「年」カテゴリーアーカイブ

広島壊滅のとき-被爆カメラマン写真集

『広島壊滅のとき-被爆カメラマン写真集』(広島原爆被災撮影者の会、19810801)

目次

撮影者 備考
序にかえて(広島市長 荒木武)
001 尾糠政美
004 尾木正己
016 鴉田藤太郎
017 川原四儀
028 川本俊雄
070 岸田貢宣
077 岸本吉太
096 北勲
099 木村権一
101 黒石勝
106 斉藤誠二
109 空博行
122 林寿麿
127 深田敏夫
130 松重三男
133 松重美人
143 森本太一
146 山田精三
147 山本儀江
148 谷川長次
149 陸軍船舶司令部写真部
153 廣島特報
154 廣島特報
[一覧表]=撮影者氏名、撮影時年齢、遺族ほか
156 発刊のことば(19810715、ヒロシマ原爆被災撮影者の会)

 

原爆死の真実―きのこ雲の下で起きていたこと

『原爆死の真実―きのこ雲の下で起きていたこと』(NHKスペシャル取材班、岩波書店、20170725 )

目次

1 きのこ雲の下の二枚の写真
 原爆投下三時間後の写真
「涙でファインダーがくもった」
御幸橋は壊滅地帯の出口だった
コラム① 「地獄の再現」は、証言者がいたからこそ実現した
2 橋の上には凄惨な光景が広がっていた
少女は動かなくなった赤ちゃんを抱いていた
「どこに逃げればいいのか」それだけを考えていた
瀕死の重傷を負って
あれは「死の前の光景」だった
コラム② 私たちは八月六日、御幸橋を通った
3 写真にはどのような”痛み”が写し出されているか
「科学の力」で原爆の実相を浮かび上がらせる
人間が感じる最大の痛み、”フラッシュ・バーン”
写真は”原爆の非人道性”を物語る
放射線による影響は出ていたか
コラム③ 対談 熱傷の専門家×原子核物理学者
4 橋の上は、命を救う最前線だった
御幸橋は、救護の拠点となっていた
広島に入った特攻兵を皮肉な運命が待っていた
命の選別が行われた
似島に運ばれて
コラム④ 水をあげるか、あげないか。それは究極の選択だった
5 私は友を置いて橋へと逃げた
がれきの下で校歌の合唱が始まった
橋の上にいたのは、一〇代の少年少女たち
最大の犠牲者は中学生だった
悔いを抱えて
コラム⑤ 写真が写し出す”悲しき物語”
終章 原爆は市民の上に落とされた
公表になぜ七年もかかったのか
世界で唯一の写真は、訴え続ける
「被爆の真実」は伝わっているか
コラム⑥ 差別を超えて
あとがき

 

2020年9月(日録)

2020年9月(日録)

