被爆建物等の保存・継承方法についての報告書(被爆建物等継承方策検討委員会、平成4年[1992年]8月)目次
| 平成4年8月20日 委員長 庄野直美 ➡ 広島市長 平岡敬 | ||
| Ⅰ | まえがき | |
| Ⅱ | ||
| Ⅲ | 本委員会の審議経過と意見 | |
| 参考 | 被爆建物等継承方策検討委員会 | |
| 1 | 被爆建物等継承方策検討委員会開催状況 | |
| 2 | 被爆建物等継承方策検討委員会設置要綱 | |
| 3 | 被爆建物等継承方策検討委員会委員名簿 | |
被爆建物等の保存・継承方法についての報告書(被爆建物等継承方策検討委員会、平成4年[1992年]8月)目次
| 平成4年8月20日 委員長 庄野直美 ➡ 広島市長 平岡敬 | ||
| Ⅰ | まえがき | |
| Ⅱ | ||
| Ⅲ | 本委員会の審議経過と意見 | |
| 参考 | 被爆建物等継承方策検討委員会 | |
| 1 | 被爆建物等継承方策検討委員会開催状況 | |
| 2 | 被爆建物等継承方策検討委員会設置要綱 | |
| 3 | 被爆建物等継承方策検討委員会委員名簿 | |
被爆建物等継承方策検討委員会 設置:1991年7月24日
| Y | M | D | 事項 |
| 91 | 06 | 19 | 浜井広島市長室長、市議会総務委員会で、「被爆建物等継承方策検討委員会」(仮称)を7月中旬に設置することを発表。 |
| 91 | 07 | 24 | 広島市「被爆建物等継承方策検討委員会」を設置。委員=石丸紀興・宇吹暁・小原誠・河合護郎・庄野直美・空辰男・田中茂・葉佐井博巳・平川浩子・平松スエノ・松重美人・横田工・浜井澄人・佐伯邦昭・鍋岡聖剛。 |
| 91 | 08 | 21 | 広島市、被爆建物等継承方策検討委員会の初会合を開催。庄野直美を委員長に選ぶ。 |
| 91 | 10 | 04 | 「被爆建物等継承方策検討委員会」、第2回会合を広島市役所で開催。「キリンフォーラム」の被爆外壁タイルの保存を要請することを申し合わせ、マツダ宇品工場内の被爆建造物などを、調査対象リストに追加。 |
| 91 | 10 | 29 | 広島市の「被爆建物等継承方策検討委員会」の第3回委員会、市役所で開催。原爆遺跡保存運動懇談会の意見を聴取。 |
| 91 | 12 | 04 | 広島市の被爆建物等継承方策検討委員会、第4回の会合を開催。広島赤十字・原爆病院の一部を現地保存するよう市が病院と協議するよう求める。 |
| 92 | 02 | 04 | 広島市の被爆建物等継承方策検討委員会の委員8人、市内の被爆建物9か所を視察。視察した被爆建物=広島市役所、広島大学理学部、広島赤十字・原爆病院、広電変電所、旧陸軍被服支廠、広島銀行銀山支店、旧陸軍司令部通信室、本川小学校、レストハウス(予定)。 |
| 92 | 02 | 14 | 広島市の被爆建物等継承方策検討委員会、5回目の会合を開催。公有の被爆建物の保存策を検討。 |
| 92 | 04 | 21 | 広島市、被爆建物等継承方策検討委員会の6回目の会合を開催。広島逓信病院、文理科大学、広島高等学校、日銀、兵器支廠、兵器学校、などの継承方策について検討。 |
| 92 | 05 | 26 | 広島市、第7回被爆建物等継承方策検討委員会を開催。民有の被爆建物の継承方策の検討など。 |
| 92 | 07 | 15 | 広島市、第8回(最終)被爆建物等継承方策検討委員会を開催。取りまとめ案の検討。 |
| 92 | 07 | 16 | 広島市の被爆建物等継承方策検討委員会、最終会合を開催。平岡市長に提出する答申案を固める。 |
| 92 | 08 | 20 | 庄野直美広島市被爆建物継承方策検討委員会委員長、平岡市長に被爆建物の保存・継承方法についての報告書を提出。 |
2020年2月(日録)
| 日 | 事項 | |
| 01 | 平和記念資料館情報資料室。西本雅実氏と会う。 | |
| 01 | 紙屋町シャレオ古本まつり。 | |
| 02 | ヒロシマ遺文への投稿=「下中弥三郎」。 | |
| 02 | 旧被服支廠の保全を願う懇談会「旧被服支廠の解体を防ごう!緊急後援会」。原爆資料館。<参加できず> | |
| 03 | 自宅の書庫の本の整理。~ | |
