2020年2月(日録)
日 |
事項 |
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01 |
平和記念資料館情報資料室。西本雅実氏と会う。 |
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01 |
紙屋町シャレオ古本まつり。 |
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02 |
ヒロシマ遺文への投稿=「下中弥三郎」。 |
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02 |
旧被服支廠の保全を願う懇談会「旧被服支廠の解体を防ごう!緊急後援会」。原爆資料館。<参加できず> |
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03 |
自宅の書庫の本の整理。~ |
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07 |
外付けディスクに保存していた女学院時代に作成したデータの確認。ヒロシマ遺文に使えそうな多くのデータを見つける。 |
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08 |
広島市立図書館「企画展 広島ゆかりの詩人たち―黒田三郎生誕100年―」- |
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08 |
ブックオフ。本9冊1880円購入。 |
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08 |
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館「時を超えた兄弟の対話-ヒロシマを描き続けた四国五郎と死の床でつづった直登の日記」 |
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08 |
広島平和記念資料館企画展「海外収集資料から見る広島の原爆被害と復興」(20191227~202007下旬) |
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08 |
広島平和記念資料館情報資料室(図書貸し出しが可能なことを知る)―国際会議場地下で昼食。 |
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08 |
HIP(平和のためのヒロシマ通訳者グループ)例会。 |
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08 |
北方領土の日。1855年(安政元年)に江戸幕府とロシア(当時は帝政ロシア)との間で最初に国境の取り決めが行われた日露和親条約が結ばれた。 |
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09 |
桜が丘の倉庫で女学院関係資料を引き出し一か所にまとめる。 |
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09 |
ヒロシマ遺文への投稿=『時代と記憶 メディア・朝鮮・ヒロシマ』(平岡敬、影書房、20110615 )目次 |
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11 |
建国記念の日 <建国記念の日のヒロシマ> |
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11 |
2020ヒロシマ革新懇デー。記念講演「安倍政権の歴史偽造をただす-日本は朝鮮半島で何をしたか」(講師:中塚明)。会場:原爆資料館地下・メモリアルホール。<出席できず> |
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12 |
ヒロシマ遺文への投稿=「全国平和教育シンポジューム開催概要」、「『『平和教育研究 広島平和教育研究所年報』」、「広島平和教育研究所」、「広島県高等学校原爆被爆教職員の会」、「ひろしまの平和教育」、「平和教育へのあゆみ」。 |
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14 |
ヒロシマ遺文への投稿=「バーバラ・レイノルズ」、「核実験停止協定締結要請に関する決議(19621222)」、「核実験禁止要請に関する決議(19620811)」、「広島・長崎原爆被爆者医療法改正対策委員会陳情運動日誌」、「ヒロシマわが罪と罰」、「広島・長崎原爆被爆者大会(19620522)」 |
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15 |
ヒロシマ遺文への投稿=「広島女学院原爆被災実態調査報告書(19700625)」、「平和教育(季刊)」、「平和教育運動」、「広島教育研究所」、「ヒロシマの子育て・教育」、「『原爆の子-広島の少年少女のうったえ』」 |
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16 |
自宅の「平和教育」関係資料の整理。ヒロシマ遺文への投稿=「8・6全国高校生集会」 |
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16 |
ヒロシマ遺文への投稿=「8・6全国高校生集会」 |
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16 |
講演会「オックスフォード大学で山代巴を読む」(講師:キアラ・コマストリ(オックスフォード大学大学院歴史学研究科)、会場:ふくやま文学館)<参加できず> |
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17 |
ヒロシマ遺文への投稿=「資料:高校生平和ゼミナール」、「広島地区高校生部落問題研究協議会」、「『歴史と教育』総目録」、 |
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18 |
ヒロシマ遺文への投稿=「石井金一郎先生追悼号(歴史と教育)」、「『歴史と教育』創刊号(広島歴史教育者協議会)」、「高校生の平和ハンドブック」 |
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19 |
ヒロシマ遺文への投稿=「広島市原対協被爆生存者(児童生徒)調査表」、「ドキュメント悲しみの千羽鶴」、「世界の子どもの平和像を広島に作る会」、「折り鶴の系譜(那須正幹)」、 |
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20 |
ヒロシマ遺文への投稿=「国際平和教育研究会(広島大学教育学部)」、「原爆と平和(ユネスコ特定実験報告書)」、「フロイド・シュモー」、「広教組70年のあゆみ(抄)」、 |
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21 |
