の女優)、広島で被爆後、東大都築外科に入院。24日、仲みどり、東大病院で死亡。30日、東大医学部教授都築正男ら調査団、来広。

1956年4月15日、東京の原爆被災者の会(事務局長松尾明人)、東京で、原爆被災者の集いを開催(東京・群馬・神奈川などから約100人参加)。都築博士による講演。被災者対策の充実・促進などを申し合わせ。

「畑とし子」=<東京の日赤で都築博士の治療を受ける>『あの日から生きて生きて』(1986年2月20日)
宗藤尚三=<被爆場所:1.3キロ自宅。大学生。日赤・似島・庄原日赤で治療。庄原では都築の診断を受ける。>『いのちの塔-広島赤十字・原爆病院への証言』(1992年6月10日)

マンハッタン:陸軍と原爆

『マンハッタン:陸軍と原爆―第2次世界大戦中の合衆国陸軍:特別研究』(Vincent C. Jones著、合衆国陸軍軍事史センター、1985年刊)

目次

部章 見出し 備考
序言:1939年までの原子力の歴史
原爆開発任務の始まり
核分裂物質の生産
支援活動
原爆
原爆開発任務の完了
原爆
24 ロスアラモスの兵器プログラム
25 兵器開発と実験
26 日本への原爆投下
原爆投下部隊の準備
原爆使用の決定
原爆投下
日本の降伏
原爆の効果の調査

 

1992091401
広島大学原医研・疫学部門の抄読会(19920914)
宇吹報告(「マンハッタン:陸軍と原爆」)用レジメ。
  マンハッタンは、陸軍航空軍の7月26日の命令[ハンディ発スパーツ原爆投下命令]の実行にあたり、重要な協力的役割を担った.トップレベルでは、グローブズ将軍が、ワシントンのアーノルド将軍のスタッフとの接触、テニアンの彼の代理(カークパトリック大佐、7月31日からはファーレル将軍)、キング提督から太平洋戦域の海軍司令官たちと原爆投下業務を調整することを任されたパ-ネル提督を通して、投下部隊全体に影響力を保持していた. ファーレル将軍は、進行中の日本への原爆投下の準備を調整するようグローブズから特命を受け、中部太平洋に到着した.ファーレルは.まずグァムに降り、ルメイ将軍(この直後に合衆国陸軍戦略航空軍参謀長に就任)とニミッツ提督と協議を行った.テニアンに移動してからは、ファーレルは、パ-ネル提督とパースンズ大尉を訪問した.
ファーレルは、かなりの時間をパ-ネル提督と過ごした.パーネルは、第1技術支隊が7月の間にテニアンで行った集中的な活動について詳細に語った.同支隊は、第509部隊の他の部門と海軍の協力で、爆弾、特にリトルボーイの部品の組立とテストのための技術的能力を蓄え、緊惷時における硫黄島での再装填の能力のチェックを慎重に実施していた.更に、パースンズは、彼が新たに組織したプロジェクト技術委員会の役割についてもファーレルに語った.その役割とは、ガン型および内破型両タイプの複雑な最終テストと組立に関して、彼が計画し、陸軍航空軍の部門と協力することを援助することであった.
両タイプの爆弾の部品とアクティブ原料[ウラン]は、原爆投下部隊が実際に使用する直前に、テニアンの支隊に届いた.まず、リトルボーイのものが届いた.部品とU-235の大部分は、7月中旬にロスアラモスを出発した.それまでは、ロバート・R・ファーマン少佐(グローブスのワシントンの司令部から派遣された特別プロジェクト将校)、ジェームズ・F・ノーラン大尉(ニューメキシコ実験場の主任軍医将校)の厳重な管理下にあった。<以下未入力>

 

 

 

書誌1974

書誌1974

書名 著者 発行所 発行年月日
 災害の行動科学 : そのとき人はどう行動するか組織はどう対応すべきか  アレン・H.バートン  学陽書房  197411
    Communities in disaster : a sociological analysis of collective stress situations

雑誌論文

著者 タイトル 掲載誌(編集、発行所) 発行年月日