『人類の未来への証言 シリーズ・日本の教師③』(全国原爆被爆教職員連絡会編、労働旬報社、19800806)
目次
部 |
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教え子に残す貴重な遺産として |
石田明 |
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1 |
いま、子どもたちに語りつぐ |
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全校生徒を前に、初めての被爆体験報告 |
久田照和(福岡 ) |
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半身の苦痛を戦争反対の強い叫びにして |
空フミコ(広島 ) |
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苦痛と惨禍を心の中から抜き出す |
井木邦彦(福岡 ) |
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軍人勅論の暗誦テストの最中に |
黒岩貞義(福岡) |
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2 |
原爆被爆と人間のきずな |
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自分につながる人間の発見 |
角増渉 (広島) |
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わが青春の友 |
田中米雄(大阪 ) |
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被爆家庭の戦後史 |
松尾嘉人( 長崎 ) |
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城山小学校殉難記 |
荒川秀男(長崎 ) |
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3 |
明日を生きる |
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告発するわが「てのひら」 |
永坂昭( 東京) |
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母子五人で生きてきた道 |
萱原威(広島) |
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私の中に生きてきた爪跡 |
藤岡裕子(広島 ) |
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生への執着 |
佐藤茂(北海道) |
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戦争をくり返さないための刻印 |
築城昭平(長崎) |
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4 |
平和教育を掲げて |
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小さな有名人ー先生・広島・原爆を結ぶ |
里見香世子(東京 ) |
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被爆教師として生きる |
吉崎温(長崎 ) |
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私の仕事 |
松井昭三(広島) |
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『平和教育入門』(広島平和教育研究所編、広島平和教育研究所出版部刊、19820601)
目次
章 |
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はじめに |
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1章 |
平和教育の目的 |
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問01 |
平和教育の重要性が叫ばれていますが、その理由を説明してください。 |
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問02 |
平和教育のなかで、「ヒロシマ・ナガサキ」の原爆学習が重要視されているのは、なぜですか。 |
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問03 |
平和教育は特設のかたちでおこなわれていますが、教科指導や生活指導のなかではやれないのですか。 |
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問04 |
文部省や教育委員会は、平和教育に積極的に取りくんでいるとは思えませんが、なぜですか。 |
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問05 |
平和教育では、なぜ戦争体験を語りつぐことが大切にされているのですか。また、平和教育は、戦争を防ぐ力になるのですか。 |
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問06 |
平和教育とは、どのような教育で、どのような子どもを育てていくのですか。 |
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問07 |
同和教青と平和教育の関係について、述べてください。 |
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2章 |
第二次大戦と核戦争の危機 |
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問08 |
戦争は、なぜおこるのですか。また、平和とはどのようなものですか。 |
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問09 |
第二次世界大戦は、たいへん悲惨な戦争であったといわれますが、具体的に説明してください。 |
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問10 |
第二次世界大戦は、日本にとってはさけることのできなかった戦争であったとか、正当な戦争であったという人たちがいますが、本当ですか。 |
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問11 |
「原爆は大きな被害を与えたけれども、それによって早く平和がもたらされたのだから、原爆投下はしかたがなかったことだ」という主張は、正しいのですか。 |
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問12 |
第二次世界大戦で日本国民は、なぜ戦争に反対し、戦争をやめさせることがてきなかったのですか。 |
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問13 |
いま核戦争がはじまると、地球は減亡するといわれていますが、具体的に説明してください。また、今日、地球を減亡させるほどの核兵器がつくりだされた原因について述べてください。 |
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問14 |
第二次大戦後も、核兵器が使用される危機が、何度かあったといわれていますが、その具体的内容と、使用されなかった埋由について述べてください。 |
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問15 |
核戦争は防げるのでしょうか。核兵器廃絶のすじみちについて述べてください。 |
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問16 |
国連が平和のために果してきた役割について、具体的に説明してください。 |
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3章 |
日本国憲法と自衛隊・軍事基地 |
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問17 |
日本国憲法はアメリカにおしつけられたものであるから、自主憲法をつくろうという主張がありますが、説明してください。 |
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問18 |
日本国憲法では、どのような方法で平和を守ろうとしているのですか。 |
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問19 |
自衛隊の存在と憲法の関係について、説明してください。 |
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問20 |
平和憲法下に成長した自衛隊は、他国の軍隊とは違うのではありませんか。自衛隊の足どりと現在の装備や戦力について、具体的に示してください。 |
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問21 |
日本に米軍基地があるのはなぜですか。米軍基地によって日本の安全が本当に守られているのでしょうか。 |
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問22 |
岩国などの米軍基地には、核兵器がもちこまれているといわれていますが、本当ですか。 |
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4章 |
体制づくりと実践例 |
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問23 |
平和教育は、いつごろから、どのように取りくまれたのですか。 |
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問24 |
平和教有を実践するためには、どのような職場体制を考えていかなければならないでしょうか。 |
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問25 |
平和教青は、いつ、どこでどのようにすすめればよいのでしょうか。 |
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問26 |
戦争体験のない教師が、平和教有に取りくめるでしょうか。 |
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問27 |
