「年」カテゴリーアーカイブ

年表:原爆展(1973年)

年表:原爆展(1973年)

記事
05 14 長崎大学医学部原爆後障害医療研究施設、米国から返還された資料を開封し報道陣に公開。
06 11 広島市が返還資料のうち134枚だけを公開することについて、二つの県被団協や被爆二世問題連絡会が抗議。
06 16 広島、長崎両市と中国新聞、地元放送3社共催「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」、広島平和記念館で開催。。-25日。期間中、8万245人入場。
06 16 朝鮮李王朝の子孫・李*公のいとこにあたる李玖、広島市を訪れ、「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」を見学。
06 22 中国新聞「対話:私の中の”返還被爆資料展”」
06 23 「ナガサキ・ヒロシマ米国返還原爆被災写真展」、長崎国際文化開館で開幕。
06 23 広島市の主婦、「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」で展示されている被爆直後の御幸橋の写真の女子学生が自分であると名乗り出る。
06 29 中国新聞「返還被爆資料展-8万人(入場者)の重み-記者座談会」
06 30 米返還被爆資料展、福山市で開幕。-7月3日。入場者は3万1828人。
07 06 広島市内の原水禁,被爆者団体,町内会関係者約30人、ヒロシマの街に8月6日を再現する被爆者と市民の会を結成.
07 06 「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」、広島県三次市で開催。-8日。総入場者数は1万5769人。
07 13 「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」、山口市で開催。-16日。総入場者数は5012人。
07 23 住友銀行広島支店、米返還被爆資料のうち30点を1階ロビーに展示。-8月6日。
07 30 ヒロシマの街に8月6日を再現する被爆者と市民の会、市内40か所で返還被爆写真街頭展を開始(~8月11日).
07 31 広島市など、2回目の「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」を広島平和記念館で開催。-8月6日。総入場者は2万4028人。
07 31 広島市、原爆死没者名簿を平和記念館で公開。-8月6日。
07 31 国鉄広島駅の団体待合室で「原爆の記録と広島駅の今昔展」開催。-8月7日。
08 01 広島市沼田公民館、沼田地区戦災関係資料展を開催。-4日。
08 02 広島市在住の主婦、「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」で「太陽館」と解説されているのは、「呉服店倉庫」であると誤りを指摘。男性による、「防空ごう」は「ざんごう」との指摘も。
08 05 中国新聞「返還被爆写真展を見て-広島会場でのアンケートから」
08 06 「全電通全国原爆被爆者協議会」、広島市で結成。
08 07 中国新聞「どうとどめる薄れる記憶-「あかし」を葬るな-急げ史実の収録-食い違う証言解明」
08 08 「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」、京都市で開催。-13日。
08 08 米返還被爆資料展、京都で開幕。九月中旬まで山形、新潟、宇都宮、大宮、熊本、宮崎の各市でも開催
08 12? 中国新聞社、全国有力地方紙に「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」の開催を呼びかける。
08 14 「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」、山形市で開催。-19日。入場者は約500人。
08 17 「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」、岡山市で開催。-21日。総入場者は3万2822人。
08 18? ブラジル在住の広島出身の男性、原爆を教えるための資料集めに帰国。
08 19 「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」、新潟市で開催。-26日。
08 24 「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」、宇都宮市で開催。-29日。
08 31 「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」、熊本市で開催。-9月4日。
09 13 「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」、宮崎市で開催。-18日。
09 13 「ヒロシマ・ナガサキ返還被爆資料展」、大宮市で開催。-18日。
10 13 広島県・県商工会議所連合会など、米ホノルル市で「ハワイ・ひろしま親善フェア」を開催。-19日。広島市の被爆前と後の写真も展示。

 

年表:原爆展(1970年)

年表:原爆展(1970年)

