『原水爆時代 現代史の証言(下)』(今堀誠二、三一書房、19600806)
章 |
節 |
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Ⅴ |
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崩れぬ平和をかえせ |
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あるブルジョアの一家 |
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三吉の少年時代 |
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原爆の日より |
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広島日鋼争議 |
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平和大会と「われらの詩」 |
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朝鮮戦争への抵抗 |
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砲声下の原爆詩集 |
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平和運動の組織化へ |
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美しい生涯と原爆症 |
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生きている峠三吉 |
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Ⅵ |
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朝鮮戦争に抗して |
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1 |
原爆禁止運動の烽火 |
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原爆は世界をゆるがす、歴史の暗転期1949年、公安条例の舞台裏、イールズ声明と原子戦準備、平和擁護広島大会、ヒロシマは原子兵器の廃棄を要求する、もえあがっていた市民の願い、婦人運動と原爆理解、青年運動と青年教師、歴史の重み、平和擁護東京大会も原爆禁止を要求、国際的評価について |
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2 |
ストックホルム・アピール、原爆戦争にうち勝つ |
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広島平和擁護委員会、牧師・教授も平和委へ、開戦前のSアピール、朝鮮戦争を企てた人、戦時下の言論統制、広島平和委の弱体化、大会を支えるもの、8・6大会の前哨戦、大会の記録、巧妙を極めた非合法集会、共産党の分裂と大会のありかた、平和擁護日本委員会、第三次大戦を防止した8・6大会、枯尾花戦争とトルーマンの原爆使用声明、ワルソー大会と世界平和評議会、平和運動、原爆使用を阻む、朝鮮戦争は天佑か、日本戦没学生記念会、立ち上がった青年団、Sアピール運動掉尾を飾る、立ち上れない労働者、労働者の意識構造、ある詩人のねがい、 |
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3 |
流星光底長蛇を逸す |
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マスコミへの注文、国民運動の目標、全面講和運動、ベルリンアピールをめぐって、即時停戦が必要だったのに、マ元帥の解任、朝鮮停戦交渉の舞台裏、平和運動の良心と責任、レジスタンス、平和の闘士団、署名運動と組織強化、警官包囲下の8・6大会、平和戦線とは何か、平推の消長、単独講和と二挺拳銃の平和記念祭、踏まれてもけられても、情勢判断を誤った平和運動、 |
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4 |
冬の旅を行く |
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Ⅶ |
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人命は冷戦より尊い |
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1 |
原水協のうまれるまで |
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ビキニ事件、原水爆にたいする国民のいかり、杉並アピール、アピール運動の性格、全国協議会の結成、原水爆禁止運動広島協議会、8・6広島平和大会、広島大会の提案、署名運動の意義、日本原水協の成立、 |
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2 |
輝かしい啓蒙-ヒロシマ大会 |
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10年前と同じ時間に同じ場所で、鳩山首相の立場、アメリカ人の願い、平和を願うものと願わないもの、原爆被害者の生活と意見、アメリカ民衆との共同戦線、学者の役割、大衆のものとなった運動、禁止運動、救援運動に結びつく、基地問題と運動の進め方、歴史をになうもの、組織上での暗影、署名運動および大会の評価、 |
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3 |
原水爆戦略との対決をめざして-ナガサキ大会 |
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世界を動かす原爆禁止の声、参加した人々、国際連帯の花の輪、危機は去らない、沖縄は日本を制圧するための基地でもある、渡辺千恵子氏の発言、被爆者のなやみと喜び、原子力の平和利用、運動のすすめ方、 |
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4 |
フォールアウトとロケット基地にいどむアジア民族主義-第三回大会 |
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地方での大会風景、国際的な予備討議、世界の期待をあつめて、演説のかずかず、失敗した議事運営、政治ととりくむ禁止運動、大会運営の問題点、高い指導と全国民の参加を、原水協の苦悩、歴史のうねり、 |
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5 |
東西の兵力引離しと日本の非核武装化のために-第四回大会 |
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総選挙に敗れた原水協、ICBMは世界を変えた、欧米の運動NATOをゆるがす、核武装と国民の批判、核武装した自衛隊と米軍基地、国民生活の圧迫と被爆者の援護、日本人はアジアを見損なっている、運動の進め方の評価と反省、国際会議は成功したか、政治目標を明示した宣言と決議、原水協の強化と世界の命運、 |
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6 |
東西融和の促進と安保改訂-第五回大会 |
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原水爆時代のマニュフェスト、大衆は平和行進と大会を支持した、自民党と右翼のおもわく、大会内部の右翼的偏向、大会における左翼的偏向、東西融和の具体策を欠く、 |
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7 |
世界大会への批判と妨害と謀略-一部外国代表の思想と行動 |
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ヤング卿らの脱退劇、理由は無理に作られた、ものにならなかったスクープ、第三回大会の妨害者、第四回大会の妨害はなぜおこったか、第五回大会の工作者と同調者、大会と朝鮮人 |
