『原爆死の真実―きのこ雲の下で起きていたこと』(NHKスペシャル取材班、岩波書店、20170725 )
目次
章 |
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1 |
きのこ雲の下の二枚の写真 |
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原爆投下三時間後の写真 |
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「涙でファインダーがくもった」 |
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御幸橋は壊滅地帯の出口だった |
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コラム① 「地獄の再現」は、証言者がいたからこそ実現した |
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2 |
橋の上には凄惨な光景が広がっていた |
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少女は動かなくなった赤ちゃんを抱いていた |
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「どこに逃げればいいのか」それだけを考えていた |
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瀕死の重傷を負って |
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あれは「死の前の光景」だった |
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コラム② 私たちは八月六日、御幸橋を通った |
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3 |
写真にはどのような”痛み”が写し出されているか |
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「科学の力」で原爆の実相を浮かび上がらせる |
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人間が感じる最大の痛み、”フラッシュ・バーン” |
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写真は”原爆の非人道性”を物語る |
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放射線による影響は出ていたか |
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コラム③ 対談 熱傷の専門家×原子核物理学者 |
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4 |
橋の上は、命を救う最前線だった |
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御幸橋は、救護の拠点となっていた |
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広島に入った特攻兵を皮肉な運命が待っていた |
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命の選別が行われた |
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似島に運ばれて |
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コラム④ 水をあげるか、あげないか。それは究極の選択だった |
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5 |
私は友を置いて橋へと逃げた |
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がれきの下で校歌の合唱が始まった |
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橋の上にいたのは、一〇代の少年少女たち |
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最大の犠牲者は中学生だった |
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悔いを抱えて |
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コラム⑤ 写真が写し出す”悲しき物語” |
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終章 |
原爆は市民の上に落とされた |
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公表になぜ七年もかかったのか |
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世界で唯一の写真は、訴え続ける |
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「被爆の真実」は伝わっているか |
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コラム⑥ 差別を超えて |
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あとがき |
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2020年9月(日録)
日 |
できごと |
01 |
投稿『原爆の記録ヒロシマ―米国返還資料から』の校訂作業。 |
02 |
『原爆の記録ヒロシマ―米国返還資料から』を昭和図書館へ返却。 |
02 |
ヒロシマ遺文への投稿=「2020年9月(日録)」 |
03 |
ヒロシマ遺文への投稿=「原爆死の真実―きのこ雲の下で起きていたこと」。 |
04 |
ヒロシマ遺文への投稿=「原爆死の真実―きのこ雲の下で起きていたこと」。「広島壊滅のとき-被爆カメラマン写真集」、「廣島あの日から(長岡省吾)」、 |
05 |
