「年」カテゴリーアーカイブ

天皇陛下と広島

『天皇陛下と広島―昭和の御代に感謝のまごころを』(「天皇陛下と広島」編纂部、天皇陛下御在位六十年広島県奉祝委員会、19870211刊)

目次

御真影
大御歌(御製碑)
グラビア
戦後広島県巡幸(昭和22年)
植樹祭(昭和46年)
産業御視察(昭和26年)
天皇陛下御在位60年奉祝大パレード(昭和61年11月10日・東京)
出版に寄せて  山崎芳樹( 広島商工会議所 会頭)
序文 天皇陛下御在位六十年広島県奉祝委員会
第1章 ああ御在位六十年-民族の生命の復活と蘇生
偉大な悲劇 法隆寺玉虫厨子の意味 山背大兄王の哀しみ 五内為ニ裂ク 名誉を思わず利益を思わず  鎮魂の旅
第2章 戦後広島県巡幸史(昭和二十二年十二月五日~八日)
広島県巡幸概観
巡幸に込められた陛下の御決意  広島県巡幸への県民の願い  行幸を心待ちにする県民の声
大竹市・宮島町
国立大竹病院 三菱化成大竹工場  宮島桟橋 宮島で御静養
広島市
廿日市   広島戦災児育成所 広島県水産試験場   爆心地御通過  広島市民奉迎場  授産共同作業場 広島市立袋町小学校と第五中学校  県立広島第一中学校 広島市役所  広島県庁 広島駅
呉市
呉駅  呉市役所  呉市民奉迎場
三原市
浮城分室(御在所) 帝国人絹糸三原工場 東洋繊維三原工場   三菱重工三原車両製作所
尾道市・向島町
戦災引揚者応急住宅   向島西村津部田 尾道水道  尾道市役所
福山市・神辺町
千田村   神辺小学校  福山市救護院、母子寮   福山城址公園
第3章 天皇陛下ありがとうございます-県民から寄せられた感謝の声-
 山崎芳樹
 増岡博之
 川村智治郎「陛下と私」
 中川秀直
 粟屋敏信
 児玉秀一「忘れ得ぬ思い出」
 佐々木有
 奥原次郎
 石田成夫
 松浦多聞
 内海巌
 桜井正弥
 赤木蒸治
 佐竹利彦
 松下一男
 森安忠
 戸田一郎
 西村敏藏
 中島一史
 谷口寿太郎(元五日市町長)
 加賀美正孝
 桜井創造(広島特定郵便局長会理事)
 山田五巳(畑賀地区社会福祉協議会会長)
 織田金次郎(大竹市日本の伝統を守る会会長)
 献歌
 奉祝記念映画「天皇陛下-御在位六十年をことほぐ-」感想文
あとがき

原水爆禁止日本協議会

原水爆禁止日本協議会 設立:1955年9月19日

資料

日本原水協通信
19580201 No.5()~ 宇吹蔵=目次のコピー
19581005 No.15() 宇吹蔵=目次のコピー
原水協通信
19590605 No.2
19590715 No.6()通巻83
19590905 No.7()通巻84
19590995 No.8()通巻85
19590995 No.9()通巻86
19591005 No.10()通巻87
19591015 No.11()通巻88
19610825 No.19()通巻141
19610825 No.15()通巻164
19620715 No.16()通巻165
19630315 No.5()通巻177
19630515 No.9()通巻181
19630815 No.15()通巻187
19630901 No.16()通巻188
19640115 No.2()通巻197
19680701 No.11()通巻197
19751101 別冊 特集:第21回原水爆禁止世界大会国際予備会議・特別報告

原水爆禁止日本国民会議(原水禁)

原水爆禁止日本国民会議(原水禁)

 

結成大会:1965年2月1日

『原水爆禁止世界大会広島長崎大会報告決定集NO.1、NO.2』(19640825)