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|
Ⅷ |
|
新紀元は始まる |
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一発で地球を全滅させる爆弾、戦争の準備をはじめた平和産業、日本と沖縄の核武装はすすむ、安保条約は朝鮮戦争の落とし子、新安保はアメリカの要求、新安保に託する岸・藤山の夢、アジアは新安保に反対する、頂上会談はなぜ流れたか、新安保の国会採決は冷戦激化の謀略、冷戦を終らせる道、ヒロシマの十字架から新紀元は始まる |
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あとがき |
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上巻は庶民の動きを中心として叙述を進めた。
下巻もそのつもりで草稿をまとめ、朝鮮戦争以後における原爆被災者・青少年・婦人・学者・ジャーナリスト・芸術家(美術・文学・演劇)・労働者・農民・漁民などが、どんな役割を果たしてきたかをあとづけるつもりだった。 |
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|
運動の発展をみつめるとともに、それを妨げる社会の壁を、写し出すことが、ねらいとなっていた。 |
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|
しかし、安保問題の発展につれて、この計画は根本的に変更せねばならなくなった原水爆禁止運動は、国際政治の変転につれて、重大な段階にさしかかり、国内政治の面でも、高度の政治性を帯びるに至ったので、庶民の動きという間接描写の方法では、焦眉の問題に焦点を合せることが、出来なくなってしまった。 |
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|
今からの一、二年間は、原水爆時代を終らせるチャンスであるとともに、原水爆戦争のピンチともいえる。 |
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|
本書が政治技術を中心として、運動の展開をあとづけることにしたのは、正しい政治路線の発見に、ささやかながらも資料を提供したいと考えたからである。 |
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『原水爆時代 現代史の証言(上)』(今堀誠二、三一書房、19590721)
章 |
節 |
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登場人物 |
備考 |
Ⅰ |
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ピカドンに死なず |
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幽鬼の町ヒロシマ |
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今堀誠二 |
山口県の西北海岸、一兵士。 |
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古賀八重子 |
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少国民の最後 |
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|
「菩提樹」をうたう少女 |
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敗戦を飾る犠牲者の美 |
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世界の良心は告発する |
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ピカドンに屈せず |
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|
古賀八重子=その後沖原氏と結婚。呉でしあわせな家庭。 |
Ⅱ |
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占領軍に屈せず |
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1 |
第二の誕生 |
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「生ましめん哉」 |
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栗原氏と「中国文化」 |
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栗原貞子、栗原唯一、猪熊弦一郎、細田民樹 |
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プレスコード下の最初の刊行物 |
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|
『中国文化』創刊号 |
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ヒロシマは歴史の証人 |
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2 |
ざんげの道 |
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悲嘆の日記「さんげ」 |
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トマトをめぐる母子の悲歌 |
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守られた非合法出版物 |
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死の商人のざんげ |
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地球を動かす支点 |
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警告ビラは回収された |
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|
3 |
無欲の顔 |
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村にきたジープ |
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|
原爆について語るな |
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作家の眼がとらえた「屍の街」 |
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無欲顔貌 |
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|
人間の精神はボロになった |
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平和をかえして下さい |
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いまだ癒えぬ傷あと |
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4 |
原爆エレジー |
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原子野に咲いた「夏の花」 |
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|
壊された詩碑 |
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|