ヒロシマ遺文への投稿=「平和擁護広島大会宣言(19491002)」、「HIROSHIMA(長岡省吾)」、「広島(吉川清)」、 |
06 |
ヒロシマ遺文への投稿=「原爆記録映画」、「論文:原爆記録映画」、「年表:原爆記録映画」、「爆心地ヒロシマに入る」、「ヒロシマ二十年 原爆記録映画製作者の証言」、「たたかう映画-ドキュメンタリストの昭和史」、「世界写真家平和シンポジウム・写真展報告書」 |
07 |
ヒロシマ遺文への投稿=「母と子でみる 原爆を撮った男たち」、「佐々木雄一郎ヒロシマ25年 写真記録」、「ヒロシマは生きていた 佐々木雄一郎の記録」、 |
08 |
呉市立昭和図書館。『広島原爆写真集』、『長崎原爆写真集』、『広島、1945 生きていた広島』を借り出す。 |
08 |
ヒロシマ遺文への投稿1=「ヒロシマ 21世紀へのメッセージ」、「年表:原爆展(1952年)」、「年表:原爆展(1953年)」、「年表:原爆展(1954~55年)」、「年表:原爆展(1956年)」、「年表:原爆展(1958~64年)」、「年表:原爆展(1969年)」、 |
08 |
ヒロシマ遺文への投稿2=「年表:原爆展(1970年)」、「年表:原爆展(1973年)」、「年表:原爆展(1974年)」、「年表:原爆展(1975年)」、「年表:原爆展(1976年)」、「年表:原爆展(1977年)」、「年表:原爆展(1978年)」、「年表:原爆展(1979年)」、 |
09 |
ヒロシマ遺文への投稿1=「年表:原爆展(1980年)」、「年表:原爆展(1981年)」、「年表:原爆展(1982年)」、「年表:原爆展(1983年)」、「年表:原爆展(1984年)」、「年表:原爆展(1985年)」、「年表:原爆展(1986年)」、「年表:原爆展(1987年)」、「年表:原爆展(1988年)」、「年表:原爆展(1989年)」 |
09 |
ヒロシマ遺文への投稿2=「年表:原爆展(1990年)」、「年表:原爆展(1991年)」、「年表:原爆展(1992年)」、「年表:原爆展(1993年)」、「年表:原爆展(1994年)」、「年表:原爆展(1995年)」、「年表:原爆展(1996年)」、「年表:原爆展(1997年)」、「年表:原爆展(1998年)」、「年表:原爆展(1999年)」 |
09 |
ヒロシマ遺文への投稿3=「広島原爆写真集 決定版」、「長崎原爆写真集 決定版」、「広島、1945 生きていた広島」、「トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録」、「原爆=写真論 「網膜の戦争」をめぐって」、「原爆と写真」 |
10 |
NHK総合「土門拳のヒロシマを探して 戦後75年を生きた人たち」(2020年8月8日07:30~07:55)<再放送>視聴。 |
10 |
ヒロシマ遺文への投稿=「明田弘司」、「年表:広島原爆資料館」、「文献:原爆資料館」。 |
11 |
ヒロシマ遺文への投稿=「松重美人「世界の記録写真」をめぐって」、「ヒロシマ・1960 永田登三写真集」。 |
13 |
ヒロシマ遺文への投稿=「土門拳」。 |
14 |
新聞のダウンサイズ作業。切り抜き対象記事掲載の紙面だけを切り取る。9月13日~8月24日分終了。 |
15 |
新聞のダウンサイズ作業終了。8月23日~8月6日。 |
18 |
NHK総合ラウンド中国「また、語れる日まで~被爆者“コロナの夏”を生きる~」(出演:豊永恵三郎、森下弘)視聴。 |
19 |
ピカ研資料整理=主に地図の整理。 |
19 |
19:00~ ~21:00。BS1「少年たちの連合艦隊〜“幸運艦”雪風の戦争〜」(再放送)視聴 |
20 |
ユーチューブのせこへい美術館(2020年8月8日~16日まで、旧日銀広島支店で開催)を視聴https://www.youtube.com/watch?v=cvGz5-kye-Q |
20 |
岩波写真文庫写真(長野重一・名取洋之助撮影)の整理。 |
21 |
ヒロシマ遺文への投稿=「生きているヒロシマ」、 |
22 |
ヒロシマ遺文への投稿=「HIROSHIMA」、「原爆第1号―ヒロシマの写真記録」、「アサヒグラフ」、「グラフひろしま」、 |
23 |
石踊(安芸書房)に電話。ピカ研にあった第五師団の詳細な地図の存在を尋ねたが、知らないとのこと。 |
23 |
ヒロシマ遺文への投稿=「敗戦と原爆投下(週刊朝日百科)」、「秘録大東亜戦史 原爆国内篇」、 |
24 |
ヒロシマ遺文への投稿=「秘録大東亜戦史 原爆国内篇」の校訂作業。 |
25 |
ヒロシマ遺文への投稿=「感性で撮るうまい写真」、「森下一徹」、「ヒロシマ 土門拳(1958)」、「ヒロシマ 土門拳全集10」、「生きているヒロシマ 土門拳1978」、「写真随筆 土門拳1979」、 |
27 |
ヒロシマ遺文への投稿==「江成常夫」、「記憶の光景・十人のヒロシマ」、「ピカドン-ある原爆被災者の記録」、「福島菊次郎」、「福島菊次郎原爆と人間の記録」、「戦争がはじまる 福島菊次郎全仕事集」、「遺品は語る」、「きみはヒロシマを見たか」、「写真集 被爆45年広島の声なき証言者たち」、「写真集 平和のモニュメント」 |
28 |
ヒロシマ遺文への投稿=「写真集 ドンが聞こえなかった人々」、「写真でみる原爆の記録」、「浜口タカシ写真集」、「カール・マイダンス 激動日本の目撃者」、「写真家100人 顔と作品」、 |
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予定
年月日 |
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20021004 |
ピカ資料研究所資料整理。 |
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20201103 |
アメリカ大統領選挙。 |
202012 |
真珠湾攻撃(12月8日未明、ハワイ時間12月7日)79周年。 |
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『ヒロシマの証 岩波グラフィックス ・7 』(土田ヒロミ写真、杉原正、兼口芳哉文、岩波書店、19821124)
目次
頁 |
遺品 |
旧所有者 |
タイトル |
証言者(寄贈者) |
02 |
半ズボンとバンド |
満田二朗 |
ナガサキ・ヒロシマ |
満田義忠 |
06 |
懐中時計 |
二川謙吾 |
8時15分で止まった時計 |
二川一夫 |
10 |
弁当箱と水筒 |
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折免シゲコ |
12 |
防空ずきんとカバン |
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生まれ変わり |
