『原水爆禁止2013年世界大会』(原水爆禁止日本協議会、2013/05/02)<パンフ34頁>
内容
1 | 核の被害をたどる | |
2 | 北朝鮮の核問題 | |
3 | 世界の非核平和 | |
4 | 日本の非核平和 | |
5 | 被爆者とともに | |
6 | 言ぱっと核兵 | |
7 | 世界大会に向けて-国民平和大行進 | |
8 | 世界大会に向けて-ショメイと原爆展 | |
9 | さあ!2013年世界大会へ |
『原水爆禁止2013年世界大会』(原水爆禁止日本協議会、2013/05/02)<パンフ34頁>
内容
1 | 核の被害をたどる | |
2 | 北朝鮮の核問題 | |
3 | 世界の非核平和 | |
4 | 日本の非核平和 | |
5 | 被爆者とともに | |
6 | 言ぱっと核兵 | |
7 | 世界大会に向けて-国民平和大行進 | |
8 | 世界大会に向けて-ショメイと原爆展 | |
9 | さあ!2013年世界大会へ |
『ドキュメント1945→1985 核兵器のない世界を No more Hirosima Nagasaki 写真記録』(被爆40年と原水爆禁止運動編集委員会編、原水爆禁止日本協議会、19870130 )
章 | 見出し |
[カラー]物証(東松照明) | |
1 | 1945年広島・長崎 |
2 | 平和擁護の国際世論と1950年ストックホルム・アピール |
3 | 1954年3・1ビキニ水爆被災事件と原水爆禁止署名運動 |
4 | 1955年原水爆禁止世界大会―広島・長崎のよびかけを世界に |
生きているヒロシマ (土門拳) | |
5 | 原水爆禁止国民平和行進 |
6 | 原水爆禁止運動と60年安保闘争 |
ドキュメント1961-ナガサキ (東松照明) | |
7 | 日本の核基地化許すな-米原潜・米原子力空母寄港反対、核持込み反対のたたかい 核も基地もない沖縄をかえせ |
8 | 原水爆禁止運動の統一と団結の前進 |
9 | ベトナムに広島・長崎をくりかえさせるな |
10 | ビキニ水爆被災の証人 第五福竜丸保存運動 |
11 | 被爆者とともに-被爆者援護・連帯 |
被爆者( 森下一徹) | |
12 | 核兵器廃絶 原水爆禁止運動の国民的統一をめざして |
1977年原水爆禁止世界大会-国民署名運動と国連軍縮特別総会 | |
13 | 高まる反核平和運動と世論 |
14 | 日本を核戦場にするな-人間の鎖と草の根運動 |
15 | 核戦争阻止 核兵器廃絶のために-「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名運動 |
[カラー]1985年夏(丹野章) | |
写真記録・人間のドラマをひきつぐもの | |
写真撮影者・提供者名、写真応募者、協力団体、参考資料 | |
年表・被爆四十年と原水爆禁止運動 | |
解説=1945年広島・長崎 | |
刊行にあたって (原水爆禁止日本協議会) | |
『核兵器全面禁止の日まで 岩手県原水協30年の歩み』(上田伸雄著、原水爆禁止岩手県協議会刊、19850120 )
目次
章 | 節 | ||
序文 岩手大学学長原田三郎 | |||
発刊のことば 「核兵器全面禁止の日まで-岩手県原水協30年の歩み」刊行委員会委員長 岩手大学教授高橋伊三郎 | |||
1 | 岩手原水協の発足と発展 | ||
1 | 原水爆禁止運動の旗上げ | ||
2 | 岩手県原水爆禁止運動の発展 | ||
3 | 原水爆禁止運動の拡大 | ||
2 | 大陸間弾道弾、人工衛星の出現と原水爆禁止運動の変化 | ||
1 | 原水爆禁止運動の大きな変化 | ||
2 | 原水爆禁止運動と新らしい情勢 | ||
3 | 安保闘争の新段階に対応する県原水協の一大県民運動 | ||
3 | 軍備全廃への道をひらく運動を展開 | ||
1 | 軍備全廃署名運動 | ||
2 | 国民平和大行進・県北を行く | ||
3 | 第7回原水爆禁止世界大会 | ||
4 | 軍備全廃について岩手県民への訴え | ||