記事
02 03 万国博・テーマ館への広島・長崎被爆写真展示、再検討ヘ。政府の万国博推進対策会議で「どぎつくて万国博にふさわしくない」との意見が出たため
02 24 万国博・地方自治体館、被爆写真を撤去。
03 04 万国博政府出展懇談会、最終会合。茅誠司座長、原爆タペストリーを「抽象的でわからぬ」と批判。
03 06 中国新聞「受難続きの原爆展示-万国博-撤去や横ヤリ相次ぐ-”悲惨さにベール”-主催者・米人に気がね」
03 13 原爆展示をめぐって紛糾した万国博テーマ館が、公開される。15日、一般公開。
03 15 日本万国博、大阪・千里で開幕。原爆展示は大幅後退
03 万国博の宮内弥地方自治体館館長、地方自治体館2号館「明け行く日本列島」の”海と船のショー・中国地方”(上映時間1分30秒)の場面に登場する原爆被害関係のシーンを差し替えるように日本映画新社に伝える。4月30日、差し替えたものが上映される。
04 14 米ニューヨーク在住のノーマン・カズンズ、広島市に、5月から開催を予定しているリンカーン・センターでの原爆資料展のために、被爆資料写真などの貸出を要請。
04 24 大原亨、万国博の地方自治体館の写真展示から館側が勝手に原爆被爆写真を撤去した問題を、衆議院文教委員会で取り上げる。
04 24 山田広島市長、米の平和団体がニューヨークで開く原爆資料展への資料貸出について、時期が適当でないと、断る。
05 11 万国博の地方自治体館が公開される。初めに制作者が計画していた「被爆母子」と「原爆の子の像」など円形パネル写真が姿を消し、きのこ雲の写真と長崎・浦上天主堂のマリア像の背景写真だけとなる。
05 11 米のニューヨーク文化センターで開催される「ヒロシマ・ナガサキ原爆写真展」の開会式。リンゼー・ニューヨーク市長とノーマン・カズンズが挨拶。
05 12 米フレンド奉仕委員会、海外初の原爆写真展をニューヨーク文化センターで開幕(~6月21日).2万人以上の観客.
05 22 朝日新聞社、ニューヨークで原爆展を開催。海外初(「平和の推進」)。
07 18 大阪市の働くものの絵画集団「レアラ・ロンド(真実の仲間)」、万国博場外の原爆展として「原爆と平和展」を大阪・朝日文化ホールで開催。万国博に展示されなかった被爆写真の展示や映画の上映。-22日。8月5日~16日には、京都府立総合資料館で開催。
07 21 広島の写真家・佐々木雄一郎、原爆写真展「広島の日記」を西宮市民会館で開催。-23日。
07 24 長崎の浦上天主堂の写真を撮り続けた池松経興とその写真をもとに油絵をかいた福田重人の「原爆・二つの心展」、長崎市内のギャラリーで開催。
08 05? 万国博会場で数少ない原爆展示の「かなしみの塔」のある日本館のホステスたち、被爆の悲惨さについて勉強会を開く。原爆に関する英文パンフの配布を計画するが政治的な配慮から中止させられる。
08 06 万国博会場の野外劇場で広島テレビ制作の原爆ドキュメンタリー映画「朝顔」が上映される。
08 06 ゲレロ国連貿易開発会議(UNCTAD)事務局長、同会議デーを迎えた万国博の国連館で、各国のコインを集めて鋳造された「平和の鐘」を付き鳴らし、原爆死没者などを追悼。
08 07? 万国博会場内テーマ館の空中展示室にある原爆写真コーナーに菊の花が供えられる。
08 23 広島県、万国博の地方自治体館の「広島県の日」に被爆当時の写真パネル3枚を展示。-25日。
08 26 中国新聞「万国博「県の日」終わる-観光面で大収穫-被爆写真に不満の声も」

 

年表:原爆展(1969年)

年表:原爆展(1969年)