ヒロシマ遺文への投稿=「広教組70年のあゆみ(抄)」、「平和・国際教育研究会会報」、「平和・国際教育研究会」、「韓国・歴史と平和の旅(1998)」、 |
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22 |
ヒロシマ遺文への投稿=「広島自治体問題研究所」、「日本の科学者」。 |
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22 |
3・1ビキニデーヒロシマ集会。講師:橋元陽一「国から放置されたヒバクシャ-「ビキニ国賠訴訟」で明らかになったこと」。会場:南区民文化センター。<参加できず> |
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23 |
祝日(天皇誕生日)[新天皇即位による新しい祝日] |
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23 |
サンフレッチェ広島VS鹿島アントラーズ。3-0。 |
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24 |
自宅の書庫の整理。 |
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25 |
自宅の「研究会・講演会・著書執筆関係」資料の整理。 |
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26 |
桜が丘へ。自宅の本(単著)を著者別に整理した箱8箱を持参。 |
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27 |
全教広島関係資料の整理。 |
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27 |
空辰男『加害基地宇品 新しいヒロシマ学習』読了。ヒロシマ遺文への投稿=「加害基地宇品 新しいヒロシマ学習」。 |
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28 |
全教広島関係資料の整理。 |
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28 |
ヒロシマ遺文への投稿=「広島教育研究所(資料年表)」 |
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29 |
広島教育研究所関係資料の整理。 |
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29 |
ヒロシマ遺文への投稿=「第9次平和教育のとりくみ実態調査1990年度のまとめ」、「原爆瓦ー世界史をつくる十代たち」、「原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録」 |
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ひろしま平和の歩み(広島平和文化センター編・刊、19680801) 目次
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執筆者 |
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序 |
山田節男(広島市長) |
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まえがき |
「平和の歩み」編集委員会 |
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改訂版19730806発行。以下の目次・情報は改訂版 |
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資料提供のための座談会出席者=伊藤正子、大原三八雄、河本一郎、金井利博、桑原英昭、谷本清、升川貴志栄。その他の協力者=浜崎左髪子、増田勉、浜野千穂子。 |
1 |
原爆被災救援の活動 |
庄野直美 |
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被爆直後の応急措置
隣接の各地から 救援隊
一〇日後でも死体散乱
救援者も放射能の犠牲に
すばやかった科学者の活動
内外からの救援金
ケロイドの治療
広島原対協の発足
原対協の事業の内容
市が被爆者調査の試み
医師の治療活動の開始
全国的な救援活動
生活救護への道開く
被爆者による救済活動
原爆被害者の会
大きな運動の流れの中へ
広島県原爆被害者団体協議会
日本原水爆被害者団体協議会
統一を貫く日本被団協
医療法は一三回改正
被爆者特別措置法の制定 |
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2 |
原爆孤児・孤老の救済活動 |
今堀誠二 |
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投げ出された孤児・孤老
涙の記憶しかない兄弟たち
あらゆる悲境に耐える
広島子どもを守る会
新しいおかあさんができた
石井好子やダークダックスも
家族四人が全滅した子
浮浪者となった少年
一〇歳の少女の受難
学童疎開から帰ってみると
連帯のいとぐちをつかむ
あゆみグループの誕生
中野教授夫妻が親がわり
被爆の体験を訴えて歩く
諸外国からも激励の人々
さまざまの困難にぶつかる
日常の中から平和をめざす
全市民の支援の中で |
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3 |
平和祭のあゆみ |
今堀誠二 |
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二二年に第一回の平和祭
慈仙寺鼻で平和宣言
マッカーサーもメッセージ
全世界に反響を呼ぶ
爆音にかき消された第二回平和祭
占領軍の禁止命令
過去帳の奉納始まる
ビキニ被災で盛りあがる
三〇年から全国に式典中継 |
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4 |
平和記念施設の歴史 |
今堀誠二 |
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広島市民と七つの川
永久平和めざす丹下構想
平和大学
平和図書館の夢も
平和都市建設法が実現
迷える霊の供養塔
ハニワの家を型どった慰霊碑
ヒロシマの焦点原爆資料館
狭くなってきた記念館・公会堂
新生広島の百メートル道路
国民運動でドームを保存 |
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5 |
外国人による活動 |
庄野直美 |
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ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」
平和請願一〇万人運動
原爆孤児精神養子運動
ヒロシマ・ピースセンターの活動