できごと
01 投稿『原爆の記録ヒロシマ―米国返還資料から』の校訂作業。
02 『原爆の記録ヒロシマ―米国返還資料から』を昭和図書館へ返却。
 02  ヒロシマ遺文への投稿=「2020年9月(日録)」
 03  ヒロシマ遺文への投稿=「原爆死の真実―きのこ雲の下で起きていたこと」。
 04  ヒロシマ遺文への投稿=「原爆死の真実―きのこ雲の下で起きていたこと」。「広島壊滅のとき-被爆カメラマン写真集」、「廣島あの日から(長岡省吾)」、
05  ヒロシマ遺文への投稿=「平和擁護広島大会宣言(19491002)」、「HIROSHIMA(長岡省吾)」、「広島(吉川清)」、
06  ヒロシマ遺文への投稿=「原爆記録映画」、「論文:原爆記録映画」、「年表:原爆記録映画」、「爆心地ヒロシマに入る」、「ヒロシマ二十年 原爆記録映画製作者の証言」、「たたかう映画-ドキュメンタリストの昭和史」、「世界写真家平和シンポジウム・写真展報告書」
07  ヒロシマ遺文への投稿=「母と子でみる 原爆を撮った男たち」、「佐々木雄一郎ヒロシマ25年 写真記録」、「ヒロシマは生きていた 佐々木雄一郎の記録」、
08 呉市立昭和図書館。『広島原爆写真集』、『長崎原爆写真集』、『広島、1945 生きていた広島』を借り出す。
 08  ヒロシマ遺文への投稿1=「ヒロシマ 21世紀へのメッセージ」、「年表:原爆展(1952年)」、「年表:原爆展(1953年)」、「年表:原爆展(1954~55年)」、「年表:原爆展(1956年)」、「年表:原爆展(1958~64年)」、「年表:原爆展(1969年)」、
  08  ヒロシマ遺文への投稿2=「年表:原爆展(1970年)」、「年表:原爆展(1973年)」、「年表:原爆展(1974年)」、「年表:原爆展(1975年)」、「年表:原爆展(1976年)」、「年表:原爆展(1977年)」、「年表:原爆展(1978年)」、「年表:原爆展(1979年)」、
09  ヒロシマ遺文への投稿1=「年表:原爆展(1980年)」、「年表:原爆展(1981年)」、「年表:原爆展(1982年)」、「年表:原爆展(1983年)」、「年表:原爆展(1984年)」、「年表:原爆展(1985年)」、「年表:原爆展(1986年)」、「年表:原爆展(1987年)」、「年表:原爆展(1988年)」、「年表:原爆展(1989年)」
09  ヒロシマ遺文への投稿2=「年表:原爆展(1990年)」、「年表:原爆展(1991年)」、「年表:原爆展(1992年)」、「年表:原爆展(1993年)」、「年表:原爆展(1994年)」、「年表:原爆展(1995年)」、「年表:原爆展(1996年)」、「年表:原爆展(1997年)」、「年表:原爆展(1998年)」、「年表:原爆展(1999年)」
09  ヒロシマ遺文への投稿3=「広島原爆写真集 決定版」、「長崎原爆写真集 決定版」、「広島、1945 生きていた広島」、「トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録」、「原爆=写真論 「網膜の戦争」をめぐって」、「原爆と写真」
10  NHK総合「土門拳のヒロシマを探して 戦後75年を生きた人たち」(2020年8月8日07:30~07:55)<再放送>視聴。
10  ヒロシマ遺文への投稿=「明田弘司」、「年表:広島原爆資料館」、「文献:原爆資料館」。
 11  ヒロシマ遺文への投稿=「松重美人「世界の記録写真」をめぐって」、「ヒロシマ・1960 永田登三写真集」。
 13  ヒロシマ遺文への投稿=「土門拳」。
14  新聞のダウンサイズ作業。切り抜き対象記事掲載の紙面だけを切り取る。9月13日~8月24日分終了。
 15  新聞のダウンサイズ作業終了。8月23日~8月6日。
18  NHK総合ラウンド中国「また、語れる日まで~被爆者“コロナの夏”を生きる~」(出演:豊永恵三郎、森下弘)視聴。
19  ピカ研資料整理=主に地図の整理。
19 19:00~ ~21:00。BS1「少年たちの連合艦隊〜“幸運艦”雪風の戦争〜」(再放送)視聴
 20  ユーチューブのせこへい美術館(2020年8月8日~16日まで、旧日銀広島支店で開催)を視聴https://www.youtube.com/watch?v=cvGz5-kye-Q
20  岩波写真文庫写真(長野重一・名取洋之助撮影)の整理。
 21  ヒロシマ遺文への投稿=「生きているヒロシマ」、
 22  ヒロシマ遺文への投稿=「HIROSHIMA」、「原爆第1号―ヒロシマの写真記録」、「アサヒグラフ」、「グラフひろしま」、
 23  石踊(安芸書房)に電話。ピカ研にあった第五師団の詳細な地図の存在を尋ねたが、知らないとのこと。
 23  ヒロシマ遺文への投稿=「敗戦と原爆投下(週刊朝日百科)」、「秘録大東亜戦史 原爆国内篇」、
 24  ヒロシマ遺文への投稿=「秘録大東亜戦史 原爆国内篇」の校訂作業。
 25  ヒロシマ遺文への投稿=「感性で撮るうまい写真」、「森下一徹」、「ヒロシマ 土門拳(1958)」、「ヒロシマ 土門拳全集10」、「生きているヒロシマ  土門拳1978」、「写真随筆 土門拳1979」、
 27  ヒロシマ遺文への投稿==「江成常夫」、「記憶の光景・十人のヒロシマ」、「ピカドン-ある原爆被災者の記録」、「福島菊次郎」、「福島菊次郎原爆と人間の記録」、「戦争がはじまる 福島菊次郎全仕事集」、「遺品は語る」、「きみはヒロシマを見たか」、「写真集 被爆45年広島の声なき証言者たち」、「写真集 平和のモニュメント」
 28  ヒロシマ遺文への投稿=「写真集 ドンが聞こえなかった人々」、「写真でみる原爆の記録」、「浜口タカシ写真集」、「カール・マイダンス 激動日本の目撃者」、「写真家100人 顔と作品」、

