回顧五年-原爆ヒロシマの記録(爆弾篇/体験篇)
爆弾篇(1945年)
見出し |
掲載紙 |
掲載月日 |
英で着手、米で生産 |
毎日 |
0815 |
動力の世界に革新 |
毎日 |
0815 |
五百トン爆弾と同じ作用 |
朝日 |
0816 |
浅田博士に聴く(1) |
朝日 |
0821 |
理博、阪大教授、産業科学研究所員、超電波の権威 |
浅田博士に聴く (2) |
朝日 |
0822 |
浅田博士に聴く(3) |
朝日 |
0823 |
浅田博士に聴く(4) |
朝日 |
0824 |
浅田博士に聴く(5) |
朝日 |
0826 |
浅田博士に聴く(6) |
朝日 |
0827 |
原子爆弾の神秘を声明 |
|
19460330 |
体験篇(1945年)
見出し |
掲載紙 |
掲載月日 |
原子弾を浴びて |
朝日 |
0831 |
つきぬ情の一筋 |
中国 |
19460215 |
名作「原爆の回顧」 |
朝日 |
19470808 |
原爆孤児が綴る新版「父帰る」 |
中国 |
19470821 |
私らは大きくなった |
朝日 |
19480808 |
出典:『回顧五年-原爆ヒロシマの記録』(瀬戸内海文庫、19500505)
報道篇(1949年)
見出し |
掲載紙 |
掲載月日 |
八月六日を“世界平和デー”に |
中国 |
0128 |
海越えて米婦人“愛の小包” |
朝日 |
0131 |
原爆広島の復興、外人に忠言を聞く |
朝日 |
0206 |
原爆の街ヒロシマ |
毎日 |
0209 |
原爆患者の被災実演を撮影 |
朝日 |
0316 |
「原爆の日」を祝日に“ヒロシマ”の著者にも |
毎日 |
0320 |
原爆都の皇太子さま |
中国 |
0407 |
ノーモア・ヒロシマズ運動 |
中国 |
0419 |
原爆罹災者の署名運動 |
中国 |
0515 |
全人類を愛で結べ |
中国 |
0604 |
きのう晴れの着工 |
朝日 |
0604 |
原爆孤児と仲良く半日 |
毎日 |
0609 |
原爆の広島救えと9萬ドル |
朝日 |
0618 |
鳴れ世界の果まで |
中国 |
0623 |
悲願広島の家 |
朝日 |
0702 |
原爆傷害研究所近く着工 |
? |
7020 |
賛成が圧倒 |
中国 |
0709 |
平和を祈る一票 |
毎日 |
0709 |
あす公式に開所式 |
中国 |
0713 |
八月六日を広島の日に |
毎日 |
0719 |
6・7・8の三日間広島で平和祭 |
毎日 |
0804 |
世界各地へ記念ポスター |
中国 |
0804 |
高らかに平和の鐘 |
毎日 |
0807 |
広島・長崎にノッポ人出現か |
中国 |
0822 |
原爆死者二十萬突破 |
中国 |
0830 |
米眼科医二名が来広 |
朝日 |
0908 |
平和生む最後の一撃 |
朝日 |
0926 |
吉川氏夫妻を激励慰問金を贈る |
毎日 |
1001 |
四年後のヒロシマ |
? |
1001 |
原爆研究所陣容を強化 |
毎日 |
1009 |
平和への道標 |
毎日 |
1015 |
原爆の眼への影響 |
中国 |
1103 |
広島平和センター |
中国 |
1119 |
広島で原爆都市青年交歓会 |
毎日 |
1121 |
初の国際学生会議 |
中国 |
1122 |
広島、長崎に新しい原子病 |
毎日 |
1122 |
原爆体験記を紹介 |
朝日 |
1123 |
広島に集まる同情の眼 |
舞に |
1228 |
報道篇(1948年)
見出し |
掲載紙 |
掲載月日 |
原爆都一番乗り、瑞西から婦人記者 |
中国 |
0121 |
アトム広島にアメリカの花 |
毎日 |
0124 |
アトム広島に孤児の家 |
毎日 |
0205 |
北米の仏教徒から贈物 |
毎日 |
0211 |
原爆の被害者研究所 |
毎日 |
0215 |
原爆地に新しき村 |
朝日 |
0301 |