5 | 第7回定期総会と運動の2つの柱 | ||
4 | 分裂策動の嵐をこえて県原水協再建、統一をかちとる | ||
1 | 第8回世界大会後、2・21までの経過 | ||
2 | 原水爆禁止運動の団結と統一のための日本原水協、県原水協の奮闘 | ||
3 | 日本原水協第60回常任理事会と第9回世界大会 | ||
4 | 第9回世界大会後、県原水協の統一と団結のための努力 | ||
5 | 県原水協の再編と行動開始 | ||
6 | 第10回世界大会の成果を上げた要因は何か | ||
5 | 岩手原水協の組織再編と活動の活発化 | ||
1 | 国際共同行動6・25岩手県中央集会 | ||
2 | 県原水協の組織強化 | ||
3 | 闘うベトナム人民との連帯で運動の一層の前進 | ||
4 | “平和行進は国民の敵だ”-自衛隊一本木集会での暴言 | ||
5 | 第12回世界大会と日本原水協声明 | ||
6 | 高倉山温泉被爆者療養センター第1期工事竣工す | ||
1 | 被爆者療養センター問題 | ||
2 | センター建設運動進む | ||
3 | 第13回原水爆禁止世界大会 | ||
4 | 被爆者療養センター第1期工事竣工 | ||
7 | 沖縄返還問題と原水爆禁止運動 | ||
1 | 第5福竜丸保存運動始まる | ||
2 | 核兵器もちこみ禁止運動と第14回世界大会 | ||
3 | 沖縄問題の緊急化 | ||
4 | 第15回原水爆禁止世界大会 | ||
第15回世界大会後の県原水協の活動 | |||
8 | 核署名運動の推進と沖縄返還闘争 | ||
1 | 沖縄返還闘争と原水爆禁止運動 | ||
2 | 第16回原水爆禁止世界大会 | ||
3 | 日本原水協アピール | ||
4 | 第17回原水爆禁止世界大会へのとりくみと大会の特徴 | ||
5 | 秋の大統一行動 | ||
9 | ベトナム問題と原水爆禁止運動 | ||
1 | ベトナム人民支援の急務 | ||
2 | 第18回原水爆禁止世界大会 | ||
3 | ハノイ市長からの訴え | ||
4 | ベトナム情勢の重大化 | ||
5 | 第19回原水爆禁止世界大会と岩手原水協のとりくみ | ||
10 | 長崎アピールにこたえる核兵器完全禁止の国際協定締結の運動 305 | ||
1 | 第19回世界大会の決議の実践 | ||
2 | 4党共同提案(被爆者援護)と日本原水協の協力 | ||
3 | 原水爆禁止運動の国民的統一を訴える日本原水協のアピール | ||
4 | 核兵器完全禁止の国際協定締結をめざす第20回世界大会 | ||
5 | 核兵器完全禁止国際共同行動週間 | ||
6 | 被災21周年3・1ビキニ・デーのアピール | ||
7 | 第21回原水爆禁止世界大会 | ||
11 | 原水爆禁止運動を国民運動へと発展させるために | ||
1 | ヒロシマ・アピールの意義とその普及のための行動 | ||
2 | 国民運動としての3・1ビキニ・デーにとりくむ県原水協の活動 | ||
3 | 第22回原水爆禁止世界大会とその成果 | ||
4 | 原水爆禁止運動の国民的統一への始動 | ||
5 | 原水協、「原水禁」の間に「統一合意」成立 | ||
6 | 1977年統一世界大会 | ||
12 | 国連に核兵器禁止と被爆者援護を訴える運動 | ||
1 | 国連に核兵器禁止を要請する署名運動 | ||
2 | 国連への代表派遣運動の意義と代表団の活躍 | ||
3 | 1978年世界大会と被爆者援護・連帯運動 | ||
13 | 原水爆禁止運動の統一への道をきりひらくために | ||
1 | 原水爆禁止運動の国民的統一実現のための方針 | ||
2 | 1979年世界大会と岩手県原水協の6大運動 | ||
3 | 統一へ一歩前進 | ||
4 | 1980年世界大会成功裡におわる | ||
5 | 80年世界大会後の県原水協の活動 | ||
14 | 日本を、世界の核戦場にするな | ||
1 | 太平洋非核化運動の歩み | ||
