2020年12月(日録)
日 |
できごと |
02 |
桜が丘の倉庫で米国戦略爆撃調査団関係資料を閲覧。 |
02 |
ヒロシマ遺文への投稿=「書誌1974」、「書誌1971」、「主要建物・事業所(国泰寺地域)」、「主要建物・事業所(中島地域)」、「主要建物・事業所(本川地域)」、「主要建物・事業所(基町地域)」、「主要建物・事業所(白島・二葉の里地域)」、「広島県内市町村(地図)」 |
03 |
泉美術館「没後5年 明田弘司写真展 昭和を歩く」。10月23日~12月13日。観覧。 |
03 |
ヒロシマ遺文のTOP頁の大幅変更の試み。 |
04 |
桜が丘の倉庫から米軍調査団関係資料を自宅に移動。 |
04 |
ヒロシマ遺文への投稿=「原爆被害調査概要(直後)」、「マンハッタン:陸軍と原爆」、「米国戦略爆撃調査団」 |
05 |
ヒロシマ遺文への投稿=「合衆国戦略爆撃調査団報告書(森祐二訳)一覧」、「放射線影響研究の10年(文部省科研研究班)」、 |
06 |
ヒロシマ遺文への投稿=「占領下被爆者医療活動(都築正男資料から)」、「京都大学原爆災害調査班遭難記念碑」 |
07 |
広島県の市郡町村別被爆関連データを検討。 |
07 |
ヒロシマ遺文への投稿=「核に灼かれて 安芸地区被爆の記録」、「許すまじ被爆体験記(広島市原被協井口支部)」 |
08 |
呉市立図書館。1965年の中国新聞の閲覧をしようとしたが、利用不可とのこと。 |
08 |
真珠湾攻撃(12月8日未明、ハワイ時間12月7日)79周年。 |
08 |
ヒロシマ遺文への投稿=「ふるさとふくしまひろしま-金崎是画集」 |
09 |
ヒロシマ遺文カテゴリー「広島原爆被災白書(地域) 」関連資料の整理。 |
10 |
桜が丘へ。倉庫の原爆モニュメント・原爆遺跡関係資料を自宅に持ち帰る。 |
10 |
ヒロシマ遺文への投稿=「広島中央保健生活協同組合」、「壁―未解放部落原爆被害者の手記」、「原爆と未解放部落-いのちあるかぎり」。 |
11 |
ヒロシマ遺文への投稿=「広島部落問題研究会」 |
19 |
ヒロシマ遺文への投稿=「平和を―被爆から75年を行きぬいて」 |
21 |
年賀状投函。 |
24 |
ヒロシマ遺文への投稿=「書誌2020」 |
26 |
10:00自宅発-豊栄経由-11:50向原・丸山公園-向原町被爆者慰霊碑―13時中岡宅-16時帰宅 |
27 |
BS1スペシャル『アウシュビッツ 死者たちの告白』(再放送2020年8月16日に放送)22:00~13:50(110分)視聴。 |
28 |
ヒロシマ遺文への投稿=「広島県内市郡別人口推移(1944・45・46)」、「向原町原爆被爆者慰霊碑」、「広島市勢要覧 昭和21年版 復興第1年号」、 |
29 |
ヒロシマ遺文への投稿=「関連市町村の状況(広島原爆戦災誌)」、「新編広島県警察史」 |
30 |
過去の写真データの確認と整理。自宅2階書庫の整理と掃除。 |
31 |
被団協新聞(1500円)・原水協新聞など(3840円)代金を郵便振込。 |
31 |
ヒロシマ遺文のTOP頁の更新 |
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|
「黒い雨―降雨地域住民に被爆者手帳を 第1部」(『赤旗(連載)』1980年、40回)、「同 第2部」(1981年4月14日~7月28日
<『黒い雨』(広島県「黒い雨」・自宅看護」原爆被害者の会連絡協議会、19820111)に収録される>
内容
1部 |
1980年 |
回 |
見出し |
1 |
8月6日その日 太い棒のように なぜ、このような雨が |
2 |
気象かえた原爆 火災で巨大な雨雲 爆撃で複雑な作用発生 |
3 |
証言 |
4 |
ひょうのように |
5 |
放射能 |
6 |
雨戸についた泥 |
7 |
ヒロシマ西方では |
8 |
原因不明の鼻血 |
9 |
死んだ子ども |
10 |
被災調査 |
11 |
江波山の気象台 |
12 |
被爆と気象台 |
13 |
白色の朝顔 |
14 |
煙と雲と |
15 |
枕崎台風 |
16 |
台風と原爆 |
17 |
二男の脱毛 |
18 |
気象人気質 |
19 |
26インチ |
20 |
爆心の決定 |
21 |
郊外でも |
22 |
提案 |
23 |
聞き書き |
24 |
報告書の作成 |
25 |
一枚の図 |
26 |
特別被爆者 |
27 |
特別被爆地域 |
28 |
住民の運動 |
29 |
片手落ち |
30 |
急性症状 |
31 |
健康調査 |
32 |
みなしひばくしゃ |
33 |
反響 |
34 |
指定の矛盾 |
35 |