忘れかけたあの日の記憶 |
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「長崎の鐘」 |
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|
原爆エレジーの流行 |
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5 |
よみがえった記録映画 |
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映像になった記録 |
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|
占領軍の撮影禁止 |
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生きていたプリント |
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|
公開された被爆写真 |
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6 |
科学者の道 |
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|
廃墟に芽ばえた国民の科学 |
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災害調査はじまる |
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|
奇病の発生第二期症状 |
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|
病理へ振るうメス |
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|
全滅した劇団「桜隊」 |
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|
都築氏の活躍 |
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|
世界最初の原爆症講演会 |
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原爆症救護病院 |
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|
山津波にのまれた京大班 |
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|
災害調査研究特別委員会 |
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|
きびしい原爆の秘密保持 |
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|
撤去された研究施設 |
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|
原爆はGHQのタブー |
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|
終戦の日に始った原爆戦争の準備 |
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|
恐るべき後遺症 |
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|
原爆症とは何か |
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被爆者はABCCのモルモットか |
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|
原爆禁止は科学者の道 |
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|
Ⅲ |
|
ノー・モア・ヒロシマ |
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|
1 |
原爆は戦争ではない |
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|
広島に向った青い眼の記者 |
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|
死臭と敵意の中で |
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|
ヒロシマからの報告 |
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人類よ!広島をくり返すな |
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|
原爆患者の存在を抹殺 |
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勝利した官製ニュース |
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|
二つの原爆処理方式 |
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科学者の「十字軍」 |
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|
2 |
人道主義と反戦主義 |
|
|
|
全米を震撼させた実話小説 |
|
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|
「ヒロシマ」の主人公たち |
|
|
|
人道主義の原爆否定 |
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|
同情はごめんだ |
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|
|
アメリカの盲点 |
|
|
|
世界連邦主義 |
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|
ピース・センターと精神養子 |
|
|
|
原爆乙女の厚生 |
|
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|
憤激をかったルーズベルト夫人 |
|
|
|
原爆乙女は立証する |
|
|
3 |
平和祭 |
|
|
|
広島平和復興祭 |
|
|
|
46・7年の世界の動き |
|
|
|
マ元帥の教書と「平和宣言」 |
|
|
|
原爆をとりあげたアメリカの新聞 |
|
|
8・6をカーニバルにするな |
|
|
世界でもたれたヒロシマ・デー |
|
|
貧弱だった「原爆否定の研究室」 |
|
|
平和こそ女性の幸福の源 |
|
|
原爆外交と広島の復興 |
|
|
大衆から浮いた平和祭 |
|
|
|
|
4 |
偏見を乗り越えて |
|
|
|
東洋にかけるアメリカの橋 |
|
|
クエーカーの絶対平和主義 |
|
|
シュモー氏の「広島の家」 |
|
|
私は共犯の屈辱を抱いてここに立つ |
|
|
神よ平和を来らし給え |
|
|
むずかしい平和住宅の運営 |
|
|
ブ夫人の公民館 |
|
|
平和運動を離れた「広島の家」 |
|
|
平和精神をうらづけるものは何か |
|
|
シュ氏のピントの甘さ |
|
|
ブ夫人への一票は原爆防止の一票 |
|
|
|
|
Ⅳ |
|
過ちは繰返しませぬ |
|
|
|
殴殺されたアメリカ兵 |
|
|
恩讐を越えた供養塔 |
|
|
原爆で死んだ異国の人 |
|
|
安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから |
|
|
|
|
|
あとがき |
|
|
かけはし(YMCA国際平和研究所通信)
号 |
発行年 |
備考 |
1 |
19840701 |
P(ピカ資料研究所所蔵) |
|
相原和光 |
生命の自由を私たちの手に |
2 |
19841001 |
P |
|
今堀誠二 |
YMCA国際平和研究所の緊急の任務 |
3 |
19850101 |
P |