2 | 岩手県原水協の活動方針と組織強化 | ||
3 | 1981年原水爆禁止世界大会 | ||
4 | 1981年世界大会で日本原水協の果した役割と岩手県原水協の活動 | ||
5 | 1982年の情勢と岩手県原水協の方針と活動 | ||
6 | 第2回国連軍縮特別総会 | ||
7 | 1982年原水爆禁止世界大会 | ||
15 | ノーモア・ヒロシマ、ナガサキ総行動 | ||
1 | 総行動の一環として岩手県民法廷・盛岡でひらかれる | ||
2 | 原水爆禁止運動の量から質への転換 | ||
3 | 1983年世界大会成功のための岩手原水協の方針と行動 | ||
4 | 1983年原水爆禁止世界大会、その成果と問題点 | ||
5 | “トマホークくるな、F16核攻撃機くるな”運動と1984年世界大会 | ||
岩手県原水協30年の歩み(年表) | |||
むすびのことば 上田仲雄 | |||
『われら水爆の海へ<俊鶻丸ビキニ報告>』(駒野鎌吉、日本織物出版社 、19540801 )
目次
部 | |||
口絵 | |||
序(谷口利雄) | |||
1 | だれもビキニへ行きたくなかった 航海日誌 | ||
1 | 出航 | ||
2 | 船酔 | ||
3 | 七日目の初調査 | ||
4 | 電報「米人乗船せず」 | ||
5 | ウエーキ島(1) | ||
6 | ウエーキ島(2) | ||
7 | 「餓死日記」 | ||
2 | われら水爆の海に入れり | ||
8 | 船長物語 | ||
9 | 海水が汚れていた | ||
10 | 魚も汚れていた | ||
11 | 赤道祭 | ||
12 | 爆心地ビキニ | ||
13 | ガイガーS.O.S | ||
14 | プランクトン | ||
15 | 30日目の結論 | ||
3 | 9000マイルの航跡 | ||
16 | 南の海の珊瑚採り | ||
17 | 最後のハエ縄 | ||
18 | 船長の独白 | ||
19 | 俊鶻丸の叛乱? | ||
20 | アナタハン海域 | ||
21 | インピンジャー | ||
22 | 黒潮と放射能 | ||
23 | 食事事件 | ||
24 | 一路故国へ | ||
4 | 俊鶻丸ビキニ調査資料一覧 | ||
A | 俊鶻丸の航跡と調査点 | ||
B | 空気・アメの放射能 | ||
C | 海水の放射能 | ||
D | プランクトンの放射能 | ||
E | 魚の放射能 | ||
F | 空気・船体の汚染 | ||
G | シンチレーションカウンター | ||
『第五福龍丸事件』(焼津市、19761101 )
目次
章 | 見出し | 備考 | |
挨拶(焼津市長 服部毅―) | |||
発刊によせて(焼津漁業協同組合長 滝ロ佐々ヱ門) | |||
序(編集委員長 北山宏明) | |||
1 | 事件の概要 | ||
乗組員名簿 | |||
第五福竜丸事件年譜 | |||
2 | 被災時の諸問題 | ||
1 | 被災時の位置 | ||
その時の状況について乗組員談 | |||
2 | 帰港後の様子と被災時の諸問題 | ||
3 | 乗組員の被害について | ||
1 | 焼津市対策本部日誌3月14日より3月28日まで | ||
2 | 衛生課の事件日誌 | ||
3 | 初診時所見とその経過(焼津病院外科医長 大井俊亮) | ||
4 | 被災患者上京入院及び退院帰省につき打合せ事項 | ||
通達と譲渡証 | |||
患者との意見交換 | |||
4 | 乗組員の病状 | ||
1 | 3月1日より9月23日まで | ||
2 | 故久保山愛吉氏の臨床経過 | ||
3 | 各医師の発表 | ||
東邦医大教授(森田久男博士の発表) | |||
主治医の立場から (東大病院沖中内科教室医博 三好和男) | |||
東大名誉教授都築博士 米国務省訪問見解表明 | |||
5 | 船体と管理 | ||
1 | 生いたちと概要 | ||
2 | 帰港直後の状況 | ||
3 | 船体等の管理と補償問題 | ||
4 | 船体の監視と売買 | ||