記事
03 24 大平通産相、万国博での原爆展示について、「原子力の誤った利用による過去の悲惨な経験と平和利用による明るい未来を展示する」と、参議院予算委員会で答弁。
04 24 社会党、万国博での原爆展示について政府に要請。5月16日、回答。
07 29 詩人さかもと・ひさしと写真家・大深みのじの「広島原爆25周年 詩と写真想像展」を広島市福屋デパートで開催。-8月10日。
08 01 広島在住の写真家・佐々木雄一郎、写真展「広島の日記」を東京銀座・松屋デパートで開催。-6日。
08 06 広島県府中市土生町の自動化移管で第3回原爆展。-17日。
09 25 万国博で日本政府館の「悲しみの塔」内壁を飾る原爆展示のタペストリーの制作が、京都・西陣の竜村美術織物で始まる。
10 17? 万国博の日本政府館に展示される原爆展示のうち「平和利用」の図柄が決まる。

 

年表:原爆展(1958~64年)

年表:原爆展(1958~64年)

記事
58 03 03 アジア・アフリカ連帯会議常設事務局、カイロで核兵器反対展示会を開催。広島・長崎の被害写真など展示(アカハタ)。
58 04 17 ブリュッセル万国博開幕。日本館の中央に広島の原爆の被害を示す写真を展示。
59 07 03 広島大学教養部学友会、学内で「八・六原爆展示会」を開催。-5日。
59 07 23? 原水爆禁止世界大会現地本部、大会参加者向けに原爆写真の展示と市内見学バスの臨時運行を計画。
62 05 21 広島市、二十一世紀世界平和博覧会(米シアトル市で四月二十一日から開催中)に被爆写真六十枚なとの出品決める。六月二十日発送を目標に準備進める。
64 02 03 米ボルダー市コロラド州立大学で二十一世紀世界展広島原爆展開く。八日まで。

 

年表:原爆展(1956年)

年表:原爆展(1956年)

記事
01 25 広島市当局、市議会産業委員会で、原子力平和利用展開催中は原爆資料館の資料を公民館に移す意向を表明。被爆者、遺品を移すのは心外だと反発。
02 02 丸木・赤松夫妻、「原爆の図」を日本アンデパンダン展に出品。全10部完成(アカハタ)。
02 11 神奈川県平塚市・地区労・医師会など、見附台体育館で丸木・赤松「原爆の図」展を開催(3日間)。約1万5000名が参観。原爆展の市主催は、英国コヴェントリー市についで2番目(アカハタ)。
03 23 天皇、東京日本橋高島屋で開催中のニューヨーク近代美術館など主催「ザ・ファミリー・オブ・マン」写真展を見学。その際、広島原爆被災の少年の写真にカバーがかぶせられる。(毎日新聞)
03 24 「ザ・ファミリー・オブ・マン」写真展に出品中の長崎原爆被災写真5枚について、米側責任者スタイケンが撤去を申し入れ。(朝日新聞)
03 26 丸木・赤松「原爆の図」展、ローマで開幕。(アカハタ)。
04 09 山口仙二長崎原爆青年会長、国際文化会館のケロイド模型の取り外しを指示した渡辺長崎県秘書課長補佐に7項目の公開質問状を提出。(長崎日々)
04 15? ハーベルマン(オランダの彫刻家)による丸木・赤松「原爆の図」の世界一周展覧行脚の呼びかけに対しスイスのベルン博物館・ニューヨーク・ボストン両博物館などから公開希望の申し入れ。
04 16 丸木・赤松後援会、「原爆の図世界行脚歓送懇談会を」東京お茶の水で開催。月末に訪中の予定(アカハタ)。
05 01 アカハタ、「「原爆の図」展の成果-神奈川平塚地区委員会の総括」を掲載(-3日、3回)。
05 12 丸木・赤松夫妻、中国人民保衛世界平和委員会の招きで訪中するため羽田を出発(アカハタ)。
05 26 広島原子力平和利用博覧会、開会式を挙行。
05 27 広島原子力利用博覧会(広島県・市など主催)、広島市平和記念公園の平和記念館・原爆資料館で開催(6月17日まで、約11万人入場)。藤居原・水協事務局次長、平和利用に先だって原爆症に対する治療・予防の研究を第一目標に置いて欲しいと談話。
07 06 原子力平和利用博覧会(アメリカ広報庁・福岡県市・西日本新聞社共催)、福岡市で開幕。(長崎日々)
08 04 長崎市原爆資料保存会、4月義宮来県以来国際文化会館の陳列から除かれていたケロイド模型を陳列することなどを決定。(長崎日々)[天皇]
08 31 丸木・赤松夫妻、平壌に到着(アカハタ)。
12 23 丸木位里、帰国(アカハタ)。