グ司令長官来広 |
中国 |
0302 |
明年“平和博” |
毎日 |
0303 |
児童文化会館の建設進む |
毎日 |
0305 |
アトム広島復興の春 |
毎日 |
0325 |
ベル博士らの祝福を浴びて 前例のない施設 |
中国 |
0504 |
爆心に悲願の公園 |
中国 |
0520 |
営々の“村造り”二年 |
朝日 |
0703 |
両市に原爆医学研究所新築 |
朝日 |
0706 |
回り来る平和三周年 |
毎日 |
0801 |
四度びめぐり来る思い出の日 |
中国 |
0801 |
世界平和確立は市民の責任 |
朝日 |
0805 |
海を渡りくる激励文 |
毎日 |
0806 |
平和きっと広島から |
中国 |
0807 |
平和宣言 |
中国 |
0807 |
「アトム都、広島の追憶式典」 |
朝日 |
0807 |
さよなら原爆症 |
中国 |
0808 |
大人気のスピード復興 |
中国 |
0824 |
平和記念公園の応募要項きまる |
中国 |
0824 |
広島市民へのメッセージ(ヘレン・ケラー) |
毎日 |
1014 |
ヒロシマ新地園、一ヵ月に外客五百名 |
中国 |
1207 |
素晴らしきかな平和都市 |
中国 |
1207 |
来広の外人に原子焼の贈物 |
中国 |
1207 |
『回顧五年-原爆ヒロシマの記録』(瀬戸内海文庫、19500505)
報道篇(1947年)
見出し |
掲載紙 |
掲載月日 |
広島・長崎の再建 |
毎日 |
0103 |
広島・長崎の居住害なし |
毎日 |
0119 |
米記者団一行の広島訪問感想記 |
中国 |
0220 |
原子爆弾で奇形児生る |
毎日 |
0328 |
自然の恵みを生かせ |
中国 |
0430 |
広島の焼跡に颯爽?登場 |
中国 |
0430 |
爆心に祈る孤児にうるむ愛の瞳 |
中国 |
0501 |
米国版「広島の声」 |
中国 |
0515 |
ベル博士と本川校結ぶ愛情 |
中国 |
0516 |
UP特派員の広島訪問記 |
中国 |
0519 |
人間は一撃で死んだ |
中国 |
0605 |
原爆症診断に都築博士来広 |
中国 |
0624 |
夏草原子爆弾模様 |
朝日 |
0628 |
爆心地に「仲よしくらぶ」 |
中国 |
0630 |
広島こそ平和のメッカ |
中国 |
0729 |
高らか平和の鐘 |
毎日 |
0629 |
原子医学は世界一 |
中国 |
0801 |
ピカッと来た途端に産ぶ声 |
朝日 |
0801 |
市街の八割三分復興 |
朝日 |
0801 |
あれから三年アトム広島変遷記 |
中国 |
0802 |
平和のメッセージ |
朝日 |
0802 |
母の愛か奇跡の生 |
中国 |
0803 |
原爆患者を慰問 |
中国 |
0803 |
平和の書「ヒロシマ」後日物語り |
中国 |
0803 |
平和な悲願の旅路 |
中国 |
0804 |
広島へマ元帥の特使 |
朝日 |
0804 |
世界語「ピカドン」 |
中国 |
0805 |
空から見た広島 |
毎日 |
0805 |
原爆のヒロシマの体験録音で全米に放送 |
朝日 |
0805 |
きょう原爆二周年 |
毎日 |
0806 |
高鳴る平和の鐘 |
朝日 |
0807 |
安らけし平和の日 |
中国 |
0807 |
マ元帥メッセージ |
中国 |
0807 |
文明の魁に広島市長宣言 |
毎日 |
0807 |
正一君をたずねて幾千里 |
朝日 |
0807 |
我が家の焼跡巡禮 |
朝日 |
0807 |
落とすなかれ三発目 |
中国 |
0809 |
広島、長崎の原爆影響調査 |
中国 |
0903 |
「原爆の乙女」が再生の航路 |
朝日 |
0904 |
広島、長崎の幼児発音調査 |
中国 |
0906 |
原子都と観光瀬戸内海 |
中国 |
0908 |
似島に原爆千人塚 |
中国 |
0920 |
轟け平和の鐘 |