監視日誌 | |||
5 | 船体の移動と東京への回航 | ||
6 | 魚への影響及び補償(第五福竜丸関係) | ||
1 | 主として直接的被害について | ||
2 | ビキニ事件の補償問題 | ||
3 | 久保山愛吉氏慰謝料問題について | ||
4 | 乗組員の慰謝料問題について | ||
7 | 事件と漁業対策(一般補償関係) | ||
1 | 対策本部設置 | ||
2 | 組合長会議 | ||
3 | 日かつ連、要望書手交 | ||
日かつ運が総額20億円の補償要求 | |||
片付かぬビキニ補償 | |||
交渉妥結とその後の対策 | |||
ビキニ被災―年補償金決らず | |||
補償問題の対米折衝経緯 | |||
ビキニ問題その後 | |||
8 | 手記及び追悼文 | ||
1 | 久保山愛吉氏の手記 | ||
2 | 愛吉氏と家族との交信 | ||
未亡人すゞさんの手記 | |||
3 | 患者の手記 | ||
4 | 久保山さんの死に思う 熊取敏之博士 | ||
5 | 故久保山愛吉君を悼む | ||
9 | “死の灰”について | ||
調査団 | |||
死の灰の分析と第1回発表 | |||
筧博士の報告書 | |||
第2、第3回の分析発表 | |||
相つぐ漁船の被害 | |||
マーシャル水域における漁船等の被害対策 | |||
最終結果の分析発表 | |||
静岡大、大阪大、金沢大の分析結果 | |||
日本全土を掩う放射能 | |||
調査船〃俊鶴丸〃 | |||
附 | |||
a | その後の乗組員の様子 | ||
b | 当時を顧みて(近藤久一郎) | ||
c | 第五福竜丸の思い出 (宮崎作次) | ||
d | 回想(見崎吉男) | ||
参考文献 | |||
編集委員名簿 | |||
資料写真 |
年表:ヒロシマ(1946年)
月日 | できごと |
0108 | 宇品地方引揚援護局、同局大竹出張所設置。1947年10月20日業務閉鎖、12月31日閉局。入港船舶・上陸人数は、宇品100隻・16万9026人、大竹219隻・41万410783人。 |
0108 | 広島市復興局設置 |
0109 | パターソン米国陸軍長官一行、呉市の戦災状況を視察。10日広島市の被害を視察。 |
0110 | 呉地方初の海軍施設転用により、日本製鉄株式会社兵器処理部呉事務所開設、復興作業に着手。 |
0120 | GHQ,第一次賠償指定。三菱重工業広島工作機械製作所など指定をうける。 |
0122 | 広島市宇品町の元陸軍共済病院、日本医療団宇品病院となる(のち広島中央病院と改称)。 |
0125 | 広島県警備隊廃止。 |
0127 | 連合国極東委員会一行70人、来広。楠瀬広島県知事、広島市を世界新平和の象徴として再建することを委員会に提案。 |
0201 | 英連邦軍先遣部隊に300人、呉へ入港。 |
0201 | 広島復興民団発起人会、広島駅前食堂で開催。発起人、鈴川貫一ら経済界の有力者22人。 |
0210 | 広島市青崎国民学校で原爆犠牲者追悼文化人大会・追悼合同短歌会開催。 |
0225 | 広島市復興審議会初会合。 |
0401 | 恩賜財団軍人援護会広島県支部と恩賜財団戦災援護会広島県支部、解散合併して、恩賜財団戦災援護会を設立。 4・ 1 播磨造船所呉船渠、旧呉海軍工廠造船・造機部跡に開設。 |
0401 | 尼崎製鉄、旧呉海軍工廠製鋼部跡に呉作業所を設置し操業開始(現神戸製鋼所呉工場)。 |
0401 | 元呉海軍工廠、連合軍総司令部の指示により大蔵省に移管。 |
0406 | 広島復興都市計画を決定し、復興五か年計画案を作成。 |
0501 | 中国新聞社『月刊中国』を創刊。同誌四号(昭和二一年八月一日)は「原子爆弾記念号」とする。 |
0503 | 極東国際軍事裁判開廷。 |
0506 | 広島県食糧営団運営委員会再発足し、第一回総会を海田市寮で開催。 |
0510 | 天然痘流行し、患者360余人に達する。 |
0517 | 満州開拓義勇隊引揚第一陣広島・安芸・安佐・双三出身者からなる井岡中隊41人、佐世保を経て帰広。 |