小学校低学年での、平和教青実践例をお示しください |
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問28 |
小学校中学年での、平和教育実践例をお示しください |
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問29 |
小学校高学年での、平和教育実践例をお示しください。 |
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問30 |
中学校での、平和教育実践例をお示しください。 |
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問31 |
高等学校での、平和教育実践例をお示しください。 |
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資料編:「平和宣言」広島市長 |
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あとがき 寺岡昭壮(広島平和教育研究所事務局長) |
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『ヒロシマへの旅 平和学習のしおり』(広島平和教育研究所・広島県原爆被爆教職員の会編、広島平和教育研究所出版部、19800120)
内容
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(1)広島駅に降り立って |
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北口一帯は昔の東練兵場
あの日の広島/臨時の救護所となった東練兵場一帯
二葉山から七つの川を望む
死人の流れる川 |
(2)比治山展望台に登って |
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山頂にあるABCC
ABCCの開設/ABCCと被爆者
展望台から望む宇品港と似島
戦争と宇品港/戦争と似島/被爆者と似島 |
(3)爆心地とその付近を訪ねて |
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原爆ドームとそのあたり 12
爆心地・島病院跡/原爆ドームと保存運動/T字型をした相生橋
西練兵場だった広島城付近 14
一瞬にくずれた広島城/被爆の証人・老エノ |
(4)原爆資料館と記念館の見学 |
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資料館での原爆学習
原爆の構造/熱線/爆風/放射線/死者数もわからないヒロシマの悲劇/原爆症
記念館での平和学習
今日の核兵器/核兵器禁止運動 |
(5)平和公園内の碑を訪ねて |
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ヒロシマの碑とその心
占領下時代の碑/占領後の碑
平和公園とその周辺の碑
原爆慰霊碑/原爆の子の像/原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑
平和公園とその周辺の碑案内地図 |
(6)原爆病院のお見舞 |
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原爆病院と被爆者/日赤病院の破壊跡と養護ホーム
被爆者はいま
被爆者の実態/原爆医療法と特別措置法
被爆者の三つの願い |
(7)ヒロシマヘの旅を終えて |
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そのまとめと今後への発展 |
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『教科書を国民の手に 原爆・戦争記述を中心とした「教科書」分析とその運動と』(広島平和教育研究所・広島県教職員組合、1977?)
内容
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■教科書が子どもの手にわたるまで-密室検定と職権採択 |
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■原爆・戦争の記述を中心として社会科教科書を考える―昭和52年版小学校教科書の検定過程を通して |
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■教科書を国民の手に―教科書裁判のたたかい |
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『高校生の原水爆・平和等意識調査』(広高教組平和教育推進委員会、広島県高等学校教職員組合、19850701 )
目次
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第1部 |
〔第一部〕高校生の原水爆等に関する意識および知識の調査一その推移と平和教育一 |
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■1985.1.調査 |
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■15年間の推移(1971~85) |
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Ⅰ ヒロシマに関する意識 |
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Ⅱ 被爆者の人権に関する意識 |
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Ⅲ 核に関する意識 |
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Ⅳ 戦争・平和に関する意識 |
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Ⅴ 平和教育に関する意識 |
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補 核などに関する意識 |
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付 ’83,教師,保護者との比較 |
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第2部 |
広島・高校生平和意識調査-1985.1 悉皆調査 |
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Ⅰ 平和教育に関する意識 |
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Ⅱ 8.6体験に関する意識 |
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Ⅲ 平和(情勢)に関する意識 |
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Ⅳ 学年別・地区別分析 |
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『この子らに語りつぐもの-広島原爆被爆教職員の手記 第1集』(広島県原爆被爆教職員の会、広島県高校原爆被爆教職員の会編・刊、19771220 )
目次
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備考 |
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はじめに |
石田明 |
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広島県原爆被爆教職員の会会長 |
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貴重な手記 |
森下弘 |
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広島県高校原爆被爆教職員の会長 |
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本谷正輝 |
戦災日記 原爆から終戦まで |
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空フミコ |
私の被爆体験と生きる道 |
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稲生雅之 |
1945年8月6日と私 |
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山田和邦 |
運命の瞬間を生きてきて |
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山本博哉 |
私の原爆体験記 |
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萱原威 |
明日に生きる |
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伊藤博幸 |
死人で埋まった広島の川 |
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藤岡裕子 |
被爆30余年、私の残すもの |
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坪井直 |
とどろき |
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智谷秋宣 |
一瞬にくずれた広島城 |
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池亀春男 |
原爆投下の日をふりかえる |
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山根和規 |
和代へ、父より |
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山本廣志 |
わたしの体験記 |
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松井昭三 |
すべてが無になったヒロシマ |
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植野浩 |
あとがき |
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『ヒロシマからの報告 平和・教育・被爆者問題を考える』(山田浩・関寛治・永井秀明・石田明・庄野直美編、労働教育センター、19760731)
目次
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はしがき |