『原水禁ニュース』(19650301)~

『被爆20周年原水爆禁止世界大会報告決定集』(19650920)~

宇吹所蔵資料 『被爆**周年原水爆禁止世界大会報告決定集』

発行年月日 被爆**周年 備考
19740901 29 B5判 106頁
19820831 37 A5判 137頁
19830831 38
1988 43
1989 44
1990 45
1991 46
1992 47
1993 48
1994 49
1995 50
1997 52
1998 53
1999 54

 

 

核禁会議二十年史

『核兵器廃絶の叫び-核禁会議二十年史』(核兵器禁止平和建設国民会議、19820615)

目次

章節 タイトル
題字(磯村英一)
発刊のことば-核禁会議は躍進する(磯村英一)
1 核禁会議の誕生
1-1 結成までのいきさつ
1-2 内外注視の中の結成大会
<資料>結成大会で採択された宣言・決議・活動方針・組織方針
2 核兵器廃絶をめざして
2-1 核実験阻止の抗議行動
2-2 部分核停協定などの促進
2-3 核兵器禁止国民大会の開催
2-4 核禁運動の大同団結の呼びかけ
2-5 シンポジウムと地方核禁討論集会
2-6 行進・キャラバンなど世論喚起
2-7 非核3原則の堅持を訴える
3 国際世論に訴えて
3-1 核兵器禁止宗教者平和使節団の派遣
3-2 第1回アジア核禁会議の開催
アジア核禁会議開催委員氏名
アジア核禁会議実行委員氏名
3-3 国連軍縮特別総会に向けて
3-4 東京サミットに核廃絶を申入れ
3-5 釜山で「韓国・原爆資料展」開催
4 被爆者に愛の手を
4-1 被爆者救援カンパ活動の展開
4-2 被爆者の健康管理に役立つ医療器具の贈呈
4-3 韓国被爆者の救援と診療センターの建設
4-4 被爆者援護法の制定実現に努力
<資料>「原子爆弾被爆者援護対策の基本的要綱」
5 平和への願い
5-1 「平和の灯(ともしび)」の建設
5-2 「平和の泉」の建設
5-3 「平和の森」の建設
5-4 “万羽鶴”に願いをこめて
5-5 「人間環境宣言」で要望
5-6 被爆20周年・核禁会議の決意
5-7 原子力の平和利用をめざして
5-8 核軍縮国際センターの設立へ
6 核兵器をめぐるここ10年の情勢と核禁会議の基本姿勢座
座談会 核禁会議結成前後「あのころ・あのこと」(松下正寿・伊藤郁男・山本道・一木香告樹)
資料集 核禁会議理事団体・歴代役員並びに規約
被爆者救援金配分内容=各県別カンパ額
年表
 あとがき

 

 

 

核禁会議30年史

『核兵器廃絶と恒久平和を求めて-核禁会議30年史』(核兵器禁止平和建設国民会議、19940101)

目次

章節 タイトル 備考
題字 磯村英一書 91歳
発刊のことば-21世紀に向って強く前進 磯村英一
30年史の発刊に寄せて
1 核禁会議の誕生
1-1 結成までのいきさつ
1-2 内外注視の中の結成大会
<資料>結成大会で採択された宣言・決議・活動方針・組織方針
2 核兵器廃絶をめざして
2-1 核実験阻止の抗議行動
2-2 部分核停協定などの促進
2-3 核兵器禁止国民大会の開催
2-4 核禁運動の大同団結の呼びかけ
2-5 シンポジウムと地方核禁討論集会
2-6 行進・キャラバンなど世論喚起
2-7 非核3原則の堅持を訴える
3 国際世論に訴えて
3-1 核兵器禁止宗教者平和使節団の派遣
3-2 第1回アジア核禁会議の開催
3-3 国連軍縮特別総会に向けて
3-4 サミットに核廃絶を申入れ
3-5 釜山で「韓国・原爆資料展」開催
4 被爆者に愛の手を
4-1 被爆者救援カンパ活動の展開
4-2 被爆者の健康管理の促進と医療器具の贈呈
4-3 韓国被爆者の救援と診療センターの建設
4-4 被爆者援護法の制定実現に努力
<資料>「原子爆弾被爆者援護対策の基本的要綱」
5 平和への願い
5-1 「平和の灯(ともしび)」の建設
5-2 「平和の泉」の建設
5-3 「平和の森」の建設
5-4 “万羽鶴”に願いをこめて
5-5 「人間環境宣言」で要望
5-6 「ノーモア広島・長崎」への決意
5-7 原子力の平和利用をめざして
5-8 核軍縮国際センターの設立を提唱
6 核兵器をめぐるここ10年の情勢と核禁会議の基本姿勢
座談会 核禁会議結成前後「あのころ・あのこと」(松下正寿・伊藤郁男・山本道・一木香告樹)
資料集 核禁会議理事団体・歴代役員並びに規約
被爆者救援金配分内容=各県別カンパ額
年表
あとがき