0517 | 傷痍軍人援護会解散し、財団法人協助会広島県支部発足。傷痍軍人・一般傷疾病者の相互扶助・福利厚生などを意図 |
0522 | 広島市・広島県仏教連合会など主催の戦災死没者遺骨収容大供養週間はじまる。 |
0527 | 広島市戦災供養法会、西本願寺法主大谷光照を迎え執行。 |
0601 | 県、食糧危機突破甘藷増産運動を展開(~15日)。 |
0610 | 朝鮮民主臨時政府促成人民大会、広島駅前広場で開催。 |
0611 | 広島県援護会発起人会、外地引揚団体の統合をはかるため広島県引揚同胞更生会の設立を決議。同月15五日発足。 |
0627 | 満州からの初の引揚船、宇品港へ入港。 |
0630 | アメリカ戦略爆撃調査団の報告書『広島・長崎の原爆の効果』公表。 |
0701 | アメリカ、マーシャル群島ビキニ環礁で戦後初の原爆実験。 |
0702 | 呉市戦災死者一周忌追弔法要、五番町国民学校で執行。 |
0705 | 広島県、食糧危機突破対策の一環として、高級料理・飲食店の自粛的臨時休業の措置を開始。 |
0709 | 広島県住宅緊急措置令施行細則制定。住宅不足対策として余裕住宅への入居を勧奨。
7・ |
0724 | 広島県・恩賜財団同胞援護会広島県支部・広島県社会事業新興連盟主催同胞援護強調週間始まる。 |
0724 | 広島軍政部公衆衛生係、日本側衛生関係者を招集し、花柳病予防対策協議会を開催。 |
0726 | 広島市、同胞援護強調週間の行事として、市内西診療所で引揚者・復員者・一般罹災者の無料診察実施(~30日)。 |
07 | 呉市駐屯の米軍第76軍政中隊本部、広島軍政部と改称。中国5県の各軍政部統括機関として中国地方軍政司令部を設置。 |
0801 | 広島県教職員適格審査委員会、初会合。8月8日審査を開始。 |
0802 | 尾道署、第11空廠事件の関係者を隠匿物資等緊急措置令違反・価格統制令違反で広島地検へ送検。 |
0805 | 広島市、市内八か所に原子爆弾症医療無料相談所を開設(~7日)。 |
0805 | 福山市復興協力会第1回総会開催。 |
0806 | 広島市、各宗連盟県支部・広島市供養会共催戦災死没者一周年追悼法会、慈善寺鼻の記念礼拝堂で開催。 |
0810 | 広島市調査課、1945年8月6日現在市内居住者を対象に原爆被害調査を実施。 |
0812 | 占領軍危険物特別処理隊、大久野島の毒ガス3万トンを太平洋にもちだし船とともに海底に沈める。 |
0824 | GHQ、第二次賠償指定。これにより県内では日本製鋼所広島製作所・東洋工業・日本化薬福山染料工場など指定をうける。 |
0824 | 社会党広島県支部、広島駅前で食糧増配要求市民大会を開催。 |
0830 | 食糧危機突破のため篤農家で組織する広島県食糧増産同志会、御調郡重井村で第一回懇談会を開催。 |
0831 | アメリカの週刊誌「ニューヨーカー」、J・ハーシーのヒロシマ・ルポを特集。 |
08 | 広島市幟町カトリック協会フーゴー・ラサール神父、ニューヨークで原爆投下時の広島の模様を語る。 |
08 | 公職適否審査委員会設置。 |
08 | 呉市で旧軍施設への紡績工場誘致運動おこる。 |
0901 | 福山市会議員一同、広島軍政部に日本化薬福山染料工場の賠償指定削除を嘆願。この月、福山市長も同様の嘆願。 |
0902 | 呉市に設置の英連邦占領軍放送局(WBTB)、特別放送を開始。 |
0903 | 福山市会、福山市戦災復興事業促進を決議。 |
0903 | 似島に孤児収容所開設。 |
0909 | 生活保護法公布。 |
0910 | 離職者・復員軍人・海外引揚者・戦災者など失業者の就業指導のため広島県職業補導所を県内五か所に設置。 |
0910 | 広島市銃後奉公会・戦災援護会の解散式ならびに恩賜財団同胞援護会広島県支部広島支会の発会式、市役所で挙行。 |
1001 | 広島県連合方面委員会、広島県連合民生委員会と改称。 |
1009 | 戦災都市広島・呉・福山の三市、特別都市計画法に基づき、特別都市に指定される。 |