原爆乙女をアメリカで治療
シュモー・ハウスを一九戸建設
ドイツから平和の鐘
仏人モーリス氏の「広島憩いの家」
ヨット「フェニックス号」と広島
ベトナム人への支援も
レイノルズ夫人と世界平和巡礼
ウ・タント総長に白書を要望
ワールド・フレンドシップ・センター |
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6 |
世界連帯の活動 |
小谷鶴次 |
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戦争そのものの絶滅を
国連加盟への市民運動
二六年に国連協会県本部
加盟後の普及活動
アウシュヴィッツとの連帯へ
七万キロを平和行進
三八年にアウシュヴィッツ委
世界連邦運動の展開
二四年に連邦運動スタート
二七年に世界連邦アジア会談
市民の意志で「広島宣言」
海外にも大きな反響
一〇万人署名をもとに平和都市宣言
戦争放棄の精神を決議
「世界連邦」の県宣言
西日本大会ではドーム保存支持
サーバス友の会
市民代表の欧州訪問 |
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7 |
文化・報道関係の活動 |
小谷鶴治・今堀誠二・庄野直美 |
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「中国文化」で原爆特集
栗原貞子の「生ましめん哉」
壊滅した中国新聞の再刊
正田篠枝の「さんげ」
原民喜・大田洋子の作品
押収された「ピカドン」
峠三吉の反戦運動
若い画家たちと平和美術展
ガリ版刷りの「原爆詩集」
映画「原爆の子」作成
日本ペンクラブも平和宣言
続々と被爆体験記
若い作家らの活躍
「広島の詩」が海外に反響
平和の原点を考える
さらに体験の発掘へ |
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8 |
原爆被災・平和問題に関する研究活動 |
小谷鶴治・今堀誠二・庄野直美 |
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直後の医学者の活動
専門家による療養方針
プレスコードで資料手放す
悪条件下でも研究続く
ABCCの調査活動
講和とともに発表の活発化
広島の科学者の自主研究
市の機関も研究を助成
三六年に広島原爆医療史
自然科学の原爆白書
広大原医研が活動開始
社会科学の研究活動
国際平和の諸研究から
広島大学に平和問題研
学生グループの活動
二八年に「広島大学人の会」
被爆者の心理・生活の調査
「談話会」の発足と活動 |
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9 |
民間団体の初期における諸活動 |
今堀誠二 |
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二四年に平和擁護の第一声
ストックホルムアピールの反響
文化団体も活躍
朝鮮戦争下も続く
原爆被害者団体の結成
宗教団体も独自の活動
努力の積み重ねに期待 |
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10 |
市民による特殊な平和活動 |
庄野直美 |
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原爆体験記を発刊
原爆の子友の会の活躍
原爆の子の像
これはぼくらの叫びです
折鶴の会が発足
現在も活動
原水禁広島母の会
会誌「ひろしまの河」発行
運動の分裂が与えた影響
談話会の発足
原爆白書運動の胎動
政府による白書製作を提言
平和七人委も強く要望
日本学術会議も起つ
白書をすすめる市民の会
胎内被爆者を守る「きのこ会」
ベトナム戦傷孤児の救援
さまざまの市民運動 |
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11 |
原水爆禁止三団体をめぐる動き |
庄野直美 |
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ビキニ被災事件
反核の叫び全国に広がる
広島の婦人の動き
国家保障を求める決議
東京杉並の婦人たち
下から支えられた運動
重さ一二五キロの署名簿
原水禁広島県協議会
原水禁世界大会の発想
中央と広島の運動の相違点
広島は原体験から出発
第一回原水禁世界大会
場外にあふれる参加者
歴史的な広島アピール
右翼団体の妨害も
広く具体的な運動へ
被爆者援護の方向へ
平和行進も始まる
安保問題で離脱騒ぎ
第一回目の分裂起きる
第二回目の分裂起きる
広島県民の使命訴える
被爆者援護の請願続く
第九回大会は県原水協が運営
超党派の市民運動も進む |
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―平和の歩み― 年表 |
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執筆者: 小谷鶴次、今堀誠二、庄野直美 |
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核兵器の全面的廃絶のための国際デー
(核兵器全面廃絶国際デー)
(9月26日)
年(回) |
メモ(記念行事など) |
2014 |
制定日 |
2015(1) |
(9月23日) |
2016(2) |
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2017(3) |
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2018(4) |
「9月26日は、国連が定めた「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」です。これに合わせて核兵器廃絶日本NGO連絡会では、9月24日に東京・お茶の水の明治大学で記念イベント「核なき世界に向けて 被爆国の役割を考える」を開催します。このほか、国内のさまざまなNGOが関連行事を行います。ニューヨーク国連本部では、国際デーを記念するイベントと、核兵器禁止条約の署名・批准式がそれぞれ行われます。」
https://nuclearabolitionjpn.wordpress.com/2018/09/01/intlday/ |
2019(5) |
(9月26日)ハイレベル会合(開催場所:米ニューヨーク・国連本部)
(9月23 日)記念イベント 「核なき世界へ向けて -それって他人事? 自分事?」-(核兵器廃絶日本NGO連絡会(主催)・国連広報センター(共催)https://www.unic.or.jp/news_press/info/34664/
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【関連資料】
・報道資料[PDF]
https://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/11357/
2014年9月26日、国連は初の「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」を迎えます。
