『国連訪問レポート-1976 ヒロシマ・ナガサキ 核兵器の廃絶と全面軍縮のために-国連事務総長への要請 』広島市・長崎市編 、刊、19770331)
部 | 事項 | |
国連訪問を終えて | ||
1 | 国際連合訪問の状況(日程順)<詳細リンク> | |
2 | 国連事務総長への要請・要望事項および原爆被害の実態に関する資料 | |
3 | 国際連合訪問の経緯 | |
概要 | ||
1975年8月1日~1976年11月25日 | ||
編集後記 |
『国連訪問レポート-1976 ヒロシマ・ナガサキ 核兵器の廃絶と全面軍縮のために-国連事務総長への要請 』広島市・長崎市編 、刊、19770331)
部 | 事項 | |
国連訪問を終えて | ||
1 | 国際連合訪問の状況(日程順)<詳細リンク> | |
2 | 国連事務総長への要請・要望事項および原爆被害の実態に関する資料 | |
3 | 国際連合訪問の経緯 | |
概要 | ||
1975年8月1日~1976年11月25日 | ||
編集後記 |
ビキニ環礁核実験場 Bikini Atoll Nuclear Test Site
https://whc.unesco.org/en/list/1339
マーシャル諸島共和国初の世界遺産。第2次世界大戦後にはじまった冷戦に伴い、アメリカ合衆国は、太平洋沖マーシャル諸島ビキニ環礁での核実験再開を決定した。周辺住民を移住させ、1946年から1958年まで、初の水素爆弾実験(1952年)を含む67回の核実験を実施した。その威力を示す重要で明白な証拠が、1946年の実験で礁湖に沈んだ船と、水素爆弾「ブラボー」の実験でできた巨大なブラボー・クレーターである。一連の実験は広島型原爆の7000回分に匹敵し、環礁の地質や自然環境、人びとの健康などに重大な影響を及ぼした。これによりビキニ環礁は、「核の時代」の幕開けの象徴となった。
Date of Inscription: 2010 Criteria: (iv)(vi)
資料
本 | ||
隠るべき所なし ビキニ環礁原爆実験記録(ブラッドリー著、佐藤亮一訳、講談社、19490830) | ||
日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴」
2016(平成28)年4月に、4市のストーリー「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴 ~日本近代化の躍動を体感できるまち~」が、日本遺産に認定。
認定ストーリー『鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴 ~日本近代化の躍動を体感できるまち~』
PDFファイル:報道発表資料
『世界連邦アジア会議報告書』(世界連邦アジア会議広島準備委員会事務局 19530201)
目次
挨拶 | ||
広島宣言 | ||
世界連邦アジア会議広島決議 | ||
世界連邦アジア会議日程議題 | ||
出席者名簿 | ||
世界連邦アジア会議開かる | ||
広島到着 | ||
開会式 | ||
総会議 | ||
歓迎晩餐会 | ||
第二日総会議 | ||
宮島観光 | ||
各委員会開催 | ||
第四日総会議 | ||
市中見物 | ||
離広 | ||
広島へ感謝 | ||
アジア会議開催の経緯 | ||
と広島準備委員会経過 | ||
アジア会議を顧みて |
1
2
岡本尚一『原爆民訴或問』(抄)(1953年5月)
「拝啓 人類と文明の為一書を敬呈することを御許し下さいませ。
私は昭和21年6月から2年有半に亘り東京に於ける極東国際軍事裁判に主任弁護人の一人として参加していました。其間終始私の念頭にありましたことは、戦勝国側の極めて重大な国際法違反が勝てるが故に何等その責任を問われない不公正でありました。然し私は、講和条約が発効した暁には、戦勝国側の指導者から広島・長崎に対する原爆投下については、悔恨の情を披瀝されるであらうと心ひそかに期待しつづけてきたものであります。
然るに、それより既に1ケ年を経た今日に於て、未だかかる言葉の片鱗だに聞くことを得ないのであります。
これが基督教を以て普遍的な宗教となし、ヒューマニズムを以て民主主義の基調とする米国・英国の態度であることは遺憾の極みであります。私は当時から講和条約が発効した後においては、尠くとも広島及び長崎に対する原爆の投下についてはこの責任を民事不法行為の面において採りあげて原爆投下の決定に参与した指導者及び国家に対して不法行為の管轄裁判所に対し提訴致し度いと念願し、これを親友にも語ってまいりました。(後略)」
月日 | 事項 |
1953年 | |
01 | 16、17両日広島市在住弁護士46名長崎市在住弁護士18名に「主要関係研究事項」を付して原爆損害民訴提起の可能提唱の書面を郵送。又同じ頃弁護士、学者、宗教家等の知友その他64名に同一書面を郵送 |
0120 | 印度最大の新聞タイムズ・オブ・インディアの東京特派員(前本社副編輯長) N・G・ナンポリア氏来訪、岡本提唱の内容及び進行の予定について3時間に渉って質問、即夜徹夜して長文の記事原稿をタイプし空輸 |
0124 | 朝日新聞大阪本社社会部記者平野一郎氏来訪相当質問して取材 |
0128 | 朝日新聞7面中央に別枠で岡本提唱の記事掲載、又BKニュース放送 |
0130 | UP通信員藤本博氏来訪。印度ではタイムズ・オブ・インディアその他の新聞の記事によってセンセーションを起しているので取材に来たという。同時にUP東京支局から電話で質問があった。 |
0131 | 人類愛善新聞記者長掛芳介氏来訪 |
0201 | 英文毎日に岡本提唱及び其の論拠を報じた |
0221 | 1月31日付広島市内発行の法廷新聞は第1面を埋める記事を掲げ広島弁護士会はこの問題で2月11日臨時総会開催を報じた |
0203 | UP藤本博氏来訪。 |
0203 | 毎日新聞7面に「原爆投下に賠償請求」と題して広島、長崎弁護士会では岡本提唱がきっかけとなって右損害賠償請求訴訟の具体的研究にのりだしたことを報じ た。 |
0204 | 英文毎日は広島弁護士会総会開催その他の反響を報じた |
0118~0201 | 原爆被害者その他から感謝激励の電信書面葉書来る。自宅への電報配達人は感謝激励の言葉を添えて送達紙を手渡した。被害者の手紙は一つ一つ泣かされる。 |
0206 | 原爆損害民訴の主要法律関係研究事項について一応卑見を原爆民訴或問と題して簡単な問答体に書き上げた書面を広島弁護士会員全部その他に郵送 |
0207 | 中国新聞によれば長崎弁護士会も立上り2月10日全員協議会を開く |
0209 | ナンポリア氏の令兄から記事掲載のタイムズ・オブ・インディアを届けらる。見出しには「日本弁護士原爆訴訟を計画す。トルーマン氏は被告名簿の一人」 とあり正確な好意ある立場での報道である。 |
0211 | 産経によれば10日開催の長崎弁護士会全員協議会では広島弁護士会と連絡提携し21日開催の日本弁護士連合会(常任理事会)に本問題の研究と善処方を要望する正式議案を提出することを可決した |
0212 | 原爆民訴或問を長崎弁護士会員全部その他に郵送 |