|
栗野鳳 |
全人類的課題にどうとりくむか |
4 |
19850401 |
P |
|
福田垂穂 |
青年による平和のネットワークを―国際青年年のはじめに |
5 |
19850701 |
P |
|
河村盛明 |
ひろがる平和都市連帯 |
『広島大学の50年』(広島大学50年史編集専門委員会・広島大学50年史編集室編、広島大学、19991105)
|
|
備考 |
|
刊行のことば |
原田康夫(広島大学長) |
|
広島大学歌・ |
|
|
目次<東広島キャンパス航空写真> |
|
|
|
光をもとめて-廃墟からの出発 |
|
1 |
広島大学の源流 |
|
2 |
原爆被害と復興 |
|
3 |
広島大学の開学 |
|
4 |
大学院・専攻科の発足 |
|
5 |
分散キャンパスの整理 |
|
6 |
校舎・施設の新築 |
|
光のなかで-青春の広島大学 |
|
7 |
入試・入学-キャンパスに桜 |
|
8 |
女子学生・社会人学生-学生の多様化 |
|
9 |
一般教育・教養的教育-問われ続ける「教養」 |
|
10 |
授業の風景-頭と身体を使って |
|
11 |
オリエンテーション-ようこそ広大へ |
|
12 |
スポーツ-体育会とレジャー |
|
13 |
文化系サークル-学生生活の彩り |
|
14 |
学生自治-「ダンコウ」って何ですか? |
|
15 |
平和-ヒロシマを考える |
|
16 |
衣-角帽から茶髪へ |
|
17 |
食-安いのが一番 |
|
18 |
住-四畳半からフローリング・エアコン付きへ |
|
19 |
大学祭-「独立をわれらの国に」から「PLEASURE」へ |
|
20 |
学生街-集う・飲む・歌う |
|
21 |
留学生-ヒロシマで学ぶ、ヒロシマが学ぶ |
|
22 |
卒業・就職・同窓会 |
|
光とともに-発展する広島大学 |
|
23 |
総合科学部-新しいパラダイムの創出 |
|
24 |
文学部-人間の根源をたずねて |
|
25 |
教育学部-教育の総合的研究をめざして |
|
26 |
学校教育学部-教育実践に心をよせて |
|
27 |
政経学部から法学部、経済学部へ
-地域に根ざした社会科学をめざして |
|
28 |
理学部-自然の真理を求めて |
|
29 |
医学部-医療の新しいかたちを求めて |
|
30 |
歯学部-歯学の新たな展開をめざして |
|
31 |
工学部-科学技術の開発をめざして |
|
32 |
水畜産学部から生物生産学部へ-食糧を科学する |
|
33 |
大学院の再編-新たな学問領域の開拓 |
|
34 |
理論物理学研究所・原爆放射能医学研究所 |
|
35 |
附属図書館-知の集積 |
|
36 |
附属学校-研究と教育の結節点 |
|
37 |
事務組織-大学を支えてきた職員たち |
|
光あふれて-挑戦する広島大学 |
|
38 |
改革の季節 |
|
39 |
統合移転の計画 |
|
40 |
西条への移転 |
|
41 |
部局を越えた共同教育研究施設 |
|
42 |
研究基盤の充実 |
|
43 |
学術研究の成果 |
|
44 |
地域社会とともに |
|
45 |
地域の教育を支える |
|
46 |
産業界との連携 |
|
47 |
国際学術交流 |
|
48 |
国際化への対応 |
|
49 |
進む情報化 |
|
50 |
社会への発信 |
|
|
卒業生10万人 |
|
年表 |
|
年 |
|
|
1874 |
創立前史 |
|
1950 |
|
森戸辰男(初代学長) |
1963 |
|
皇至道(第2代学長) |
1966 |
|
川村智治郎(第3代学長) |
1969 |
|
飯島宗一(第4代学長) |
1977 |
|
竹山晴夫(第5代学長) |
1981 |
|
頼実正弘(第6代学長) |
1985 |
|
沖原豊(第7代学長) |
1989 |
|
田中隆荘(第8代学長) |
1993 |
|
原田康夫(第9代学長) |
|
|
|
|
出典一覧 |
|
|
編集後記 |
頼祺一(編集専門委員会委員長) |
|
広島大学50年史編集専門委員会 |
<・・・宇吹暁・・・> |
|
広島大学50年史編集室 |
|
『消えたペン-新聞労働者の8月6日』(中国新聞労働組合編 、汐文社、19880718)
目次
頁 |
項目 |
備考 |
003 |
はじめに |
中国新聞労働組合不戦の碑実行委員会 |
009 |
炎熱のもとで取材したこと |
大佐古一郎 |
019 |
<記録>新聞労働者の1945・8・6 |
|
相川愛子さん(21) 相原利夫さん(23) 有馬軍治さん(25) 井川勝雄さん(28) 伊藤音三郎さん(29) 石井道子さん(32) 石井諒一さん(36) 出雲初一さん(39) 今田レツさん(42) 今出良秋さん(44) 上田照子さん(46) 後チサ子さん(50) 小野一明さん(53) 落窪ミカさん(55) 神田留次郎さん(57) 本原フサヨさん(59) 北山一男さん(63) 串本誉さん(65) 桑原玉江さん(67) 小迫周蔵さん・美律枝さん(68) 小谷増夫さん(70) 河野秀三さん(72) 佐伯カメさん(84) 佐上美代子さん(77) 佐々木猪勢治さん(80) 佐瀬実さん(84) 坂本定造さん(86) 下本キクエさん(88) 下江達重さん(91) 新城朝子さん(96) 杉野勝吉さん(97) 高田久子さん(100) 竹前省三さん(102) 千葉恭子さん(105) 寺尾政之さん(107) 寺本簫三さん(108) 戸田正記さん(111) 伴谷ヤスヨさん(112) 中井ヨシヱさん(114) 中野勝正さん(115) 仲伏一之さん(118) 中村正男さん(121) 難波くみ子さん(124) 西村静一さん(126) 馬場謙一郎さん(128) 橋本令一さん(130) 桧山八重子さん(132) 平本ウメ子さん(134) 深川庄三郎さん(136) 福井ミツヱさん(137) 藤勇哲さん(140) 法安雅次さん(143) 細川儀一さん(146) 前田英子さん(148) 三木芳郎さん(150) 三田久ニさん(152) 三好友太郎さん(155) 水原智識さん(157) 宮武松三郎さん(161) 宮本軍一さん(163) 宮本澄香さん(165) 宮本藤吉さん(166) 望月慶三さん(168) 矢田茂さん(170) 保田博さん(173) 山井治吉さん(176) 山根喜美子さん(179) 山本利さん(181) 横田怐治さん(185) 横山隆ニさん(186) 吉田芳夫さん(189) 若林ツネヨさん(190) |
192 |
藤間侃治(合同新聞=現山陽新聞) |
196 |
<座談会>「不戦の碑」運動と犠牲者遺族取材を通して |
204 |
戦時編集局の八月六日 |
ト部清隆 |
209 |
逝ってしまった先輩たち |
兼井亨 |
214 |
原爆と私 |
下住忠 |
218 |
涙でうるんだファインダー |
松重美人 |
224 |
おわりに |
浅井幹夫(中国新聞労働組合執行委員長) |
『ひろしま今昔-’80広島市政指定都市記念』(広島市公文書館編、広島市、19800904)
目次
章 |
項目 |
備考 |
|
ごあいさつ(荒木武) |
|
ポスター・公文書・写真にみる広島90年 |
|
1 |
明治の広島と市制誕生 |
|
2 |
軍都のはじまり |
|
3 |
都市の発達 |
|
4 |
教育の発展 |
|
5 |
不況の波と大戦の足音 |
|
6 |
戦時体制の進展 |
|
7 |
国民精神総動員 |
|
8 |
大戦の勃発 |
|
9 |
敗戦への道 |
|
10 |
広島の昭和20年 |
|
11 |
被爆後の市民生活 |
|
12 |
ヒロシマの声 |
|
13 |
復興にむかって |
|
14 |
建設のひびき |
|
15 |
広島の発展 |
|
市民による広島市の新しい美の発見 |
|
|
選者評 |
|
|
広島のあゆみ(年表) |
|
|
広島市の行政区画 |
|
160 |
あとがき(小堺吉光) |
|
『ひろしま 市制90周年記念』(広島市長室広報課、1979/04/01)
目次
頁 |
項目 |
備考 |
03 |
市制90年を迎えて |
荒木武(広島市長) |
04 |
平和のあゆみ |
|
06 |
座談会-あすの広島を考える |
荒木武・今堀誠二・大牟田稔 |
10 |
市民50人の提言 |
|
14 |
市制90周年・広島のあゆみ |
|
21 |
間近にせまる政令指定都市広島 |
|
23 |
広島の都市像-国際平和文化都市 |
|
24 |
計画の基本的な考え方 人口・市民所得 |
|
25 |
土地利用構想 施策体系 |
|
26 |