広島平和記念資料館メールマガジン

広島平和記念資料館メールマガジン
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1266726516184/index.html
多くの人々に広島平和記念資料館に関心を持ってもらうため、資料館に関する最新情報(コラム、資料館トピックス、企画記事、図書紹介等)を配信
●配信日 毎月1日
●配信形式  テキスト形式
●発行者 広島平和記念資料館啓発担当

 

 号 発行年
月日
 記事  著者等
2003
創刊準備 0718 メールマガジンの創刊にあたって 畑口實(広島平和記念資料館長)
「コラムは、広島平和記念資料館の運営をしている( 財 )広島平和文化センター齊藤忠臣理事長を中心に、私を含めた資料館のスタッフが執筆していきます。このコラムでは、ヒロシマにまつわるいろいろな話題や資料館に来られた方とのエピソード等を読みやすい文章でお伝えする予定です。ご期待ください。」
創刊 0801 コラム
ヒロシマの風
 斎藤忠臣
資料館
ニュース
 平成15年度第一回企画展「原子爆弾ナリト認ム」―原爆投下後に行われた被爆調査の軌跡を追う― の概要をご覧いただけます。
2  0901  コラム
ヒロシマの風
 斎藤忠臣
3  1001  コラム
ヒロシマの風
 畑口實
4  1101  コラム
ヒロシマの風
 斎藤忠臣
5  1201  コラム
ヒロシマの風
 斎藤忠臣
6  1226 コラム
ヒロシマの風
  畑口實
対話ノートから
「対話ノートは、1970年10月17日から、当館西館北側ロビー出口付近に設置しており、館内展示を観覧された方々に、
記名匿名にかかわらず、自由に感想を書いていただいてい
ます。来館者同志、あるいは来館者と資料館職員との対話
のためのノートです。
対話ノートの冊数は、今年12月26日現在で879冊。今月は
対話ノートに残された海外から来館された方の感想をごく
一部ですが、紹介いたします。」
 2004
7 0130 コラム
ヒロシマの風
広島平和記念資料館 副館長(啓発担当)山本靖彦
「昨年10月、市民の方から「啓発という言葉は不遜ではな
いか」という趣旨の投書をいただいた。私どもの職場の名
称である『啓発』という言葉には、「役人が市民を教育す
るというようなニュアンスが感じられる。この役所的なネ
ーミングを変えるつもりはないか。」
これに対し、私ども啓発担当として、「『啓発』という言
葉には、“知識をひらきおこし理解を深めること(広辞苑
新村出編第四版)”という意味があり、『啓発担当』のネ
ーミングは、原爆による広島の被害状況や平和への取り組
みについて普及し、理解を深めたいとの思いから付けられ
たものであり、(中略)教育しよう、ということでこの名前
になったものではない」と、その市民の方には回答申し上
げた。もちろん、今後、組織改正の際などに検討していき
たい旨の一文も添えた。」
資料館
ニュース
ヒロシマを知る講座(第二回)
「復興資料を読み解く」講師 松林俊一(広島市文化財団文化財課普及担当課長)
8  0301  コラム
ヒロシマの風
 広島平和記念資料館 副館長(学芸担当) 高野和彦
9  0401  コラム
ヒロシマの風
 齊藤忠臣