| 07 | 外付けディスクに保存していた女学院時代に作成したデータの確認。ヒロシマ遺文に使えそうな多くのデータを見つける。 | |
| 08 | 広島市立図書館「企画展 広島ゆかりの詩人たち―黒田三郎生誕100年―」- | |
| 08 | ブックオフ。本9冊1880円購入。 | |
| 08 | 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館「時を超えた兄弟の対話-ヒロシマを描き続けた四国五郎と死の床でつづった直登の日記」 | |
| 08 | 広島平和記念資料館企画展「海外収集資料から見る広島の原爆被害と復興」(20191227~202007下旬) | |
| 08 | 広島平和記念資料館情報資料室(図書貸し出しが可能なことを知る)―国際会議場地下で昼食。 | |
| 08 | HIP(平和のためのヒロシマ通訳者グループ)例会。 | |
| 08 | 北方領土の日。1855年(安政元年)に江戸幕府とロシア(当時は帝政ロシア)との間で最初に国境の取り決めが行われた日露和親条約が結ばれた。 | |
| 09 | 桜が丘の倉庫で女学院関係資料を引き出し一か所にまとめる。 | |
| 09 | ヒロシマ遺文への投稿=『時代と記憶 メディア・朝鮮・ヒロシマ』(平岡敬、影書房、20110615 )目次 | |
| 11 | 建国記念の日 <建国記念の日のヒロシマ> | |
| 11 | 2020ヒロシマ革新懇デー。記念講演「安倍政権の歴史偽造をただす-日本は朝鮮半島で何をしたか」(講師:中塚明)。会場:原爆資料館地下・メモリアルホール。<出席できず> | |
| 12 | ヒロシマ遺文への投稿=「全国平和教育シンポジューム開催概要」、「『『平和教育研究 広島平和教育研究所年報』」、「広島平和教育研究所」、「広島県高等学校原爆被爆教職員の会」、「ひろしまの平和教育」、「平和教育へのあゆみ」。 | |
| 14 | ヒロシマ遺文への投稿=「バーバラ・レイノルズ」、「核実験停止協定締結要請に関する決議(19621222)」、「核実験禁止要請に関する決議(19620811)」、「広島・長崎原爆被爆者医療法改正対策委員会陳情運動日誌」、「ヒロシマわが罪と罰」、「広島・長崎原爆被爆者大会(19620522)」 | |
| 15 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島女学院原爆被災実態調査報告書(19700625)」、「平和教育(季刊)」、「平和教育運動」、「広島教育研究所」、「ヒロシマの子育て・教育」、「『原爆の子-広島の少年少女のうったえ』」 | |
| 16 | 自宅の「平和教育」関係資料の整理。ヒロシマ遺文への投稿=「8・6全国高校生集会」 | |
| 16 | ヒロシマ遺文への投稿=「8・6全国高校生集会」 | |
| 16 | 講演会「オックスフォード大学で山代巴を読む」(講師:キアラ・コマストリ(オックスフォード大学大学院歴史学研究科)、会場:ふくやま文学館)<参加できず> | |
| 17 | ヒロシマ遺文への投稿=「資料:高校生平和ゼミナール」、「広島地区高校生部落問題研究協議会」、「『歴史と教育』総目録」、 | |
| 18 | ヒロシマ遺文への投稿=「石井金一郎先生追悼号(歴史と教育)」、「『歴史と教育』創刊号(広島歴史教育者協議会)」、「高校生の平和ハンドブック」 | |
| 19 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島市原対協被爆生存者(児童生徒)調査表」、「ドキュメント悲しみの千羽鶴」、「世界の子どもの平和像を広島に作る会」、「折り鶴の系譜(那須正幹)」、 | |
| 20 | ヒロシマ遺文への投稿=「国際平和教育研究会(広島大学教育学部)」、「原爆と平和(ユネスコ特定実験報告書)」、「フロイド・シュモー」、「広教組70年のあゆみ(抄)」、 | |
| 21 | ヒロシマ遺文への投稿=「広教組70年のあゆみ(抄)」、「平和・国際教育研究会会報」、「平和・国際教育研究会」、「韓国・歴史と平和の旅(1998)」、 | |
| 22 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島自治体問題研究所」、「日本の科学者」。 | |