 

年表:原爆展(1954~55年)

年表:原爆展(1954~55年)

記事
54 01 09? 山口県防府地区労、丸木・赤松の原爆図展を開催(54.1.21中国新聞)。
54 04 08 福井芳郎「広島原爆画展」、中国新聞社ホールで開幕。
54 04 13 世界平和者会議広島大会参加の海外代表、中国新聞社2階ホールで開催中の福井芳郎原爆画展を参観。
54 08 06 市立長崎博物館で原爆記念文筆展開幕(~10日)。(長崎日々)
54 08 12 東京新宿・伊勢丹で「原子力展覧会」開幕(-12日)。広島・長崎の原爆被災写真・資料も展示。
54 09 24 広島・長崎両市の関係者、広島市役所で原爆資料展開催について協議。11月に日赤本社講堂を借り受け開催することを決定。
54 10 02 広島市、宇野長崎市社会課長を迎えて、原爆資料展について協議。ABCC、逓信・日赤・県立の各病院に資料の貸出を要請することなどを決定。
54 10 09 浜井広島市長、ロバート・ホームズABCC所長から原爆展のための資料提供要請に快諾の返答を受ける。
54 10 13 広島市原対協治療部会、原爆障害者の治療促進・原爆資料展への資料提供を決定。
54 10 14 広島市、来広した佐藤日赤本社報道室長・岸田日本民主文化協会理事長をまじえて、原爆展について協議。
54 11 01 長崎市議会全員協議会、東京で開催予定の原爆資料公開展の長崎市負担額119万3000円を承認。(長崎日々)
54 11 05 広島市、原爆展の概要をまとめる。
54 11 17 ロバート・ホームズABCC所長、初公開の原爆資料(男児の出生率が減少する)などを原爆展のため広島市に寄贈。
54 11 25 広島・長崎原爆資料公開展(日赤本社・広島市・長崎市共催)、東京日赤本社で開催(12月3日まで)。被災資料・写真など408点展示。ABCCの調査資料も展示。
54 11 26 日赤、原爆資料展の開催に合わせ、在京被爆者の健康相談所開設。
55 03 08 丸木・赤松「原爆の図」展、英国コヴェントリで開幕(3.13朝日新聞)
55 07 10 丸木・赤松「原爆の図」展、ロンドン市美術館で開幕。(1955.8.1)
55 08 06 広島平和記念資料館[広島原爆資料館]、完工し、原爆資料展示会を開催。
55 08 17 広島県・山県郡加計町青年団、中央青年会館で原爆資料展を、また常禅寺で庄野直允の講演会を開催。

 

年表:原爆展(1953年)

年表:原爆展(1953年)