踊る見出し |
36 |
政府交渉団 |
37 |
妻の死 |
38 |
土壌調査 |
39 |
現地調査 係官を派遣せよ 当時の状況聞いて |
40 |
燎原の火 本格的救済運動へ 署名も急速に広がる |
|
|
2部 |
19810414~19810728 |
1 |
報告集会 線引きの矛盾つく 初めての住民組織発足 |
2 |
山やまを越えて 村上さんええ話でした 大歓迎、和気あいあいの懇談 |
3 |
行政の光 手帳交付の相談も 集会後に質問や意見続出 |
4 |
健康調査 |
5 |
陳情 |
6 |
請願 |
7 |
広がる請願 |
8 |
大きな流れ |
9 |
出発点 |
10 |
残留放射能 |
11 |
相生橋 熱戦うけてから36年も 残留放射能を調査 |
12 |
核分裂生成物 |
13 |
突然の死 |
14 |
第五福竜丸 |
15 |
ブラボー爆弾 |
16 |
死の灰 |
17 |
広島の死の灰 |
18 |
政府の調査 |
19 |
対照地区 |
20 |
参院社労委 緊張”走る”渡辺質問 残留放射能の対応策は |
21 |
参院社労委 強い放射能を含む 少雨地域も特別指定を |
22 |
夏の大要のように ”被爆地”と認めよ 1市4町1村で署名2万 |
23 |
画期的な夏 初の原水協調査団 住民からの訴え次つぎ |
24 |
証言の重み 北側にも大雨が・・・ 不合理な”線引き”ただす |
25 |
すすむ運動 被爆地指定の声新た ”核兵器ノー”の声とともに |
|
|
|
連絡協議会役員一覧 |
|
|
『大田洋子文学碑建立記念誌 1978・9』(岩崎清一郎編、[大田洋子文学碑]建立委員会事務局、19780925)
頁 |
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口絵<いしぶみと大田洋子関係> |
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01 |
お礼 |
建立代表 斎木寿夫・栗原貞子 |
02 |
追憶・大田洋子 ―文学碑建立に際して |
佐多稲子 |
08 |
大田洋子文学碑について |
大原富枝 |
11 |
記録・資料 |
|
11 |
碑文の由来 |
|
12 |
爆風の中の碑 |
四国五郎 |
14 |
大田洋子略年譜 |
|
18 |
記録・資料 |
|
18 |
大田洋子文学碑建立についてのお願い |
安芸文学内 建立委員会事務局 |
20 |
協賛者 |
|
23 |
マスコミ関係のご協力 |
|
25 |
経過報告 |
事務局・岩崎清一郎 |
29 |
除幕式に寄せられた祝電 |
|
30 |
通信のなかから |
|
34 |
募金協賛・御芳名録 |
|
47 |
会計報告 |
|
48 |
楽譜”少女たちは” |
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除幕式<於・中央公園/昭53・7・30> |
|
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|
内容
『ヒロシマの被爆建造物は語る-被爆50周年 未来への記録』(被爆建造物調査研究会編、広島平和記念資料館、19960331)
目次
部章節 |
項目 |
備考 |
|
序章 |
|
Ⅰ部 |
図説編 |
|
1 |
被爆建造物の被害の概要 |
|
2 |
被爆建造物の全体像 |
|
3 |
図説 |
|
1. |
平和記念公園・周辺地区 |
|
2. |
紙屋町・本通地区 |
|
3. |
銀山・幟地区 |
|
4. |
基町・白島地区 |
|
5. |
国泰寺・千田地区 |
|
6. |
十日市・中広地区 |
|
7. |
牛田・広島駅周辺地区 |
|
8. |
比治山・仁保地区 |
|
9. |
皆実・宇品地区 |
|
10. |
吉島・舟入・観音地区 |
|
11. |
己斐・草津地区 |
|
12. |
三篠・祇園地区 |
|
2部 |
概説編 |
|
1 |
原爆とその物理的影響 |
|
2 |
被爆建造物の保存の意義を考える |
|
3 |
被爆建造物と都市 |
|
4 |
被爆前の広島の建築文化 |
|
5 |
被爆建造物の保存・継承のあゆみ |
|
6 |
被爆建物と被爆者の医学的検討 |
|
7 |
国民学校と被爆 |
|
8 |
橋と被爆者 |
|
9 |
日本の戦争遺跡 |
|
10 |
ヨーロッパの戦争遺跡 |
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|