世界平和をめざすまちづくり |
|
|
自然を守り、生かすまちづくり 27
安全で、快適なまちづくり 28
健康で、幸せに暮らせるまちづくり 33 |
|
36 |
広島案内図 |
|
|
豊かな人間性をはぐくむまちづくり 38
安定した生活のできるまちづくり 43
市民の連帯感と強度愛にささえられたまちづくり 47 |
|
48 |
平和・姉妹都市 |
|
|
育て広島っ子たち 50
広島とスポーツ 52
スポーツ施設 53
広島の祭りと行事 54
広島の文化財・工芸品 55
広島の特産・味 56
広島の伝承-広島の民話 57
広島人気質・広島の民族 59 |
|
60 |
対談-広島人とは |
松元寛・小久保均 |
|
広島の方言 62
広島のおもな観光地 64 |
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66 |
【資料】市の木=クスノキ、市の花=キョウチクトウ |
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67 |
【資料】広島市歌、ひろしま平和の歌 |
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『街と暮らしの50年-被爆50周年 図説戦後広島市史』(高橋衛監修 被爆50年記念史編修研究会、広島市総務局公文書館、19960331 )
頁 |
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執筆等 |
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刊行によせて |
(高橋衛) |
第1部 写真でみる50年 |
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003 |
1995年 平和宣言 |
(平岡敬) |
006 |
広島の戦後は8月6日に始まった |
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017 |
被災調査と放射線障害 |
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019 |
占領軍と広島 |
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027 |
お母さん僕はここに立っています |
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029 |
槌音が響き、街はよみがえる |
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033 |
家が建ち、笑顔がもどる |
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035 |
活気みなぎる駅前ヤミ市 |
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041 |
空から見た復興、昭和22年 |
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043 |
広島 2年目の夏 |
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048 |
街並みがよみがえる |
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051 |
街を考える |
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053 |
街並みを変える |
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059 |
一人もれなく投票だ |
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061 |
平和をデザインする |
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065 |
太田川改修工事 |
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069 |
市民の暮らしと住宅の戦後史 |
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073 |
復興した街 |
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075 |
郊外の都市化 |
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077 |
変わり行く都市空間 |
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079 |
新しい住・商空間 |
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081 |
戦後史のなかのランドマーク建築 |
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083 |
市民の台所をささえる |
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085 |
届かなかったはしご車 |
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089 |
都市圏の拡大と水道事業 |
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091 |
ごみ非常事態宣言をこえて |
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095 |
市財政やりくりの記録 |
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097 |
政令指定都市への移行 |
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099 |
産業の復興 |
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101 |
朝鮮戦争特需から造船ブームへ |
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103 |
復興を実感した広島博 |
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105 |
自動車工業の戦後 |
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107 |
あこがれのマイカー |
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109 |
高速経済成長と特産工業 |
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111 |
造船不況から航空機生産へ |
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113 |
統計でみる生活の一面 |
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115 |
農村のくらし |
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119 |
海辺のくらし |
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121 |
まちのくらし |
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139 |
原爆ドームのある風景 |
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141 |
祭りと市民 |
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145 |