この国際デーを定めた総会決議68/32は、加盟国、国際システム、NGO、学術界、国会議員、マスメディア、個人を含む市民社会に対し、「核兵器が人類に及ぼす脅威と、核兵器の全面的廃絶の必要性に関する社会の認識を高め、教育を充実させることにより、この国際デーを記念し、普及させる」ことを求めています。
https://www.unic.or.jp/files/66e91069625f43abb2d8f87acd82c5da.pdf
・これまでの主な流れ[PDF]
・背景[PDF]
・国連事務総長による5項目の核軍縮提案[PDF]
・非核兵器地帯[PDF]
・「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」に寄せる事務総長メッセージ
プレスリリース 14-060-J 2014年09月26日
世界は長い間、核兵器の不使用を絶対的に保証できるものは核軍縮以外にないこと、そして、核兵器が使用されれば人道面で壊滅的な影響が生じることを認識してきました。
よって、核軍縮は理想主義者の夢ではなく、全人類の安全を真に守るために緊急に実現が必要な課題といえます。
国連総会が初めて、核兵器その他の大量破壊兵器の廃絶という目標を掲げてから、68年が経ちました。
そして、核兵器不拡散条約の発効により、その締約国が誠実な核軍縮交渉の開始を約束してから、44年が経過しています。
この交渉を始めるべき時期は来ています。核軍縮交渉が行われていないことで、国際的なコミットメントにおける軍縮と不拡散の間の微妙なバランスが崩れてきているからです。
私は6年前、核軍縮に関する5項目の提案を出しました。その中には、この目標を達成するために可能な2つの道として、相互補強的な個別協定の枠組みに関する合意と、確固たる検証システムに裏打ちされた核兵器禁止条約が掲げられていました。
最も重要なのは、どちらの道を選ぶかではなく、選んだ道が、核兵器の全面的廃絶という国際的に合意された目標の達成に向かうようにすることです。
今年の国際デーは、単に私たちが核兵器を制限したり、その射程距離を狭めたり、その配備を制約したり、安全保障政策におけるその役割を低下させたりすることを求める日にとどまりません。
それは、国際社会が安全の強化から資金と科学的資源の保全に至るまで、核軍縮によって生まれるはずの多くの恩恵についてしっかりと考える日でもあります。
それはまた、核の抑止力という危険で脆弱なドクトリンが崩れたとしたら、どのような影響が生じることになるのかを想像するための日でもあるのです。
すべての人々、そして将来の世代の平和と安全を守るため、核軍縮を再び国際的な最優先課題としようではありませんか。
『広島原爆とアメリカ人 ある牧師の平和行脚 』(谷本清著、日本放送出版協会 、19760720)
内容
章節 |
タイトル |
備考 |
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序にかえて |
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1 |
原爆に生き残って |
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1-1 |
運命の八月六日 |
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1-2 |
廃墟の中で |
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1-3 |
一牧師のビジョン |
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2 |
和解の旅 |
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1948年9月~1950年1月(15ケ月間)、31州、256都市、472の教会その他の団体で講演582、聴衆約160000名、旅行距離約65800マイル |
2-1 |
ピース・センターの構想 |
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2-2 |
第一印象 |
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2-3 |
メンジスト教会ミッション・ボードと私 |
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2-4 |
本格的巡回始る |
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2-5 |
ピース・センター独自の途を歩む |
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2-6 |
被爆地ヒロシマをどうするか |
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2-7 |
平和請願運動 |
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2-8 |
平和請願運動潰される |
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2-9 |
真珠湾記念日とヒロシマ・デー |
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2-10 |
東京裁判と死刑執行への反応 |
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3 |
嵐の中の平和行脚 |
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1950年9月~1951年7月(8ケ月間)、24州、201都市、242団体 講演295、聴衆約5600名、旅行距離約34500マイル |
3-1 |
朝鮮戦争下のアメリカへ |
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3-2 |
講演の新内容を求めて |
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3-3 |
ニューヨーク入り |
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3-4 |
カズン氏は極めて多忙である |
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3-5 |
ヒロシマ・ピース・センター理事会 |
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3-6 |
今回の巡回旅行の特色 |
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3-7 |
嵐の中の平和運動 |
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4 |
原爆乙女アメリカに往く |