0308 | 岡本、広島弁護士会の招請により広島に出張。特別委員諸氏と原爆訴訟の法律問題及び実行方法について懇談、又広島市庁及び原爆被害者の会訪問 |
0329 | 広島原爆被害者の会は幹事会開催原爆民訴の原告になる用意がある旨決議し、これを広島弁護士会に申入れた。 |
0427 | 岡本、長崎弁護士会に出張。同会員諸氏と原爆訴訟の法律問題及び実行方法について懇談 |
平和擁護広島大会
1949年10月2日
原子兵器の禁止 広島市民から全世界に打電
国際平和闘争デーの10月2日、原爆都市広島では(既報)10数団体の共同主催で「平和ようご広島大会」が、流川広島女学院講堂にて参加者300名でひらかれた。大会は午後2時民科代表中川氏の司会で始まり議長団には今堀文理大助教授(学術団体)、小西民婦協支部長、高橋自由法曹団弁護士、松江地労委員長、郷土詩人峠三吉氏が選出された。
郷土作家畑耕一氏、自由法曹団を代表した高橋武夫氏の講演に続き、松江地労会長より長田文理大学長、浜井広島市長、広島出身牧師赤岩栄氏のメッセージが読み上げられた。続いて戦争の悲劇を中心にした詩の朗読が広島詩人協会上野氏によってよまれ各団体よりの戦争反対の意見発表がなされた。菅原安芸高女校長(仏教会)、民婦代表村上さん、広島高師学生米倉君、市内段原小学校5年山根君、朝鮮人代表金英哲氏、今堀文理大助教授、安井広島市連合未亡人会長からそれぞれ戦争はいやです永久にこの世から戦争をなくしませうと切々と訴えれば参加者の中よりYさん(27)-広島市観音町-が本大会に発表される平和のための宣言に必ず原爆をうけた広島市民の声として原爆兵器の廃止を入れ全世界にこれを発表して下さい、との緊急動議が出され参加者拍手のうちに可決、続いて議長団より指名された宣言起草委員によって全世界に向って平和のための宣言が発表された。午後5時大会は第二部の映画「ドン底」の上映に移った。
平和擁護広島大会宣言
自由と平和を保証した日本の民主主義革命は最近極めて危険な状態を示してきました。好戦的なファシストたちは、またもや戦争によって利益を得ようとしはじめ、そのための障害となる政治・経済の分野は勿論、科学、芸術、思想、教育などにおいて、さらにそれは日常生活の瑣細な一点に至るまで、総ての民主主義的なものに対して狂暴な圧迫を加えつゝあります。このことは自由と平和を愛好してやまなかったわれわれがかつてのファシズムの被害者としての経験から身をもって知るところの現実であります。ことに民主主義革命の先頭に立ちその主体的役割を果しつゝある労働者階級の諸運動に対しては、最近血を見るほどの暴虐ぶりを示しております。政令、規則、条例などの公布による思想、集会、言論、結社、団体行動の自由に対する明白な蹂躙、全国到る所で惹起する労働争議並びに民主団体に対する警官隊を動員して無謀な弾圧など、憲法によって保証された基本的人権圧殺の事実は、まさにその集中的な現れであります。こうした今日の日本の現実からは、われわれが希ってやまない自由も平和も民族の独立も期待出来ません。さらにこのことは厳粛な世界史の方向にも逆行し人類に課せ られた論理をも無視したものであります。われわれが自然のような強さと深い憂いをもって平和のための一文を草したのもここに由来するものであります。
われわれはこのような矛盾に満ちた現実の中から自由と平和を闘いとるために民主主義革命の先頭をゆく労働者階級との結ぴつきを飛躍的に強化し農民、家庭婦人、青年、学生、中小商工業者たちとも親しく手をとり合い、知識人をもひろく結集して、平和のための一大防壁を築くと共に、今日の国際平和闘争デーを闘いつゝある全世界の平和を愛好する人々の総てと手を握り”戦争ならびにファシズム反対、平和擁護”のための世界的規模における闘いを推し進めねばなりません。
思いまするに、われわれが平和の象徴である広島の地から、こうした平和のための一文を掲げ、人民各層に呼びかけねばならなかったこのこと自体が自由、平和、民族の独立の危機!今日の現実が含む一切の矛盾!人類の生存にとって大きな不幸を招く危険!それらを極めて身近かに象徴していると思います。
われわれは以上のような趣旨によって、人民各層が一人残らず、これに参加し、実に強力な結集と統一との秩序ある広汎な組織を希望いたしますと同時に、われわれはその先頭に立って闘うことを宣言します。
最後に人類史上の最初に原子爆弾の惨禍を経験した広島市民として「原子爆弾の廃棄」を要求します。
1949年10月2日
国際平和闘争デー 平和擁護広島大会
出典:『ひろしま民報』第19号(1949年10月10日)
広島県立文書館の特別展の展示より | |
広島市における原爆障害者対策に関する調査概要(参議院社会労働委員会調査室、1956年1月)
目次
章節 | 見出し | 備考 |
1 | 参議院社会労働委員の現地調査 | |
1-1 | 視察委員 | 参議院議員 :谷口弥三郎・山下義信 |
1-2 | 視察日程概況 | 1月6日~7日 |
1-3 | 調査項目 | |
2 | 原爆障害者治療対策の概要 | |
2-1 | 原爆障害者の調査 | |
2-2 | 原爆障害者の一斉診察 | |
2-3 | 原爆障害者治療対策協議会の発足 | |
2-4 | 治療活動の開始 | |
2-5 | 治療資金の確保 | |
2-6 | 原爆障害者実態調査状況 | |
2-7 | 診察状況 | |
2-8 | 治療状況 | |
3 | 原爆被爆者の健康管理問題 | |
3-1 | 被爆生存者の数 | |
3-2 | 原爆後遺症による死亡者 | |
3-3 | 健康管理の必要 | |
4 | 原爆障害者の生活保護関係 | |
4-1 | 生活保護法の適用を受けている世帯と原爆との関係に関する調査報告 | |
4-2 | 調査結果概況 | |
4-3 | 保護費支給状況 | |
4-4 | 身体障害者手帖の交付を受けているもの | |
(参考)原爆被爆生存者数 | ||
5 | 原爆犠牲者に対する遺族援護法適用状況 | |
5-1 | 援護法、恩給法事務進捗状況 | |
5-2 | 原爆犠牲者年金等要求について原爆死没者者援護に関する陳情経過 | |
5-3 | 原爆犠牲者(軍人を除く)弔慰金支給状況表 | |
6 | 原爆影響研究所(ABCC)の概況 | 7日午前10時両委員はABCCを訪問 |
6-1 | 名称 | |
6-2 | 設置の経過 | |
6-3 | 性格 | |
6-4 | 目的 | |
6-5 | 調査の状況 | |
6-6 | 治療方面について | |
6-7 | 職員 | 米国側職員50名、日本側淑員800名 |
6-8 | ABCCに対する日本政府の協力 | |
ABCC所長宛山下議員発書翰(1956年1月20日) | ||
7 | 原爆傷害対策問題に関する懇談会における主要な要望 | |
8 | 地元の陳情 | |
8-1 | 戦傷病者戦没者遺族等援護法改正に関する要望 | |
8-2 | 原爆障害者治療費等に関する要望 | |
9 | 原爆障害者に対する治療法確立のための国の財政措置 | |
9-1 | 放射能被害調査研究委託費 | |
9-2 | 昭和29年度における広島、長崎両県被爆者の治療法を確立するための調査研究委託事業実施の概要 |