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|
3部 |
資料編 |
|
|
年表 |
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|
被爆建物の変遷 |
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|
被爆建造物リスト |
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|
原爆被災説明板の一覧 |
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|
『爆心』(朝日新聞(広島版)連載 19850403~0822)
部 |
回 |
|
Ⅰ |
|
被爆死の空白 |
|
1 |
白い花の記憶 遺骨の中に一輪 手向けの主は呉服商と判明 消えた繁華街・中島 消息不明なお多数 |
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2 |
小さき骨 |
|
3 |
軍用旅舎 |
|
4 |
天神町北組 |
|
5 |
検校社 |
|
6 |
支社史 |
|
7 |
1/37 |
|
8 |
アイゴー |
|
9 |
白衣 |
|
10 |
通行人 |
|
11 |
動員学徒 |
|
12 |
68.8キロ |
Ⅱ |
|
その生活史 |
|
|
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1 |
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2 |
|
|
3 |
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4 |
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5 |
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|
6 |
|
|
7 |
|
|
8 |
|
|
9 |
|
|
10 |
|
|
11 |
|
|
12 |
|
|
13 |
|
|
14 |
|
Ⅲ |
|
40年の歩み |
|
1 |
|
|
2 |
|
|
3 |
|
|
4 |
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5 |
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|
6 |
|
|
7 |
|
|
8 |
|
|
9 |
|
|
10 |
|
|
11 |
|
|
12 |
|
|
13 |
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14 |
|
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15 |
|
|
16 |
|
|
17 |
|
|
18 |
|
|
19 |
|
Ⅳ |
|
生還 |
|
1 |
|
|
2 |
|
|
3 |
|
|
4 |
|
|
5 |
|
|
6 |
|
|
7 |
|
|
8 |
|
|
9 |
二度とあっちゃいけんこと 9歳の記憶 |
|
|
|
|
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|
『原爆爆心地』(志水清編、日本放送出版協会、19690720 )
目次
部章節 |
見出し |
備考 |
Ⅰ |
残された都市 |
|
|
プロローグ |
|
|
広島 |
|
1 |
爆撃禁止令の出ていた広島 |
|
|
(1)アインシュタインよりルーズヴェルトへの書簡 20
(2)マンハッタン計画 22
(3)原爆完成目標-一九四五年八月一日 24
(4)ニュー・メキシコからヒロシマへ |
|
2 |
戦時下の広島 |
|
|
(1)空襲は何故ないのか? 28
(2)富国強兵と広島 29
(3)爆心地 33
(4)一九四五年八月六 |
|
Ⅱ |
炎の中から 失われたものと残されたもの |
|
|
炎の中から |
|
1 |
その朝の爆心地 |
|
|
(1)電話 その一 42
(2)電話 その二 43
(3)横川で 45
(4)牛田で 47
(5)材木町で 47
(6)造船所で 50
(7)疎開先出 |
|
2 |
その日 |
|
|
(1)爆心地「中島」 53
(2)幻の爆心生存者 54
(3)炎の中の中島 55
(4)焼けたニワトリ 57