予定

年月日
20021004 ピカ資料研究所資料整理。
20201103  アメリカ大統領選挙。
202012  真珠湾攻撃(12月8日未明、ハワイ時間12月7日)79周年。

 

 

ヒロシマの証(土田ヒロミ)

『ヒロシマの証  岩波グラフィックス ・7 』(土田ヒロミ写真、杉原正、兼口芳哉文、岩波書店、19821124)

目次

遺品 旧所有者 タイトル 証言者(寄贈者)
02 半ズボンとバンド 満田二朗 ナガサキ・ヒロシマ 満田義忠
06 懐中時計 二川謙吾 8時15分で止まった時計 二川一夫
10 弁当箱と水筒 折免シゲコ
12 防空ずきんとカバン 生まれ変わり 舛田耀夫・舛田和枝
17 スリップ
18 救急袋 妹のけな気さ 桑山暁美
22 ご飯蒸しとコウリャン 黒いコウリャン 道田政雄
26 双眼鏡
28 学生服 甲子園への夢 下田則明
33 中学生の学生服
34 将校の軍服 心の負い目 冨田実
39 サーベル
40 ガラス・皿・酒杯 「武田一括資料」 武田学郎
45 ワンピース
46 ガラス片 体内ガラス 伊藤悟
50 軍医の服 夫からのはがき 本田松子
55
56 預金通帳 残った通帳 佐久間一夫
61 もんぺ
62 ピアノ 被爆ピアノ 金子修郎
66 鉄かぶと 教師の心の痛み 福丸敦枝
70 帽子・防空ずきん・被服帳
72 下駄 執念の下駄 井上富子
76 ワンピース 謝る毎日 古川ミツヨ
80 金銅仏

 

 

長崎 よみがえる原爆写真

『NHKスペシャル 長崎 よみがえる原爆写真』(NHK取材班編、日本放送出版協会、19950830)

目次

序文
序章 アメリカでよみがえる長崎
写真修復計画「長崎・ジャーニー」
1945年8月10日、川端庸介の「長崎・ジャーニー」
山端写真と最新技術との出会い/クリスとジュディ
第1章 長崎を記録した男
ヒロシマとナガサキ
原爆を記録したカメラマンたち
写真家・山端庸介の戦争
西部軍報道部と火野葦平
新たに発見された山端写真
PHOTOGRAPHS 8・10 長崎・ジャーニー
第2章 長崎・ジャーニー1 ラッキーガール、おにぎりを持った親子
偶然の「浦上工場」/八月十日「悲劇の谷」到着/早朝の憲兵隊本部
少女の微笑み/「ラッキーガール」の悲劇/「さまよう兄弟」との出会い
炊き出しのおにぎり/「おにぎりを持った親子」/優しかった母の面影
第3章 長崎・ジャーニー2  爆心地・傷つき焼かれた人々
モンペの柄から/トラックの上の炎熱地獄/爆心地の悲惨/立ちすくむ少女
平和を祈る龍さんの五十年/路面電車、生と死のドラマ
謎の「浦上天主堂」写真
第4章 長崎・ジャーニー3  救援・逃げ延びた人々
爆心地から北へ/市役所職員奮闘す/「これは私の家だ」
道ノ尾駅の幻の看護婦/日赤第七一三救護班/胸に滲むチンク油の匂い
語ってくれた[お乳をあげる母]/二人の子を失って/写真が説明している
〇〇 PHOTOGRAPHS  8・10 長崎・ジャーニー
終章 長崎の映像は語る
クリスとジュディの長崎再訪/アメリカ・原爆写真展の衝撃
あとがき

昭和をとらえた写真家の眼

『昭和をとらえた写真家の眼 戦後写真の歩みをたどる 』(松本徳彦、朝日新聞社、19890331 )