『資料調査通信』(広島大学付属原爆放射能医学研究所資料調査室、第1号(1981年8月号)-第94号(1991年5・6月号)
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 8 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (1)1945年10月~12月 | 1 | 2 | |
1 | 8 | 被爆問題年表 | 1981年8月 | 3 | 10 | |
1 | 8 | 文献・図書資料 | 1981年8月受け入れ分 | 11 | 15 | |
2 | 9 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (2)1946年 | 1 | 5 | |
2 | 9 | メモ | ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」とビキニ原爆実験 | 5 | 0 | |
2 | 9 | 被爆問題年表 | 1981年9月 | 6 | 9 | |
2 | 9 | 文献・図書資料 | 1981年9月受け入れ分 | 10 | 14 | |
3 | 1 | 10 | 「原爆被災資料総目録「「第3集 原爆手記・広島の部」収録状況一覧 | 収集資料一覧 単行本の部 | 3 | 12 |
3 | 1 | 10 | 「原爆被災資料総目録「「第3集 原爆手記・広島の部」収録状況一覧 | 収集資料一覧 逐次刊行物の部 | 12 | 22 |
3 | 10 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (3)1947-1953年 | 1 | 9 | |
3 | 10 | メモ | パールハーバーとヒロシマ | 9 | 0 | |
3 | 10 | 被爆問題年表 | 1981年10月 | 10 | 15 | |
3 | 10 | トピック | 国連軍縮週間 | 15 | 16 | |
3 | 10 | 文献・図書資料 | 1981年10月受け入れ分 | 17 | 20 | |
4 | 11 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (4)1954-1958年6月 | 1 | 8 | |
4 | 11 | 被爆問題年表 | 1981年11月 | 9 | 14 | |
4 | 11 | 文献・図書資料 | 1981年11月受け入れ分 | 15 | 18 | |
5 | 12 | まどうてくれ | ―藤居平一聞書―その(1)「まどうてくれ」 | 1 | 8 | |
5 | 12 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (5)1958年7月-1959年 | 9 | 11 | |
5 | 12 | メモ | 原爆被爆者の死亡発表 | 11 | 11 | |
5 | 12 | 被爆問題年表 | 1981年12月 | 12 | 18 | |
5 | 12 | トピック | ―「老人保健法」案と原爆医療法― | 18 | 19 | |
5 | 12 | 文献・図書資料 | 1981年12月受け入れ分 | 20 | 22 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
6 | 1 | 1 | まどうてくれ | ―藤居平一聞書―その(2)原水爆禁止大会 | 1 | 21 |
6 | 1 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (6)1960年 | 1 | 2 | |
6 | 1 | 被爆問題年表 | 1982年1月 | 3 | 8 | |
6 | 1 | 連載記事一覧 | 1981年 | 9 | 12 | |
6 | 1 | 文献・図書資料 | 1982年1月受け入れ分 | 13 | 22 | |
7 | 3 | 2 | まどうてくれ | 藤居メモ(1)1955年11月ー1956年3月 | 1 | 21 |
7 | B | 2 | 原爆障害症研究文献目録 | ―渡辺 漸氏より借用分― | 1 | 21 |
7 | 1 | 2 | まどうてくれ | ―藤居平一聞書―その(3)原爆被害者の救援と組織 | 1 | 17 |
7 | 2 | 2 | まどうてくれ | 資料 | 18 | 40 |
7 | 2 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (7)1961-1964年 | 1 | 4 | |
7 | 2 | 被爆問題年表 | 1982年2月 | 5 | 12 | |
7 | 2 | 文献・図書資料 | 1982年2月受け入れ分 | 13 | 16 | |
8 | 1 | 3 | まどうてくれ | ―藤居平一聞書―その(4)広島県被団協 | 1 | 14 |
8 | 2 | 3 | まどうてくれ | 資料 | 14 | 58 |
8 | 3 | 3 | まどうてくれ | 藤居メモ (2)1956年3月~7月 | 1 | 31 |
8 | 3 | 被爆問題年表 | 1982年3月 | 1 | 13 | |
8 | 3 | 被爆問題年表 | 1982年4月 | 14 | 25 | |
8 | 3 | 「反核・軍縮の決議・意見書・宣言を採択した地方議会一覧」 | 26 | 33 | ||
8 | 3 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (8)1965-1971年 | 34 | 43 | |
8 | 3 | 文献・図書資料 | 1982年3・4月受け入れ分 | 44 | 52 | |
9 | 1 | 5 | まどうてくれ | 資料特集 1956年8月6日 第3回原水爆禁止広島大会,他 | 1 | 21 |
9 | 2 | 5 | まどうてくれ | 資料特集 くずれぬ平和を 8.6広島大会被害者大会議事録[抄] | 1 | 19 |
9 | 3 | 5 | まどうてくれ | 資料特集 第2回原水爆禁止世界大会議事速報[抄] | 1 | 19 |
9 | 5 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (9)1972-1976年(連載終わり) | 1 | 5 | |
9 | 5 | 被爆問題年表 | 1982年5月 | 6 | 21 | |
9 | 5 | トピック | 5月13日の宮沢官房長官の衆院外務委での答弁について | 21 | 21 | |
9 | 5 | 文献・図書資料 | 1982年5月受け入れ分 | 22 | 24 | |
10 | 6 | 国会論議の中の原爆被害 | (1)第55回特別国会 1967年2月15日~7月21日 | 1 | 5 | |
10 | 6 | 被爆問題年表 | 1982年6月 | 6 | 21 | |
10 | 6 | 連載記事一覧 | 1982年上半期 | 22 | 25 | |
10 | 6 | 文献・図書資料 | 1982年6月受け入れ分 | 26 | 34 | |