舛田耀夫・舛田和枝 |
17 |
スリップ |
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18 |
救急袋 |
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妹のけな気さ |
桑山暁美 |
22 |
ご飯蒸しとコウリャン |
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黒いコウリャン |
道田政雄 |
26 |
双眼鏡 |
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28 |
学生服 |
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甲子園への夢 |
下田則明 |
33 |
中学生の学生服 |
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34 |
将校の軍服 |
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心の負い目 |
冨田実 |
39 |
サーベル |
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40 |
ガラス・皿・酒杯 |
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「武田一括資料」 |
武田学郎 |
45 |
ワンピース |
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46 |
ガラス片 |
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体内ガラス |
伊藤悟 |
50 |
軍医の服 |
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夫からのはがき |
本田松子 |
55 |
爪 |
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56 |
預金通帳 |
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残った通帳 |
佐久間一夫 |
61 |
もんぺ |
|
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62 |
ピアノ |
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被爆ピアノ |
金子修郎 |
66 |
鉄かぶと |
|
教師の心の痛み |
福丸敦枝 |
70 |
帽子・防空ずきん・被服帳 |
|
|
|
72 |
下駄 |
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執念の下駄 |
井上富子 |
76 |
ワンピース |
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謝る毎日 |
古川ミツヨ |
80 |
金銅仏 |
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『NHKスペシャル 長崎 よみがえる原爆写真』(NHK取材班編、日本放送出版協会、19950830)
目次
章 |
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序文 |
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序章 |
アメリカでよみがえる長崎 |
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写真修復計画「長崎・ジャーニー」 |
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1945年8月10日、川端庸介の「長崎・ジャーニー」 |
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山端写真と最新技術との出会い/クリスとジュディ |
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第1章 |
長崎を記録した男 |
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ヒロシマとナガサキ |
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原爆を記録したカメラマンたち |
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写真家・山端庸介の戦争 |
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西部軍報道部と火野葦平 |
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新たに発見された山端写真 |
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PHOTOGRAPHS 8・10 長崎・ジャーニー |
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第2章 |
長崎・ジャーニー1 ラッキーガール、おにぎりを持った親子 |
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偶然の「浦上工場」/八月十日「悲劇の谷」到着/早朝の憲兵隊本部 |
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少女の微笑み/「ラッキーガール」の悲劇/「さまよう兄弟」との出会い |
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炊き出しのおにぎり/「おにぎりを持った親子」/優しかった母の面影 |
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第3章 |
長崎・ジャーニー2 爆心地・傷つき焼かれた人々 |
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モンペの柄から/トラックの上の炎熱地獄/爆心地の悲惨/立ちすくむ少女
平和を祈る龍さんの五十年/路面電車、生と死のドラマ