(5)本川橋 61
(6)爆心に生き残っていた人びと 65
(7)慈仙寺 66
(8)地下足袋が燃える 68
(9)みんなだったんだから… 71
(10)元安橋 その一 73
(11)元安橋 その二 77
(12)火が舞うて… 79
(13)岡山の水蜜桃 82
(14)遡ぼる舟 |
|
3 |
夜を徹して |
|
|
(1)手記 その一 91
(2)手記 その二 94
(3)落ちていた雑嚢 99
(4)相生橋に泊った人びと |
|
4 |
夜が明けて-八月七日 |
|
|
(1)「おじさん、キルものはないですか」 104
(2)焼けて女時計 108
(3)三姉妹 113
(4)誓願寺に集まった人たち 116
(5)みんな死んでいた 119
(6)何もかも変わった 122
(7)川の中のわが子の遺体 128
(8)全部の骨を少しずつ 129
(9)ひとりぼっち 130
(10)相生橋・慈仙寺ノ鼻・元安川 131
(11)被爆の実体-調査の経験から- |
|
|
残された傷跡 |
|
1 |
断絶 |
|
|
(1)断絶の街 144
(2)生き残った人の断絶 |
|
2 |
残された身体の傷 |
|
|
(1)被爆による身体的な後遺障害 153
(2)よくわからない身体障害 156
(3)社会的後遺障害 160
(4)被爆者のおかれている状況 162
(5)さまざまな被災調査 |
|
Ⅲ |
広島の空白から広島の復元へ
―鎮魂から平和原点への道のり |
|
|
広島の空白 |
|
1 |
爆心の空白 |
|
|
(1)確定せぬ犠牲者の数 170
(2)被爆実態をつかめぬ空白 |
|
2 |
爆心調査の系譜 |
|
|
(1)「爆心半径500メートル」 183
(2)広大原医研調査 186
(3)爆心復元-市民・メディア・学会の握手 192
(4)爆心追跡調査 198
(5)市民運動を通して「全体へ」 202 |
|
3 |
市民の胎動 |
|
|
(1)手書きの戸別地図 |
|
4 |
ノー・モア・ヒロシマ |
|
|
(1)ダモクレスの剣 213
(2)原水禁運動と「広島」 |
|
5 |
広島の風化と模索 |
|
|
(1)原点広島の風化 225
(2)始まった「広島」の模索 |
|
|
|
|
|
爆心復元の論理と構想 |
|
1 |
爆心復元の論理 |
|
|
(1)核時代に 238
(2)素朴な疑念-結びあうもの |
|
2 |
追跡調査の構想 |
|
|
(1)血の通った調査 242
(2)綜合調査 243
(3)基礎調査と「爆心復元」 246
(4)本調査と生活史のあとづけ 249
(5)「爆心復元」のひろがり |
|
3 |
爆心復元の意味するもの |
|
|
|
|
|
被爆地図復元運動 |
|
1 |
被爆地図復元運動を支えるもの |
|
|
(1)被爆者・市民の「地図作り」 257
(2)行政の役割り 260
(3)学会・研究機関の体制作り 263
(4)報道機関の参加 |
|
2 |
被爆地図復元調査のもたらすもの |
|
|
(1)被爆地図 265
(2)被爆者戸籍と家族別ファイル 265
(3)核時代の良心の証 266
(4)被爆地図復元の実施・推進組織 267
(5)爆心復元の現状 |
|
3 |
爆心復元の課題 |
|
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エピローグ |
|
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|
参考文献 |
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|
あとがき |
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付録 |
広島市原爆爆心地復元市街図 |
|
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|
東照宮原爆慰霊碑
1966年8月5日建立、広島市(尾長町・東照宮)
碑文
[正面] 原爆慰霊碑
[裏面]
昭和二十年八月六日の原爆により罹災者境内に溢れ救護所設けらる
偶然 境内に湧井在り
この清水を飲みて幽明異にする者多し
寔に哀愍の情に堪えず
茲に慰霊碑を改建して永く哀史を伝えんとす
昭和四十一年八月五日
東照宮宮司 久保田幸重誌
ふるさと似島(平和学習参考資料)<再編集版>(ふるさと似島編集委員会、19980701 )
章節 |
見出し |
備考 |
|
くすの木じいさんの話…表紙裏面 |
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|