目次

1 敗戦・飢餓の証言者として
濱谷浩と影山光洋と菊池俊吉と木村伊兵衛そして林忠彦
2 戦後の家族生活を記録
影山光洋と吉岡専造そして富岡畦草
3 “時代の貌”をとらえる
林忠彦と大竹省二と
4 労働者の戦いの中で
田村茂と川島浩と
5 政治を彩った宰相の顔に迫る
三木淳と吉岡専造そして石井幸之助
6 米軍基地問題にいどむ
佐伯義勝と常盤とよ子と
7 ジプシー・ローズをモデルに
稲村隆正と秋山庄太郎そして中村正也
8 事件と報道のモラル
紫雲丸沈没を撮ったアマチュアカメラマン
9 日本古来の建築美に挑戦
渡辺義雄と石元泰博と
10 “スターの時代”を飾る
中村立行と吉岡潤そして早田雄二
11 農村の暮らしに分け入って
濱谷浩と木村伊兵衛と
12 社会をリアルに切りとる
渡部雄吉と長野重一と
13 人間の状況に迫る映像
奈良原一高と細江英公と
14 浅沼刺殺の一瞬をキャッチ
吉武敬能と長尾靖そして大友誠一
15 “百円”の写真集にこめる情熱
土門拳と河又松次郎そして…
16 原爆の悲惨を見すえる
土門拳と松重美人と山端庸介そして…
17 現実に対決する強いイメージ
東松照明
18 高度成長の“陰”に迫る
桑原史成と英伸三と
19 都市の光景の映像化
富山治夫と高梨豊と
20 広告写真の新時代を築く
早崎浩と横須賀功光と
21 ベトナム戦争と写真家たち
岡村昭彦と秋元啓一と沢田教一と石川文洋そして…
22 “揺れる大学”へ入ったカメラ
栗原達男と杉崎弘之と金山敏昭そして江成常夫
23 記憶と幻想を追って
森山大道と内藤正敏と
24 “私写真”への傾斜
深瀬昌久と荒木経惟と
25 映像表現の流れに沿って
昭和後期写真史への試み
参考文献
あとがき

 

HIROSHIMA 半世紀の肖像-やすらぎを求める日々

『HIROSHIMA 半世紀の肖像-やすらぎを求める日々』(大石芳野、角川書店、19950303 )

目次

004 <はじめに>ヒロシマを撮り始めて
021 火傷の痕跡をかかえて
清水ツルコ、池田精子、山岡ミチコ、岩谷久仁子、
067 入・退院を繰り返しながら
高橋昭博、松重美人、原広司、芝間タズ、橋本待子
加藤礼子、宮田幸子、桑原千代子、定信多紀子
小倉醇、久保浦寛人、宮永初子、室田秀子、小松清興、金田郁子、今田弥一、沼田鈴子、沼田聰子、日詰忍、佐伯敏子、下江武介、
李実根、金連順、郭福順、鄭寿作、権順分、厳粉連、金*禮、
久保美津子、豊永ツヤ子、豊永恵三郎、宗藤尚三、平元一登・平元ツルヨ、梅津康子、竹内武・竹内美代子、槻山ミツエ、山根富子、浜田忠夫、友保絹枝、
149 治らない原爆の傷 胎内被爆小頭症の場合
171 半径500メートル圏内
199 もう一つのヒロシマ 毒ガス島
213 夏の記憶 平和公園
252 <あとがき>凛然とした歳月
255 原爆被害MEMO

 

 

立ち上がるヒロシマ1952

『立ち上がるヒロシマ1952 岩波写真文庫アーカイヴス』(岩波書店編集部編、岩波書店、20130728)

004 略地図
006
007
008
129 名取洋之助と長野重一 発表されなかった写真<岩波書店編集部>
131 『広島―戦争と都市』の製作担当は私でした<倉持幸一(元・岩波書店常務取締役)>

 

百二十八枚の広島

『百二十八枚の広島 広島を撮り続けて六十一年、明田弘司(写真家)が見た 昭和二十年代→三十年代 』(明田弘司、南々社、20090808)

目次

004 広島駅 界隈
014 八丁堀・幟町 界隈
024 本通り 界隈
034 紙屋町 界隈
042 基町・横川 界隈
056 原爆ドーム・平和記念公園 界隈
064 平和大通り 界隈
076 千田町 界隈
086 仁保・丹那・宇品 界隈
100 江波・観音・草津・五日市 界隈
110 広島市街編
宮島、玖波、海田市、坂、呉(川原石)、豊島、尾道、因島、鞆の浦、芸北、西条