謎の「浦上天主堂」写真 |
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第4章 |
長崎・ジャーニー3 救援・逃げ延びた人々 |
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爆心地から北へ/市役所職員奮闘す/「これは私の家だ」
道ノ尾駅の幻の看護婦/日赤第七一三救護班/胸に滲むチンク油の匂い
語ってくれた[お乳をあげる母]/二人の子を失って/写真が説明している |
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〇〇 |
PHOTOGRAPHS 8・10 長崎・ジャーニー |
|
終章 |
長崎の映像は語る |
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クリスとジュディの長崎再訪/アメリカ・原爆写真展の衝撃 |
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あとがき |
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『昭和をとらえた写真家の眼 戦後写真の歩みをたどる 』(松本徳彦、朝日新聞社、19890331 )
目次
章 |
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1 |
敗戦・飢餓の証言者として |
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濱谷浩と影山光洋と菊池俊吉と木村伊兵衛そして林忠彦 |
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2 |
戦後の家族生活を記録 |
|
|
影山光洋と吉岡専造そして富岡畦草 |
|
3 |
“時代の貌”をとらえる |
|
|
林忠彦と大竹省二と |
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4 |
労働者の戦いの中で |
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田村茂と川島浩と |
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5 |
政治を彩った宰相の顔に迫る |
|
|
三木淳と吉岡専造そして石井幸之助 |
|
6 |
米軍基地問題にいどむ |
|
|
佐伯義勝と常盤とよ子と |
|
7 |
ジプシー・ローズをモデルに |
|
|
稲村隆正と秋山庄太郎そして中村正也 |
|
8 |
事件と報道のモラル |
|
|
紫雲丸沈没を撮ったアマチュアカメラマン |
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9 |
日本古来の建築美に挑戦 |
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|
渡辺義雄と石元泰博と |
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10 |
“スターの時代”を飾る |
|
|
中村立行と吉岡潤そして早田雄二 |
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11 |
農村の暮らしに分け入って |
|
|
濱谷浩と木村伊兵衛と |
|
12 |
社会をリアルに切りとる |
|
|
渡部雄吉と長野重一と |
|
13 |
人間の状況に迫る映像 |
|
|
奈良原一高と細江英公と |
|
14 |
浅沼刺殺の一瞬をキャッチ |
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|
吉武敬能と長尾靖そして大友誠一 |
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15 |
“百円”の写真集にこめる情熱 |
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|
土門拳と河又松次郎そして… |
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16 |
原爆の悲惨を見すえる |
|
|
土門拳と松重美人と山端庸介そして… |
|
17 |
現実に対決する強いイメージ |
|
|
東松照明 |
|
18 |
高度成長の“陰”に迫る |
|
|
桑原史成と英伸三と |
|
19 |
都市の光景の映像化 |
|
|
富山治夫と高梨豊と |
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20 |
広告写真の新時代を築く |
|
|
早崎浩と横須賀功光と |
|
21 |
ベトナム戦争と写真家たち |
|
|
岡村昭彦と秋元啓一と沢田教一と石川文洋そして… |
|
22 |
“揺れる大学”へ入ったカメラ |
|
|
栗原達男と杉崎弘之と金山敏昭そして江成常夫 |
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23 |
記憶と幻想を追って |
|
|
森山大道と内藤正敏と |
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24 |
“私写真”への傾斜 |
|
|
深瀬昌久と荒木経惟と |
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25 |
映像表現の流れに沿って |
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|
昭和後期写真史への試み |
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参考文献 |
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あとがき |
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『HIROSHIMA 半世紀の肖像-やすらぎを求める日々』(大石芳野、角川書店、19950303 )
目次
頁 |
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004 |
<はじめに>ヒロシマを撮り始めて |
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021 |