| 22 | 3・1ビキニデーヒロシマ集会。講師:橋元陽一「国から放置されたヒバクシャ-「ビキニ国賠訴訟」で明らかになったこと」。会場:南区民文化センター。<参加できず> | |
| 23 | 祝日(天皇誕生日)[新天皇即位による新しい祝日] | |
| 23 | サンフレッチェ広島VS鹿島アントラーズ。3-0。 | |
| 24 | 自宅の書庫の整理。 | |
| 25 | 自宅の「研究会・講演会・著書執筆関係」資料の整理。 | |
| 26 | 桜が丘へ。自宅の本(単著)を著者別に整理した箱8箱を持参。 | |
| 27 | 全教広島関係資料の整理。 | |
| 27 | 空辰男『加害基地宇品 新しいヒロシマ学習』読了。ヒロシマ遺文への投稿=「加害基地宇品 新しいヒロシマ学習」。 | |
| 28 | 全教広島関係資料の整理。 | |
| 28 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島教育研究所(資料年表)」 | |
| 29 | 広島教育研究所関係資料の整理。 | |
| 29 | ヒロシマ遺文への投稿=「第9次平和教育のとりくみ実態調査1990年度のまとめ」、「原爆瓦ー世界史をつくる十代たち」、「原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録」 |
ひろしま平和の歩み(広島平和文化センター編・刊、19680801) 目次
| 執筆者 | ||
| 序 | 山田節男(広島市長) | |
| まえがき | 「平和の歩み」編集委員会 | |
| 改訂版19730806発行。以下の目次・情報は改訂版 | ||
| 資料提供のための座談会出席者=伊藤正子、大原三八雄、河本一郎、金井利博、桑原英昭、谷本清、升川貴志栄。その他の協力者=浜崎左髪子、増田勉、浜野千穂子。 | ||
| 1 | 原爆被災救援の活動 | 庄野直美 |
| 被爆直後の応急措置 隣接の各地から 救援隊 一〇日後でも死体散乱 救援者も放射能の犠牲に すばやかった科学者の活動 内外からの救援金 ケロイドの治療 広島原対協の発足 原対協の事業の内容 市が被爆者調査の試み 医師の治療活動の開始 全国的な救援活動 生活救護への道開く 被爆者による救済活動 原爆被害者の会 大きな運動の流れの中へ 広島県原爆被害者団体協議会 日本原水爆被害者団体協議会 統一を貫く日本被団協 医療法は一三回改正 被爆者特別措置法の制定 |
||
| 2 | 原爆孤児・孤老の救済活動 | 今堀誠二 |
| 投げ出された孤児・孤老 涙の記憶しかない兄弟たち あらゆる悲境に耐える 広島子どもを守る会 新しいおかあさんができた 石井好子やダークダックスも 家族四人が全滅した子 浮浪者となった少年 一〇歳の少女の受難 学童疎開から帰ってみると 連帯のいとぐちをつかむ あゆみグループの誕生 中野教授夫妻が親がわり 被爆の体験を訴えて歩く 諸外国からも激励の人々 さまざまの困難にぶつかる 日常の中から平和をめざす 全市民の支援の中で |
||
| 3 | 平和祭のあゆみ | 今堀誠二 |
| 二二年に第一回の平和祭 慈仙寺鼻で平和宣言 マッカーサーもメッセージ 全世界に反響を呼ぶ 爆音にかき消された第二回平和祭 占領軍の禁止命令 過去帳の奉納始まる ビキニ被災で盛りあがる 三〇年から全国に式典中継 |
||
| 4 | 平和記念施設の歴史 | 今堀誠二 |
| 広島市民と七つの川 永久平和めざす丹下構想 平和大学 平和図書館の夢も 平和都市建設法が実現 迷える霊の供養塔 ハニワの家を型どった慰霊碑 ヒロシマの焦点原爆資料館 狭くなってきた記念館・公会堂 新生広島の百メートル道路 国民運動でドームを保存 |
||
| 5 | 外国人による活動 | 庄野直美 |
| ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」 平和請願一〇万人運動 原爆孤児精神養子運動 ヒロシマ・ピースセンターの活動 原爆乙女をアメリカで治療 シュモー・ハウスを一九戸建設 ドイツから平和の鐘 仏人モーリス氏の「広島憩いの家」 ヨット「フェニックス号」と広島 ベトナム人への支援も レイノルズ夫人と世界平和巡礼 ウ・タント総長に白書を要望 ワールド・フレンドシップ・センター |
