かけはし(YMCA国際平和研究所通信)
号 | 発行年 | 備考 |
1 | 19840701 | P(ピカ資料研究所所蔵) |
相原和光 | 生命の自由を私たちの手に | |
2 | 19841001 | P |
今堀誠二 | YMCA国際平和研究所の緊急の任務 | |
3 | 19850101 | P |
栗野鳳 | 全人類的課題にどうとりくむか | |
4 | 19850401 | P |
福田垂穂 | 青年による平和のネットワークを―国際青年年のはじめに | |
5 | 19850701 | P |
河村盛明 | ひろがる平和都市連帯 |
かけはし(YMCA国際平和研究所通信)
号 | 発行年 | 備考 |
1 | 19840701 | P(ピカ資料研究所所蔵) |
相原和光 | 生命の自由を私たちの手に | |
2 | 19841001 | P |
今堀誠二 | YMCA国際平和研究所の緊急の任務 | |
3 | 19850101 | P |
栗野鳳 | 全人類的課題にどうとりくむか | |
4 | 19850401 | P |
福田垂穂 | 青年による平和のネットワークを―国際青年年のはじめに | |
5 | 19850701 | P |
河村盛明 | ひろがる平和都市連帯 |
『広島大学の50年』(広島大学50年史編集専門委員会・広島大学50年史編集室編、広島大学、19991105)
備考 | ||
刊行のことば | 原田康夫(広島大学長) | |
広島大学歌・ | ||
目次<東広島キャンパス航空写真> | ||
光をもとめて-廃墟からの出発 | ||
1 | 広島大学の源流 | |
2 | 原爆被害と復興 | |
3 | 広島大学の開学 | |
4 | 大学院・専攻科の発足 | |
5 | 分散キャンパスの整理 | |
6 | 校舎・施設の新築 | |
光のなかで-青春の広島大学 | ||
7 | 入試・入学-キャンパスに桜 | |
8 | 女子学生・社会人学生-学生の多様化 | |
9 | 一般教育・教養的教育-問われ続ける「教養」 | |
10 | 授業の風景-頭と身体を使って | |
11 | オリエンテーション-ようこそ広大へ | |
12 | スポーツ-体育会とレジャー | |
13 | 文化系サークル-学生生活の彩り | |
14 | 学生自治-「ダンコウ」って何ですか? | |
15 | 平和-ヒロシマを考える | |
16 | 衣-角帽から茶髪へ | |
17 | 食-安いのが一番 | |
18 | 住-四畳半からフローリング・エアコン付きへ | |
19 | 大学祭-「独立をわれらの国に」から「PLEASURE」へ | |
20 | 学生街-集う・飲む・歌う | |
21 | 留学生-ヒロシマで学ぶ、ヒロシマが学ぶ | |
22 | 卒業・就職・同窓会 | |
光とともに-発展する広島大学 | ||
23 | 総合科学部-新しいパラダイムの創出 | |
24 | 文学部-人間の根源をたずねて | |
25 | 教育学部-教育の総合的研究をめざして | |
26 | 学校教育学部-教育実践に心をよせて | |
27 | 政経学部から法学部、経済学部へ -地域に根ざした社会科学をめざして |
|
28 | 理学部-自然の真理を求めて | |
29 | 医学部-医療の新しいかたちを求めて | |
30 | 歯学部-歯学の新たな展開をめざして | |
31 | 工学部-科学技術の開発をめざして | |
32 | 水畜産学部から生物生産学部へ-食糧を科学する | |
33 | 大学院の再編-新たな学問領域の開拓 | |
34 | 理論物理学研究所・原爆放射能医学研究所 | |
35 | 附属図書館-知の集積 | |
36 | 附属学校-研究と教育の結節点 | |
37 | 事務組織-大学を支えてきた職員たち | |
光あふれて-挑戦する広島大学 | ||
38 | 改革の季節 | |
39 | 統合移転の計画 | |
40 | 西条への移転 | |
41 | 部局を越えた共同教育研究施設 | |
42 | 研究基盤の充実 | |
43 | 学術研究の成果 | |
44 | 地域社会とともに | |
45 | 地域の教育を支える | |
46 | 産業界との連携 | |
47 | 国際学術交流 | |
48 | 国際化への対応 | |
49 | 進む情報化 | |
50 | 社会への発信 | |
卒業生10万人 | ||
年表 | ||
年 | ||
1874 | 創立前史 | |
1950 | 森戸辰男(初代学長) | |
1963 | 皇至道(第2代学長) | |
1966 | 川村智治郎(第3代学長) | |
1969 | 飯島宗一(第4代学長) | |
1977 | 竹山晴夫(第5代学長) | |
1981 | 頼実正弘(第6代学長) | |
1985 | 沖原豊(第7代学長) | |