火傷の痕跡をかかえて |
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清水ツルコ、池田精子、山岡ミチコ、岩谷久仁子、 |
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067 |
入・退院を繰り返しながら |
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高橋昭博、松重美人、原広司、芝間タズ、橋本待子 |
|
|
加藤礼子、宮田幸子、桑原千代子、定信多紀子 |
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|
小倉醇、久保浦寛人、宮永初子、室田秀子、小松清興、金田郁子、今田弥一、沼田鈴子、沼田聰子、日詰忍、佐伯敏子、下江武介、 |
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|
李実根、金連順、郭福順、鄭寿作、権順分、厳粉連、金*禮、 |
|
|
久保美津子、豊永ツヤ子、豊永恵三郎、宗藤尚三、平元一登・平元ツルヨ、梅津康子、竹内武・竹内美代子、槻山ミツエ、山根富子、浜田忠夫、友保絹枝、 |
|
149 |
治らない原爆の傷 胎内被爆小頭症の場合 |
|
|
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|
171 |
半径500メートル圏内 |
|
|
|
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199 |
もう一つのヒロシマ 毒ガス島 |
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|
|
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213 |
夏の記憶 平和公園 |
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252 |
<あとがき>凛然とした歳月 |
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255 |
原爆被害MEMO |
|
『立ち上がるヒロシマ1952 岩波写真文庫アーカイヴス』(岩波書店編集部編、岩波書店、20130728)
頁 |
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004 |
略地図 |
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006 |
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007 |
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008 |
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129 |
名取洋之助と長野重一 発表されなかった写真<岩波書店編集部> |
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131 |
『広島―戦争と都市』の製作担当は私でした<倉持幸一(元・岩波書店常務取締役)> |
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『百二十八枚の広島 広島を撮り続けて六十一年、明田弘司(写真家)が見た 昭和二十年代→三十年代 』(明田弘司、南々社、20090808)
目次
頁 |
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004 |
広島駅 界隈 |
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014 |
八丁堀・幟町 界隈 |
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024 |
本通り 界隈 |
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034 |
紙屋町 界隈 |
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042 |
基町・横川 界隈 |
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056 |
原爆ドーム・平和記念公園 界隈 |
|
064 |
平和大通り 界隈 |
|
076 |
千田町 界隈 |
|
086 |
仁保・丹那・宇品 界隈 |
|
100 |
江波・観音・草津・五日市 界隈 |
|
110 |
広島市街編
宮島、玖波、海田市、坂、呉(川原石)、豊島、尾道、因島、鞆の浦、芸北、西条 |
|
『ヒロシマ・ナガサキ原爆写真・絵画集成(全6巻)』(編集委員:家永三郎・小田切秀雄・黒古一夫、発行所:日本図書センター、19930325)
ヒロシマ・ナガサキ原爆写真・絵画集成1-被爆の実相
頁 |
タイトル |
著者・作者 |
003 |
序 (映像記録の意味するもの) |
家永三郎 |
005 |
アサヒグラフ 1952年8月6日号 |
|
|
原爆犠牲都市第1号・広島 |
尾糠政美/松本栄一/宮武甫 |
|
原爆犠牲都市第2号・長崎 |
富重安雄/松本栄一 |
020 |
広島 戦争と都市 |
林重男/菊池俊吉 |
037 |
被爆直後 惨禍の映像 |
|
|
林重男/川原四儀/松重美人/菊池俊吉/宮武甫/尾糠政美/松本栄一/山端庸介/塩月正雄/富重安雄 |
123 |
記録写真 原爆の長崎 |
山端庸介 |
186 |
解説「原点」から |
黒古一夫 |
ヒロシマ・ナガサキ原爆写真・絵画集成2-惨禍の傷跡
頁 |
タイトル |
著者・作者 |
003 |
写真記録 ヒロシマ25年 |
佐々木雄一郎 |
|
8本の線と1個の点/原子砂漠/閃光/爆風/焼け跡/人間をかえせ/惨劇の証人/廃墟のヤドカリ/怒りと祈りと消えぬ爪あと/涙と叫びの夏/不死鳥のごとく |
101 |
ヒロシマは生きていた |
佐々木雄一郎 |
105 |
原爆と人間の記録 |
福島菊次郎 |
|
病苦と極貧の谷間で/狂気の出漁/7年目の通院/中村蓉子の青春/家を棄てる子供たち/そして、絶望と死と/怨念の水彩画 |
161 |
写真集 長崎の証言 |
日本リアリズム写真集団長崎支部 |
|
長崎原爆病院/山口仙二さん |
|
いまだ癒えず 現在を語る被爆者たち |