中国 |
0924 |
つゆ草の遺伝変種発見 |
中国 |
0926 |
米に新しき友 |
毎日 |
0928 |
広島こそ世界のメッカ |
中国 |
0928 |
吹き飛んだ二〇キロ |
中国 |
1004 |
アチラの友達から広島の学童へ贈物 |
中国 |
1005 |
広島児童文化会館地鎮祭 |
中国 |
1005 |
原爆から二年、脚光を浴びる似島 |
中国 |
1014 |
原爆千人塚除幕式 |
中国 |
1014 |
沙漠に学童の天国 |
中国 |
1122 |
実験室に新しき生 |
中国 |
1129 |
広島で平和の世界会議 |
朝日 |
1207 |
アトム洗禮の神父遍歴の旅から還る |
朝日 |
1208 |
お土産はアトム教会 |
朝日 |
1208 |
原爆の都にわれらの天皇 世界に伝わる“天皇と広島” |
中国 |
1208 |
原爆地に千萬ドルの贈物 |
毎日 |
1215 |
ヒロシマに原爆研究所 |
毎日 |
1217 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
『回顧五年-原爆ヒロシマの記録』(瀬戸内海文庫、19500505)
報道篇(1946年)
見出し |
掲載紙 |
掲載月日 |
ただ一弾で焼野原 爆発音で誤り伝える二弾投下 文字通りピカドン |
中国 |
0106 |
“不妊症婦人”が妊娠 |
朝日 |
0120 |
圧力波で千里の突風 |
中国 |
0122 |
米軍総指令部 広島の被害を発表 |
毎日 |
0204 |
生きている原子爆弾 広島郊外で放射能を発見 |
毎日 |
0206 |
原子症状いまはなし 多くは恐怖による神経症 |
毎日 |
0206 |
市電近く全通 被爆後半歳・広島の復興 既に263の町内会誕生 築く”山陽屈指の貫禄” |
毎日 |
0206 |
”神父も槌を揮う” 教会再建の一点景 |
毎日 |
0206 |
[無見出し]<人員復帰状況> |
中国 |
0206 |
新型爆弾症 言葉を忘れたM君 これは健忘性失語症 |
中国 |
0211 |
「爆弾症」その後の状況はこうだ |
中国 |
0213 |
米大統領演説 「広島」は世界の出発点 原始時代に生きる教育の途 |
毎日 |
0513 |
青空教室 廃材の机、石の腰掛 原子沙漠にヨイコの学習 |
毎日 |
0515 |
爆弾症に医学の挑戦 都築博士中間報告 海水浴は持って以っての外 日光さけて地味に暮せ |
中国 |
0522 |
原子症は再発? 広島と長崎に新しい話題 |
毎日 |
0524 |
広島は平和のシンボル 帰国後の援助も惜まず モ顧問別離の挨拶 |
中国 |
0616 |
細胞や血液に新影響 原子爆弾と取組む2教授 |
朝日 |
0617 |
世に告ぐ新生「広島」 ”復興祭”をパリ放送局が現地録音 |
毎日 |
0703 |
団子に原子沙漠の草 広島市民のカロリー補給 |
朝日 |
0706 |
遺す原子弾戸籍 影響を遺伝的に研究 広島で10万人を登録 |
中国 |
0725 |
爆心に平和の霊地 復興に力強い宗教運動 |
毎日 |
0806 |
「沙漠」から「住める街」に けふ広島原子爆弾1周年 |
朝日 |
0806 |
雑草の「原爆植物園」 広高師藤田教授が保存に努力 |
朝日 |
0806 |
原子爆弾研究にわが学界総力を結集 |
中国 |
0808 |
霊よ安かれ・茂る夏草に祈り |
朝日 |
0808 |
原爆の影響で児童の体力低下 大部分は神経症状 |
中国 |
0831 |
天晴れ広島戦災五童心 |
中国 |
1117 |
火傷手術いまチャンス 安定期に入ったピカドン症 |
中国 |
1221 |
後世に伝う「原子戸籍」建物の部 一瞬9割崩る 槌音朗々 5割は復興 |
中国 |
1226 |
第49回日本新聞協会マスコミ倫理懇談会全国大会(2005)
日時:2005年9月29日~30日
日程原爆報道の戦後60年(マスコミ倫理懇レジメ)