||
| 6 | 世界連帯の活動 | 小谷鶴次 |
| 戦争そのものの絶滅を 国連加盟への市民運動 二六年に国連協会県本部 加盟後の普及活動 アウシュヴィッツとの連帯へ 七万キロを平和行進 三八年にアウシュヴィッツ委 世界連邦運動の展開 二四年に連邦運動スタート 二七年に世界連邦アジア会談 市民の意志で「広島宣言」 海外にも大きな反響 一〇万人署名をもとに平和都市宣言 戦争放棄の精神を決議 「世界連邦」の県宣言 西日本大会ではドーム保存支持 サーバス友の会 市民代表の欧州訪問 |
||
| 7 | 文化・報道関係の活動 | 小谷鶴治・今堀誠二・庄野直美 |
| 「中国文化」で原爆特集 栗原貞子の「生ましめん哉」 壊滅した中国新聞の再刊 正田篠枝の「さんげ」 原民喜・大田洋子の作品 押収された「ピカドン」 峠三吉の反戦運動 若い画家たちと平和美術展 ガリ版刷りの「原爆詩集」 映画「原爆の子」作成 日本ペンクラブも平和宣言 続々と被爆体験記 若い作家らの活躍 「広島の詩」が海外に反響 平和の原点を考える さらに体験の発掘へ |
||
| 8 | 原爆被災・平和問題に関する研究活動 | 小谷鶴治・今堀誠二・庄野直美 |
| 直後の医学者の活動 専門家による療養方針 プレスコードで資料手放す 悪条件下でも研究続く ABCCの調査活動 講和とともに発表の活発化 広島の科学者の自主研究 市の機関も研究を助成 三六年に広島原爆医療史 自然科学の原爆白書 広大原医研が活動開始 社会科学の研究活動 国際平和の諸研究から 広島大学に平和問題研 学生グループの活動 二八年に「広島大学人の会」 被爆者の心理・生活の調査 「談話会」の発足と活動 |
||
| 9 | 民間団体の初期における諸活動 | 今堀誠二 |
| 二四年に平和擁護の第一声 ストックホルムアピールの反響 文化団体も活躍 朝鮮戦争下も続く 原爆被害者団体の結成 宗教団体も独自の活動 努力の積み重ねに期待 |
||
| 10 | 市民による特殊な平和活動 | 庄野直美 |
| 原爆体験記を発刊 原爆の子友の会の活躍 原爆の子の像 これはぼくらの叫びです 折鶴の会が発足 現在も活動 原水禁広島母の会 会誌「ひろしまの河」発行 運動の分裂が与えた影響 談話会の発足 原爆白書運動の胎動 政府による白書製作を提言 平和七人委も強く要望 日本学術会議も起つ 白書をすすめる市民の会 胎内被爆者を守る「きのこ会」 ベトナム戦傷孤児の救援 さまざまの市民運動 |
||
| 11 | 原水爆禁止三団体をめぐる動き | 庄野直美 |
| ビキニ被災事件 反核の叫び全国に広がる 広島の婦人の動き 国家保障を求める決議 東京杉並の婦人たち 下から支えられた運動 重さ一二五キロの署名簿 原水禁広島県協議会 原水禁世界大会の発想 中央と広島の運動の相違点 広島は原体験から出発 第一回原水禁世界大会 場外にあふれる参加者 歴史的な広島アピール 右翼団体の妨害も 広く具体的な運動へ 被爆者援護の方向へ 平和行進も始まる 安保問題で離脱騒ぎ 第一回目の分裂起きる 第二回目の分裂起きる 広島県民の使命訴える 被爆者援護の請願続く 第九回大会は県原水協が運営 超党派の市民運動も進む |
||
| ―平和の歩み― 年表 | ||
| 執筆者: 小谷鶴次、今堀誠二、庄野直美 | ||
核兵器の全面的廃絶のための国際デー
(核兵器全面廃絶国際デー)
(9月26日)
| 年(回) | メモ(記念行事など) |
| 2014 | 制定日 |
| 2015(1) | (9月23日) |
| 2016(2) | |
| 2017(3) | |
| 2018(4) |
「9月26日は、国連が定めた「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」です。これに合わせて核兵器廃絶日本NGO連絡会では、9月24日に東京・お茶の水の明治大学で記念イベント「核なき世界に向けて 被爆国の役割を考える」を開催します。このほか、国内のさまざまなNGOが関連行事を行います。ニューヨーク国連本部では、国際デーを記念するイベントと、核兵器禁止条約の署名・批准式がそれぞれ行われます。」 |
| 2019(5) | (9月26日)ハイレベル会合(開催場所:米ニューヨーク・国連本部)