11 | 7 | 国会論議の中の原爆被害 | (2)第56回~第60回国会 1967年7月12日~1968年12月21日 | 1 | 8 | |
11 | 7 | 被爆問題年表 | 1982年7月 | 9 | 20 | |
11 | 7 | 文献・図書資料 | 1982年7月受け入れ分 | 21 | 26 | |
12 | 8 | 国会論議の中の原爆被害 | (3)第61・62第国会 1968年12月27日~1969年12月2日 | 1 | 8 | |
12 | 8 | 被爆問題年表 | 1982年8月 | 9 | 25 | |
12 | 8 | 文献・図書資料 | 1982年8月受け入れ分 | 26 | 37 | |
13 | 9 | 国会論議の中の原爆被害 | (4)第63・64回国会 1970年1月14日~12月18日 | 1 | 5 | |
13 | 9 | 被爆問題年表 | 1982年9月 | 6 | 11 | |
13 | 9 | トピック | ―「週間明星」の“事実誤認記事”について― | 12 | 13 | |
13 | 9 | 文献・図書資料 | 1982年9月受け入れ分 | 14 | 24 | |
14 | 10 | 国会論議の中の原爆被害 | (5)第65-67回国会 1970年12月26日~1971年12月17日 | 1 | 6 | |
14 | 10 | メモ | ―「被爆二世の遺族から体験を聞く会」とは? | 16 | 16 | |
14 | 10 | 被爆問題年表 | 1982年10月 | 7 | 16 | |
14 | 10 | 文献・図書資料 | 1982年10月受け入れ分 | 17 | 21 | |
15 | 11 | 国会論議の中の原爆被害 | (6)第68-70回国会 1971年12月29日~1972年11月13日 | 1 | 6 | |
15 | 11 | 被爆問題年表 | 1982年11月 | 7 | 14 | |
15 | 11 | 文献・図書資料 | 1982年11月受け入れ分 | 15 | 22 | |
16 | 12 | 国会論議の中の原爆被害 | (7)第71-74回国会 1972年12月22日~1974年12月25日 | 1 | 10 | |
16 | 12 | トピック | ―「被爆者対策予算」について― | 17 | 17 | |
16 | 12 | 被爆問題年表 | 1982年12月 | 11 | 17 | |
16 | 12 | 連載記事一覧 | 1982年下半期 | 18 | 20 | |
16 | 12 | 文献・図書資料 | 1982年12月受け入れ分 | 21 | 29 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
17 | 1 | 国会論議の中の原爆被害 | (8)第75-78回国会 1974年12月27日~1976年11月4日 | 1 | 9 | |
17 | 1 | トピック | ―「広島・長崎訪問者について」― | 14 | 14 | |
17 | 1 | 被爆問題年表 | 1983年1月 | 10 | 13 | |
17 | 1 | 1982年新聞報道による「広島・長崎訪問者一覧」(外国人のみ) | 14 | 15 | ||
17 | 1 | 文献・図書資料 | 1983年1月受け入れ分 | 16 | 22 | |
18 | 2 | 国会論議の中の原爆被害 | (9)第79-83回国会 1976年12月24日~1977年12月10日 | 1 | 6 | |
18 | 2 | 被爆問題年表 | 1983年2月 | 7 | 13 | |
18 | 2 | 文献・図書資料 | 1983年2月受け入れ分 | 14 | 18 | |
19 | 3 | 国会論議の中の原爆被害 | (10)第84-86回国会 1977年12月19日~1978年12月12日 | 1 | 9 | |
19 | 3 | 被爆問題年表 | 1983年3月 | 10 | 17 | |
19 | 3 | 文献・図書資料 | 1983年3月受け入れ分 | 18 | 28 | |
20 | 4 | 国会論議の中の原爆被害 | (補)第54回国会以前 | 1 | 11 | |
20 | 4 | トピック | ―ひろしまフラワーフェスティバルと自衛隊パレード― | 18 | 18 | |
20 | 4 | 被爆問題年表 | 1984年4月 | 12 | 17 | |
20 | 4 | 文献・図書資料 | 1983年4月受け入れ分 | 19 | 26 | |
21 | 5 | 特集: | 被爆後1年間の広島~慰霊行事表 | 1 | 9 | |
21 | 5 | 新聞によるミニ原爆映画史 | No.1映画「エフェクト・オブ・ジ・アトミックボム「ヒロシマ・ナガサキ」に関して 1967.5~1968.1 | 10 | 14 | |
21 | 5 | 被爆問題年表 | 1983年5月 | 15 | 22 | |
21 | 5 | 文献・図書資料 | 1983年5月受け入れ分 | 23 | 40 | |
22 | 6 | 新聞によるミニ原爆映画史 | No.2 映画「エフェクト・オブ・ジ・アトミックボム「ヒロシマ・ナガサキ」に関して 1968年 | 8 | 11 | |
22 | 6 | 特集: | 報道・原爆被爆者の死 | 1 | 7 | |
22 | 6 | 被爆問題年表 | 1983年6月 | 12 | 22 | |
22 | 6 | 文献・図書資料 | 1983年6月受け入れ分 | 23 | 34 | |
23 | 7 | 国会論議の中の原爆被害 | (11)第25-41回国会 1956年11月12日~1962年9月2日 | 1 | 12 | |
23 | 7 | 被爆問題年表 | 11983年7月 | 13 | 29 | |
23 | 7 | 文献・図書資料 | 1983年7月受け入れ分 | 30 | 40 | |
24 | 8 | 国会論議の中の原爆被害 | (12)第42-54回国会 1962年12月8日~1966年12月27日(連載終わり) | 1 | 13 | |
24 | 8 | 文献・図書資料 | 1983年8月受け入れ分 | 14 | 31 | |
24 | 8 | 新聞によるミニ原爆映画史 | No.3 1969年2月~1982年10月 | 32 | 39 | |
24 | 8 | 被爆問題年表 | 1983年8月 | 40 | 65 | |
25 | 2 | 9 | まどうてくれ | 資料特集 1956年8~9月 | 1 | 27 |
25 | 1 | 9 | まどうてくれ | 藤居メモ(3)1956年8~9月 | 1 | 27 |
25 | 9 | 被爆問題年表 | 1983年9月 | 1 | 9 | |
25 | 9 | 文献・図書資料 | 1983年9月受け入れ分 | 10 | 24 | |
26 | 1 | 10 | まどうてくれ | 資料特集 1956年10~12月 | 1 | 57 |
26 | 10 | 被爆問題年表 | 1983年10月 | 1 | 10 | |
26 | 10 | トピック | ―「レーガン招請運動」 反核で盛り上がる西欧の裏側で― | 11 | 15 | |
26 | 10 | 文献・図書資料 | 1983年10月受け入れ分 | 16 | 26 | |