1989 | 田中隆荘(第8代学長) | |
1993 | 原田康夫(第9代学長) | |
出典一覧 | ||
編集後記 | 頼祺一(編集専門委員会委員長) | |
広島大学50年史編集専門委員会 | <・・・宇吹暁・・・> | |
広島大学50年史編集室 |
『消えたペン-新聞労働者の8月6日』(中国新聞労働組合編 、汐文社、19880718)
目次
頁 | 項目 | 備考 |
003 | はじめに | 中国新聞労働組合不戦の碑実行委員会 |
009 | 炎熱のもとで取材したこと | 大佐古一郎 |
019 | <記録>新聞労働者の1945・8・6 | |
相川愛子さん(21) 相原利夫さん(23) 有馬軍治さん(25) 井川勝雄さん(28) 伊藤音三郎さん(29) 石井道子さん(32) 石井諒一さん(36) 出雲初一さん(39) 今田レツさん(42) 今出良秋さん(44) 上田照子さん(46) 後チサ子さん(50) 小野一明さん(53) 落窪ミカさん(55) 神田留次郎さん(57) 本原フサヨさん(59) 北山一男さん(63) 串本誉さん(65) 桑原玉江さん(67) 小迫周蔵さん・美律枝さん(68) 小谷増夫さん(70) 河野秀三さん(72) 佐伯カメさん(84) 佐上美代子さん(77) 佐々木猪勢治さん(80) 佐瀬実さん(84) 坂本定造さん(86) 下本キクエさん(88) 下江達重さん(91) 新城朝子さん(96) 杉野勝吉さん(97) 高田久子さん(100) 竹前省三さん(102) 千葉恭子さん(105) 寺尾政之さん(107) 寺本簫三さん(108) 戸田正記さん(111) 伴谷ヤスヨさん(112) 中井ヨシヱさん(114) 中野勝正さん(115) 仲伏一之さん(118) 中村正男さん(121) 難波くみ子さん(124) 西村静一さん(126) 馬場謙一郎さん(128) 橋本令一さん(130) 桧山八重子さん(132) 平本ウメ子さん(134) 深川庄三郎さん(136) 福井ミツヱさん(137) 藤勇哲さん(140) 法安雅次さん(143) 細川儀一さん(146) 前田英子さん(148) 三木芳郎さん(150) 三田久ニさん(152) 三好友太郎さん(155) 水原智識さん(157) 宮武松三郎さん(161) 宮本軍一さん(163) 宮本澄香さん(165) 宮本藤吉さん(166) 望月慶三さん(168) 矢田茂さん(170) 保田博さん(173) 山井治吉さん(176) 山根喜美子さん(179) 山本利さん(181) 横田怐治さん(185) 横山隆ニさん(186) 吉田芳夫さん(189) 若林ツネヨさん(190) | ||
192 | 藤間侃治(合同新聞=現山陽新聞) | |
196 | <座談会>「不戦の碑」運動と犠牲者遺族取材を通して | |
204 | 戦時編集局の八月六日 | ト部清隆 |
209 | 逝ってしまった先輩たち | 兼井亨 |
214 | 原爆と私 | 下住忠 |
218 | 涙でうるんだファインダー | 松重美人 |
224 | おわりに | 浅井幹夫(中国新聞労働組合執行委員長) |
『ひろしま今昔-’80広島市政指定都市記念』(広島市公文書館編、広島市、19800904)
目次
章 | 項目 | 備考 |
ごあいさつ(荒木武) | ||
ポスター・公文書・写真にみる広島90年 | ||
1 | 明治の広島と市制誕生 | |
2 | 軍都のはじまり | |
3 | 都市の発達 | |
4 | 教育の発展 | |
5 | 不況の波と大戦の足音 | |
6 | 戦時体制の進展 | |
7 | 国民精神総動員 | |
8 | 大戦の勃発 | |
9 | 敗戦への道 | |
10 | 広島の昭和20年 | |
11 | 被爆後の市民生活 | |
12 | ヒロシマの声 | |
13 | 復興にむかって | |
14 | 建設のひびき | |
15 | 広島の発展 | |
市民による広島市の新しい美の発見 | ||
選者評 | ||
広島のあゆみ(年表) | ||
広島市の行政区画 | ||
160 | あとがき(小堺吉光) |
『ひろしま 市制90周年記念』(広島市長室広報課、1979/04/01)
目次
頁 | 項目 | 備考 |
03 | 市制90年を迎えて | 荒木武(広島市長) |
04 | 平和のあゆみ | |
06 | 座談会-あすの広島を考える | 荒木武・今堀誠二・大牟田稔 |
10 | 市民50人の提言 | |
14 | 市制90周年・広島のあゆみ | |
21 | 間近にせまる政令指定都市広島 | |
23 | 広島の都市像-国際平和文化都市 | |
24 | 計画の基本的な考え方 人口・市民所得 | |
25 | 土地利用構想 施策体系 | |
26 | 世界平和をめざすまちづくり | |
自然を守り、生かすまちづくり 27 安全で、快適なまちづくり 28 健康で、幸せに暮らせるまちづくり 33 |