子どもの笑顔に未来が見えた |
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157 |
狭められた子どもの空間 |
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159 |
ぼくらのまいにち |
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165 |
戦後スポーツのスタート |
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167 |
たのしい運動会 |
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169 |
東京五輪から市民スポーツへ |
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171 |
輝かしき学校運動部 |
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173 |
カープを見つめるひとびと |
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177 |
広島アジ競技大会 |
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181 |
原爆を描く |
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183 |
美術館 |
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185 |
美術展と美術賞 |
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187 |
原子雲の下の文学 |
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191 |
演劇半世紀のドラマ |
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195 |
市民と音楽 |
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199 |
チケット50年 |
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203 |
地域のなかの公民館 |
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205 |
映像のなかの広島 |
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207 |
姉妹都市の歴史 |
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209 |
カメラ少年の8・6 |
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211 |
原爆犠牲者の追悼 |
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213 |
被爆者援護 |
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217 |
もえあがる反核運動 |
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219 |
広がる反核の波 |
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221 |
広島を訪れた外国人 |
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223 |
被爆体験を知らせる |
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225 |
体験を伝える |
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227 |
継承運動が広がる |
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229 |
被爆建物さまざまなその後 |
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231 |
新聞社会面のヒロシマ |
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233 |
切手の中の原爆 |
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235 |
町の中の「平和」 |
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239 |
平和記念式典のあゆみ |
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241 |
50年目の8月6日 |
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第2部 50年おもなできごと |
247~ |
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1945 |
8月6日のカメラマンたち/戦禍につづく冷風禍一枕崎台風/被爆直後の新聞報道 <残っていた戦時中の防火水槽 > |
1946 |
復興審議会の設立と役割/本通商店街のあのころ一中山良一の遺稿から/食糧メーデー <雑草を食べて飢えをしのぐ > |
1947 |
町内会・部落会・隣組の廃止一政令15号と市民生活一/初の公選市長・浜井市政の発足/「原爆十景」の選定 < 机がほしい、窓ガラスがほしい! > |
1948 |
児童文化会館の建設/サマータイム/広島で生まれたエスキーテニス <戦後初のプロ野球試合 > |
1949 |
フロイド・シュモーと「ヒロシマ・ハウス」の建設/ノーマン・カズンズと国際精神 養子連動/海外布住者からの復興援助 <市民を悩ませた衛生害虫 > |
1950 |
天気図がはじめて新聞に掲載される/開かれなかった平和祭/評判が悪かった平和祭/原爆ドームの史跡指定決議 <紙しばいが免許制になる > |
1951 |
文化行事が盛んになる/第6回国民体育大会の開催 < 盗まれた平和の鐘> |
1952 |
原爆死没者慰霊碑と碑文/戦後広島の演劇と広島民衆劇場 <バタンコの登場 > |
1953 |
原爆文学論争 <ラ・パンセ像の出現> |
1954 |
ビキニ事件と原水爆禁止運動/被爆体験記の刊行が活発化 <中国大動物園の盛況> |
1955 |
文化施設の落成/戸坂・中由・井口3村の編入合併 <本通りのオーニング倒壊> |
1956 |
「原爆の子の像」の建立/原爆乙女の渡米治療 <テレビ劇場の登場> |
1957 |
百メートル道路と供木運動/交通事故の激増とノークラクション運動/バスセンターの開業 <第1回春季赤ちゃんコンテスト > |
1958 |
広島復興大博覧会の開催 <平和公園でホタル狩り > |
1959 |
ごみ焼却場の建設が始まる/ホノルル市との姉妹都市縁組 < 放水路工事で魚ピチピチ > |
1960 |
原爆ドームの存廃論議/フェニックス号、広島に帰る <ユースホステルの開所 > |
1961 |
広島空港の開港/「20歳の直言」募集始まる/戦後最大規模のメーデー <レジャーブーム到来> |
1962 |
「交通地獄から「交通戦争」へ/「二都物語」の波紋 <広島市の動物園 > |
1963 |
38年豪雪と過疎化の波/失業対策事業の45年 <ヘルスセンターの隆盛 > |
1964 |
山陽本線の電化/原水禁運動の分裂と新しい展開 <東京オリンピックの聖火リレー> |
1965 |
-66 三篠川の氾濫/陸上自衛隊の観閲行進/広島民衆駅の落成と開業/的場町河岸の強制立ち退き執行 <しぐさの社会史> |
1967 |
-68 「原爆スラム」の火災と再開発/原爆ドームの保存工事完成/「原爆白書」運動と原爆被災資料広島研究会 <ミニスカートの大流行> |
1969 |
-70 大学紛争と広大統合移転/原爆記録映画を市民の手で <大阪万博の大盛況 > |