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1955年5月5日~同年12月20日(7ケ月間)、26州、195都市、212団体 講演245、聴衆約47500名、テレビ・ラジオ・新聞64、行程約38100マイル |
4-1 |
日本における原爆乙女治療始る |
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4-2 |
米国での治療運動始る |
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4-3 |
資金はどのようにして集められたか |
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4-4 |
ニューヨークの受容態勢 |
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4-5 |
ホスト・ファミリー訪問とカウンセリング |
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4-6 |
原爆乙女の渡米はアメリカに何をもたらしたか |
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〇ヒューストン市の1週間 |
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〇原爆悲劇に対する読みが深くなった |
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〇国際時局に対する読みも深くなった |
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〇募金活動の実情 |
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〇協力を申し出る4つの病院 |
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〇一日本人医師の批判とその影響 |
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4-7 |
ピース・センターはどこへ行く |
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4-8 |
平和の営み |
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5 |
「傷痕」の伴をして |
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1975年9月25日~同年12月15日(80日間)、19州、89都市、105協会その他団体 講演148、聴衆約28800名、旅行約38400マイル |
5-1 |
「傷痕」ダイジェスト |
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5-2 |
講演後の質問応答 |
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5-3 |
核兵器使用に際して新しい倫理の確立が要請されている |
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5-4 |
「傷痕」のどこに感動したか |
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5-5 |
被爆者治療問題の隘路 |
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5-6 |
被爆者の悩みは被爆者以外には判ってもらえない |
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5-7 |
アメリカ講演旅行の総括 |
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国連大学主催「平和・安全保障と軍縮に関する東京セミナー」
回 |
発言者 |
演題 |
1回(19811207)A 地域の平和と共通の安全保障を考える |
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(会場) 高輪プリンスホテル |
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オロフ・パルメ(前スウェーデン首相) |
独立委員会の仕事と共通の安全保障について |
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ラジニ・コタリ(インド) |
専門家の研究と大衆運動を基盤にして |
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大石武一(国際軍縮促進議員連盟会長) |
国際連合の精神と日本の役割 |
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坂本義和 |
軍縮の新たな展望 |
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永井陽之助 |
新たな「平和の構造」を求めて |
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宮崎繁樹 |
核兵器の違法性と非核地帯 |
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アリ・アラタス(インドネシア) |
東南アジア諸国連合の緩衝的役割の可能性 |
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トー・カー・フーン(マレーシア) |
ASEAN諸国と日本への期待 |
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ジャン=マリ・ダリエ(フランス) |
EC諸国の歩みと平和への道 |
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関寛治 |
世界の軍事化の要因と新しいネットワーク 広島大学の研究プロジェクトから |
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アルフォンソ・ガルシア=ロブレス(メキシコ) |
非核地帯条約の成立過程について |
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ヨセフ・チランキエヴィッチ(ポーランド) |
非核地帯構想とポーランドの平和について |
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〔討議〕 |
アジアの非核問題と日本 |
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(発言者) オルセグン・オバサンジョ(ナイジェリア)、田英夫(参議院議員)、秦豊(参議院議員)、永井陽之助 |
(19811208)B 被爆地・広島で平和を考える |