||
36 | 広島案内図 | |
豊かな人間性をはぐくむまちづくり 38 安定した生活のできるまちづくり 43 市民の連帯感と強度愛にささえられたまちづくり 47 |
||
48 | 平和・姉妹都市 | |
育て広島っ子たち 50 広島とスポーツ 52 スポーツ施設 53 広島の祭りと行事 54 広島の文化財・工芸品 55 広島の特産・味 56 広島の伝承-広島の民話 57 広島人気質・広島の民族 59 |
||
60 | 対談-広島人とは | 松元寛・小久保均 |
広島の方言 62 広島のおもな観光地 64 |
||
66 | 【資料】市の木=クスノキ、市の花=キョウチクトウ | |
67 | 【資料】広島市歌、ひろしま平和の歌 | |
『街と暮らしの50年-被爆50周年 図説戦後広島市史』(高橋衛監修 被爆50年記念史編修研究会、広島市総務局公文書館、19960331 )
頁 | 執筆等 | |
刊行によせて | (高橋衛) | |
第1部 写真でみる50年 | ||
003 | 1995年 平和宣言 | (平岡敬) |
006 | 広島の戦後は8月6日に始まった | |
017 | 被災調査と放射線障害 | |
019 | 占領軍と広島 | |
027 | お母さん僕はここに立っています | |
029 | 槌音が響き、街はよみがえる | |
033 | 家が建ち、笑顔がもどる | |
035 | 活気みなぎる駅前ヤミ市 | |
041 | 空から見た復興、昭和22年 | |
043 | 広島 2年目の夏 | |
048 | 街並みがよみがえる | |
051 | 街を考える | |
053 | 街並みを変える | |
059 | 一人もれなく投票だ | |
061 | 平和をデザインする | |
065 | 太田川改修工事 | |
069 | 市民の暮らしと住宅の戦後史 | |
073 | 復興した街 | |
075 | 郊外の都市化 | |
077 | 変わり行く都市空間 | |
079 | 新しい住・商空間 | |
081 | 戦後史のなかのランドマーク建築 | |
083 | 市民の台所をささえる | |
085 | 届かなかったはしご車 | |
089 | 都市圏の拡大と水道事業 | |
091 | ごみ非常事態宣言をこえて | |
095 | 市財政やりくりの記録 | |
097 | 政令指定都市への移行 | |
099 | 産業の復興 | |
101 | 朝鮮戦争特需から造船ブームへ | |
103 | 復興を実感した広島博 | |
105 | 自動車工業の戦後 | |
107 | あこがれのマイカー | |
109 | 高速経済成長と特産工業 | |
111 | 造船不況から航空機生産へ | |
113 | 統計でみる生活の一面 | |
115 | 農村のくらし | |
119 | 海辺のくらし | |
121 | まちのくらし | |
139 | 原爆ドームのある風景 | |
141 | 祭りと市民 | |
145 | 子どもの笑顔に未来が見えた | |
157 | 狭められた子どもの空間 | |
159 | ぼくらのまいにち | |
165 | 戦後スポーツのスタート | |
167 | たのしい運動会 | |
169 | 東京五輪から市民スポーツへ | |
171 | 輝かしき学校運動部 | |
173 | カープを見つめるひとびと | |
177 | 広島アジ競技大会 | |
181 | 原爆を描く | |
183 | 美術館 | |
185 | 美術展と美術賞 | |
187 | 原子雲の下の文学 | |
191 | 演劇半世紀のドラマ | |
195 | 市民と音楽 | |
199 | チケット50年 | |
203 | 地域のなかの公民館 | |
205 | 映像のなかの広島 | |
207 | 姉妹都市の歴史 | |
209 | カメラ少年の8・6 | |
211 | 原爆犠牲者の追悼 | |
213 | 被爆者援護 | |
217 | もえあがる反核運動 | |
219 | 広がる反核の波 | |
221 | 広島を訪れた外国人 | |
223 | 被爆体験を知らせる | |
225 | 体験を伝える | |
227 | 継承運動が広がる | |
229 | 被爆建物さまざまなその後 | |
231 | 新聞社会面のヒロシマ | |
233 | 切手の中の原爆 | |
235 | 町の中の「平和」 | |
239 | 平和記念式典のあゆみ | |
241 | 50年目の8月6日 | |
第2部 50年おもなできごと | 247~ | |
1945 | 8月6日のカメラマンたち/戦禍につづく冷風禍一枕崎台風/被爆直後の新聞報道 <残っていた戦時中の防火水槽 > | |
1946 | 復興審議会の設立と役割/本通商店街のあのころ一中山良一の遺稿から/食糧メーデー <雑草を食べて飢えをしのぐ > | |