『回顧五年-原爆ヒロシマの記録』(瀬戸内海文庫、19500505)
報道篇(1945年)
見出し |
掲載紙 |
掲載月日 |
敵、広島に新型爆弾 |
朝日 |
0811 |
落下傘つき、空中で炸裂 |
|
|
ピカッ!物陰に |
|
|
新型爆弾 |
|
|
鈍音熱線大轟音 |
|
|
悪魔の爆弾英民衆も非難 |
|
|
広島の戦訓 |
|
|
壕には爆風除け |
|
|
正に火薬二萬噸に匹敵 |
|
|
危険は閃光の一瞬 |
|
|
聖断を拝し大東亜戦争を集結 |
|
|
詔書 |
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|
最大の凶器原子爆弾 |
|
|
従来の作戦を一変す |
|
|
英米で共同研究 |
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|
原子爆弾投下機操縦者の話 |
|
|
死亡なお続出 |
|
|
原子爆弾現地調査報告書 |
|
|
原子爆弾、あの日の戦慄 |
|
|
残された原子爆弾の恐怖 |
|
|
惨、累々たる死骸 |
|
|
半径二キロまで全壊焼 |
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|
死者なおも続出 |
|
|
頭髪も全部ぬける |
|
|
「原子爆弾」その後 |
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|
広島の被害世界一 |
|
|
妊婦には影響なし |
|
|
嘘だ、七十五年説 |
|
|
原子爆弾防御法米研究所で発見 |
|
|
「原子爆弾」奇譚 |
|
|
原子爆弾の恐怖と対処策 |
|
|
地震学者のみた原子爆弾 |
|
|
根こそぎ倒れた国泰寺の樟 |
|
|
症状は回復してもこの冬無理は禁物 |
|
|
空中で組立て広島爆撃 |
|
|
街の話題 |
|
|
妊娠は当分駄目 |
|
|
原子爆弾と広島の復興 |
|
|
|
|
|
爆弾篇(1945年)
見出し |
掲載紙 |
掲載月日 |
英で着手、米で生産 |
毎日 |
0815 |
動力の世界に革新 |
毎日 |
0815 |
五百トン爆弾と同じ作用 |
朝日 |
0816 |
浅田博士に聴く(1) |
朝日 |
0821 |
理博、阪大教授、産業科学研究所員、超電波の権威 |
浅田博士に聴く (2) |
朝日 |
0822 |
浅田博士に聴く(3) |
朝日 |
0823 |
浅田博士に聴く(4) |
朝日 |
0824 |
浅田博士に聴く(5) |
朝日 |
0826 |
浅田博士に聴く(6) |
朝日 |
0827 |
原子爆弾の神秘を声明 |
|
19460330 |
体験篇(1945年)
見出し |
掲載紙 |
掲載月日 |
原子弾を浴びて |
朝日 |
0831 |
つきぬ情の一筋 |
中国 |
19460215 |
名作「原爆の回顧」 |
朝日 |
19470808 |
原爆孤児が綴る新版「父帰る」 |
中国 |
19470821 |
私らは大きくなった |
朝日 |
19480808 |
「ジャーナリストのためのヒロシマ基礎講座」(日本ジャーナリスト会議広島支部(JCJ広島)主催。20080712~)
回 |
テーマ |
講師 |
年月日 |
01 |
ヒロシマはどう伝えうるか-原爆・平和報道の過去・現在・未来 |
宇吹暁 |
20080712 |
|
広島女学院大学教授 |
02 |
|
浅井基文 |
|
|
広島市立大学広島平和研究所長 |
03 |
伝えることと、記録することのはざまで~原爆小頭症の取材を続ける中で思うこと~ |
平尾直政 |
RCC企画部長 |
04 |
広島の思想はなぜ国際政治を動かせないのか、動かすために我々はいかにすべきか |
広岩近広 |
20081025 |
|
毎日新聞専門編集委員 |
05 |