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(会場)広島平和記念館 広島会議 |
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今堀誠二 |
広島・長崎の被爆研究の成果をもとに |
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荒木武 |
原爆の犠牲者に捧げた言葉とともに |
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本島等 |
核廃絶を訴える被爆者の心を伝えたい |
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〔被爆体験者の訴え〕 |
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栗原貞子 |
2編の詩に寄せて |
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深堀義昭(長崎県被爆者手帳友の会事務局長) |
被爆者の実態を知ってほしい |
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松重美人 |
爆心地を撮影したカメラマンとして |
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秋月辰一郎(長崎・聖フランシスコ病院院長) |
医者として体験した被爆の姿 |
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オルセグン・オバサンジョ(ナイジェリア) |
“ヒロシマ”体験は非核運動の原点だ |
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ガルシア=ロブレス(メキシコ) |
国家元首に広島訪問を義務づけたい |
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森滝市郎 |
“広島以前”と“広島以後”で人類史は変った |
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庄野直美 |
シェルター論や放射線の遺伝問題にふれて |
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軍縮問題にみるネコとネズミ論争 |
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宍戸ヒロシ(山口県・大島教会牧師) |
ネズミの軍縮会議にネコが議長である |
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オロフ・パルメ |
二匹の猫と国連の役割について |
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ゲオルギ・アルバトフ |
恐しいのは敵ではなく”無関心”だ |
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オロフ・パルメ |
この深い衝撃と感銘を世界につたえたい |
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2回(19821029-31)C 核時代の平和をもとめて |
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(会場)国連大学 |
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矢野暢 |
地域的安全保障とアジア |
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ライモ・バウルネン |
核の悪魔にいかに対処するか |
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スミトロ将軍(インドネシア) |
安全保障への地域的アプローチ |
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安川壮(元駐米大使) |
アジア・太平洋における日本の役割 |
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エドムンド・オスマンチク(ポーランド) |
地域安全保障に関するラパツキー案について |
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フランク・バーナビイ |
超大国の軍事政策と新たな防衛政策 |
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大西昭 |
軍備競争の軽減と経済的影響 |
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栗野鳳(広島大学教授・平和科学研究センター) |
“平和的生存権”と日本 |
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ブレークウェイ |
普遍的な運動の努力を惜しまずに |
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〔討議〕パルメ委員会報告をめぐって |
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武者小路公秀 |
国連大学の性格について |
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〔討議〕平和研究機関としての国連大学の可能性 |
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3回(19840415-17) |
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4回『1985』 |
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出典:『核時代の平和をもとめて』(永井道雄著 、国際連合大学 発行、東京大学出版会発売、19840324)
国連大学広島誘致期成同盟会
年月日 |
事項 |
1969年 |
ウ・タント国連事務総長、年次総会で、「真に国際的な性格を有し、国連憲章が定める平和と進歩のための諸目的に合致した国際連合大学」の設立を提案。国連総会はこのような大学の実現可能性を検討するため、ユネスコと緊密に協力して調査を行う専門家委員会を任命。https://jp.unu.edu/ |
19720818 |
山田広島市長、ベルギー・ブリュッセル大学で開催された第15回先生会連邦大会の最終日本会議で「国連大学の広島設置」を提案。23か国代表の全員賛成で決議。 |
19720916 |
広島県・広島市・広島大・経済界が広島商工会議所で「国連大学広島誘致期成同盟会」結成大会。永野厳雄県知事を会長に選ぶ。 |
19720726 |