1947 | 町内会・部落会・隣組の廃止一政令15号と市民生活一/初の公選市長・浜井市政の発足/「原爆十景」の選定 < 机がほしい、窓ガラスがほしい! > | |
1948 | 児童文化会館の建設/サマータイム/広島で生まれたエスキーテニス <戦後初のプロ野球試合 > | |
1949 | フロイド・シュモーと「ヒロシマ・ハウス」の建設/ノーマン・カズンズと国際精神 養子連動/海外布住者からの復興援助 <市民を悩ませた衛生害虫 > | |
1950 | 天気図がはじめて新聞に掲載される/開かれなかった平和祭/評判が悪かった平和祭/原爆ドームの史跡指定決議 <紙しばいが免許制になる > | |
1951 | 文化行事が盛んになる/第6回国民体育大会の開催 < 盗まれた平和の鐘> | |
1952 | 原爆死没者慰霊碑と碑文/戦後広島の演劇と広島民衆劇場 <バタンコの登場 > | |
1953 | 原爆文学論争 <ラ・パンセ像の出現> | |
1954 | ビキニ事件と原水爆禁止運動/被爆体験記の刊行が活発化 <中国大動物園の盛況> | |
1955 | 文化施設の落成/戸坂・中由・井口3村の編入合併 <本通りのオーニング倒壊> | |
1956 | 「原爆の子の像」の建立/原爆乙女の渡米治療 <テレビ劇場の登場> | |
1957 | 百メートル道路と供木運動/交通事故の激増とノークラクション運動/バスセンターの開業 <第1回春季赤ちゃんコンテスト > | |
1958 | 広島復興大博覧会の開催 <平和公園でホタル狩り > | |
1959 | ごみ焼却場の建設が始まる/ホノルル市との姉妹都市縁組 < 放水路工事で魚ピチピチ > | |
1960 | 原爆ドームの存廃論議/フェニックス号、広島に帰る <ユースホステルの開所 > | |
1961 | 広島空港の開港/「20歳の直言」募集始まる/戦後最大規模のメーデー <レジャーブーム到来> | |
1962 | 「交通地獄から「交通戦争」へ/「二都物語」の波紋 <広島市の動物園 > | |
1963 | 38年豪雪と過疎化の波/失業対策事業の45年 <ヘルスセンターの隆盛 > | |
1964 | 山陽本線の電化/原水禁運動の分裂と新しい展開 <東京オリンピックの聖火リレー> | |
1965 | -66 三篠川の氾濫/陸上自衛隊の観閲行進/広島民衆駅の落成と開業/的場町河岸の強制立ち退き執行 <しぐさの社会史> | |
1967 | -68 「原爆スラム」の火災と再開発/原爆ドームの保存工事完成/「原爆白書」運動と原爆被災資料広島研究会 <ミニスカートの大流行> | |
1969 | -70 大学紛争と広大統合移転/原爆記録映画を市民の手で <大阪万博の大盛況 > | |
1971 | -72 昭和40年代の広島市の公害/安佐動物公園の開園 <ポケベルの登場> | |
1973 | -74 広域合併の推進/米国からの被爆資料の返還 <歩行者天国} | |
1975 | -76 ごみ非常事態宣言/広島市植物公園の開園 <マンガブーム再び> | |
1977 | -78 ひろしまフラワーフェスティバル/広島市西部開発事業の展開 <市民菜園が大人気 > | |
1979 | 文化行政の展開 <アメリカの「船上デパート」寄港> | |
1980 | -81 政令指定都市広島の区名の決定/反核運動の新しい波10フィート連動/被爆瓦の発掘と「ヒロシマの碑」建立運動 <ドルトムント路面電車が広島に > | |
1982 | -83 反核20万人集会/相生橋の架けかえ工事/段原再開発の工事が始まる <週休2日制始まる> | |
1984 | -85 原爆死没者慰霊碑の改築/第1回ワールドカップ・マラソン広島大会/第1回国際アニメーションフェスティバル広島大会 <ハレー彗星を観る> | |
1986 | -87 旧国鉄宇品線の廃止/アストラムラインの建設 < 平和記念ポストが平和記念公園に> | |
1988 | -89 築城400年を迎えた広島城/海と島の博覧会開幕 <広島市現代美術館の開館 > | |
1990 | -91 アニメと反核/台風19号の襲来 <「カラオケ花見」の自粛を > | |
1992 | -93 米スミソニアン原爆展問題/新広島空港の開港毎 <サメ騒動 > | |
1994 | 広島アジア競技大会の開催/広島市立大学の開学 <カラカラ天気に泣く> | |
1995 | 広島市の被爆50周年記念事業 <ヒロシマエバヤマザクラ> | |
特論 | ||
323 | 1.占領下の広島 | 中川剛 |
325 | 2.プレス・コードとヒロシマ | 好村富士彦 |
327 | 3.講和条約と広島 | 宇吹暁 |
329 | 4.広島の復興をどうみるか | 石丸紀興 |
331 | 5.60年安保と広島 | 宇吹暁 |