ブッシュ核戦略の挫折と米新政権の課題 |
太田昌克 |
20081122 |
|
共同通信記者 |
06 |
日本核武装の幻想 そしてナガサキの平和運動 |
土山秀夫 |
20090124 |
|
核兵器廃絶ナガサキ市民会議代表 |
07 |
報道されなかったイラク戦争 ~映像で見るイラク~ |
西谷文和 |
20090328 |
|
フリージャーナリスト、「イラクの子どもを救う会」代表 |
08 |
ひろしま―呉―イワクニ。トライアングルの視点 |
小野増平 |
20090418 |
|
広島経済大教授、元中国新聞編集局長 |
* |
緊急フォーラム:アメリカの核政策~オバマ大統領のプラハ演説が意味するもの |
|
20090425 |
|
哲野イサク(広島在住・ウェブジャーナリスト、大島寛(広島修道大教授)、佐渡紀子(広島修道大准教授) |
|
|
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|
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|
|
|
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|
|
|
|
|
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|
22 |
詩人と医学者、歴史家が語り合う「ヒロシマからフクシマまでの道」 |
|
20110723 |
|
アーサー・ビナード、鎌田七男 |
|
|
|
|
『被爆70年-市民が育んだヒロシマ』(広島自治体問題研究所、20150728)
内容
編 頁 |
タイトル |
著者 |
|
01 |
はじめに |
|
|
|
村上博(広島自治体問題研究所理事長) |
|
第1編 |
ヒロシマの市民活動 |
|
|
06 |
原爆遺跡保存運動懇談会のあゆみ |
高橋信雄 |
|
16 |
『木の葉のように焼かれて』を平和運動の推進に |
新日本婦人の会広島県本部 |
|
20 |
広島高校生平和ゼミナールの40年 |
澤野重男 |
|
28 |
70年目の「ヒロシマ」を考える |
大越和郎 |
|
34 |
原爆被害者相談員の会の活動をふり返る |
三村正弘 |
|
42 |
広島の被爆訴訟支援の到達点 |
青木克明 |
|
51 |
劇団 月曜会 今昔 |
岩井里子 |
|
55 |
21年目を迎える「平和のための戦争展」~見る戦争展から、育てる戦争展へ~ |
利元克巳 |
|
第2編 |
「ヒロシマ六法」(解説) |
田村和之 |
|
71 |
法律・条例集 |
|
|
|
広島平和記念都市建設法(1949年制定) |
|
|
|
広島市基本構想(2009年策定) |
|
|
|
被爆者援護法(1994年制定) |
|
|
87 |
編集後記 |
|
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|
橋本和正(広島自治体問題研究所事務局長) |
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原爆被害者援護法案要綱 1956.8
原爆被害者援護法案要綱 (日本被団協案)
第一 方針
一、国費により、原爆被害者の医療と必要な生活の保障を行うこととする
原爆被害者とは、原爆障害者及び原爆死没者ならびにそれ等の者の同一世帯員(主として当該障害者叉は死没者の収入によって生計を維持し、叉はその者と生計を共にした者、若しくはしている者)をいう。
原爆被害者については、次のような特異性が認められるので、これが医療と必要なる生活の保障は、すべて国庫負担によることが妥当と考えられる。
(一)科学的にみて
1、原爆障害者とは放射性物質のアルファー、ベーター、ガンマー線による持続的な細胞内原子機能機能の根本的破壊、ならびに爆発時における熱傷と爆風による広範な被害である。