27 | 1 | 11 | まどうてくれ | 藤居メモ(4)1957年1~2月 | 1 | 24 |
27 | 2 | 11 | まどうてくれ | (4)1957年1月~2月 資料つづき | 25 | 54 |
27 | 11 | 被爆問題年表 | 1983年11月 | 1 | 9 | |
27 | 11 | 文献・図書資料 | 1983年11月受け入れ分 | 10 | 21 | |
28 | 12 | 被爆問題年表 | 1983年12月 | 1 | 7 | |
28 | 12 | 連載記事一覧 | 1983年 | 8 | 14 | |
28 | 12 | 文献・図書資料 | 1983年12月受け入れ分 | 15 | 27 | |
28 | 1 | 12 | まどうてくれ | 藤居メモ及び関連資料(5)1957年3~5月 | 1 | 30 |
28 | 2 | 12 | まどうてくれ | 藤井メモ及び関連資料 「「(5)1957年3月~5月 | 30 | 65 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
29 | 1 | 1 | まどうてくれ | 資料特集 第3回原水爆禁止世界大会議事速報[抄] | 1 | 34 |
29 | 1 | 被爆問題年表 | 1984年1月 | 1 | 5 | |
29 | 1 | 文献・図書資料 | 1984年1月受け入れ分 | 6 | 18 | |
30 | 2 | 被爆問題年表 | 1984年2月 | 1 | 8 | |
30 | 2 | 文献・図書資料 | 1984年2月受け入れ分 | 9 | 18 | |
31 | 3 | 文献・図書資料 | 1984年3月受け入れ分 | 1 | 3 | |
31 | 3 | 被爆問題年表 | 1984年3月 | 4 | 12 | |
31 | 3 | ビキニ被災30周年 新聞記事によるビキニデーの変遷 | ①1955~1964年 | 13 | 19 | |
32 | 1 | 4 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (1)1945~1953年 | 1 | 15 |
32 | 4 | 文献・図書資料 | 1984年4月受け入れ分 | 1 | 11 | |
32 | 4 | 被爆問題年表 | 1984年4月 | 12 | 20 | |
32 | 4 | ビキニ被災30周年 新聞記事によるビキニデーの変遷 | ②1965~1974年 | 21 | 25 | |
33 | 5 | 文献・図書資料 | 1984年4月受け入れ分 | 1 | 5 | |
33 | 5 | 被爆問題年表 | 1984年5月 | 6 | 17 | |
33 | 5 | ビキニ被災30周年 新聞記事によるビキニデーの変遷 | ③1975~1984年(連載終り) | 18 | 26 | |
34 | 6 | 被爆問題年表 | 1984年6月 | 1 | 12 | |
34 | 6 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (2)1954~1956年 | 13 | 24 | |
35 | 1 | 7 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (3)1957~1962年 | 1 | 22 |
35 | 7 | 文献・図書資料 | 1984年6月受け入れ分 | 1 | 19 | |
35 | 7 | 被爆問題年表 | 1984年7月 | 20 | 35 | |
36 | 1 | 8 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (4)1963~1965年 | 1 | 22 |
36 | 8 | 被爆問題年表 | 1984年8月 | 1 | 22 | |
37 | 1 | 10 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (5)1966~1969年 | 1 | 22 |
37 | 9 | 被爆問題年表 | 1984年9月 | 1 | 8 | |
37 | 9 | 被爆問題年表 | 1984年10月 | 9 | 18 | |
38 | 1 | 11 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (6)1970~1971年 | 1 | 26 |
38 | 2 | 11 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (7)1972~1974年 | 1 | 29 |
38 | 11 | 被爆問題年表 | 1984年11月 | 1 | 9 | |
38 | 11 | ―新聞報道による「全国平和教育シンポジウム」の歩み | 10 | 11 | ||
38 | 11 | 「「新聞報道による「全国平和教育シンポジウム」一覧 | 第1回(1973年)~第12回(1984年) | 12 | 16 | |
39 | 1 | 12 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (8)1975~1976年 | 1 | 27 |
39 | 12 | 被爆問題年表 | 1984年12月 | 1 | 10 | |
39 | 12 | 連載記事一覧 | 1984年 | 11 | 32 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
40 | 1 | 2 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (9)1977~1978年 | 1 | 22 |
40 | 1 | 被爆問題年表 | 1985年1月 | 1 | 7 | |
40 | 1 | 被爆問題年表 | 1985年2月 | 8 | 15 | |
41 | 3 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (10)1979~1980年 | 1 | 23 | |
41 | 3 | 被爆問題年表 | 1985年3月 | 1 | 11 | |
42 | 1 | 4 | 文献・図書資料 | 1984年7月~12月受け入れ分 図書の部 | 3 | 37 |
42 | 2 | 4 | 文献・図書資料 | 1984年7月~12月受け入れ分 逐次刊行物の部 | 38 | 69 |
42 | 3 | 4 | 被爆問題年表 | 1985年4月 | 70 | 81 |
42 | 3 | 4 | トピック | ―「被爆証人捜し」1972(昭和47年)~ (「被爆証人捜し」一覧 P.84~) | 82 | 86 |
43 | 1 | 5 | 資料:原爆報道 社説一覧 | 中国新聞(1945年~1984年) | 1 | 28 |
43 | 2 | 5 | 資料:原爆報道 社説一覧 | 朝日・毎日・読売(1945~1984年) | 1 | 50 |