1014 | 終戦連絡呉事務局、終戦連絡呉中国事務局に改組。中・四国九県の占領軍との渉外事務を取扱う。 |
1015 | 広島県、賠償指定工場(三菱広島工作機械製作所・倉敷紡績広島工場・日東工業川尻工場・旭株式会社・第一産業・帝国兵器羽衣製作所・北川鉄工所・東洋製缶・日本化薬福山染料工場・日本製鋼所広島工場・東洋工業・日本発送電坂発電所・岡本工作機械製作所松永工場)への無断立入、機械・施設の無断持出を禁止。 |
10 | 広島市旧西練兵場跡に授産場完成。 |
1101 | 広島県地方課の調査による市町村の追放該当者152人。 |
1101 | 広島県失業対策実施本部設置規程制定。 |
1103 | 日本国憲法公布。 |
1103 | 改正憲法公布祝賀大会、広島県・市・放送局・商工会議所・中国新聞社共催により元護国神社前広場で開催。県内各地でも記念行事。 |
1113 | 広島県社会教育課、新憲法精神普及運動を開始 |
追放令該当県議20人辞任。 | |
1126 | トルーマン米大統領、米国学士院・学術会議に原爆傷害調査委員会(ABCC)の設置を指令。12月6六日予備調査団、広島入り。 |
11 | 日立造船因島造船所、総司令部から民需転換を許可される。 |
11 | この年、コレラ流行。患者169人、死者69人。 |
出典・参考資料『広島県戦災史』
核兵器禁止条約50カ国・地域批准報道(日本)
日本の新聞(10月26日1面掲載)
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日本の新聞報道(1面掲載20201026) |
中国新聞 |
朝日新聞 |
毎日新聞 |
読売新聞 |
日本経済新聞 |
『広島女学院大学の世界遺産学-』(広島女学院大学生活科学部生活デザイン・情報学科、広島女学院大学総合研究所、20080228)
目次
著者 | タイトル | 備考 |
宇吹暁・末永航 | はじめに | |
宇吹暁 | 世界遺産条約と世界遺産をめぐる動向 | |
田頭紀和 | 日本の誇る自然の美-日本の自然遺産とそのあり方- | |
堀田佳克 | 建築構造からみた世界文化遺産-工人の知恵と工夫の結集- | |
末永航 | ヨーロッパの世界遺産と世界遺産の未来 | |
2021年1月(日録)
丑 |
1945年8月6日から27542日 |
<ピカ暦(ぴかごよみ)> <原爆資料館ロビーの地球平和監視時計> |
核兵器禁止条約元年 |
2021(令和3)年 |
元旦 |
日 | できごと |
04 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島女学院大学の世界遺産学」 |
05 | 新聞切り抜き「月忌」「WHO」関係の分類整理。 |
06 | 中国新聞「原爆手記刊行 75年間で6194冊 家族・市民 聞き書き担う」(西本雅実)。 |
07 | ヒロシマ遺文への投稿=「金正堂書店」 |
09 | ヒロシマ遺文への投稿=「核兵器批准条約批准50カ国・地域批准報道(日本)」 |
12 | 厚労省のサイトから黒い雨関連のデータをダウンロード。 |
13 | ビキニ水爆被災事件関係データの整理。 |
14 | ヒロシマ遺文への投稿=「年表:ヒロシマ(1946年)」 |
15 | ヒロシマ遺文への投稿=「第五福龍丸事件(焼津市)」、「われら水爆の海へ<俊鶻丸ビキニ報告>」 |
16 | 東芝COSMIO2011年春バージョンを立ち上げる。ネットに接続せず過去のデータを読むだけに利用予定。一太郎の過去のデータが利用できるはず。 |
16 | ヒロシマ遺文への投稿=「岩手県原水協30年の歩み」 |
17 | 昭和図書館へ。県内の町村史を閲覧。 |
17 | ヒロシマ遺文への投稿=「原水爆禁止日本協議会出版物」、「ドキュメント1945→1985 核兵器のない世界を」 |
18 | 自宅書庫の原水禁大会・平和運動関係資料の整理。 |
18 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島市宇品町民が献納した飛行機」 |