広島市議会、国連大学誘致に関し決議。(「平和の推進」) |
197209 |
国連大学の設立を検討する委員会、国連経済社会理事会に報告書を提出。https://jp.unu.edu/ |
197212 |
国連総会、国連大学の設立を認める。https://jp.unu.edu/ |
197312 |
国連総会、国連大学の設立委員会が提出した大学憲章と決議案を採択。https://jp.unu.edu/ |
19750120 |
初代国連大学理事会および学長のジェイムス・M・ヘスター博士の就任式、東京の暫定本部施設で開催。https://jp.unu.edu/ |
197509 |
東京の本部施設および 寄付基金設立に向けて寄付金1億ドルが日本政府の好意により提供され、国連大学の研究活動スタート。https://jp.unu.edu/ |
19780605? |
国連大学広島誘致期成同盟会、誘致の構想まとまらず運動中断。 |
世界平和連帯都市市長会議 1982年6月24日発足
2001年8月5日、「世界平和連帯都市市長会議」から「平和市長会議」に、2013年8月6日に「平和首長会議」に名称変更。
平和問題調査会=広島市長の諮問機関。1981年5月14日設置。
回 |
開催年月日 |
議題など |
01 |
19810514 |
①委員長の選出②会の名称、構成メンバー、事務局の決定③昭和56年会議開催計画等について説明④基本的問題と事業計画一軍縮シンポジウムの開催/市民講座・特別講演会の開催/国際的平和研究機関の誘致 |
02 |
19810724 |
パルメ委員会の東京招致及び広島ワークショップについて |
03 |
19810907 |
①パルメ委員会及びワークショップの開催について一東京、広島での準備状況 |
04 |
19811130 |
①パルメ委員会を迎え、ジャパンワークショップ東京、広島セッション開催の事前検討について |
05 |
19820128 |
①パルメ委員会ジャパンワークショップの結果報告並びに今後の対策について |
06 |
19820223 |
①第2回国連軍縮特別総会への対応策について―ワーキンダ・グループの検討結果報告 |
07 |
19820517 |
①第2回国連軍縮特別総会に対する広島・長崎両市の対応について |
08 |
19820702 |
①第2回国連軍縮特別総会の報告②パルメ委員会最終報告書に基づいた平和、安全保障と軍縮に関する東京セミナーについて |
09 |
19821001 |
①平和と安全保障と軍縮に関する東京セミナーの開催について一パルメ委員会報告を受けて |
10 |
19840217 |
①国連大学主催東京セミナーについて②広島市が行う平和推進活動について |
11 |
19820218 |
①第1回世界平和連帯都市市長会議(広島市・長崎市主催)について②東京セミナーについて |
12 |
19870319 |
①第1回世界平和連帯都市市長会議の報告②昭和61年は国際平和年に当たり、この取組みとして、国際平和サミット、平和シンポジウム等の実施計画を説明。 |
13 |
19880318 |
①国際平和年事業の報告②被爆42周年への取組み③世界平和都市連帯推進事業④国連大学・国連大学協力関係プロジェクト |
14 |
19880216 |
①国連大学学長及び各委員紹介②昭和62年度実施事業報告③昭和63年度平和推進事業説明④6か国首脳会議帰国報告⑤第3回国連軍縮特別総会(広島・長崎両市長出席)へ向けての提言 |
15 |
19890217 |
①昭和63年度実施事業②平成元年度実施事業③第3回国連軍縮特別総会への出席④国連軍縮広島講演会の開催⑤第9回核戦争防止国際医師会議世界大会の開催⑥第2回世界平和連帯都市市長会議⑦平和・軍縮研究機関の設置構想案 |
16 |
19900222 |
①平成元年度主要平和関連事業実施状況②平成2年度主要平和関連事業計画案の概要③「平和に関する国際的な研究機関」の設置について |
17 |
19911112 |
①広島市の平和の取組み②新委員を含む委員の自己紹介及び意見交換。 |
18 |
19921204 |
①広島市の平和の取組み概要②国連軍縮広島会議の報告③第3回世界平和連帯都市市長会議の検討④アジアにおける広島の役割⑤被爆50周年記念事業 |
19 |
19931202 |
①「広島市の平和行政」について①原爆ドームの「世界遺産一覧表」への登録について③「第3回世界平和連帯都市市長会議」の報告④広島市の平和の取組み概要 |
20 |
19941219 |
①被爆50周年を迎えての広島市の平和への取組み①米国スミソニアン協会・国立航空宇宙博物館における特別展③国際司法裁判所における核兵器使用の違法性の審理①原爆ドームの「世界遺産一覧表」への登録⑤|世界平和連帯都市市長会議アジア太平洋地域会議⑤広島市の平和の取組み概要 |
21 |
19950329 |
①アメリカ社会における核廃絶の認識を高める方途について |
22 |
19960321 |
①被爆50周年以後の平和行政について。広島市平和問題調査会は、この会合を以て解散した。 |
『広島平和文化センター20年誌』(19970331刊) |
核兵器廃絶を訴える被爆者国際遊説(1985)
被爆40周年の1985年2月、日本原水協をはじめ世界12力国の反核・平和運動組織(アメリカ、イギリス、オランダ、スウェーデン、東ドイツ、イタリア、キューバ、オーストラリア、ニュージーランド、ベトナム、アルジェリア、日本)が、広島につどい協議し、「核兵器全面禁止・廃絶のためにヒロシマ・ナガサキからのアピール」を発表しました。
日本原水協は、「アピール」支持署名の日本国民の過半数を目標にとりくみました。
さらに、ヒロシマ・ナガサキの被爆の実相をつたえ、核戦争の阻止、核兵器廃絶の世論をたかめ「アピール」支持署名を広げるために、世界各地に被爆者を含む遊説代表団を送る活動をすすめました。
遊説団の訪問先は、1985年4月にフィリピン、6月オランダ、7~8月イギリス、アイスランド、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、10月スイス、11月イタリア、そして86年1月にオランダ、ベルギー、2月にラオスとのべ12力国におよびました。
遊説代表団員の総数は、121名。25班にわかれて訪れた都市は約250、大小集会に約300回参加し、のべ1000回近くマスコミで報道されました。 |
出典:『核兵器廃絶を訴える被爆者国際遊説の記録 Hibakusha Peace Tour(原水爆禁止日本協議会、19860806)』 |
被爆者国際遊説団名簿
遊説先 |
氏名 |
所属 |
●フィリピン 19850406~15 |
|
大久保忠一 |
埼玉県熊谷原水協・埼玉民医連 |
|
岡広 |
三重県・日本AALA連帯委員会 |
|
緒方義孝 |
全港建労働組合神戸地本 |
|
河原直孝 |
国公労連 |
|
久保美津子 |
被爆者(広島)広島新婦人 |
|
児玉三智子 |
被爆者(広島)千葉県船橋市南診療所 |
|
斉藤君子 |
新婦人神奈川県本部 |
|
津川計子 |
日本民医連東神戸病院 |
|
土居賢一 |
全司法労組 |
|
浜島勇 |
原水協担当常任理事・日高教 |
|
宮田昌幸 |
全商連・宮田印刷 |
|
酒井伊津子 |
通訳 |
|
辻山昭三 |
事務局 |
|
安田和也 |
|
草地康子 |