記事
01 ? 丸木・赤松夫妻の「原爆の図」、国際平和賞を受賞。
01 02 秩父農業高校、原爆展を開催(アカハタ)。
01 15 長崎市教委ほか21団体、赤松俊子・丸木位里「原爆の図展」を長崎市労働会館で開催(~18日)。15日、3000名が入場。18日までに1万名を突破。会期を19日まで延期(長崎日々)。
03 18 長崎原爆の図展実行委員会、赤松俊子・丸木位里を招き、労働会館で長崎平和を守る会の結成大会を開催。(長崎日々3.13)
04 10 YMCA奉仕グループの河本一郎らの努力により釧路市労働会館で原爆展。以後、北海道各地に巡回(1953.7.4朝日新聞)。
07 10 山口大学講堂で原爆図展。3日間。
07 10 山口大学講堂で原爆図展開催(3日間)。(アカハタ)。
08 07 中国新聞社、「ノー・モア・ヒロシマズ原爆画展」を東京日本橋白木屋で開催(-12日)。福井芳郎の記録画を展示。
08 09 広島市・朝日ホールで丸木・赤松「原爆の図」展を開催(-13日)。(朝日新聞)
08 15 呉市公民館で「原爆の図」展覧会(17日まで).市民の10%約2万人が観覧

 

年表:原爆展(1952年)

年表:原爆展(1952年)

記事
01 19 長崎県など、大阪市近鉄阿倍野百貨店で「長崎県観光と物産博覧会」を開催(-2月2日)。
02 09 長崎県など、京都駅前丸物百貨店で長崎観光物産展を開幕。
02 25 長崎市立山里小学校、自主教育研究会に合わせて「永井博士と浦上の子ら」遺品展を開催。
05 23? 外務・文部両省、6月26日からニューヨークで開催される国際児童図書展覧会に「原爆の子」(岩波書店)など18点を出品することを決める。
07 30 東京都平和会議・世界政府協会・キリスト者平和の会、「大原爆展」を渋谷公会堂で開催。-8月2日。
07 30 東京都平和会議・世界政府協会・キリスト者平和の会、東京都渋谷公会堂で大原爆展を開催(-8月2日)。(アカハタ)
08 06 武蔵野市平和懇談会、井の頭公園で「大原爆展」を開催。-10日。
08 15 立川平和懇談会、赤松・丸木「原爆の図」5部作と東京都立大学の学生有志が集めた写真資料をもとに原爆展を開催。3日間。入場者総数は9907名(子供を加えると1万2000名以上)。(「平和のために-原爆展感想文より」52090901)
09 28 アカハタ、S・Yの詩「ピカドンを許さない-ある原爆展の会場にて」を掲載。
10 07 アカハタ、映画「原爆の図」(今井正作品・新星映画社)を紹介。
11 16 原爆画展、佐世保市公会堂で開幕(4日間)。
12 28 三菱造船労組長崎支部など、原爆図展実行委員会を開催。1958年1月15日から開催予定。

 

 

ヒロシマ 21世紀へのメッセージ

『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(朝日新聞社文化企画局大阪企画部(編・刊、199409)

目次

口絵写真
020 19940927-1030 熊本県立美術館
19950551-0612 大丸ミュージアム・梅田
19950812-0924 郡山市立美術館
19951007-1203 広島市現代美術館
021 ごあいさつ 主催者
024 霊魂よ眠れ 新藤兼人
033 コレクションテーマ[ヒロシマ]
087 ヒロシマ―半世紀への黙示
114 コレクション、テーマ「ヒロシマ」について 竹澤雄三(広島市現代美術館学芸課長)
120 21世紀への黙示―ヒロシマ 小泉晋弥(郡山市立美術館主任学芸員)
127 原爆写真とは何か―次代の人類のヴィジョンのために 平木収(写真論)
133 戦争を風化させないために―フォトCD[ヒロシマ・1945] 後藤和雄(朝日新聞写真データベース委員会幹事)
135 市民が描いた原爆の絵 小泉晋弥
136 作家略歴
140 出品目録

 

ヒロシマは生きていた 佐々木雄一郎の記録

『ヒロシマは生きていた 佐々木雄一郎の記録 』(佐々木雄一郎写真、毎日新聞広島支局編 、毎日新聞広島支局、19770701 )

内容

撮影年月日 備考
荒木武
194509 爆心
1948 原爆ドーム
<以下要入力>
ヒロシマの歩み<年表>
ヒロシマと生きて 佐々木雄一郎
ヒロシマに思う 山本皓三
編集後記 河野通宏
編集委員