広島市内の学校における平和への取組み(1) 平和学習のため、全国から多くの学校が、広島、長崎そして沖縄などの地を修学旅行で訪れます。
もちろん、広島においても、多くの学校が被爆体験を正しく伝え、平和について考え、平和を創造していくための様々な取り組みや活動を行っています。
千羽鶴で有名な佐々木禎子さんの母校・広島市立幟町中学校では、かつて「原爆の子の像」建立の原動力となる行動を起こしました。平成12年には校内に「折り鶴の碑」を設立。平成13年には、サダコの物語を漫画化した「わたしからのメッ
セージ」を刊行。現在も「平和委員会」を中心に「原爆の子の像」碑前祭、県内外の学校との平和交流など、平和に関する様々な行事を行っています。(詳しくは↓の学校のホームページをご覧ください)
http://www.noborichou-j.edu.city.hiroshima.jp/これからも、随時、特徴的な具体例を取り上げて紹介したいと考えています。みなさんの学校での平和学習や平和への取組みの参考になれば幸いです。
  読んでみたい―この一冊 吉田守男 『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』朝日新聞社(朝日文庫) 本体640円 ISBN-02-261353-X C0121
「第二次世界大戦末期、京都・奈良・鎌倉など、貴重な文化財の残る古都が米軍の空襲を免れたのは、日本の文化・芸術をこよなく愛し、それを戦禍から守ろうと政府に働きかけた米国人学者の努力のお蔭である」
こんな逸話に聞き覚えがありませんか?
この本の著者は、この「伝説」の拠り所になった事柄を精緻に考察し、伝説が創られた過程を検証しています。つまり、戦争中、京都の文化財保護のために尽力したといわれるウォーナー博士の「伝説」は、終戦直後の情報不足からくる噂話を利用して、GHQ民間情報教育局(CIE)が作り上げた
ものではないだろうかと。そして、京都が空襲を免れたのは、「原爆投下候補地に指定されていた」ためであるといいます。
未知の兵器である原爆の威力を正確に測定するため、原爆の投下目標になった都市(広島・新潟など)は『爆撃禁止都市』に指定されていました。8月15日の終戦がなければ、京都に3発目の原爆が投下されていた可能性もあったのです。
著者が示した原爆と京都の関係は、あまり声高に語られてきませんでした。未だに古都の景観保存運動では、「米国人が残してくれた町並みを日本人が壊すのか」という話をよく聞きます。この本を読みながら、あなたも「伝説」の謎解きに参加してみませんか。
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ヒロシマの風
 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
館長 前田耕一郎
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臨時  0430  広島平和記念資料館メールマガジンの休刊について  当館では、資料館東館・本館のリニューアルオープン(平成30年夏予定)に合わせて、メールマガジンを一新するよう検討しています。
このため、しばらくの間、メールマガジンを休刊しますので、ご理解いただきますよう、よろしくお願いします。
生まれ変わるメールマガジンを、どうぞご期待ください。

 

 