山田浩 |
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1部 |
今日の平和問題とヒロシマ-報告 |
熊田重克 |
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ヒロシマの「心」と課題/診療白書」が明らかにしたこと/原爆後遺症と被爆二世問題/「ヒロシマ・ナガサキ」を理解しない政府/「ヒロシマの国際化」を抑止するもの/核軍拡競争と「核抑止論」 /核軍拡競争はなぜつづくか /ヒロシマに立って「平和」を論じる |
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ヒロシマから平和を考える-討論 |
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山田浩・関寛治・熊田重克 |
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米ソの冷戦と核戦略の展開 /アメリカの“核戦略”の転換と後退/軍拡とデタントの理論問題/ヒロシマに平和をつくりあげる// |
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2部 |
ヒロシマの平和教育とその展望 |
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永井秀明・大槻和夫・藤井敏彦・空辰男 |
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はじめに |
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平和教育の足どり |
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ヒロシマの平和教育の歩みと学校教育の現状-報告 |
空辰男 |
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戦後の原爆教育 /再起された原爆教育/文部省の「平和教育」/広島市の1つの教育実践 |
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討論 |
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教科書から原爆をハズしたい /平和教育は広島の子らをどう変えたか/子どもたちが主体になって |
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平和教育の目的と内容-報告 |
永井秀明 |
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平和教育の目的 /平和教育の内容 |
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討論 |
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平和教育の視点と焦点/平和教育実践ニつの側面 |
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家庭や子どもの状況と平和教育-報告 |
大槻和夫 |
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広島の子どもたちの原爆認識 /受験体制下の子どもと平和教育/子どもの文化と平和教育/家庭の現状と平和教育/家庭・地域における平和教育 |
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討論 |
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「家庭の場」がそこなわれていく /重視したい「地域のつながり」 |
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地域課題の発掘視点と平和教育運動-報告 |
永井秀明 |
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戦争体験の掘り起こしと教材化(原点教材)/郷土の歴史と自然の掘り起こし、教材化/安保体制の把握と教材化/ |
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国際連帯と平和教育-報告 |
藤井敏彦 |
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平和教育における国際連帯教育の位置 /真の国際連帯とは何か/国際連帯教育を前進させ深めるために/ヒロシマと国際連帯/ |
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ヒロシマの平和教育-総合討論 |
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永井秀明・大槻和夫・藤井敏彦・空辰男 |
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戦争体験と郷土史の発掘 /沖縄・被爆体験・原水禁運動/ヒロシマの国際化と地域化の結合 |
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3部 |
核時代の被爆者問題 |
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庄野直美・石田明・伊東壮・高橋昭博 |
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「ヒロシマ」の意味するもの-討論 |
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片仮名のヒロシマにこめられて/ヒロシマがもつ原体験/原爆投下と真珠湾攻撃/ヒロシマの風化は何に原因するか/原水爆禁止運動が広がったこと/ヒロシマの国際化と被爆者の役割 |
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原爆による物と体の被害-報告 |
庄野直美 |
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原爆についての基礎知識 /広島・長崎原爆における死傷者数/熱線・爆風・放射線による被害の実相/原爆の医学的影響-原爆症について/ |
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被害の実態-報告 |
伊東壮 |
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原爆による生活と心の被害-報告 |
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社会的側面のもつニつの意味/狭い意味の原爆被害/ 原爆被害の総合化/ |
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被爆者援護の諸問題-報告 |
庄野直美 |
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被爆者援護の歴史と救援運動 |
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被爆者援護の諸問題-報告 |
伊東壮 |
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政府の援護対策と援護法 |
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被爆者問題と「ヒロシマの心」-討論 |
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庄野直美・石田明・伊東壮・高橋昭博 |
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古くして新しい被爆者観 /外国人被爆者問題の周辺/「石田原爆訴訟」の今日的意味 /被爆者援護法と原水禁運動/「ヒロシマの世界化」を推進するもの |
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あとがき |
庄野直美 |
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『平和を叫ぼう!-”ひろしま”についての自主教材として(試案)』(2訂版)(広島県平和教育教材英語部門編集委員会・広島県被爆教師の会編、広島平和教育研究所出版部、19730701)
<「あとがき」=1971年1月>
『ナガサキの原爆読本』(ナガサキの原爆読本・平和教育資料編集委員会編、ナガサキの原爆読本刊、19720630)
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雲になってきえた 初級用 |
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原子野のこえ 上級用 |
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三たび許すまじ 中学用 |
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松永照正
20080127没 |
まつなが・てるまさ |
享年81 |
国際文化会館(現原爆資料館)館長。著書『ナガサキよ世界へ』(松永照正著刊、19890628) |
『ナガサキよ世界へ 元原爆資料館長の回想』(松永照正著刊、19890628)目次
章節項 |
見出し |
備考 |
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発刊に寄せて |
本島等(長崎市長) |
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はじめに |
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1 |
海外で核兵器廃絶をアピール |
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2 |
原爆資料館を訪れた印象深い内外の人々 |
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3 |
長崎原爆資料館(長崎国際文化会館)の紹介 |
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4 |
長崎市民へのメッセージ |
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あとがき |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。