1971 |
-72 昭和40年代の広島市の公害/安佐動物公園の開園 <ポケベルの登場> |
1973 |
-74 広域合併の推進/米国からの被爆資料の返還 <歩行者天国} |
1975 |
-76 ごみ非常事態宣言/広島市植物公園の開園 <マンガブーム再び> |
1977 |
-78 ひろしまフラワーフェスティバル/広島市西部開発事業の展開 <市民菜園が大人気 > |
1979 |
文化行政の展開 <アメリカの「船上デパート」寄港> |
1980 |
-81 政令指定都市広島の区名の決定/反核運動の新しい波10フィート連動/被爆瓦の発掘と「ヒロシマの碑」建立運動 <ドルトムント路面電車が広島に > |
1982 |
-83 反核20万人集会/相生橋の架けかえ工事/段原再開発の工事が始まる <週休2日制始まる> |
1984 |
-85 原爆死没者慰霊碑の改築/第1回ワールドカップ・マラソン広島大会/第1回国際アニメーションフェスティバル広島大会 <ハレー彗星を観る> |
1986 |
-87 旧国鉄宇品線の廃止/アストラムラインの建設 < 平和記念ポストが平和記念公園に> |
1988 |
-89 築城400年を迎えた広島城/海と島の博覧会開幕 <広島市現代美術館の開館 > |
1990 |
-91 アニメと反核/台風19号の襲来 <「カラオケ花見」の自粛を > |
1992 |
-93 米スミソニアン原爆展問題/新広島空港の開港毎 <サメ騒動 > |
1994 |
広島アジア競技大会の開催/広島市立大学の開学 <カラカラ天気に泣く> |
1995 |
広島市の被爆50周年記念事業 <ヒロシマエバヤマザクラ> |
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特論 |
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323 |
1.占領下の広島 |
中川剛 |
325 |
2.プレス・コードとヒロシマ |
好村富士彦 |
327 |
3.講和条約と広島 |
宇吹暁 |
329 |
4.広島の復興をどうみるか |
石丸紀興 |
331 |
5.60年安保と広島 |
宇吹暁 |
333 |
6.戦後建築の変遷過程 |
杉本俊多 |
335 |
7.生活者からの都市づくり 阪神大震災から被爆後50年を考える |
船場正富 |
337 |
8.戦後市政の特質 |
中川剛 |
339 |
9.高度経済成長と市民生活 |
高橋衛 |
341 |
10.広島の美術50年 |
金田晋 |
343 |
11.広島と音楽 |
広島と音楽 |
345 |
12.市民の活動にみる 広島のアイデンティティ |
嶋陸奥彦 |
347 |
13.教室不足のなかの戦後教育 |
菅井直也 |
349 |
14.戦後の社会教育 |
新見豊 |
351 |
15.レジャーとスポーツの現在 |
新井貞光 |
353 |
16.被爆者援護とこの50年 |
宇吹暁 |
355 |
17.次の半世紀へ継承を考える |
石田信夫 |
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357 |
グラビア・50年目の広島 |
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379 |
写真図版リスト |
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382 |
あとがき |
(松林俊一) |
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再版(20010731) |
ヒロシマの音楽「一本の鉛筆があれば…」CD付 |
『図説広島市史』(広島市、19890401)
目次
頁 |
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003 |
序(荒木武・広島市長) |
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004 |
グラビア |
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012 |
第五師団の本営広島城 |
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013 |
昭和10年の広島市街 小町から紙屋町 |
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014 |
広島上空の原子雲 |
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015 |
広島市中心街 1989年 |
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図説編 |
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019 |
広島の自然 |
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029 |
第1部 原始から広島築城まで |
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原始・古代
比治山貝塚と中小田古墳 30
国府と郡郷 38 |
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中世の推移と広島築城 |
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中世の動乱と安芸国 44
荘園・公領と地頭 46
産業と交通 48
文化と信仰 50
毛利氏の発展と広島築城 54 |
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061 |
第2部 城下町広島 |
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福島・浅野の城下 |
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福島正則の20年 62
浅野氏250年 藩政の確立 64
藩政の動揺 66
城下町の構造
広島の町割り 68
城郭 70
武家町 72
町人町 74
寺社 78 |
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領国と城下町
水運(海運・船運)80
街道 84
耕地の拡大(新開)86
領国の産業 88 |
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江戸時代の文化 |
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学問と教育 92
文芸・美術・工芸 94
広島景観 97
祭礼・芸能・娯楽 102
広島と宮島 106 |
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109 |
第3部 近代都市広島 |
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軍都の形成 |
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幕末期の動乱 110
明治維新と広島湾 112
文明開化と都市の発展 114
市制と町村制の施行 116
日清戦争と軍隊 118
大正デモクラシーと社会事業 120 |
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近代都市への変ぼう |
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宇品築港と山陽鉄道の開通 122
都市施設の整備と拡充 124
合併と都市計画 126
広島の景観と風景 128
太田川改修と広島工業港建設 134
近郊の町と村 136 |
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くらしと文化 |
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出稼ぎと移民 138