波乱の生涯を全力でつくした七十年の斗魂

『波乱の生涯を全力でつくした七十年の斗魂』(金本邦夫著、財団法人富士社会教育センター刊、19960520刊)目次抄

章節
出版に寄せて
はじめに
1 小さい頃と両親のこと
2 小学校時代のこと
3 青年団活動
4 大東亜戦争のこと
4-12 原爆と終戦
5 音戸町体育協会のこと
6 全力つくした町議会議員
6-1 戦後第1回統一地方選挙に出馬。<音戸町議員>
6-2 戦争未亡人救済の町営授産場設立に努力
6-3 町立保育所の設立を実現
6-4 音戸高等学校誘致に死力をつくす
7 呉造船労働組合時代 労働運動に生涯をかける決意
7-1 労働運動に入るきっかけ
7-2 給料遅配に特別交渉委員。出征兵士見送り同様の壮行会で上京
7-6 全国初の厚生年金還元融資の串山住宅
7-7 中国労災病院呉誘致に一役買う
7-9 呉造船独立と労働組合
7-10 生協売店市中進出反対デモの応対。本部建設に一役、音戸取次所を自宅に
7-12 労働組合長に就任
7-13 年満者夫婦の招待慰安旅行の実施
7-16 組合特自の共済規定の実現
7-17 家族会の結成と家族相談室の設立
7-19 年満者引続き雇用を要求・遂に呉船産業株式会社設立を実現
7-20 毎日新聞全国版(1961年2月4日)に40代の顔として紹介される
7-22 組合結成十五周年記念事業として十五年史発刊と会館建設を実施
8 広島全労議長として活躍
8-1  造船総連、総同盟等の上部役員
8-2  広島全労議長に就任
 8-3  県関係の各種委員に任命される
 8-4  日本生産性本部米国派遣視察。労働者チーム十二名の団長として
 8-4-1  出発に郷里で見送り壮行会
 8-4-2  いよいよアメリカ、主要都市周辺のこと
 8-4-3  労働組合が国旗と組合旗を尊重
 8-4-4  徹底している産業別組織の確立。大手鉄鋼会社で県出身二世課長の案内
 8-4-5  組合大会を見学、幹部と懇談。働きすぎの日本におひやかされる
 8-4-6  日系人のこと
 8-4-7  手土産と家庭訪問
 8-4-8  余話
 8-5  最賃法裁判で基準局賃金課長を激励
8-7-1
 8-6  憲法調査会の公述人として意見陳述
8-7 核禁会議の結成で原水協とテレビ対決
8-8 労済、労住、労福協の結成
8-8-1 植木仙次郎氏8-5の功績
8-8-2 広島県労働者共済生活協同組合の設立
8-8-3 広島県労働者住宅生活協同組合の設立10月
8-8-4 広島県労働者福祉対策協議会結成
8-8-5 結成周年記念式典の思い出
8-8-6 焼山政畝団地造成の思い出
8-8-7 音戸波多見竹田浜埋立団地に
8-9 労働争議の斡旋、調停、指導
8-9-1 西美電気西光精機(現テンパール工業)
8-9-2 府中町静養院の争議
8-9-3 ニコニコバスの争議
8-9-4 日東製網の争議解決に努力
8-9-5 佐竹新労結成は暴力を排除して
8-9-6 激しかった当時の労働争議
8-9-7 国鉄、電産のスト、労使に苦言
8-9-8 地労委としての私の基本的考えと携わった事件
8-9-9
8-9-10 メーデー改善を訴える
8-9-11 講演依頼やテレビ、ラジオの対談。常にマスコミの対象にされる
8-9-12 同盟会議結成の準備と全労議長退任
9 職場復帰で全力投球 社長表彰、更に営業で実績
10 PTA活動と小、中学校の分離推進で中学校建設に献身
11 生涯民社党を貫く
12 思い出深い選挙活動
まえがき
12-1 衆議院議員前田栄之助先生を支えて
12-2 民社党結党直後の衆院選、私に出馬要請されるも遂に辞退
12-3 永野巖雄先生とのかかわり
12-4 二区衆議院選に香河直祐氏。選対委員長を引受けて闘う
12-5 山田節男先生と私。参議院選挙と広島市長選挙
12-6 浜田光人先生、衆院選擁立について
12-7 保野健治郎先生の選挙
12-7-1 呉市長選擁立に社公民三党の話合い
12-7-2 二回目の市長選は未曽有の激戦
12-7-3 衆院二区に擁立して健闘。事務長を引受ける
12-8 小西博行先生擁立に主役。経緯と参院選
12-9 永末英一選対委員長来呉で二区衆院候補擁立について話合う
12-10 全国初の公民協力、勝谷勝弘氏を支援
12-11 盟友玉野晃君と県会議員選挙
12-12 玉野君病で引退説得を依頼される。後任混乱。私は苦しみ抜き、党のため遂に候補受諾
12-13 次期県議候補に柳田稔氏を説得
12-14 参院地方区佐々木秀隆候補は呉支部党員
12-15 呉市議選につくした私の役割
12-15-1 組合長在任中二回の補欠選挙に勝利
12-15-2 出崎文三氏をわが社社員で市議へ
12-15-3 榊原伍市議との交友
12-15-4 横田勝信市議とのこと
12-15-5 民社の申し子、重盛親聖市議。永年の結びつきと選挙を思う
12-15-6 組織外から森岡よし子氏擁立に一役。平成七年統一地方選に初の女性市議
12-15-7 成功しなかった市議選
12-16 川尻町長選に花田博幸氏、惜敗する
12-17 音戸町長選(平成五年)を思う
12-18 公職選挙法違反で留置場十九日。会社、団体等役員十九件を辞任
12-19 民社党候補者探しは私の役目として努力
13 会社設立し理想に向って
13-1 IHIを中途退職して外で行動
13-2 株式会社くれせん設立
14 家庭、家族のこと
15 大東亜戦争戦没者慰霊碑建設と老人福祉施設の建設を希求して
むすびに
金本邦夫略年譜