43 | 3 | 5 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | (11)補遺 (1945ー1984年) | 1 | 19 |
43 | 5 | 被爆問題年表 | 1985年5月 | 1 | 12 | |
44 | 6 | 被爆問題年表 | 1985年6月 | 1 | 16 | |
45 | 6 | 被爆問題年表 | 1985年7月 | 1 | 20 | |
46 | 8 | 被爆問題年表 | 1985年8月 | 1 | 32 | |
46 | 8 | 被爆問題年表 | 1985年7月補遺 | 33 | 33 | |
46 | 8 | 被爆40年 原爆報道 | ローカル紙の8・6社説 | 34 | 35 | |
46 | 8 | 被爆40年 原爆報道 | ローカル紙の8・6連載 | 36 | 39 | |
46 | 8 | トピック | 反核意見広告(掲載紙・掲載日・頁・広告主) | 40 | 40 | |
47 | 9 | 被爆問題年表 | 1985年9月 | 1 | 9 | |
47 | 9 | 資料:原爆報道 | 政党紙連載一覧 | 10 | 21 | |
48 | 10 | 被爆問題年表 | 1985年10月 | 1 | 14 | |
49 | 1 | 11 | 被爆問題年表 | 1985年11月 | 1 | 8 |
49 | 1 | 11 | 被爆問題年表 | 1985年12月 | 9 | 16 |
49 | 2 | 11 | 連載記事一覧 | 1985年 | 17 | 57 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
50 | 1 | 1 | 資料:原爆報道 新聞連載一覧 | 長崎編(1945ー1984) | 1 | 48 |
50 | 1 | 被爆問題年表 | 1986年1月 | 1 | 7 | |
50 | 1 | 資料調査通信索引 | (1~50号) (別紙リーフレット) | 1 | 2 | |
50 | 1 | 原爆関連テレビ番組一覧 | 1985年 | 8 | 18 | |
51 | 2 | 被爆問題年表 | 1986年2月 | 1 | 6 | |
51 | 2 | 被爆問題年表 | 1986年3月 | 7 | 14 | |
51 | 2 | 原爆関係新聞社説・投書一覧 | 「「中国・朝日・毎日・読売・長崎「「1985年 | 15 | 24 | |
52 | 4 | 被爆問題年表 | 1986年4月 | 1 | 8 | |
52 | 4 | THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ | (9)1977-1983年 | 9 | 13 | |
52 | 4 | 原爆関連テレビ番組一覧 | (1982-1984年) 原医研ビデオ所蔵分 | 14 | 18 | |
53 | 5 | 被爆問題年表 | 1986年5月 | 1 | 10 | |
53 | 5 | トピック | 原爆供養塔の遺骨をめぐって | 11 | 11 | |
53 | 5 | トピック | 新聞による年表―原爆供養塔の遺骨引き渡し(1968ー1985年) | 12 | 16 | |
54 | 6 | 被爆問題年表 | 1986年6月 | 1 | 9 | |
54 | 6 | 被爆後1年間の長崎-慰霊行事表 | 10 | 12 | ||
54 | 6 | 被爆後1年間の長崎-慰霊行事表 | 弔辞と1945-1952年の関係記事 | 13 | 23 | |
55 | 7 | 被爆問題年表 | 1986年7月 | 1 | 15 | |
55 | 7 | 被爆者対策史 | 年表 1945(昭和20)年 | 16 | 22 | |
56 | 8 | 被爆問題年表 | 1986年8月 | 1 | 25 | |
57 | 9 | 被爆問題年表 | 1986年9月 | 1 | 6 | |
57 | 9 | 被爆者対策史 | 年表 (2)1946-1948年 | 7 | 18 | |
58 | 10 | 被爆問題年表 | 1986年10月 | 1 | 8 | |
58 | 10 | 被爆者対策史 | 年表 (3)1949-1950年 | 9 | 16 | |
59 | 11 | 被爆問題年表 | 1986年11月 | 1 | 7 | |
59 | 11 | 被爆問題年表 | 1986年12月 | 8 | 13 | |
59 | 11 | 連載記事一覧 | 1986年 | 14 | 29 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
60 | 1 | 被爆問題年表 | 1987年1月 | 1 | 5 | |
60 | 1 | 被爆問題年表 | 1987年2月 | 6 | 11 | |
60 | 1 | 被爆者対策史 | 年表 (4)1951-1952年 | 12 | 20 | |
61 | 3 | 被爆問題年表 | 1987年3月 | 1 | 7 | |
61 | 3 | トピック | 新聞報道による「広島長崎訪問者一覧」 (1983ー1986年) | 8 | 18 | |
62 | 4 | 被爆問題年表 | 1987年4月 | 1 | 6 | |
62 | 4 | 原爆関係新聞社説・投書一覧 | 「「中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞「「1986年 | 7 | 13 | |
62 | 4 | ローカル紙の8.6社説 | 1986年 | 14 | 15 | |
63 | 5 | 被爆問題年表 | 1987年5月 | 1 | 9 | |
63 | 5 | 被爆問題年表 | 1987年6月 | 10 | 19 | |
63 | 5 | トピック | 厚生省の被爆者実態調査結果の報道(1965・1975・1985年調査分) | 20 | 23 | |
64 | 7 | 被爆問題年表 | 1987年7月 | 1 | 14 | |
65 | 8 | 被爆問題年表 | 1987年8月 | 1 | 20 | |
65 | 8 | ローカル紙の8.6社説 | 1987年 | 21 | 22 | |
66 | 9 | 被爆問題年表 | 1987年9月 | 1 | 5 | |
66 | 9 | 被爆者対策史 | 年表 (5)1953年 | 6 | 14 | |
66 | 9 | 被爆者対策史 | 年表 掲載号一覧 | 15 | 15 | |
66 | 1 | 9 | 文献・図書資料 | 1985年1月~12月受入れ分 図書の部 | 1 | 41 |
66 | 2 | 9 | 文献・図書資料 | 1985年1月~12月受け入れ分 図書の部 | 42 | 65 |
66 | 3 | 9 | 文献・図書資料 | 1985年1月~12月受け入れ分 逐次刊行物の部 | 66 | 86 |
67 | 10 | 被爆問題年表 | 1987年10月 | 1 | 8 | |
67 | 10 | 被爆問題年表 | 1987年11月 | 9 | 14 | |
67 | 10 | 被爆者対策史 | 資料(1)八者協に見る被爆者研究への要望 | 15 | 25 | |
68 | 12 | 被爆問題年表 | 1987年12月 | 1 | 7 | |