19 | ヒロシマ遺文への投稿=「原水爆禁止2013年世界大会」、「原水爆禁止世界大会記録一覧(第10~22回)」、「原水爆禁止世界大会記録一覧(1979年~)」、 |
20 | ヒロシマ遺文への投稿=「ノーベル平和賞-90年の軌跡と受賞者群像」 |
21 | アメリカ大統領就任式(現地時間20日)テレビ番組視聴。 |
21 | ヒロシマ遺文への投稿=「ノーベル平和賞受賞者(ヒロシマ関連)一覧」、「国連歴代事務総長」、「核兵器白書 ウ・タント国連事務総長報告」、「核兵器の包括的研究 国連事務総長報告」 |
22 | 核兵器禁止条約発効。 |
22 | コンビニで4紙を購入。「核兵器禁止条約発効」、「バイデン米大統領就任式」関連情報収集のため。 |
22 | ヒロシマ遺文への投稿=「核兵器禁止条約発効-Yahooニュース」、「核兵器禁止条約発効-新聞報道(20210122)」 |
23 | ヒロシマ遺文への投稿=「ウ・タント「世界平和のために」」、「ストックホルム平和大会(1958)の記録」 |
24 | ヒロシマ遺文への投稿=「世界平和への提言-ユネスコ語録」 |
25 | ヒロシマ遺文への投稿=「核を葬れ!森瀧市郎・春子父娘の非核活動記録」 |
27 | ヒロシマ遺文への投稿=「記録:核実験抗議座り込み―広島平和公園慰霊碑前」 |
29 | ヒロシマ遺文への投稿=「記録・82年 平和のためのヒロシマ行動」。 |
31 | ヒロシマ遺文への投稿=「年表:学術会議(稿)~1964」、「年表:学術会議(稿)1965~」 |
『新編広島県警察史』(広島県警察史編修委員会編、広島県警察連絡協議会刊、19540428)
目次
編 | 章 | 節 | 見出し | |
序 | 警察制度の変遷と広島県の警察 | |||
1、中央政治機構の変遷 2、広島県の行政機構の変遷 3、警察制度の変遷 4、広島県警察の変遷 5、警察官吏制度、警察費及び服制の変遷 6、警察法規の変遷 7、警察官吏の採用と教養 |
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Ⅰ | 日支事変及び太平洋戦争と警察 | |||
1 | 戦争と国内の戦時体制 | |||
第1節 日支事変の発生とその展開 第2節 太平洋戦争の勃発とその推移 第3節 国内の新体制 第4節 戦争と広島県 |
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2 | 警察の戦時体制 | |||
第1節 戦時下行政機構の改革 第2節 戦時下の警察法規 第3節 警察機構の戦時編成 第4節 警察執務態勢の改善刷新 第5節 警察(消防)官吏の採用、教養制度の特別措置 |
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3 | 戦時下の警察活動一般 | |||
1 | 防空の強化と警防警察 | |||
2 | 経済警察の誕生とその推移 | |||
3 | 輪送統制と交通輪送警察の展開 | |||
4 | 戦時下の犯罪趨勢と刑事警察 | |||
5 | 言論統制の強化と特高警察 | |||
6 | 戦時下の風俗警察 | |||
7 | 労務統制の強化と労政警察 | |||
8 | 警防団の活動と梨本官殿下の御視閲 | |||
9 | 特設消防署の設置 | |||
10 | 警備隊の設置とその推移 | |||
11 | 南方占領地域の拡大と警察 | |||
12 | 華人労務者の警備 | |||
13 | 敵国人の抑留と俘虜の警備 | |||
14 | 戦時下警察武道の振興 | |||
Ⅱ | 原爆下の広島県警察 | |||
1 | 原爆投下さる | |||
2 | 原爆罹災下の警防活動 | |||
3 | 原爆の被害 | |||
4 | 原爆下の警察部及び広島市内の警察、消防署 669 | |||
5 | 原爆と広島 | |||
Ⅲ | 終戦直後(終戦より警察法施行まで)の警察 | |||