333 | 6.戦後建築の変遷過程 | 杉本俊多 |
335 | 7.生活者からの都市づくり 阪神大震災から被爆後50年を考える | 船場正富 |
337 | 8.戦後市政の特質 | 中川剛 |
339 | 9.高度経済成長と市民生活 | 高橋衛 |
341 | 10.広島の美術50年 | 金田晋 |
343 | 11.広島と音楽 | 広島と音楽 |
345 | 12.市民の活動にみる 広島のアイデンティティ | 嶋陸奥彦 |
347 | 13.教室不足のなかの戦後教育 | 菅井直也 |
349 | 14.戦後の社会教育 | 新見豊 |
351 | 15.レジャーとスポーツの現在 | 新井貞光 |
353 | 16.被爆者援護とこの50年 | 宇吹暁 |
355 | 17.次の半世紀へ継承を考える | 石田信夫 |
357 | グラビア・50年目の広島 | |
379 | 写真図版リスト | |
382 | あとがき | (松林俊一) |
再版(20010731) | ヒロシマの音楽「一本の鉛筆があれば…」CD付 |
『図説広島市史』(広島市、19890401)
目次
頁 | ||
003 | 序(荒木武・広島市長) | |
004 | グラビア | |
012 | 第五師団の本営広島城 | |
013 | 昭和10年の広島市街 小町から紙屋町 | |
014 | 広島上空の原子雲 | |
015 | 広島市中心街 1989年 | |
図説編 | ||
019 | 広島の自然 | |
029 | 第1部 原始から広島築城まで | |
原始・古代 比治山貝塚と中小田古墳 30 国府と郡郷 38 |
||
中世の推移と広島築城 | ||
中世の動乱と安芸国 44 荘園・公領と地頭 46 産業と交通 48 文化と信仰 50 毛利氏の発展と広島築城 54 |
||
061 | 第2部 城下町広島 | |
福島・浅野の城下 | ||
福島正則の20年 62 浅野氏250年 藩政の確立 64 藩政の動揺 66 城下町の構造 広島の町割り 68 城郭 70 武家町 72 町人町 74 寺社 78 |
||
領国と城下町 水運(海運・船運)80 街道 84 耕地の拡大(新開)86 領国の産業 88 |
||
江戸時代の文化 | ||
学問と教育 92 文芸・美術・工芸 94 広島景観 97 祭礼・芸能・娯楽 102 広島と宮島 106 |
||
109 | 第3部 近代都市広島 | |
軍都の形成 | ||
幕末期の動乱 110 明治維新と広島湾 112 文明開化と都市の発展 114 市制と町村制の施行 116 日清戦争と軍隊 118 大正デモクラシーと社会事業 120 |
||
近代都市への変ぼう | ||
宇品築港と山陽鉄道の開通 122 都市施設の整備と拡充 124 合併と都市計画 126 広島の景観と風景 128 太田川改修と広島工業港建設 134 近郊の町と村 136 |
||
くらしと文化 | ||
出稼ぎと移民 138 商業 140 工業 142 農村・水産業 144 教育 146 体育・スポーツ 148 芸術と文化施設 150 娯楽と盛り場 152 衣・食・住 155 |
||
軍都の崩壊 | ||
158 | 15年戦争 | |
160 | 原爆被災 | |
163 | 第4部 平和都市広島 | |
164 | 平和都市への復興 | |
170 | 政令指定都市への道 | |
172 | 国際平和文化都市を目指して | |
概説編 | ||
176 | 広島のあゆみ | |
234 | 広島城の400年 | |
258 | 年表 | |
図説広島市史 付図 | ||
広島城下町絵図(江戸中期) | ||
広島町新開絵図(享保13 1728年) | ||
広島市街明細地図(明治20 1887年) |
『ヒロシマ HIROSHIMA 』(広島平和文化センター編・刊、19750718)
目次
<表紙説明>原爆慰霊碑 | ||
碑文は、広島大学教授雑賀忠義氏の筆によるもので、碑文の意味は、世界恒久平和を希求するヒロシマの心であり、人類としてあの過ちを再び繰り返してはならない、という反省と平和への誓いが込められている。 | ||
1 | まえがき | 荒木武(広島市長) |
2 | 原爆被災の記録<写真> | |
爆心地上空から | ||
市中心部を上空から | ||
御幸橋の上で | ||
御幸橋の上で | ||
専売局電停角 | ||
焼け野原 | ||
原爆ドーム | ||
萬代橋の人影と荷車の影 | ||
元安橋 | ||
日赤広島支部ビル | ||
本通りの時計台 | ||
旧護国神社の石灯ろう | ||
横河駅前付近 | ||
自動車の残がい | ||
丸焼けの市内電車 | ||
皆実町のガスタンク | ||
ダイダイ | ||
明治橋のヤツデ | ||
被爆者の伝言板 | ||
第2陸軍病院 | ||
大芝国民学校救護所 | ||