日本リアリズム写真集団長崎支部 |
|
日々を生きて・富永吉五郎さん、タセさん |
198 |
写真記録 被爆者 |
森下一徹 |
224 |
解説 「記録」しつづけることの意味 |
黒古一夫 |
ヒロシマ・ナガサキ原爆写真・絵画集成3-継続する悲劇
頁 |
タイトル |
著者・作者 |
003 |
ヒロシマ |
土門拳 |
|
広島原爆病院/ABCC/精薄児施設六方学園/広島市戦災児育成所/育児施設広島明成園/13年寝たきりの人・平本ツタさん 13年寝たきりの人・中村杉松さん/被爆者同士の結婚・小谷夫妻/倶会一処 |
153 |
憎悪と失意の日々 ヒロシマはつづいている |
土門拳 |
|
紫斑の手の娘さん/片足を切断した老婆/病理学標本/柱のガラス・窓のガラス・懐中時計/煮えた瓦/原爆スラム/百合子ちゃん/大野寮の子どもたち/私の目をかえせ |
179 |
原爆棄民 韓国・朝鮮人被爆者の証言 |
伊藤孝司 |
|
朴昌煥/朴守龍/尹甲秀/徐正雨/白昌基/辛福守/林玉仙/金南出/安永千/鄭登明/宋年順/金永根/韓鳳愚/李猛姫 |
210 |
解説 生きている〈ヒバクシャ〉 |
黒古一夫 |
ヒロシマ・ナガサキ原爆写真・絵画集成4-絶後の意志
頁 |
タイトル |
著者・作者 |
003 |
広島壊滅のとき 被爆カメラマン写真集 |
広島原爆被災撮影者の会 |
|
尾木正己/川原四儀/川本俊雄/岸田貢宜/岸本吉太/北勲/木村権一/黒石勝/斉藤誠二/空博行/林寿麿/深田俊夫/松重三男/松重美人/森本太一/山田精三 |
069 |
母と子で見る 原爆を撮った男たち |
「反核・写真運動」 |
|
松本栄一/菊池俊吉/林重男 |
|
110 |
米軍返還資料 |
林重男/菊池俊吉 |
125 |
米軍撮影写真 |
|
165 |
もの言わぬ証言者たち 原爆遺品 |
土田ヒロミ |
189 |
被爆から半世紀 未来への灯として |
SOLENT TESTIMONY:Artifacts form the Bombings |
238 |
解説 〈風化〉に抗して |
黒古一夫 |
ヒロシマ・ナガサキ原爆写真・絵画集成5-ヒロシマ
頁 |
タイトル |
著者・作者 |
003 |
原爆の図 |
丸木位里 ・丸木俊 |
|
第1部 幽霊/第2部 火/第3部 水/第4部 虹/第5部 少年少女/第6部 原子野/第7部 竹やぶ/第8部 救出/第9部 焼津/第10部 署名/第11部 母子像/第12部 とうろう流し/第13部 米兵捕虜の死 |
054 |
きり絵画文集 原爆ヒロシマ |
寺尾知文 |
|
閃光/原子雲/炎/川に飛び込む/水を求めて/さまよう/閃光と爆風/子どもを返せ/学徒たち/被爆者の顔/病床/平和の鐘 |
069 |
閃光の軌跡 |
山下蘇朴 |
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炸裂/うずくまる少女/乳飲子を抱いて炎の海から脱出しようとする血だるまの母/炎の街で/目玉の飛出した少年/炎の中で/閃光より子を守る母/閃光に皮を剥がれた娘/炎の中の母子/死んだ子どもを焼く家族/蛆虫の棲処となったヒバクシャの体/ケロイドのある被爆者/子どもの頭蓋骨を持つ女/黒い雨の降る街/髪の抜けることを気にしながら死んだ弟/ヒロシマの鳩 |
083 |
〝ヒロシマ〟シリーズ |
増田勉 |
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自画像/溶解/廃墟/屍/防空壕 |
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88 |
被爆市民が描く原爆の絵 |
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169 |
人間の再生を希求して 原爆に挑む画家たち |
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平山郁夫/上野誠/司修/島崎庸夫/石井壬子夫/森芳雄/奥谷博/絹谷幸二/福島瑞穂/大森運夫/秀島由己男 |
200 |
解説 心に刻印された〈地獄〉◎黒古一夫 |
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ヒロシマ・ナガサキ原爆写真・絵画集成6-ナガサキ
頁 |
タイトル |
著者・作者 |
003 |
原爆の図◎ |
丸木位里 ・丸木俊 |
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第14部 からす/第15部 ながさき |
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012 |
被爆市民が描く原爆の絵 |
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055 |
原爆絵巻 崎陽のあらし |
深水経孝 |
096 |
原子野スケッチ |
山田英二 |
101 |
平和版画集 原爆の長崎 |
上野誠 |
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長崎の顔/長崎の像/廃墟の丘/生きて残る/傷痕から/丘の上の老女/原子野A・B・C・D/ある被爆物語/火の中の鳩/はばたき/飛翔 |
128 |
人類の再生を希求して 原爆に挑む画家たち |
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山崎善次郎/永瀬平八/小川緑/大塚伊次/寺井邦人/松添博/尾崎正義/黒崎美千子/池野巌/小崎侃/平方亮三 |
196 |
解説 「証言」と〈祈り〉、〈怒り〉 |
黒古一夫 |
『広島―戦争と都市(岩波写真文庫72)』(岩波書店編集部編、19520806)
目次
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写真 |
菊池俊吉、相原秀次、林重男、松重美人、ABCC、中国新聞、共同通信、サン・アクメ、岩波映画製作所 |
1 |
天災と戦災 |
和達清夫 |
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2 |
原子爆弾 |
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3 |
原爆の傷痕 |
長田新 |
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4 |
「ノー・モア・ヒロシマス」 |
清水幾太郎 |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。