核実験停止協定締結要請に関する決議(1962年12月22日)
アメリカとソ連は、現在なお核実験を続けています。核実験は、現在将来にわたって人類の生命と健康に害を与えます。
広島県議会は、従来しばしば決議要請してまいりましたがすぺての国の核実験をやめさせるために何度でもくりかえし反対し、一刻も早く停止協定を結ばせなければなりません。
ここに広島県民を代表して、すべての核保有国は来年一月一日を期して核実験停止協定を締結されるよう要請します。
右決議する
昭和三十七年十二月二十二日
核実験停止協定締結要請に関する決議(1962年12月22日)
アメリカとソ連は、現在なお核実験を続けています。核実験は、現在将来にわたって人類の生命と健康に害を与えます。
広島県議会は、従来しばしば決議要請してまいりましたがすぺての国の核実験をやめさせるために何度でもくりかえし反対し、一刻も早く停止協定を結ばせなければなりません。
ここに広島県民を代表して、すべての核保有国は来年一月一日を期して核実験停止協定を締結されるよう要請します。
右決議する
昭和三十七年十二月二十二日
『ひろしまの平和教育』(第2輯)
章節(頁) | 見出し | 備考 |
1 | (平和教育へのあゆみ)広島県における「平和教育」第二十次教研までのあゆみ | |
1-1 | 第18次県教研での問題提起とその討議 | |
1-2 | 第18次日教組全国教研へ問題提起 | |
1-3 | 第19次県教研での取組みとその内容 | |
1-4 | 県被爆教師の会の結成とその活動 | |
会の活動方針とその動き | ||
「ひろしま」「ながさき」を教えつづけることの誓いと訴え | ||
さらに活動を強化発展させるために | ||
1-5 | 平和教育教材づくり | |
2 | (第20次県教研の実践報告より 1)人権と民族平和への課題-平和教育の土台づくり | |
なぜ平和教育が必要か(23)/平和教育をいつどのように行うか(27)/研究体制づくりと研究の経過(28)/教材の自主編成によって平和を認識させる(31)/ | ||
3 | (第20次県教研の実践報告より 2)平和教育の実践でかわりつつあるその実態 | |
平和教材「ひろしま」を使って(40)/8月6日を学校行事にして(49)/今後の課題(55 | ||
4 | (第20次県教研の実践報告より3)大久野島-毒ガスをどう教えるか | |
大久野島を教える意義(56)/大久野島の地理と歴史(57)/毒ガスの島(60)/基地の島(71)/レジャーの島の中に(71)/従業員のくらしと運動(74)/今日の生物化学兵器(85)/大久野島をどう教えたかの実践例(88) | ||
5 | (平和教育への認識と展望)ひろしまの教師はなぜ平和教育を実践するのか | |
平和教育への阻害条件 | ||
“ひろしま”で何をどう教えるのか | ||
平和教育は最高の倫理を教える教育 | ||
■ | 平和教育教材“ひろしま”指導資料(全) |
『ひろしまの平和教育』
輯 | 発行年月日 | 備考 | 所蔵 |
G=原爆資料館。U=宇吹。 | |||
1 | 19700315 | 県平和教育専門委、教材編集委、被爆教師の会編 | GU |
19700701 | 『広島教育』別冊 No.218。第19次広島県教研集会平和部門専門委員会、広島県平和教育教材編集委員会、広島県原爆被爆教師の会編 | GU
|
|
2 | 19710720 | 広島県平和教育専門委員会、広島県平和教育教材編集委員会、広島県被爆教師の会編 | GU |
3 | 19730330 | 広島県平和教育専門委員会、広島県被爆教師の会編、広島平和教育研究所 | GU |
4 | 19760110 | 広島平和教育研究所、広島県教研平和教育部会編 | GU |
5 | 19780325 | 広島平和教育研究所、広島県教研平和教育部会編 | GU |
6 | 19800315 | 広島平和教育研究所、広島県教研平和教育部会編 | GU |
広島県高等学校原爆被爆教職員の会 設立年月日:19700729
広島平和教育研究所 設立:1972年6月1日
設立宣言
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
峠三吉
ヒロシマを忘却することは許されない。
それは、原爆の犠牲となった多くの人びとへの贖罪と鎮魂の意味からだけではない。全人類が無知と偏見、戦争の恐怖から免れ、平和のうちに生存し抜くことは、核時代を生きるわれわれの至上の課題であり、ヒロシマはその原点だからである。
人間の心に平和のとりでを築くことは、教育の力にまつところが大きく、ヒロシマは核時代の教育を問い直す原点である。教育を通して、ヒロシマを後の世代に継承し、人類共通のものにすることは、世界平和に貢献する人類史的責務である。