(9月23 日)記念イベント 「核なき世界へ向けて -それって他人事? 自分事?」-(核兵器廃絶日本NGO連絡会(主催)・国連広報センター(共催)https://www.unic.or.jp/news_press/info/34664/
|
【関連資料】
・報道資料[PDF]
https://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/11357/
2014年9月26日、国連は初の「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」を迎えます。
この国際デーを定めた総会決議68/32は、加盟国、国際システム、NGO、学術界、国会議員、マスメディア、個人を含む市民社会に対し、「核兵器が人類に及ぼす脅威と、核兵器の全面的廃絶の必要性に関する社会の認識を高め、教育を充実させることにより、この国際デーを記念し、普及させる」ことを求めています。
https://www.unic.or.jp/files/66e91069625f43abb2d8f87acd82c5da.pdf
・これまでの主な流れ[PDF]
・背景[PDF]
・国連事務総長による5項目の核軍縮提案[PDF]
・非核兵器地帯[PDF]
・「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」に寄せる事務総長メッセージ
プレスリリース 14-060-J 2014年09月26日
世界は長い間、核兵器の不使用を絶対的に保証できるものは核軍縮以外にないこと、そして、核兵器が使用されれば人道面で壊滅的な影響が生じることを認識してきました。
よって、核軍縮は理想主義者の夢ではなく、全人類の安全を真に守るために緊急に実現が必要な課題といえます。
国連総会が初めて、核兵器その他の大量破壊兵器の廃絶という目標を掲げてから、68年が経ちました。
そして、核兵器不拡散条約の発効により、その締約国が誠実な核軍縮交渉の開始を約束してから、44年が経過しています。
この交渉を始めるべき時期は来ています。核軍縮交渉が行われていないことで、国際的なコミットメントにおける軍縮と不拡散の間の微妙なバランスが崩れてきているからです。
私は6年前、核軍縮に関する5項目の提案を出しました。その中には、この目標を達成するために可能な2つの道として、相互補強的な個別協定の枠組みに関する合意と、確固たる検証システムに裏打ちされた核兵器禁止条約が掲げられていました。
最も重要なのは、どちらの道を選ぶかではなく、選んだ道が、核兵器の全面的廃絶という国際的に合意された目標の達成に向かうようにすることです。
今年の国際デーは、単に私たちが核兵器を制限したり、その射程距離を狭めたり、その配備を制約したり、安全保障政策におけるその役割を低下させたりすることを求める日にとどまりません。
それは、国際社会が安全の強化から資金と科学的資源の保全に至るまで、核軍縮によって生まれるはずの多くの恩恵についてしっかりと考える日でもあります。
それはまた、核の抑止力という危険で脆弱なドクトリンが崩れたとしたら、どのような影響が生じることになるのかを想像するための日でもあるのです。
すべての人々、そして将来の世代の平和と安全を守るため、核軍縮を再び国際的な最優先課題としようではありませんか。
『広島原爆とアメリカ人 ある牧師の平和行脚 』(谷本清著、日本放送出版協会 、19760720)
内容
| 章節 | タイトル | 備考 |
| 序にかえて | ||
| 1 | 原爆に生き残って | |
| 1-1 | 運命の八月六日 | |
| 1-2 | 廃墟の中で | |
| 1-3 | 一牧師のビジョン | |
| 2 | 和解の旅 | |
| 1948年9月~1950年1月(15ケ月間)、31州、256都市、472の教会その他の団体で講演582、聴衆約160000名、旅行距離約65800マイル | ||
| 2-1 | ピース・センターの構想 | |
| 2-2 | 第一印象 | |
| 2-3 | メンジスト教会ミッション・ボードと私 | |
| 2-4 | 本格的巡回始る | |
| 2-5 | ピース・センター独自の途を歩む | |
| 2-6 | 被爆地ヒロシマをどうするか | |
| 2-7 | 平和請願運動 | |