2、原爆死没とは右のような原因により、死んだ者と今後予想せられる死亡をいう。
(二)医学的にみて
1、原爆障害者については、その治療は、長期を要し、かつ困難である。又被害者は多数にわたり、かつ後障害及び遺伝的影響を残すとされるから、その研究、治療は、総合的で規模も大掛りであることを必要とする。
2、原爆死没者については、的確な治療及び対策が講ぜられぬまゝ死没したものである。
(三)経済的にみて
1、原爆障害者については、その症状が前記のように特異であり、治療に永い期間と多額の費用を必要とするので、個々の患者にとって自らの治療の負担に耐え得ない。
2、原爆障害及び原爆死没者の同一世帯員については、原爆による被害が広範長期にわたり且大量殺りくであった為に自他共に生計維持の方途に苦しんだのである。従ってその障害者若しくは死没者か当該世帯の生計の中心者に該当する場合、叉は将来生計の中心者として期待される場合においては、その者の同一世帯員の生活は国家の責任において保障されることを必要とする。
(四)政治的にみて
原爆被害者は国の責任におい遂行した戦争による犠牲であり、原爆という当時においては予想を絶する特殊兵器によるものであるから、無防備無準備のまゝに受け、また警備にも適切を欠ぐという、全く個人の責任範囲外の被害であるから、これが治療と生活については国の責任で行はれるべきである。
二、その他、今日、国の責任において原子力科学及びその実用化の推進を取り上げているのであるから、これに随伴するであらう放射能被害の予防、治療、その他にも貴重な貢献をすることと思はれる。
第二 要領
一、国費で治療を行う者の範囲は、昭和二十年八月広島市及び長崎市における原爆障害者(当時胎内にいた者を含む。)とする。
二、本法による治療を行う者の決定は、先ず、被爆者の登録を行い、次いでこれらの者の内から、具体的に治療を行う者の認定をするという二段の手続きをとること。
登録対象は現に原爆症患者である者及び、将来原爆症の発生する可能性のあるもの、すなわち、被爆当時叉はその直后に被爆地域に在ったものとし、登録及び認定は、都道府県知事とする。
登録は、本人叉は第三者の申請によることゝし、次に治療を行う者の認定に当っては、厚生大臣の定める基準により諮問機関の議を経て決定するものとする。
三、治療を行う期間は転帰までとする。
四、治療を行う機関は厚生大臣の指定する医療機関とすること。
また、必要に応じて一時救護所を設けることができるようにすること。
五、医療機関の治療方針及び治療報酬は健康保険の例により、それによることができない時は厚生大臣が定めることとすること。
六、障害者に対しては障害年金を支給するか、若しくは、治療または療養を要する者の中、生活に支障を来たすため、これを受けることの困難な者に対しては治療手当または療養手当を支給すること。
七、障害者を安んじて治療叉は療養させるため都道府県知事が必要と認めたときは同一世帯員に対して援護することができるようにすること。
八、原爆死没者に弔慰金を支給し、その遺族に遺族年金を支給すること。
九、原爆障害者の調査と原爆障害の治療の研究機関を設立する。
十、被爆者の健康管理を行うこと、
本人の意に反しない範囲で登録の対象者である被爆者の健康状態を調査し、健康状態に関して指導と予防措置を講ずることゝし、これが実施は都道府県をして当らしめ費用は国が全額負担する。
十一、次の様な義務規定を設けること。
1、治療を受ける者及び健康管理を受ける者について、症状に関して、又、住居の変更に関して、当該機関に対する届出義務を化する。
2、治療の委託を受けた医療機関について、治療の経過等に関して当該機関に対する報告義務を課する。
3、右の届出、報告の時期様式等は省令に委任する。
十二、治療状況の報告を行った医療機関に対して要した実費を支給すること
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