われわれは、このことを深く自覚し、平和教育に関する科学的究明を行なうとともに、広く世界の平和教育を推進することをめざして、ここに「広島平和教育研究所」を設立する。
機関誌:
全国平和教育シンポジューム開催概要
回 | 年月日 | 会場 | メモ |
1 | 19731013~14 | 広島女学院中学校 | <基調報告>石田明 、 <基調提案>藤井敏彦 |
2 | 19740601~02 | <基調報告>石田明、<記念講演>星野安三郎 | |
3 | 19750614~15 | 広島市幟町中学校 | <基調報告>石田明、<記念講演>早乙女勝元 |
4 | 19760612~13 | 広島市幟町中学校 | <基調報告>石田明、 |
5 | 19770611~12 | 広島市幟町中学校 | <基調報告>石田明、 |
6 | |||
7 | 19790602~03 | 広島市幟町中学校 | <基調報告>石田明、 |
8 | 19800920~21 | 広島市 | <基調報告>石田明、<記念講演>藤原彰 |
9 | 19810620~21 | 広島市 | <挨拶>森田俊男、<基調報告>石田明、<記念講演>沼田稲治郎 |
10 | 19820918~19 | 広島市 | <基調報告>石田明、<記念講演>栗野鳳 |
11 | 19830618~19 | <基調報告>空辰男、<記念講演>太田堯 | |
12 | |||
13 | |||
14 | |||
15 | |||
16 | |||
17 | |||
18 | |||
19 | |||
20 | |||
21 | |||
22 | |||
23 | 19950624~25 | 広島市立幟町中学校 | |
24 | 19960622~23 | 広島市立本川小学校 | |
25 | |||
26 | |||
27 | |||
28 | |||
29 | 20010623 | 広島女学院大学 | |
30 | 20020915-16 | 広島修道大学 | |
200309 |
『時代と記憶 メディア・朝鮮・ヒロシマ』(平岡敬、影書房、20110615 )
目次
部章 | ||
1 | メディアの世界で | |
1- | 衰弱する言論 | |
1– | “書き屋”の弁 | |
吉川幸次郎氏 人間生活こそ文明 | ||
1— | 唯一の一面コラム | |
天風録 | ||
1—- | 新聞界の苦悩 | |
1—– | 「為人民服務」はどこへ | |
2 | 朝鮮半島へのまなざし | |
2-1 | 韓国の被爆者たち | |
2-2 | 私の”朝鮮体験” | |
3 | 原爆・平和をめぐって | |
3- | 原水禁運動の混乱と後遺症 | |
分裂と主導権争い 一九六一年の平和運動 | ||
一九六二年・平和理論の課題 | ||
被爆者の苦悩みつめる福島菊次郎の写真集「ピカドン』 | ||
今も消えぬ原爆のせん光 二十四年目の被爆者たち | ||
広島市の平和行政の展開 | ||
新しい生き方を | ||
痛烈な異議申し立て こうの史代『夕凪の街桜の国」(双葉社) | ||
被爆五十周年の広島 | ||
核兵器を禁止する国際法を | ||
世界各国で「原爆展」を | ||
二十一世紀におけるヒロシマの役割 | ||
ヒロシマからアジアへ 平和をつくる市民運動 | ||
癒しの空間 効率主義に抗して | ||
調査と医療支援の一体化 NGO「ヒロ・セミ」の活動 | ||
日本・カザフスタンの人々の連帯を強め核兵器廃絶の世論を | ||
事前説明が不充分か?不満を訴える被害者 | ||
前進する被曝者医療 第五次医療支援訪問を終えて | ||
カザフの聞き取り調査に対する所感 | ||
生き抜く人々 | ||
カザフの高麗人 | ||
広島と長崎の教訓を忘れるな | ||
私と原子力光と影を見つめて | ||
大胆な原子力政策の転換を ヒロシマからのメッセージ | ||
「ヒロシマ再考」ノート | ||
おわりに |
『人間の心ヒロシマの心』(秋葉忠利、三友社出版、19881223)
目次
章節=頁 | タイトル | |
はしがき | ||
Ⅰ | 広島・長崎の経験を人類の祈りの基盤に〈基調講演〉 | 大江健三郎 |
Ⅱ | 被爆体験の意味と平和運動 | |
028 | なぜ広島でシンポジウムか〈主催者挨拶〉 | 柿木昇治 |
030 | 「ヒロシマの心」を世界の心に〈開会挨拶〉 | 荒木武 |
033 | 高い理想、そして具体的な出発〈オーガナイザー挨拶〉 | 秋葉忠利 |
035 | 何を誰にどう伝えるのか-そして何のために | 秋葉忠利 |
Ⅲ | 被爆体験の人類史的意味 | |