| 2-8 | 平和請願運動潰される | |
| 2-9 | 真珠湾記念日とヒロシマ・デー | |
| 2-10 | 東京裁判と死刑執行への反応 | |
| 3 | 嵐の中の平和行脚 | |
| 1950年9月~1951年7月(8ケ月間)、24州、201都市、242団体 講演295、聴衆約5600名、旅行距離約34500マイル | ||
| 3-1 | 朝鮮戦争下のアメリカへ | |
| 3-2 | 講演の新内容を求めて | |
| 3-3 | ニューヨーク入り | |
| 3-4 | カズン氏は極めて多忙である | |
| 3-5 | ヒロシマ・ピース・センター理事会 | |
| 3-6 | 今回の巡回旅行の特色 | |
| 3-7 | 嵐の中の平和運動 | |
| 4 | 原爆乙女アメリカに往く | |
| 1955年5月5日~同年12月20日(7ケ月間)、26州、195都市、212団体 講演245、聴衆約47500名、テレビ・ラジオ・新聞64、行程約38100マイル | ||
| 4-1 | 日本における原爆乙女治療始る | |
| 4-2 | 米国での治療運動始る | |
| 4-3 | 資金はどのようにして集められたか | |
| 4-4 | ニューヨークの受容態勢 | |
| 4-5 | ホスト・ファミリー訪問とカウンセリング | |
| 4-6 | 原爆乙女の渡米はアメリカに何をもたらしたか | |
| 〇ヒューストン市の1週間 | ||
| 〇原爆悲劇に対する読みが深くなった | ||
| 〇国際時局に対する読みも深くなった | ||
| 〇募金活動の実情 | ||
| 〇協力を申し出る4つの病院 | ||
| 〇一日本人医師の批判とその影響 | ||
| 4-7 | ピース・センターはどこへ行く | |
| 4-8 | 平和の営み | |
| 5 | 「傷痕」の伴をして | |
| 1975年9月25日~同年12月15日(80日間)、19州、89都市、105協会その他団体 講演148、聴衆約28800名、旅行約38400マイル | ||
| 5-1 | 「傷痕」ダイジェスト | |
| 5-2 | 講演後の質問応答 | |
| 5-3 | 核兵器使用に際して新しい倫理の確立が要請されている | |
| 5-4 | 「傷痕」のどこに感動したか | |
| 5-5 | 被爆者治療問題の隘路 | |
| 5-6 | 被爆者の悩みは被爆者以外には判ってもらえない | |
| 5-7 | アメリカ講演旅行の総括 | |
国連大学主催「平和・安全保障と軍縮に関する東京セミナー」
| 回 | 発言者 | 演題 |
| 1回(19811207)A 地域の平和と共通の安全保障を考える | ||
| (会場) 高輪プリンスホテル | ||
| オロフ・パルメ(前スウェーデン首相) | 独立委員会の仕事と共通の安全保障について | |
| ラジニ・コタリ(インド) | 専門家の研究と大衆運動を基盤にして | |
| 大石武一(国際軍縮促進議員連盟会長) | 国際連合の精神と日本の役割 | |
| 坂本義和 | 軍縮の新たな展望 | |
| 永井陽之助 | 新たな「平和の構造」を求めて | |
| 宮崎繁樹 | 核兵器の違法性と非核地帯 | |
| アリ・アラタス(インドネシア) | 東南アジア諸国連合の緩衝的役割の可能性 | |
| トー・カー・フーン(マレーシア) | ASEAN諸国と日本への期待 | |
| ジャン=マリ・ダリエ(フランス) | EC諸国の歩みと平和への道 | |
| 関寛治 | 世界の軍事化の要因と新しいネットワーク 広島大学の研究プロジェクトから | |
| アルフォンソ・ガルシア=ロブレス(メキシコ) | 非核地帯条約の成立過程について | |
| ヨセフ・チランキエヴィッチ(ポーランド) | 非核地帯構想とポーランドの平和について | |
| 〔討議〕 | アジアの非核問題と日本 | |
| (発言者) オルセグン・オバサンジョ(ナイジェリア)、田英夫(参議院議員)、秦豊(参議院議員)、永井陽之助 | ||
| (19811208)B 被爆地・広島で平和を考える | ||
| (会場)広島平和記念館 広島会議 | ||
| 今堀誠二 | 広島・長崎の被爆研究の成果をもとに | |
| 荒木武 | 原爆の犠牲者に捧げた言葉とともに | |