68 | 12 | 連載記事一覧 | 1987年 Ⅰ.中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞 | 8 | 14 | |
68 | 12 | 連載記事一覧 | 1987年 Ⅱ.ローカル紙 | 15 | 17 | |
68 | 12 | 連載記事一覧 | 1987年 Ⅲ.政党紙 | 18 | 20 | |
68 | 1 | 12 | 被爆者対策史 | 資料 (2)原爆症研究の再開 A.予研年報にみるABCC略史 | 1 | 31 |
68 | 2 | 12 | 被爆者対策史 | 資料(2) B.都築正男資料にみる文部省原子爆弾災害調査研究班の発足 | 32 | 50 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
69 | 1 | 被爆問題年表 | 1988年1月 | 1 | 4 | |
69 | 1 | 被爆問題年表 | 1988年2月 | 5 | 10 | |
69 | 1 | 原爆関係社説・投書一覧 | ―中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞―1987年 | 11 | 17 | |
70 | 3 | 被爆者対策史 | 年表 (6)1954年 | 1 | 16 | |
70 | 3 | 被爆者対策史 | 年表 掲載号一覧 | 16 | 16 | |
70 | 3 | 被爆問題年表 | 1988年3月 | 17 | 23 | |
71 | 4 | 被爆問題年表 | 1988年4月 | 1 | 8 | |
71 | 4 | 被爆問題年表 | 1988年5月 | 9 | 17 | |
71 | 1 | 4 | 文献・図書資料 | 1986年1月~12月受入れ分 | 1 | 39 |
71 | 2 | 4 | 文献・図書資料 | 1986年1月~12月受け入れ分 図書の部 | 40 | 75 |
71 | 3 | 4 | 文献・図書資料 | 1986年1月~12月受け入れ分 図書の部 | 76 | 115 |
71 | 4 | 4 | 文献・図書資料 | 1986年1月~12月受け入れ分 逐次刊行物の部 | 16 | 145 |
72 | 6 | 被爆問題年表 | 1988年6月 | 1 | 10 | |
72 | 6 | 被爆問題年表 | 1988年7月 | 11 | 21 | |
73 | 8 | 被爆者対策史 | 年表 (7)1955年 | 1 | 14 | |
73 | 8 | 被爆問題年表 | 1988年8月 | 15 | 35 | |
74 | 9 | 被爆問題年表 | 1988年9月 | 1 | 6 | |
74 | 9 | 被爆問題年表 | 1988年10月 | 7 | 13 | |
74 | 1 | 9 | 被爆者対策史 | -資料(3)- 「被団協」新聞に見る被爆者運動の動向 1978~1988 | 1 | 42 |
75 | 11 | 被爆問題年表 | 1988年11月 | 1 | 7 | |
75 | 11 | 被爆問題年表 | 1988年12月 | 8 | 15 | |
75 | 11 | 連載記事一覧 | ―中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞―1988年 | 16 | 27 | |
75 | 11 | 連載記事一覧 | Ⅱ.ローカル紙 1987年 | 25 | 31 | |
75 | 11 | 連載記事一覧 | Ⅲ.政党紙 1987年 | 32 | 37 | |
75 | 11 | 訂正 | 資料調査通信1988年9・10月号分 | 38 | 38 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
76 | 1 | 被爆問題年表 | 1989年1月 | 1 | 6 | |
76 | 1 | 原爆関係新聞社説一覧 | 1988年 Ⅰ.中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞― | 7 | 8 | |
77 | 2 | 原爆関係社説一覧 | 1988年 Ⅱ.ローカル紙 | 9 | 9 | |
76 | 1 | 原爆関係新聞投書一覧 | 1988年 中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞 | 10 | 15 | |
77 | 2 | 被爆問題年表 | 1989年2月 | 1 | 8 | |
77 | 3 | 被爆問題年表 | 1989年3月 | 9 | 17 | |
78 | 4 | 被爆者対策史 | 年表 (8)1956年 | 1 | 30 | |
78 | 4 | 被爆者対策史 | 年表 掲載号一覧 | 31 | 31 | |
78 | 4 | 被爆問題年表 | 1989年4月 | 32 | 37 | |
79 | 5 | 被爆問題年表 | 1989年5月 | 1 | 11 | |
79 | 1 | 5 | 文献・図書資料 | 1987年1月~12月受入れ分 図書の部 | 1 | 40 |
79 | 2 | 5 | 文献・図書資料 | 1987年1月~12月受入れ分 図書の部 | 41 | 87 |
79 | 3 | 5 | 文献・図書資料 | 1987年1月~12月受入れ分 逐次刊行物の部 | 88 | 117 |
80 | 6 | 被爆問題年表 | 1989年 6月 | 1 | 9 | |
80 | 1 | 6 | 文献・図書資料 | 1988年1月~12月受入れ分 図書の部 | 1 | 52 |
80 | 2 | 6 | 文献・図書資料 | 1988年1月~12月受入れ分 逐次刊行物の部 | 53 | 76 |
81 | 7 | 被爆問題年表 | 1989年7月 | 1 | 13 | |
81 | 8 | 被爆問題年表 | 1989年8月 | 14 | 34 | |
82 | 9 | 被爆問題年表 | 1989年9月 | 1 | 7 | |
82 | 10 | 被爆問題年表 | 1989年10月 | 8 | 17 | |
82 | 10 | トピック | 第9回核戦争防止国際医師会議(IPPNW)世界大会 ―特集記事一覧― | 18 | 22 | |
82 | 1 | 10 | 原爆手記掲載書・誌目録 | 1946(昭和21年)~1974(昭和49年) | 1 | 36 |
82 | 2 | 10 | 原爆手記掲載書・誌目録 | 1975(昭和50年)~1984(昭和59年) | 37 | 77 |
82 | 3 | 10 | 原爆手記掲載書・誌目録 | 1985(昭和60年)~1989(平成 1年) | 78 | 104 |
83 | 11 | 被爆問題年表 | 1989年11月 | 1 | 8 | |
83 | 11 | 被爆問題年表 | 1989年12月 | 9 | 15 | |
83 | 11 | 連載記事一覧 | Ⅰ.中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞 1989年 | 16 | 38 | |