060 | 「被爆の証人」として生きる | 高橋昭博 |
072 | あらたな意味をもつ被爆体験の継承 | 宇吹暁 |
079 | あたらしい被爆者像を求めて | 舟橋喜恵 |
092 | 被爆後の年月を通して考える〈パネルディスカッション1〉 | |
Ⅳ | 広島のメッセージを実現するために | |
116 | 教育の現場で平和を考える | 片山美代子 |
127 | 仏教徒としての被爆体験と平和の願い | 光寺重信 |
144 | 核廃絶の可能性を求めて | 安江良介 |
153 | 心理学者と平和の問題 | ジョン・J・フューレディ |
158 | 「広島のこころ」を蘇らせるために〈パネルディスカッション2〉 | |
193 | 平和シンポジウム趣意書 | |
196 | 平和シンポジウム感想歌集から | |
198 | パネリスト紹介 | |
203 | 広島ターミナルホテルあいさつ | |
204 | 協力者一覧 | |
205 | フロアからの発言者プロフィル(発言順) | |
原田東岷 | ||
竹内千代 | ||
上神千波弥 | ||
江崎寿賀子 | ||
原伸幸 | ||
熊田信道 | ||
空フミコ | ||
中川幹朗 | ||
山本誠 | ||
延本充弘 | ||
井上敬喜 | ||
ローレンス・ウィイグ | ||
永井秀明 | ||
あとがき |
『 真珠と桜 「ヒロシマ」から見たアメリカの心』(秋葉忠利、朝日新聞社、19860720)
目次
章(頁) | タイトル | メモ |
はしがき | ||
Ⅰ | 怒涛 | |
009 | アキバ・プロジェクト ローカル・ジャーナリストを広島へ | |
(『ヒロシマ』森下弘)あなたの目で確かに見つめなさい | ||
039 | 平和の使徒 アメリカ人の原爆観 | |
(アメリカ合衆国国家)赤いロケットの焔/空中に炸裂する爆弾/それは星条旗が翻っている証(しるし) | ||
058 | 卑劣な日本人 悪の原点=パール・ハーバー | |
(能『葵上』)今の恨みはありし報い 瞋恚の炎は身を焦がす 思い知らずや 思ひ知れ | ||
079 | 一人ひとりの顔 記者たちの広島体験 | |
(『法句経』友松円諦)われらはここ 市の領域に近し… このことわりを知る 人々にこそ かくしていさかひは止まん | ||
Ⅱ | 源流 | |
097 | 鎖を断つ プロジェクト実現まで | |
118 | 他人の痛み 私の見た平和運動 | |
136 | 道端の焼夷弾 私の戦争体験 | |
156 | カラオケに耳を覆う 文化の壁は越えられるか | |
179 | プラウド・オブ・ユア・サン アメリカで父になる | |
Ⅲ | 分水 | |
201 | ビッガー・ザン・ユー カウボーイ社会アメリカ | |
225 | 医者と患者の関係 エキスパートの支配 | |
243 | ワシントン・シンドローム 忘れられる過去 | |
265 | 死を歓迎する心 被爆者は『生ける屍』か | |
281 | 二重被爆者神話 アメリカ社会の無力感 | |
303 | 現実と想像力 平和への意志 | |
327 | あとがき |
『非戦を生きる-高良とみ自伝』(高良とみ、ドメス出版、19830325 )
目次
章 | ||
プロローグ | ||
Ⅰ | 生いたち | |
婦人運動の先駆者、母邦子 | ||
父のこと | ||
キリスト教の家 | ||
寄宿舎生活 | ||
タゴールとの出会い | ||
「中条百合子<宮本百合子>さんについて」 | ||
Ⅱ | 行動する心理学者として | |
アメリカ留学 | ||
女子教育者として | ||
「友和会設立」 | ||
暗い時代へ | ||
「空襲・疎開・敗戦」 | ||
Ⅲ | 平和を求めて | |
復興への息吹の中で | ||
呉市助役として | ||
戦後初の婦人議員に | ||
極東裁判の印象 | ||
新憲法発布 | ||
緑風会へ | ||
世界平和者会議ヘ | ||
ローマ法王に戦犯の減刑請願 | ||
全インド婦人会議 | ||
全面講和か片面講和か | ||
売春防止法制定にむけて | ||
“鉄のカーテン”をくぐる | ||
モスクワへの道 | ||
モスクワでのこと | ||
モスクワ経済会議 | ||
グロムイコ会見 | ||
モスクワ見聞記 | ||
シベリアのラーゲル訪問 | ||
日中第一次貿易協定を結ぶ | ||
新しい中国の内側 | ||
スイスの赤十字へ | ||
高良とみ帰国歓迎会 | ||
日本婦人団体連合会結成 | ||
在中国同胞引揚げ交渉に再び北京ヘ | ||
アジア・アフリカの婦人と共に | ||
「妻として母として」 -内側から見た高良とみ |
高良留美子 | |
解説 | 柘植恭子 | |
高良とみ年譜 |