| 本島等 | 核廃絶を訴える被爆者の心を伝えたい | |
| 〔被爆体験者の訴え〕 | ||
| 栗原貞子 | 2編の詩に寄せて | |
| 深堀義昭(長崎県被爆者手帳友の会事務局長) | 被爆者の実態を知ってほしい | |
| 松重美人 | 爆心地を撮影したカメラマンとして | |
| 秋月辰一郎(長崎・聖フランシスコ病院院長) | 医者として体験した被爆の姿 | |
| オルセグン・オバサンジョ(ナイジェリア) | “ヒロシマ”体験は非核運動の原点だ | |
| ガルシア=ロブレス(メキシコ) | 国家元首に広島訪問を義務づけたい | |
| 森滝市郎 | “広島以前”と“広島以後”で人類史は変った | |
| 庄野直美 | シェルター論や放射線の遺伝問題にふれて | |
| 軍縮問題にみるネコとネズミ論争 | ||
| 宍戸ヒロシ(山口県・大島教会牧師) | ネズミの軍縮会議にネコが議長である | |
| オロフ・パルメ | 二匹の猫と国連の役割について | |
| ゲオルギ・アルバトフ | 恐しいのは敵ではなく”無関心”だ | |
| オロフ・パルメ | この深い衝撃と感銘を世界につたえたい | |
| 2回(19821029-31)C 核時代の平和をもとめて | ||
| (会場)国連大学 | ||
| 矢野暢 | 地域的安全保障とアジア | |
| ライモ・バウルネン | 核の悪魔にいかに対処するか | |
| スミトロ将軍(インドネシア) | 安全保障への地域的アプローチ | |
| 安川壮(元駐米大使) | アジア・太平洋における日本の役割 | |
| エドムンド・オスマンチク(ポーランド) | 地域安全保障に関するラパツキー案について | |
| フランク・バーナビイ | 超大国の軍事政策と新たな防衛政策 | |
| 大西昭 | 軍備競争の軽減と経済的影響 | |
| 栗野鳳(広島大学教授・平和科学研究センター) | “平和的生存権”と日本 | |
| ブレークウェイ | 普遍的な運動の努力を惜しまずに | |
| 〔討議〕パルメ委員会報告をめぐって | ||
| 武者小路公秀 | 国連大学の性格について | |
| 〔討議〕平和研究機関としての国連大学の可能性 | ||
| 3回(19840415-17) | ||
| 4回『1985』 | ||
出典:『核時代の平和をもとめて』(永井道雄著 、国際連合大学 発行、東京大学出版会発売、19840324)
国連大学広島誘致期成同盟会
| 年月日 | 事項 |
| 1969年 | ウ・タント国連事務総長、年次総会で、「真に国際的な性格を有し、国連憲章が定める平和と進歩のための諸目的に合致した国際連合大学」の設立を提案。国連総会はこのような大学の実現可能性を検討するため、ユネスコと緊密に協力して調査を行う専門家委員会を任命。https://jp.unu.edu/ |
| 19720818 | 山田広島市長、ベルギー・ブリュッセル大学で開催された第15回先生会連邦大会の最終日本会議で「国連大学の広島設置」を提案。23か国代表の全員賛成で決議。 |
| 19720916 | 広島県・広島市・広島大・経済界が広島商工会議所で「国連大学広島誘致期成同盟会」結成大会。永野厳雄県知事を会長に選ぶ。 |
| 19720726 | 広島市議会、国連大学誘致に関し決議。(「平和の推進」) |
| 197209 | 国連大学の設立を検討する委員会、国連経済社会理事会に報告書を提出。https://jp.unu.edu/ |
| 197212 | 国連総会、国連大学の設立を認める。https://jp.unu.edu/ |
| 197312 | 国連総会、国連大学の設立委員会が提出した大学憲章と決議案を採択。https://jp.unu.edu/ |
| 19750120 | 初代国連大学理事会および学長のジェイムス・M・ヘスター博士の就任式、東京の暫定本部施設で開催。https://jp.unu.edu/ |
| 197509 | 東京の本部施設および 寄付基金設立に向けて寄付金1億ドルが日本政府の好意により提供され、国連大学の研究活動スタート。https://jp.unu.edu/ |
| 19780605? | 国連大学広島誘致期成同盟会、誘致の構想まとまらず運動中断。 |