救援トラックの上で | ||
広島逓信病院 | ||
広島赤十字病院 | ||
目の治療 | ||
広島赤十字病院の治療 | ||
脱毛した婦人 | ||
死亡前の被爆兵士 | ||
焼きついた着物の柄 | ||
帽子の跡 | ||
心外景 | ||
頸部 | ||
竹 | ||
平瓦 | ||
人骨と瓦礫 | ||
3 | 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式 | |
『写真記録 原爆棄民 韓国・朝鮮人被爆者の証言 』(伊藤孝司、ほるぷ出版、19871015 )
目次
頁 | ||
001 | 植民地・強制連行 | |
朴昌煥 郡役所まで三菱が迎えに来ました 4 朴守龍 「朝鮮人が放火した」、ひどい大震災の流言 6 陳祐生 閃光がしてゴォーと爆風が来ました 8 李福南 9 裵又星 百姓しとるのに米の飯も食えんので下関へ渡ったとです 13 金判根 リヤカーを引いて古物商をしていました 14 梁基成 徴用令を受けて広島へ、日本人が恐ろしかったです 15 李哲鎬 三菱からは1か月分の給料だけしかもらっていない 15 鄭基障 日本の無条件降伏にみんなで泣きました 16 李永憲 行き先も知らされず、警察に連行されて日本へ 16 金應善 兵隊よりも、徴用で広島に行くほうを選んだのです 17 鄭永寿 19 尹永寿 だまされてパンパン屋に売られたんですよ 20 張泰熙 新聞でヒットラーの記事を見たとたん、ピカッと 26 朴?奎 教育勅語を暗記できないとバケツを下げて立たされました 27 呉鳳寿 土地も、言葉も取り上げた総督府 28 朱碩 日本人は酒を飲んでは放歌高吟し、女の人は外へ出るのもはばかられるほどでした 30 成洙南 挺身隊へ行くのをさけるため16歳で結婚させられました 32 金福連 主人も、娘も死んでしまいました 33 徐正雨 軍艦島では何度も自殺しようと思ったかわからんとです 34 金順相 雪が降ってもパンツ、腰巻きひとつで働かせられたとです 36 韓基俊 36 朴永分 「ひとりじゃ逃げる」言うて家族も呼ばれたんじゃ 39 崔月光 被爆のことはそりゃ口じゃ言わりゃせん 39 黄應八 船で日本に密航し、各地を転々としながら 40 金連順 勤労動員で野球の張本さんのお姉さんたちと作業していて 42 車基淳 42 李寿東 炭坑と戦争と原爆、3つの地獄を 45 鄭元達 みんなから「朝鮮人の刑事が来た」と言われました 47 尹参鉱 「朝鮮豚」とか言われながらも日本人と一緒に遊びました 47 金仁祚 二女、三女、そして長女、次々に死に、口の所にハエがたかり 48 金鍾具 飯場では豆粕やコーリャン、きびの飯で腹がへって 48 金敏経 徴用令が来て、目の前がまっ暗になりました 49 金在甲 浦上天主堂の坂で軍馬もろとも 50 張世澤 浦上刑務所で爆死した親方兄弟を捜して 53 白昌基 首に縄をくくられ、牛に引きずり回された朝鮮青年達の光景が脳裏に焼きついて 55 辛福守 わが子が燃えるのを、ただ見ているだけの地獄でした 55 李一守 建物疎開の勤労奉仕に出て原爆にあいました 58 甲喜植 一週間、防空壕に寝たきりで 59 金容福 韓国人ばかり働かせ、バカにするのです 63 |
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065 | 被爆 | |
玉牙伊 足も指がちぎれ、頭もおかしゅうなっとったけん、痛うもなか 69 崔英順 工場が崩れて2階にいたのに1階になってしまいました 71 李守龍 背中にいっぱいウジ虫がわき、火傷の痛みもひどかった 71 林玉仙 10歳で被爆、手足がしだいに萎縮して 72 金南出 もう死んだと思うたが、手足が動くので目をあけてみると 73 朴化玉 長崎港の船の上で閃光を 74 安永千 1か月ほど死体の臭いがしみついていました 76 金命今 魚の皮はいで地面に投げたような姿で兄弟は「自分の子がわからんかね」言うんです 78 鄭登明 顔と手に大火傷を負い、40年間ケロイドで苦しむ 81 裵玉連 息子を抱いて3階から飛び降りました 82 朴海鐘 ドーンという音でびっくりして飛び出すと、浦上の方が一面火を吹いていました 83 権億相 気を失って気がついたら24時間すぎていました 86 蘇閏生 原爆はすべてを変えてしまいました 88 姜和順 右腕をこれ以上悪くならないようにと切断しました 89 宗錞敏 ボンネットをのぞき込んでいると突然ピカッと 90 許南根 爆風のため転んで釘が右足に 90 朴水煥 高島炭坑と住吉トンネル工場で 91 金在鉉 天皇陛下のためと言われて徴用されて 92 金正玉 閃光を見た瞬間、目がくらんで気絶、火ぶくれに 92 安珉 飛行機が飛んできてシャツに黒いシミが 92 朴孟蓮 電車は満員だったのに、閃光を見たのです 93 宋年順 なかなか死ねずに、8月末まで畑に野ざらしでした 