商業 140
工業 142
農村・水産業 144
教育 146
体育・スポーツ 148
芸術と文化施設 150
娯楽と盛り場 152
衣・食・住 155 |
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軍都の崩壊 |
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158 |
15年戦争 |
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160 |
原爆被災 |
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163 |
第4部 平和都市広島 |
|
164 |
平和都市への復興 |
|
170 |
政令指定都市への道 |
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172 |
国際平和文化都市を目指して |
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概説編 |
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176 |
広島のあゆみ |
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234 |
広島城の400年 |
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258 |
年表 |
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図説広島市史 付図 |
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広島城下町絵図(江戸中期) |
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広島町新開絵図(享保13 1728年) |
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広島市街明細地図(明治20 1887年) |
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『ヒロシマ HIROSHIMA 』(広島平和文化センター編・刊、19750718)
目次
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<表紙説明>原爆慰霊碑 |
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碑文は、広島大学教授雑賀忠義氏の筆によるもので、碑文の意味は、世界恒久平和を希求するヒロシマの心であり、人類としてあの過ちを再び繰り返してはならない、という反省と平和への誓いが込められている。 |
1 |
まえがき |
荒木武(広島市長) |
2 |
原爆被災の記録<写真> |
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爆心地上空から |
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市中心部を上空から |
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御幸橋の上で |
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御幸橋の上で |
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専売局電停角 |
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焼け野原 |
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原爆ドーム |
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萬代橋の人影と荷車の影 |
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元安橋 |
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日赤広島支部ビル |
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本通りの時計台 |
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旧護国神社の石灯ろう |
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横河駅前付近 |
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自動車の残がい |
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丸焼けの市内電車 |
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皆実町のガスタンク |
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ダイダイ |
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明治橋のヤツデ |
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被爆者の伝言板 |
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第2陸軍病院 |
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大芝国民学校救護所 |
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救援トラックの上で |
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広島逓信病院 |
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広島赤十字病院 |
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目の治療 |
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広島赤十字病院の治療 |
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脱毛した婦人 |
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死亡前の被爆兵士 |
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焼きついた着物の柄 |
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帽子の跡 |
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心外景 |
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頸部 |
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竹 |
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平瓦 |
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人骨と瓦礫 |
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3 |
広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式 |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。