1 | 戦争の終結と国内諸制度の変革 | |||
1 | 終戦の大詔下る | |||
2 | 連合軍の本土進駐と日本管理政策 | |||
3 | 国内諸制度の改革と混乱 | |||
敗戦と広島県 | ||||
2 | 警察の民主化 | |||
第1節 行政機構の改革 第2節 終戦直後の警察機構の改編 第3節 警察法規の応急措置 第4節 警察執務態勢の改革 第5節 特高並びに武徳会追放 第6節 警察自体の混迷と監察制度の強化 第7節 警察教養制度の整備 |
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3 | 終戦直後の警察活動一般 | |||
第1節 治安情勢の悪化と公安警察 第2節 連合国軍の進駐とその警備 (附)連合国軍特殊慰安施設の開設とその推移 第3節 第三国人(主として朝鮮人)の暴挙と警察 第4節 犯罪の激増と刑事警察 第5節 混乱期の経済警察 第6節 闇市場の簇生とその推移 第7節 風俗の頽廃と風俗警察 第8節 交通の混乱と交通警察の強化 第9節 水上警察の復活とその推移 第10節 天皇の行幸と御警衛 |
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Ⅳ | 新制度下の警察 | |||
1 | 新憲法制定と諸制度の改革 | |||
第1節 占領政策の転換とその推移 第2節 日本国憲法の制定 第3節 新憲法下における政治機構の改革 第4節 地方制度の改革と広島県 |
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2 | 警察制度の改革 | |||
第1節 警察法の制定とその推移 第2節 広島県における新警察制度の実施とその推移 第3節 警察法規の整備再建 第4節 公安委員連絡協議会の設置のその推移 第5節 警察連絡協議会の設置とその推秒 第六節 警察執務態勢の刷新 第七節 警察教養制度の充実、強化 |
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3 | 新制度下の警察活動一般 | |||
第1節 犯罪の趨勢と刑事警察 第2節 各種社会運動の激化と警備警察 第3節 防犯警察活動の強化 第4節 交通機関の発達と交通警察 第5節 朝鮮動乱の勃発と警察 第6節 警察予備隊の設置と警察 第7節 天皇、皇后両陛下の国体御臨席と御警衛 第8節 警察武道の復活 |
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Ⅴ | 警察官吏制度、警察費及び服制の改革 | |||
1 | 警察官吏制度 | |||
第1節 戦時中の警察官吏制度 第2節 終戦直後の官吏制度の改革と警察官吏 第3節 公務員制度下の警察官吏 |
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2 | 警察費の変遷 | |||
第1節 旧制度時代(主として戦時中及び終戦直後)の警察費 第2節 新制度下の警察費 |
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3 | 警察官吏服制の改革 | |||
第1節 戦時中の服制 第2節 終戦後の服制改革 |
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年表 | ||||
索引 | ||||
付録 | ||||
Ⅰ | 警察各部署の沿革 | |||
1 | 旧制度下 | |||
1、 | 警察部の沿革 | |||
2、 | 各警察署の沿革 | |||
2 | 新制度下 | |||
1、 | 公安委員会の沿革 | |||
2、 | 警察本部の沿革 | |||
3、 | 各警察署の沿革 | |||
Ⅱ | 殉職警察(消防)官吏並びに功労記章(功績章)受領 警察官吏の殉職功績録 | |||
1 | 殉職警察(消防)官吏 | |||
2 | 功労記章(功績章)受領警察官吏 | |||
Ⅲ | 警察職員名簿 |