83 | 11 | 連載記事一覧 | Ⅱ.ローカル紙 1989年 | 39 | 43 | |
83 | 11 | 連載記事一覧 | Ⅱ.ローカル紙 補遺(1986~1988) | 44 | 45 | |
83 | 11 | 連載記事一覧 | Ⅲ.政党紙 1989年 | 46 | 49 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
84 | 1 | 被爆問題年表 | 1990年1月 | 1 | 6 | |
84 | 1 | 原爆関係新聞社説・投書一覧 | 1989年 | 7 | 14 | |
85 | 2 | 被爆問題年表 | 1990年2月 | 1 | 5 | |
85 | 2 | 被爆問題年表 | 1990年3月 | 6 | 12 | |
85 | 2 | 被爆問題年表 | 1990年4月 | 13 | 19 | |
85 | 2 | 特集 | 新聞記事による被爆韓国人・被爆問題年表 (1)1989年 | 20 | 24 | |
86 | 5 | 被爆問題年表 | 1990年5月 | 1 | 8 | |
86 | 5 | 被爆問題年表 | 1990年6月 | 9 | 18 | |
86 | 5 | 特集 | 新聞記事による被爆韓国人・朝鮮人問題年表(2)1988年 | 19 | 21 | |
87 | 7 | 被爆問題年表 | 1990年7月 | 1 | 14 | |
87 | 7 | 特集 | 新聞記事による被爆韓国人・朝鮮人問題年表(3)1982年-1987年 | 15 | 28 | |
88 | 8 | 被爆問題年表 | 1990年8月 | 1 | 25 | |
88 | 9 | 被爆問題年表 | 1990年9月 | 26 | 31 | |
89 | 10 | 被爆問題年表 | 1990年10月 | 1 | 9 | |
89 | 11 | 被爆問題年表 | 1990年11月 | 10 | 17 | |
90 | 12 | 被爆問題年表 | 1990年12月 | 1 | 7 | |
90 | 12 | 被爆問題年表 | 1990年補遺 | 8 | 10 | |
90 | 12 | 1990年連載記事一覧 | 11 | 34 |
号 | 分冊 | 月 | 記 事 | 頁 | ||
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91 | 1 | 被爆問題年表 | 1991年1月 | 1 | 7 | |
91 | 1 | 1990年原爆関係新聞社説・投書一覧 | 8 | 18 | ||
92 | 2 | 被爆問題年表 | 1991年2月 | 1 | 8 | |
92 | 3 | 被爆問題年表 | 1991年3月 | 9 | 15 | |
92 | 3 | トピック | 新聞報道による「広島・長崎訪問者一覧」 | 16 | 30 | |
93 | 4 | 被爆問題年表 | 1991年4月 | 1 | 10 | |
93 | 4 | トピック | ソ連大統領の長崎訪問 | 11 | 15 | |
94 | 5 | 被爆問題年表 | 1991年5月 | 1 | 10 | |
94 | 6 | 被爆問題年表 | 1991年6月 | 11 | 19 |
Y.SCOTT Matsumoto,Ph.D.「原爆の被爆者に及ぼした社会的影響 広島・長崎」(『原爆傷害調査委員会 業績報告書』 TECHNICAL REPORT 12-69)April 1969承認
(以下抜粋)
本報告は、1967年1月18-21日、New Jersey 州 Princeton 市において開かれたニューヨーク科学アカデミー主催の会議 ”Interdisciplinary Communication Program” に発表するために準備した覚え書きをまとめたもの。
緒言
*過去年間にわたって継続している両市におけるマスコミの影響と効果
*1946年以来の両市のおもなできごと<継続的に絶えず大きく報道され、その結果、被爆者の不安をいっそう増大>を簡単にのべてみる
1945-67年のおもなできごと
年 | できごと |
1945 | 70年間一切の生物の棲息不可能。都築の診察開始。米国陸海軍合同調査団結成 |
1946 | Henshaw, Brues, Block, Neel, Ullrichからなる調査団の広島。長崎訪問 |
1947 | 3月、Neelが広島赤十字病院に事務所を開設、ABCCの活動が実際に始まる。12月、天皇の広島訪問。 |
1948 | 特記すべきことなし。 |
1949 | |
1966 | 映画「ヒロシマ1966」 |
1967 | 映画「愛と死の記録」、映画「千曲川絶唱」(3月封切) |
解説および考察
表 | ||
1 | ||
2 | ||
3 | ||
4 | ||
5 | 成人健康調査における医療社会ケースワーク:被爆区分・都市別、第3診察周期、1962-64 | |
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8 | ||
9 |
要約
**健康・寿命・結婚・転住、その他の社会的要因に関する統計を提示したが、これらの統計資料は、一般にいわれている被爆者の自殺、結婚における傾向についての概念を裏づけず、時には否定する結果を示した。
国立予防衛生研究所 1957年5月21日設立
年報目次(抄)
年度 | 章節 | 見出し | 備考(抄録) |
1947 | 1 | 沿革 | |
1-1 | 誕生 | ||
1-2 | 設立の趣旨及び機能 | ||
1-3 | 予研の将来 | ||
1-4 | 運営方針 | ||
1948 | 原子爆弾影響の医学的調査に関する米国Atomic Bomb Casualty Commision (ABCC)との協同研究 | ||
1949 | Ⅶ | 原子爆弾影響研究所 | |
1950 | Ⅳ | 原子爆弾影響研究所その他における協力 | |
1951 | Ⅵ | 原子爆弾影響研究 | |
1952 | ⅩⅤ | 広島・長崎支所 | |
1953 | ⅩⅤ | 広島・長崎支所 | |
1953 | ⅩⅥ | 原爆症調査研究協議会 | |
1954 | ⅩⅣ | 放射能研究委員会 | |
1954 | ⅩⅥ | 広島・長崎支所 | |
1954 | ⅩⅦ | 原爆症調査研究協議会 | |
1955 | ⅩⅣ | 放射能研究委員会 | |
1955 | ⅩⅥ | 広島・長崎支所 | |
1956 | ⅩⅣ | 放射能研究委員会 | |
1956 | ⅩⅥ | 広島・長崎支所 | |
1957 | ⅩⅤ | 放射能研究委員会 | |
1957 | ⅩⅦ | 広島・長崎支所 | |
1958 | ⅩⅤ | 放射能研究委員会 | |
1958 | ⅩⅦ | 広島・長崎支所 | |
1959 | ⅩⅤ | 放射能研究委員会 | |
1959 | ⅩⅦ | 広島・長崎支所 | |
1960 | ⅩⅦ | 広島・長崎支所 | |
1961 | ⅩⅧ | 広島・長崎支所 | |
1962 | ⅩⅧ | 広島・長崎支所 | |
1963 | ⅩⅨ | 広島・長崎支所 | |
1964 | ⅩⅨ | 広島・長崎支所 | |