95 金基錫 お母さん、よく原爆の痛みに耐えて、生きていました 96 金判煕 宇品港から500人乗りぐらいの船で帰国しました 98 張乙生 「助けてぇ、助けてぇ」と言いながら、妻は息をひきとりました 100 姜岳只 原爆で5人の子どものうちふたり死んだ 101 金貞賢 身体はペラペラして真っ白い肉だけが見えました 102 崔乙龍どうもがまんができず、自分の小便を受けて飲んだんです 103 姜寿元 独立運動で投獄、広島刑務所で原爆に 104 金貞順 私は片目が飛び出し、従妹は行方知れずに 06 辛泳洙 自分の顔に手を当ててみると、目も鼻も口もとけて 109 朴泳[ユン] 兄貴の嫁ごは火葬して、骨は川の中に流したと 111 卞明奎 長女はどこかで生きていると思っています 112 車貞述 3回も戦争に巻きこまれて 114 姜小龍 9人兄弟のうち、3人だけが生き残って 114 鄭翼俊 死んだ息子を一日中背負っていました 115 黄在明 兵隊さんがおぶってくれて川にとびこみ助かった 116 朴且点 人間なのか、お化けなのか、とても口では言い表せません 117 金正子 「水ばください」「水ば飲まして」と着物の袖を 119 金宗丸 首とか手とかバラバラになって、内蔵がベラッと出とるんです 120 千今絡 「あんた、生きとったね」が、みんなのあいさつでした 123 金沢文子 魚を一匹分けてくれと言っても、絶対にくれなんだ 124 朴基煕 真っ黒焦げの骨があるだけで、誰が誰だか全然わからん 125 崔李澈 大腿骨無腐性壊死…たえず激痛が襲ってくる 126 徐允心 身体中にガラスがいっぱい刺さって、3日間何も食べずに 127 金相根 火傷し、頭が3倍くらい膨れていました 128 金達莫 息子は、まるで焼き魚のように…10日後に死にました 129 劉世銀 焼けていなかったのは手の平だけだった父 131 鄭翼判 「朝鮮人は早く朝鮮へ帰れ、帰れ」と言われ 132 |
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135 | 帰国・在日 | |
李順伊 小さな船で死ぬ思いをして釜山に帰って来たんです 137 李允載 娘たちが腰痛を訴えるのでかわいそうです。親が原爆を受けたことが原因ではないかと 138 李陽善 徴用で働いた報酬も受け取っていません。日本政府と三菱は早く補償すべきです 139 卞今順 原爆病院に入院してもう16年になります 141 韓明丁 もし今後、治療できなければ早く死にたいです 142 柳沢蓮 朝鮮語はわからず、友達にいじめられ「日本に帰ろう」と泣いた 142 鄭斗鎮 妻も死に、やぶれかぶれの気持ちで帰国しました 145 蘆長寿 弟は、帰国船が台風で沈没し、弟は行方不明になりました 146 李実根 反戦ビラまき、非合法生活、そして朝鮮人被爆者運動に奔走しています 149 朴玉順 差別や抑圧に屈せずに 150 李必伊 日本で治療したい、生活は苦しい 152 白敬伊 いちばん望んでいるのは息子を日本で治療させることです 152 李貞秀 胃を手術して取り、楽じゃないです。ほんとに働きずくめの一生ですよ 156 李順出 姉は1960年に、兄は61年に、そして父は63年に死にました。みんな同じ病気でした 157 全相鶴 渡日治療で6か月いたら、政府の約束だとむりやり出されました 158 姜文煕 肉親の眠る広島を去ることができず 159 金判伊 広島と韓国で2回も爆撃を受け、もう戦争はこりごり 160 李大奎 ヤミ市、密造酒、とばく…とにかく生きるためには何でもやった 161 鄭長寿 私は病気の袋みたいで、いっそ死んでしまったら痛みもなくなるのではと思います 164 尹桂花 日本人であれ、韓国人であれ、心の痛みは同じです 164 李種善 願うことは、私と子どもの病気が治ること 164 尹成相 家内と赤ん坊、弟の骨が大橋の道路の下に 166 李壽英 身体がかゆく変になれそうで、こすると水のようなものが出ます 167 金永宅 2度と戦争の起こらぬよう願いたい 167 郭貴勳 日本人の医者が「韓国人のために負けた」と言うのです 167 金分順 帰国しても働けず、義母に追い出される始末です 168 金義祚 原爆の被害者は世界平和の人柱です 169 姜桂浩 娘、息子と死に、妻は気がおかしくなり 170 尹貞順 夫は日本での生活を一切口にしないまま死んだ 171 金永根 故郷についても物乞いをし、ごはんをもらって歩きました 172 厳粉連 被爆者を放置して、どんな世界平和があるのでしょうか 175 李三守 日本人の被爆者と同じ扱いをしてほしい 178 崔貿先 夫と離ればなれになり、母子3人で帰国 179 朴海潤 農繁期がきても軽い仕事しかできません 180 鄭翼俊 死んだ子供を一日中、背負って 180 李貞守 日本が戦争をしなかったら、こんなにならなくてすんだんのです 180 李奇相 