●オランダ 19850625~0708 |
A班 |
|
|
小島光雄 |
|
|
中谷恒男 |
|
|
村上経行 |
被爆者(広島) |
|
萩原信宏 |
|
|
和田美昭 |
|
|
篠原敏美 |
|
|
酒井伊津子 |
|
B班 |
|
|
林正道 |
|
|
伊谷周一 |
被爆者(広島丿鳥取県原水協 |
|
津田光男 |
|
|
坂入博子 |
|
|
秋元恵子 |
|
|
宮沢彰一 |
|
|
高草木博 |
|
●イギリス・アイスランド 19850801~11 |
|
佐藤裕 |
|
|
本間三郎 |
|
|
木村昭六 |
|
|
栗栖主税 |
被爆者(広島) |
|
大森幹男 |
広島原水協 |
|
信政ちえ子 |
広島原水協 |
|
有光登一 |
被爆者(広島)愛媛県原爆被害者の会 |
|
仁木義雄 |
|
|
長谷部栄祐 |
|
|
渡辺孝三 |
被爆者(広島)奈良県原爆被害者の会 |
|
中島宏 |
被爆者(広島)香川県被爆者の会 |
|
出島艶子 |
被爆者(広島)東友会 |
|
中沢憲一 |
|
|
柏木文代 |
|
|
柏木文代 |
|
|
岡村利男 |
被爆者(広島)高知県被爆者の会 |
|
渡辺政成 |
|
|
田中重光 |
被爆者(長崎)全動労長崎支部 |
|
深町君江 |
|
|
志賀さゆり |
通訳 |
|
トモヨ・マクドナルド |
|
辻光枝 |
●アメリカ合衆国 19850724~0813 |
中西部◆ |
|
|
浅野哲人 |
被爆者(広島)大阪しろきた市民生協 |
|
安藤広司 |
被爆者(広島)長野県原水爆被災者の会 |
|
佐藤岑夫 |
三重県原水協 |
|
大山済世 |
通訳 |
南東部◆ |
|
|
三輪博志 |
被爆者(長崎) |
|
福本宏支 |
被爆者(長崎)徳島県原爆被害者の会 |
|
藤岡忠治 |
|
|
藤野雅美 |
通訳 |
中部大西洋岸◆ |
|
|
丸岡文麿 |
被爆者(広島)京都原水協 |
|
森本テル |
被爆者(長崎) |
|
石黒三沙子 |
|
|
朝戸理恵子 |
事務局 |
北東部◆ |
|
|
栗栖洋 |
被爆者(広島)高校教諭 |
|
高井栄 |
被爆者(広島)神奈川原爆被災者の会 |
|
中田鉄太郎 |
|
|
酒井伊津子 |
|
ニューヨーク◆ |
|
|
土田康 |
被爆者(広島)神奈川原爆被災者の会 |
|
伊藤吉紀 |
|
|
セッコ・サーロー |
在米被爆者(広島) |
|
ハラシマ・トシコ |
通訳 |
|
|
|
西海岸◆ 19850724~0812 |
|
奥野栄 |
被爆者(長崎) |
|
堀田シズエ |
被爆者(広島)・埼玉 |
|
桜木早苗 |
|
|
堀田義裕 |
|
南西部◆ |
|
吉崎幸恵 |
被爆者(長崎)福岡市原爆被害者の会 |
|
田邊俊三郎 |
被爆者(広島)東友会 |
|
門倉武則 |
|
|
|
谷捷子通訳 |
●スイス・西ドイツ 19851019~31 |
|
山口勇子 |
被爆者(広島)日本原水協代表理事 |
|
早川耐子 |
被爆者(広島) |
|
花井透 |
|
|
中尾元重 |
|
|
高草木博 |
事務局 |
|
下田文子 |
通訳 |
●NGO会議・ベルギー・オランダ 19860118~30 |
|
佐藤裕 |
|
|
浜島勇 |
|
|
渡辺千恵子 |
被爆者(長崎) |
|
渡辺順子 |
(渡辺同行者) |
|
村田忠彦 |
被爆者(広島) |
|
堀口士郎 |
|
|
米田実 |
|
|
山川新一郎 |
|
|
炭谷巴之助 |
|
|
松下賢次 |
|
|
川添政彦 |
|
|
升井登女尾 |
|
|
城ゆき |
|
|
高草木博 |
事務局 |
|
下田文子 |
|
キエ・ホアン |
通訳 |
●イタリア 19851012~19 |
中南部◆ |
|
|
石井あや子 |
|
|
市岡正憲 |
被爆者(広島) |
|
熊久保朝正 |
|
|
辻山昭三 |
|
北部◆ |
|
|
米沢進 |
被爆者(広島)広島県原水協 |
|
世良豊子 |
被爆者(広島) |
|
皆川恵史 |
広島市原水協 |
|
上野幸子 |
通訳 |
●オーストラリア 19850801~06、ニュージーランド 19850807~13 |
A班◆ |
|
|
鶴岡正雄 |
|
|
屋敷一字 |
広島医療生協 |
|
佐々木優秋 |
呉原水協 |
|
安賀昇 |
|
|
川后宏 |
|
|
堺谷一郎 |
|
|
反納清史 |
被爆者(長崎) |
|
高橋マサ子 |
被爆者(広島)埼玉県原爆被害者協議会 |
|
亀井和子 |
通訳 |
B班◆ |
|
|
寺本敏夫 |
|
|
高倉金一郎 |
|
|
嶺本治代 |
|
|
村井明美 |
|
|
住田哲 |
|
|
溝浦勝 |
被爆者(長崎) |
|
米田進 |
被爆者(広島) |
|
菅頭康夫 |
|
|
土田弥生 |
通訳 |
●ラオス |
|
|
片桐隆三 |
被爆者(広島) |
|
辻山昭三 |
事務局 |
第1部 国際連合訪問の状況(日程順)
1976年11月 |
25日 |
ワシントン到着 |
26日 |
日本大使館を表敬訪問
米国務省軍縮局を訪問
国立公文書館を訪問
ウイリアム・ペン・ハウスで平和の集いを開催 |
27日 |
アーリントン墓地参拝
米国科学者連盟事務所を訪問
ウイルミントン到着
ウイルミントン大学学長主催夕食会に出席 |
28日 |
ウイルミントン市長主催朝食会に出席
ヒロシマ・ナガサキ記念文庫を訪問
ニューヨーク到着 |
29日 |
日本代表部を訪問
国連広報担当事務次長補を訪問
クリスチャン・センターを訪問
オーストラリア代表部を訪問 |
30日 |
カナダ代表部を訪問
フランス代表部を訪問
アメリカ代表部を訪問 |
1976年12月 |
1日 |
ワルトハイム国連事務総長と会見
イギリス代表部を訪問
内外新聞記者団と会見
イスラエル代表部を訪問
アメラシンゲ国連総会議長と会見
ニューヨーク市長を表敬訪問
赤谷次長補主催のレセプションに出席
ノーマン・カズンズ氏と懇談 |
2日 |
ソビエト代表部を訪問
インド代表部を訪問
東ドイツ代表部を訪問
西ドイツ代表部を訪問
日本協会主催のレセプションに出席 |
3日 |
ニュージーランド代表部を訪問
ノルウェー代表部を訪問
国連第1委員会(軍縮)を傍聴 |
4日 |
訪問10日目に休養日 |
5日 |
ロサンゼルス空港到着
広島・長崎両県人会主祭歓迎夕食会に出席、在米被爆者と懇談 |
6日 |
ロサンゼルス市長を訪問
大内会長ら、被爆者と医療相談
ロサンゼルス市議会を訪問
日本総領事官を訪問
シティー・ビュー病院を訪問
ロス郡医師会の昼食会に出席
日系老人ホームを視察 |
7日 |
ロサンゼルス郡参事会で発言
内外記者会見で両市長共同声明
トーマス・野口事務所を訪問
ロサンゼルス発
サンフランシスコ着
広島・長崎両県人会主催歓迎会に出席 |
8日 |
サンフランシスコ市長を訪問
オークランド=ベイ地区を見学広島・長崎両市長主催夕食会開催 |
9日 |
サンフランシスコ発、東京へ |
10日 |
東京羽田着 |
12日 |
荒木広島市長、慰霊碑に帰国報告 |
13日 |
諸谷長崎市長、記念像に帰国報告 |
出典:『国連訪問レポート-1976 ヒロシマ・ナガサキ 核兵器の廃絶と全面軍縮のために-国連事務総長への要請 』(著者:広島市・長崎市編、 刊 19770331 )
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。