広島市平和式典(2008年)における総理大臣挨拶

内 閣 総 理 大 臣 挨 拶

広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。

六十三年前、幾万の尊い命と共に焦土と化した広島は、今や我が国有数の大都市に発展するとともに、国際的にも平和都市として名誉ある地位を占めています。私は、これもひとえに市民の皆様方が、廃墟の中から立ち上がり、街を復興するにとどまらず、被爆地として、平和の尊さを世界中に訴える努力を続けてこられた賜と考えます。

国としても、唯一の被爆国として、広島、長崎の悲劇を二度と繰り返してはならないと堅く決意し、戦後一貫して国際平和の途を歩んでまいりました。

広島は平和の象徴(シンボル)です。昨年から日本とアジアの青年たちが「広島平和構築人材育成センター」に集い、平和の大切さを実感しながら国際平和協力活動について学ぶ研修を始めています。

平和で安定した国際社会は、我が国の安全と繁栄にとってもかけがえのない財産であり、これを守り育てるためにも、我が国は「平和協力国家」として、国際社会において責任ある役割を果たしていかなくてはなりません。先の北海道洞爺湖サミットのG8首脳宣言では、初めて、現在進行中の核兵器削減を歓迎し、すべての核兵器国に透明な形での核兵器削減を求めました。

そして、本日、ここ広島の地で、改めて我が国が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていくことをお誓い申し上げます。

また、被爆により苦しんでおられる方々には、保健、医療並びに福祉にわたる総合的な援護策を実施してまいります。本年三月には、原爆症認定の新たな方針を策定し、できる限り多くの方を認定するよう努めています。さらに、六月には、在外被爆者の方々の被爆者健康手帳の取得を容易にするための改正被爆者援護法が成立しました。今後とも、苦しんでおられる方を一人でも多く援護できるよう取り組んでまいります。

結びに当たりまして、犠牲となられた方々の御冥福と、被爆された方々並びに御遺族の皆様の今後の御多幸、そして広島市の一層の発展を心より祈念申し上げ、私のあいさつといたします。