世界平和連帯都市市長会議 1982年6月24日発足
2001年8月5日、「世界平和連帯都市市長会議」から「平和市長会議」に、2013年8月6日に「平和首長会議」に名称変更。
平和問題調査会=広島市長の諮問機関。1981年5月14日設置。
| 回 | 開催年月日 | 議題など |
| 01 | 19810514 | ①委員長の選出②会の名称、構成メンバー、事務局の決定③昭和56年会議開催計画等について説明④基本的問題と事業計画一軍縮シンポジウムの開催/市民講座・特別講演会の開催/国際的平和研究機関の誘致 |
| 02 | 19810724 | パルメ委員会の東京招致及び広島ワークショップについて |
| 03 | 19810907 | ①パルメ委員会及びワークショップの開催について一東京、広島での準備状況 |
| 04 | 19811130 | ①パルメ委員会を迎え、ジャパンワークショップ東京、広島セッション開催の事前検討について |
| 05 | 19820128 | ①パルメ委員会ジャパンワークショップの結果報告並びに今後の対策について |
| 06 | 19820223 | ①第2回国連軍縮特別総会への対応策について―ワーキンダ・グループの検討結果報告 |
| 07 | 19820517 | ①第2回国連軍縮特別総会に対する広島・長崎両市の対応について |
| 08 | 19820702 | ①第2回国連軍縮特別総会の報告②パルメ委員会最終報告書に基づいた平和、安全保障と軍縮に関する東京セミナーについて |
| 09 | 19821001 | ①平和と安全保障と軍縮に関する東京セミナーの開催について一パルメ委員会報告を受けて |
| 10 | 19840217 | ①国連大学主催東京セミナーについて②広島市が行う平和推進活動について |
| 11 | 19820218 | ①第1回世界平和連帯都市市長会議(広島市・長崎市主催)について②東京セミナーについて |
| 12 | 19870319 | ①第1回世界平和連帯都市市長会議の報告②昭和61年は国際平和年に当たり、この取組みとして、国際平和サミット、平和シンポジウム等の実施計画を説明。 |
| 13 | 19880318 | ①国際平和年事業の報告②被爆42周年への取組み③世界平和都市連帯推進事業④国連大学・国連大学協力関係プロジェクト |
| 14 | 19880216 | ①国連大学学長及び各委員紹介②昭和62年度実施事業報告③昭和63年度平和推進事業説明④6か国首脳会議帰国報告⑤第3回国連軍縮特別総会(広島・長崎両市長出席)へ向けての提言 |
| 15 | 19890217 | ①昭和63年度実施事業②平成元年度実施事業③第3回国連軍縮特別総会への出席④国連軍縮広島講演会の開催⑤第9回核戦争防止国際医師会議世界大会の開催⑥第2回世界平和連帯都市市長会議⑦平和・軍縮研究機関の設置構想案 |
| 16 | 19900222 | ①平成元年度主要平和関連事業実施状況②平成2年度主要平和関連事業計画案の概要③「平和に関する国際的な研究機関」の設置について |
| 17 | 19911112 | ①広島市の平和の取組み②新委員を含む委員の自己紹介及び意見交換。 |
| 18 | 19921204 | ①広島市の平和の取組み概要②国連軍縮広島会議の報告③第3回世界平和連帯都市市長会議の検討④アジアにおける広島の役割⑤被爆50周年記念事業 |
| 19 | 19931202 | ①「広島市の平和行政」について①原爆ドームの「世界遺産一覧表」への登録について③「第3回世界平和連帯都市市長会議」の報告④広島市の平和の取組み概要 |
| 20 | 19941219 | ①被爆50周年を迎えての広島市の平和への取組み①米国スミソニアン協会・国立航空宇宙博物館における特別展③国際司法裁判所における核兵器使用の違法性の審理①原爆ドームの「世界遺産一覧表」への登録⑤|世界平和連帯都市市長会議アジア太平洋地域会議⑤広島市の平和の取組み概要 |
| 21 | 19950329 | ①アメリカ社会における核廃絶の認識を高める方途について |
| 22 | 19960321 | ①被爆50周年以後の平和行政について。広島市平和問題調査会は、この会合を以て解散した。 |
| 『広島平和文化センター20年誌』(19970331刊) | ||