はじめに |
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|
似島町全図 |
|
1 |
似島町の概要 |
|
|
(一)似島と広島市街地
(二)似島の地勢
(三)集落と交通機関
(四)人口と生業 |
|
2 |
「生業の推移と伝統文化の基盤 |
|
|
(一)船乗りの伝統…6
(二)砂利運搬…6
(三)船の変遷…6
(四)砂利運搬船の就業先…7
(五)船長と乗組員…7
(六)砂利運搬船の経営…8
(七)農業の盛衰…9
(八)漁業の盛衰…10
(九)カキ養殖…11
(十)伝統文化の基盤…12
(十一)市街地とのつながり「緊急避難港」…12
(十二)将来への展望 |
|
3 |
神社と説教場 |
|
|
(一)竃神社(かまどじんじゃ)…13
(二)胡子神社(通称浜の宮)…13
(三)似島説教場…14
(四)説教場前の石碑 |
|
4 |
年中行事 |
|
|
(一)初詣と正月三が日…15
(二)「とんど」と「おたんや」…15
(三)春の行事…15
(四)盆の行事と盆踊り…16
(五)秋の行事…16
(六)報恩講…16
(七)日曜学校…17
(八)餅まき…17
(九)似島の春…17
・似島で生まれた洋画家 |
|
5 |
教育・福祉施設 |
|
|
(一)似島保育園…19
(二)似島小学校…19
(三)似島中学校…20~22
(四)社会福祉法人「似島学園」…23
(五)広島市似島臨海少年自然の家…24
(六)社会福祉法人「広島平和養老館」 |
|
6 |
合同庁舎とその他の施設 |
|
|
(一)似島合同庁舎…25
(二)似島診療所…25
(三)広島市水上消防署似島出張所/救助艇…26
(四)広島市南区役所似島出張所…27
(五)広島似島郵便局…27
(六)広島南警察署似島警察官駐在所…27
(七)広島市農業協同組合…28
(八)似島地区海運組合…28
(九)広島市漁業協同組合似島地区 |
|
7 |
宿泊施設 |
|
|
(一)瀬戸内「高見亭」…29
(二)マリンペンション「にのしま」…29
(三)貸荘「山田荘」…29
(四)貸荘「大下荘」…29
・ガイドマップ |
|
8 |
連絡船の変遷 |
|
|
(一)第十五小富士丸…31
(二)こふじ…32
(三)第二こふじ…32
(四)第三こふじ…32
(五)第五こふじ…33
(六)第八こふじ…33
(七)第十こふじ |
|
9 |
似島と平和教育 |
|
9-1 |
(1)戦争と広島…34
(2)戦争と似島…34~35
(3)原爆戦炎と似島…35
イ、炸裂の時…35
ロ、救護活動…35
ハ、火葬と埋葬…35~36
ニ、収容者数と来訪者…36
ホ、原爆孤児…36
・軍都広島と似島の略年表…36
・似島が「最期の地」となった李(ウ)公殿下…38
・原爆による似島の被害と被害者/被爆直後の絵図…39
・平和学習『似島』フィールドワーク…40
・第二検疫所の略図 |
|
9-2 |
戦争と伝染病 |
|
|
(1)戦後防疫の建議…42
(2)検疫部の官制…42-43
(3)検疫所の建設…43
(4)蒸気消毒缶の成功…43~44
(5)検疫兵の訓練と凱旋兵の教育…44-45
(6)検疫の作業順序…45
(7)白山丸のコレラ…46
(8)大暴風雨到来…46
(9)世界最初のコレラ血清療法創始…46~47
(10)検疫所の成果/後藤新平伯 |
|
9-3 |
似島検疫所と原爆と |
|
9-4 |
写真で見る当時の検疫所 |
|
|
・似島のドイツ軍捕虜とサッカー…57
・掃海艇「にのしま |
|
9-5 |
写真で見る似島の遺跡 |
|
10 |
似島を探る |
|
|
(一)日本列島の誕生と陸地であった瀬戸内海…63
(二)似島の生活のはじまり…64~65
(三)似島の由来…65
(四)「仁保村志」より似島を探る…66~67
(五)似島の古い地名とそのいわれ…68~69
(六)似島全戸の分布状況…70~71
(七)聞き取りにより似島を探る…72~74
(八)似島の方言(似島弁)…74
(九)「沿岸部の音頭」より似島の音頭を探る…75
(十)「沿岸部の秋祭り」より似島の秋祭りを探る |
|
11 |
似島のあゆみ(年表) |
|
|
似島の各推移状況 |
|
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編集に際し、参考・参照・引用した文献 |
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おわりに |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。