平成20年8月6日
内閣総理大臣 福田康夫

広島市平和式典(2007年)における総理大臣挨拶

広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式
内 閣 総 理 大 臣 挨 拶

本日、広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。また、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞い申し上げます。
広島は、焦土から立ち上がり、国際平和文化都市として、大きく成長しました。今日まで、広島の復興と発展に尽力された多くの皆様に心から敬意を表します。
今から六十二年前の今日、原子爆弾がこの地に投下されました。広島の広範な地域で十数万ともいわれる尊い命が一瞬にして奪われ、多くの方々が傷つき、今も残る耐え難い障害に苦悶されています。
七万戸に及ぶ建物が破壊され、市民の財産の大半が灰燼に帰するなど、ここ広島の地は廃墟と化しました。
我が国は、戦後六十二年の間、ただひたぶるに国際平和への途を歩んでまいりました。広島、長崎の悲劇は、この地球上のいかなる地においても再び繰り返してはなりません。我が国は、人類史上唯一の被爆国として、この悲惨な経験を国際社会に語り継いでいく責任があるのです。
私は、犠牲者の御霊と広島市民の皆様の前で、広島、長崎の悲劇を再び繰り返してはならないとの決意をより一層強固なものとしました。今後とも、憲法の規定を遵守し、国際平和を誠実に希求し、非核三原則を堅持していくことを改めてお誓い申し上げます。
また、国連総会への核軍縮決議案の提出などを通じて、国際社会の先頭に立ち、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け、全力で取り組んでまいります。
政府は、被爆者の方々に対して、これまで保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護施策を充実させてきました。本年四月からは、原爆特別養護ホーム「矢野おりづる園」を新たに開設したところです。今後とも、被爆者の方々の切実な声に真摯に耳を傾け、諸施策を誠心誠意推進してまいります。
終わりに、犠牲となった方々の御冥福と、被爆者並びに御遺族の皆様の今後の御多幸、そして広島市の一層の発展をお祈り申し上げます。

平成19年8月6日
内閣総理大臣 安倍晋三

広島市平和式典(2001年)における総理大臣挨拶

広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式

内 閣 総 理 大 臣 挨 拶
本日ここに、被爆五十六周年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が執り行われるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。そして、今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる方々に対し、心からお見舞いを申し上げます。

今から五十六年前の今日、原子爆弾の投下により、幾多の尊い生命が一瞬にして失われ、この広島の地は廃墟と化しました。現在では市民の皆様の並々ならぬ御努力により、国際平和文化都市として、ますますの発展を遂げておりますが、現在の平和と繁栄の礎に、原子爆弾の惨禍による尊い犠牲があることを決して忘れることはできません。

人類史上唯一の被爆国である我が国は、平和憲法を遵守し、非核三原則を堅持するとともに、原子爆弾による惨禍が再び繰り返されることのないよう、核兵器の廃絶と恒久平和の実現を、国際社会に訴え続けてまいりました。

昨年十月の国連総会において、我が国は、包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効など、核軍縮・核不拡散のための具体的措置を盛り込んだ「核兵器の全面的廃絶への道程」と題する決議案を提出し、圧倒的多数の支持を得て採択されたところです。また、本年九月には、CTBT発効促進会議がニューヨークにおいて開催されます。我が国としては、これまでも様々な機会を通じてCTBT発効のための努力を行ってまいりましたが、この会議が成功するよう努力するとともに、更にこれを契機として、一層、積極的に各国への働きかけを行うなど、我が国は、今後とも国際社会の先頭に立ち、核軍縮・核不拡散の取組を押し進め、核兵器の廃絶に全力で取り組んでまいります。

また、被爆者の方々に対しましては、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」に基づき、保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護施策の充実を図ってまいりました。今後とも、高齢化が進む被爆者の方々の実状を十分に酌み取りながら、援護施策の推進に誠心誠意努めてまいります。さらに、来年度開館する予定の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館につきましては、原子爆弾による死没者の方々の尊い犠牲を銘記するとともに、永遠の平和を祈念し、原子爆弾の惨禍を全世界に伝えるための施設となるよう努めてまいります。

ここ広島において、本日の式典に臨み、私は平和への思いを新たにし、原子爆弾による惨禍が二度と繰り返されることのないよう、恒久平和の実現に全力で取り組んでいくことを御霊の前にお誓い申し上げます。

終わりに、亡くなられた方々の御冥福と、御遺族並びに被爆者の方々の今後の御多幸を心からお祈りし、併せて参列者並びに広島市民の皆様の御健勝を祈念申し上げます。

平成十三年八月六日

内閣総理大臣  小泉 純一郎