這うて便所へ行くと「アイゴー、アイゴー」という声が 182 車小道 母は隣家の下敷きになり死んでしまいました 184 朴守福 こんな重たい十字架を負っているより、いっそ死の道をと 184 金伊述 私はこの地獄が恐ろしうて 186 林福順 韓国の被爆者は、あの日のヒロシマを背負っているのです 188 金玉連 足の痛みがひどく、右大腿部より切断しました 190 鄭正玉 娘が生まれ喜んだのもつかのま、精神がおかしいのです 190 李舜伊 韓国に帰りましたが治療もできず、火傷に味噌をつけたりして 191 金漢相 農業、運転手、そして警備員 191 韓鳳愚 ヤミ舟を雇って帰国、両親はもう死んだと思っていたので涙流して喜びました 192 金福姫 夫は私のケロイドのことは知らずに結婚し「だまされた、だまされた」と口ぐせのように言っていました 194 白麟基 韓国に原爆病院を建設して下さい 195 白鳳鶴 うちゃ、生きとってもええことはひとつもないよ。生きとるのいやじゃ 197 |
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安永根 204呉玉振 204姜錫作 204林[イ]生 205朴南淳 205姜貞順 205尹基先 205黄徳禮 205李碩圖 205金喆基 205姜基達 205姜五龍 205 金九鳳 206李賓? 206申徳培 206趙判石 206李宝鉉 2O6安永宣 206申基殖 206金甲順 206 朴鐘来 207李炳[ ] 207朴甲述 207李点柱 207李勝子 207曺澄子 207 姜点龍 208都宗義 208郭順[ヨン] 208尹永益 208金根秀 208呉尚粉 208 李宗仙 209鄭好任 209韓基淑 209宗栄彬 209沈快興 209 尹春鉱 210黄秋子 210李寿元 210朴連順 210朴奉変 210 |
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213 | 韓国・朝鮮人被爆者―その歴史と存在の意味(鎌田定夫) | |
231 | 原爆棄民・関係年表 | |
235 | 作詩●追悼(鎌田定夫) |
『科学者と平和 三村剛昻先生遺稿集』(三村剛昻先生遺稿収録委員会、196710)
内容
No. | タイトル | 出典 | 年月日 |
まえがき 196710 三周忌を目前にして | 遺稿収録委員会 | ||
01 | 原子力への夢 平和利用で理想郷 ”戦争などなくなるよ” | 夕刊朝日 | 195001 |
02 | 「新春放談:原子力時代」 共産社会はだしの天国 つらいかな経済も科学もしばる | 夕刊朝日 | 19500103 |
03 | 放談リレー 科学の巻 「足らぬ利力の結集 科学活動を無制限にやれ」(小島丈児との) | 中国 | 19500521 |
04 | 秋の角度・天体 「理論創造の時期」 | 夕刊朝日 | 19510929 |
05 | あれから8年 原爆の日と科学者 | 毎日 | 19530806 |
06 | 学芸 平和への道 | 朝日 | 19530807 |
07 | サクレツ高度と被害を予言 洗礼受けた原子学者三村博士語る | ||
08 | ビキニの灰と広島の灰 | 毎日 | 19540602 |
09 | 読者の会議室「原水爆と日本人」 | 毎日 | 19540724 |
10 | 平和をめぐる論争 体験者だけにわかる原爆の恐怖 ユネスコばりの発言(森戸広大学長)に批判 | 毎日 | 19540801 |
11 | いろいろの原子炉 | 毎日 | 19550627 |
12 | 一分間講座:酔生夢死の徒 | (?19560313) | |
13 | こたつ談議「社会改造」?(竹原書院図書館長・三村剛昻) | 19601204 | |
14 | 第2回科学者京都会議開く 広島県竹原で キューバ以後の情勢など 三テーマを柱に討論 | 読売 | 19630508 |
15 | 私のいいたいこと 科学者京都会議に寄せて | ? | |
16 | ヒロシマに被爆して18年 ちょっぴり希望がもててきた人類の滅亡からの救い | 毎日 | 19630806 |
17 | わたしの散歩道 竹原・広大研究所の庭 雨によく風また楽し | 朝日 | 19641129 |
18 | 科学の発達と人類の幸福 | 学校教育臨時増刊号 | 1954 |
19 | 原・水爆と原子炉 | 学校教育8月号 | 1955 |
20 | 特別寄稿:科学技術の現状と将来 | 廿日市高校研究論集第2号 | 1956 |
21 | ブックレビュー「死者の声」 | 自然 | 195403 |
22 | 通信 | ヒロシマ医学第9号 | 1956 |
23 | 原子力発電の今後の動向 | 火力発電12月号 | 1959 |
24 | 原子力問題に関する討論ー学術会議第13回総会における | 自然1月号 | 1953 |